MA8384T2 - 時は恐れに、どんな関係を持っているのか。

公開講話、第2回
インド、マドラス(チェンナイ)
1984年1月1日
テキストのみのバージョン
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0:20
たくさんの人々が いますね。
大きな聴衆です。
なぜあなたが、 来られるのかと、思われます。
来てくださるのは、とてもありがたい ですが、なぜかと思われます。
あなたは、語り手より言われつつ あることを、真剣に取りますか。
または、それは、何か あなたが週末に出席し、
週の残りに 忘れてしまうものですか。
見出すのは、なかなか 興味深いでしょうね -
なぜ人間たちが 講義を受けるのかを、
なぜ彼らは、会合に 出席するのか、
なぜ、矛盾し合ったことを、 こうも多く聞き、
きわめて博識であり、 情報と知識に満ちていて、
そのすべての終わりに、 私たちは、多かれ少なかれ、
前の私たちなるものに、 留まっているのか
- 私たち自身の 問題をもち、
自身の些細な 小さな生をもち、
不幸せで、格闘する。
私たちが生まれた瞬間から、 死ぬまで、
常なる闘争、 葛藤、格闘です。
2:01
あなたは、ただ昼の時間を 過ごすために、
ここに来られるのかと、 思われます
- または、あなたは、 評判のために、来るのか、
または、あなたたちは、本当に 真剣な人々であるのか、と。
簡単に納得しない、 という意味で、
真剣です。
私たちは、どの種の宣伝をも、 していません。
あなたに、何をも、 納得させようとしていません
- いかなることをも、です。
また、語り手は、あなたの 導師でもありません。
ありがたい。
また、あなたたちも、 彼に従う者ではありません。
あなたは、教師と、学ぶ人物の 両方です。
あなたが、です。
あなたが 学んでいるとき、
その学ぶ行為こそが、 あなたを教師にします。
で、私たちは、 学徒と導師の両方です。
あなたは、きわめて真剣に聞くなら、 考慮すべきです
- 指摘しても よろしいなら、です。
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3:30
私たちはともに、多くのことについて 話し合おうとしています - 今晩と、
来週末に続こうと している、次の二回の会合で、です。
あなたは、幾つものことを、 聞くかもしれません
- たぶんあなたが、前に 聞いたことがないことを、です。
語り手が言ってきたことを、
あなたが聞いたり、読んだり したことがあるなら、
彼が言ってきたことを、単に反復 するのは、ほとんど意味がありません。
ですが、 聞く行為こそに・
・・
まさにその行為こそが、自らが 理解し、生きるのを、助けてくれます。
注入(適用)するのを、です -
「私が注入しようとしよう」 ではなく、自らは注入します。
あなたが、専門校や大学の 学生であるなら、そうするように、
あなたは 勉強します。
あなたは、数学、歴史 などを、学びたいなら、
あなたは、学習しなくてはいけません。
探究しなくてはいけません。
良い頭脳を 持たなくてはいけません。
4:45
が、大変不幸にも、
いわゆる宗教的な人々は、 けっして自分の頭脳を、使いません。
私は、何か法外なことを、 言っていますか。
彼らは、けっして 探究しません。
彼らは、こうも容易く 受け入れます。
だまされやすい。
特に、世界が、こんなに むちゃくちゃになっていて、
こんなに多くの破壊的活動が、 進んでいるとき、
私たちは、助けてくれるだろう 誰かを、見つけようとします -
このすべてのむちゃくちゃを 理解するように、です。
それで、 絡まってしまいます。
ところが、ここで、今晩と、 続く二回の講話で、
私たちは、ともに話し合おうと しています。
会話、です。
人類にすっかり ありふれていて、
すっかり受け入れられている物事に ついて、会話します。
私たちは、理解しよう、解消しよう、 そしておそらく、乗り越えようと、
それらと 格闘しています。
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6:12
で、今晩、私たちは、ともに 話し合おうとしています -
なぜ 世界中の人間たちは、
実際に彼らの あるがままなのか、
こうも長い進化の 持続の後、
なぜ私たちは、心理的に、 こうも原始的なのかを、です。
テクノロジー的に、あなたは、 すばらしいかもしれない。
あなたは、優秀な学歴などを、 持っているかもしれないけれども、
心理的に、内的に、
私たちはむしろ、野蛮で、 原始的な人々です。
残忍で、暴力的で、 残酷で、
大いなる美しさ、道徳的な清廉さ などの感覚を、欠いています。
7:16
なぜ私たちは、このように なったのかと、思われます -
なぜ私たちは、助けてくれる 他の人を、頼みにするのか、
なぜ私たちは、 指導者をほしいのか、と。
私たちは、たくさん 指導者を持ってきましたが、
彼らは、私たちを、あらゆる 種類の紛糾へ、導いてきました。
で、私たちはいつも、 一番良い指導者を、
極上の指導者を、 探しています
- 政治的、 経済的な世界でも、
また、 宗教的な世界でも、です。
不幸にも、私たちは、けっして 彼らを見つけません
- あなたが、そこいらに、 自分の特定の小さな導師を、
見つけたのでなければ、です。
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8:22
で、今晩、 私たちは、ともに、
多くの問題について、 話し合おうとしています。
問題の一つは、 こうです -
人間たちはなぜ、そもそも 理想を持っているのか、です。
これは本当に、まったく 重要な問いです。
なぜ人間たちは、
世界中で、何かの形の 理想に、縋りつくのか。
理想は、けっして・
・・ 事実ではありません。
それらは、 現実ではありません。
現実なるものは、 今、起きつつあることです。
今は、すべての過去、現在、 未来を、収容しています。
私たちは、それに 少し入りましょう。
で、私たちは、訊ねています - なぜ私たちは、このようになったのか。
こうも狭く、利己的で、残忍で、 自分自身に、関心を持っています。
そうね、その他すべて、 私たちなるものです。
10:10
私たちはけっして、自由で あって、見つめられるように、
思われません - 世界と、 私たち自身の小さな世界を、
新鮮に、新たに、です。
私たちが、過去すべてを 拭い去れる能力、
白紙状態、タブラ・
ラサを持ち、 そこから出発できる能力を、
持つのでなければ、です。
それは、 驚くべき世界です。
が、不幸にも、私たちは 過去を、拭い去れません。
過去は、きわめて 錯綜した時の過程です。
時は、私たちの生、日々生きる ことの要因の一つです。
過去としての時、
現在としての時、 未来としての時は、
生物的にも、同じく 物理的にも、です。
11:28
すべての思い出、 悔恨、罪悪、
そのすべてが、時の動きです - すなわち、過去の、です。
そして、過去の時は、 現在、または今です
- そこに、すべての時が、 収容されています。
これは、かなり困難に なろうとしています。
一歩一歩、それに 入りましょう。
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12:07
なぜなら、私たちは、 時により生きるからです。
私は、明日、あなたに 会いたいと、望みます。
私は、達成したいと 望みます。
私は、今の私より、 良くなりたいと思います
- 私の職で、 私の生き方などで、です。
いつも、なっていくこと、 成長が、あります。
いつも成長しているものは、 いつも、終わっていきます。
ですね?
私たちは、一緒に これらに、いますか。
そして、 未来は、今です。
理解されますか。
今の私たちなるものに、
明日、私たちは、なるでしょう - そして、千の明日に、です。
それは、事実です。
が、私たちが、今、 根本的に変化するなら
- 心理的に、 内的に、です -
そのとき、未来は 今なのです。
理解されますか。
私たちは、今すぐ、それに入る でしょう - はるかに詳細に、です。
みなさんは、こうも 悩んで見えます。
それは、さほど 複雑ではありませんが、
私たちは、あらゆる物事を、 ひどく複雑にします。
私たちは、単純な 人々ではありません。
13:52
私たちは、知識に 満ちています。
おそらく、それが、 私たちの困難の一つです。
そして、知識は、 頭脳を条件づけます。
そして、知識は 時です。
そして、何か暴力の ようなものを、理解するには
- ほとんどの人間は、 暴力的な人間です -
この暴力の過程全体を、 理解するには、
私たちが、暴力について 取得してきた知識と、
非暴力の知識 - 知識ではない。
むしろ、非暴力の理論です。
それもまた、知識の一部です。
それで私たちは、暴力より、 けっして自由ではありません。
もう少し、私に、それへ 入らさせてください。
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15:16
暴力の例を、 取りましょう。
私たちは、 暴力的な人々です。
私たちは、静かな生活を、 するかもしれません。
あなたは、自分の妻や夫と けんかを、しないかもしれません。
それは、 かなり稀ですが、
深く私たちは、暴力的な人々です - 怒り、攻撃。
暴力は単に、物理的な 行為だけではありません。
暴力は、 模倣、順応の一部です。
私たちは、その対極を、 持っています - 非暴力です。
この国では、非暴力について、 たくさん話してきました。
この国で、あなたたちが 行ってきた最近の戦争では、
戦争に反対して立ち上がった人物は、 一人もいないと、私は聞かされました。
16:35
ですが、それは、 不適切です。
重要なことは、 こうです -
暴力の本性全体を 理解し、
それより自由であることは、 可能ですか
- そして、非暴力を 追求しないことは、です。
理解されますか。
私たちは、互いに 出会っていますか。
はい?
私は暴力的です - 仮にそうだとします。
語り手は、かつて一度だけ、 怒ったことが、あります。
それは、かなり 変に聞こえます。
彼が怒っている、 その瞬間に、
何かについて 怒ることは、
こうも不条理で、 ばかげていると、思われました
そして、怒りの愚かさが見える とき、それは去っています。
あなたは、それを 制御しようとしません。
あなたは、それを 抑圧しようとしません。
17:45
あなたは、何についても、 怒ることの不条理が、見えます。
それが、 それの終わりです。
これについて、 考えてください。
観察する、気づく、 十分に注意を注ぐ
- あなたが 怒っていることに、です。
その瞬間に、あなたは、 怒りの本性全体が、見えます。
で、例えば、暴力ですが、 暴力は何ですか。
それは、事実です。
非事実は、 非暴力です。
ですね?
それに 同意されるでしょうか。
非暴力の追求には、あなたの 全生涯が、掛かるかもしれませんが、
その理想の追求の中、あなたは、 いつの時も、暴力的でありつづけます。
あなたはそれを、 制御しようとします。
あなたはそれを、 抑圧しようとします。
あなたは、それに対して、 行為します。
18:59
が、あなたは、 その暴力の一部です。
そうではないですか。
あなたが怒るとき、 あなたは、その怒りの一部です。
あなたは、怒りです。
あなたが、 貪欲であるとき、
その感情は、あなたより 分離していません。
ですね?
あなたは、それです。
ですが、私たちは、抑圧か、分析か、 制御か、しようとするとき、
あなたは、その事実より 自分自身を、分離します。
そのとき、それを支配か、それを抑圧か、 その他すべてを、しようとします。
が、あなたは それであることが、悟られます。
どうかと思われます。
私が暴力的であることが、悟られる とき、私がそれを完全に悟るとき、
私は、その事実と ともに、留まります。
私は、非暴力の観念を 愚かにも、追求しません。
20:10
それは、事実です - 私は暴力的です。
狂い、怒り、 残忍です。
それは、事実です。
そして、私は悟ります
- 私より 分離した暴力は、ない。
私が暴力である、と。
なぜなら、 私が怒っているからです。
私が、競争したがり、 野心的で、非情などです。
また私は、模倣します。
私は、順応します
- それは、怒り、 暴力の一部です。
で、「私は暴力的だ」と 言う観察者 -
観察者は、 それの一部です。
ですね? で、何も 矛盾は、ありません。
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21:18
矛盾があるところ、葛藤が あるにちがいありません。
あなたが、その問いに入ったことが あるのかどうかと、思われます
- 問題ではなく、 問いに、です -
自らがこの世界に、正常に、 健康的に、正気に、
生きられるのか どうか、です。
神経症的にとか、 他の方向ではなく、
葛藤の単一の影も なしに、です。
あなたがそれを問うたことが あるのかどうかと、思われます
- あなたが、実際に生きられるのか どうかを、見出すように、です。
境遇が何であろうと、
環境が何であろうと、
圧力、制限が 何であろうと、
自らが、そこに単一の 葛藤もない生を、
生きられるのか どうか、です。
あなたは、それを 問うたことが、ありますか。
22:26
さあ、どうぞ。
または、それは、あなたに 起きたことが、ないのですか。
私たちは、葛藤を、 生の道として、受け入れます
この国と、 他の国々での腐敗が、
生の道であるように、です。
で、私たちは、それを受け入れます。
それは、その一部です。
私たちは、それと ともにやっていきます。
で、葛藤は、精神を、 頭脳を、鈍くします。
頭脳は、機械です。
良い車のように、です。
私たちはそれを、完璧な状態に、 保たなければなりません
- 調えておく。
適切なオイルを入れて、
二千マイルごとに、オイルを 交換する - あなたが運がいいなら、
エンジンを 長持ちさせるために、です。
で、頭脳は、物質です。
物質的なもの、機械です。
そのとてつもない能力 すべてとともに、です。
それは本当に、まったく 際限がありません。
23:40
しかし、その頭脳は、常に 格闘、葛藤の中にいて、
自分の問題、自分の悲惨でもって、 ぐるぐる回っているなら、
その葛藤こそが、 頭脳を、退廃させます。
それは、 擦り切れてしまいます。
それで、私たちは、生に新鮮に 出会う能力が、ありません。
お分かりなのか どうか・
・・
語り手がこれらについて、話して いるとき、私たちは一緒にいますか。
あなたは、それに 興味がありますか。
または、それはただ、あなたが行く もう一つの会合だけですか。
そして、あなたは、 講義をされつつあります。
あなた自身を、理解し、 究明しつつありません
- あなた自身の生、 あなたの生きる道を、です。
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24:45
で、全的な暴力より、 自由であることは、可能です。
未来に、ではありません - それは、理想ですが。
そして、その理想の追求は、人々を どこにも、導いてきませんでした。
が、自らが、暴力を取り上げ、 見つめ、それに入っていくなら
- 分析的に、 ではありません。
それは、もう 一つの問いです。
分析者は、誰ですか。
理解されますか。
あなたが持つ、どの反応をも、 分析する実体は、誰ですか
- 暴力のように、です。
暴力は、反応です。
暴力を分析する実体は、 誰ですか。
なぜなら、あなたが、 暴力であるからです。
が、あなたが、暴力より 自分自身を、分離するとき、
あなたは、それを 分析できます。ですね?
25:52
で、分析されるもの より離れた、
分析者による分離は、
分割を、 創り出します。
ゆえに、その分割には、葛藤が あるにちがいありません。
ところが - どうぞ、 それを聞いてください。
たとえ面白さの ためでも、です。
ただ聞いてください。
ところが、分析者は、 分析されるものです。
ですね?
私は、暴力的です。
分析者はまた、私の一部です - 彼もまた、暴力的です。
一つの暴力が、もう一つの暴力を、 検討し、分析します。
で、いつも、 この矛盾が、あります。
分割がないなら、 矛盾がありません。
で、分析者は、 分析されるものです
- 思考者が、 思考であるように、です。
27:17
思考は、思考者より、 分離していません。
これをお分かりになるのか どうかと、思われます。
経験者は、経験より 異なっていません。
ですが、私たちは、いつも 経験を、探し求めています -
まるで、経験は、何か私より 異なったものであるかのように、です。
で、まったく二元性が、 ありません。
これを理解されるのか どうかと、思われます。
あなたの不二一元論と、 それらの種類の事柄にも関わらず、
あなたの哲学すべて、
あなたの教師すべてにも関わらず - 不二一元論について、ですね?
十分です - その言葉は。
彼らはみんな、二元性について、 理論化してきました -
覚った者だけが、二元性 すべてより、逃避できる、と、
それらの種のことを、 ですが、
28:16
実際の事実は、 こうです -
あなたが、 それに入るなら、
「有るもの」だけが、 あります。
暴力だけが、ある。
それに、対極はありません。
理解されますか。
ですが、私たちの頭脳は、 対極に、条件づけられています。
ゆえに、 私たちの頭脳は、
対極を達成するために、 格闘しています。
ゆえに、そこには、葛藤、 抑圧などが、あります。
が、ところが、 事実は、こうです
- ただこれだけが、 あります。
すなわち、 「有るもの」が、です。
それは、暴力です。
ですね?
あなたが、暴力の事実に 注意を注ぎ、
何も分析的な過程なく、 それを見つめるなら、
そのときあなたは、 それは、地図に似ているのが、
分かるでしょう - ゆっくりと 開示されつつあるものに、です。
29:31
そのときあなたは、その言葉の 内容全体が、見えます。
私たちは、互いに 出会っていますか。
いいですか?
私たちは、一緒に ここにいますか。
みなさんは、眠っています。 いいですよ。私は、進みましょう。
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29:54
で、私たちは、ともに、 恐れについて、話し合うべきです。
なぜなら、それは、私たちの 生の一部であるからです。
たぶん、私たちの生の 主要な部分です。
恐れ。
恐れの原因は、 何ですか。
恐れを創り出す対象物、 ではない。
何かその言葉が 喚起するもの、ではない。
理解されますか。
その言葉が、恐れを もたらすかもしれません。
「恐れ」という言葉が、恐れを、 引き起こすかもしれませんが、
あなたが、何の言葉をも 持たなくて、
恐れと呼ばれる反応を、 観察するだけのとき、
それの根は、 何ですか。
これは、大変多くの探検を、 必要とします。
あなたが、 語り手とともに、
進んでこれに入ろうと されることを、望みます。
恐れは、時です。
私はそれに、 入ろうとしています。
31:28
恐れは、 時の中の動きです。
で、初めに、時が何であるかを、 気をつけて、検討しましょう。
昇るのと沈むとの時。
ですね?
日は昇り、沈みます。
日が昇るのと日が沈むのと の間の間隔は、時です。
ですね?
点から点への距離を、 埋める時が、あります。
あなたが行く、 時があります -
すなわち、ここから、あなたの 家には、時が掛かります。
それは、一瞬間なのか、 一時間なのかもしれません。
で、物理的な時が、 あります。
すなわち、言語を学ぶには、 時が掛かります。
車の運転を学ぶには、 時が、掛かります。
あなたは、パイロットに なりたいなら、
大変多くを 学ばなくてはいけません
- 多くの月など、です。
32:56
で、物理的な時が、 あります。ですね?
理解されますか。
また、心理的な時も、 あります。
私は、なるだろう。
私はなるだろう - 私は事務員であるが、
いつの日か、私は 経営者になるだろう。
私は、無知であるが、いつの日か、 私は、覚りを開くだろう。
すなわち、私は、これである。
私は、あれになるだろう。
それは、 心理的な時です。
物理的な時が、あります - 日が昇る、日が沈む。
移ること - 一つの地点から、 もう一つの地点へ、動くこと。
そして、心理的な時が、 あります。
すなわち、私はいる。
私は、いなくなるだろう。
私は、生きているが、 私は、死ぬだろう。
それは、 ものすごい間隔です。
私は十五歳です - 私はそうではないですが -
私は十五歳ですが、私は、 或る日、死ぬでしょう
- 私が八十のときに、です。
34:42
それは、あの長い 間隔の動きです
- すなわち、心理的な 時の、です。
ですね?
また、未来としての 時も、あります。
ですね?
私は今、職を持っています。
私は、その職を 失うかもしれません。
私は、自分の妻と けんかをしています。
が、私たちは、或る日、 一緒に幸せになるでしょう。
で、過去としての時、 現在としての時が、あります・
・・
どうぞ、気をつけて聞いて ください - 気にされないなら、
興味がおありなら、です。
過去としての時、 現在、今としての時、
未来としての時が、 あります。
ですね?
ですが、今の時は、 未来です。
ですね?
今の時は、 今の私なるものです。
が、未来は、 現在であるものです。
36:07
ですね? 分かりましたか。
で、今の中に、すべての過去と 未来が、収容されています。
ですね?
で、未来と過去は、 今、存在しています。
私は、すべての 過去の結果です -
それ自体を、現在において、 修正します。
そして、未来は、 現在です。
ですね?
私の頭脳に、私が 根本的に、変異をもたらすか、
あるいはむしろ、変異が あるのでなければ、
私は、今の私なるものに、 なるでしょう
- ものすごい心理的な革命が、 あるのでなければ、です。
ですね?
で、現在は、 過去と未来です。
今に収容されて います。
ですね?
それが、時ですね。
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37:24
時は、恐れに、どんな関係を、 持っていますか。
なぜなら、それが、 私たちがともに議論しよう、
話し合おうとしている ことであるからです。
なぜなら、ほとんどの人間は、 怯えていて、
無数の形の恐れを、 持っているからです
- 闇の恐れ、
それは、神経症や 精神病などですが、
死ぬことの恐れ、 生きることの恐れ、
あなたは、自分が持っているものを 失うかもしれないとの恐れ、
あなたの妻と夫への恐れ。
それは、この国において、 稀ですか。
みなさんは聖人なのかと、 思われます。
あなたたちは、何にも 反応するように、思われません。
あなたが所有するものへの 恐れが、あるなら
- あなたは、 失うかもしれません。
年老いて、 死ぬことの恐れ。
で、世界中の人間は、 ものすごい心配を、持っています
- それは、 恐れの一部です。
充足しないことの心配、
あなた自身でない ことの心配、
他の人々が、あなたへするかも しれないこと、などの心配。
そのすべてが、 恐れの形です。
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39:25
で、恐れと時との間の 関係は、何ですか。
私たちは、 私たちの会話の中で、
恐れの枝々を、 刈り込むのでしょうか。
理解されますか。
次々と、 枝を取るのか、
または、私たちは、恐れの根を、 取り扱うべきでしょうか。
質問を 理解されましたか。
私は、自分の妻に、 怯えていたり、
闇に怯えていたり するかもしれません。
私は、その特定の問題を、 解決したいと思います。
ですが、私はまた、他の恐れの 問題をも、持っています。
それは、たった一つだけ ではありません。
私は、死ぬことの恐れを、 持っています
- 老いることの恐れ、
自分の頭脳が 退廃するだろうとの恐れ、
神が、私のほしいものを、 与えてくれないだろうとの恐れ
- あなたが特定の寺院へ 行くのでなければ、です。
ご存じですか。
私たちは先日、
近くに或る寺院が あると、聞かされました -
二百マイルか、 三百マイルですが、
そこは、三日ごとに 百万ドルが、儲かります。
41:03
神は、とても 収益がいい。
はい、あなたは、 それを笑われますが、
あなたの神々は、あなたの ポケットに、強く要求します。
すなわち、あなたは、 神へ、何かを捧げます。
彼はあなたに、何かを 見返りに、与えます。
褒賞と処罰です。
それが、私たちが神への 崇拝と、呼ぶことです。
あなたたちは、 ふしぎな群衆です。
いいですよ。
で、恐れと時との間の 関係は、何ですか。
また、恐れの、 思考との関係は、何ですか。
理解されますか。
私は、恐れています。
こうも多くの物事を 恐れていますが、
私は、その根を 理解したいと思います。
なぜなら、私は、 恐れの性質、本性、構造を、
理解でき、 見られるなら、
そのとき、私は・・・それは、 終了しているからです。
42:29
ですが、私が単に、枝々を 刈り込むだけなら、
そのとき、恐れは、 継続するでしょう。
で、私たちの関心事は、恐れをいかに 取り除くのか、ではありません。
それは、別の 私たちの誤謬の一つです。
が、入ってゆき、恐れの本性を、 深く掘り下げられるなら、
そのとき私たちは、それから全面的に 自由であることが、できるはずです。
私たちは、今晩、それに ついて、話そうとしています。
あなたが、自分の頭脳を 注入するなら
- 語り手が示そうと している説明ではなく、
あなたの側での、 実際の究明です。
ただ聞くとか、聞こえる、
そして、それについて すべて忘れる、のではない。
が、あなたがそこに座っていながら 実際に聞き、注入するなら、
そして、究明する中で、 語り手とともに行く。
彼が言うことを、 受け入れるのではなく、
究明し、あなた自身に 問い、訊ねる。
そのとき、全く恐れより自由で、 立ち上がるかもしれません。
そのとき、神々は、 ないでしょう。
44:00
すべての恐れより 自由である人
- 彼は、慰めが 要りません。
彼は、褒賞が 要りません。
彼は、自分を助けてくれるだろう 何かを、探し求めません。
これは、人類が百万年の間、 持ち運んできた重荷です
- 恐れです。
で、それに 入りましょう。
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44:32
私たちは、時が 恐れの要因であると、言いました。
時は、或る出来事の 思い出です
- 恐れを 引き起こしたことの、です。
どうぞ、これに付いてきてください。
気にされないなら、
それに、 興味がおありなら、ですが、
恐れを引き起こした 出来事の思い出、です。
それは、頭脳に 登録か、記録されます。
その記録は、やはり そこにあります。
私は今、恐れを 持っています。
で、記録は、恐れの事実を、 憶えています。
で、過去から、私は、 恐れを認識します。
理解されますか。
話は 明らかになっていますか。
恐れを引き起こした 過去の出来事の知識は、
頭脳に登録されています - (録画)テープにされるように、です。
で、頭脳は、恐れの知識を 持っています。
46:05
ですね?
恐れの知識、です。
で、知識が、恐れです。
理解されますか。
よければ、 それに入ってください。
それの美しさを 見てください。
そのとき、それが何を 意味するかが、見えるでしょう。
で、今、恐れが 生ずるとき、
記憶が、踏み込んできて、 言います -
「ええ、私は、あれが恐れであるのを 知っている」と。
ですね?
それは、あなたが恐れに関して 持ってきた知識、という意味です。
その知識が、「あれは恐れだ」 と言います。
で、知識自体が、恐れに なります。
ですね?
これを 理解されますか。
そして、その言葉。
「恐れ」という言葉もまた、 恐れに寄与するかもしれません。
理解されますか。
で、知識は、その言葉ですし、
その言葉が、恐れを 引き起こすかもしれません。
で、あなたは、見つめられますか - どうぞ、聞いてください -
恐れの観察が、 ありますか
- 他の恐れの 知識なしに、です。
47:27
それで、あなたは、 見つめています -
知識の動きなく、 恐れの知覚が、あります。
理解されますか。
で、恐れは、過去としての 知識の動きです。
その知識は、時です。
ですね?
で、恐れはまた、 思考の一部です。
私は明日、死ぬかもしれません。
私は 自分の職を、失うかもしれません。
私は、これであるが、 私は、あれになるだろう。
それはすべて、 思考の動きです。
ですね?
いいえ?
ですね?
私は今、職を持っています。
私は工場で、働いています。
または、私は 料理人か、大工です。
あなたたちの偉い、 一番上の人々ではない。
私は、ただの 普通の人物です。
一番上の人々さえも、大変多くの恐れを、 持っています - 保証しますよ。
48:56
私は大工です。
私は明日、自分の職を 失うかもしれません。
明日は、時です。
思考は、言います - 「私は 職を失うかもしれない」と。
それは、思考です。
で、思考、時は、動きです。
ですね?
知識の動きです。
これらをご覧になるのか どうかと、思われます。
私は、進んで行きながら、自分自身、 これを発見しつつあります。
すなわち、頭脳は、
記録しないことが できますか。
理解されますか。
お示ししましょう。
それを聞いてください - あなたが、 面白くしたいなら、です。
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49:52
あなたは私に、 へつらいます。
頭脳は即時に、 それを記録します。
あなたは、私を侮辱します。
頭脳は、またもや、 それを記録します。
それは、いつの時も 記録している機械です。
ですね?
それは、私たちの知識に、 なります。
その知識から 私たちは、行為します。
さて、あなたが、 記録しないなら -
あなたが私に、へつらうなら、 頭脳は、記録しません。
私は、「あなたは、私の 大親友です」と、言いません。
または、私を侮辱します。
侮辱も、へつらいも、記録 されません。
理解されますか。
そのとき、知識は、 必要ではありません。
それは、恐れを 創り出すかもしれません。
が、私は、知識を 持たなければなりません
- 手紙をどう書くのか、
どうビジネスをするのか。
もし私が、ねじ曲がっているとか、 その他であるなら、ですが。
私は、知識を 持たなければなりません。
51:16
私は、会計士であるなら、知識を 持たなければなりません。
これらに付いてきておられるか どうか、私は知りません。
が、心理的な知識は、 記録されますが、
記録しないことは、可能ですか - 心理的に、です。
理解されますか。
見出してください。
私に 同意しないでください。
心理的に記録しないことが、可能なのか どうかを、見出してください。
それは、頭脳がこれの事実を 見た、という意味です。
ゆえにそれは、それ自体の 条件づけを、解きつつあります。
で、恐れは、 時と思考の動きです。
ですね?
さて、どうぞ、「私はいかに 考えるのを止めるべきか」と、
訊ねないでください。
52:34
語り手が、あなたに体系を 与えるほど、ばかであるなら、
その体系こそに、 本来的な衰えが、あるのです
- それが、 官僚制度の体制であっても、
特定の冥想の体系、
思考の体系であっても、です。
理解されますか。
体系の構造こそに、本来的に その中に、衰えがあるのです。
それは、エントロピーと 呼ばれますが、
私はそれらに、 入らないでしょう。
物理学者たちは、 これを知っています
- エネルギーの損耗です - それは、測量できます。
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53:25
そして、頭脳は今、大変多くの 知識の重荷を、負っています。
その知識は、私たちの 条件づけになったのです。
ゆえに、 その知識こそが、
私たちが、何か新しい、新鮮なものを、 見るのを、阻止します。
ところが、 あなたが初めて、
恐れが生ずるままに、 それを見つめられるなら、
そのときそれは、何か 全然違ったことです。
それは、反応です。
物理的な反応と、 心理的な反応です。
で、恐れ、恐れの根は、 時と思考の動きです。
ですが、あなたは 時の本性を、理解するなら
- 知的に、ではなく、 実際に、
時の本性と構造を、です -
そしてまた、思考の 本性と構造を、理解するなら
54:38
- 理解する。 それは、究明する、
そのものと、完全に親しい、 という意味です -
時の動きと、 思考の動きと、です。
それらは、 恐れの基礎です。
そのとき、恐れは、
あなたが、このものを、 こうも完全に、
いわば両手に 保っているから、です。
それは、あなたの注意を、 必要とします。
その注意こそが、恐れを 焼き尽くしてしまうのです。
これらを、理解なさるのか どうかと、思われます。
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さて、あなたは、恐れを持っている なら、どうして、愛せますか。
あなたたちはみんな、自分の神々に 怯えているでしょう。
ですね?
あなたたちはみんな、自分の 神々に、褒美を頼んでいます。
あなたは、祈ります。
あなたは、 供養します - 何か儀式を、です。
そのすべてが、表示します。
ですね?
私は、大変尊敬を込めて、 お訊きしているだけです -
それは、あなたが怯えている ことを、表示しませんか。
生きることに 怯えている。
自分の問題に 怯えている。
それで、あなたは、 神々に頼んでいます
- 自分が 考案してきたものに、です。
ですね?
それに同意されますか。
あなたの思考は、これらの 神々を、創案してきました。
それに、 同意されるでしょうか。
または、あなたは、神聖すぎて、 そういうことを認められませんか。
理解されますか。
思考は・・・
どうぞ、このことを あなた自身で、理解してください。
私は、指令していません。
私たちは、宣伝をしていません。
それは、 あなたの生です。
56:55
この恐れの中から、
思考は、最もすばらしい教会、 大聖堂を、創り出してきました
- 建築的に、 すばらしい。
建物の、大いなる美しさ、 大いなる重みと強さです。
が、思考は、 大聖堂、寺院、
神殿、モスクを、 創り出してきました。
また思考は、その中にある物事 すべてをも、創り出してきました。
儀式、衣装、 お香、言葉は、
すべて、 思考の結果です。
そして、思考は、 物質的な過程なのでしょう。
なぜなら、記憶は
- 頭脳の細胞が、 記憶を保っています。
それは、事実です。
そして、その記憶は、 知識と経験に、基づいています。
で、この動き全体は、 物質の動きです。
58:19
で、思考は、神を 創案してきました。
または、 女神や神々を、です。
インドには、三十万以上の 神々が、いると、思います。
ヨーロッパには、 一つか、二つかだけです。
彼らは、不幸な人々です。
なぜなら、あなたたちは、
それらから幾つの数でも、 選択できるからです。
なぜなら、それらがこうも 多く、あるからです。
あなたは、一人の導師、 一つの神から、
別のへ行き、 大変面白くできます。
私が罰当たりだと、 考えないでください。
思考が創り出してきた神々は、 神聖ではありません
- 私たちは、それらを 崇拝するけれども、です。
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神聖であるものは、 寺院、神殿にありません。
モスクや教会に、 ありません。
神聖なものは、恐れより自由である 精神にとってのみ、存在します -
葛藤より自由で、暴力より 自由である精神に、です。
ですが、暴力、恐れ、心配を 持っているので、
私たちは、これらの神々の 増殖を、持っているだけです。
で、思考と時は、 同じです。
ですね?
なぜなら、知識を持つには
- 科学的な知識や、 どの種類の知識でも -
時を、必要と するからです。
そして、時と思考は、 恐れの根です。
そして、時と思考は、 今にあります。
現在に、あります。
この中から、きわめて 深刻な問いが、生じます -
思考に所属していない時が、 あるのかどうか、
または、時として 知られた動きが、です。
理解されますか。
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1:00:53
で、自らが聞いてきたなら - 単に聞こえただけではない -
私たちが一時間、 話してきたことを、です。
あなたが実際に聞いて、 吸収してきたなら、
あなたが暑い日に、冷たい 飲み物を、吸収するように、です。
あなたが、言われてきたことを、 吸収してきたか、
言われてきたことを、聞いて、 それの真理を、見てきたなら
- その知覚こそが・
・・
そして、知覚は、 時のではありません。
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
私たちはまた、短く話さなければ なりません - もう、止める時間です。
知覚、見ることに ついて、です。
あなたは あの樹を、見ます。
あなたはいったい本当に、 そもそもその樹を、見ますか。
あなたは、いったい本当に、 日の出の美しさを、見ますか
- または、 日の入りの、です。
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または、あなたたちは、自分自身に 占有されすぎているので、
あなたはけっして、 大地の美しさを、見ないのです。
あなたが、あの樹を 見るとき、
何が起きますか。
「樹」という言葉が、 介入します。
それで、あなたは、実際に それを見つめないのです。
それに注目したことが、 ありますか。
いいですよ。
はるかに近く来ましょう。
あなたが、「それは、 私の妻です」と言うとき、
あなたはいったい、自分の妻を 見つめたことが、ありますか
- または、 自分の夫や、自分の彼女や、
何でも、あなたが 持っているものを、です。
あなたは、その言葉をもって、 見つめます-
あなたが彼女や彼について、持っている イメージをもって、映像をもって、です。
で、これが、障壁として機能します。
あなたは、けっして見ません。
で、あなたはけっして、 敏感になりません。ですね?
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1:03:26
マドラス中に、汚物と 汚れが、あります。
あなたは、けっして 見ないでしょう。
または、あなたは、 それが慣習になっています。
あなたは、何をも 堪えます -
どの政府、どの官僚制度、 どの神をも、です。
何でもあり、です。
大いなる敏感さを、 持たなくてはいけません。
その敏感さは、養成される ことになりません。
それは、あなたが 空の唯一つの星の美しさを
見つめるとき、 生じてきます
- あなたが、新しい月を 見るとき、
あなたが、 海を見るとき、です。
が、あなたが、一つか二つの 感覚的応答を、使用するだけのとき、
その制限こそが、 狭い見通しを、創り出します。
1:04:33
が、あなたが、自分の感覚 すべてでもって、見つめるなら -
樹を、 空を、
夕べの雲 - 光と大いなる美しさに 満ちているのを、
あなたの感覚 すべてでもって、です。
そのとき、その観察の中に、 自己、「私」は、ありません。
それは、諸感覚の部分的な応答が あるとき、だけです -
そのとき、その部分性、制限こそが 「私」を、創り出します。
で、恐れは、完全に 終わりになりえます -
あなたが、時と思考の 本性を、理解するとき、です。
よし。
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