BR85T3 - 利己に対する自由の関係

第3回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年8月31日
テキストのみのバージョン
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1:03
あれらの人々は、 協力とお金への訴えをしました。
語り手もまた、その訴えに 加わってもいいですか。
私はあなたたちに対して、一緒に 物事について話し合うよう、訴えます。
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1:34
私たちは、時、思考と恐れについて 話してきました。
私たちが言いましたように、 これは、特定主題について、
情報を与えたり教示するのを、 意図した講義ではないのです。
これは、あなたと語り手との間の会話です。
ともに私たちは、物事すべてを、 見つめようとしています -
私たちの生、日常生活において 重要であると考えられる物事を、です。
ビジネスマン、医師、教授や 科学者などとしての
私たちの生だけ、または、あなたがその集団に 所属したいなら、導師たちの(生)だけではない。
私たちは、他の人たちに関心はありません。
むしろ私たちは、会話を しようとしています -
そこに、権威はありません。 そこに、専門家はいません。
3:11
私たちはみんな、素人です。
私たちは、過去二回の 講話と質疑応答において、
話し合ってきたことを、 ともに話し合おうとしています。
今朝はかなり雨降りで、 風が吹いています。
残念です。
昨日は、うるわしい一日でした。
私たちは今朝、ともに 話し合おうとしています -
自由、利己、楽しみ、痛み、 悲しみと愛について、です。
時間があるなら、私たちは 死についてもまた、話すでしょう -
それがあなたにとって、 だいじょうぶであるなら、です。
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4:22
以前、言いましたように、 私たちは、なかなか真剣な集団です。
少なくとも、語り手はそうです。
彼は、ここ七十年以上の間、 それに携わってきました。
(今週末の)二回の講話に出席したり、 何か活字を読むだけでは、
私たちの問題は、解決されないでしょう。
それは、私たちを助けないでしょう。
語り手は、あなたを助けようとしていません。
どうか、それを確信してください。
語り手は何も権威でないこと、ゆえに、
彼は、あなたが助けてもらうために頼れる 人物ではないことを、得心してください。
あなたを助けてくれるかもしれない 人たちは、他にいます。
5:27
あなたは、助けてもらいたいなら - もし 大変尊敬をこめて指摘してもよろしければ -
自分の問題を、解決してもらうよう、 他の人たちに任せます。
彼らは、彼らの願望、利己、 権力、地位、
それらの事柄に沿って、 それらを解決するでしょう。
で、私たちは、普通の素人であり、 ともに話し合っています。
私たちは、ともに探究し、
事実に、向き合おうとしています - 事実についての観念に、ではなく、事実に、です。
イデオロギーに、ではない。
それらは無意味です。
理論、思弁について、ではない。 誰が光明を得ているとか、いないとか、
6:34
誰が何であるか・・・あなたより神に近いとか、 ではない。私たちはともに、
この自由の問いへ、 入ろうとしています -
自由は時へ、時は思考と行為へ、 どんな関係があるのか、です。
なぜなら、私たちは、行為によって生きる からです。
私たちのすることすべてが、行為です。
特定の行為ではない - ビジネスの世界でも、
科学の世界でも、哲学と呼ばれる 思弁的な世界でも、です。
むしろ私たちは、物事をありのままに、 見つめようとしています。
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7:28
世界には、大変多くの 乱脈、無政府状態が、あります -
混沌、無秩序。
誰がこれを、もたらしたのでしょうか。
これが、私たちの第一の問いです。
私たちが世の中に持っている乱れ すべてに、誰が責任があるのでしょうか -
経済的、社会的、政治的などに、です。
すべてが戦争へ、繋がっていきます。
戦争は、つづいています - 今、ひどい戦争が、です。
私たちは、私たちの一人一人は、 知的にではなく、実際に、日常生活で、
私たちが住んでいる家について、 悟るのでしょうか -
外側の人が建てた家だけではなく、 内側の家も、です。
8:44
私たちは、それがどれほど 無秩序で、矛盾しているのか、
自らがどれほど自由を持って いないのかを、悟るのでしょうか。
自由(フリーダム)という言葉はまた、 (語源的に)愛をも、含意しています。
あなたが好きなことを、好きなとき、 好きなところで、する自由だけではない。
私たちは、この地上に生きています。
私たちのみんなが、です。
一人一人が、自分の自由を、 探し求めています - 自分の表現、
自分の充足、覚りへの自分の道を、です。
それが何であっても、です。
自分の特定の形の宗教、 迷信、信念、信条と、
それに伴う物事、政治的、宗教的になど
権威、位階制度の権威に伴う 物事すべて、です。
9:59
で、私たちは、ほとんど 自由を持っていません。
その言葉は、あらゆる精神病質者と あらゆる人間が、
自由に使っています - 彼が(共産主義の ソビエト・
)ロシアに生きていても、です。
そこでは、圧政がすさまじい。
または、いわゆる民主主義世界にいても、です。
あらゆる人間は、内的に、 意識的か無意識的に、自由が要るのです。
世界のあらゆる樹は、成長するには、 自由が要るように、です。
威厳、愛の性質の その感覚を持つには、です。
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11:02
自由の、利己への関係は、 何でしょうか。
どうか、私たちはともに、物事について 話し合っています。
指摘してもよろしければ、
あなたは、語り手に聞いていません。
演壇の上の人に、聞いていません。
彼はまったく重要ではないのです。
語り手は本気で、これを言っています。
彼は、語り手は、重要ではありません。
しかし、おそらくあなたは、彼が 言うことへ、耳を傾けるかもしれません
- とても真剣に、物事について 話し合っている二人の友のように、です。
私たちは、訊ねています - 自由と利己の間の関係は、何なのでしょうか。
あなたは、自由と利己の間で、 どこに線を引くのでしょうか。
12:19
利己とは何でしょうか。
それの、思考へと時への 関係は、何でしょうか。
どうか、これらすべての問いが、 自由に関与しています。
自由は、自分の野心、貪欲、妬みなどを 充足させることではないことに、
留意しておいて、
自由に関して、 利己の関係とは、何でしょうか。
利己とは何かを、ご存じですね?
利己は、私たちの生のあらゆる石の下に、 隠れるかもしれません。
ですね?
私たちは、ともに話し合っていますか。
私たちはともに話し合っていることが、 あなたはすっかり確かですか。
誰か上の人ではなく、私たちは みんな、同じ水準に座っています。
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13:46
利己とは何でしょうか。
意識的、意図的に、それを 探究できるでしょうか -
どれほど深く、どれほど表面的で、 どこでそれが必要なのか、
どこでそれは全的に、完全に まったく持ち場がないのか、です。
質問を理解できますか。
私たちはともに、問うています。
利己は、世の中に 大変多くの混乱を、もたらしてきました
- 大変多くの無秩序、混乱、葛藤を、です。
その利己が、 国と、共同体と、家族と、
神と、信念、信仰などと同一視されようと、
それはすべて、利己です。 覚りを探し求めること -
15:05
後生です。まるで、あなたが それを探し求められるかのようです。
また、その探求にも、利己があります。
また、あなたが家を建て、保険に入り、
抵当権を持つときも、利己があります。
利己は商業的に、奨励されます。
また、すべての宗教によっても、です。
彼らは、解放について話しますが、 初めに利己です。
私たちは、この世界に生きなくては いけません。
私たちは、機能し、
お金を稼ぎ、子どもを持ち、結婚するのか、 しないのかでなくてはいけません。
二十世紀のこの世界に 生きていて、私たちの利己は、
どれほど深いのか、 どれほど表面的なのか。
これを探究することが、重要です。
利己は人々を分割します。ですね?
16:30
私たちと彼ら、あなたと私、 あなたの利害に対立する私の利害。
私の家族の利害は、あなたの 家族の利害に対立する。
あなたの国、
私の国 - そこに、私は 大変多くの情動を付与し、物理的な利益を
投資してきました。
そのために、私は進んで 闘い、殺そうとしています。それが戦争です。
私たちは、観念、信条、 信念、教義へ、儀式などへ
利益を投資します - この循環全体です。
その根には、大変多くの利己がある。
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17:38
さて、この世界に日々、明晰に、 生きられるでしょうか -
それが必要であるところでは、利己をもって、です - どうか、私は気をつけて、この言葉を使っています -
それが物理的に必要であるところでは、 です。
心理的、内的には、
それは全的に放棄されるでしょうか。
それは可能でしょうか。
理解できますか。
私たちは一緒にいますか。
私たちの一人一人が、ここに、 きわめて複雑な社会に生きていて -
競争的で、同意と不同意により分割され、
信条が他の信条と対立し、 つづいているこの大きな分割。
個人的にだけでなく、集団的にも、です。
私たちは、この世界に生きていて、 利己と非利己との間で、
どこに線を引きますか - 心理的に、 いかなる利己もないように、です。
19:21
私たちは、それをできますか。
あなたは、それについて果てしなく 話をできます。
私たちは、講話と講義へ行って、
誰かから聞くのが好きであるからです。
しかし、 ここで私たちは、ともに観察しなくてはいけません。
あなたは、互いに聞かなくてはいけません。
言語的にだけでなく、また深く、内的に、
広汎に、見出さなくてはいけません - 自分の利己だけではなく、
広汎に、全体的に、 どこに利己があるかを、です。
内的、心理的に
利己のどの種のつぶやきもなく、 生きられるでしょうか。
自己、「私」のどの種のも、です - それは利己の本質です。
他の一人は、これは利己である、 これは利己でないと、
説明したり、言ったりできません - それ(をするの)は、ひどいでしょう。
20:51
しかし、自分自身で見出せます -
よく気をつけ、一歩一歩 ためらいながら
探究し、どの結論にも到らずに、 自分自身で見出すのです。
なぜなら、私たちを助ける であろう人は、誰もいないからです。
私たちはこれについて、完全に確実でなければならない と、私は思います。
誰も私たちを助けようとしていません。
彼らは、ふりをするかもしれません。
あなたは、ふりをするかもしれませんが、
実際は、これら二百五十万年か四万年の後、
私たちは、いまだに助けを、探し 求めています。
私たちは、はまり込んでいます。
私たちは、自らのつなぎ紐の 果てに、来つつあります。
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22:05
利己への探究において、私たちは また問いへも、入らなくてはいけません -
自由とは何か、です。
自由(フリーダム)は、 (語源的に)愛を含意しています。自由とは、
無責任や、自分のしたいとおりのことを する、という意味ではありません -
それは、世の中にこんなに乱れを もたらしてきたのです。
また利己は、思考へ どんな関係が、あるのでしょうか。
私たちは先日、時の問いへ入りました。
また、思考、考えることへも、です。
私たちはそれへ、短く入りましょうか - 時と思考は何かへ、です。必要ですか。
23:18
それを何度も何度も反復するのは、 何の役にも立ちません。
それは、かなり単調になります - 少なくとも、語り手にとっては、です。
で、彼は、言葉を変えなくてはいけません - 特別の述べ方、
語句の間の静寂。
語り手にとって 退屈でないとは、それらが含意されています。
しかし、あなたは単に 言葉、言葉、言葉を
聞くだけで、行為しないのなら、 私たちには、灰だけが残るでしょう。
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24:13
私たちが言いましたように、 時は、頭脳の進化の
一部です。
二百五十万年です。
時はまた、日の出、日の入りです。
時はまた望みです - 私は望む。
自分は望む。
時はまた、憶えていることです。
時はまた、自分が集めてきた すべての知識、経験です。
それは、科学的、個人的、 集団的、人種的などの知識です。
時は伝統です。
思考は、知識に基づいています。
知識は、経験から出てきたものです -
その経験が個人的でも、集団的でも、
人種的でも、伝統的でも、 それはやはり知識です。
知識はいつも制限されています - 無限の未来においても、
無限の過去においても、です。
なぜなら、 知識は本質的に、経験をとおして、
組み立てられるからです - すでに知られたものへ、 もっともっと多く付け加えています。
26:09
それが、科学者たちがやっていることです。
それが、私たちがやっていることです - もっともっと多く付け加えています。
で、知識は、いつも制限されています - いつも、です。
過去、現在、未来。
時は、知識と呼ばれるこの蓄積の過程です。
私たちは、月へ行くには、時が必要でした - それを考えぬくための時、
集団的に協働するための時など、です。
で、時・
思考は、分離していません。 それらは、単一の動きです。
だいじょうぶですか。
私たちは一緒に進んでいますか。
または、それはすべて、 言葉だけでしょうか。
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27:06
で、時は、過去、現在、未来だけではない。
現在は、過去を修正しつつある。
ゆえに未来は、
明日の未来は、今日の私なるものです。
で、今、それは、あなたがそこに座っている 瞬間です - あなたが聞いていながら、
おそらくあなたが、注意を払っていながら、です。
今は、すべての時を収容しています。
で、本当に深く、深遠に それを理解するなら、
そのとき変化は、全然無意味です。
あなたは、今のあなたなるものです。
それとともに留まること。
「まあ、私はそれを 変化させたいと望む」、「私はこれになるだろう。
私は暴力的であるが、私は後で 非暴力的になるだろう」と言わずに、です。
28:27
私たちが話していることを、理解できますか。
私たちは一緒にここにいますか。
思い悩まないでください。
それはきわめて単純です。
あなたが、それを見つめるようになると、 それは、本当にひどく単純です。
私は今日、暴力的です。
私は、ここ二百五十万年の間、 暴力的でした。
あなたもまた、そうでした。
私たちは暴力的だったのです。
ですね?
私たちは、言葉でもって、 説明でもって、論理的な結論でもって、
それを覆い隠そうとしてきました。
しかし私たちは、いまだに暴力的です -
互いに殺し合い、互いに傷つけ合っています -
物理的にも、心理的にも、です。
競争的で、野蛮です。ですね?
私たちは、暴力的な人々です。
29:30
世界でつづいていることすべて -
爆弾を投げること、テロリスト。
動物たちへ、他の人間たちへ
起きつつある、怖ろしいことすべて。
あなたは、これらを知りませんか。
いいですね?
私たちはこれらを知っています。
私たちは暴力的な人々です。
今、変容がないならば - 今、この瞬間に、
この秒に、です - 明日、あなたは やはり暴力的になるでしょう。
ですね?
それは論理的で、合理的です。
気になさらないなら、これに、 少し注意を払ってください。
私は、今、怒っていて、憎んでいて、敵対的で あるなら、明日、同じになるでしょう。
ですね?
それは明白です。
で、今は、過去、現在、未来を 収容しています。
30:55
で、どんな変化も、時の中での動きを、 含意しています。ですね?
「私はこれであるが、 私はあれになるだろう」
それは、時という意味です。
それは、私は本当に、時の意義を 捉えてこなかった、という意味です。
しかし、私は、「有るもの」を離れる 単一の動きもなく、
完全に、それとともに留まるなら、 私が観察し、保ち、一緒に居るものは、私です。
暴力は、私から分離していません。
私は暴力的です。
怒りは、私から分離していません。
私が怒りです。
貪欲、妬み - 私がそれです。
しかし、私たちはそれを分離してきました。
ゆえに、葛藤があるのです。
これはすべて、とても単純です。
私が入らなくても・・・
それは、私たちの間で、 幾らか明らかでしょうか。
32:09
私が、あなたにそれを 明らかにしつつある、のではない。
あなたは、自分自身で事を明らかに しつつあります。
だから、それは、あなたが
言われつつあることを、理解するとか、 語り手が自らの言いたいことを説明する、とか、
あなたが、「私はあなたを理解できない」 と言える、ということではない。
あなたは、語り手を理解しつつあるのではなく、 あなた自身を理解しつつあるのです。
あなたは、自分自身を見つめています - あなたは、憂鬱すぎていないなら、
怠けすぎていないなら、表面的な物事に 関心を持ちすぎていないなら、です。
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32:54
で、時・思考、利己 - このすべての循環には、
自由がないのです。
明白です。
利己があるところ、 けっして自由はありえません。
それは明白です。
単純です - あなたが それを見つめるなら、です。
それは、単純であればあるほど、微妙です。
とてつもない深さを持つのです。
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33:37
私たちはまた、取得したがり、 楽しめて、満悦できる過程全体についても、
ともに話し合うべきです。
いいですか?
あなたは進んで、これらに 入ろうとしていますか。
「うん!
」と言わないでください。(笑)
それは、金を見つけるために、 大地を掘るのに、似ています。
あなたが、大地を引っ掻いて、表面的に 引っ掻いて、金は見つかりません。
あなたは、掘らなくてはいけません。
きわめて深々と掘り下げなくてはいけません。
空中へ、空へ上がるのではない。
先日、私たちが言いましたように、
あなたは全人類です。
で、あなたは、自分を助けてくれる他の人を、 探さなくていいのです - または、自分が掘ったり、
自分自身に入ったりするのを助けてくれる人を、です。
あなたはそれです。あなたは人類全体です。
なぜなら、あなたが考えることを、 数百万の他の人たちが、考えるからです
- 考える。彼らが何について 考えるかではなく、考えること。
35:10
考えることは、人類すべてに 共通しています - 彼らが科学者であっても、
仏教者やチベット人であっても、 神のみぞ知る他の何であっても、です。
彼らはみんな、考えます。
彼らはみんな、楽しみを持ちます - 性的にとか、執着での、所有での楽しみ、
地位、金銭、栄光、名声、 それらの事柄を達成する中での楽しみです。
すべての人間は、どんな人種、色、 先入観、宗教であっても、彼らはみんな、
楽しみ、痛み、心配、不安定と 悲しみを、経てゆきます。
ですね?
で、それは、あなたの特定の悲しみだけではない。 それは、あなた自身の
36:23
特定の楽しみではない。 それは、人類の楽しみです。ですね?
私たちはいつも、楽しみを探し求めてきました - 物理的に、心理的に、です。
私たちはそれを
そこに見つけないなら、何か地球外のものを 発明します - 緑の小人たちを、です!
それについて笑ってすみません。
取得、所有での楽しみ。
私はあなたを所有する。
あなたは私を所有する - それをよく考えてください。見つめてください。
その楽しみは、いつも 恐れで曇っています。
で、楽しみ、恐れ、利己、時、
思考は、すべて一つの動きです。 分離した動きではない。ですね?
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37:55
また私たちは、探究すべきです - 苦しみは何なのか、
なぜ人は、時を越えた時から 苦しんできたのかをも、です。
彼らは、苦しみから逃避するために、 地上で、あらゆることをやってきました
- 物理的な苦しみだけではなく、 はるかに重要な、心理的な苦しみからも、です。
すべての宗教にもかかわらず - 一つの特定の宗教は、死、苦しみを
崇拝します。
キリスト教でやられるように、です。
他の宗教は、他の逃避を持っています。
彼らはけっして、
人は、男や女はけっして、 この問題を解決したことがないのです。
彼らはそれに耐えます。
それに忍耐します。
彼らは、それにより不具になる。
彼らは、精神病になる。涙を流す。
苦しみは、様々な形で 私たちみんな全部に、共通です。
39:43
それは誇張されるのか、
あるいは、あなたは、ただ涙を流し、 それを自分自身に取っておき、続けていく。
そしていつも、この互いの 殺し合いがある。
ですね?
何千人、何百万に何百万もの人が、 涙を流してきました。
そのすべての残忍さ。
戦争の狂気、軍備の増強、
他方、何百万に何百万もの人が、飢える。
私はそれらに入らなくてもいい。
それはすべて、きわめて明らかです。
一つの民族、国家は、 もう一つの民族、国家と闘っている -
あなた自身のような、もう一つの人間の 集団と、です。
あなたは、自分自身を
イギリス人、インド人や他のラベルで呼ぶ かもしれませんが、あなたは初めに人間です。
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40:59
で、私たちは訊ねています - 戦争に終わりは、 苦しみに終わりは、あるのでしょうか。
私たちが家族として、共同体や派閥として、 民族、国家、宗教などとして
分離しているかぎり、 戦争に、終わりはない。
この分割は、いつも、永続的に 葛藤、抗争を、創り出そうとしています
- あなたと私、我らと彼ら。
これは、私たちが やってきたゲームです。
初めに部族的で、制限されている。
今やそれは地球的です。
で、私たちは自分自身に訊ねています - 悲しみに、終わりがあるのでしょうか。
真剣にこの問いを、 あなた自身に訊ねてください。
なぜなら、悲しみがあるところ、 愛はありえないからです。
同情、哀れみ、忍耐、共感は、 ありえます。
しかし、寛大さ、哀れみ、同情は、 愛ではありません。
愛は、それらを収容しているとか、 それらを持っているかも
しれませんが、諸部分は全体を作りません。
あなたは、同情、共感、優しさ、
寛大さ、友情を収集できますが、 それは愛ではありません。
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42:56
で、悲しみに、終わりは あるのでしょうか。
これは、それに入るために、無量の、 大変多くのエネルギーを、必要とします
- 「まあ、それについて考えよう」 と言うだけではなくて、です。
考えることは、悲しみの 要因なのかもしれません。
私の息子は死にました。
私は、 彼の写真を銀の額縁へ入れて、
(暖炉の)マントルピースやピアノの上に、 置いています。
私は憶えています。
憶えているのは、思考の過程です。
もちろんです。
いかに私たちが一緒に日の入りを 楽しんだのか、
いかに私たちが、林を歩き、笑い、スキップ したかを、考える。
そして、彼は去りました。
しかし、彼の思い出は、つづきます。
その憶えていることが、 悲しみの要因なのかもしれません。
私は、息子が死んだこと、 去ったことを、認めたくありません。
44:31
そういう事実を認めることは、 まったくのさびしさを、認めることです。
私たちは、まったく自分一人であるとの この事実に、向き合いたくないのです。
それで、私は他の人を探します。
私は、自分の幸せ、満足のために、頼ります -
性的に、またはその他で、です。
他の人を頼みにします。
私は同じゲームを、何度も何度もやります。
しかし、私は悲しみを終わらせていません - 私、語り手はそうではないが、
私たちは、悲しみを 終わらせていません。
悲しみは、自己憐憫、利己だけではなく、
また、私が持っていたものの喪失です - 喪失。
充足しえないこと。
何か私がそのために 働いてきたことを、達成しえないこと、
獲得しえないこと - 物理的にだけでなく、 心理的に、内的にも、です。
46:07
このすべてともっと多くが、 悲しみに、含蓄されています。
私たちは、自分自身に訊ねています。
誰もあなたに、この質問をしたり、
この挑戦を要求したりしていません。
あなたが自分自身に、これを訊ねています
- 悲しみは終わりうるのかどうか、です。
自分自身の悲しみ - 自分自身の中に それがあるところ - だけではない。
また、人類の悲しみも、です - あなたはそれによっています。
それは、他の一人を殺さない、心理的に 他の一人を傷つけない、という意味です。
そうですよ!
私たちが言いましたように、悲しみがある ところ、愛はありえません。それは事実です。
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47:18
で、私たちは、探究すべきか、または見るべきです。 探究ではなく、見る - 愛とは何でしょうか。
その言葉は、こんなに使われ、 唾を吐きかけられ、汚され、醜くされてきました。
「私は自分の国を愛している」、「私は神を愛している」、「私は献身している。
私は愛のために祈る」と。
ですね?
「私は愛されていないが、 愛されたい」 - 愛の詩歌。
愛は感受でしょうか。
どうか、あなた自身に、これらすべての 問いをしてください。
愛は、楽しみの継続と思い出でしょうか。
愛は欲望でしょうか。
48:37
欲望とは何かを、知っていますか。
短くそれに、入ってもいいですか。
欲望とは何でしょうか - あなたは、それにより 駆り立てられ、引き裂かれ、切り裂かれます。
欲望と呼ばれるそのものは、何でしょうか。
それを抑圧するのではなく、それを変異させたり、 それに何かをするのではなく、
欲望の動きとは何でしょうか。
それはどのように、訪れるのでしょうか。
あなたは、自分自身に これら問いをしていますか。
または、あなたは、語り手に 説明してほしいのでしょうか。
後生です!
それに入りましょう。
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49:43
私たちは、感受によって生きます - 物理的な感受でも、心理的な感受でも、です。
感受は、応答の一部、比較の一部などです。
感受。
私は感じる、感受する。 私は雰囲気を感受する - 良い、悪いと。
感受。
ですね?
その感受は、見えること、 触れること、聞こえることをとおして、
訪れます。
そのとき、感受の後、 何が起きますか。
さあ、みなさま!
思考が入ってきて、その感受を イメージとして使います。
ですね?
私は、すてきな住宅や庭を、見る。
または、すてきな絵画や家具や、
すてきな女性を、です。 感受がある。見える、観察する。
51:08
観察する。接触、そのとき、 感受が来ます。
感受があるのでなければ、私たちは麻痺しています。
私たちのほとんどが、そうであるように、です!
私たちは、感受を持たないなら、 麻痺しています -
私たちの脚、手、その他すべてにおいて、です。
で、感受。
そのとき、何が起きますか。
思考は感受を取る。
それを イメージに作りかえる。ですね?
私は、あなたが美しく着飾っているのが、 見える - 清潔で、健康的で、
明るく、良い。
良い頭脳と その他すべて。
私はそれが見える - あなたの話し方、 あなたのこれとあれのやり方など。
52:11
そのとき思考は、「私は彼のよう、 彼女のようだったらなあ」と言う。
その瞬間に、欲望が 生まれています。
ですね?
感受、そのとき欲望。
そのとき 思考が、その感受に形を与える。
感受と思考との間に、間隔があるなら、
そのときあなたは、はるかに それに入れます。
ですが、今ではない。
理解できますか。
私たちは幾らか、一緒にここにいますか。
ご覧ください。
私たちの困難は、私たちが 自らの思考において、とても複雑であることです
- 見出したがり、 いつも見て、見て、見ていて、
問題への答え、解決を見つけ、「私は どうやってこれをすべきか」ということです。
53:19
私たちは、けっして単純ではありません
- 物理的に(質素)ではない。
後生です! それを、幾らか食べ物をとるとか、
ほとんど衣食を持たないとか、一食を 食べるとかそれらに、還元しないでください。
あの種の食べ物は、何ですか。
何と呼ばれるのか・・・
私は、それの名前を、忘れてしまいました。
そうね、日本からのです。
それの名前は、何ですか。
聴衆: 長寿食。
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53:47
K: 長寿食。それです。
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53:50
それに熱狂する。(笑)
ヨーガ、その他すべてに 熱狂するように、です。
太極拳、そうね、私たちは戯れます。
私たちは戯れていません。
これは空想ではありません。
これは、何かあなたが 引っ掛かっていることです。
これは、私たちの生です。私たちの毎日の、 さびしく、醜く、小さな生です。
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54:37
で、愛とは何でしょうか。
憎しみと恐れがあるところ、 競争と比較があるところ、
順応、同意と不同意があるところ、 愛は、存在できるでしょうか。
これらに入ってください。
または、愛は、これらとは 何の関わりもないのでしょうか。
愛は、何か頭脳の中、 頭蓋骨の内側のものでしょうか。
または、それは、何か全然、 思考と時を越えたものでしょうか。
利己があるところ、愛はありえません。
明白です。
あなたは、これらを ご自身でご覧になれます。
そのとき愛は、悲しみへ どんな関係があるのでしょうか。
愛は、慈悲でありうるでしょうか - 私はあなたを 愛している、あなたは私を愛している、だけではない。
56:19
愛は、あなたのや私のではない。 それは愛です。
ですね?
私は結婚していて、子どもを持ち、 セックスする、その他すべてかもしれません。
それらの中には、優しさ、 寛大さ、礼儀正しさ、親切、
譲ること、忍耐があるかもしれません。
それらは、愛ではありません。
で、慈悲と愛は、分離していません。
それらは一つです。
そのように生きられるでしょうか。
理解されますか。
これを、自らの生に持てますか。
抽象的な瞬間に、とか、
あなたが自分一人で、ソファーに 座っていたり、森で散歩している
瞬間に、ではない。
ひらめき、匂い、香り -
すなわち、一秒間、あなたの存在全体を 変容させるように、見えるもの。
57:43
私たちは、その香りをもって、 日々の生を生きられるでしょうか。
というのは、あの慈悲は、 自らの智恵を持っているからです -
インドやアフリカへ出かけて行って、 何か伝道の仕事をしたり、
貧しい、極貧の人たちを助ける人の慈悲では ありません。
それは、愛ではありません。
愛があるところ、 絶対的な自由があります -
あなたが好きなことをするため、 自己主張をしたり、他人を改宗させたり、
その種すべての、 ばかげたことのためではない!
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58:40
で、その智恵は、 思考の智恵ではありません。ですね?
月へ行くには、大変多くの智恵が
要ります。
潜水艦を組み立てるには、 コンピューターを築くには、
ものすごくたくさんの智恵が、要ります。
ですね?
それは部分的な智恵です。
科学者、画家、詩人、 パンを焼く普通の人物 -
それは、部分の智恵です。
それは、完全な智恵ではありません。
あの全包括的な智恵、 あの智恵の性質全体は、
悲しみの終わりと愛とともに、 訪れうるのみです。
それは行為します -
思考と時によりもたらされた、 部分的な行為ではない。
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1:00:19
立ち上がってもいいですか。
または、じっと座りましょうか。
私たちは、手を取り合うことは できませんが、二、三分間、静かに座れます。
そうしましょうか。
聴衆: はい。
K: よし。
冥想するのではない。
(笑)
静かに座りましょう。
(長い休止)
立ち上がってくださるでしょうか。
それから、語り手は立ち上がるでしょう。
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