BR84Q1 - 第1回質疑応答会合 home
イングランド、ブロックウッド・パーク
1984年8月28日

1:10 たくさんの質問が、されています。 それらの束、全部です。 それらの幾つかは、手紙です。 幾つかは、きわめて短い質問です。 それらのすべてには、答えられません。 それは、不可能になるでしょう。 それは、きわめて多くの日々が、 掛かるでしょう。 幾つかの質問が、 あの分の中から、選ばれました。
1:48 これらの問いに、入る前に、 私たちは、ともに 話し合うべきです - 私たちは、全包括的な 精神や頭脳の状態から、 質問をできるのか どうか、です。 人間の問題全体を 見るか、了解する状態や、 または、知覚から、です。 一つの特定の問題 だけではない。 すべての問題は、互いに 関係し合っています。
2:38 他より隔絶した、一つの 分離した問題は、ありません。 そうであるなら、 質問をすることや、 問題に向き合うこと - 統合された見通しから、ですが、 私がいう意味を、 理解されますか。 私たちのほとんどは、断片化し、 砕けてしまっています - ビジネス、宗教的に、 家庭生活、性的な生活、 宗教生活などなど、ですが、 私たちは、みんな、全包括的な、 健全な人間ではありません - それは、事実です。 私たちは、特定の視点から、 生を見つめます - 結論から、または、何か 理想主義的な概念から、です。 これらは、 すべて断片化・ ・・ - 生に対する 断片化した見通しです。 ですね? 私たちは、ともに、いろいろと 話し合っています。 4:25 私たちは、質問できますか・・・ 問題に向き合えますか - まったく断片化していない、 全的に違った見通しから、 です。 理解されますか。 私たちは、 ここで、互いに出会っていますか。 私たちは、芝生を越えて、 ここに来るとき、 ちょうど、 それについて考えました - 私たちは、全包括的に、質問を できるか、問題に向き合えますか。 その言葉を使うのを、あなたが気に されないことを、願っています。 それは、いわゆる 科学的な言葉ではあるけれども、 私たちがその言葉を使っても、 科学者たちが許してくださる ことを、願っています。 全的な統合、誠実さの視点から、 そして、質問をする。 私たちがそれに入るなら、 それは、かなり興味深いのです。
5:53 それは、可能ですか。 私たちが断片化していて、 砕けてしまっていることを、認識して - 私たち自身が 分割されて、矛盾し、 一つの欲望を、別の欲望に 対立させているなど、です。 それらを知り、それらに気づき、 私たちは問題に、向き合えるのでしょうか - すなわち、異なった焦点からです。 なぜ私たちは、問題を 持っていますか。 私たちは、多くの問題を 持っています - 政治的、宗教的、性的、など、 私たちは、生の中で 多数の問題を、持っています。 問題は、増大しつつあります - こうも洗練されて、 複雑である社会の中で、です。 人口過剰、 悪い政治、などです。 7:16 一つの問題を解消する中で、 私たちは、 多くの他の問題を、増大させる ように、思われます。 ですね? なぜですか。 この問いに答える中で、それが 生じさせようとしている・ ・・ 答えは、同様な問題を、 目覚めさせようとしています。 なぜ私たちは、問題を 持っていますか。 問題に出会うことは、 可能ですか - すでに、問題を解決するよう、条件 づけられている頭脳なしに、です。 質問を理解されますか。 あなたは、それを 理解しません。 私も当面、そうです!
8:19 で、それを見つめましょう。 私たちは、幼くして、 学校へ行きます - ほぼ五つか、七つか、 などです。 子どもたちは、問題に 向き合います - 数学的な問題、書き方、 読み方、 数学の・ ・・学び方、 そうね、それは、 問題になります。 で、子ども時代から、私たちの頭脳は、 問題解決に、条件づけられています。 ですね? これは、事実です。 それは、語り手の何か 突飛な理論ではありません。 で、専門校へ行きますが、 またもや、問題があります。 そして、大学、職、 様々な業務、天職など、 問題に次ぐ問題、です。 9:23 私たちの頭脳は、問題で 満ちています。ですね? 私たちは、いつも 探し求めています - 問題を解決するよう、 条件づけられた頭脳から、です。 私たちは、いつも、問題への解決を 探し求めています。 ですね? これは、明らかですか。 私たちは、ここに一緒にいますか。 さて、頭脳は、どうやって 問題を解決できますか - もしそれが、問題より 自由でないなら、です。 いいですか? 私たちは、ここで ちょっとは、一緒にいますか。 これは、かなり、 興味深い問いです。 どうぞ、これに 入ってください。
10:12 私たちの頭脳は、問題の解消へ、 問題の解決へ、 条件づけられています - 子どもの頃からです。 頭脳は、問題を解決するよう 条件づけられているので、 それは、いつも解決を 探し求めています。 それは、問題自体を 理解していなくて、 問題の解決を、です。 ですね? 私たちはここで、少し 一緒にいますか。 はい?  よし! そして、それは、可能ですか - そういう頭脳を持たない・ ・・ 問題に条件づけられていない 頭脳を持つことは、です。 質問を理解されますか。 みなさま、私は、 あなたに訊ねています。 あなたの頭脳は、今、 問題の解決に、 条件づけられています。 そして、私たちは、問題をけっして 解決したことが、ありません。 11:28 それらは、もっともっと 増大しつつあります。なぜですか。 それは、条件づけられた頭脳は、 問題の中に 埋め込まれていて、 それは、けっして問題を 解決できないから、ですか。 いいですか? これを理解されましたか。 私は、問いを出しましたか。 さあ、みなさん! 問題の解決に 条件づけられていなくて、 問題の理解に向かう頭脳を、 持つことは、可能ですか。 問題の解決と、 問題の理解との間には、 違いが、ないですか。 問題を理解する中で、 解決は、問題に 潜んでいるかもしれません。 問題より離れて、でなくて、 ですね?
12:45 ごく普通の事例を、 取ってみてください。 私たちは、けっして 戦争を止めたことが、ありません。 この地上の人間たちは、 この地上に来てから、 戦争を行ってきました。 私たちは、けっして戦争の問題を、 解決したことが、ありません。 が、私たちは、より良い、人の殺し方を 再組織しようとしてきました。 この再組織、 より良い、人の殺し方が、 前進と呼ばれています。 これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。 これは、冗談ではありません。 で、私たちは、組織から 組織へ、動きます。 私たちは初めに、国際連盟を 持っていました。 私たちは今、国際連合 (連合国)を持っていますが、 戦争は、進んでいきます。 彼らは、違った組織を、 持っています。理解されますか。 13:51 で、私たちは、一つの組織から 別のへ、動きます - それにより、問題を 解決したいと望んで、ですが、 問題を増殖させます。 で、私たちは、けっして 戦争を止めません。 戦争の原因は、民族主義、 経済的な分割、 地域的な分割、 などなどなど、です。 分割 - 言語的、人種的、宗教的、 経済的、文化的、などです。 これらが、人を分割します。 私たちは、みんな人間です。 私たちは、みんな苦しみます。 私たちは、みんな、痛みと心配、 退屈、さびしさ、絶望を、持ちます。 私たちは、それに 取り組みません。 が、私たちは、問題を、 解決したいと思います - 外的な原因を持っているように 思われるものを、です。いいですね?
14:59 で、私たちは、 訊ねています - 頭脳は、 自らが、子どもの頃より、 問題の解決に 条件づけられていることを、 認識して、見て、 それより自由であり、それから 問題に向き合えますか。 いいですね? よろしいですか。 あなたは、 そうするのでしょうか。 それが問いです。 意識すること、気づくこと - すなわち、私たちの頭脳は、 人間として私たちは、 生の始まりから、 私たちがいつも、 問題と格闘していて、 それらに正しい答えを 見つけようとしていることを、です。 正しい答えは、私たちが 頭脳は条件づけられているのを 認識するとき、ありうるだけです。 その頭脳が、問題の解決に 条件づけられているかぎり、 私たちはけっして、正しい答えを 見つけないでしょう。明らかですか?
16:22 で、私は、その事実を、認識しますか - 観念ではなく、事実を、です。 観念と事実の間には、 違いがあります。 ですね? 私は、この発言が 聞こえます。 その発言から、私は 結論を導きます - まったくそうだ。 そのとおりだ、と。 その発言から、私は、 その観念を、抽出します。 それから、観念を 追求します。 事実を、すなわち、 私の頭脳は、問題を解決するよう、 条件づけられていることを、ではない。 それは、事実です。 私はこの条件づけより 自由であるべきだ、ではない。 それは、非事実です。 理解されますか。 で、頭脳は、 条件づけられています。 その条件づけが、存在するかぎり、 問題の増殖は、進むでしょう。 問題の再組織は、進むでしょう。 一つの資本主義社会から、 全体主義社会や、あれやこれやへ 変化することは、 いつも、甚大な問題を もたらすでしょう - ですね? 17:53 あなたと私は、条件づけられている 頭脳から、自由でありえますか。 それは、それに気づいて、 それの深さを、見ることです - それの真理、論理、健全さ、 それの道理を、です。 そして、それより 動いて離れないこと、 何か抽象的な説明を、 見つけないことです。 よし。
18:31 これは、だいじょうぶですか。 だいじょうぶなのかどうかを、 私は訊ねています。 おそらくすべて、 間違っているのでしょう! いいえ。 それは すべて間違っていません。 これは、事実です。 自らが自分の妻と やってゆけないのなら - けんか、諍い、そうね、 その他すべて、です。 私は、離婚します。 自らは、離婚します。 そのとき、行って、 別の人物を選択します。 そして、これを 反復しつづけます。 ですね? 自分がお金を 持っているなら、です! 自分が、たくさんの時間と エネルギーを、持っているなら、です。 これが、世の中で 進んでいるゲームです - 小規模にか、大規模に、ですが、 問題は、離婚とか、 関係の錯綜すべてではない。 関係の深さ、関係の意味を、 理解することなのです。 19:51 関係は、私たちが 指摘しましたように、 生において、最も 重要なことの一つです。 それの情動的な表現 ではない。 関係の癇癪、神経症ではない。 重要であり、意義深いのは・ ・・ 関係に深さを持つことです。 私たちは、けっして その質問を、しません。 私たちは、関係の問題を 解決したいと思います。 理解されますか。 で、私たちは、けっして それらを解決しません。 精神科医、心理療法士などは、 世界で増殖しています - まるでキノコみたいです。 彼らは、問題を 解決していません。 彼らは、これらの深みを、 解決していません。
21:03 で、私たちは、ともに考慮すべきです - 生きることの芸術とは、何ですか。 理解されますか。 さあ、みなさん。 すてきな朝です。
21:21 質問者: 私たちは、問題を解決する ための体系を、持っているなら、 毎回、問題に接近するたびに、 私たちは、 理解の代わりに、自分の体系を 使うと、仰っていますか。
21:30 K: そのとおりです。 そのご婦人は、こう仰っています - 私たちは、 問題を解決する体系、 様式を、持っているなら、 体系が、作動している。 問題の理解と深みが、 ではない、と。 ですね? それは、同じことです。 私たちは、生きることの芸術に ついて、話していました。 すみません。 これらが質問ですが、 こうなんです。 構いませんか。 私たちは、それらへ 行くでしょう。 それらは、多くあります。 で、私たちは それらの六つを、選んだのです。 それで、今朝は十分でしょうが、 私たちは、訊ねています - 生きることの芸術とは、何ですか。 22:24 私たちは、詩歌、絵画の 芸術を、持っています。 多くの芸術・ ・・ 料理の芸術 - 特に、今は、です。 などですが、 私たちは、けっして自分自身に 訊ねたことが、ありません。 おそらくそれは、最も偉大な芸術です。 生きることの芸術は、何ですか。 芸術が、ありますか。 または、それはすべて、 偶然だけですか。 または、それはすべて、 何か、遺伝子ですか - 生物学的な偶然など、ですか。 生きることの真の芸術とは、 何ですか。 私がそれに答えるのを、 待っておられますか。 もし答えるとして、それを、 問題にしないでください。 すると、芸術は、窓から 放り出されてしまいます。
23:49 で、ともに、それを見つめて、 生きることの芸術が、何であるかを、 見出しましょう。 (アートという)その言葉の 最も広い、深みでの芸術です - 美術館の内容 すべてだけではない。 もし、あなたが、その質問、「生きる ことの芸術とは何か」を、したなら、 あなたの答えは、 何になるでしょうか。 計算された答え、 個人的な答えや、 情動的、 ロマンチックな答えではない。 それらは、無意味です。 ですね? 私がその問いに、 情動的に答えるなら - ああ、それは一番・ ・・ 生きることの芸術は、 最高の切望である、と。 それは、全くの戯言です。 24:54 生きることの芸術は、最も 昂揚した、知的な活動である、と。 ですね? それは、ごく部分的です。 または、生きることの芸術は、生に対して 全包括的な見通しを、持つことである。 秀逸に聞こえますが、 実際のところ、そうではない。 で、生きることの芸術とは、 何ですか。 明白に、いかなる葛藤もない。 ですね? いつの時も 葛藤の中にあり、 いつの時も 問題を持っている頭脳。 このものすごい自己関心 - そういう頭脳は、必然的に、制限されて いるにちがいありません。 ですね? 自分自身について、 考えているなら - どう冥想するのか、 自分はできるのかどうか・・・ 26:10 その他すべてを、です。 あなたの冥想こそが、 自己中心性です。 で、生きることの芸術は、 見たところ - あなたはそれに、もっと 多く付け加えられます - それは、葛藤なく生きることです。 それは、いったい可能ですか。 すなわち、自らの生の、対立しあう 要素を、理解すること、です。 いいですか? 一つのことを欲望し、 その欲望に対立して、 別のことをも、です。 そうね、この二元性の回廊です。 そして、自己中心性 - その自己中心性が、 存在するかぎり、 葛藤が、あるに ちがいありません。 なぜなら、自己中心性は、制限され、 小さく、些細であるからです。 27:29 あなたは、これらを聞きますが、 続けてゆきます。ですね? そしてあなたは、現代社会において、 自己中心性なしに生きることは、 可能でないと、言います - 少なくとも、その少しは、と。 あなたは、かつて 試したことが、ありますか。 あなたは、かつて そうしたことが、ありますか - 一日の間、自己中心性 なしに、生きましたか。 自分自身について 考えないのです。 たとえ、 一時間の間だけでも、です! そして、 何が起きるかを、見る。 あなたは、何にも 参与していません! あなたは、自分の利己性、 自己中心性へ、戻ってゆけます。 誰も、それがいかに間違っているのかとか、 正しいのかとか、言おうとしていません。 それが、見たところ、 人間たちの通常の状態です。 28:40 で、自らが本当に、一時間、 試すなら - 実際にそうします。 試すのではなく、そうします。 そして、何が起きるのかを、見ます。 あなたは、一時間、そうするなら、 それを拡大できます。 あなたは本当に悟らない・ ・・ それは、あなたに、ものすごい エネルギーを、与えてくれます。 それは、あなたに、大きな熱情の 感覚を、与えてくれます - 欲情とそれらの事柄ではなく、 何かを深遠に、 物事のまさに最後まで 追求する熱情を、です。 よし。今朝は、これで十分ですか。 私たちは、戻ってきたほうが、いい。
29:36 私は、初めに、これらの質問を、 読んでいません。 まだ読んでいません。 私がそれらを 見ているのは、これが初めてです。 で、あなたたちもまた、それらを 初めて見ています。
29:51 第一の質問: 注意が、 思考とは何の関わりもないのなら、 それは何ですか。 それは、頭脳の活動ですか。 それは、物理的な過程ですか。 それは、どのように生じますか。 あなたは、注意は意志の行為により もたらされないと、仰います。 注意が存在するように するためには、 何をしては いけないのですか。
30:23 何もしないでください! すみません。私は、それに 答えなければなりません。
30:38 注意が、思考とは 何の関わりもないのなら、 それは何ですか。 それは、頭脳の活動ですか。 それは、物理的な過程ですか。 それは、どのように生じますか。 あなたは、注意は意志の行為により もたらされないと、仰います。 注意が存在するように するためには、 何をしてはいけないのですか。 いいですか? 質問は、分かりましたか。
31:11 彼は、注意とは何かを、 訊ねています。 それは、物理的な作用ですか。 それは、思考の動きですか。 それは、欲望の行為ですか - それは、意志の本質ですが。 欲望は、意志の本質です。 ですね? この注意は、どのように 訪れますか。 すなわち、それは、 自然に、楽に、 ものすごい努力をしないで、 来ますか - 専門校へ行くとか、 何か導師へ随行する、 訓練を受けるとか、なしに、 それはすべて、訪れますか - この注意が、自然に、です。 私たちは、ともに話し合おうと しています - いいですね? 私たちは、問いを見つめようと しています - 答えを、ではない。 問いは、こうです - 注意とは、何ですか。 その中には、 耳で聞こえるだけではなく、 耳なしで聞こえることも、 含意されています。 理解されますか。 32:38 また、注意は、見ること、 知覚することをも、 含意しています - ですね? 視覚的に見る。 また、いわば、内の眼でもって、 見ることも、ですね? 注意はまた、学ぶことをも、 意味しています。 ですね? 同意ですか。 見る、聞こえる、学ぶ。 それら三つのことが、 含意されています。 それは、こういう意味です - 学びとは、何ですか。 それは、記憶することですか。 付いてきておられますか。 誰かが、「はい」と 言いますか。 私は、自分自身に、話し つづけたいとは、思いません。 で、それは、記憶することですか - 私たちが、学校、 専門校、大学へ行くとき、 するように、です。 記憶する。 知識を蓄える - 書物から、教授から、 教師から、 寮長から、などなど、 34:13 すなわち、いつも、 知識として蓄積していて、 その知識を、上手にか、 下手に使っています。 いいですか? 大工は - 見習いか、銘工は、 木材の本性を 学んでいます - どんな種類の木材か、木目、 木材の美しさ、木目細やかさ、 そして、彼が使用している道具、 などを、です。 彼は学んでいます。 その学びは、 経験をとおして、です。 来る日も来る日も、 来る月も来る月も、 大工仕事について 知識を蓄積していて、 戸棚の銘品を作る人に なっていきます。 ですね? それが、学びと 呼ばれるものです。 その種の学びは、 制限されています - 明白です。 なぜなら、すべての知識は、 制限されているからです - 今も、過去においても、 未来においても、ですね。 35:31 なぜなら、すべての科学者、 生物学者等、などは、 蓄積しているからです。 時の始まりに彼らは、弓矢か 棍棒で、一人の人を殺しました。 今、あなたは、何百万、 何千万の人間全部を、 一撃で、吹き飛ばせます。 そうすることは、 ものすごい知識の蓄積です。 良くも悪くも、です。
36:02 それで、その知識は、いつも 制限されています。ですね? では、制限されていない 学びが、ありますか。 面白い。 進んでください。 私は自分自身、ちょうど、 何かを発見しつつあります。 蓄積的な知識の過程でない学びが、 ありますか - 学びが、です。 その中には、聞こえることが、 含意されています - ただ言葉、 言葉の意義だけではなく、 言葉へのあなたの反応、 一定のお気に入りの言葉への あなたの応答。 たとえば、愛と憎しみ、そうね、 その他すべてのように、です。 また、どの先入観もなく、 見る。 言葉なしに見る。 理解されますか。 37:12 あなたは、言葉なしに、 樹を、見つめられますか。 理解されますか。 あなたはかつて、これらを したことが、ありますか。 それは、方向づけなく、 動機なく、見る、という意味です - 思考のネットワークや、 見るのを妨げることなしに、です。 そして、学び。 それは、無限の過程です。 で、注意は、 そのすべてに加えて、 または、それの始まりを 含意して、 気づくことなのです。 ですね? 私たちは、気づいていますか - ここに座っていながら、 このテントの規模、 ここに参集した多数の人々と、 そこに並ぶ柱の数、 そして、唯一つの言葉もなく、 それらを、見つめる。 38:43 気づく。 ですが、その気づきの中で、 あなたは、選択しはじめます。 私は、自分が着ているのより、 あの青いシャツのほうが、好きだ。 いいですか? 私は、自分のより、あなたの 髪の仕上がり具合が、好きだ、と。 いいですか? あなたは、いつも比較し、 判定し、評価しています - それは、選択です。 そして、選択なく、 気づくこと。 理解されますか。 私たちが話しているとき、あなたは、 これらをするのでしょうか。 または、あなたは、ただ 言葉を、聞いているだけですか。 私たちは、こうしているなら、 あなたは、発見しはじめます - 気づきは、集中より 全然、違っているのです。 集中は、 思考すべての焦点を 特定の主題に、合わせることを、 含意しています - 特定のページに、 特定の言葉に、です。 39:55 それは、他の思考すべてを、 切り捨てることを、含意しています - 他のあらゆる思考へ、 抵抗を築くことを、です。 そのとき、それは、狭くなり、 制限されます。 ですね? で、集中は、 制限されています。 ですが、あなたは、何かをしている とき、集中しなくてはいけません - 皿を洗っているとき、です。 あなたは、よく気をつけて、 皿を洗わなくてはいけません - 正しい種類の石鹸、 正しい種類の水。 これらは、ご存じです。 そして、選択なき気づき - それは、集中なし、 という意味です - 判定、評価、非難、 比較をすることなく、 これらに気づくこと、 そして、そこから、動く。 それが、注意です。ですね? それは、自然です。 41:07 すなわち、私は、あなたが 語ってくれている物語を、 聞きたいと思います -すごく、 わくわくするスリラーです。 私は、よく気をつけて、 あなたに聞きます。 または、あなたは私に、何かきわめて 真剣な、深刻なことを、語っています。 そして、私は注意を・ ・・ 私は、とても熱心で、注意深い - あなたが言っていることを、 理解しようとしています。 私は、自分がそれについて、 何を考えているかを、理解します - それは、不適切ですが、 私は、あなたが言っていることに、 ものすごく関心を、持っています。 ゆえに、私は、まるごと注意です。 私の神経すべて、 私の全存在が、言います - あなたは、何について 話していますか。 私は理解したいです、と。 その注意の中、「私」は、 ありません。ですね? 42:06 分かりますか。 このものすごい注意が、 あるとき - それは、自分のエネルギーすべてが、 注がれている、という意味です。 あなたが言っていることを、 理解するように、です。 私は、自分自身について、 考えていません。 ゆえに、私に 中心が、ありません - 「私は注意しなければならない」と 言うものが、ですね? これらをお分かりになるのか どうかと、思われます。
42:35 質問者: それは、正しい問いですか。
42:40 K: 何ですか。
42:42 質問者: それは、正しい問いですか。
42:44 K: ここで、正しい問いは、 何ですかと、そのお方は、訊ねます - 私が正しく理解するなら、です。 すみません。 あなたが、 聴衆から質問をなさると、 私たちは、けっして、 これをやり通せません。 私たちは、それをやり通さなければ ならない、ということではないが、 あまりに多くの人々が、いすぎます - もし、お気になさらないなら、ですが。 ここで、正しい問いは、何ですか。 正しい答えは、何ですか。 それが正しい問いであるなら、あなたは けっして、それを訊ねないでしょう! これは、 利巧さだけではありません。 正しい問いは、あなたがそれを 出すなら、あなたは答えを得ます。 ですが、正しい問いは 出されません。 なぜなら、あなたは、答えが ほしいからです。 あなたは関心をもち、 あなたは、悩み、あなたは、偏見を 持っています。 よろしいですか。 正しい問いは、 あなたがそれを出すとき、 正しい問いは、正しい答えです。 次の質問へ 進んでもいいですか。
44:05 第二の質問: もし生の全体が、 自らの秩序をもった、 一つの動きであるなら、 なぜ人は、こんなに 無秩序なのですか。
44:16 もし、生の全体が、自らの秩序を もった、一つの動きであるなら、 なぜ人は、こんなに 無秩序なのですか。
44:27 なぜ私たちは、 生の全体が、 自らの秩序をもった 一つの動きであることを、 想定しますか。 あなたは初めに、事実を述べます - 事実だと思われることを、です。 それから、なぜ無秩序が あるのかと、言おうとします。 理解されますか。 初めに、あなたは、想定します。 自らは、想定します - すなわち、生は、 広大な動きであり、 その広大な動きの中で、 その動きこそが、秩序である、と。 あなたは初めに、それを 述べます - もし、と。 それから、あなたは、なぜ人は こんなに無秩序なのかと、言います。 いいですか。 理解されますか。 こう訊ねるのが、 正しい問いではないのでしょうか - なぜ人は、無秩序なのですか。 45:22 生は完璧な秩序であることを、 想定しない。いいですか? 事実は、私たちが無秩序に 生きる、ということです。 なぜですか。 それが、問いです。 なぜ私たちは、無秩序に生きますか。 無秩序とは、何ですか。 あなたにとって、 無秩序は、何ですか。 無秩序は、 自体が制限された 思考の活動です。 いいですか? 制限された思考の活動が 何をしようとも、 それは、無秩序を もたらすでしょう。 なぜなら、思考は、自体が 制限されているから、 なぜなら、思考は 知識より生まれているし、 知識は、制限されている からです。 いいですか? ああ、神様! これは、警句的な 発言ではありません。 46:43 秩序とは・・・私は言ってはいけない。 私は速すぎました。 秩序とは、何ですか。 そして、 無秩序とは、何ですか。 あなたは、どのように 秩序を、見つけるのでしょうか。 秩序は、 明確な様式ですか - すなわち、あなたが定めたもの、 思考が定めたものですか。 あなたは、「私は朝6時に、 起きて、これとこれとこれをして、 事務所へ行かなければならない」と 言います。 または、工場へ、です。 来る日も来る日も、決定され、 計画されたもの - それが、秩序ですか。 で、私たちは初めに、訊ねなければ なりません - 秩序は何なのか、ではなく、 無秩序の原因は、何であるかを、 です。同意しますか。
47:46 私たちの生において 無秩序の原因は、何ですか。 まず第一に、私たちは、好きでも 好きでなくても、認めなければなりません - すなわち、私たちは、きわめて 無秩序な生を、生きることを、です。 それは、事実なのでしょう。 あなたは、少なくとも、その一つの ことに、同意されるでしょうか。 質問者: いいえ。
48:10 K: いいえ?
48:18 無秩序とは、何ですか。 そのときあなたは、 訊ねなくてはいけません - もしそれが、秩序の欠如であるなら、 秩序とは何ですか。 こうも無秩序な精神、頭脳は、 どうやって、 秩序とは何かを、見出せますか。 なぜ私たちは、少し論理的、 理性的でないのですか - 理性、論理は 制限されているけれども - 私たちは、それで始めて、それから それを越えていかなければなりません。 ですが、あなたが、 「秩序はこれだ」と言うなら、 それは、軍隊式になります。 ですね?  それは、 ものすごい規律になります。 同意しますか。 これは、すべて単純です。 よろしいです。
49:27 で、私たちは、気をつけて これに、入らなくてはいけません。 初めに、規律とは何かを、 探究しましょう。 兵士たちは、来る日も来る日も、 来る月も来る月も、訓練されます。 彼らを見たことが、ないですか。 太鼓を叩く、 軍曹と、それら、 命令、秩序、規律、 修練、服従、 そして、修道院長へ、 教皇などへの服従が、 秩序と呼ばれます。 警察官によるところの、 秩序があります。 ヨーロッパ(大陸)では、 右側を走行します。 この国(イギリス)では、 左側を走行します。 それは、秩序です。 左側走行に慣れている人は、 あちらへ行って、 それは無秩序だと、言います。 どうぞ、これらに 付いてきてください。 で、無秩序の原因は、 何ですか。 もし私は、それを理解でき、 その原因より自由でありうるなら、 自然に、秩序があります。 50:56 私は、秩序が何であるかを、 見出さなくていい。 で、私は、初めに 探究しなくてはなりません - なぜ、この甚大な重要性が、 規律へ、与えられているのか。 学校において、私たちの生の 道全体において、です。 規律(修練)とは、何ですか。 規律(ディシプリン)という言葉は、 語源の「学徒(ディサイプル)」から 来ています。 学徒は、 師匠より学んでいる人です。 学んでいる。 いいですか? あなたは、私たちが話して いる意味で、学んでいるなら - 知識を蓄積しているのではない。 蓄積なく、学んでいる。 そのとき、 規律・ 修練(ディシプリン) - 学ぶことこそが、それ自体の規律・ 修練です。理解されますか。 あなたがこれらを理解されるのか どうかと、思われます。
51:56 質問者: 私はまだ、あなたの用語で、 学びが何であるかが、理解できません。
52:02 K: 何ですか。
52:03 質問者: 私はまだ、学びが 何かであるかを、理解できません。 なぜなら、自分の思考を見守るなら - 確かに、自分の思考を 見守っています。 で、私は、あなたがどう、学びを 用いるのかが、よく理解できません。
52:22 K: 私はそれを、 説明しようとしてきました。 私は再び、それに 入らなければなりませんか。 まず第一に、私たちは、気づいて いますか。 または、事実が見えますか - 私たちの生涯すべて、知識を蓄積する ことは、とても制限されているのです。 それは、事実です。 なぜなら、 知識は、制限されているからです。 今も、永久の未来においても、 それは、やはり 制限されています。 ゆえに、私たちが、その知識に 則って行為するなら、 私たちの行為は、いつも 制限されるでしょう。 ゆえに、それは、 無秩序の原因の一つです。 いいですか? もし、私がいつも、以前の 知識でもって、行為するなら - すなわち、私が蓄積してきた ものでもって、です - そして、私は、知識が制限されて いることを、知っています。 私がすることは何でも、 制限されています。 どの制限も、無秩序を、 生み出すにちがいありません。 53:29 すなわち、アラブ人とユダヤ人、 ヒンドゥー教徒とイスラム教徒、 仏教徒とカトリック - よろしいですか。 それらはすべて、 制限されています。 それらはすべて、知識の 分野の中で、機能しています - そこは、制限されています。 または、伝統の中で、です。 いいですね?  私たちは、 これらに付いてきていますか。 で、制限された活動の、 彼らの活動は、 必ず、無秩序を 創り出すことになります。 もし、妻や夫や、 彼女や彼氏が、 自分自身について 考えていて - 自分の野心、自分の前進、 自分の充足について、です - そして、相手の男や女もまた、自分の 前進について、考えているなら、 彼らは、明白に 葛藤の中に、います。 54:16 彼らは、愛について 話すかもしれません。 彼らは、あらゆる種類のことについて、 話すかもしれませんが、 各々の女と男は、 自分の特定の方向、自分の野心を、 追求しています - それは、すべて きわめて自己中心的で、制限されています。 いいですか?  それで、関係において、 その制限が、無秩序を生み出します。 当然です。 私たちは、これに 出会っていますか。
54:45 で、私たちは、 発見しはじめています - 制限があるところ、 無秩序が来ることを、です。 いいですか? 私が、私自身について 考えていて、 あなたが、あなた自身について、 考えているところ、 私たちは、麗しい関係を 持っています! 私たちは、手を取り合います。 私たちは、一緒に眠ります。 私たちは、一緒に歩き、 見つめますが、 私たちはどちらも、 違った方向へ、行っています。 いいですか? ゆえに、それら方向は、思考により、 欲望により、設計されています。 今、ここで、欲望に 入る時間が、ありますか。 いえ、それは、あまりに錯綜しています。 私たちは別の時に、そうするでしょう。
55:37 で、私たちは、学びはじめ、 見はじめ、洞察を得はじめます - 私たちは、「洞察」という言葉を、 使っています。 それは、 何かを、時なく、動機なく、 観察することです。 洞察を持つことは、憶えていること、 計算することなどではありません。 それは、無秩序の中へ 即座の洞察を、持つことです - すなわち、究極的に、 どの制限された行為の中へも、です。 私たちは、これについて、少しは 一緒になりつつありますか。 破片ですか。 それが破片であるなら、それを保ち、 それとともに動いてください。 そのとき、あなたは 分かるでしょう - そのことが、この自己中心的な 生活過程を、壊しはじめることが、です。
56:59 私が質問を してもいいですか。 あなたは、 ここの私たちのみんなが、ですが、 私たちは、語り手が注いでいるのと 等しいエネルギーを、注いでいますか。 または、あなたはただ、座って、 聞いているだけですか - 航空機の音を聞いている。 そして、あなた自身の思考が 進んでいるのを、聞いている。 理解されますか。 または、あなたは、熱情的であり、 見出したいのです。
57:39 第3の質問: 私たちが聞くのは、どうすれば、 あなたが言っていることの 深さに、相応しいのですか。 あなたが言っていることの 充実を、 私たちの中に 作用させるであろう 精神の質とは、何ですか。
57:57 残念ながら、それは 間違った問いであると、思いますが、 私は、それを読みましょう。
58:01 第3の質問: 私たちが聞くのは、どうすれば、 あなたが言っていることの深さに、 相応しいのですか。 あなたが言っていることの 充実を、 私たちの中に 作用させるであろう 精神の質とは、何ですか。
58:29 語り手は、何かを 言っていますが、 あなたはそれを・ ・・あなた自身は、 発見したことが、ありません。 彼は、自分が発見したことに ついて、話していません - それは、全面的に不適当です。 ですが、言葉、 電話が言っていること、 言葉、言葉の内容 - それらを、あなたは 聞いています。 聞くことは、あなた自身の思考、 あなた自身の感情、 あなた自身の反応を、 見守ることです。 ですね? 語り手は単に、鏡として 作用しているだけです - その中に、あなたは・ ・・ 聞くことにより、あなたは、 自分自身を発見しています。 59:30 私が言っていることを、 理解されますか。 語り手は、人物として - 彼が たびたび、反復してきたように - いかなる重要性をも、 持っていません。 彼は本気で、 こう言っています。 彼が言っていることは、 何か無縁のこと、 あなたが理解すべきこと、あなたに 作用すべきことではありません。 そのとき、そうであるなら - すなわち、何か無縁のことであり、 あなたに作用しなければ ならないことなら - あなたは、薬物を摂っても いいのかもしれません。 ですが、あなたが、彼が 言っていることを、聞いていて、 「彼が言っていることへ、 私は何を感じるのか。 彼が言っていることへ、私の反応は 何なのか」と、言っているなら、 1:00:26 彼が言っていることと、 あなた自身の間に、疎通があります。 ですね? あなたが単に、彼が言って いることを、聞いているとき、 意思疎通は、 止まってしまいます。 ですが、彼が言っていることと、 言われていることへの あなたの関係と、 言われていることへの、 あなたの反応、 そして、彼の微妙さや愚かさや 智恵への、あなたの反応を、 発見する。 そのとき、あなたは、 一緒に動いています。 そのとき、それは、あなたのです。 彼のではありません。 理解されるのかどうかと、 思われます。 質問者: いいえ、あなたは・・・
1:01:16 K: どうぞ、マダム。 私は理解します。
1:01:16 私が言っていることに、 少し時間を掛けてください。 即時に・ ・・私が大変礼儀正しく お願いできるなら、 即時に、お答えにならないで、 彼が何を言っているかを、 見てください。
1:01:34 まず第一に、彼は、 自分はあなたの導師ではない、と 言います - 絶対的に、そうです。 それは、彼にとって、 忌むべきことです。 そして、あなたは、彼に 従う人ではありません。 ですね? あなたは、彼が話していることを、 生きなくていい。 彼が言っていることは、 あなた自身の深い未発見の生は、 何ですか、ということです。 それで、すべてです。 いいですか? 彼は、彼自身ではなく、 あなたについて、話しています。 彼は、あなたの生について、 話しています - あなたの日常的で、 単調で、退屈で、くたびれる、 恐ろしい、悲しい、さびしい生、 - 暴力、言い抜け、不正直、 誠実さの欠如について、です。 1:02:51 (統合された)誠実さが、 あるところ、強さが、あります。 ですが、 それは、別の事柄です。 そのとき、あなたは、 自分一人で立てます。 そのとき、何もあなたに 影響しません。 そのとき、あなたは、 誰にも感化されません。 なぜなら、そのときあなたは、 何が真実であるかを、自分自身で 発見しつつあるからです。 何かによって・・・ あなたによってとか、 他の誰かによっての、真理ではない。 真理です。 それは、彼のとか、 あなたのとかではない。 それは、何か全然、頭脳の 活動の外側のものです。 私は、当面、それに 入らないでしょう。
1:03:44 で、私たちはともに、真理が何で あるのかを、見出そうとしています。 私たちはともに、見出そうとしています - 生きることの芸術が、何であるのか、 聞く道は何であるのか、学ぶ道は、 見る道は、何であるのかを、です。 あなたは見るなら、 それは、あなたのです。 そのとき、あなたに、 導師は要りません。 指導者、書物は、要りません。 理解されますか。 私たちは、他の人々の知識に 則って、生きています。 私たちは、自分自身へ、 自分の存在へ、洞察を、持ちません いいですか? 私は、 次の問いへ、進んでいいですか。
1:04:34 第4の質問: 世の中には、 善と悪といったものが、 ありますか・ ・・ すみません。私はもう一度、 読まなければなりません。
1:04:52 世の中には、善と悪と いったものが、ありますか。 または、これらは、人間的な概念、 価値、投影物ですか。
1:05:04 世の中には、善と悪と いったものが、ありますか。 または、これらは、 人間的な概念、価値と 仮説と投影物ですか。
1:05:22 善とは何ですか。 そして、いわゆる不善とは、 何ですか。 私たちが、「邪悪」という 言葉を、使うなら、 それは、その言葉の裏に、 こんなに含蓄を、秘めています。 「邪悪」という言葉は、 当分の間、忘れましょう。 善と悪。 悪玉と善玉 - 映画によって、です。 善とは何ですか。 さて、どうぞ、それを一分間、 見つめてみてください。 語り手は、その質問を しています - 善とは何ですか。 あなたは、どのように その言葉を、聞きますか。 あなたは、どのように その言葉を、受け取りますか。 誰がそれを言うかは、大事ではない。 あなたはどのように、それを聞き、 それを受け取りますか。その言葉の あなたの味わいは、何ですか。 1:06:36 その言葉への、あなたの感情、 本能的な感情は、何ですか。 本能 - 私は一般的にそういうつもりでなく、 その言葉への、あなたの即時の感情、です。 あなたが、「悪」と言うとき、 それへの、あなたの応答は、 何ですか。 反感ですか。 何か悪いことが、 されつつあるのを、見るのですか。 で、これら二つの言葉への反応を、 自分自身で発見する。 哲学者が何を言うのか、 ではない。 他の人々が、 司教、司祭者、教皇が 何を言うのか、ではない - 私は単に、ローマ教皇だけを、 言っていません。 世界中の、色々な 宗教組織の教主も、 彼らの頭、彼らの尻尾とともに、 その他すべてとともに、です 1:07:46 自らが、これら二つの言葉を、 聞くとき - それらは、人類に、ものすごい 効果を、持ってきました。 歴史的に、 まさに始まりから、です。 キリスト教徒たちは、「これが善い。 あなたは、それに逆らうのなら、 私たちは、あなたを焼き殺そう」と 言ってきました。 彼らは、 そうしてきました。 異端者たちを、です。 彼らを、拷問してきました。 彼らを、焼き殺してきました。 彼らがしてきたことのために、です。 それは、善いと 考えられています。 そして、インドへ行くと、 自分の信念のために、焼き殺される ことは、恐怖だと考えられます。 理解されますか。 で、何が善ですか。 これらは別として、 何が善で、何が悪ですか。
1:08:41 さて、私は進みましょう。 いいですか。 善は、悪に 関係していますか。 善は、悪と 抗争していますか。 小説は、それについて、 書かれています。 善はいつも、最後に 勝利します! スリラーの中でさえも、です! 悪は、いつも、 破壊されつつありますが、 悪は、いつも、 出てきつつあります。 闘いは、進んできています。 それは、フランス南部のラスコーと 他の洞窟に、見られます。 そして、 世界の他の地方に、です。 この闘い - いいですか? 善と悪。 邪悪な者 - 私は、その「邪悪」と いう言葉が、好きではありません。 それは、嫌な匂いがします! 1:09:38 私がその言葉を使うなら、 許してください。 すみません! で、何が善ですか。 何が悪ですか。 それらは、互いに 関係し合っていますか。 善は、悪いものの中から、 生まれていますか。 なぜなら、私は、悪いものを、 知っているからです - 伝統、条件づけ、 人々が言ったり、 書いたりしてきたこと、 その邪悪、その悪、 その悪いものは、 善いものと、闘っています。 善いものは、悪いものと 闘っています。 ですね? で、私は、訊ねています - 善いものは、悪いものの中から、 生まれていますか。 質問を理解されますか。 1:10:52 それは、単純な問いです。 善が、悪いものの中から、 生まれているなら、それは善くない。 いいですか? そのとき、それらは、互いに 関係し合っています。 ゆえに、それは善くない。 付いてきていますか。 で、それらは、二つの 全然違ったことです。 一方は、他方になりえません。 それが、他方になりうるなら、 それはすでに、他方により 認識されています。 これらを理解されますか。 ゆえに、それは善くない。 善は、悪いものより、全然、 離別した何かです。 ですね? ですが、私たちは、その二つを 混ぜ合わせてきました。 私たちは、「自分たちは闘わなければ ならない」と、言います - 「互いに闘わなければならない。 1:12:01 あなたは、邪悪、悪に抵抗し、闘い、 片付けなければならない。 善くあるために」と。 理解されますか。 で、善は、いつも、悪いものと いうことに立って、です。 私たちは、何か全然違った ことを、言っています。 善は、悪いものと、 いかなる関係をも、持ちません。 善が存在するには、悪いものは、 止まなければなりません。 それがすべてです。 二つの間の闘いではない。 これは単純に、 論理、健全さです。
1:12:51 さて、きわめて内側に 入って来ると、 私たちには、これら二つの 対立し合う要素が、あります - この二元性、です。 ほしがる、切望する二元性。 私はそれが好きではない・ ・・すみません。 「切望」は、間違った言葉です。 切望は、何かロマンチックで、 理想主義的で、かなり愚かなことです。 私がその言葉を使っても、 許してください。 私たちはみんな、何かを 切望しています。 あなたは、経営者になりたいと、 切望しています - 良い会社とか、 何のでも、です。 あなたはまた、神を 切望しています。 それは、同じことです。 理解されますか。 神は、別の形の良い会社です! 私は、冒涜的になっていません。 これはすべて、明白です。 で、悪いものがあるところ、 善は、存在できません。 悪いものより、あなたはとうてい、 善いものへ、行けません。 それは、これからあれへの 動きではありません。 それは、 時の過程ではありません - 悪いものから、 善いものを達成するように、 です。ですね?
1:14:32 さて、そこから、問いが生じます - 何が、悪いのですか。 理解されますか。 悪いものが、ないときだけ、 私は、何が善いかを、知るでしょう。 で、善いものを、片付けましょう。 「それが何であるかを、 秘密裏に言ってくれ」とか 「大っぴらに言ってくれ。 それなら、私はそれに従おう」とか 言わないで、 悪いものを、理解しましょう。 民族主義的であることは、 悪いですか。 さあ、みなさん。 答えてください。 私は、フランス人である、と言う。 私はイギリス人である、とか、 私はヒンドゥー教徒であるとか、 シーク教徒であるとか、 イスラム教徒である、と。 そうね、それは、悪いですか。
1:15:36 聴衆: 或る人たちにとっては、 そうでないかもしれませんが、 私たちにとっては、そうです。
1:15:39 K: もちろん、他の人々にとって、です。 私たちは、私たちのみんなを 含めています。 私にとって、それは悪い。 あなたにとって、それは悪くない、と 私は言っていません。 それは、むしろ・・・ 私たちは、訊ねています。 何が悪いのですか - 私によって、とか 他の誰かによって、ではない。 分割があるかぎり - いいですか? 人種的な分割、階級の分割、 宗教的な分割。 ですね? 政治的、経済的など、分割です。 それら分割は、葛藤を創り出します - 究極的には、戦争を、です。 互いに殺し合う。 理解されますか。 それは、悪くないですか。 いいえ?
1:16:34 聴衆: ええ、ええ。
1:16:35 K: ああ、よかった。 うれしいです。 けれども、宗教は、 それを支持してきました。 あなたは、それを支持します。 理解されますか。 でも、そうね、 その他すべてです。 私たちは、初めに、それらより 自由でありえますか。 どの国にも、所属しない。 どの集団にも、 どの導師にも、 どの宗教組織にも、です。 なぜなら、それらは、すべて 分割的であるからです。 それは、別の問いを、 もたらします - 権威、です。 政治的な権威、宗教的な権威、 全体主義の権威。 理解されますか。 権威は、邪悪ですか。 賢者の手にある権威は、善い、 ということではない。 理解されますか。 私たちは、そう 言ってきました - 賢者の権威は、 愚者の救済である、と!
1:18:06 で、警察官の権威、法律の権威。 あなたは、税金を 払わなくてはいけません - 私自身で、ではないが、あなたは、 税金を払わなくてはいけません。 あなたは、それを払わないなら、 何らかの形で、処罰されます。 で、外的に、権威があります。 ですね? 道路の左側を走ることの権威、 フランスとヨーロッパでは、右側を 走ることの権威。 学校には、専門校には、 権威が、なければなりません。 さもないと、あなたは・ ・・ よろしいですか。 ですが、私たちは、 権威について、話しています - 権威の感情、 権威の力。 人々を殺戮するための、です。 で、権威、 霊的な権威は、 その言葉の、 最も深い意味において、 悪い。邪悪です。
1:19:32 で、そのとき、問いは、 悪いもの、です。 私たちは言いました - 悪いものは、 どの種でも分割である、と。 誤解しないでください。 宗教的な分割 - いいですか? 「私たちは、閉ざされている。 あなたは、ここに入って こられない」と言う分割 - 心理的に、ですが - あなたが入ってきたいなら、 扉は開いています。 理解されますか。 それは、 閉ざされていません。 で、これらに 入ってください。 それはすべて、 どの形でも、心理的な、 個人主義的な分割に、なってきます - アラブ人、ユダヤ人、 イスラム教徒、などです。 どの心理的な、組織的な分割も、 その言葉のその意味において、 1:20:46 それは、悪いのです。 ですね? 自らは、それらより 自由でありえますか。 「はい、同意します。 お話の論点は 分かります」と言うだけではない。 「でも、それは結構ですが、 私たちは、自分たちの戦争を、 つづけるでしょう。 それは、すてきです。 私たちは、暴力的な人々です。 それは、私たちの 暴力の表現の一部です。 暴力の、究極的な表現です - 一撃で百万人を殺すことは」と。 または、私たちは、自分自身の中の それらを、終わらせますか。 初めに、私たち自身の中で、です。 組織的に、ではありません。 あなたは、語り手が考え出した あの物語を、ご存じですか。 二人の人が、 歩いていきました。 そうね、あなたたちの幾人かは、 これを聞きましたか。 1:21:41 聞いたのなら、許してください。 それで退屈しないでください。 二人の人が、通りを 歩いていきました。 生の様々なことについて、 話していました。 彼らの一人が、舗道の上に 何かを、見ます。 それを拾い上げます。 彼は、それを見つめた瞬間、 顔全体が、変化します。 彼の中で、何かものすごいことが、 起きたのです。 彼はよく気をつけて、自分のポケットに それを入れます。 内ポケットに、です。 友は、彼に言います - 「あなたが 拾い上げたのは、何ですか。 なぜあなたは、そんなに とてつもなく・・・ 1:22:20 あなたの顔は、変化しましたよ」と。 彼は、「私は、真理を 拾い上げました」と、言いました。 彼の連れ、友だちは、こう言います - 「なんともはや。 本当にそうなんですか。 あなたの見た目で、 それが分かります。 で、私たちは、それについて 何をしましょうか」と。 友は言います - 「行って、 それを組織しましょう」と。 これは、古い物語です - 語り手が、およそ40年、 50年前に、考案したものです。
1:22:52 で、私たちは、 私たちの一人一人は、 戦争から自由になるよう、私たちを 助けるだろう組織に、加わるのではなく - それは、別の形の組織です。 よろしいですか。 私たちは、初めに 自分自身で、始めません。 私たちは、 私たちの一人一人は、 自分自身の中の、この分割を、 終わらされますか。 そのとき、あなたは、組織を 使えます - 理解できますか。 ですが、内を変化させる ために、組織を使うなら、 あなたは、けっして 成功しないでしょう。
1:23:32 で、私たちは、 私たちの一人一人は、 私たちを他の一人より分割する、 どの物事をも、終わらされますか。 もちろん、あなたは、自分の住宅、 自分の庭を、持たなければなりません - 自分の・ ・・よろしいですか。 心理的に、内的に、 主観的に、ではありません。 そのときあなたは、善いことを 探求しなくていい。 そのとき、善いことは、 繁栄します。 そのとき、善は、 花開きます。 それの美しさは、 終わりがない。 それは、けっして、何に よっても、破壊できません。
1:24:22 聴衆: 動物の王国では・・・
1:24:25 K: すみません。私は今、 止めなくてはいけません。
1:24:29 聴衆: 動物の王国では、 虎が山羊を食べます。 山羊は、虎を 悪玉と見做しませんか。
1:24:39 K: もちろん、見做しません。 虎は、美しい鹿を、 殺します。 虎もまた、とても美しい。 あなたは、虎に、すごく近づいたことが ありますか - あなたたちの誰かは? いいえ。 もちろん、ありません。 あなたは、彼らを 動物園で、見てきました。 私は、とても近くに 行ったことが、あります。 彼らより10フィート(3メートル) ほど、です。 構いません。 私は、行って、彼らに会うよう、 あなたを招待していません。 虎は、鹿を食べます。 大きなものが、 小さなものを、食べます。 大きなものを、 より大きなものが、食べます。 よろしいですか。 上へ、上へ、です。 それは、邪悪ですか。 虎が鹿を殺すのは? もちろん、そうではない。 よろしいですか。 それが、自然です。 なぜ私たちは、 虎は残酷であると、言いますか。 1:25:45 猫は、鼠を玩んでいる。 理解されますか。 あなたは、それを知ったことが、ない ですか。 あれは、なかなか醜いですね。 私たちの文明全体は、 こんなに奇怪ですね。 で、私たちは、自分自身でもって 始めなければなりません - 虎、象と、鼠と蛇、 ではなくて、です。 残念ながら、私たちはみんな、 こうすると、思います。 私たちは、自分自身より 逃避したいのです。 私たち自身が、 最も重要なことです。 そして、 この覆いに、この外観、 外的な見せかけ、 外的なことに、透徹する。 深く内的に入る - その旅は、終わりが ありません。 それは、こうも、とてつもない 美しさを、持っています。
1:26:50 私たちは、今、止めましょう。 私たちは、別の時に、 それに入るでしょう。
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