BR85T4 - 宗教的に生きる頭脳の本性

第4回公開講話
イングランド、ブロックウッド・パーク
1985年9月1日
テキストのみのバージョン
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0:55
語り手もまた、発表をしたいと思います。
あなたたちがそれを真剣に 取ってくださることを、願っています。
これは、リゾートではありません。
(学校の)水泳プール、 テニス・
コートがありますし、
(この集会は、)あまりに人気が出て、 あまりに大きくなりつつあります。
Kが話していることを、解釈しようと している人々が、います。
彼はいつも言ってきました - どうか、解釈しないで ください、と。
中断でなく、解釈をしないのです。
ですから、私たちがそれを、もう一つの リゾート、娯楽場にせずに、
それを、はるかに秩序だち、きびしくしようと していることに、どうか留意してください。
幾度も発表されてきましたが、 つづいているあの音楽 -
音楽とよばれるもの。 バーン、ですか。
2:31
ドラムをどんどん鳴らすことなどが、 昨夜、十時半まで、つづきました。
ですから、礼節を守り、他の人たちを気づかって ください。
また、指摘してもよろしければ、
Kはどこへ行こうとも、彼はお客です - 彼はインドに、アメリカに、ここにいても、です。
ですから、お客のように振るまわなければ なりません。
他の人たちを尊重し、
他の人たちに配慮し、 或る種の秩序を持って、です。
それが今なりつつあるように、あまりに 大きすぎるように、してはなりません。
私たちは来年、これらについて 何かをしようとしています。
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3:33
他のことについて、つづけてもいいですか。
私たちは、生の様々な問題について、 話していました -
私たちの日々の、単調で、やや楽しめる 生の、です。
それらは、恐れ、心配、
敵対などで満ちています。
私たちは、時・
思考の問いへ 入りました。
昨日 - それは昨日の朝でしたか?
ええ、やれまあ、すみません。
昨日の朝、私たちは、悲しみが終わることに ついて、話しました - それが何を含意するのか、
悲しみの本性は何なのか、すべての痛み、心配、
さびしさ、憂鬱、不安定。
それらが、悲しみに含意されています。
5:09
世界の一定の地方では、 悲しみ、痛みを崇拝します。
私たちはけっして、悲しみを終わらせる ことが、できませんでした。
様々な形での
自分の生の悲しみだけではなく、 また、世界全体の悲しみも、です。
つづいているひどい戦争すべて、 レバノンと南アフリカで起きていることと、
共産主義世界、全くの全体主義 -
そこでは、一定の線に沿って 考えるよう、強いられます。
双方での戦争の準備。
究極的には、原爆です。
それが、つづいていることです。
6:12
何百万に何百万の人が、 虐殺されてきました - 神の名、
平和、国、何か思想上の概念、 理論の名において、です。
これが、私たちの定めだったのです。
私たちは、 数百万年の間、これらに耐えてきました。
私たちは、長い進化をとおしてそうです - 私たちは、かつて粗暴で、残酷な蛮人でした。
それを、今何が起きつつあるかを、 見つめるとき、
私たちは、いまだに野蛮人です。
私たちはいまだに、内的に暴力的です。
内的に、他の誰でもなく、 自分自身に関心を持っています。
自分の楽しみ、問題などに、 関心を持っています。
7:21
私たちは世界であり、世界は私たちであることを、 私たちはけっして、悟るように見えません。
これは理論ではありません。
これは、 何かあなたが考えて、
イデオロギー的にとか、 ユートピア的な観念として、
結論に到ることではありません。
それは、日常生活での現実です。
あなたは世界です。
世界はあなたです。
私たちの何人が、この事実を悟るのか - 物理的な痛みを悟るように、
実際に悟るのか、と思われます。
私たちが愛情深く、 優しく静かであるとき、感じるように、です。
これは、明白な事実です - あなたは苦しむ、 残りの人類は苦しむということは、です。
8:42
あなたは暴力的です。残りの人類は、 苦しむし、暴力的です。
あなたは、自分自身のために何かを しようと意図し、それを充足したいとき、
暴力的になりつつあります。
残りの人類のように、です。
私たちは、これらすべての講話の間に、 これらへ入りました。
その間だけではなく、
過去七十年 - これを指摘して すみません。
また、今も、です。
私たちは、自分たちが 残りの人類であることを、
実際に感じません。
自らの心と頭脳に悟りません。
実際にこの事実を悟るとき - 理論でなく、観念でなく、
実際のこと、日々の事実を、です - そのとき、全然違った生き方が、あるのです。
10:08
あなたは、どの国、 どの宗教的集団、どの霊的権威にも、
所属していません。
または、Kが話して いることを、解釈したい人たちにも、です。
あなたは、自分がそうであること、自分が実際に 残りの人類であることを、本当に感じるとき、
けっして他の一人を殺さないでしょう。
けっして、心理的に、意識的や無意識的に、
または意図的に、他の一人を 傷つけたくないでしょう。
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11:05
どうか、これはすべて、きわめて深刻です。
それは、日曜日の集会のため、 お説教や講義のためだけではない。
私たちは一緒に、同じボートに乗っています。
私たちはともに、世界と私たち自身と、 世界への自分たちの関係を、
理解しつつあるのです - 私たちの責任、ではない。
残りの人類への私たちの関係、です。
あなたたちはみんな、よく食べ、 ちゃんと服を着て、住宅、アパート、すてきな庭か、
または、スラムに生活しているかも しれませんが、飢えている人々が、何百万に
何百万もいます。
幾つかの人種は、意図的に 殺されつつあります - 部族が殺されつつあります。
私たちは、これらを感じなくて、 それを観念、結論として、
単に受け入れるかぎり、 化け物じみた世界を、創り出そうとしています。
私たちはすでに、それを 創り出しつつあるのです。
私たちは、起きつつあることです。
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13:05
今朝、私たちは、他のことに ついてもまた、話をすべきです
- 私たちの生に関連して、です。
私たちは、慈悲、愛について 話をしました。
その慈悲は、
自らの智恵を持っています。
愛は、自らの智恵を持っています。
利巧な思考、計算、思い出の智恵ではない。
慈悲は、苦しみが終わるときだけ、来られる、 または、あるのです。
それがあるとき、です。
私たちはそれについて、 大変多く話をしました。
不幸にも、語り手は、それらについて 書物を公刊してきました。
それは、単に、彼が言ってきたことや
彼が言いたいことを憶えておくだけではなく、 あの慈悲の感じの実際、です。
それは、悲しみの終わりがあるとき、 来られるだけです -
実際に自らの存在に、自らの心、 精神において、自らが
残りの世界であることを、感じて、 どの派、どの集団、どの導師、
どの教会、モスクや寺院にも 所属していないとき、です。
14:48
自らは、これらを聞いたり、 これらについて読んだりするでしょう。
それについてKは、長い間、 話してきました。
あなたは、
「はい、すばらしいアイディアです。
彼はとても よい推理をし、論理的です。しかし・・・」と言います。
あなたはそれに、多くの「しかし」を、 付け加えられます。
私たちは、続けていき、それにより もっと多くの葛藤、抗争を産みます。
一つのことを聞く。
あなたは、同意するか、 不同意するか、それの真理が見える。
それに添って生きたいと思う。 それで、再び葛藤が始まります。
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15:46
で、私たちは、ここでのこれら 講話の間、葛藤へ大変多く入りました。
私たちは、葛藤が存在するかぎり、 愛はありえない、と言いました -
男と女の間、人々、民族、 共同体、飛び地などの間に、です。
私たちの頭脳は、長い年と時をへて 進化してきましたが、その頭脳は、
とてつもない能力を持っています。
一人一人の 頭脳が、とてつもない能力を、持っています。
私たちはそれを、テクノロジーの世界、 コンピューターの世界で、使ってきました。
私たちはけっして、心理的な世界を 見つめたことがありません。
そのほうが、はるかに重要です - 主観的なもの、
内的に進んでいる、心理的な過程全体です。
17:09
私たちはけっして、それを見つめた ことがなく、それに入ったことがないのです
- 他の人たちに応じて、ではない。
Kを含めても、です。
私たちはけっして、そうしなかった。
または、表面を皮相的に引っ掻いてきたのです。
ゆえに私たちはけっして、自分自身に、 根源的な問いをしないのです。
私たちは今、ともに 物事について、話し合っています。
語り手が何かを言っていて、 あなたは、ただ聞く。
あなたは、
テントを去るとき、それについてすっかり忘れ、 十年後にそれを拾い上げる、ということではない。
これは、あなたの生と私の生です。
自分の生を真剣に
扱いたいのなら、または、軽薄にとか 普通にとかなら、それは、あなたしだいです。
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18:34
私たちは、自由についてもまた、 大変多く話しました -
心配、悲しみ、痛み、 生の苦労すべてからの自由。
また、もう一つの種類の 自由が、あるのです。
それ自体で、そのものである自由、です。
あなたが何かから
自由になりたいからではない。
それは、きわめて部分的な自由だけです。
部分的でなく、完全に 全体的である自由が、あるのです。
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19:26
今朝、私たちはまた、 死についても、話をすべきです。
いいですね?
私たちは、他の多くのことについて、 話してきました。
死は、暗い朝や暗い夜の 陰鬱な主題ではありません。
人々は、幸せな死に方について、 書物を書いてきました -
それをどう自然に受け入れるのか、 身体をどう逝かせるのか。
そうですね、彼らは果てしなく、それについて、 話してきました。
それについて書いてきました。
私たちは今、あなたと語り手は 一緒です。
どうか、一緒に、です。
彼は、自分自身に話していません。
彼は、講義をしていません。
彼は、何かあなたが理解すべきで、 ゆえに、解釈者たちを持つべきことについて、
話していません - Kが話をすることについて、 語ってくれるだろう人たちを、です。
それが、この場所でも、つづいています。 それはとても不条理に見えます。
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21:03
私たちはともに、話し合うべきです - このとても重要で
深刻で、きわめて大きな、 死と呼ばれることについて、です。
いいですね、進みましょうか。
どうか、留意してください - 彼は、あなたに話していません。
私たちは、互いに話し合っています。
彼は、何も権威を持っていません。
私は、本気でそう言っています。
彼は、何も優越感を持っていません - 彼があなたへ、それについてすべてを語るだろう、と。
私たちは、ともに それへ入ろうとしています -
あなたが、そうしたいなら、です。
あなたが、そうしたくないなら、 それはだいじょうぶです。
それもまた、だいじょうぶです。
誰もあなたへ、何をも課していないし、 あなたに指令したり、
何をすべきかとか、何を考えるべきかとかを、 語っていません。
ですね?
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22:26
死とは何でしょうか。
私たちは、その質問をするとき、また、 継続とは何かを、また、終わりとは何かをも、
考慮すべきです - 最後になる何か、です。
終わること、継続、時と死、 または思考。
ですね?
私たちがその問い、死とは何かを、 訊ねるとき、これらすべてが、関与しています。
時、思考、継続の衝動、要求。
また、継続性を
欲しがっているとき、私たちは、終わるとは どういうことかをも、ともに探究すべきです。
始まりが、あるのでしょうか。
これらすべてが、死とは何かの この問いに、関与しています。
ただ酸素、頭脳への酸素の欠如と、 ぽっくり逝くとか、
くたばるとか、だけではない - それをどう呼びたいとしても、です。
それは、人の関心事全体です - 自らの生き方と、死に方です。
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24:18
で、私たちはともに、探究しています - 死とは何でしょうか。
なぜ死は、悲しみと連係されているのか。
これらに付いてきていますか。
語り手は、あなたを導いていません。
彼は、あなたを説得していません。
私は、あなたたちへ、それを 語るのに、飽きています!
で、死とは何でしょうか。
あなたは、その全体を取らなければなりません - ただ死ぬことだけではなくて、です。
あなたは、生まれること、生きることを 取らなければなりません - 五十、四十や
六十、七十、九十年とか、さらに少し行く。
あなたは、その全体を取らなくてはなりません - ただ、死とは何か、だけではなくて、です。
25:26
それは、むしろバカげた問いです - 死とは何かと言い、それから
それについて泣くとか、怯えるとか、キリスト教徒が するように、それを崇拝するとかは、です。
インド人、以前の古代のヒンドゥーは、 アジア中に炸裂しました。
(古代)ギリシャが、西洋世界に炸裂した ように、です。
彼らは、輪廻転生の
自らの理論を持っていました。
- ピタゴラスと他の人たちを
含めて、です - 私たちは今すぐ、 それについて話すでしょう。
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26:12
で、私たちは、継続とは何か、終わるとは何か、 この過程に関与した時と思考とは何かを
考慮しなくてはいけません。
それは、初めに
私たちは、生きるとは何かを、探究しなくてはいけない、 という意味です。
死ぬとは何かではなくて、です。
ですね?
私たちはここに一緒にいますか。
私はそれを、二度と反復しないでしょう。
で、生きるとは、何なのでしょうか。
私たちは、何を生きることと呼びますか。
私たちが生まれた瞬間から、生、 生きることと呼ばれる長い期間をとおして、
そこには何が起きますか。
その一部だけではなく、その長さ、です。
子どものときから、私たちは問題を持ちます。
学校へ送られた子どもたちは、 即時に問題を持ちます -
どう読むのか、書くのか、 どう数学を学ぶのか、
後では化学、生物学。 それはすべて問題になります。
27:49
彼らは、問題の教育を受けます。
これらはすべて事実です。
語り手の想像ではありません。
で、始まりから私たちの生は、 継続的な問題、闘争、痛み、
心配、不安定、混乱、信条、信念、
神々と、儀式の永続的な反復 - 宗教と呼ばれるもの - です。
象徴の崇拝と、信仰、信念、
成功、失敗、悲しみ、痛み。
そのすべてが、私たちの生きることです。
実際の事実 - そこには、楽しみ、 セックス、その他すべてが、含まれています。
これが、生きることと呼ばれるものです。
9時から5時までオフィスや 9時から5時まで工場へ行く。
または、店に入って、 本、衣服、食べ物などを売る。
29:19
これが、私たちの日々の単調な、 いわゆる規律ある生活です。
あなたと私は、それについて 不同意するのでしょうか。
または私たちは、それが 事実として見えるでしょうか
- 叙述上で受け入れるのではない。
それは、私たちの生の実際の事実です。
よろしいですか。
私たちはそれを、理解してきませんでした。
私たちは、これに入って、全然違ったように 生きられるかどうかを、見たことがない。
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30:19
ですが、いつも死があります。
とても良いイタリアのことわざが、ありますが、 私はそれに入らないでしょう。
それは、
「誰もがみな死ぬだろう。私は知っている。 おそらく私もだろう!」と言います。(笑)
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30:50
で、初めに、私たちが掴まえ、理解し、入り、 解消しなくてはいけないものは、何でしょうか。
生、日々の生きることや死ぬことですか。
そのうえ、私たちはなぜ、死について ひどく関心を持つのでしょうか。
語り手はかつて、インドで 木陰の道路を歩いていました。
彼が海へ向かって歩いていると、 後ろに詠唱が、聞こえました。
二人の男に運ばれていく死体が、 ありました。
彼の長男は、彼の前、死体の前で、 火を運んでいました。
それですべてです。そうですね、 騒ぎと霊柩車と花のすべてではない。
32:03
それは単純なことでした。 それは本当に、なかなか美しかった。
息子は泣いていて、 サンスクリットで詠唱していて、
海へ向かって歩いていました - そこで彼は、火葬されようとしていました。
西洋世界が死について起こす騒ぎ、
ロールスロイス、莫大な量の花々など。
で、私たちは、何に 関心があるのでしょうか。
生きることですか、死ぬことですか。
どうか、私たちは、互いに 話をし合っています。
私たちが取っ組み合い、それに齧りつき、 全エネルギーを注ぐには、
どれが一番、重要でしょうか。
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33:18
エネルギーについて話すと、
エネルギーを解放したいと思う人々が、 います。
ですね?
その一部が、鍼治療です。
その一部が、私たちの持つエネルギーを
増大させようとする 様々な試みなどです。
エネルギーは何でしょうか。
ここへ来るには、エネルギーが 掛かりました - 大変多くのエネルギーが、です。
テントを建てる。
雨風の日に車で来る。
ここへ来るため、すべての物事をまとめる。
それには、たくさんのエネルギーが 掛かりました。
あなたは、それを払いのけ、「私は行こう」と言う かもしれません。
しかし、行こうと決断する、
来る、車を運転する、テントを建てる、 ここに座って聞く -
34:27
それには、大変多くの エネルギーが、必要とされます。
私たちは、もっと多くの エネルギーが、欲しいのです。
私たちは、自らのエネルギーを どう使うかを、知りません。
あなたは、何かをしたいとき、 充分なエネルギーを、持っています。
彼らは月へ行きました。
誰もみなに要求される、 テクノロジー的なエネルギーのすべて。
話をする、考える、セックスをする - あらゆることに、エネルギーが掛かります。
生はエネルギーです。
ですが、 私たちは、自らの利己、専門化をとおして、
成功への要求、恐れと
それらをとおして、私たちは、 そのエネルギーを制約してきました。
35:41
私たちは、それを小さくし、 特定にし、極小にしてきました。
すみません!
私たちの頭脳は、専門化により、 そうね、その他すべてにより、
狭められてきました。
それで、エネルギーがあります。
私たちが、自分自身を理解するとき、 そのエネルギーは、炸裂します。
そのときあなたは、ものすごい熱情を 持っています - 何かへの熱情だけではない。
けっして萎れない熱情(パッション)の花、です。
それは、慈悲(コンパッション)が あるとき、来られるだけです。
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36:54
で、私たちは何に、最も関心を持っていますか - 死、または、生きることに、ですか。
生きることは、私たちが言いましたように、 一連の葛藤、闘争、痛み、
悲しみとその他すべての連続です。
これは、陰気な絵図ではありません。
あなたはそれを、色合いで もっと美しく描けます。
叙述的にもっと魅力的にできます。
ですが、これは事実です。
で、私たちは初めに、生を、 生きることを、理解すべきであり、
それから、死とは何かの理解へ、 来るべきではないですか。
理解されますか。
逆に、ではありません。
あなたは、何を与えるでしょうか - 金銭的に ではない。
あなたは、何を与えるでしょうか -
どのように、どんなさまで全的に違った ように生きられるかを、見出すように、です。
38:13
何か他のいかさまの戯言、 新しい絵画、新しい詩歌、新しい舞踏、
その他すべての未熟で子どもっぽいことを、 追求するのでなくて、です。
語り手は、不寛容ではありません。
彼はただ、 これらがつづいているのが、見えるだけです。
で、私たちは、自らの生が何なのか、 この地上での存在の実際の生を
悟って、変異をもたらせるでしょうか - 変化ではない。
完全な変化、
逆転 - それが何であっても、 自らが生きてきたこと、生きていることが、
完全に終わらされて、 何か新しいことが、起こりうるでしょうか。
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39:19
ゆえに、私たちはともに、 継続とは何かを、探究しなくてはいけません。
私たちの生、生きる中で 継続するのは、何でしょうか。
それは、記憶ですか。
継続。
一連の出来事、経験の連続。
「私」、ペルソナ、自我は、記憶の束です。
自らは、その観念を好きでないかもしれません。
何か単なる記憶以上のものを欲しがること
何かもっと、記憶を越えたものを欲しがることは、 もう一つの記憶の形成です。
ですね?
自らは、この記憶に満足していなくて、 何か他の記憶が欲しいのです。
で、この継続を、私たちは生きることと 呼びますが、それは、一連の出来事、
記憶、経験の連続です。 それらの束が、私です。あなたです。
40:52
継続は、知られているものです。
何かあなたをそれらへ終わらせるものを、 私たちが、どんなに怖がっているのか!
自らは、経験、知識の 長い生を、生きてきました。
自らは、いたるところを、旅行してきました。
なぜかは、神のみぞ知るですが、そうしてきました。
あなたは、話し、判断し、評価します。
そうですね、それらです。
私たちはけっして、継続が何かと、 終わりが何かを、探究しません。
あなたが大切にしている何かを、 自発的に終わらせる - 質問を理解できますか。
私たちはお互いに、その質問を しあっていますか。
仮に、自らは、或る人物、結論に、 大いに執着している、とします -
その結論は、どれほど歴史的、弁証法的で、 マルクス主義、レーニン主義や
何やらかんやら、それらであっても、自らは、 カサ貝のように、それらに執着しています。
42:22
自発的に、楽に、手放せるでしょうか。
それが、死が意味することなのです。
あなたは、死とは論争しません。
あなたは、「どうか、私にもう二日、 ください。
あらゆることを、
整理整頓できるように」と言いません。 それは、あなたの扉のそこに、ある。
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42:50
で、継続性を理解して、その継続性を 終わりにできるでしょうか。
質問を理解できますか。
私たちにとって、執着は、 大変多くを意味しています。
それは、最も満足できる共通の経験です -
大地に、一定の信念、一定の教義、
一定の儀式、一定の習慣などに、執着する
住宅に、家具に、習慣に、 大いに執着しています。
それに気づいて、その気づきの中、 それを完全に、終わらせられるでしょうか。
明後日ではなく、今、 私たちがここに座っていて、
それらに気づく - 説明、実在に、です。
叙述ではなく、継続に対する この常なる要求の事実に、です。
44:26
性的な継続、所有物の継続、家族の継続、
自らの深い経験の継続。
そのすべてが、即座の終わりになる。
それが死です。
で、あなたが六十、八十、九十のとき、 死を待つのではなく、
それを毎日、終わらせる。
死とともに生きる。
どうか・
・・
語り手は、これに関与した、 何かものすごいことを、言っています
- たくさんの言葉が 組み立てられただけではない。
何かとともに生きる。
毎日、毎分、 常に終わっている生、です。
それで、過去や未来の継続は、ないのです。
45:49
この終わることだけが、ある。 すなわち、死です。
そのように生きること。
みなさま、進んでください。
それについて考えないで、 それの真理を、見てください。
思考は・
・・それは、たくさんの物事を
組み立てられます。
しかし 思考は、死を欺瞞できません。
で、日常生活で、その終わることとともに - すなわち死と呼ばれるものと、です -
生きることの無量の意義を、 悟るなら、そのとき
本当の変容、本当の変異が、ある - 脳細胞にさえも、です。
なぜなら、脳細胞は、私たちの記憶すべて、
過去すべてとその他すべてを、 運んでいくからです。
47:00
で、私たちは、そのように生きられますか。
ふりをするのではない。
「私は努力しなければ ならない」ではない。あなたは、死ぬために
努力をしません!
- 十八階から跳び出して、 「これまでは良し」と
言うのでなければ、です。(笑)
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47:32
また、私たちはともに、宗教とは 何かについても、話し合うべきです。
宗教的に生きる頭脳の本性とは、 何でしょうか。
宗教は、私たちの生において、 とても重要になってきました。
あなたは、無神論者なのかもしれません。
「まあ、それはすべて戯言だ。誰か愚かな司祭者が
何か戯言について、説教している」と 言うかもしれません。
あなたは、それらを避けるかもしれません。
けれども、この内的な要求が、あるのです -
「結局、これらは何だろうか。
この生きることと死ぬこと、この痛み、この心配。
それはどういうことだろうか」と 内的に言うことが、です。
「誰がそれを創造したのか。
神か。自然か。最初の細胞か」などと、です。
で、宗教は、すべてのゴミ、つづいている サーカスに、関心がありません
- ローマでも、イングランドでも、 インドのベナレスでも、
仏教の国々でも、です。
それは、すべて 思考により組み立てられています。
ゆえに、きわめて、きわめて 制限されています。
49:14
で、私たちは、訊ねなくてはいけません - 宗教と創造とは、何でしょうか。
創造とは、何でしょうか。
創造と、創案・
発明との間に、 違いが、あるのでしょうか。
私たちは先日、優秀な医師と 話していました - 本当に一流の医師です。
金儲けをする医師ではなく、 良い頭脳をもった良い医師です。
彼は、言っていました - いつも活発化させられる
頭脳の一定の部分がある、と。
私は、間違った解釈をしているかも しれません。
気をつけてください。
それについて、語り手が言っていることを、 全面的には受け入れないでください。
彼は、私が知らない 何か専門用語を、言いました -
病気になるにつれて、少し鈍くなる 頭脳の一定の部分、
年を取るにつれて、 さらに鈍くなる部分が、ある、と。
50:55
その頭脳の内の部分は、復活させられ、 生かされうるのかどうか。ですね?
受け入れないでください。
眠らないでください。
私たちは、それについて話していました - 私は今、それに入らないでしょう。
これはあまりに複雑であるからです。
で、創案・
発明は、何でしょうか。 創造は、何でしょうか。
宗教は、これに関心があるのです。
頭脳は、あらゆる種類の物事により、 条件づけられ、形作られ、枠に入れられています
- 共同体、あなたが 読むこと、聞くことによって、です。
何らかの観念、何らかの崇拝、 何らかの神々を普及させてきた
司祭者すべてによって、です - そのすべてが、私たちの頭脳を 、条件づけてきました。
私たちの頭脳、あなたのと私たちの
頭脳 - その頭脳は、いったい、 創造とは何かを、理解できるでしょうか。
52:24
または、それは根源的に、 知識に基づいています -
知識は、経験、集めること、 学ぶこと、記憶することなどです。
その頭脳は、測量可能でないものを、 理解できますか。
理解されますか。
私たちは、幾らか一緒に ここにいますか。
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52:59
私たちは測量します。ですね?
私たちは測量します。
それは、比較する、 判断する、評価する、という意味です。
私たちは、いつも比較しています - 自分自身を他の何かと、です。
一人の画家を もう一人の画家に対して、
一つの詩歌を、 もう一つの詩歌に対して、
ベートーヴェンをバッハなどと、モーツアルトに対して 比較する - モーツアルトをそこに含めさせてください。
で、創案、発明は、 知識に基づいていませんか。
どうか、私たちはともに、 それについて話し合っています。
知識がないなら、創案、発明はありません。
私たちは、何か新しいものを見つけるには、 知識の背景を、持たなければなりません。
それは創造でしょうか。
または、創造は、何か全然、 時と思考の外のものなのでしょうか。
54:34
これは、宗教的な頭脳、宗教的な性質の
問題の一つでした。
たぶん最大の問題です。
私たちはもはや、冥想(メディテーション) という言葉を、けっして使わないでしょう。
あなたが気にされないことを、 願っています。
その言葉はまた、サンスクリットで 測量をも、含意しています -
定評のある(英語の)辞書類においても そうであるように、です。
測量。
布と、素材のものすべての 測量だけではなく、
また、私たち自身を何かに比べて 測量することも、です。
測量は、(古代)ギリシャ人たちにより、 創案されました - たぶん彼らより前に、です。
測量なしに、 テクノロジー的な世界はありません。
私たちは、自分自身において 同じその原則を、続けていきます。
私たちはいつも、自分たちが 今日どうであるかを、測量していて、
明日が同じになることを、望んだり、 それが異なることを、願います。
55:54
それは、いつも比較すること、 判断すること、評価することです。
その(メディテーションという)言葉。
様々な形の冥想をもたらしてきた
導師たちにより、破損されてきたその言葉。
私たちは、その言葉について、もはや議論しない でしょう。
それは愚かな言葉になったからです
- 一定の姿勢で座る。
一定の形で呼吸する。
集中する、それら。
ものすごい努力をする - 何を達成するため、ですか。
ロバの前の何かニンジンですか。
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56:51
で、私たちは、頭脳をどう鎮めるかに、 関心を持つべきではない
- それは、相当にたやすい。
ですが、全的な注意に、関心を持つ。
何かに対してや、何かについての注意ではない。
集中より違っている
注意の性質 - 全面的に違っています。
集中は努力です。
一つのことや幾つものことに
焦点を合わせることです。
それは習慣になる - 飛行中のパイロットのように、です。
で、注意深いことは、可能でしょうか。
そのとき、そこには、偽善、ふりが ありません。
あなたは注意しています。
注意には、完全な静寂があります - あなたが注意するとき、です。
その注意には、境界がありません。
それは注意することです。
「私は注意している」は、ありません。
ただ注意だけがある。
どうか、考慮してください。 これについて、ともに相談してください。
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で、創造とは何でしょうか。
最初の細胞ではない。
また、私たちがどう 進化してきたのかと、それらでもない。
私たちは、神がこれらを創造した、 と言ってきました。
反対に、私たちは、神を 自分たちのイメージに、作ってきました。
私たちは、自分たちなるものの中から、 上のあそこに、あの哀れなやつを、作ってきました。
私たちは、彼に、自分たちに欠けている性質 すべてを、与えてきました - 憐れみ、慈善、
愛、遍在性、智恵と、 その他すべての事柄を、です。
創造とは何でしょうか。
頭脳は、私たちの神経すべて、活動すべて、
存在すべての中心です - それがどんなに小さくても、です。
その頭脳は、創造の無量性を 理解できるでしょうか。
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または、頭脳を越えたものが、 何かあるのでしょうか。
さて、どうか気をつけてください。
語り手が 言っていることを、何も受け入れないでください。
これが、学ばなくてはいけない 最初のことです
- いわゆる霊的なことを、何も けっして受け入れない。
それはまったくの戯言です。
霊的な権威はありません。
医師、科学者の権威 - それは、異なった事案です。
警察官は権威を持っています - 特にスイスでは、です。
(笑)
ものすごい!
私たちはかつて、それに 捕らわれていました!
頭脳は、測量可能でないものを、 本当に見る能力が、あるのでしょうか。
私たちは、それについて話をできます。
私たちは、それを創案、発明できます。
私たちは、測量不可能なものがある、と言えます。 それらは、たくさんの言葉を意味しています。
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しかし私たちは、すっかり異なった質問を しています - 頭脳は、
時、記憶、思考、経験、その他すべてから、 作り上げられていますが、
その頭脳はいったい、 無制限なものを、理解できるでしょうか。
質問を理解できますか。
それは本当に・
・・
または、他の何かがある - それは、頭脳ではなくて、精神です。
創案しないでください。
すると、私たちは迷っています。
私たちは、互いに訊ねています -
私たちが当面、精神と呼ぶであろうものが、 何かあるのでしょうか。
私たちはその言葉を、変えるかもしれません。
頭脳ではない精神が、あるのでしょうか。
それのみが、無量であるものを見られる、 そういうものが、あるのでしょうか。
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そのとき、その精神は、 頭脳へ疎通できるが、
頭脳はそれへ疎通できない。
理解されましたか。
私たちは、互いに訊ねています。
私たちが知っているような頭脳は、 無量の能力を、持っていますが、
とても小さくされてきました。
コンピューターは、何かとてつもないものです。
それはたぶん、私たちの生に 取って代わるでしょう。
それはたぶん新しい産業です。
コンピューターは、 私たちの生を形作るでしょう。
それはすでに、静かにゆっくりと そうしています。
私たちはそれに気づきません。
私たちは、大変多くのこれら有識者へ、 話をしてきました -
それを構築しつつある コンピューターの専門家です。
彼らは、人間の頭脳に 何が起きるかに、関心がありません。
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質問を理解されますか。
彼らは、それを創造することに、 関心があります。
ああ、それを創造するのではなく、 構築することに、です。
そのほうが、良い言葉です。
コンピューターが、私たちの生に取って 代わるとき、私たちの頭脳に、何が起きますか。
それらは、より良く、 はるかに速い。
急速です。
それらは一秒で、千の記憶を 語ってくれるでしょう。
で、それらが取って代わるとき、 私たちの頭脳に、何が起きようとしていますか。
次第に萎みますか。
または、徹底的に娯楽へ、 エンターテインメントへ
使用されますか。
どうか、これらに向き合ってください。
後生です!これは起きつつあるのです!
テレビでの長いスポーツ記録すべて。 それは、ますます長くなりつつあります。
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クリケット(競技)には、 十分間が使われます。
南アフリカで起きつつあることには、 二分間です。
で、娯楽産業が、 取って代わろうとしています。
どうか、これらに向き合ってください。
宗教的な娯楽 - それもまた、 取って代わってきました。
で、私たちは、いつの時も、 娯楽で楽しまされています。
私たちは、ここでの会合を、 それの一部として、扱います。
そうではないことを、 私は保証いたします。
これらは、ひどく深刻です。
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で、頭脳はいったい、万物・宇宙を、 理解できるでしょうか。
彼らは、金星はこれほどの気体、 これほどの金属等々であると、言えます。
しかし、その叙述、性質、味わいは、 金星ではない -
それの美しさ、 それのとてつもない静けさではない。
私たちの頭脳は、そのすべての無量性を 理解するように、静かでありうるのでしょうか
- 永久におしゃべりし、おしゃべりし、 おしゃべりするのでなくて、です。
その頭脳は、とてつもなく単純になり、 ゆえに、
とてつもなく微妙に なりうるでしょうか。
その頭脳は、その微妙さの器量(があり)、 時と思考とその他すべての
大いなる単純さの、無量の感覚の 能力があるなら、
そのときおそらく、あの精神は - それは頭脳ではない - それへ疎通できるでしょう
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そのとき、頭脳はあれへ 疎通できません。明白です。
私たちは、あれと疎通するために、 まさに最善を尽くしています - あらゆる種類の仕掛け、
あらゆる形の制御、犠牲をし、 誓いを立てて・
・・ですね?
そして、あのものはけっして - それには、けっして触れられません。
宗教的な精神、宗教的な頭脳は、
いつも、大いなる静寂と孤独の背景を、 持っています。
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終了しました。
どうか、立ち上がっていただけるでしょうか - 私も立ち上がれるように、です。
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