LS84S2 - 創造は冥想の中から出てくる

科学者たちとのセミナー、第2回会合
アメリカ合衆国、ロス・アラモス
1984年3月21日
テキストのみのバージョン
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0:41
M.ラジュー: お出でくださって、 ありがとうございます。
今日、私たちの計画は、
著名な講演者とともに、創造性について、
一時間半の活発な対話を、行うことです。
私があなたたちの数名より受け取った質問の
写しを、みなさんが持っておられます。
これらすべての問いを述べるには、
時間がとても短いことを、私たちは悟ります。
ゆえに私たちは、時間制限の中で、
創造性の主題に適切である質問を
選択するよう、 講演者にお願いいたします。
私たちは、この対話の途中で、 追加の質問のために
幾らか時間があるかも しれないことを、願っています。
1:21
私は、カール・ブライトバイテ、 フランシス・メンロウ、
レイモンド・
ロジャーズと フランク・ハーローの諸博士に、
この議論での調整を、 お願いしておきました。
みなさまには、この対話の間、どうか 全的な注意をもって、聞いてくださるよう、
お願いしてもよろしいでしょうか。
幾つか質問をなさりたいのなら、
どうか、手短にしてください。
私たちには、長い質問のための時間が、 ありません。
どうか、手短にしてください。
私はもはや、貴重な時間を取らずに、
講演者に、この対話を始めるよう、 お願いいたします。
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3:25
K: ここには、十五の質問があります -
私たちは初めに、どれを取りましょうか。
一番目のものを、取りましょうか。
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3:42
質問: 「冥想とは何でしょうか。それは、 どのように創造性に関係していますか」
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3:50
私たちは初めに、それを取っていいでしょうか。
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4:00
冥想は、とても複雑な事柄です。
これは、私たちの間の対話です。
私が言いましたように、 それは、とても複雑な事柄です。
「冥想(メディテーション)」という言葉は、 サンスクリットでも英語でも、
頭脳が一定の主題へ集中することを、 含意するだけではなく、
またそれは、大変多くの注意をも、 含意しています。
しかし、第一に冥想(メディテーション)は、 サンスクリットで、測量する、という意味です。
英語でもまた、語源的に、 測量することである、と思います。
なりゆく、という問い全体が、 そこに関与しています。
それは、測量することです -
私はこれである、 私はあれになるだろう、
5:11
私は貪欲である、 だが、私は次第に無貪欲になるだろう、と。
それは、一つの形の測量です。
それは、一つの形のなりゆくことです。
世の中の事柄において、なることと、
心理的に、なることとの両方です。
それが、測量の問い全体です。
ギリシャ人、古代ギリシャ人は
- それについては、すべてご存じです。
私がそれに入らなくてもいい -
彼らは、測量の創始者でした。
測量なしに、テクノロジーはないでしょう。
アジア人は、特にインドでは、
測量は幻影である、と言いました。
測量は、制限を意味する、と。
6:06
私は翻訳しています - 彼らは正しくはこう言わなかった。
彼らはそれを違ったように、表しました。
で、測量は、比較を意味しています - 「あるもの」、「あるべきもの」、
理想、事実を、比較する。
事実が、理想になっていく。
それらが、冥想に含蓄されています。
また、冥想には、 冥想者と冥想も、含蓄されています。
あなたが、付いてきておられるか どうか、分かりません。
語り手が言っていることを、理解するのに、
困難があるなら、どうか、 跳び込んできてください。
なぜなら、それは とても複雑な事柄であるからです。
特に、インドの導師たちの数人は、
この言葉をアメリカへ持ち込んで、 そこから、たくさんのお金を稼ぎました。
7:09
彼らは、億万長者です。 私は彼らに会ったことがあります。
彼らは、おぞましい者たちです。
彼らは、お金を求めてばかりです。
で、冥想を探究するには、初めに、
測量(を探究する)だけではなく、 また、この常なる、
心理的に、何かになることをも、 探究しなくてはいけません。
人間たちは、暴力的です。
理想は、非暴力の状態にあることです。
それは、なることです。
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7:54
質問者: で、あなたは、 冥想のために、目標を設けますか。
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7:56
K: 私は、冥想の構造全体と本性に、
何が含蓄されているかを、言っています。
それは、どう冥想するかより、むしろ、
冥想とは何なのか、です - どうするか、ではない。
話が明らかになっていることを、 願っています。
また、そこに関与した問いも、あります
- 誰が冥想しているのか。
冥想の体系のほとんどは、
日本のもの、
ヒンドゥー教のものなど、 チベットのものにおいても、
いつも、制御者と制御されるものが、 ある。
ですね?
私たちは、互いに出会っていますか。
それで、思考を制御している制御者が、ある
- 目的をもった方向づけ(指令)に応じて、
思考を静めるため、思考を形作るために、です。
9:14
で、制御者と制御されるものが、ある。
制御者は、誰ですか。
どうぞ、このすべてが、 冥想には含意されています。
冥想において一般的に理解されているように、
単に、自分の思考を制御するだけではない。
それが、禅の冥想であっても、
または、インドと他のどこかで行われる
最もきわめて複雑な形の冥想であっても、
いつも、(方向づける)指令者、
思考を制御する実体が、ある。
それで、彼らは心理的に、 思考者と思考を、分割してきたのです。
で、思考者は、自身を 思考の活動全体より、分離します。
ゆえに、冥想においては、 制御者が思考を制御することが、
含意されています。
- 思考を静かにするために、です。
10:33
それが、冥想の本質です -
頭脳の或る状態をもたらすことです。
私は当面、「精神」(という言葉)を 使わないでしょう。
頭脳を静かにすることです。
私はもう少し説明し、それに入るでしょう。
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10:57
で、制御者と制御されるものとの間に、 分割が、ある。ですね?
制御者は誰ですか。
ほとんどの人々は、その問いをしたことがない。
彼らはみんな、冥想するのを喜んでいます - どこかへ到るのを願って、です。
光明、覚りと頭脳の静けさ、
精神の平和など、です。
しかし、ほとんどの人々は、制御者が 誰なのかを、探究したことがありません。
私たちは、それをつづけてもいいですか。
制御者もまた思考です。
制御者は過去です。
過去としての、 時の実体や動きと、
度量です。
で、思考より分離して、
思考者である過去が、あります。
思考者は、思考を制御しようとします。
人間たちは、神を創案してきました。
すみません。
気になさらないことを、願っています。
私がこれらに入っても、 あなたは衝撃を受けないでしょうか。
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12:30
質問者: いいえ、進んでください。
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12:33
K: 人間たちは、自らの恐れの 中から、神を創案しました。
彼らは、神に到ろうとしました -
それは、究極的な原理です。
インドでそれは、ブラフマンと呼ばれますが、 それは、究極的な原理です。
冥想は、究極のものへ到ることです。
で、冥想は本当に、きわめて複雑です。
それは単に、朝に二十分、午後に二十分、
晩に二十分、冥想するだけではない -
それは、お昼寝をすることであり、 まったく冥想ではない。
で、冥想とは何なのかを、発見したいなら、
訊ねなくてはいけません - なぜ、冥想を しなくてはいけないのでしょうか。
13:38
自らの頭脳が常におしゃべりしていて、 常に計画し、
企画していることを、悟ります -
自らがするだろうこと、自らがしてきたこと。
過去が、現在に突き当たる。
それは、永久におしゃべりし、おしゃべりし、 おしゃべりしています。
科学的なおしゃべりでも - すみません。
または、普通の日常生活のおしゃべりでも、です。
主婦が何らかのことについて、 果てしなくおしゃべりしているように、です。
それで、頭脳は常に、動きの中にある。
さて、冥想の観念は、頭脳を静かに、静寂に、
完全に注意深くすることと、
その注意において - おそらくあなたは、この言葉に
反対するでしょう - 永遠であるものを、見つけることです。
または、何か神聖なものを、です。
14:53
それが、本当にこの問いへ
入ってきた人たちの意図です。
語り手は、ここ六十年以上、 これへ入ってきました。
彼は、この問いについて、 禅の学者と、禅の老師と、
ヒンドゥー教徒と
チベット人と、残りすべての連中と、 議論してきました。
私が口語的に話すのを、気になさらないことを、 願っていますが、構いませんか。
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15:27
質問者: いいです。
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15:31
K: 語り手は、その種の冥想すべてを、論駁します。
なぜなら、彼らの冥想の観念は、 目的を達成することであるからです。
目的とは、思考の動きが何もないように、
頭脳の完全な制御です。
なぜなら、頭脳が止まっていて、
意図的に修練されて、意図的に
探し求められたとき、 それは静寂ではないからです。
それは、何かを達成することです
- それは欲望の作用です。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
つづけてもいいですか。
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16:30
で、これらに興味があるのなら、
欲望が何なのかをもまた、 探究しなくてはいけません。
欲望を抑圧するのではない -
修道士と、インドのサンニャーシたちが するように、です。
欲望を抑圧するか、 欲望を何か高いものと同一視する
- より高い原理、より高いイメージと、です。
あなたがキリスト教徒であるなら、 キリストなどと、です。
で、自らが、冥想とは何かを、 見出したいのなら、
理解しなくてはいけません -
欲望を、探究しなくてはいけません。
よろしいですか。
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17:22
質問者: 欲望とは意志と同じですか。
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17:24
K: 私たちは一分後にそれへ入るでしょう。
欲望とは何でしょうか。
なぜ人、人間は、
なぜ私、人物は、欲望により そんなに支配されているのでしょうか -
豊かになりたいとの欲望、 なりたいとの欲望。
そうね、様々な形の欲望です。
私たちは、欲望の奴隷です - それは反応です。
で、欲望とは何でしょうか。
これは、冥想の一部です。
理解されますか。
これが、冥想について、 語り手が言っていることです。
すなわち、時の動きを理解するのでなければ -
いいですか。
私はこれらに、入ってもいいですか。
あなたは、これらに興味がありますか。 つづけてもいいですか。
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18:20
質問者: ええ、どうぞ。
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18:21
K: あなたがそれへ入りはじめるなら、 それはなかなか面白い。
しかし、それは、単に知的な興奮であるなら、
何の価値もありません。
で、冥想とは何かへのこの探究こそが、
冥想の一部です。
で、私たちはともに、探究しています -
冥想とは何でしょうか。
欲望とは何でしょうか。
欲望は、
知覚、
接触、感受です。
ですね?
何を見る -
女や、住宅や、庭園や、うるわしい絵画。
見る、それと接触する、 それに触れる、
そこから感受が生ずる。
そのとき、何が起きますか。
理解できますか。
見る、接触、感受。
それが、実際に起きることです。
あなたは、お店に入るとき、 シャツを見る - あなたが買いたいものです。
それを見る。
それに触れる。 それを感じる。感受。
そのとき、何が起きますか。
19:57
それが、重要性が来るところです。
そのとき思考が、感受に形を与えます。
すなわち、「私はあのシャツを着て、 どう見えるだろうか」と。
理解できますか。
で、見ること、
接触、感受がある。
そのとき、思考が
感受を、自己満足の手段として、 使う。
ですね?
で、感受と思考との間に、中断、
隔たりが、ありうるでしょうか - 感受は、自然で健康的です。
もちろん、麻痺しているのでなければ、です -
思考が入ってきて、それを
満足の手段として使うのとの間に、です。
私はこれを明らかにしたでしょうか。
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21:11
質問者: 満足は、それを所有したいとの欲望ですか。
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21:14
K: それを所有したいとの欲望 - 私はそれを着て、どう見えるだろうか。
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21:20
質問者: 私自身との関係で、です。
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21:22
K: で、思考は、そのシャツを着たあなたの
イメージを、創り出します。
それが欲望ですし
その欲望の強烈化が、意志です
- 「私はそれを持たなければならない」と。
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21:45
質問者: で、意志は、欲望の現実化や施行ですか。
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21:49
K: ええ、欲望の。
どうぞ、これは対話の事柄です。
それは、何かを受け入れるという事柄ではない。
質問者: 私たちが声を上げても、構いませんか。
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21:57
K: いいえ。
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21:58
質問者: よし。
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22:00
K: これが明らかであるなら -
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22:05
感受と、思考がイメージを 創り出すのとの間に、
いわば、広い隔たりを保つことが、 可能なのかどうか、です。
感受は、健康的で通常です。
そして思考が、あなたが車に乗ったり、
あなたがシャツを着たりのイメージを、
創り出すのとの間に、です。 それが、欲望の始まりです。いいですか?
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22:36
で、それが、冥想の一部分です -
欲望の本性を理解することです。
けっしてそれを抑圧することではない。
あなたが理解されるのか、私は知りません。
これが必要とする修練。
修練 - 順応ではなく、
理解の修練、
学びの修練、という意味で(の修練)、です。
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23:11
質問者: あなたは、欲望を消すのではなく、
単にもっとそれを検討するよう、 言っておられて・・・
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23:15
K: いえ、欲望のこの動き全体に、 気づくのです -
欲望がどのように生ずるのか
など、です。
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23:26
質問者: あなたはまた、それを よく知るよう、言われています -
隔たりを置くことができるように、です。
すると、次の一歩は、必ずしも付いてこない。
施行の歩みを止める、と。
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23:39
K: 私たちが話しているとき、あなたがそうするなら、 私たちがそれについて話しつつあるとき、
あなたが実際にそうするなら、 何が起きているかが、見えるでしょう。
すなわち、見る、感受、接触、
そのとき、思考が、その感受にイメージを与える、
その欲望を充足させる - その錯綜、葛藤など
すべてをともなって、です。
で、感受と、思考がイメージを 創り出すのとの間に、
隔たりがあるところ、それが静寂です。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
いえ、どうぞ、私に同意しないでください。 それは致命的です。
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24:27
質問者: あなたによれば、冥想は、 とても活動的な事業のように、聞こえますね。
私たちは通常、冥想とか、
静かな精神を達成することを、
無活動的な種類のこと、実践として 考えると、私は思います。
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24:40
K: 精神を静かにするには、 薬物をとれますよ。
あなたは集中できます -
私は当面、それに入らないでしょう。
あなたは、精神を静かにするため、 頭脳を静かにするために、
様々な形と仕掛けを、することができます。
それは、鈍い頭脳です。
しかし、冥想の含蓄と錯綜を
理解した頭脳 -
その頭脳は、とてつもない器具になるのです。
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25:16
質問者: で、静かな精神は、 空っぽな精神ではないのですか。
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25:20
K: 空っぽなこと - これは難しい。 空っぽな精神を持つことは、
エネルギーに充ちていることを、意味します。
空っぽなことは、エネルギーです。
どうぞ、私たちはそれへ、一歩一歩 入らなければなりません。
さもないと・・
気になさいませんか。
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25:40
質問者: ええ、まったく構いません。
質問者: で、静かな精神は、 物事を知覚しています。
それは、外側から感覚情報を 受け取りつつあります。
でも、それは、それらの物事を 操作していません。
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25:51
K: ええ。
で、またそれは、時をも、 理解しなくてはいけません。
瞬間の連続という意味での、 科学的な時間、ではない。
時とは何でしょうか。
科学者や他の人たちが研究する、 特殊な主題として、ではなく、
私たちの日常生活において、 時とは何でしょうか。
なぜなら、私たちは日常生活において 基礎を敷くのでなければ
- 理解できますか。
それは堅固で、止まっています -
そのとき、冥想は、 一つの形の幻想的な欺瞞になるのです。
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26:45
で、私は欲望を、理解しなければなりません。
欲望の理解がある。
また、時の理解も、です。
時とは何ですか。
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26:58
質問者: なるための手段です。
時はただ、何かになるための 手段ではないですか。
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27:08
K: 時は、何かになることだけではない -
私はこれである。
私に時をくれ。
私はあれになるだろう。
私は暴力的である。
私に時、空間、
間隔をくれ -
私が非暴力的な人間になる であろうように、です。
それが、時の一部です。
また、私たちの日常生活における時は、
広大な知識の蓄積です。
ですね?
時はまた、未来です。
それで、時がある -
どうぞ、私は専門家ではありません。
私がそうでないなら、お許しください。
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28:03
質問者: 時は、因と果の知覚でしょうか。
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28:09
K: 因があるところ、果は根絶できます。
で、時の起源は何でしょうか - 人間としての時、です。
私はそうだった、私はそうである、 私はそうなるだろう。
時はまた、究極のものを 達成するための動きです。
私は、一つの生を持っている - 全アジア人が信じています -
私は、一つの生を持っている。
私は死ぬなら、 もう一つの生を持つにちがいない。
それは輪廻転生と呼ばれます。
それで、私は生から生、生から生へ、
もっと良く、もっと良く、もっと良く、 もっと良くなるだろう。
ついに私が究極的に、 最高の原理や神に到るまで
- それを何と呼びたいのであっても、です。
で、それが時の一部です。
私はこれである。
だが、私はあれになるだろう。
なることは、欺瞞でしょうか。
理解されますか - 心理的に、です。
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29:39
質問者: 理解できません。 なることは、欺瞞ですか。
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29:43
K: ええ。幻影です -
もしあなたが、 もっと良い言葉を使いたいなら、です。
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29:48
質問者: 私は、それを理解するには、 しっかり働かなくてはいけないでしょう。
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29:52
K: そうですよ。それは冥想の一部です。 お分かりでしょう、
冥想は、あなたがそれを理解されるなら、 何かとてつもないことです。
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30:00
質問者: それは明白に見えます。 私たちは、自分自身が変化するのが、見えます。
で、どうしてあなたは、 なることが幻影である、と言えますか。
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30:13
K: 私は貪欲です -
仮に、私は貪欲である、とします。
私の伝統、宗教、智恵は、
そのものを最小化せよ、 永久に貪欲でいるな、バカげている、と言います。
で、何が起きましたか。
私はこれである、私はなるだろう、と。
理解されますか。
私は、暴力的である。
私は、非暴力的になるだろう。
それは、時の中の動きです。
その動きの中、私はやはり暴力的です。
あなたが理解されるのか どうか、私は知りません。
どうか、それは私たちの間の対話です。
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31:04
質問者: 私たちは変化させられないと、あなたは言います。
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31:06
K: 初めに、私が言うべきことを、 ただ聞いてください。
私は暴力的である。
私の伝統と、私のまわりの人々みんな、
環境、宗教書などなど、社会は、 私に対して、
私は非暴力的でなければならない、と語ります。
しかし、私は暴力的です。
で、何が起きますか。
「あるもの」と「あるべきもの」 との間で、葛藤があります。
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31:39
質問者: ああ、あなたが言って おられることは、分かります。
質問者: それは、そのとき、 私は暴力的であり、
これを変化させたいのなら、 私が起こしている非暴力へのこの動きは、
暴力的な行為、という意味ですか。 私は貪欲であるなら・・・
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31:51
K: まったく変化はない。
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31:55
質問者: あなたは、有るものは、 時なしである、といわれるのですか。
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31:58
K: あなたはあまりに早く、 跳びこんできていますね。
ゆっくり、それへ入りましょう。
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32:05
質問者: 私には、程度に変化が あるように、見えます。
あなたが、まったく変化がない、 と言われるなら
それは、私にとって、程度での 変化の可能性を、拒否するように、見えます。
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32:17
K: ちょっと待って、 私に機会を与えてください。
私は暴力的です。
人間たちは暴力的です。
それは歴史的な事実です。
一万年や五万年の後、私たちは
いまだに、暴力的な人間です - 動物などから由来して、です。
事実は、私は暴力的であることです。
それは事実です。
非暴力は非事実です。
ですね?
それは理想です。
それは何かであって、事実ではない。
しかし、これは事実です。
しかし、私が初めに非事実を追求するとき - 理解されますか -
それは、もっと多くの問題を、創り出します。
で、事実と非事実の間に、 葛藤がある。
ですね?
で、何が重要でしょうか。
非暴力を達成するのではなく、 暴力から自由であることです。
それがお分かりになるのか どうかと、私は分かりません。
で、私は、非暴力を 達成しようとしているとき、
私は、それに到るまで、 いつの時も、暴力の種子を蒔いています。
それを、私は欺瞞、妄想、幻影と 呼びます。
ですね?
あなたが付いてこられるのか どうか、私は知りません。
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33:40
質問者: 私は、暴力の不在と非暴力との
違いが、分かりません。
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33:47
K: もちろんです。
非暴力を達成することは、 欺瞞である、と私は言いました。
で、私の問題は -
問題(プロブレム)は、 何か投げつけられたものを、意味しています。
その言葉は語源的に、「何か 投げつけられたもの」を、意味しています。
さて、これは、暴力は、 私が解消すべき問いです。
暴力とは何でしょうか。
物理的な損害、 誰かを傷つけることだけではなく、
それはまた、怒ることも、 憎むこともです。
ですね?
暴力はまた、順応でもある。
そうです。
質問者: それは近く・・・
K: 聞いてください。
暴力はまた順応です。
暴力は、模倣の天職です。
私は、それがすべてに 反しているのを、知っています。
35:01
で、私は暴力を、理解しなくてはいけません。
なぜ暴力が、あるのでしょうか。
なぜなら、私は順応し、模倣していて、 怒り、嫉妬しているからです。
私は、暴力の構造全体に、 気づいています。
ですね?
気づく。
それへ完全な注意を向ける。
あなたがそれへ、完全な注意を向けるとき、
それは、炎が暴力を焼きつくすのに、似ています。
あなたがこれを理解されるのかどうか、
私は知りません。
科学者として、 あなたたちは、何かへ完全な注意を向けます。
そして、それへの答えを 見つけます。
ですね?
問題を創り出すのは、不注意だけです。 これらに付いてこられるのかどうか、私は知りません。
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36:03
質問者: 私は、感受へ完全な注意を向けるなら、
欲望を焼きつくすのでしょうか。
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36:10
K: そうです。
それは複雑で・
・・ もちろんです。
焼きつくすのではない。
そうね、私は、有るものを、説明してきました。
あなたが、それに同意されるなら、
それの論理が見えるなら、
そのとき、なぜ私たちは、欲望へ、こんなに とてつもない重要性を、与えてきたのでしょうか。
アメリカの公衆全体が、 「充足しなさい」と言われます。
ですね?
「抑制するな。
それはひどい」、
「制御するな。
はめを外せ。 好きなことをしろ」と。
そして、私たちは世界に、 こういう荒廃を、創り出しています。
それは違った事柄です。
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37:09
で、完全な注意があるとき
- それは、あなたの全的なエネルギーを、 その暴力の事実へ注ぐことを、意味しています。
そのエネルギーが、暴力を消散させます - その一部ではなく、その全体を、です。
理解できますか。それもまた冥想です。
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37:34
質問者: もう一つの目的が、 なくてはいけないように、私には思われます。
あなたは確かに、冥想の唯一の目的は、
非暴力を達成することである、 とは提唱されないでしょう。
加えて、なければならない・
・・ 私がいうのは、それは否定的です。
あなたは、他の何かを探し求めなければ なりません。他に何を、探し求めていますか。
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37:57
K: 彼の言葉を理解されましたか。
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38:00
質問者: 君は、もっと大きな声で 話をしないといけないよ。
質問者: あなたは、非暴力を達成するという 一つの目的について、議論したとか、
触れられたように、 私には見える、と言うんです。
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38:12
K: 私はそれを、一例として取り上げました。
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38:16
質問者: けれども、私にとっては混乱します。
非暴力を見つけるために、
暴力へ、完全な注意を向けるなら・・・
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38:27
K: ああ、私はそうしていません。
私は、暴力の本性を、理解したいのです。
あなたたちが、原子の本性を 理解したいように、です。
あなたたちは、ご自分の注意全体を その忌々しいものへ、注いできました。
もちろんです。
あなたたちは、それを研究してきました。
それへ入ったし、それを砕いてしまいました。
アインシュタインとオッペンハイマーと その他すべての人が、です。
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38:51
質問者: すみません。
本当に私が悩んでいるものが、 何かあると、思います。
何かへ完全な注意へ向ける というこの概念全体は、
私にとって、ほとんど何か 想像も付かないことです。
私たちが注意を向けてきた ということに、私は不同意するでしょうね。
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39:08
K: あなたのいわれる、想像も付かないとは、 どういう意味でしょうか。
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39:11
質問者: あなたが言われることの意味を、 私は知りません。
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39:17
K: 注意と不注意との間の違いは、 何でしょうか。
あなたが、一定の線に沿って 勉学や修練しているなら、
それへ、大変多くの注意を、注ぎます。
残りの時間、 あなたは不注意です。
ですね?
それは、事実、 自然な人間的な事実です。
私は、何かへひどく興味を持っているなら、
それへ注意を注ぎます。
残りの時間、私は注意深くありません。
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39:56
質問者: あなたは、異なった間隔に、 一つ以上のことへ
注意を、向けつつあるかもしれません。
多くの異なったことへ、 注意を向けつつあるかもしれません。
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40:03
K: で、注意が大事です。 異なったことへ、ではない。
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40:09
質問者: 大事なのは、注意自体ですか。
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40:14
K: もちろんです。
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40:15
質問者: あなたが注意を 向けているものより、ですか。
でも、それは、完全な注意の概念です。
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40:23
K: よろしいです。「完全な」という 言葉は忘れてください。
注意は、完全な、という意味です。
また、自分自身を 理解しなくてはなりません。
よろしいですね。
これが、冥想の重要性です - 時、欲望、
私である物事すべて。
私は何でしょうか。
私は、自分自身を理解しないなら、
いつの時も、自分自身を 欺瞞しているかもしれません。
私はかつて、或る友人を知っていました。
彼はインド人で、
高い教育を受け、 イギリスのケンブリッジへ行っており、
インドで良い地位を持っていました。
彼は裁判官になりました。
或る朝、彼は目覚めて言いました
- 「私はこれらの人々へ判決を下すが、 真理とは何だろうか」と。
41:32
家族とそれらを離れ、冥想をとおして、
真理が何なのかを見出すことは、
インドの伝統の一部です
- 特にバラモンの間では、ね。
彼はそう言いました。
言っていることに、付いてきておられますか。
で、彼は林へ入った、それらです。
彼は、真理が何かを見出すために、
二十五年間、冥想しました。
で、誰かが彼を、語り手の 講話の一つへ、連れてきました。
彼は後で、語り手に会いに来ました。
彼は言いました -
「私は二十五年間、 自分自身を欺瞞してきました」と。
言っていることを、理解されますか。
その人の勇気等を、考えてください。
42:25
それで私たちは、それについて 大変多く、話をしました。
さて、私は自分自身を、自己、自我、人物、
ペルソナ、気性などが何かを、
理解するのでなければ、
私は、余生の間、冥想するかもしれないし、
自分自身を欺瞞しつつある かもしれません。
理解されますか。
私は、広大な一連の幻影の中に、 生きているかもしれません
- それらは実在すると考えて、です。
で、私は、自分自身を 理解しなければなりません。
ゆえに・
・・ 私は、自分自身を理解できます。
誰か心理学者、フロイトとその他 すべてに沿って、ではなく、
私は自分自身を理解しなければなりません。 誰かをとおして、ではない。理解されますか。
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43:22
質問者: 自分自身を欺瞞していないことは、 けっして確かめられないです。
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43:25
K: 私はそれを、お示ししようと しています。
一つのことは、 私は自分自身を、知らなければなりません。
どの哲学に沿って、でも
どの科学者、
どの精神科医などに沿って、でもなく、
どの体系に沿って、でもない。
私は、自分自身ではなく、 体系を理解しつつあります。
違いを見てください。
さて、私はどのように、自分自身を理解しますか
- 何も欺瞞もなく、です。
さもないと、私は、 間違ったゲームを、やってきました。
その終わりに、私は自分自身を欺瞞しています。
で、私はどうやって、自分自身を 完全に理解するのを、学びますか
- 欺瞞、自己幻想の陰もないように、です。
それは、だいじょうぶですか。
つづけてもいいですか。
どうぞ、これは対話です。 私はただ・・・
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44:37
質問者: その中で、感じについては、どうしますか。
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44:40
K: 感じるのは、思考の一部です。 そうでないですか。
私は感じる。
私は感じを認識する。
それは当面、置いておきましょう。
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44:50
質問者: 私たちは、再び 注意に戻ってきますか -
私自身を理解するということに立って、ですが。
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44:54
K: いいえ。私はお示ししようとしています。
あなたは早すぎます。
私は自分自身を理解したい。
私は、自分自身を徹底的に、 理解しなければなりません
- 最もわずかな欺瞞もないように、です。
ものすごい誠実さと正直さです。
ですね?
さもないと、何の意味もありません。
あなたは、これをもって、行けますか
- 正直さと誠実さ、です。
で、私はどうすれば・・・
私は、正直さ、誠実さが なければならないことを、悟ります
- そして、特に懐疑が、です。
キリスト教世界には -
キリスト教全体は、バイブルに、
救い主などに、基づいています。
キリスト教は、何の疑いをも、 許しません。ですね?
46:04
信心深いキリスト教徒は、 どんな疑い、どんな懐疑も、です。
もしも、懐疑と疑いがあったなら、 全部のことが、崩壊するでしょう。
私たちがイタリアにいたとき - 私はイタリア語を、幾らか知っています -
私は、教皇が言うのを、聞きました - 彼は、何らかのことを説教していて、
「あなた方は、もっと信仰を 持たなければならない」と言いました。
私の隣に座っていた、私の友人が、 言いました -
「ごらんなさい。
これが、 彼らのしていることです。
どの種の探究をも破壊するよう、 信仰を養成している」と。
で、ものすごい正直さ
- それはとても困難ですね -
そして、大きな誠実さです。
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46:58
質問者: キリスト教での信仰の もう一つの定義は、信頼です。
それは、探究を破壊するだけではなく、 信頼を持つという事柄です。
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47:09
質問者: もう一つの事柄は信頼である、 というのが、彼の言うことです。
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47:13
K: 信頼。誰への信頼ですか。 バイブルへ、ですか。
あなたは、誰を信頼していますか。
あなたは妻を信頼していますか。
あなたは夫を信頼していますか。
あなたたちは、自分の大統領を信頼していますか。
あなたはなぜ、信頼していますか。
あなたがいう信頼とは、どういう意味ですか。
疑いがあるなら、あなたは探究しています。
あなたは訊ねています。要求しています。
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47:38
質問者: でも、信頼していて、 それでもなお、神の本性を探究できます。
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47:43
K: 信頼とは、どういう意味でしょうか。
私は信頼している。
私は妻を持っているなら、 彼女を信頼している。私は彼女を愛しているからです。
私は、彼女が私に対して何も醜いことを、 しないだろうと、知っています。
私は、自らが彼女に対して何も醜いことを、しない だろうと、知っています。
私は彼女を愛しているからです。
愛があるところ、信頼がある。
あなたは、それ自体では、信頼していません。
それは、 何をも意味していません。私はこれには入りません。
どうか、これへ戻ってきましょう。
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48:14
で、私は自分自身を、知らなければなりません。
私自身を知ることなしには、 あらゆる種類の欺瞞が、可能です。
ですね?
それに同意されますね。
正直さ、誠実さと懐疑、疑い。
その疑いは、革紐に繋いで おかなければなりません -
革紐が何かは、ご存じです。
革紐に犬を繋いでおく。
時折、犬は走れるように、革紐から 解き放たれなければなりません。
しかし、犬をいつの時も、 革紐に繋いでおくと、
もはや・
・・それは、活力を持ちません。 それはもはや、犬ではありません。
で、私たちは、その性質を 持たなければなりません。
ですね?
さて、私はどのように、自分自身を理解しますか。
これは、冥想の一部です。
理解されますか。
私は自分自身を、関係をとおして 理解します - 環境へ、妻へ、父へ、
それらへの自分の関係をとおして、です。
49:33
私は関係において、自分の反応が見えます。 ですね?私たちは、互いに付いてきていますか。
ここまでは、だいじょうぶですか。
賛同されますか。
なぜなら、関係なしに、 私は存在しないからです。
私は存在できません。
私は、修道院へ引っ込むかもしれませんが、 やはり私は、関係しています
- 過去へ関係し、
イエスが言ったことなどの概念へ、 関係しています。
で、私はいつも関係しています。
ですね?
その関係、すなわち鏡には、
ありのままに、私自身が、見えます -
私のあるべきものではなく、 実際に、私なるものが、です。
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50:31
質問者: 反応ということに立って、ですか。
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50:33
K: 私の反応すべて、です。
で、それは、とてつもない見守りを、 必要とします。
ですね?
あなたがこれらを できるのか、と思われます。
それで、
関係は、そこにありのままの 私自身が見える、鏡です。
そのほうが、私があるべきものより、 はるかに重要です。
なぜなら、私なるものは、変容できるからです
- 変容ではない。
「変容」という言葉は、一つの形から もう一つの形へ動くことを、意味しています。
そうでなく、変異をもたらす。
私はその言葉を、使いましょう。
で、それが鏡です。
で、私は、自分の関係において 鏡を、見守っています。
51:27
鏡は私の関係です。
で、私は、自分がいつの時も、人々について イメージを創り出していることが、見えます。
ですね?
私は、妻について イメージを、創り出してきました。
私は彼女とともに、四十年、二十年か、 十日間、生きてきました。
私はすでに、彼女について イメージを、創り出してきました。
彼女はすでに、私について イメージを、創り出してきました。
ですね?
で、これらは事実です。
で、私たちの関係は、 これら二つのイメージの間に、あります。
ですね? 私がこれらを言うなら、神経質になられますか。
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52:13
質問者: いえ、いえ。
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52:14
K: あなたの奥さんも、ここにいらっしゃいますか。
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52:19
質問者: 自分自身を、社会の鏡に照らして測量するなら、 K: そうです。そうです。
質問者: 私は、すっかりあなたが表されただろうようには、 表してこなかったのかもしれません。
しかし、私の問いの焦点は、こうです -
自分が社会を変化させるなら、 自分の自己イメージに、何が起きますか。
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52:39
K: さて、ちょっとお待ちください。 誰が社会を、創り出しましたか。
私たちが、社会を創り出しました。
私たちは攻撃的です。
私たちは暴力的です。私たちは貪欲です。
私たちの社会は、私たち自身です。
社会は、私より違っていません。
私は共産主義者ではありません。
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53:03
質問者: 私たちは、一つの社会から もう一つへ動くなら・・・
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53:07
K: それは同じです。 それは、私が、なるようなものです・・・
私はカトリックであり、私は仏教徒になる。
それは同じ動きです。
私は名前を、変更しました。
仏教はキリスト教より、はるかに知的、 はるかに微妙で、
はるかに・
・・等々です。
で、一つの宗教や国家から、 もう一つへ動くことは、同じです。
どうぞ、私は、問うています。
私は、言っています -
自分自身を理解するには、
自然への自らの関係が何なのかを、 見なくてはいけません。
樹々、自然の世界、
自然の実在、
自然の美しさ、深さ、栄光へ、
そしてまた社会(への関係を)、です。
私は社会へ、関係しています。
私は、自分は社会とは違っている、と言います。
54:29
私たちはそうではない、と私は言います。
私たちがこの社会を、創り出してきました。
ですね?
それは事実でしょう。
私にこれを、終了させてください。
どうか、一分間、待ってください。
私たちが、この社会を創り出してきました。
思考が、この社会を創り出してきました
- 特定の社会の文化を、です。
私たちは、それらの結果です。
この社会を創り出してきたのは、 私たちの行為です -
私たちは、貪欲です。
私たちは、攻撃的です。 私たちは、暴力的です。私たちは、所有したがり、
不安定で、安全を欲しがります
- 物理的とともに、心理的にも、です。
それで、私たちは、この社会を持っています。
それは腐敗しています - 私たちが腐敗しているように、です。
すみません。
みなさんは、 そうではないかもしれません。
で、それは、私たちの産物です。
で、私が、この社会の一部が、 根本的に、心理的に
変化するのでなければ、
社会には、何の変化もないでしょう。
55:50
それは事実です。
共産主義者たちは - 私がその言葉を使っていいなら - いいですか?
私は、或る時に、たくさんの 共産主義者の友だちを、持っていました。
安楽椅子の共産主義者ではなく、
党員証を持つ(正式の)共産党員です。
彼らは、本当の共産主義者でした。
私たちは、パリと他の場所で、 大変多く議論をしたものです。
彼らは、一定の点まで行き、 それから、「すみません。
もう行きません。
マルクスが限界です」と言ったものです。
理解されますか。
この国(アメリカ)の(キリスト教) 原理主義者たちのように、です -バイブルが限界です。
彼らとは議論できません。終了です。
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|
56:44
で、私たちは冥想について、議論しています。
その冥想において、創造性は何でしょうか。
それが問いです。
今、私は、関係において ありのままに自分自身を、見ます。
また私は、私なるものを変化させるどの動きも
- どうか、これを理解してください。
それは少し複雑です。
お気になさらないなら、です -
私なるものを変化させるどの動きも、 やはり、同じ様式にあることが、分かります。
ですね?
私は・
・・いいですよ、 それを違ったように、表しましょう。
それを変化させることになるのは、 誰ですか。
ですね?
私は貪欲です。
仮に、私は貪欲である、とします。
どのさまで私は、それを変化させますか。
変化は、他の何かへ、を意味しています。ですね?
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|
57:52
質問者: で、無貪欲になりたいのは、 もう一つの形の貪欲ですか。
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|
57:56
K: ええ。まさにそうなんです。
貪欲になりたくないのも、 もう一つの形の貪欲です。
もちろんです。
で、その事実は、どのように変化するのか。
私は自分の関係において、発見します - 私がどんなに貪欲なのか、
私がどんなに所有したがるのか、
性的、その他で、です。
執着。
執着の複雑さすべて -
恐れ、嫉妬、心配、憎しみとともに、です。
その(執着という)言葉には、 このすべてが、収容されています。
よろしいでしょうか。
これらに、付いてきておられますか。
私たちはともに、ここにいますか。 または、私は自分自身に話しているだけですか。
|
|
58:52
質問者: あなたは、これらの物事が見えるには、
見守りが必要である、と指摘なさっています。
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|
58:57
K: もちろんです。
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|
59:00
質問者: でも、私たちはどうやって、 見えるほどに強くなるよう、
見守りを、助けられますか。
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|
59:06
K: ああ、あなたは、それを助けられません。
なぜあなたは、科学者ですか。
あなたは、そうなりたい。
あなたは、何年も使います -
あなたが科学者になるために、 何年を使うのか、私は知りません。
あなたは、これに五分間を、掛けさえしないでしょう。
私が、大変尊敬をこめて、指摘してもよろしければ、
どうやってを訊ねることは、 体系を求めることである、と思います。
ですね?
体系は必然的に、破壊的な性質を、 内在させているにちがいない -
エントロピーと、その他すべてです。
で、私は、関係において、 自分自身を発見します。ですね?
|
|
1:00:04
そのとき、次の問いは、こうです -
注意は何でしょうか。
集中は何でしょうか。
あなたは、これらに付いてきていますか。
これに興味はありますか。
礼儀正しくしないでください。そうですね、 あなたたちが去られても、私は気にしません。
|
|
1:00:26
質問者: 私たちは、一つの切れ目を 補えるでしょうか。
あなたは、貪欲と、 このような様々なことと、
それらを変化させようとすることについて、 話していました。
それは、感受を変化させるとか、 それの充足を変化させる、
という脈絡において、でしょうか。
あなたは、自分は貪欲である、と言われます。 あなたは、感受を持つ、という意味で・・・
|
|
1:00:44
K: それは反応です。
|
|
1:00:47
質問者: あなたは充足を消去できるが、 それでもなお、
感じを持てるように、見えます。
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|
1:00:51
K: いいえ。
そこが、困難なのです。
お分かりですね。
貪欲の感じは、何でしょうか。
所有したがること。ですね?
あなたは、すばらしい邸宅を、持っています。 私も、その種の邸宅が欲しい。
|
|
1:01:07
質問者: それは感受です。 それから、欲しい。
それが他の何かであるのは、 あなたが出て行って、それを得るときです。
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|
1:01:15
K: ええ。ここ、アメリカでは、
買え、買え、買え、買え、です。
質問者: どんどん行け、と。
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|
1:01:22
K: そうです。
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|
1:01:31
で、そのとき私は、 集中と注意の問いへ、入らなくてはなりません。
集中とは何でしょうか。
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1:01:37
質問者: 集中は、排除を含意しているでしょう。
集中は、排除、排除することを、 含意していませんか。
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1:01:44
K: それに入ってください。気をつけて見てください。 それを見つめましょう。
集中する。
学校で子どもは、教師から、 集中するよう、言われます -
「思考を駆け去らせるな。
窓の外を見るな。 集中しろ」と。付いてきていますか。
で、私たちは子どもの頃から、訓練されます。
あなたは、信心深いキリスト教徒であるなら、
イエスやキリストに、焦点を合わせます - それが何であっても、です。
あなたがインド人であるなら、 違った名前で、同じことをします。
私たちは名前の奴隷です。
ですね?
で、集中は、排除を含意してます。
私は集中していますが、 思考は、さまよいつづけます。
で、私はそれを制御しなくてはいけません。
ですね?
そのとき問いは、制御者は誰であるか、です。
制御者は、制御されるものです。それが お分かりになるのかと、思われます。いいですね?
|
|
1:03:00
質問者: あなたがいわれるのは、制御したいとの 自らの願望によって制御される、という意味ですか。
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|
1:03:03
K: いえ、いえ。
観察者は観察されるものです。
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1:03:12
質問者: キリスト教徒として、 私が提示せざるを得ないと感じることの一つは、
あなたは、キリスト教徒は キリストに集中する、と述べられました。
私は、キリスト教徒であろうと試みますし、
確かに私は完璧な者ではないけれども、
キリスト教での一つの信念は、
個人に焦点を合わせない、ということです。
キリスト教を他の宗教より 区別する一つのことは、
それがもっと利他的である、 ということです。
自己に焦点を合わる代わりに、キリスト教で 私たちは、外的に焦点を合わせ、
他の人たちのために、自分自身を犠牲にします。
|
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1:03:43
K: あなたが表すように、もっと利他的だ、 愛する、と。
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|
1:03:50
質問者: そこでは、個人への焦点になるとは、 私は思いません。
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|
1:03:52
K: 私がそれに触れたのは、すみません。 それは放っておきましょう。
|
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1:03:54
質問者: 理想的には、人類すべてへの 気持ちの広がりが、あります。
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1:03:56
K: 利他的は、放っておきましょう。
私たちは当面、冥想と創造性とは 何なのかを、
見出そうとしています。
私たちは、様々な形の 宗教について、話をできます -
それらは、思考により組み立てられています。
それについて、疑問はありません。
儀式すべて、教義すべて、
信念すべてとそれらは、 思考により、組み立てられています。
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1:04:21
質問者: たぶん私が、話を 明らかにしていなかった・・・
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1:04:23
質問者: どうか、宗教へ入らないでおきましょう。
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1:04:25
質問者: 私は、或る点を 擁護しようとしていませんでした。
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1:04:28
質問者: いいえ。主題に拘りましょう。 いいですか。ただ今は。
|
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1:04:30
質問者: いいよ。これは主題に関係しています。
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1:04:35
質問者: いや。ただ今は、それに拘りましょう。 K: すみません。
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1:04:36
質問者: 私は、自己と反省の間の違いが何かを、 知りたいと思います。
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1:04:37
質問者: 私が思うに、あなたは、 訊ねることをとおして・・・
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1:04:41
K: 私がキリストを持ち込んだのなら、 お許しください。
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1:04:44
で、私たちは集中について、話しています。
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1:04:55
集中は、あなたのエネルギーの焦点を、 特定主題へ合わせることを、含意しています
- それは、思考が何かへ、 集中しようとすることです。
しかし、思考はまた、浮浪しています。
いつの時も、さまよっていきます。
で、そこには、葛藤があります。
ですね?
行きつ戻りつです。
で、どうぞ、理解しなくてはいけません
- あなたが本当に、これらへ 興味を持っておられるなら、です -
葛藤とは、何でしょうか。
なぜ人間たちは、何千何万年の後、永続的に
葛藤の中に、生きてきたのでしょうか。
それは通常に見えるし、あなたは、
「いや、前進するには、葛藤の中に いることが、必要だ」と言うでしょう。
前進とは何でしょうか。
私たちは前進しつつありますか。
おそらくテクノロジー的に、 あなたたちは驚くほど、前進しつつあります。
その他で私たちは、心理的に 前進しつつありますか。
明白にそうではない。
私たちは、ここ四万年以上の間、
そうであったものなのです。
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1:06:05
で、私は、集中とは何かを、 理解しなくてはいけません -
それは、排除を意味しています。
それは、私があらゆる物事を排除し、 あらゆる物事を回避し、あらゆる物事に抵抗して、
自分の生を生きることを、意味しています。
付いてきておられますか。
それで、常に闘いがある。
葛藤の中の頭脳は、自ら 擦り切れていまいます。
自らのエネルギーを失います。
ですね?
同意ですか。
これは明白です。
論理的です。
で、葛藤なく生きることは、 可能でしょうか。
理解されますか。
冥想の深さ、何が含意されているかを、 理解されますか。
で、葛藤なく生きることは、可能でしょうか。
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1:07:06
語り手は、はい、と言います。 語り手は言います - 私は自慢していません。
彼は、自慢していたり、 お手本になろうとしていません。
彼は、その種のことすべてへ、 恐怖を持っています。
彼は、「はい、それは可能です」 と言います。
彼はそうしてきました。
葛藤とは何でしょうか。
なぜ私たちには、二元性が あるのでしょうか。
理解されますか。
一つのことを言って、何か他のことをする
- 自らが言ってきたこととは反対に、です。
私は貪欲であり、私はそうであってはならない。
それは矛盾です。ですね?
同意ですか。
で、私たちには、 いつの時も二元性があって、機能しています。
で、二元性が、葛藤の原因です。
それは可能でしょうか・・・いや、すみません。
そもそも、二元性があるのでしょうか。
質問者: 二元性はあります・・・
K: 一瞬間、ただ聞いてください。
私たちは、止めなくてはいけません・
・・
そもそも、二元性があるのでしょうか。
二元性はあります - あなたは女です。私は男です。
1:08:33
私は背が高い、あなたは低い、とか、 あなたは背が高い、私は低い、とか、
あなたは色白だ、私は浅黒い、などと、 二元性はあります。
日の出、日の入り、暗闇、光はあります。
二元性はあります。
しかし心理的に、 そもそも、二元性がありますか。
または、「有るもの」だけですか。
理解されますか。
暴力だけがあります。それの対極はない。
それの対極は、非実在です。
しかし私たちは、対極を 実在にしてきました。
ゆえに、二元性があります。
あなたがこれらに付いてきているのか どうか、私は知りません。
天国と地獄、悪魔と神 - そうですね、
私が議論している、 二元性の心理的な動き全体です。
1:09:40
私たちは言っています、語り手は言っています -
心理的に二元性は何もない。
ただ、「有るもの」だけがある、と。
「有るもの」の理解があるなら、 そのとき、二元性はありません。
ゆえに、心理的に 葛藤すべての終止が、ある。
なぜなら、冥想は、必要とされる ものすごいエネルギーを、含意しているからです
- ただ、どこかバカげた片隅に座って、
何らかのものを反復しているだけではない。
(禅の)或る祖師の
うるわしい物語が、あります
- 賢い、それらの種類のことです。
或る弟子が、彼の所へ来て、
彼の前で脚を組んで座り、目を閉じます。
1:10:37
祖師は、「友よ、 君は何をしているのかい」と言います。
「私は冥想しております」と。
「ああ、そうなのか」と彼は言います。
で、彼は二つの石を、拾い上げます。
祖師は、二つの石を拾い上げ、それらを擦り合わせます。
物音で彼は目覚めます。
弟子は彼に言います -
「先生、何をなさっていますか」と。
「私は、これら二つの石から、 鏡を作ろうとしているよ」。
弟子は言います -
「それらを余生の間、擦り合わせられますが、
けっして鏡はできないでしょう」と。
で、祖師は、「君は余生の間、
そのように座っていられるよ」と言います。
|
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1:11:24
で、集中です。
それから、注意とは何でしょうか。
集中には、いつも中心がある。
ですね?
中心は「私」です - 私が集中している。
これらに付いてこられるのか どうか、私は知りません。
集中は、「私」、自己を
強調します。
注意は、いかなる中心をも、 持っていません。
私は注意しているとき、 私は注意している。
注意がある。
それは、「私は注意している」 ではない。どうですか・・・
で、注意があるところ、
中心は、周辺とともに、直径とともに、
拡がりなどとともに - それが一つもありません。
その中から、私たちは、静寂な精神、頭脳とは 何かを、探究しなくてはいけません。
私たちは、基盤を敷いてきました。
すなわち、自分自身を完全に理解する。
それで、恐れがないように、です
- 心理的に、いかなる恐れもない。
さもなければ、恐れは、 あらゆる種類の幻影を、創り出すでしょう。
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1:13:11
質問者: あなたは、 精神と頭脳について、話されましたし、
それらの間に、よく気をつけた 区別を、されました。
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1:13:17
K: 私はそこへ来ようとしています。
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1:13:31
私は一息をついています。すみません!
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1:13:43
注意があるところ、静寂があります。
しかし、その静寂は、 炎に似ています。
理解されますか。
生きて、燃えています。
何を焼き去るのでもない。
理解されますか。
それは太陽等に似ています。
で、注意は、自己の完全な終止を、 意味しています。
試してください。
あなたは、注意しているとき、 自分自身を忘れてしまっています。
自己がないのです。
不注意があるとき、注意がないときだけ、
自己は存在します。
愛は注意です。
どうなのか・・・
セックスではなく、 楽しみではなく、欲望ではない。
アメリカ人は愛を、セックスと楽しみ、 それらへ還元してしまいました。
で、注意は、静寂を意味しています。
その静寂は、愛です。
愛なしには、何もありません。
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1:15:18
で、そのとき、訊ねます -
思考がまったく触れたことがない、何か 神聖なものが、あるのでしょうか。
理解されますか。
生すべては、物質的な過程でしょうか。
私は神について、何も知りません。
私は、神を創案しようとしていません。
理解されますか。
恐れがないとき、神への創案はありません
- 物事の起源、です。
絶対的に恐れがなく、どんな慰め、 安全への願望も、ないとき、
私たちは、物事の起源を、 見出すでしょう。
ですね?
なぜなら、それらはすべて 幻影のようであるからです。
理解されますか。
で、頭脳が完全に静寂であり、
そのとてつもないエネルギーを持つとき - 理解されますか。
なぜなら、それは今、おしゃべりするのを、止めたからです。これらに付いてきておられるのか、私は知りません。
1:16:36
おしゃべりするのを、止めた -
どうぞ、これはすべて論理的、健全で、理性的です。
それは、何か異国風の インドのゴミではありません。
私は、そこで育てられましたが、 それから、九歳でインドを去りました。
語り手は、一冊の宗教書も、
哲学や心理学をも、読んだことがありません。
あなたは、「おまえは独特の変種だ」と 言うかもしれません。
たぶんそうではない。
「生物学的な変種だ」と。 私はそうではありません。
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で、頭脳が絶対的に静かであるところ、
ゆえに、イメージについて空っぽであり、
それは、あのエネルギーを持っています。
何か神聖なものが、あるのでしょうか。
それは、こういう意味です - 何か思考が、人が自らの尽力の中、
探求の中、葛藤の中、 苦しみの中、何かのために
望むものが、あるのでしょうか。
理解されますか。
これらを理解されますか。
そのとき、人は望むなら、創造するでしょう。
そのとき人は、自らの望みの中から、
何か自らが無量に欲しいものを、 投影するでしょう。
それで、欺瞞がある。
これらは、洞察を含意しています。
洞察は、憶えていることの結果ではありません。
1:18:34
それが、憶えていることに、基づいているなら、
それはただ、もう一つの記憶、思考の継続です。
で、洞察は、思考、記憶、 経験、時に、関係していません。
何か、あなたは一閃きで、 全体のものが、見えるのです。
これは、あなたたちのみんなに、起こります - あなたが科学者であるなら、です。
その洞察は部分的です。
私がそう言うのを、お許しください。
芸術家のように、それは部分的です。
私たちは、全包括的な動きとしての 洞察について、話しています。
どうぞ、これらは言葉ではありません。
私にとって、とにかく それらは言葉ではありません。
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で、時を越え、測量を越え、 人のすべての欲求、願望などを、
越えているものが、 何かあるのでしょうか。
それを見つけるなら、生は、 ものすごい意味を持つのです。
ですね?
語り手は、ある、と言います。
私はそれを、証明できません。
さて、これが冥想です。
その中から、創造があります。
愛、慈悲は、自らの智恵を持っています。
その慈悲、愛と智恵が、創造性です。
なぜなら、その創造性は、一方で建設し、
他方で破壊をもたらさないからです。
私は、話を明らかにしつつあるのか どうか、知りません。
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そして、最後の質問があります。
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質問: もしもあなたが、国防への責任をもつ
(この国立)研究所の所長であって、
物事のあり方を認識したなら、
あなたは、研究所の活動と調査を、
どのように指令するのでしょうか。
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ありがたい。私は所長ではない。
しかし、私は、そうであるなら、 この質問をするでしょうか。
その問いは、正しい問いでしょうか。
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質問者: それは、人類へのあなたの理論、
あなたの信念と、
私たちがみんなしようとしていることと、 私たちが持つ毎日の
実用的な問題との
間の関連を、見つけようとする問いなのです。
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K: そうです。あなたが 持っている毎日の問題です -
生計を立てること、
セックス、子どもを持つことや 子どもを持たないこと、
天職 - それは今、模倣になりつつあります。
けんか、不和、痛み、
傷、苦しみの毎日の問題。
これが、私たちの日々の存在です。
私たちの頭脳は、子どもの頃から、 問題を解決するよう、訓練されます。
私たちは、解決は
問題の理解を阻止する、と言っています。
解決を探し求めることは、 問題の理解を、阻止します。
すみません。
なぜなら、私たちの頭脳は、 解決へ訓練されるからです。
1:23:04
私は、妻との問題を持っています。
私は、「解決は何だろうか」と言います。
離婚か、弁護士へ行くか、 適応か、逃げ去るか -
それらの種類のことは、ご存じでしょう。
しかし、問題は何でしょうか。
私の主張、私の願い、私の充足と、 彼女の、です。
それを理解しましょう。
それを議論し、終了させましょう。
しかし、私は、解決を探し求めているなら、 けっしてその問いへ、入りません。
問題の因果は、解決ではなく、 問題自体の理解をとおして、
終わらされられるのです。 すみません。これは大変多くを必要とします。
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で、問いはこうです。 もし私が(この国立研究所の)所長であるなら
- あなたは訊ねておられます - 答えは、 それは間違った問いである、と私は言うのです。
なぜなら、これは、今ではなく、まさに始まりに、 出されるべきであったからです。
人を殺すこと -
一人の人間が、宗教の名において、
国の名において、
神の名において、
王冠と忠誠の名において、
もう一人の人間を殺すことの始まりに、です。
あなたの国に対立した私の国、
あなたのイデオロギーに対立した私のイデオロギー。
私が、献身的なマルクス主義者、 レーニン主義者であり
- 私はそうではありませんが -
もう一人はカトリックである。
それで私たちは、互いに戦争をしています。
1:24:55
それが本当の問いなのです。 これらの終わりに、
私は何をすべきだろうか、ではなくて、です。
私たちがこれを、もたらしてきました。
私たちが世界を、分割してきました -
あなたはキリスト教徒である。
私は黒人である。あなたは白い。
あなたはコーカサス人(白人)である。
私はシナ人である
- または、おぞましいものが何であっても、です。
私たちは、分割してきました。
時の初めから、互いに闘ってきました。
西洋文明は、他のどの文明より、
多くの人々を殺してきました。
これは、事実です。 私はそれに反対でも、賛成でもありません。
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1:25:49
ロス・アラモス(国立研究所)の あなたたちのような人々の集団は、
ご自分の時間を 破壊のために、注いできました。
あなたたちはまた、他のことをも、します
- 太陽光を使う、そうね、それらです。
あなたたちは、一方で利益をしています - 大変多くの利益です。
他方で、あなたたちは、 地上のあらゆる人間を、破壊しつつあるのです。
なぜなら、あなたたちは、私の国、私の責任、
私の防衛を、認識してきたからです。
(ソビエト・
)ロシア人たちは、他方で
まったく同じことを、言っています。
インドは、同じことを、言っています。
そこは、無量の貧困を持っていますが、
軍備を増強しています。
で、これへの答えは、何なのでしょうか。
1:26:49
それへの答えは、私にとって - 私は間違っているかもしれません。
あなたの訂正を受け入れます。
一つの目的のために、ロス・
アラモスに
集まってきた人々の集団として、
もし集団が、「さあ、民族主義、 国家主義すべて、宗教すべてを、忘れよう。
人間として、この問題を、解決しよう -
いかに破壊なく、ともに生きるかを」と言い、
もしも私たちが - 絶対的に献身していて、
私たちが話してきた物事すべてに 関心を持つ
人物たちの集団 - が、それらへ時間を注いだなら、
そのときおそらく、 何か新しいことが、起こりうるでしょう。
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1:27:52
私たちはけっして、 死に向き合ったことがないのです。
(初代所長で、原爆の父、)オッペンハイマー、
彼は、サンスクリットを知っていました。
彼は(初の原爆実験の成功を見て)、
「私は死となった」と言いました。
あなたたちは、それをよくよくご存じです。
私たちは、死をもまた理解しません -
私は今、それへ入る時間がありません。
しかし、私たちは破壊者となったし、
また同時に、人間たちを利益するのです。
よろしいですか。
どうか、私はできません・
・・私は、あなたに何をする ようにも、頼んでいません。私は宣伝者ではありません。
しかし、世界は今、このようです。
誰も、地球的な見通しについて、考えていません
- 人類すべてへの地球的な感情です。 私の国ではない。後生です。
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1:29:18
もしもあなたが、語り手がするように、 世界を回ったなら、
あなたは余生の間、泣くでしょう。
平和主義は、軍事主義への反動です。
それだけです。
語り手は、平和主義者ではありません。
彼は、言います - これらの原因、これらの始まりを、
見つめましょう。
因果がそこにあるなら、
私たちみんながともに、因果が見えるなら、
そのとき、事は解決されるのです。
しかし、一人一人が、因果について 異なった意見を持っていて、
自分の意見、 自分の歴史的な弁証法に、拘るのです。
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1:30:19
それで、こうなっています。
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1:30:25
質問者: 私がお訊きしてもいいなら、 あなたは私たちを納得させた、と私は思います。
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1:30:29
K: 私は、あなたに、何をも納得させていません。
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1:30:31
質問者: すみません。 私は、適切な言葉を使っていません。
聴衆の静寂から見て、私たちは、
問題を理解し評価するだけのエネルギーを
持っているようだと、私は思います。
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1:30:40
K: いえ、いえ、それは私ではありません。
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1:30:43
質問者: でも、私が言いたいのは、こうです -
私たちがひとたび、本当にこれを理解しよう、
その方向へ何かをしようとするとき、
どうやら私たちは、必要なエネルギーを 欠いているようだ、ということです。
で、結果は、
私たちはまだ、私たちみんなが 望むほどの前進を、遂げることができません。
ですが、私は、あなたから批評を 二、三、お聞きしたいと思います。
私たちを本当に引き留めているのは、 何なのでしょうか。
私たちはそれが見えます。
私たちは、家に火が付いているのが、見えます。
それでもなお、私たちは、火を 止めることにかけては、何もできないのです。
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1:31:12
K: 火の付いた家 -
私たちは、それが外、あそこにあると、 考えますが、それは内、ここにあるのです。
私たちは初めに、自らの家を 秩序立てなくてはいけないのです。
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1:31:29
すみません。私たちは話してきました・・・
彼らは時計を見ています。
かつて私は、しばらくの間
知っていた家族から、言われました。
息子が私に会いに来て、言いました - 「私の父が死のうとしています。
どうか来て、父に 会ってもらえるでしょうか」と。
すべての家族で、 何が起きるのかは、ご存じです。
父親は、死のうとしています。
彼らはみんな、彼を取り囲んで泣いています。
それで私は、父親へ、彼らを 部屋から追い出すように、頼みました。
で、彼は、「出て行きなさい」と言いました。
彼は、彼らを立ち去らせました。
彼らみんなが 立ち去って、彼は扉に、鍵を掛けました。
彼は言いました - 「私は死のうとしています。
不治の病気で、です。
私は怯えています」と。 理解されますか。
それで私は、彼とともに座り、 彼の手を握りました。
彼は、「誰かが私の手を握ってくれたのは、これが 初めてです」と言いました。これらを理解されますか。
1:33:11
語り手は、彼に言いました - ともに死にましょう、と。
それは、どういう意味ですか。
彼は、家族すべてを去ろうとしていました。
彼は、すてきな邸宅を持っていました。
とても豊かな人です。
あなたは、そのすべてを去ろうとしている。
それが、あなたが恐れていることである、と
私は言いました。
また、あなたは、知らないものを恐れている。
あなたは、執着している。
執着があるところ、恐れがある、などと。
私たちはともに、優しく話をしました。
私は言いました - どんな種類でも執着があるのなら、
私はあなたとともに、死ぬでしょう、と。
あなたが、死ぬなら、
執着から自由であるなら、です。
私が言っていることを、理解されますか。
で、死は、生において、 とてつもない意味を、持っています。
死とともに生きる。
分離して、死はそこ、生きるのはここ、ではない。
ともに、です。
終了しました。
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