BR85T1 - なぜ私たちは、こんなに多くの問題を持っているのか。

第1回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月24日
テキストのみのバージョン
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1:17
こんなに天気が悪くて、残念です。
あなたたちは、語り手に 何を期待しますか。
もし気になさらないのなら、 ともに熟議を行いましょう。
ともに考慮し、 ともに物事を量りましょう -
世の中で起きていることを、 ともに観察し、ともに考える。
私たちが互いに話し合っていることへ、 深く関与するのです。
彼一人が、語り手ではありません。
あなたたちはみんな、語り手であり、学び手です - 語り手のように、です。
で、私たちはともに熟議しています。
(カトリックで)教皇を選ぶには、 三日間が掛かりました。
彼らは前もって熟議しました - 均衡させ、量り、考慮するなどです。
三日間の終わりに、一人の人が選ばれました
- 彼は聖下、父と呼ばれます。
私たちは(この集会で)ともに、 十日間近くを過ごします。
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3:40
熟議は、ともに考慮する、量る、考えぬく、 というだけではなく、
また、問題へきわめて深く、ゆっくり、 気をつけて入ることをも、含意しています
- 自分の先入観、自分の食べ物と衣服などへの
気難しさを知って、です。
そのため、 あなたは、語り手に聞いているだけではなく、
また、あなた自身の反応と先入観、 決意と誓いをも、
聞いているのです - お許しくださるなら、自らが持っている
愚痴のすべてを、です。
そのため、ともに、真剣に - 分離してでなく、分割的にではなく、
あなたが一方の側に、 語り手が他方に付くのではなく -
ともに、世の中で起きていることを、 観察するのです。
5:13
この特定の国(イギリス)の世の中で だけではなく、世界中で、です -
政治、経済、科学者、 社会主義者、自由主義者など。
保守主義者とその他すべて、です - 私は、彼らを加えるのを忘れました。
で、これは、週末のキャンプ行事ではなく、 むしろ、とても真剣です。
教会の真剣さ、教会での 真面目さではない。
むしろ、
私たちがここに一緒にいる、これらの日々の 間だけではなく、また、後で、
あなたがここを去ってゆき、私たちがみんな 別々でいるときにも、継続する真剣さ、です。
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6:22
熟議には、また決断もあります - 決断し、それから行為すべき見解も、です。
そのすべてが、その一つのすてきな言葉に、 含意されています。
で、ともに、真剣に - 単に知的にではなく、
ロマンチックに、感傷的に、 空想的に、ではなく、
ともに、私たちみんなに 起きつつあることを、見つめます。
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7:20
なぜ、あなたたちはみんな、ここにいて、 私はここにいるのか、と思われます。
あなたたちは、たくさんの手間を 掛けました - キャンプを設け、
自分の子どもすべてと犬を連れてくる ために、です。
あなたも、犬を持っていますか。
そして、幼い子どもたちと、 男の子と女の子たちすべて -
あなたたちは、ここに来るために、 たくさんの手間を掛けました -
出費。
旅行、運送の退屈さ。 これに関与したすべての物事。
私たちはまた、ともに熟議しているとき、 外側の助けはない、ということに、
留意しなければなりません。
それは熟議です。
語り手は、助けようと していません。
または、
印象づけよう、説得しよう、丸め込もう、 圧迫とか、それらをしようとしていません。
私たちはそれを、政治家たちへ、 新聞へ、テレビへ、
世界中の教会へ、任せておけます -
それらが、寺院、神殿、モスクであっても、 キリスト教世界の教会であっても、です。
9:09
で、私たちは一緒です - 語り手の側や、
あなたの側にも、何の圧迫、説得もなく、
特定の一視点を取って、 それに縋りついていません。
私たちはどちらも、ともに、とてつもない 問題を、検討、究明しています - 私たちが
向き合っていて、危険である諸問題を、です。
未来に何が起ころうとしているのかは、
分かりません。
無量の不安定性、混沌が、あるのです。
世の中は、ますます 不吉になろうとしています -
もしあなたが、旅行をしてきたなら、 読書してきたなら、政治家たちの
幾人か、首相などと会ったことが、 あるなら、です。
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10:21
で、私たちは初めに、世の中を見つめようと しています - 私の世界やあなたの世界ではなく、
私たちの前で起きつつある世界、です。
科学的な世界で、
軍備の世界で、起きつつあること。
つづいている競争。
自分たちの特定のイデオロギーへ
取りすがり、そのために闘っている政治家たち。
その他すべてを、ご存じですね。
お訊きしてもいいのなら、あなたは どのように、これらの問題に接近しますか -
自分の特定の問題に、だけではなく、 挑戦してきて、
断固たる行為を必要とする諸問題に、です。 あなたはどのように、これらの問題に
11:32
接近しますか - 科学的な世界、生物学的な世界、経済の世界、
社会的な不平等、 社会的な不道徳の世界に、です。
私たちは、このすべてを知っています。
私たちはどのように、それに接近しますか。
イギリス人として?
フランス人として?
ヒンドゥー教徒として?
イスラム教徒などとして?
私たちは、特定の視点をもっていたり、 何か訓練され、生物学的に
条件づけられて、接近するなら、私たちの 動機は、知られているか、知られていない。
ゆえに、あなたの接近は、制限されるでしょう。
これは明白です。
ですね?
もし私が、語り手が、自分のインドと それらのゴミへ取りすがっているなら、
彼は、世界すべてを - その錯綜した問題 すべてとともに -
特定の狭い見解から、見つめるでしょう。
13:07
それで、彼の接近は、 条件づけられるでしょう。
彼の接近は、部分的、 利己などになるでしょう。
で、彼の接近は、 これらすべての問題に対して、
いつも、きわめて小さく、 きわめて制限されるでしょう。
それは明らかです。
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13:33
それで、訊ねています。私たちは、ともに訊ねて います - あなたはどのように、これらの問題へ
どのように接近するのでしょうか。
特定の問題へ、ではない - それが、あなたのでも、
あなたの妻のや夫の、などでも、です。
諸問題、問題へ、です。
あなたはどのように、問題へ接近しますか。
すなわち、あなたはどのように 挑戦へ、接近しますか -
何か、あなたが向き合い、答え、 行為しなくてはいけないものへ、です。
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14:29
問題(プロブレム)とは、何でしょうか。
辞書の(語源的な)意味によれば、それは、 何か投げつけられたもの、です。
ですね?
あなたが、向き合い、 答えなくてはいけないもの、です。
その時、境遇でなく、 実用的に応答する、とか、普通に、とか、
一定のうぬぼれの感覚をもって、とか、 一定の明白な結論をもって、ではない。
あなたはどのように、 それへ行きますか。
私たちは、ともに熟議しています。
演台の上に座っている、
語り手は、いません - 彼はどのみち、 それが好きではありません。
それはまったく、 個人的なことではありません。
彼は、名前と、その他すべての 事柄を、持っています。
個人性はまったく、これに入りません。
あなたは、それを 完全に払いのけられます。
で、私たちは、どんなさまで 問題へ、向き合うことになりますか。
で、私たちは、問題とは何かを、 訊ねなくてはいけないでしょう。
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16:16
なぜ私たちは、こんなに多くの 問題を、持っていますか。
私たちの生すべて、始まりから 終わりまで、生まれてから死ぬまで、
私たちは、問題で混雑しています。
私たちは、問題で擦り切れます -
悩み、心配、不安定でもって、
そして、永続的な葛藤、闘争、痛み、 心配、その他すべてでもって、です。
で、私たちはともに、問題をどう取り扱うかを、 見出すべきではないでしょうか。
それが、最初の問いです。
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17:11
私たちは、自分たちの一人一人が、何らかの 種類の問題を持っていることを、知っています
- 健康、老齢や、何かの病気、 不治で末期のもの。
または、何か精神病の問題や、 何か空想的、幻想的な
気難しい問題 - 宗教的問題と 呼ばれるもの(笑)、などです。
で、どうか、私たちの存在の始まりから、 私たちが生まれてから死ぬまで、なぜ
常にこの諸問題の解消が、あるのかを、 ともに見出しましょう。
いいですね?
私たちは、一緒に それに入れるでしょうか。
18:23
語り手が説明し、あなたが受け入れたり、 拒否したりするのではない。私たちは、
ともに討論し、ともに熟議し、 ともに量っています。
ともに、です。
私たちが言いましたように、 問題とは何でしょうか。
(語源的に)問題(プロブレム)は、 何か投げられたものです。
それは、挑戦です -
あなたが、気づかなくてはいけず、自らの頭脳、 活動を傾注しなくてはいけないもの、です。
神経質にそれへ応答するだけではない。
あなたの頭脳全体が、これに関与しています。
ですね?
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19:16
子どもの頃より、私たちは、問題を 持っています - どう読むのか。
あなたは、家を離れるとき、懐かしく ホームシックに感じます。
あなたは、
学校にいるとき、書き方、ひどい書物 すべての読み方を、学ばなくてはいけません。
それは問題になります。
ですね? まさに子どもの頃から、
あなたが学校、専門校、 大学などへ行くとき、です。
あなたが労働者であるなら、 それが問題になります。
そうですね、生の全体が問題です。
で、私たちの頭脳は、 子どもの頃から、問題の解消へ
条件づけられています。
ですね?
私たちは、合意していますか。
私たちは、ともにここにいますか。
20:18
私が説明していて、あなたが 受け入れている、のではない。
私たちは一緒です。
同じボートに乗っています。
あなたのほうが、速く漕ぐかもしれません。
あなたのほうが、強さ、技能を持っているかも
しれません。
他の人たちは、弱いかもしれません が、私たちは、同じボートに乗っています。
で、それは明らかですか。
私たちの頭脳は、子どもの頃から、問題へ 条件づけられています。
私たちは、問題と
ともに生きます。
それは明白です。 きわめて明らかです。ですね?
性的な問題、関係の問題、 権力、地位、
身分、権威の問題。
支配することと
服従することと不服従すること、 そうですね、生の動き全体です。
で、私たちは、自分の条件づけを、聞ける でしょうか。
または、それが聞こえるでしょうか
- 諸問題とともに生きるよう、 条件づけられ、訓練され、教育されています。
21:41
一つの問題の解消の中、あなたは、 他の諸問題を創り出します -
それを、政治家たちは、 著しくうまくやっています。
私たちは、同じことをしています。
で、まず初めに - 私たちはともに熟議しています。
どうか、語り手一人に聞かないでください - まず初めに、問題から自由であることは、
可能でしょうか。
頭脳が、です。 それから問題に取り組みます。理解できますか。
ええ、それは可能でしょうか。
私は知らないし、あなたは知らない。
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22:33
で、私たちは初めに、 それを探究しています。
私たちは、生において多くの論点を、 持っています - きわめて錯綜しています。
人格全体、頭脳の活動全体。
感情、
情緒、欲求、執着。
私たちは、それらを多く持っています。
私たちはけっして、それらのどれをも解消する ように、見えません。
次第に萎れて、死ぬのです。
で、頭脳は、問題とともに生き、それに加わり、 能動的な役割を果たすよう
訓練されてきましたが、あなたにとって、
私たちのみんなにとって、とても重要に なるのでしょうが・
・・その頭脳は
- どうか、私一人でではなく、 ともに、これを考えぬいてください -
この頭脳は、まったく問題を持たず、そのとき、 ゆえに、問題に取り組みうるのでしょうか。
23:59
理解できますか。
問題を理解し、問題を解消できるのは、 自由な頭脳だけなのです。
諸問題でもって混雑している頭脳、ではない。
科学者たちは、それで混雑しています。
彼らは、初めに人間であり、 それから科学者です。
人間たちは問題を持っています。
科学者たちは、自分の理論とその他すべてを
ともない、自らの問題を 持っています。
ですね?
で、それは、諸問題の 常なる動きや継続的な連鎖です。
ですね?
さて、私たちはどのように、 これを解消できるでしょうか。
あなたは、私たちはともに、 この問いを解消できるでしょうか -
それはとても深刻です。なぜなら、私たちは、 きわめて危険な世界に向き合っているからです。
25:07
彼らは戯れています - 一方には、政治家たち、
一方には、イデオロギーの人たちが
他方に、無限の権力の感覚をもって、です。
どちらの側も、待っています。ですね?
ですね?
山積する軍備、競争。
私たちは、そのただ中に 捕らわれています。
よろしいでしょうか。
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25:47
無量の貧困がある - それについて、 この国やあなたたちは、知りません。
無量の貧困、堕落、腐敗などです。
私たちは後で、神と、宗教の組織的な 構造すべてについて、話すでしょう -
儀式、中世の衣装などをともなって、 宗教と呼ばれるものについて、です。
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26:25
で、私たちは互いに訊ねています - 私たちの 頭脳は、自由であって、問題を解消できるのか
どうか、です。
よろしい?
あなたは、それに答えなくてはいけません。
じっとしていないでください。
あなたは、何をするのでしょうか。
何でもあなたがすることは、 もう一つの問題になるでしょう。
ですね?
あなたは、言います - 「私はこれをしよう。
あれをすまい。私はこれを信じよう。
あれを信じまい。
これは真実だ。これは虚偽だ。 私は、自分の欲しいものを追求する」と。
そのすべてが、もっと多くの 問題を創り出します。
ですね?
で、私たちはまず初めに、自分たちの頭脳が 問題から自由であって、問題を理解し
解消することができるかどうかを、 見出すことが相応しいのです。
ですね?
私を見つめないでください。
おそらく、この問いについては、 考えたことや入ったことが、ないでしょう。
28:06
「それについて考えるための時間を、 ください」と、頼むでしょう -
「気をつけて観察させ、見させてください。
それから判断させてください」と。
あなたが時を許すなら、すなわち、 「私はそれについて考えよう、
私は、賛否を量ろう - どこで問題を持つことが必要なのか、
どこで問題を持つことが 必要でないのか」などと。
あなたはそれに時間を掛けるなら - いいですね?
- 何が起きますか。
答えてください。
私が、何か問題に、時間を 掛けるなら、何が起きますか -
直接的に、即座に解消されなくては ならないものに、です。
それを即座に解消することが、 可能でないのなら、
他の諸問題が、 忍び寄っているでしょう。ですね?
29:26
ですね?
で、あなたは即座に、 問題を解決するでしょうか。
問いを、挑戦を解決する - あなたの頭脳は、長年の間、
諸問題の中で生き、動くよう 訓練されてきました。
そのため、あなたの頭脳は、 けっして自由ではないのです。
それが、第一の問題ではないですか。
なぜなら、
私たちは進むにつれて、幾つもの錯綜した主題に、 向き合わなくてはいけないからです。
なぜ私たち、人間は、地球中で - そこは、とてつもなく美しいのですが -
私たちは、この大地に 二百五十万年以上か以下か、生きてきて、
なぜ、心理的、主観的に、私たちは ほとんど変化してこなかったのか。
私たちはいまだに、野蛮人です - その言葉の真の意味において、です。
30:48
なぜ私たちは、これらすべての百万年の後で 動いて、決まった様式を、離れていないのか。
それは問題です。
なぜ世の中は、民族性、国籍へ、 宗教的な活動へ、分割されているのか。
なぜ世の中は、互いに闘ってきて、 互いに殺し合っているのか。
戦争がやってきた、おぞましいこと - 棍棒から原子爆弾まで。
なぜ私たちは、いまだに そのようにつづけているのか。
なぜ私たちは、これら政治家を選ぶのか。
なぜ私たちは、未来に こんなに怯えているのか。
私たちは、きわめて、きわめて多くの 問題を、持っています。ですね?
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31:54
で、あなたが許してくださるなら、それを 理解することが重要であると、見えるのです -
すなわち、私たちの一人一人が、 互いへ話をし、量り、
考慮していて、 私たちは、何をするのでしょうか。
あなたは、何をするのでしょうか。
もちろん、あなたは、食事法、ヨーガに、 はまり込んでいるなら - 或る種の空想的で、
想像力豊かで、気難しいことに、です - そのときあなたは、迷っています。
明白です。
あなたは、何かへ引っ掛かっています。
しかしあなたは、問題のどれをも、 解決しないでしょう。
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32:58
で、私たちはともに、何をするのでしょうか - 外側に助けがないことを、知って、です。ですね?
あなたは、世界のキャンプすべてに出席し、 世界の導師すべてに
接するとか、ここに来ることができるのを、 知って、です。
語り手は導師ではありません。
誰も助けられません - 物理的以外に、です。
その他では、誰も私たちを、助けられません。
あなたの夫、妻、ガールフレンドなど、 または、司祭者や
未来の科学者も、です。
付いてきていますか。
私たちはここにいます。
で、私たちは、助けてもらいたい との観念を、すっかり脇に置けるでしょうか
- 言ってもらいたい、誰かに従いたい、 何かを信じたいとの観念を、です。
34:17
何か実際のことを取り扱わなくては いけないとき、それらは、不適切になります。
実際は、私たちなるものです - 多数の問題、涙、笑い、
苦悩、心配、嫉妬、 憎しみ、心理的な傷、けが。
で、私たちは一緒に、何をするのでしょうか - 分離してではなくて、です。
ですね?
私たちは、分離しては生きられません。
修道院、僧院でもって 組織された修道士、僧侶さえも、です -
西洋世界の修道院。
彼らは 互いに依存しあっています。
アジア世界では、特にインドでは、
僧侶は自分一人で、地のすべて、 インド中を、さすらっています。
35:42
彼らは、自分の問題を持っています。
あなたたちが、僧侶の集団に付いていった ことがあるのかどうか、私は知りません。
かつて語り手は、インドで、ヒマラヤで、 僧侶の集団に、付いていっていました。
彼らは、詠唱していました。
自分たちの 書物を読んでいました。けっして、
過ぎゆく美しい小川を見ず、 その流れの歌を聴かずに、です。
花々、7500メートルの雪山のある
とてつもない空への輪郭線。
大地の美しさすべてを、けっして見なかった。
彼らは、自分たち自身と、自分の小さな 神々に、関心を持っているだけでした。
で、どうか、あなた自身について、この問いに 答えてください - あなたの頭脳は、自由であり、
そのため、問題を 理解し、解消できるのでしょうか。
37:11
あなたは、そうでないこと、すなわち、それは 実際に条件づけられていることが、見えるなら、
- ですね?
- 自らがそれが見える。それに ついて言われないで、書物で何かを読んだり、
他の人に説得されたりではなく、 私たちの頭脳が条件づけられていることが、
自分自身で直接的に見えるなら - いいですね?
私たちは、それができますか。
聴衆: すみません・・・
K: どうか、私たちは火曜日に、 質問(と答え)をしようとしています。
それは火曜日かな?
ええ、火曜日です。
なぜなら、今あなたたちみんなが、 質問をするなら・・・気になさいますか?
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38:13
私たちはそれができますか。
私たちは、ともに話しあい、 ともに熟議し、量り、考慮できるでしょうか。
私たちの頭脳は - 私たちはそれに気づいていますか - 頭脳は、問題とともに生きています。
顕微鏡をとおして見ている 観察者として、ではなく、
正しい道でも、間違った道でもなく、 それに、気づく - すなわち、
私たちの頭脳は、問題とともに生きるよう、 ひどく条件づけられていることに、です。
語り手は、何度も何度も、 それを反復しなくていい。
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39:21
仮に、私がそれに気づいていない、とします。 私は、それについて考えたことすら、ない。
私はかつて、そういうことを、聞いたことがない - それは可能なのか、可能でないのか、と。
しかし、あなたは問いを 出しました。
ですね?
私の頭脳は、相当に活動的であり、 あまりに鈍いわけではない。
何かに引っかかっていない。
そのとき私の頭脳は、言いはじめます -
頭脳は、自らの活動を観察できる だろうか、と。
付いてきていますか。
私が言っていることを、理解できますか。
頭脳は、自らの制限、条件づけに、 気づけるでしょうか。
あなたは、髭を剃ったり、おめかしを するとき、鏡で自分自身を観察するように
- すみません!(笑)あなたは、 自分の頭脳を、観察できるでしょうか。
40:45
何かを見つめている観察者として、 ではない。いいですね?
あなたは、外部者として観察するなら、 外部者もまた、観察されるものです。
ですね?
違いはないのです - 外部者と内部者は。
明らかですか。
あなたは、顎を剃っているとき、 自分の顔を外部から見つめているとは、
言いません。
あなたは、 そこに、鏡の中にいます。
あなたは、切りにくい毛を持っている かもしれませんが、あなたはそこにいます。
あなたのイメージがあなたです。
ですね?
あなたは、「まあ、私はそこで、私より違って見えるね」 と言いません。
あなたは、あなたなるものです。
で、頭脳は、それ自体に気づけるでしょうか
- その思考、その反応、その生き方に、です。
41:52
なぜなら、それは、私たちの活動すべての 中心であるからです。ですね?
私たちは、それを悟るのでしょうか。
それは、私たちの神経的応答すべて、 私たちの反応すべての中心です -
私たちの条件づけ、私たちの感情、
私たちの楽しみ、痛み、恐れ、 心配、さびしさ、絶望、
愛への探求、その他すべての(中心)、です。
それはそこにあるのです。
ですね?
それへの理解がないのなら、 私は何ができるでしょうか。
私がすることは何でも、 無意味でしょう - ですね?
あなたがこれらを 捉えるのかと、思われます。
気にしないでおきましょう。
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42:51
で、私たちは、頭脳の活動に、 気づいていますか -
なぜあなたは、そういうことを考えるのか、 あなたの反応は何なのか、なぜあなたは気難しく
精神病的なのか、なぜあなたは、何かへ 縋りつくのか、なぜこのさびしさ、悲しみ、
痛み、嘆き、心配、不安定が、あるのか。
いいですね?
どうか、私たちはともに熟議しています。
私は、気づいていないなら、 何をするのでしょうか。
私は、自らが気づいていないことを、 知っています。
私は、自分自身に気づいていません - 自分自身とは、頭脳であり、
落ち着きのないもの、 いつも浅い谷に、そして深い谷に
生きているもの、いつも利己を 探し求めているものです。
それが、神の名においてでも、 愛の名においてでも、
社会改革の名においてでも、 権力、地位を探し求めることであっても、
いつも、この要素の背景が、あるのです。
44:45
私たちは、これらに気づいていますか。
私は、気づいていないなら、 何をするのでしょうか。
助けてください!
すみません!
私は、その言葉を忘れました!
(笑)私は、あなたの助けを求めていません。 それについて話し合いましょう。
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45:12
私たちは、あらゆる人から、 助けを探し求めてきました -
書物から、司祭者から、心理学者から、
政治家から、あらゆる角度、あらゆる隅から、 私たちは、助けを探し求めてきました。
その助けは、役立たずだったのです。
なぜなら、 私たちは、今の私たちなるものであるからです。私たちは、
ここそこで、少し変化したかもしれませんが、 実際に私たちは、私たちなるものなのです。
すべての助けにもかかわらず、 すべての指導者、導師、古代の預言者、
古代の書物にもかかわらず、です。
ああ、後生です!いいですね?
で、私たちは、助けを探し求めるとの観念を、 すっかり、自分から取り除けるのでしょうか。
46:17
それは、あなたがここにいるべきではない、私がここに いるべきではない、という意味ではありません。
そうですね、あなたは、美しいものが 見えるとき、それを見つめます。
何か美しいものの栄光に、歓喜します。
しかし、あなたはけっして、
「まあ、私はけっして二度と、ここに 戻ってこないだろう」と言いません。
反対に、あなたは
それを見つめるために、戻ってきます - たびたび、です。
あなたは、山を見つめ、その美しさ、 とてつもない光景の単純さを
見つめることで、助けられるだろう、 ということではありません -
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47:12
私の頭脳は、それ自体に気づいていないなら - それは、とてつもない問題です。
あなたは、自分の思考に 気づいているのかどうか。
すなわち、思考は、それ自体が 考えているのに、気づいていますか。
理解できますか。
これは知的ではありません。
質問を理解できますか。
どうかなと思います!
あなたの思考は、それ自体に 気づけるでしょうか。
ですね?
そうでないのなら、あなたは、 思考のあらゆる動きに、完全に気づくように、
何をするのでしょうか、 または、しないのでしょうか。
祈りますか。
頼みますか。
あなたは、それらのことを どれもできません。
で、静かに留まって 見守りうるのでしょうか。
私たちがいう、見守るとは、 言葉、映像、象徴の唯一つの動きもなく、
観察することです - それらは、本質的に思考です。
48:58
あなたは初めに、観察できますか。
唯一つの過去の活動もなく、 観察できますか。
進んでください。
私とともに、来てください。
あなたは観察できますか。
私は、自分の痛み、物理的な痛みを 観察できますか。
質問を理解できますか。
あなたは、自分の身体的な痛みを 観察できますか。
それに気づけますか。
「まあ、私は医者へ急がなければ、 錠剤を飲まなければ、
これを飲まなければならない」と言わず、 ただそれに気づくのです。
心理的に、何の動きもなく、それに気づく。
できますか。
同じように、頭脳の活動を 観察するのです。
たくさんの言葉と否定と主張でもって、 ではなく、ただ観察するのです。
50:27
あなたは、妻や夫やガールフレンドを 観察したことが、ありますか -
彼女や彼について築いてきたイメージを もってではなく、本当に観察したことが、です。
それらイメージは観察ではありません。
それらは単に、 あなたが次第に築き上げてきた
活動の投影です - それが、あなたと 彼女や彼などと間で、イメージになるのです。
それで、実際に観察していないのです。
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51:11
つづけてもいいですか。 観察と愛との間の関係は、何でしょうか。
愛は単に楽しみですか。
単に欲望、 構築された思考ですか。
その愛に、分割はありますか - 私はあなたを愛していて、他の誰をも愛さない、というように。
または、私はあなたを愛しているが、 私はあなたに嫉妬している、と。
ですね?
で、それは愛でしょうか。
私たちは、これらすべてのことについて 話をするとき、それに入るでしょう。
しかし、私たちは今、訊ねています - 知覚があるとき・
・・
何も動機がないとき、その知覚は 起こりうるのみです。
ですね?
もし私は、その知覚に、その観察に、 動機を持っているなら、
そのときその動機が、知覚を 制御し、形作り、枠に入れます。
で、何も動機なしの 観察が、あるのでしょうか。
動機は一般的に、深く隠れた利己です。
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53:18
で、私たちは、もう一つの、 とても錯綜した問題、むしろ主題へ
来るのです - 他のどの、使いたい言葉でもいい。
利己は、どこまでで、 どれほど深いのでしょうか。
どんな長さまで、それは放棄できるでしょうか。
私はどこで、それを止めるのでしょうか。
理解できますか。
または、この現代世界において、何の 利己もなく、生きることは、可能でしょうか。
理解できますか。
その色合い全体なしに、です。
どれほど深く頭脳は、利己より自由で ありうるでしょうか - 絶対的に自由、です。
または、生の、日常生活の活動へ どんな比率で、でしょうか。
または、単に表面的に、 利己なしに、でしょうか。
理解できますか。
利己の深さと浅さの全体、です。
54:53
これは、とても複雑な問題です。
利己は、腐敗すべての 始まりですが - ですね?
私たちは、それが見えますか。
それは、腐敗すべての始まりです。
それは、分割的過程すべての始まりです - それが (語源的に)腐敗(コラプション)です。
それは、葛藤の始まり、 または起源です。
ですね?
で、どこまで、どれほど深くとか、どれほど 浅く、葛藤は終わりになりうるのでしょうか。
それを問題にしない - そのとき 私たちは、再び迷っています。
葛藤は、人間たちの間で、 いったい、終わりうるのでしょうか。
彼らが、互いにとても近くても、 互いよりとても遠くても、
葛藤、闘争、それの痛み - それはいったい、終わりうるのでしょうか。
56:31
どうぞ、進んでください。
私たちがいう葛藤とは、 どういう意味でしょうか。
葛藤は本質的に、歪曲です。
どの形の葛藤も、 歪曲された視点を、もたらします。
葛藤は本質的に、無秩序です。
ですね?
私たちは一緒でしょうか。
これを熟議し、
それを量り、考慮しているのでしょうか - 行為する見通しをもって、です。
その言葉は、それを意味しています。
で、葛藤は、終わりうるのでしょうか -
そのため、そのとき 頭脳は自由であり、飛べるのです。
頭脳は、無量の能力を持っています - 無量、です。
私たちは、利己と葛藤でもって、それを 制約しています。
それを狭めています。
で、葛藤は、終わりうるのでしょうか。
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58:15
なぜ、私たちには、 この分割的な要素が、あるのでしょうか。
あなたと私、我らと彼ら・
・・
ああ、私たちはこれであり、あなたたちは あれである。
それの起源は、何でしょうか。
それは、この欲望の強情さでしょうか。
それは、思考の対立的な要素でしょうか。
それは、理想と事実でしょうか。
「あるべきでないもの」と「あるもの」 - 理解できますか。
で、私たちのみんなに、この二元的過程が あるとき、葛藤が始まる、ということですか。
どうか、私たちはここで、 ともに同じ小道を進んでいます。
私たちは一緒に、同じボートに乗っています。
私たちは、この中心的な事実に、 気づいていますか -
すなわち、私たちみんなの中で、この二元的な力、 善と悪が、働いている、ということ、です。
1:00:18
ですね? これは、重要な問いです。
善は、悪に関係しているでしょうか。
語り手は今朝、バスケットに たくさんの卵を、入れつつあります。
たくさんの物事を一緒に、です - それは、私たちの生の一部です。
私たちは、四回の講話と、二回の質疑応答 だけが、あります。
私たちは、
これら講話、これら熟議に、詰め込める すべてを、(笑)詰め込まなければなりません。
私たちは、この中心的な事実に、 気づいていますか。
私たちはいつも - 私たちの道徳は、 善と悪との間で、均衡させられます。
で、訊ねなくてはいけません - 善は、悪に関係しているでしょうか。
高尚なものは、下劣なものに 関係しているでしょうか、などとです。
自らがやや臆病であり、 勇気を持ちたいとの願望が・
・・
その勇気は、本当に勇気でしょうか。または、 部分的に臆病から生まれたのでしょうか。
1:01:52
質問を理解できますか。
で、私たちは、ともに訊ねています - 悪。
悪いものとは、何ですか。
善いものとは、何ですか。
善が悪に関係しているなら、 それは善くありません。
ですね?
私たちは言いました - 私たちは一緒に、ここにいますか。
もし、美しいものが、醜いものへ関係して いるなら - なら、ではなく、
しているとき - そのとき、美しさは、 醜さから生まれています。
ですね?
そのとき、それは美しくありません。
あなたがこれに付いてきているのか、 私は知りません。
で、善が、そうでないものから、 生まれているなら、
そのとき、その善は部分的です。
それは 全体的でない。だから、それは善くない。
で、道徳は、これら二つの 均衡ではないのです。
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1:03:10
ですね?
あなたにこれが見えるのか、 と思われます。
で、この二元性、二元的過程より、 自由でありうるのでしょうか。
この問い - 善と悪が互いに 葛藤しているというの - は、
四万年、五万年以上の間、 あったのです。
フランスでも、世界の他の地方でも、 古代の洞窟の中に、
あれら絵画が、見られます - 善はいつも、悪と
闘っています。
悪は、善と闘っています。
これらはご存じです。
その闘い、その闘争から 出てきたことは、
最高の道徳と考えられています。
ですね?
善は、けっして悪に関係できません。
愛は、憎しみへ、怒りへ、嫉妬へ 関係できません。
それが関係しているなら、 それは愛ではありません。
それは、楽しみ、欲望などの一部です。
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1:05:00
で、私たちはこの地上に - 後生です。私たちの幾らかが、です。
私たちの幾らかが、または私たちのみんなが、 唯一つの葛藤もなく、生きられるでしょうか。
あなたは、この問いに答えられません。
ですが、その問いの種子に、作動させましょう。
理解できますか。
その理論だけではなく、 種子が生きているなら、
それは、自らのものすごい活力を、持っています。
あなたが、それについて考えるのではなく、
「まあ、私は、あいつが話していることを 理解しなければならないな」と言うのではない。
善は悪に全然関係していない という種子が・
・・
提案してもよろしければ、 その種子に成長させましょう。
あなたは、大地に種子を 植えてきました - 桃の木や、
何であっても、です。あなたは それを植えてきました - オークを、です。
1:06:24
それが成長しているかを見るために、 あなたは毎日、それを引き抜きません。
あなたはそれを大地に放っておきます。
その問いは、活力、エネルギーを
持っているなら、まさにその問いが、 成長し、行為しはじめるのです。
あなたは、何もしなくていい。
そのもの自体が、動いています。
私たちはともに、それをできますか。
あなたは、種子を植えるのを、助けます。
私は、大地を掘ります。
それは、一緒の仕事です。
それは、あなたが植える、 私が耕作するのではない。
一緒に、です。
で、問いはそれ自体で、ものすごい意義を、 持っています。
答えが、ではない。
結果が、ではない。
問いが、です。 錯綜すべてをともなったこの世界に、
唯一つの葛藤の陰もなく、 生きることは、可能でしょうか。
1:07:45
あなたは、自分の頭脳に それを植えてきました。
そこにそれを留まらせましょう。
それに、何が起きるかを、見させましょう。
で、私たちは訊ねています - あなたは、その種子を植えてきましたか。
それは、あなたが、私たちの一人一人が、 問いを聞いてきたのか、という意味です。
耳で聞こえることで、だけではなく、 それの実際の事実を、です。
私たちがこの地上に、二百万年か三百万年、 または、四万五千年の間、
生きてきたという事実 - 確かに四千年ではない。
それは、(一神教の)原理主義者が 考えたいことですが。
私たちは、この地上に、 そんなに長い間、生きてきました。
私たちはいまだに、 葛藤の中に生きています。
これは、とても深刻な問いであるので
- 戦争の残忍な抗争だけではなく、 私たち自身の間の葛藤も、です -
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「私は、彼がどういう意味でいうかを、 理解しなければならない」 -
彼がいうのは、何一つ意味していません。
彼は、私たちは一緒であると、 言っています。
何の葛藤もなく生きるよう、種子は 深く植えられていますか -
頭脳の深い谷に、です。
そのため、そこに土があるように、です。
大地の土より、はるかに豊かな土です。
そこから、それは成長できます - それの答え、判断、遂行です。
今朝はそれで十分であると、 思います。
ですね?
立ち上がってもいいですか。
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