MA84DSG1.1 - 生きることは、絶えざる動きである。 home
小グループ討論会、第1回
インド、マドラス(チェンナイ)、
1984年1月2日

0:19 クリシュナムルティ(K): 誰がこれを始めますか。
0:22 ジャガンナータ・ウパディヤーヤ(JU): ププルジです。
0:28 ププル・ジャヤカル(PJ): 私は、 あなたに、お訊きしようと しています - その上に、議論の殿堂を 築ける基盤を敷く、 基盤を創り出す疑問です。 問いは、こうです - 三つの要因だけが、あります。 空間、時と物質です。 私たちは、パンディットジから、 これについて 仏教の見解が何であるかを、 聞くでしょう。 私たちはまた、科学者たちが、きわめて深く これを究明しているのを、知っています。 私たちは、あなたから 知りたいと思います - あなたがいかに、これら三つの要素を、 関係させるのかを、です。 外側、環境において、そして、 人の内の環境において、です。
1:44 K: で、誰が始めますか。 パンディットジ、 あなたの番ですよ。 で、あなたは、彼女が 言ったことを、理解されましたか。
2:03 アチュット・パトワールダーン(AP): ええ、私たちは理解しました。
2:04 K: あなたたちは、それについて 話してきました。よろしい。
2:06 AP: 少しだけです。
2:15 JP: (ヒンディー語で)
2:24 AP: ブッダは、 人間の問題から始めます。
2:35 JU: (ヒンディー語で) ・・・時、空間、物質・・・
3:03 AP: 空間、時と物質は、 ゆえに、ブッダにとって、 それをとおして人が 自己を表現する媒体です。 ゆえに、それらは、 そこに始まりません。 それらは、それら自体では 目的ではありません。 それは、人がこれらを とおして、作動するからです。 ゆえに、それらは、意義を持っています。 それらは、意義を取得します。
3:37 JU: (ヒンディー語で) ・・・時、空間、物質・・・
4:05 AP: ゆえに、問題、 問いは、こうです - 人が、主要な要因であるし、 人が空間の中、時の中で、 そして、物質をとおして、 いかに作動するのか、 または、人が物質でもって いかに作動するのか - それらは、意味を 取得します。 なぜなら、人が、それらを 手段として使っているからです。 が、それらが、自体で 目的になるなら、 人は、自己を 失ってしまうでしょう。
4:39 K: 私は、これを よく理解できません。
4:42 PJ: 私がそれをはっきり させてもいいなら、 パンディットジは、 私の問いを、問うています。 私は、時、空間、物質の間の関係を 訊ねることから、始めました。 パンディットジは、 こう言います - ブッダにとって、それは、 本当の問いではなかった、と。 実在は、人でした。 これらは、ただ 人が用いた器具だけです。 それらを誤用することは、 問題を創り出しました。 が、それらは、人の本質的な 問題ではありませんでした。 それへ、私は 応えるでしょう - 私は、議論を 取ってきました。 私たちが以前に行ってきた、 数百の議論から、です。 5:39 なぜなら、私たちは、 自分たちが行ってきた以前の 議論すべてに、戻っていくなら、 私たちはけっして、この質問を できなかったからです。 私は、この質問を しています。 長年、クリシュナジと議論を してきた後で、です。 私には思われますが、時は 条件づけを解消する中で、 本質的な要素で あるようです - 解放への追求において、 人を阻む条件づけを、です。
6:20 K: 私は本当に、あなたたちが みんな、何について話しているかを 理解できません。 すみません。 私は、あなたたちの用語や、 あなたの発言に、親しんでいません。 あなたたちが何について話して いるのかを、私はよく理解できません。 それは、私の無知なのかも、 私の愚かさなのかもしれませんが、 私は理解できません。
6:46 PJ: あなたはこの問題に、何の応答も 持たないと、仰りたいんでしょうか - 空間、時、物質の間の 関係について、です。
7:02 K: あらゆる物事が、 空間の中に、存在します。 あなたは、空間を 持たなければなりません。 樹が、十分に成長するために、空間を 持たなければならないように、です。 ですね?  それは、空間を 持たなければなりません。 そして、大地に、水に、 由来する養分などを、です。 で、次の問いは、 何ですか。
7:28 PJ: 束縛を破ること。
7:31 K: 破る? PJ: 人の精神を 抑えている束縛を、です。
7:33 K: ああ、あなたは、他の何かに ついて、話していますね。
7:35 PJ: いいえ。それは、きわめて 関連しています、クリシュナジ。
7:38 K: どうぞ、私には、単純に してもらえるでしょうか。
7:44 私は、単純な人物です。 どうぞ、あなたのことを、 単純に述べてくださるでしょうか。 するとおそらく、私は、 理解するでしょうし、 おそらく、他の人たちは、 理解するかもしれません。
7:56 PJ: 私は、もう一つの 質問を、しましょう。 あなたは、時について 語られました - 今に、収容されている 過去と未来として、です。 昨日が、です。
8:12 K: それは動きです。 ええ、それは動きです。
8:17 PJ: それから、あなたは、 すっかり別の時に、 触れられました。 私は、その別の時 - あなたが 話しておられるもの - に、 至ろうとしています。 私は、それを探査する問いとして、 これを用いました。 そのすべてを、脇に 放っておいてください。
8:42 K: パンディットジ、 あなたは・・・
8:52 AP: 私が理解するところ、 彼女は、時、空間、物質に ついて、質問しました。 実際に、 二種類の時があるし、また 二種類の空間と物質も、です。 微細なものと、粗大なものが、 あります。 さて、実際に私たちはまったく、それの 粗大な方を、取り扱っていません。 私たちが空間について 話すとき、 あなたと私との間の空間は、 何フィートかの距離ではありません。 その空間は、 心理的な空間です。 同様に、物質もまた、 単に時系列的ではありません。 それは、心理的です。
9:41 K: 物質 - あなたがいう物質とは、 どういう意味ですか。私は迷っています。
9:47 AP: 時もまた、心理的です。 そして、物質は、仏教の用語で、 私たちは、(微細な水準で)タンマートラ (唯それのみ)という言葉を、使います。
9:57 JU: ダールマ(法)。
9:59 AP: それは、物質性へ帰属している 心理的性質、という意味です。
10:08 PJ: 言い換えると、 思考です。
10:13 K: それが、あなたが言おうと していることですか。
10:19 ラーダー・バーニアー(RB): パンディットジが同意されるのかどうか、 私は知りません - すなわち、ダールマ(法)が 物質に帰属している心理的性質を 意味することに、です。
10:30 JU: しません。
10:39 PJ: ですが、思考は物質です - あなたは、同意されるでしょうか。
10:41 AP: いえ。昨日、私は彼と、 ダールマについて、話をしました。 ダールマ(法)には、 二つの定義が、あります。 K: ダールマ?
10:48 AP: ダールマです。
10:50 ダールマの仏教的定義は、 こうです -
10:51 特定の実体に、 典型的な特徴であるか、 帰属しているものです。 それを除去するなら、その実体は、 その名により呼ばれません。 で、ダールマは、 その特定の対象物の、物質の、 本来的な実相です。 で、時、空間、物質がどれも取り扱われて いないことを、見なくてはいけません - そこでは、 物質から、他の何かへ、 科学者がそれに接近する、 という意味で、です。 が、私たちは、逆の方から それに接近しています。 私たちは、こう言っています - 心理的に、 これらが、作動しつつある 要因である、と。
11:37 K: あなたは、物質は、固形化されたエネルギーであることに、同意されるでしょうか。
11:50 AP: いいえ。これは、 とても重要です。なぜなら、 このお方は、この点について、 ためらっておられると、私は見たからです。 K: 何ですか。 
11:56 AP: 彼は、 この点について、ためらっています。
11:58 PJ: 彼はこれを、さほど 容易く受け入れません。
11:59 AP: 昨日、私は、この点で 彼がためらっているのを、見ました。
12:02 で、それをはっきり させたほうが、いい。
12:06 K: ほら、私たちは、 何について、話していますか。 私は単純にしましょう。 私たちは、時と、 思考と、空間について、 話しています。 それに 同意されるでしょうか。 時、思考、空間と物質 - なぜあなたは、物質を 持ち込みますか。
12:34 PJ: 物質は、 顕現しているものです。
12:39 K: 私たちは、それに 同意しますか。 (ヒンディー語での議論)
13:41 PJ: 彼は、思考は物質でない と言うでしょう。
13:49 K: 私は、こう考えるでしょうね - 思考とは・・・ 思考は物質です。 さて、それに 取りかかりましょう。
13:55 AP: 私は、こう言います - あなたは身体を持つのでなければ、 私は身体を持つのでなければ、 自分の感覚を持てません。 感覚、五感は、私が身体を 持っているから、存在します。 そして、感覚を持っているから、 私は、思考を持っています。
14:18 K: 何ですか。
14:19 AP: ゆえに、思考は、 感受により存在します - 五感により頭脳へ運ばれる 感受によって、です。
14:44 JU: (ヒンディー語での議論)
15:54 RB: 彼は、こう言います - 普通のその用語の意味で、 思考は物質ではありません。 普通のその用語の意味では、 これは物質です。 マイクロフォンも また物質です、などと。 ですが、思考は、特別な意味では、 物質と見做されるかもしれません。 なぜなら、思考は、 特徴を与えるもの、 精神を特徴づけるもの であるからです。 そして、何をも 特徴づけるものは、 その判別する性質です。 それは、他のあらゆる物事より、 それを判別します。 他のあらゆる物事より、精神を 判別するものは、思考です。 その視点からは、思考は、 物質だと言えます。
16:42 JU: (ヒンディー語で)
17:09 RB: あらゆる思考は、他のあらゆる 思考より、異なっています。 私は 通訳しているだけです。 それは、他のあらゆる思考より 異なっているから、 それは、実存的な性質を持っていて、 それにより、それは物質になるのです。
17:39 K: で、何ですか。
17:40 PJ: 問いは、こうです - あなたが質問されました - あなたは、受け入れるでしょうか・・・
17:52 K: ・・・思考は物質的な過程である、と。 思考は、 物質的な過程である、と。 一つの思考は、別の思考より 異なっているかどうか、などではない。
18:02 RB: 思考は、頭脳の 記憶から、生じます。 ゆえに、それは、 物質的なものです。
18:08 K: それが、私が 言っていることです。
18:11 RB: 記憶は、頭脳に、 居住しています。
18:13 K: さあ、それをヒンディー語に 翻訳してください。
18:22 JU: (ヒンディー語で)
19:14 PJ: 私が理解するところ、 彼は、知識は本質的に、 物質ではないと、言います。 それは、物質を 創り出すのを、助けます。 K: 何ですか?
19:30 RB: 彼は、こう言います -
19:31 彼は頭脳に、記録過程があることを、 受け入れる、と。 彼は科学者ではないですが、 彼は、本質的に知識は、 物質ではないと、言います。 なぜなら、 頭脳の物質的過程は、知識が 生ずるのを、援助するかもしれないが、 それは、知識 そのものではないからです。
19:59 K: さて、私は、あなたがいう知識とは、 どういう意味かを、知りたいと思います。
20:07 AP: (ヒンディー語で) (ヒンディー語での議論)
21:06 AP: 翻訳しましょう。 私は、こう言いました - 感覚対象と 接触する五感は、 感受を、頭脳へ 運んでいく、と。 そのとき、知識は、それら感受の 子どもとして、生まれます。 ゆえに、感受なしには、 知識はありえません。 ゆえに、知識は、 諸感覚の物質性に 従属する、過程です。 さて、それへ、彼は、 他の何かを言っています。
21:35 RB: が、クリシュナジは、彼に 訊ねています - 知識とは、何ですか。
21:39 K: それがすべてです。 あなたの「知識」という言葉は、 どういう意味ですか - 知る、とは。
21:48 JU: (ヒンディー語で) (ヒンディー語での議論)
23:44 RB: 彼は、こう言います - 感覚器官は、物質的である。 感覚の対象は、物質的である。 が、感覚対象の、感覚器官との 接触をとおして、 知識が生じます。 その知識は、 物質的ではありません。 なぜなら、器具は、 物質的であるかもしれないが、 効果は、器具と 同じではないからです。 ゆえに、器具が 物質的であるからといって、 効果もまた 物質的であることを、 結論できません。 彼は、知識は、物質より異なっていないと 言います。なぜなら、それは所属する・・・
24:24 K: ですが、知識は、どこに 蓄えられていますか。 (ヒンディー語での議論)
24:36 PJ: 知識は、どこに 蓄えられていますか。
25:00 JU: (ヒンディー語で)
25:03 RB: 記憶の中、と 彼は言います。
25:05 K: すなわち、頭脳です。 ゆえに、知識は、 物質的です。 過程です。 (ヒンディー語での議論)
25:51 RB: が、彼は、矛盾している 二つのことを、言っていると、 私は思います。 なぜなら・・・ (ヒンディー語での議論)
26:13 RB: 彼は、記憶は 精神の性質であると、言います。 アチュットジは、こう 言っていました - 頭脳が死ぬなら、 記憶はない。 だから、それは、精神の性質ではなくて、 それは、物質に所属している、と。
26:33 AP: 私は、記憶は、脳細胞の 産物であると、言いました。
26:41 K: いいえ。私自身を見守っていて、 私が理解するかぎり - 私は全然、間違っているかもしれません。 ものすごく訂正を受け付けます - 経験は、単純です。 経験から、 知識があります。 経験なしに、知識はありません。 同意しますか。 そのとき、その知識は、 頭脳に蓄えられています - 脳細胞の中に、です。 脳細胞は、 物質的な過程です。 で、思考は、 物質的な過程です。 それが、私が 言っているすべてです。 それは、頭脳の脳細胞の中に、 保たれています。 そして、記憶は、 それら細胞の一部です。 そして、思考は、記憶から 生まれます。 さもないと・・・ すなわち、 過程全体が、時です。 過程全体が、一定の 空間の中に、あります - 制限されている など、です。 そして、物質は、 この過程です - それが思考です。
27:53 RB: その言葉なしの 観察や知覚 - それについて、 あなたは、話しておられますが - それは、一種の知識ですか。
28:02 K: いいえ。
28:04 RB: あなたの用語法において、 そうではありません。
28:07 K: 「私の用語法」を 使わないでください。 私は、普通の英単語を 使っているだけです。 私は経験をします。 私は、車を運転していました。 私は、別の車へぶつけました。 それは、経験です。 私は、その事故から、 学びます - 私は、運転するとき、はるかに 気をつけるべきことを、です。 それが、私の知識です - 頭脳に蓄えられた知識です。 で、私は、次回、 見張っています。 で、その見張る中、 思考と、その他すべてが、 生じます。 問題は何ですか。私は これらが、よく分かりません。
28:47 PJ: いえ。ですが、何を訊ねるのが、 妥当するのでしょうか・・・
28:53 知覚の中から・・・ K: あなたは 知覚へ逸れていっていますか。
28:55 PJ: いいえ。なぜなら、それが ちょうど今、持ち上がったからです。
28:57 K: 私たちが知覚へ入る前に、 私は、パンディットジが、
29:00 このことに同意されるのか どうかを、知りたいと思います。
29:06 AP: 私もまた、彼を、この 特定の点に、固定したいです。
29:09 K: 彼を留めてください!
29:22 JU: (ヒンディー語で)
29:54 RB: 彼は、経験は結論より 異なっていると、言います。 あなたが、マイクロフォンを見て、 それはマイクロフォンだ、と言うなら、 それは、以前にマイクロフォンを 見たことなどに、 基づいている結論です。 が、経験は、何か それに先行するものです。 経験が、結論に 先行します。
30:20 PJ: ですが、私が 言っていいなら、 クリシュナジは、その点に 来ていないのです。 彼は、訊ねています - 頭脳の中に、 記憶として蓄えられているもの、 それは、物質的な過程です。
30:35 K: それが、 私が言っているすべてです。
30:37 (ヒンディー語での議論)
31:11 PJ: (ヒンディー語で)
31:17 JU: (ヒンディー語で)
32:13 PJ: (ヒンディー語で)
32:19 JU: (ヒンディー語で)
33:12 AP: 私は、あなたに 同意いたしません。
33:15 RB: あなたは、彼が言ってきた ことを、彼に語っていません。
33:18 PJ: 彼は、知識と経験との間に、 区別を付けたのです。
33:23 K: ちょっと待って、ププル。 私はよく理解できません。
33:26 PJ: 私は、彼に 訊ねました - あなたはどうして、経験が 知識に先行すると、仰るのですか。 K: 何ですか?
33:32 PJ: 私は、彼に訊ねました
33:33 - あなたは、経験が知識に先行する、 知識に先立つと、 どうして仰るのですか。 彼は、経験は、私がそれに名づける事実に、 先行する、と言います。 そして、私は、あなたはどうして そう仰るのかと、言いました。 それに対して、彼は、知識は、支持が なくてはいけない、と言いました - 支持とは 物理的なものです。
34:07 JU: (ヒンディー語で)
34:16 PJ: 経験のためには、 物質が必要です。
34:22 K: なぜあなたは、 これらに入りますか。 私は、車で事故を 起こします。 私は、車を 運転しています。 それを、物質的とか、その他 すべてで、呼ばないでください。 事故があります。 私のラジエーターは、 潰れて、粉々になります。 それが、記録されます。 私は、次回、運転するとき、 はるかに気をつけています。 すなわち、私は、 経験をしてきました。 その経験から、私は、 知識を取得してきました。 ですね?
34:59 AP: 私は、仰っている ことを、理解しました。 が、彼は、進んで 受け入れようとしていません。 彼は、ラジエーターが潰れるのが、 経験である、と言います - が、その中から生ずる知識は、 物質的ではない、と。 それが、彼が言おうと していることです。
35:17 K: それは、どこに蓄えられて いますか - その知識は。
35:21 AP: 彼は、これを 受け入れていません。 (ヒンディー語での議論)
35:41 K: あなたは、彼に頼んでくれる でしょうか - 大変丁重に、です - 仏教についてすべて忘れて、 人間として話をするように、です。 私は、あなたを 侮辱しているのでしょうか。 どうぞ、私は大変、尊敬を こめています。 パンディットジ。 が、あなたは、仏教を一分間、 忘れられ、そして、 二人の人間として、私へ 話してくださるでしょうか。 ご覧ください。 パンディットジ、 私のような人物 - 私は、仏教を 読んだことが、ありません。 ですね? 私は、キリスト教を読んだ ことが、ありません。 私は、これらについて、 何一つ知りません。 ですね? そして、人間として - 人間存在です - 私は、知識を、 行為の手段と見ます。 その行為が、完璧に実施されるの でも、されないのでも、です。
36:52 JU: この行為とは、 何ですか。
36:54 K: 待って。私は、 行為について、話していません。 私は、こう 言っているだけです - 私の経験は・ ・・ 始める・ ・・ 生は経験です。 その経験から、 取得される知識が、 大変多く、あります。 科学者のように、です。 彼らは、実験し、 実験しつづけます。 彼らがすでに知っていることへ、 付け加え、付け加えるまで、です。 そして、 続けてゆきます。 そのすべての知識は、 頭脳に蓄えられています。 それは、単純です。 それが、私の論点すべてです。 ゆえに、知識は、物質的過程の 部分です - 思考のように。 それが、すべてです。 私は間違っているかもしれません。 訂正してください。 それが、私が言っている すべてです。 仏教徒としてや、キリスト教徒や イスラム教徒として、ではない。 そのすべてを忘れて、 それについて、話しましょう。
38:03 JU: (ヒンディー語で)
38:31 (ヒンディー語での議論)
39:09 RB: 問題の一部は、翻訳に あります。 PJ: 意味論です。
39:10 RB: アヌバーヴァ(領納)を 「経験」と翻訳することは、
39:12 誤解を与えると、 私は思います。
39:18 K: サンスクリットの言葉を、 まったく使わず、
39:23 単純なヒンディー語で 話してください。 PJ: 私は、一つのことを、 お訊きしたいだけです。
39:25 RB: サンスクリットとヒンディー語は 同じ言葉を、持っています。 サンスクリットで話すことなく、 ヒンディー語で話せません。 (ヒンディー語での議論)
40:17 RB: ブッダが言ったことに ついて、何か。
40:20 K: それが、私が異議を 申し立てていることです。
40:22 質問者: 彼は、病は 言葉であると、言っています。
40:25 AP: いいえ。私は、 彼は老人を見ると、言っています - 彼は、病人を見る、 彼は、死体を見る、と。 K: 誰が見ますか。
40:34 PJ: ブッダが、です。
40:35 K: が、私は言いました - ブッダに ついて、話さないようにしましょう、と。
40:36 AP: いえ。私は、 一例を示しているだけです -
40:39 知識はどうして、経験より 分離できないのか、です。
40:44 PJ: いえ。私は、パンディットジに 一つ質問をしたいです - もし、経験と知識が、二つの 分離したものであるなら、 それらを分離し、ただ経験する ことは、可能ですか。 ただ経験することは、 可能ですか。 JU: 可能です。
40:59 K: 何? 何?
41:00 PJ: もし知識と経験が・・・ K: 分かりました。
41:02 PJ: ・・・二つの 分離したものであるなら、
41:03 知識なしに、経験することが、 可能であるにちがいありません。
41:04 それは、可能ですか。
41:14 K: 待って。ええ。
41:21 JU: 可能です。 大いに可能です。
41:30 K: 息を 止めないでください。
41:36 JU: (ヒンディー語で)
41:43 RB: 彼は、経験なしに知識は ありえないと、言います - が、知識なしに、 経験はありえない、と。
41:48 PJ: が、クリシュナジが、彼がちょうど 言ったことを、追求できたなら。
41:53 K: いいえ。 それが、私が・・・
41:58 RB: アヌバーヴァ(領納)は、 経験という意味ではありません。 それは、実際の知覚です。
42:04 K: いいえ。私は、こう 言いたいと思うのです - あなたは、私を 傷つけてきました。 それは、経験です。 それは、知識になります - それが記録されるとき、知識として 蓄えられます。 
42:21 RB: はい。
42:22 K: それが記録されないとき、 それは、たくさんの言葉だけです。 それで、すべてです。 それは、知識なしの経験です。 私が言っていることを、理解されるのか どうか、私は知りません。 
42:34 RB: はい。
42:35 K: さて、あなたは、 サンスクリットに翻訳してください。
42:38 PJ: そのために、記録過程が 終わらなければなりません。
42:40 K: それが、私が 言っているすべてです。
42:42 PJ: そのために、時の問題全体が、 そこに内在しています。
42:49 K: 誰が、パンディットジへ 説明するんでしょうか。
42:51 RB: 彼は、英語を、 すっかり理解します。
42:58 K: 私は言っています - 記録過程が、 進みつつあるとき、 知識が生まれます。 私は、あれを見ます。 それは、登録されます - マイクロフォンとして、です。 私は次回、それを認識します - それは、キリンではありません。 そんなふうに見えますが、 これはキリンではありません。 それが、すべてです。 が、登録がないとか、 記録がないのなら - そのほうが良い言葉です - そのとき、経験は、 何の意味もありません。
43:43 AP: (ヒンディー語で)
43:52 PJ: 私たちは入ろうとして・・・ 私たちはその中へ動けるなら・・・
43:59 JU: (ヒンディー語で) (ヒンディー語での議論)
46:01 質問者: 彼は、知識より 事実を、分離していますか。
46:04 RB: いえ。彼が言っている ことは、こうです - 「ここに人がいる」と あなたは言います。 実際に、人はいません。 「人」というその言葉は、 記憶のせいで、入ってきます。 その人を実際に 見ることは、 人の姿での知識より、 異なっています。
46:26 PJ: 論点全体は、パンディットジが、 知識を用いていることです。
46:33 JU: いえ。経験です。 PJ: いえ、 知識という言葉を、知覚として、です。
46:35 JU: 初めに、経験、 それから、知識、です。
46:36 RB: いえ。彼は、経験という言葉を、 知覚として、用いています。
46:39 JU: 経験、知覚です。
46:41 PJ: いえ。彼は、「経験」という その言葉を用いています。
46:43 それでもって、 それは記録されるからです。
46:48 RB: 彼は、記録は純粋に 機械的な過程であると、言います - それは、知識とは、何の 関わりもない、と。
47:07 PJ: 私たちは動くべきだと、 私は思います - 私たちは動いて、この時の 区域全体へ、入るべきです。
47:15 K: パンディットジ、私たちは、 当面、他の何かへ動けて、 少し後で、それに 戻ってこられるでしょうか。
47:21 AP: そう思います。
47:26 K: 時は動きです - 理解されますか - 過去、現在、未来としての時。 それは、動きです。 それは、動きです - 樹々の間の風のように。 それは、動きです。 ですね? 樹は静かです。 強い微風が、あります - 海から吹いてきて、 樹を動かし、 木の葉を動かします。 それを、直喩に 保ってください。 理解できますか。 で、時は動きです。 思考は、動きです - 空間の中で、です。 それは、単純です。
48:17 JU: 思考は、動く過程ですか。 思考の中で、 動く過程とは、何ですか。
48:26 RB: 彼は訊ねています - 思考の中に、 どんな動く過程が、ありますか。
48:31 K: もちろん、あります。
48:36 PJ: それは、 過去から生じます。 (ヒンディー語での議論)
49:45 RB: 彼は、思考が 動きであることを、認めません。 彼は、動きは無いと、言います - それはただ生じて、死ぬだけだ、と。
49:53 K: そうではありません。 日常生活の中では、です。 (ヒンディー語での議論)
50:46 K: 知識へ 戻らないでください。 (ヒンディー語での議論)
51:06 K: 何ですか。
51:07 PJ: 私は、時は動きであるのか どうかを、訊ねました。
51:10 JU: (ヒンディー語で)
51:24 RB: 彼は、時は 動きでないと、言います。 させるのは、 記憶の動きだけであり・・・
51:30 K: それは、時です。
51:32 PJ: それは、思考です。 RB: それはまた、思考です。
51:33 K: ププル、これを 伝えてください。
51:34 動きがあるところ、 動かぬことも、あります。 分かりますか。 この観念を得てください。 さて、ちょっと待って。 私に終了させてください。 動きがあります。 同時に、動かぬことも、です。 その両方が、調和的に 一緒に働くとき - 動きと、 動かぬことが、です - そのとき、生は、 全的に違った何です。 それが、私が 言いたいすべてです。
52:03 PJ: もう一度、 これを仰ってください。
52:06 JU: これは可能です。
52:08 PJ: 私が申し上げていいなら、 これを探検しましょう。 あなたが仰るのは、どういう意味 ですか。 私たちは、探検できますか - この動きと、動かぬことを、 同時性として、です。
52:30 K: ああ、待って、待って。 まず第一に、生は動きである ことを、認めましょう。 生きることは、動きです。
52:39 AP: ジャガット(趣、世間) - その言葉は、動きを意味しています。
52:46 K: パンディットジ、 単純な英語を、話しましょう。 生は動きです。 生きることは、 動きです。ですね? その動きの中に、時が、ある。 あらゆる物事が、ある。
53:01 JU: 生は、 動きではありません。 K: いえ、ダーリン。 待って。

JU: 動きは、知識です
- 私はある、と。 (ヒンディー語での議論)
53:27 RB: 彼は今、生は 動きではないと、言います。 彼は、知識は 動きであると、言います。
53:33 K: いいえ。私は動きます。 私は始めます。 私は座ります。 私は怒ります。 それは、絶えずです。 動きは、生です。 さもないと、私は死んでいます。 (ヒンディー語での議論)
54:55 K: 私がしたいのは、ですね・・・ ただ、樹を見つめてください。 それは、静かです。 風がやってきて、 それに吹き付けますね。 動きが、あります。 また、その風が止むとき、 それは静かです。 それが、私が 言っているすべてです。 人生、生きることは、 動きです。 動きです。 生は、動きです。
55:20 JU: このすべての知識です。
55:22 K: いいえ。動きです。 私は行って、彼女に会います。
55:25 AP: それは、知識とは 何の関わりもありません。 知識に依存せずに、動きがあります。
55:32 K: なぜあなたは、混ぜますか・・・ PJ: 種子は 樹になります。 AP: 星は、動いています。
55:33 JU: いえ、いえ。動いていません。
55:37 (ヒンディー語での議論)
57:06 RB: 彼は、動きは記憶と 知識だけであると、言います - 実際には、 何の動きもない、と。 K: 私はあなたに会いに来ます。
57:13 RB: ええ。
57:14 K: あなたは、(アディヤール)川の 向こう(の神智学協会)で、生きています。
57:16 RB: 私は彼に、生きることは 動きであると、語りました。
57:18 彼は、「いや、 そうではない」と言います。 (ヒンディー語での議論)
58:10 K: 私は、あなたに何かを 語りたいと思います。 私は、彼女を知ってきました。 彼女は、川の向こうに生活します。 私は行って、 彼女に会います。 ですね? すなわち、ここ五十年の間、 彼女を知ることと、 それら五十年の動き - それは、記憶です。 ですね? そして、私は行き、 歩いて橋を渡ります。 そして、行って、 彼女に会います。 それの全体は、 動きです。 JU: これは、知識です。
58:43 K: 知識に基づいています。
58:44 JU: あなたの知識です。 K: ええ、 ダーリン。私はそれを言っています!
58:45 AP: それは、知識に基づいていますが、 それは、動きです。
58:47 JU: いいえ。 K: はい。
58:49 あなたの仏教を、 忘れてください。
58:51 人間として、私はあなたに 会ってきました。
58:54 十年前か、十五年前、です。 私は、ベナレスへ来て、(そこに 住む)あなたに、会います。 私は、あなたを認識します。 なぜなら、 私は十五年前、あなたに会ったからです。 さて、そのすべてが 動きです - あなたに会いに来ること、 マドラスからベナレスへ、です。 ジャトカに乗り、 あなたの住宅へ、来る。 あなたに会うため、です。 それは、記憶、知識に基づいています。 そして、私のベナレスへの旅行に、です。 それが、すべてです。 それは、動きです。 単純です。 単純に しつづけてください。 いいですか? それに同意されるでしょうか。 それがすべてです。 私は、あなたを 掴まえていません。 それが、私が 言っているすべてです。 で、生、生きることは、 動き、 絶えざる動きです。 JU: 精神の中で。
1:00:05 K: 待って。
1:00:07 それを、私が言っていること 以上に、翻訳しないでください。 それを、仏教に 翻訳しないでください。 人間として、 これが、いつの時も、 起きつつあることです - 行為(作用)、反応(反作用)。 その行為と反応は、 引いてゆき、満ちてくる 潮に、似ています。 それは、動きです。 あなたは、これは 動きではないと、言えません。 それは、動きです - 入って来て、出て行く。 理解されますか。 いいえ。 しようもない人に、 礼拝しなくていい。 私はそれを、あなたに 示しているだけです。 あなたは、その動きを 考慮するのでしょうか。 また私は、 言っています - 動きがあるから、また、 動かぬこともある、と。 JU: 私の指は・・・ 
1:01:05 K: 待って、 待って。あなたが跳ぶ前に。
1:01:07 JU: 私の指は、動きます。 K: おい、待って。
1:01:09 JU: 動かない。 私の指は、動いていません。
1:01:11 この所と、この所、
1:01:13 そこで、私の指は、 動いていません。 この指は・ ・・ (ヒンディー語で) 質問者: これは、悪い仏教です。
1:01:42 JU: いえ、いえ。
1:01:43 PJ: これは、このクシャナ(刹那)の 概念に、基づいていると、私は思います。
1:01:45 - すなわち、毎秒は、自体で 完全で、全的である、と。 ゆえに、それらを結合することは、 彼にとって・・・
1:01:59 K: これが、まさに頭脳を、 破壊しつつあります - このことを 反復しつづけることが、です。 パンディットジ、私が言っている すべては、ごく単純に、こうです - 生は、絶えざる動きと 行為です。 それがすべてです。 ですね? これは、事実です。
1:02:27 PJ: もしも私たちが、 少し探検できたなら、
1:02:29 AP: (ヒンディー語で)
1:02:32 PJ: でも、アチュットジ、もしも 私たちが、一跳びできたなら、です。 その一跳びは、こうです - 彼は、動きと動かぬことは、 共存しうると、言ってきました。 私は、あなたとともに、 それを探検したいと思います。
1:02:51 スナンダ・パトワールダーン(SP): 彼はまた、別の発言をもしました。 動きがあるから、 動かぬことも、ある。
1:02:56 K: ええ。動きがあるから、 動かぬことも、ある。
1:03:00 AP: それは、クリシュナジが言う ことです。彼は、そう言いません。
1:03:02 PJ: いえ、クリシュナジ。 一跳びして、彼が言うべき ことを、聞きましょう。
1:03:09 K: 何? 誰を?
1:03:10 PJ: あなたです。私はそれに ついて、議論したいと思います。
1:03:13 K: 私はそれを言いました。 ありがたい。あの光が消えました。 ご覧ください。 闇と光が、あります。 樹には、どちらも 必要です。 ですね? 花には、どちらも必要です - 光と闇が、です。 で、生は動きですし、 また、 この動きの傍らに、 動かぬことが、あります。 また、静けさも、あります。 止まったこと、闇も、です。 闇は、隠喩的な闇と いう意味で、ではなく、 静かであり、 動かぬことである闇、です。 これは、いつの時も 私たちに、起きています。 私は、大変多く考えます - 私が、ではない - 大変多く考えるし、また、それが 休むとき、考えることがありません。
1:04:23 PJ: でも、それらは、 同時ですか。
1:04:25 K: いいえ、そうではありません。 PJ: それらは、同時ではありません。
1:04:26 K: ゆえに、私は言います - それらが どちらも、一緒に動くことは、可能ですか。
1:04:28 動きと、動かぬことが、です。 動かぬことは、死です。 JU: 死ですか。
1:04:44 PJ: 死です。
1:04:46 K: ですね? 死です。
1:04:48 K: 動きは、 生きることです。
1:04:51 そして、死は、動かぬことです - 一緒に、です。 パンディットジ、 理解されますか。 何が困難ですか。 何が問題ですか。 ちょっと待って。私は説明するでしょう。
1:05:17 PJ: いえ。私はしたいと思うのは・・・
1:05:20 K: 私は、あなたに 執着しています。
1:05:22 また、私は執着から 自由であるなら、 私はまだ、あなたとともにいます。 私はどちらも、一緒にいます。 何が困難ですか。 私が 言っていることを、理解できますか。 私は執着しています。 執着がないなら、 それは、私が慈しみ、愛を欠いている、 という意味ではありません。 で、執着からの自由は、 死です。 動かぬことです。 あなたが理解されるのかどうかと 思われます。 それを捉えましたか。 いえ、待って。 あなたは、 それを捉えるなら、通訳してください。 私は同時に、生きていて、 死んでいきます。
1:06:15 RB: あなたが、執着を持ち込まれる とき、それは、少し創り出す・・・
1:06:18 K: いいえ。それを 切り捨ててください。 私は生きていて、動いていて、 考えています。 また・・・ RB: あらゆる物事が、終わりに なります。 
1:06:24 K: 毎日、毎分、です。
1:06:27 RB: ええ。 K: さて、それを説明してください。
1:06:29 すなわち、生きること、動くことと、 動いていないこと。
1:06:30 それが、生です。
1:06:38 PJ: ですが、 その精神の状態は、何ですか。
1:06:40 K: 待って。彼女にこれを、気を つけて、通訳してもらいましょう。
1:06:45 RB:アチュットジのほうが、うまく 通訳できるだろうと、思います。
1:06:49 AP: 私は、 理解していません。
1:06:53 JU: でも、私は 理解しました。
1:06:56 K: 何が困難ですか。
1:06:58 RB: 私のヒンディー語は、不適当です。 それが、困難です。
1:07:02 K: 進んでください。 それを伝えるように、どの古い 言葉でも、使ってください。
1:07:08 質問者: 英語でも、 ヒンディー語でも、ゆっくりと。
1:07:11 RB: いえ、英語で、 クリシュナジは、語ってきました。 生には、生きることすべてへの 慈しみの動きが、あります。 同時に、あらゆる物事が 終わりになるとき、 それは、思考において、継続しません - 何であれ、それにおいて、です。 そのとき、何の 動きも、ありません。 それが、あなたが 仰っていることですか。
1:07:42 K: 通訳する中で、 何が困難ですか。 私はそれを、きわめて 単純にしましょう。 毎分、私は生きていますし、 毎分、私は死んでいきます。 それが、すべてです。 死ぬこと、生きることが、 ある - 一緒に、です。
1:08:07 RB: クリシュナジ、これは、 思考が生ずるが、 記録されないのと、同じですか。
1:08:15 K: ええ。何か そのようなことです。 が、思考を・ ・・ 出さないでください。 そのとき私たちは、思考は何なのか、その他 すべてに、逸れていってしまいます。 私は生きています。 生きることは、 動きです。
1:08:29 RB: ええ。
1:08:31 K: 普通の動き - 超常的な動きや、潜在意識ではなく、 ただ生きることが、動きです - それは、時です そしてまた、 死ぬことも、です。 私の生の終わりに、ではなく、 死ぬことです。
1:08:47 RB: 継続的に、です。
1:08:49 K: それを違ったように、 表すと、 集める、放棄する、 集める、放棄する。 あなたがそれを、 通訳できるなら、です。
1:08:59 PJ: 彼は、これを 理解しました。
1:09:05 JU: (ヒンディー語で)
1:09:12 K: 何ですか。
1:09:13 RB: 彼は、 言います - 彼は、言いたく ありません。 (ヒンディー語での議論)
1:09:32 RB: 彼は十分に これを受け入れます。
1:09:34 K: ゆえに、何が起きるかを、 ご覧ください。 ゆえに、それの帰結を 見てください。 記録することと、記録を 破壊することが、あります。 記録することが、記憶です。 そして、それを放棄することです。 これは、十分に単純です。
1:10:00 PJ: どうして、 それは単純だと、仰るのですか。 私は、これが起きる精神を、 究明したいと思います。
1:10:11 K: 待って。 頭脳は、記録しています。 そしてまた、 記録しないでください。
1:10:19 PJ: 「記録しない」とは、 どういう意味ですか。 あなたがそれを与えないなら、 それに透徹しないなら・・・
1:10:26 K: 私がいうのが、どういう 意味を、説明しましょう。
1:10:31 RB: あなたは、こう 仰っていますか - 頭脳は、機械的であり、 記録するが、 心理的には、いわば、 それに燃料が、与えられません。
1:10:45 PJ: いえ、私は 訊ねています。 頭脳は、記録します。 同時に、知覚が生ずることが、 ありますか - 破壊するものが、です。
1:10:57 K: ええ。それが、私が 言っているすべてです。 それがすべてです。 単純にして おいてください。 ゆえに、動きと、動かぬことが、 あります。ですね?
1:11:32 RB: 知覚が自然に 生ずるなら、 それは、記録を 破壊しますが、 そのとき、あらゆる物事は、 記録されつづけますか。 例えば、 あなたの頭脳において、 あらゆる物事が、 記録されつづけますか。
1:11:48 K: いいえ。いいえ。 当面、記録を 放っておいてください。 なぜなら、それは、主題を 錯綜させるからです。 私は、同時に、生きていて、 死んでいきます。 それがすべてです。
1:12:03 RB: ええ。
1:12:05 K: それがすべてです。それを 単純にしておいてください。
1:12:06 そのとき、あなたは その深みを得るでしょう。 私たちは記録するとかなら、 私たちは、迷ってしまうでしょう。 私は生きる。 私は動く。 また、同時に、 動かぬこと。 あなたが理解されるのか どうか、私は知りません。 仮に、私がこの邸宅を 所有していると、します。 そして、私は、 それに執着しています。 ゆえに、それに、 終わることは、ありません。 が、私は見るとき、 知覚があるとき - 執着の含意、です - そのとき、その知覚こそが、 執着を終わらせます。 ゆえに、それは、同時に 死ぬことと生きることです。
1:13:03 あなたが理解されるのか どうかと思われます。
1:13:07 RB: はい。 K: それがすべてです。
1:13:07 それは、可能ですか。 理解されますか。 私たちは、「はい。 私は理解します」と 言いますが、それは可能ですか。 パンディットジ? 含意は、全く・ ・・ ここには、ものすごい 含意が、あるんです - 集めることと、手放すこと。 それは、集める、保つ、それから、 それを手放すことではない。 あなたは理解されるのかどうかと 思われます。 
1:13:59 RB: はい。
1:14:01 AP: 集める、保つ・・・
1:14:03 K: 保たない。
1:14:05 RB: 集める、保つ、 手放す、ではない。
1:14:10 集める、手放す。 AP: それが、 私が言っていることです。
1:14:12 K: これの美しさが、見えますか。 RB: はい。
1:14:13 K: あなたは、それが 見えるのかどうかと、思われます。
1:14:15 AP: 集める。 保たず、手放す。
1:14:16 K: いいえ。私たちは、友だちです。 私に敬礼しないでください。
1:14:18 これは、生において、 可能ですか。
1:14:22 私たちは、理論的に話していますか。 または、実際にですか。
1:14:29 JU: 理論的に、です。 RB: 彼は、理論的に、と言います。
1:14:46 K: ああ! それなら、 それに意味はありません。
1:14:48 JU: これは真理です。 私の真理です。
1:14:50 K: 私がいいますのは、
1:14:58 保つことが、問題です - 集めることと 手放すことが、ではありません。
1:15:01 保つことが、です。 そのとき、私は、 放棄しなくてはいけません。 そのとき、私は、それについて、 何かをしなくてはいけません。 が、集めることと 手放すことが、あるとき、 それは、潮が満ちてきて、 潮が引いていくのに、似ています。 時は、保つことです。
1:15:41 JU: ですが、時は・・・
1:15:43 AP: それを 取り入れてください。
1:15:45 K: 時は、 保つことです。 ですね? 

RB: はい。時は、 保つことです。 
1:15:58 JU: いいえ。
1:16:00 K: 待ってください。私は、 間違っているかもしれません。
1:16:03 パンディットジが、正しいかも しれません。見出しましょう。 集めることと、 手放すことが、あるとき、 間隔がありません。 それは、絶えない動きです。 よろしいですか。 ですが、保つことは、 二つを分離します。 私は、それを 説明しましたか。 保つこと。 保つことは、「私」です。 保つこと、 保たれてきたものが、 自我、「私」、人物です。 それは、時です。 自己は、時です。そして、 保つことは、自己です。
1:17:01 JU: (ヒンディー語で)
1:17:10 K: 私が言う意味は、分かりますか。 RB: はい。
1:17:16 K: それは、太鼓に似ています - 太鼓、ムリダンガム。
1:17:21 それは、調律されています。 どの調べも、そこで叩けます。 頭脳が、空っぽであり、 調律されているとき・・・
1:17:42 JU: 全体性です。
1:17:44 K: 私は、他の何かへ逸れていこうと しています。そうしてはなりません。 あなたは、何について 話していますか。 (ヒンディー語での議論)
1:18:07 PJ: 私たちは、もう一回、 議論を行うでしょう。
1:18:10 K: ええ。ですが、私は、 これを明らかにしたいです。 私は、何かへ 至ろうとしています。 (ヒンディー語での議論)
1:18:44 PJ: 彼は、何かへ 至りたいと思います。
1:18:49 K: いえ、いえ。彼は、何を 言っていましたか。
1:18:51 PJ: それは、ちょうど太鼓について、 です。それはイメージです。
1:18:58 K: 私たちは、見ますか - どうぞ、私が言っていることを、 何も受け入れないでください - 保つこと、 それは、記憶、等々ですが、 保つことは、 自己の本性です。 ですが、この絶えざる動きが、 あるとき、 自己は、ありません。 結局のところ、自己は、 記憶、知識、経験を 保つことです。 そのすべてが、 自己の本性と構造です。 瞬間から瞬間・ ・・ その他すべて、ですね。 しかし、入れるための器が ないなら - 器、入れ物です。
1:20:14 AP: 容器。 (ヒンディー語での議論)
1:21:21 AP: 再び、彼は、 戻ってきています。
1:21:23 RB: クリシュナジは、保つことが 自己であると、言っています。
1:21:28 AP: いいえ。彼は再び・・・ そうね、それは再び捻れています。 彼は、存在は保つことを、 意味すると、言います。
1:21:37 RB: 自己は存在です。 それは、同じことです。 存在するのは、自己です。
1:21:44 AP: なぜあなたは、そう 仰いますか。私は同意しません。
1:21:46 K: ご覧ください。潮は引いて いきます。潮は満ちてきます。 川には、海には、 材木が、あります。 岸辺に残っているのが、 自己です。 ですが、水は、 いつの時も、動いています。 理解されますか。
1:22:00 RB: ええ。
1:22:02 何も残っていないなら、 自己は、ありません。
1:22:12 K: すなわち、 ご覧ください。 先日、カリフォルニアで、 ものすごい、ひどい 暴風雨が、ありました。 それで、岸には、材木すべて、 あらゆる種類の破片が、残りました。 それが、自己です。 K: ですが、何もないとき - よろしいですか。 
1:22:35 RB: はい。
1:22:38 K: カリフォルニアについて、 彼に説明してください。
1:22:41 RB: 私にはできません。 AP: どうぞ、どうぞ。
1:22:42 RB: 潮と、それらです。
1:22:44 (ヒンディー語での議論)
1:22:46 K: もちろんです。
1:23:20 あなたは、前に同意していました。 そうしないでください・・・
1:23:29 AP: 合間に彼は、こう 言おうとしていました - 存在の本性は、 保つことである。 そして、存在と保つことは、 類義語である、と。 私は、自分はそれを 受け入れないと、言いました。
1:23:42 質問者: 彼は、存在という言葉を用いる ことで、同じ感じを伝えています。 私は、間違っているかも しれません。
1:23:49 AP: そうね、彼は、存在を、 保つことと、同等視しようとしています。 私は、いいえ、と 言っています。 すると彼は、それは、ヴェーダーンタ 的な立場であると、言います。 私は、事実に拘ろうと 言っています。 事実は、あなたが仰ったことです。 すなわち、嵐がある。 その嵐は、たくさんの破片を、 もってくる。 そして、嵐が鎮まるし、 破片は残ります。 破片は、自己です。
1:24:16 K: それが、私が 言っているすべてです。
1:24:20 PJ: 言い換えるなら、 それは、残留物です。
1:24:22 AP: それは残留物です。そのとおり です。それが、その言葉です。
1:24:31 PJ: 彼が、創造と、同時に終わる ことについて言ったこと - 破片は何もありません。
1:24:41 K: それですべてです。 RB: が、間隔があるとき・・・
1:24:46 PJ: そのとき、破片が入ってきます。
1:24:52 RB: もし潮がないなら、もしそれは、 すべて出ていくのと、入ってくるのなら、 それはまた・・・
1:25:03 (ヒンディー語での議論)
1:25:10 K: 潮は入ってゆき、 潮は出ていく。 水は出てゆき、 水は入ってくる。 そこに、時はありませんが、 保つことは、時です。
1:25:19 PJ: それは、自然です。 潮が満ちてくるのと、 潮が引いていくのは、自然です。
1:25:26 AP: それは、存在です。
1:25:28 K: よろしいですか。 彼は、それを認めません。
1:25:33 PJ: もうお止めになる べきだと、思います。
1:25:35 K: 私はただ、言おうと しています - 自然は、時について 考えません。 それは、時を持ちません - それは成長する。 それは死ぬ。 それは、ただ・ ・・ 生はそうです。 が、私たちは、時を 考案してきました - 昇る。 沈む。 赤ちゃん、青少年、 頂点に至る、下降する。 そのすべてが、時です。 ですが、潮は引いていく。 潮は満ちてくる。 それは、樹が 成長するのに、似ています。 それらは、時について 考えていません。 それは、ただ 成長し、死にます。 が、私たちは、時を 考案してきました。 すなわち、 私は赤ちゃんです。 私は、大人になり、 これを達成し、死にます。 で、時は・・・時は、なっていく ことだと、仰るのでしょうか。
1:26:56 PJ: それは、 受け入れなければなりません。
1:27:00 AP: マハーカーラは・・・ K: 仏教へ戻らないでください。
1:27:03 AP: ええ。私は、サンスクリットの 言葉を、用いています。
1:27:05 K: 私は、普通の人物です。 私は、学識を持ちません。 私は見ます - 私は赤ちゃんでした。 そして私は、成熟を見ます - 成熟における残りの 問題すべて、などなどです。 そして、私は 死のうとしています。 これは、自然です。 が、私が、「私はあれに ならなければならないよ」と言うとき - 「私は、覚りを 開かなければならない。 私は、導師にならなければならない」とか、 「私は、首相にならなければならない」と。 それは、時の過程です。 お分かりになるのかどうか、私は 知りません。私は間抜けですか。
1:27:38 質問者: いいえ。 これは、完璧です。
1:27:42 PJ: お止めに なければなりません。
1:27:44 K: ちょっと待って。 ちょっと待って。
1:27:51 RB: そして、知識すべては、 保つことです。
1:27:53 K: もちろん、そうです。 ゆえに、頭脳に、 何が起きるかを、見てください。 それが、私が 訊ねていることです。 それは、いつの時も、 新鮮です。 ゆえにそれは、けっして 老いません。 理解されますか。 けっして、退廃しません。 パンディットジが、理解されるのか どうか、私は知りません。 少し、それを 説明してください。
1:28:24 PJ: (ヒンディー語で) それはいつも、生まれつつ あり、破壊されつつあるから、 頭脳はけっして、 老いません。 それはけっして、老いません。それは いつも、創造されつつあります。
1:28:53 K: 頭脳を老いさせるのは、 保つことです。 保つことは、 エネルギーのむだです。 私は、それについて、 話しつづけられます。
1:29:11 PJ: いえ、あなたは、お止めに ならなければなりません。 このものさえも、あなたは話すのを 止めなければならないと、言ってきました。
1:29:20 K: 私たちは、この小さなばかげた ことへ、来るために、 そのすべての時間を掛けてきた、 と、仰るつもりですか。
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