BR85T2 - 恐れに対する時と思考の関係

第2回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月25日
テキストのみのバージョン
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0:29
神様、ここには、とても多くの人々がいますね - この天気の悪い中で。
私たちは、昨日止めたところから、 継続してもいいですか。
みなさまが、寒い中、外のそこに 立たれていることは、申し訳ありません。
私たちは、この長い大天幕に、 何かをしなければなりません。
おそらくサーカスのテントです!
(笑)
私はそれを、侮辱として 申していません。
すみません!
(笑)
私たちが一緒に笑えることが、 うれしいです。
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1:49
私たちが昨日、言っていたように、 これは、一人の人の話ではありません。
それは、一匹の犬が吠えているのではなく、 むしろ、私たちは、ともに熟議しています。
その言葉は、大変多くの意義を、持っています - はかること、均衡させること、
考慮すること、一緒に相談すること。
行為する見通しで、 判断と行為をもたらす見通しで、です。
その言葉は、深さを持っています。
今朝と、続く朝、ともに私たちは、
一緒に熟議をしようとしています。
それは、一人の語り手や一人の人格ではない。
むしろ、私たちはみんな、一緒に
見つめ、観察し、物事がありのままに 見えている、ということです。
一緒に相談をしている、 熟慮し、実際に考えている -
理論的にとか、無数の信念を 持つのではなく、
むしろ、これらすべての事柄へ、 一緒に入るのです。
3:44
事柄は、私たちの生、私たちの日々の、です。それは、 退屈なのかも、わくわくするのかもしれません。
情動的や感傷的、ロマンチックで、 大変多くの想像、空想に
捕らわれていたり、一つ、二つの信念に 縋りついているかもしれません。
これらのことのどれかをするなら、 熟議は、可能ではありえません。
なぜなら、私たちは、同じ道路を行っている からです - 同じボート、同じ小道、
ともに来る同じ感覚、です。
そのため、 私たちはともに建設できるのです。
それがきわめて明らかであるなら、私たちは、 多くのことに入れます - 私たちはそれを、
今朝と、火曜日と木曜日の二日と、 土曜日と日曜日に、しなくてはいけません。
ともに話し合うべきことが、 たくさんあります。
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5:01
ここには、これら講話には、私たちの間の これら対話には、何も権威はありません。
語り手は、不幸にも、 演壇に座らなくてはいけません。
それは、彼に何の権威をも、与えません。
それは、人格崇拝ではありません。
それは、何か、あなたが一緒に考えて、 後で行為するであろうことではありません。
今、ともに、この大天幕に座って、
私たちはともに、探検しようとしています。 その探検の中、行為するのです。
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5:55
私たちは昨日、葛藤について 話していました。
私たちが関与している、ひどいことすべて。
殺害、テロリスト、そして、戦争 -
宗教的なのでも、政治的なのでも、 イデオロギー的な構造物と
イデオロギー的な信念の間で、 起きている戦争すべて、です。
しかし、誰も、世界の問題全体を、 考慮に入れないように、見えます。
各国が、各地点が、または 自国の特別な境界が、
他の国々と闘っているのです - 経済的に、です。
戦争の脅威、
そして、世の中で起きている ひどいことすべて、です。
今朝、私たちは、これらすべての 事柄を、考慮すべきです。
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7:14
まず最初に、私たちは今朝、 すばらしい雲が、見えたのでしょうか。
とてつもない光と、それらの美しさ、
栄光の感覚、
とてつもない青空。
私たちは、ともに協議すべきです - 愛とは何か、美しさとは何か、
時と思考とは何かについて、です。
私たちは今朝、時間があるなら、 恐れについて話すでしょう。
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8:09
で、私たちは、美しさ、愛、
時と思考と、恐れは何か という問いに、入ろうとしています。
病気になる恐れ、 本当に具合が良くないことへの恐れ。
私たちは後で、それに入るでしょう。
しかし、初めに私たちは、美しさの 本性は何なのかを、ともに考慮すべきです。
私たちは、それについて、ともに 話し合おうとしています。
どうか、語り手が説明するのを、 待たないでください。
これは、私たちの一人一人の前に 出された問いなのです -
私たちがともに出そうとしている 他の問いすべてと同じく、です。
美しさは、何でしょうか。
それの、思考と時と愛への 関係は、何でしょうか。
9:34
美しい雲、うるわしい日の入り、 朝早く、空に唯一つの星があるとき、
それらに満ちている、あれらの樹々。
あなたは、あの樹に見られます - 木の葉の響き、ささやき、
動き、そして、幹の甚大な強さ。
あなたは大地が見えます。
空中から ではない。そこでは高すぎます。大地 -
甚大な力の感覚、広さ、 谷、山々、青空、
そして、雪を被った大きな山々の 輪郭線。
あなたは、それらを見つめるとき、そして、 妻や夫、あれらうるわしい子どもたちを、
見つめるとき - 彼らは この場所を、跳ね回っています -
美しさは、私たちの一人一人にとって、 何を意味しているのでしょうか。
11:13
美しさは、私たち自身の 特定の視点に、依存するのでしょうか。
私たち自身の敏感さに、でしょうか。
または、美しさは、鍵の掛かった 美術館の絵画に、あるのでしょうか。
または、詩歌、 特に、キーツによる頌歌に、でしょう。
あなたは、文学書、いわゆる 人気の本に、一文を見ます。
その一文は、すべての扉を 開くには、十分です。
で、私たちの一人一人にとって、 美しさは、何を意味しているのでしょうか。
それは、顔、身体でしょうか。
他の一人に対する優しさの感覚、
寛大さの、与える感覚でしょうか。
あれらすばらしい絵画の何枚かを 見る中での、大きな楽しみでしょうか。
12:52
で、あなたは、語り手が美しさとは何かを 語ってくれるのを、待っていますか。
または、美しさは、 自己がないとき、あるのでしょうか。
理解できますか。
私が、自分の問題について、 悩んでいないとき、です - 自分のみじめさ、
憂鬱と悩みと、生の苦労すべてについて、です。
それは、私に中心があります。
それが「私」です。
その「私」が、 何分の一秒間にも、ない - 頭脳が、
何も制限の感覚なく、静かであるとき、 美しさがあるのでしょうか。
または、そのときだけ、 美しさが、あるのでしょうか。
私たちは、ともに話し合っていますか。 熟議していますか。
14:20
または、私たちは、語り手に 同意しつつあるのでしょうか -
「ええ。
それはとても良く聞こえる」、
「その説明が、私が欲しいものだ」、
「その説明と叙述によれば、
私は、何かを一瞥して、 それについての記憶を持つだろう」と。
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14:50
そのとき訊ねます - 記憶と、記憶の継続、
記憶の動き全体、
それは、美しいものの堪能を、 助けるでしょうか。
または、憶えていることは、 それといかなる関わりも、ないのでしょうか。
私たちは一致していますか。
なさらないでください。
私たちの生に、美しさは あるのでしょうか。
寛大さの感覚 - 許しの感覚ではない。
許すべきことは、何もありません。
高い敏感さの感覚です。
で、私たちは、 信念、比較、悩みと問題は、
美しさと何の関わりもない、 と言っています。
それは、あの性質です。
自己、「私」、 ペルソナの欠如の感覚です -
「私」である自分の 背景すべての(欠如)、です。
それがないとき、他があるのです。
16:38
これは、不可能に聞こえるかもしれません。 しかし、そうでしょうか。
私たちは、何か極端なことについて、 話していますか。
または、それは、私たちみんなが経て行く、 私たちみんなの共通の定めでしょうか -
苦しみ、苦悶、絶望、憂鬱の大きな期間、
あらゆる種類の情緒的な激動。
それらが私たちより抜け落ちてしまい、
すべての叙述を越えた何かが、 見える瞬間が、
私たちの生において、稀にあります。
それは、私たちのみんなに 起きるのです。
それは記憶になります。
そのとき私たちは、その記憶を追求します。
私たちは、もっと何かが、欲しいのです - 自らが一瞥するものの継続的な何かが、です。
そのとき、その記憶が、じゃま物になります。
その記憶が、他のあらゆるものを、破壊します。
寛いで、ただ静かに受けてください。(笑)
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18:30
それが幾らか明らかなら - 私たちは、ともに 熟議し、相談しあっているからです -
そのとき、私たちは、時という とても複雑な問題について、話をすべきです。
望みとしての時。
私たちの生の出来事と
起きること全体としての時 - 過去として、です。
記憶の動きとしての時、 自らの長生きに応じた時、
この地上に生きて死ぬこととしての時。
時計による時、 クォーツ時計のぴったりの一秒、
その秒のぴったりなこと。
19:55
心理的になりゆくこととしての時 - 「私はこれだが、あれになるだろう」、
「私は不幸せだが、いつの日にか 幸せになるだろう」、
「私はいつの日にか、理解するだろう」、
「私は知らないが、知るだろう」、
「いつの時にか後で、地上に平和があるだろう。
でも、今はそうではない」と。
で、時は、私たちの生において とても重要な要因です。
記憶としての時、 他の何かへの進化としての時、
天国で天使たちに囲まれる・
・・
ここでジョークを言ってもいいですか。(笑)
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21:05
二人の人々が天国にいます - 翼と光の輪をつけて、です。
一人の人が、もう一人へ言います - 「私は、 死んでいるとき、なぜこんなに気持ちが悪いんだ?
」と。
理解しましたか。(笑)
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21:44
で、時は、私たちの生における要因です。
それは、私たちの生の重要な部分です。
私たちは、時ということに 立って考えます。
私たちがそうであったもの、 私たちがなるであろうもの、
今あるものと、私たちがなるであろうもの としての時。
ですね?
私はあれであった。
私は今これである。だが、 私は未来に、他の何かになるだろう。
この動きは、記憶、知識、経験
などの動きです。
ですね?
過去、現在、未来の間の、 この常なる動き、です。
これは、私たちの生において とても重要です。
時は、きわめてたくさんの 問題を、創り出します。
23:10
私は何かを・・・人は何かを、 楽しみに待っています -
スペインや、うるわしい シシリア島での休日などを、です。
この動きに、止まることはあるのでしょうか。
私たちはともに、話し合っています。
相談しあっています。
この永久に続く動きは、 自らの生の始まりから死ぬまで
続くように見えますが、この動きに いったい、止まることはありますか。
どうか、私たちは、あなたのために この問いを出しています。
あなたが何と答えるだろうか、ではなく、 問いに答えてもらいましょう。
それを理解できますか。
問いがとても重要です。
問いはこうです - 時、この動き、 その中に、私たちのみんなが
捕らわれているこの循環 - 果てしなく、二百五十万年以上、
24:45
私たちがこの地上に生きてきたように、です。 この動きは、いったい終わりうるのでしょうか。
または、人間は永遠に、 それに捕らわれているのでしょうか。
SF小説や、時についての何かの理論や、
何か夢想的な、他なることではない。
私たちはお互いに、 とても単純で直接的な問いを、訊ねています。
問いが重要です。
なぜなら、
そのときにだけ、何か全然新しいことが、 起こりうるからです。
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25:43
で、私たちは訊ねています - 時は、いったい止まりうるのでしょうか。
老齢としての時。
老齢では、わずかに惚けてきます。
老衰が起こります。
それは、なかなか興味深い主題です。
誰が老衰していますか。
若い人、四十か三十までの若い人たちだけ。
残りは、みんな老衰していますか。
または、年老いた人々だけが、 老衰していますか。
老衰は、私たちのみんなにとって、 何を意味しているのでしょうか -
彼らが自分自身に、 この質問をすればするほど、です。
老衰とは何でしょうか。
あなたたちは教会へ行きます - 特に (カトリックの)枢機卿が執り行っているとき、
それはすばらしい光景、美しい光景です - 気をつけて作り出されていて、
精巧で、威厳がある。すばらしい衣と色。
27:50
あなたが、ローマのあれら大聖堂の 一つへ、行ったことがあるなら、
そこでは、枢機卿が、執り行っています。
この反復があります。
反復は、老衰の標示でしょうか。
それは、老いた人たちだけに、 在るのでしょうか。
同じ習慣、同じ考え方、 オフィスへ永続的に
行って、働きに働きに働く。
鉱山で、海で、潜水艦と航空機で。
互いとの間での同じ関係、反復 - 性的に、です。
または、互いが慣習になる。
そのため、あなたはこの地上で
全く一人であると感じる感覚が、ない。
29:20
私たちの頭脳は、反復に 捕らわれています。
反復には、自らの安全、 自らの保全、保護が、あります。
しかし、心理的にあなたが、 憶えつづけ、憶えつづけ、
同じ古い様式と方法と実践で、 行為しつづけるとき、
当然、それは一つの形の老衰です。
ちがいますか?
どうか、同意しないでください。
それは、同意や不同意の 事案ではないのです。
私たちがそれら二つの言葉、同意と不同意を、
遠ざけられて、私たちの中で
実際に起きていることを、 見られたならと、願っています。
そして、私たちが長年にわたって 形成してきた習慣を、私たちが持っている結論
- 政治的、宗教的などの - を、 観察するのです。
30:52
結論、終わり、 「これが私が理解したことだ。
私はそれを貫く」などと、です。
それは、老衰の一つの形ではないですか。
老衰の動きは、年寄りだけに起きる、 ということでしょうか。
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31:27
で、私たちは、時について 話しています。
過去が、現在を経てゆき、修正し、継続する。
過去は、根ざしています。
深く根づいていて、現在を経てゆきます。
挑戦、境遇、圧迫などを経てゆきますが、 それはやはり過去です。
未来は、過去です - 修正されたのです。
で、未来は今です。
私たちは一緒にいますか。
はい?
そうではないですか。
二百五十万年以上か以下か、 私たちは過去ですが、
それは、あの長い過去と現在との間の 甚大な空間です。
32:49
現在は、私たちがそうであったものと、 今私たちがそうであるものです。
それは事実です。
その過去は、枠に入れられ、 形作られ、圧迫されます。
あらゆる種類の苦労、心配などを 経ていきます。
しかし、その過去は、違った形や 違った形態で、違った多様な道で、
継続します。
それが未来になります。
で、未来は今なのです。
ですね?
私たちは一緒に、ここにいますか。 または、さらに説明が、要りますか。
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33:52
で、動き全体は - 過去、現在と未来は
今に収容されていますか。
なぜなら、それが、 私たちなるものであるからです。
それが、時の動き全体です。
ですね?
私たちは訊ねています - その動きは、いったい止まるのでしょうか。
さもなければ、私たちは、この永久に続く 時の縛る性質へ、縛られています -
過去、現在、未来の この動きの性質へ、です。
私たちは、これらから離れた 天国、地獄、未来について
話すことにより、この問いから逃避します。
で、今において、今、あなたがそこに 座っているとき、
今の中に、時のすべてが 収容されています。
過去が、現在において自体を修正し、未来です。
この循環は今ですが、その中で -
その動きは、一分間、一秒間、 止まりうるのでしょうか。
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35:55
そのとき訊ねます - 時がないこととは、 何でしょうか。その中に、時が全く存在しないとは。
科学者たちは、時に、 異なった定義を与えられます。
それは、秒から秒へ、秒へ、秒へ
一連の動きです。
しかし、それは ただの理論です。
私たちの生にある何かか、あるかもしれない 何かの、ただの受け入れです。
しかし、それは十分ではありません。
もし私たちが、理論すべて、 信念すべてを、脇に置くなら、
事実は、私たちの生において - 日の出と日の入りと
新しい月と満月の時ではない。
天界は、自らの秩序、自らの 時のない感覚を、持っています。
しかし、それらは、私たちの実際の 毎日の退屈で、さびしく、絶望的な生とは、
- 時折、喜ばしいが - 何の関わりもないのです。
で、時に終わりは、あるのでしょうか。
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37:39
そのとき私たちは、訊ねられます。そのとき だけです - 時がないとは、どういうことでしょうか。
私たちは、それについて話せます。
私たちは議論できます。
ですが、それら議論、言葉、理論は、 まったく意味がないのです。
時の、思考への関係は、何でしょうか。
語り手は、これらすべての問いを、 訊ねていません。
あなたが、これらすべての問いを、 訊ねています。
思考と時の間の関係、 実際の関係は、何でしょうか。
そして、時、思考の、恐れへの関係、
それらの、愛への関係は?
これが、私たちが関心を 持っていることです。ですね?
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39:00
で、思考とは何でしょうか - それは とても重要です。それは、私たちの頭脳の
一番深い谷に、深く埋め込まれています。
私たちの生において、思考は何でしょうか。
思考、考えること。
どうか、あなた自身に この質問をしてください。
このすべては、宗教とは何の関わりも、
つづいているサーカスすべてとは、導師たちとは、 霊的権威とは、何の関わりも、ありません。
一緒のそれら二つの言葉について、考えて みてください - 霊的な権威、です!
それら二つを一緒に纏めることは、 そんなに忌み嫌われることだと、見えます。
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40:19
で、私たちの生と行為すべてが、 思考に基づいています。
あなたは、情動は思考ではない、 と言います。
そのとおりでしょうか。
私たちは、とても だまされやすいのでしょう。
私たちは、あらゆることを、 たやすく受け入れます。
語り手のような誰かが、何かを言います。
あなたは、はいとか、いいえとか言います。
私たち自身の考えることは、 ないのです -
あらゆる物事への 明らかで、客観的で、非個人的な観察です。
私たちは、他の人々の知識で、 満ちています。
私たちは、自分たちの生の山々の 自らの深い曲がりくねった谷を、知りません。
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41:34
で、考えるとは、何でしょうか。
私たちは再び、語り手があらゆることを 説明するのを、待っていますか。
それからあなたは、同意や不同意をしますか。
それらは、完全ではなく、部分的なだけです。
「私は、他の誰かがそれを 完成させるのを待とう」と。
理解できますか。
私たちの頭脳を、見てください - それがいかに働くのか。
私たちは霊的に、ウィンドー・
ショッピングへ行きます。
ここ、この大天幕の中で、 ちょっと収集します。
それから、別の大天幕へ行きます。
可笑しく聞こえるでしょう。(笑)
私たちはいつも、収集しています - カササギや、あれらモリネズミのように、です。
私たちは、自分の能力について、 何も知りません - 技能について、ではない。
43:00
経験に基づいていない能力、
知識とは何の関わりもない能力、です。
時間があるなら、私たちは、 それらについて話すでしょう。
で、考えるとは、何でしょうか。
あなたは、そこに座っています。
語り手は不幸にも、この壇上にいます。
私たちはどちらも、考えています。
その考えるとは、どういう意味ですか。
彼は何かを言います。
問いが、あなたに 出されます。頭脳は、活動的に
なりはじめます - それは、挑戦されつつ あるし、それは、駆り立てられ、
押され、圧迫されつつあります。
そのとき、 それは目覚めて、はいとか、いいえとか言います。
それで私たちは、つづけていきます。
44:19
私たちはけっして、自分自身を掘り下げません。 それは、私たちがとても多くの物事に、
依存している、という意味です。
多くの書物、 多くの教授、多くの導師や指導者に、です。
で、私たちは、ここにいます - 指導者なく、助けなく、
どの種の環境的、実用的な支援もなしに、です。
あなたは、見出さなくてはいけません。
考えるとは何なのか、思考すべての起源は何なのか。
- 特定の原因、特定の思考、ではない。
それは、 明白に、原因を持っています。
原因を持っているものは、いつも 乗り越えられるのです。
私は、痛みのための原因を 持っているなら、それを取り扱えます。
医師へ、または反対(の代替医療の)医師や 何でも好きなものへ
行けます - 偽医者と、 最新の反対医療などです。
45:55
原因を発見するから、 それを乗り越えられます。
で、考えることの原因は、 何でしょうか。
あなたは原因を理解するなら - 人は 理解するなら、それを脇に置けます。
理解できますか。
原因が見つからないで、 単に説明を受け入れるなら - それは
実際の原因ではありません - 私たちは、 スキップしていき、ここそこで拾うのを、つづけます。
で、私たちはともに、私たち自身で 見出そうとしています。
語り手があなたに語り、
それからあなたが、それを 玩ぶのではない。
自分自身で見出します。
語り手は、説明し、それに入るかもしれません。 彼が幾つもの場合に、してきたようにです。
47:10
彼は、八十年間、これをしてきました。
で、それは、彼においてはゲームではない。
それは、習慣や老衰ではない。
(雨の音) ああ、雨が降っています。
または、ひょうです。
どうか、入ってきてください。
内側へ入ってきてください。
ああ、過ぎ去りました。
あなたたちが今朝、早く、注目したのか どうか、私は知りません -
空には、唯一つの雲も ありませんでした。
でも、私たちはイギリスにいます!
(笑)
大西洋にとても近い。
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48:21
原因を、存在理由、その根を、 発見できるなら、
そのとき、それを根こそぎにして、 死なせること、萎れさせることが、
可能です。
または、あなたはそうしていない。 自分自身で発見していないのです。
(雨の音)雨は、世界の一定の 地方では、ありがたいものです。
彼らは、雨乞いをし、 雨にあこがれます。
ですね。
ここでは、それは永続的です。
(笑)
で、何でもその原因、 頭痛の原因、癌の原因・
・・
それはまだ発見されていません。
けれども、たぶんされるでしょう。
老衰の原因、恐れの原因。
特定の形の恐れではなく、 恐れの根、です。
原因を発見できるなら、 結果は何の意味もありません。
そのとき、原因は滅するでしょう。
50:02
それが、私たちがともに 見出そうとしていることです -
思考の原因は何なのか。
思考は、憶えたこと、記憶、イメージと
関連しています - 思考が築き上げてきた、 組み立ててきたイメージと、です。
これらの原因は、何ですか。
これは熟議であると、語り手には見えます - どうか、受け入れないでください。
(ローマで)教皇を選挙するには、三日間が 掛かりました。
私たちは、三日間も掛けなくていい。
これの原因は、何でしょうか。
それは経験でしょうか。
知識を与えるのは、経験でしょうか。
知識は、記憶として、 頭脳に蓄えられています。
その記憶が、考えることとして、 反応しますか。
考えることすべては、それに基づいていますか。 それは、さほどに単純でしょうか。
52:07
もし考えるのが、親近性に基づいていて、 考えるのが、記憶に基づいているなら -
もちろんです。
もしも記憶を持っていなかった なら、あなたは、考えないでしょう。
ですね?
きわめて単純でありましょう。
なぜなら、まさに単純さこそが・
・・ それはとても微妙です。
あなたは単純であればあるほど、微妙さは 大きくなる - 衣服の(質素さ)ではありません。
私がいうのは、そういう意味では ありません - 或る種のばかげた衣を着たり、
首に花輪を掛けるとか、それらではない。
それは単純さではない。
とても明晰で敏感で観察する頭脳を、持つ - 怯えていなくて、見守っているのです。
私たちは今すぐ、恐れに入るでしょう。
お許しください!
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53:27
で、考えることは、経験、知識、記憶に、 基づいていますか - 思考は、です。
で、考えるのは、いつも 知識に基づいています。
あなたは知識を持てば持つほど、考えます。
科学は、毎日、もっともっと多くを 付け加えています。
ですね?
それは、単純な棍棒で始まりました。
それから、それは弓矢になりました。
それから、それは銃砲になりました。
それから、究極は原子爆弾です。
それらは、蓄積された知識に、 基づいています。
ですね?
一歩一歩、または、急な飛躍。
しかし、やはり知識の分野の中です。
で、考えるのは本質的に - どれほど単純に聞こえようとも -
それは、経験、知識に、基づいています。
私たちは訊ねています - その考えるのは、止まりうるのでしょうか。
さもなければ、私たちは これに捕らわれています。
それはこういう意味です - 唯一つの記憶もない、唯一つの思考もない
状態は、ありうるのでしょうか。
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55:34
時の、思考への関係と、
男と女の間の関係、 夫、妻、子ども、
ガールフレンドなどの関係。
関係、近さ、
互いへの感情 - それは、思考に 基づいているのでしょうか。
どうか、私たちは この質問を、しています。
問い自体が、重要です。
答えが、ではない。
で、関係、思考と時。
ですね?
私は、あなたと結婚しています。
様々な理由 - 性的な魅力、
依存、仲間付き合いとその他すべてのためです。
56:52
私たちは一日か、十年か、 十五年か、百年の間、
互いに一緒に生きるにつれて、互いに慣れます。
私たちは、互いについて、 記憶、イメージを築き上げてきました。
これは明白でしょう。
その記憶、それらイメージが、 実在です -
その女や男や子どもたちではない。
実在は、私が彼女について 築いてきたイメージです。
彼女は、私について イメージを、築いてきました。
これらイメージが、実在です。
機能上の実在ですが、
実際の関係ではありません。
57:46
で、思考は、私たちの生の 基礎です - ビジネス、
鉱山の採掘とか、 研究所で働くなどなど、です。
司祭者たちが、 組み立ててきた物事すべて -
儀式、信念、聖餅(ウェハース)と、 寺院とモスクの中に
あるすべての物事は、すべて 思考により、組み立てられています。
ゆえに、思考は、 知識に基づいているので、
永久に制限されて、部分的です。
完全な思考はないのです。
それは不可能です。
ですね?
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58:52
で、思考は完全に 制限されているという事実への
認識がないのなら - あなたの礼拝、あなたの祈り、
この導師やあの導師への所属 - 後生です。
これらは、ひどく些細です。
どうか、私に怒らないでください。
それで、思考は制限されているなら - 明白にそうです。
あなたは、無制限のものについて考えるかも しれませんが、それはやはり制限されています。
あなたは、永遠のものと それらについて、考えるかもしれません。
それはやはり、思考により 組み立てられています。
59:50
私たちは言っています - その思考、時は、 終わりになりうるでしょうか。
たぶんあなたは、一度もこの問いを 訊ねたことがない。
あなたは、
その問いに向き合っていますが、 それに答えられません。
なぜなら、あなたたちは、自分自身を 深く掘り下げたこと、検討したこと、
見つめること、観察することが、ないからです。
それは、分析より違っています。
自分の生と頭脳の深い谷を、 ただ観察する。
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1:00:39
そこから私たちは、恐れとは何かへ 入り、探究すべきです。
恐れは、時と思考に 関係しているのでしょうか。
恐れとは何でしょうか。
病気であることへの恐れ。
私たちはみんな、病気だったことがある でしょう。
何らかの時に、です。
地球は、医師と錠剤で、混雑しています。
私たちはみんな、 病気だったことがあります。
病気の価値や意義は、何でしょうか - あなたは、それにとても怯えていますが。
どうか・
・・
病気であることの意義は、何でしょうか。
それはそもそも、何か 意味があるのでしょうか。
または、恐れが病気に介入するとき、 あなたはそもそも、何かを学ぶでしょうか。
または、その病気を、まったく客観的に 見つめられるでしょうか。
即時に、自己をその痛み、 その病気と同一視し、
それから、健康になりたがるなどして、 それと闘わないで、です。
1:02:29
で、病気であることへの恐れ - 病気を、末期の病いの極端な地点まで
許さないなら、それは、 大きな意義を持っています。
それは、大変多くを標示します。
それは、多くの物事へ、扉を開きます。
しかし、恐れがあるとき、 扉すべてが、堅く閉ざされています。
私たちは今、また探究しています - 恐れとは何でしょうか。
楽しみを失う恐れ、 明日への恐れ、暗闇への恐れ、
自分の夫や妻への恐れ、 自分の導師への恐れ。
もちろんです。
さもなければ、 あなたは、彼らに従わないでしょう。
彼独特の覚りを得ないことへの恐れ。
考えてみてください - 導師が覚りを得ている、と。
1:03:51
とても多くのことへの恐れ - 隣人、戦争、テロリスト。
そして、司祭者たちが、 キリスト教では、二千年の間、
組み立ててきた物事すべて。
古代インドが、三千年から五千年、
組み立ててきた物事すべて。
インドには、あらゆる種類の とてつもない伝統が、あります。
私は今、それに入らないでしょう。
それらは本当に、まったくとてつもない - それらの幾つかは、です。
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で、天国と地獄の恐れが、あります。
私たちの生の、最も些細な物事の恐れ。
で、私たちはともに、恐れの原因を 見つめようとしています。
私たちが言いましたように、 自分自身で原因を、発見できるなら、
そのとき、原因を扱えます。
そのとき、原因を終わらせられます。
あなたは、よく気をつけて原因を
観察するなら、その原因こそが、 終わりになります。
あなたは、それについて、何もしなくていい。
ただ原因を観察するだけです -
何か外的なものを、観察するように。
数分前に、(テントの)キャンバスに
雨が聞こえたように。
あなたは、それが聞こえました。
それが静かに聞こえるなら、それは何かを語ってくれます。それは、自らの音楽を持っています。
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で、恐れの原因は、何でしょうか。
病気の恐れ、死の恐れ、 百もの小さな物事の恐れ。
恐れは、自由を抑制します。
何についても、何か恐れの分子が あるかぎり、自由はないのです。
それは、どこか他の所に、 探し求められるべきではありません -
平野を越えて、牧草地は、 さらに青かろうとも、です。
しかし、この恐れの増殖 - 地上でますます成長しています。
ここに真剣に座り、恐れの因果は何かを
ともに考慮し、ともに話をしているとき、 私たちは、それに入れます -
あなたが真剣であり、恐れが 終わることに関心があるなら、です。
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初めに私たちは、心理的な恐れを、 扱わなければなりません。
外的な恐れを、ではない。
それは後で来ます。
心理的な恐れが終わらされるなら - 完全にです - そのとき、全然、別に
物理的な恐れを、扱うでしょう。
逆の方からではありません。
私たちが、外的に恐れなくありたい ということは、明白でしょう。
ゆえに、私たちは分割します - 国々、信念、
教義と、それらの子どもっぽい事柄です。
しかし、私たちは、心理的、内的に 恐れの根が見えはじめるなら -
自分の恐れと分離した人物としてではなく、 全体としての恐れ、です。
なぜなら、この地上のあらゆる人間は、 恐れを経てゆくからです。
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導師たちさえも、司祭者たちさえも、
キリスト教の最高権威さえも、 彼らはみんな、恐れを持っています。
世界中で、あらゆる人間は、 恐れを持っています - 死について、
愛の欠如についてと、ああ、 何十も何十もの恐れを、です。
私たちは、恐れを持っているから、けっして 自由でない。
それで、私たちは、つくづくと
検討するのが相応しい - 分析的に、 ではありません。
なぜなら、そのときあなたは、
分析者と分析されるものを、分離するからです。
そのとき、葛藤が始まります。
ですね?
分割があるところ、 葛藤があるにちがいありません。
それは、自然の永遠の法則です。
鉱夫たちと、鉱山所有者たちとで 起きていることを、見てください。
分離した国々は - イングランド、フランス、 ドイツ、ロシアのように -
闘い、闘い、闘っています。
アラブ人とユダヤ人。
ご存じでしょう。これは、とても明白です。
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で、どの国にも所属しない。
もちろん、パスポートは 持たなくてはいけません。
語り手は、インドのパスポートを 持っていますが、彼はインド人ではありません。
彼には、外交官パスポートが 与えられました。
しかし彼は、その外交官のを、 それが所属するところへ、置いてきました。
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で、恐れは、私たちのみんなに共通です - 痛みのように、心配のように、悲しみ、不安定、
権力、地位、威信への要求のように。
あらゆる人間は、 この恐れの種子を、持っています。
私たちは、特定の恐れについて 話していません。
ですが、恐れの内容全体、
その根を掴むとき、 あなたは、特定のものを
扱えます - それは、まったく 不必要になるのです。
で、恐れの根は、何でしょうか。
どうか、語り手が説明するのを、 待たないでください。
それの根 - なぜなら、それは 私たちの中にあるからです。
天国にとか、
司祭者たちに、とか、人の思考が 組み立ててきた物事すべてには、ありません。
それは時でしょうか。
それは思考でしょうか。
それは、何か知られていない 要因でしょうか。
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それが、知られていない要因であるなら - すなわち、人にとって二百万年かそこらの間、
存在してきたこの事実に、 人は祟られているし、
その長い進化は、この問題を解決してこなかった。
人は、それから逃避してきたのです -
神々を崇拝したり、誰かに従ったり、 それらの事柄です。
で、今朝、私たちは この大天幕の下に座り、
ともに熟議しあっていますが、原因を 見出し、それを終わらされるでしょうか。
今それを終わらせる。
明後日にではない。 あなたは、今
それを終わらせるなら、驚くほど自由な人、 男や女です。
それが何であっても、です。
そのときあなたは、本当に自由です。
その自由のみが、真理へ扉を開けます。
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で、私たちは訊ねています - それの根は、何でしょうか。
それは思考でしょうか。
それは時でしょうか。
どうか、語り手の言うことを、 何一つ受け入れないでください。
彼の言葉や、彼の身振りや衣服に、 従わないでください。
それに入ってください。
何を発見するにも、熱情を持つこと、 あのものすごいエネルギーを持つことが、
必要です。
ただの受け入れとそれらと、
あなた自身を誰かへ 手渡すだけではない。
それは、それら未熟なこととは、 何の関わりもありません。
なぜなら、それは とても深刻な問いであるからです。
で、思考と時が、責任があるのでしょうか。
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または、時は思考でしょうか - それは一つであり、分離していない。
それが、その根でしょうか。
それが、その根なのでしょう。
私は、自分は、死を恐れていない - 終わることへのその恐れに、
私たちは、別の時に 入るでしょう -
その終わることが起きるなら、 知られたものについて、怯えます。
で、考えることが、根でしょうか。
考えることは 時ですが、それがそれの根でしょうか。
もちろんです。
指し示すなら、それは明白です。
もしも私たちが考えなくて、時がなかったなら、 死はなく、恐れはない。
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で、問いが生じます。 思考・時は、止まりうるのでしょうか。
そのときにだけ、 恐れに終わりがあるのです。
しかし、それは他の人から受けるのではなく、 自分自身でそれが、見えなくてはいけません。
私たちは、物乞いではありません。
誰も、与えたり、 受けたりしていません。
誰もあなたに、動くよう、 手を差し出していません。
あなたは、このエネルギーを持たなくてはいけません。
そのエネルギーは、自らの能力を持っています。
で、語り手は言っています - あなたは それを、受け入れたり、拒否しなくていい。
ただ、彼が言うのを、観察してください - すなわち、考えることと時がないとき、
恐れは心理的に完全に、全く 終わりうる、ということを、です。
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その問い自体、です。 恐れの原因を見出すように、です。
それを自分自身で見出して、 その原因を保つ、それとともに居る。
そのとき、まさに居ることこそが、 自らのエネルギーを、持っています。
しかし、あなたが逃げ去るなら、それは、 あなた自身とゲームをやるのに、似ています。
で、今、心理的に、完全に この恐れを終わらせることは、
可能でしょうか - そのため、 あなたは自由な人であるように、です。
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私たちは、他のことについて 話すでしょう - 楽しみ、悲しみ、
死と冥想、宗教などのように、です。
しかし、恐れが、完全に 終わりにならないなら、
他のことは無意味です。
あなたは、冥想で座り、 特別の衣を着、或る人物に従う
かもしれません。
それらは、何の意味もありません。
意味があるのは、恐れが終わることです。
あなたが原因を - 思考と時のように - 発見し、それとともに留まるとき、
それを保ち、それとともに居て、 それを手から逃がさないとき、
それへの観察こそが、その心理的な恐れが
終わることなのです - その中には、 何へも執着がありません。
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1:19:39
長く話してしまって、すみません。
立ち上がってもいいですか。
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