MA8485T2 - 思考は人間たちに、安全を与えられるのか。 home
第2回公開講話
インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月4日

0:19 私たちがこのひどい所で、 会合していることは、残念です。 あちらの木々の 下のほうが、いい。 あなたが気になさらないことを、 望みます。 私は気にします。
0:51 私たちは、前回会ったとき、止めた ところから、継続しましょうか。 それは、前の日曜日でした。 前の土曜日でした。 すみません。 日曜日、あまりに多くの雨が降ったから、 私たちは、去らなくてはなりませんでした。 私たちは少し戻って、 土曜日に言ったことを、 見てみなくてはいけないと、 思います。 私たちはともに、 考えています。 語り手が考えていて、 あなたは考えていない、 のではない。 ともに、私たちは 考えています。 私たちの頭脳を、最高の水準まで、 または、最高の能力まで、 行使しています。 また私たちは、前の土曜日にしたように、 指摘したいと思います - 私たちは、どの種類の宣伝をも していないことを、です。 私たちはあなたに、何をも 説得しようとしていません。 反対に、 私たちは、ともに 観察しようとしています - 思考の活動すべてと、 自分が送る生を、です。
2:47 観察すると、 私たちは、 とても表面的な生、 かなり浅い生を、生きます - 様々な理由のために、です。 人口過剰、 乏しい職、 それは、常なる格闘です。 格闘は、私たちを、 かなり表面的にします。 私たちを、浅くします。 私たちが 指摘しましたように、 私たちは、様々な理論、 様々な伝統の すばらしい足場を、 築きます - 迷信と、それらを 含めて、です。 この足場の裏に、私たちは、 まったく建物を、持ちません。 私たちは、そもそも 築きはじめません。 それは事実です。 私たちはともに、事実だけについて、 議論しようとしています - 理論ではなく、理想ではなく、 何か私たちが 想像するものではなく、 実際に、私たち自身の生を 観察します。 あなたが そうしたいなら、です。 私たちは、すばらしい足場を、 築いてきました - 大学、専門校、 学校、 幼稚園において だけではなく、 私たちはまた、大変多くの知識を、 築いてきました。 集めてきました - ほとんど あらゆる物事について、です。 大地、 空気の本質について、です。 私たちは、病気すべてを 取り扱えます。 新しい心臓、人工心臓、 肝臓などを 移植できます。 5:23 私たちは、ここ百万年か、 五万年の間に、大変多くの情報を 取得してきました - 外的に、世界についてだけではなく、 哲学者たち、 そして、心理へ少しの思考を、 注いできた人たち、 心理学者などのように、ですが、 それらすべては、 言語的な構造物に、留まります。 私たちにとって、それらは、自分の 日常生活で、ほとんど意味がありません。
6:02 そして、私たちは、 関心を持っています - もっと知識を取得することに、 ではなく、むしろ、ともに、 ともに考えて、私たちの生を 観察します。 私たちは、自分の生を、 むだにしつつありますか。 どうぞ、これは、 真剣な問いです - すなわち、私たちの一人一人が 答えなければならないことです。 私たちは、浅い生、表面的な生を 生きていますか - 私たちの生に、 多くの意味なしに、です。 または、私たちは、宗教の些細なこと すべてを、脇に置いたのですか - それらは、些細なことです - そして、民族主義的な制限された 視点すべても、です。 私たちは、残りの世界、 残りの人類について、 何か私たちより分離したものと、 考えますか。 私たちは、そのように 考えますか。 私たちは世界を、 そのように見つめますか。 7:45 そのとき、私たちの生は、 私たちが、そのように 狭く見つめるとき、 私たちの生は、きわめて 個人主義的に、 狭くなり、制限され、 かなり浅くなります。 なぜなら、私たちのみんなが、自分 自身に、関心を持っているからです - 私たち自身の前進に、 私たち自身の成功に、 私たち自身の宗教的な 結論と達成に、です。 私たちみんなに、ものすごく たくさんの利己が、あります - 私たちが、 高位の政治家であっても、 たくさんのお金を貯蓄しているだけの 安っぽい導師であっても、です。 そして、私たちのみんなは、 真理や啓明を追求し、 探求中ですが、 基本的に、これらすべての動きに、 利己が、あります。 8:51 その利己は、覆い隠されて いるかもしれません。 または、その利己は、他の何かへ 没入するかもしれません。 この利己は、 神の名において、でも、 幻影・ ・・ 啓明の名において、でも - 幻影ではありません。 私たちは それらを、たくさん持っています。 いいですか? それが、私たち自身の 特定の成功などであっても、 深い、長続きする利己が、 私たちみんなに、あるのです。 私たちは、ふりを するかもしれません - 私たちは、真理を探し求めている、 私たちは、啓明を得たいとか、 どう適切に生きるかを、 見つけたいとか、ですが、 基本的に、内的に、 この利己の騒動が、 あるのです。
10:03 どうぞ、私たちが 言いましたように、 何にも、語り手と 同意しないでください。 語り手が言うことは、 何も価値がありません - あなた自身が、あなた自身を、 そのとおりに、 理解するのでなければ、です。 この深い利己が、 あるのかどうかを、です。 この利己は、 全的な注意を、阻止します - 私たちは先日、 それに入りました。 おそらく、私たちは、後で それに入るかもしれません。
10:52 私たちは外的に、とてつもない 世界を、築いてきました - 思考が、築いてきました。 大きな教会と、 その中での儀式すべて、 寺院 - 古代の寺院、神殿と、 美しいモスクは、すべて 思考の結果です。 その中での儀式すべては、思考に より、組み立てられています。 ですね? どうぞ、語り手が言っていることを 受け入れないでください。 あなた自身を 問うてください。 これらの事実を、 掘り下げてください - 思考が、創り出して きたことを、です。 民族主義的、 宗教的な分割を、だけではなく、 また思考は、最も驚くべきテクノロジー の世界をも、創り出してきました。 彼らは、人工心臓を 発明してきました - 人間たちに 移植されるように、です。 大した、すばやい通信、 そうね、その他すべて、 そして、コンピューター。 12:35 思考が、そのすべてを してきました - 他の人たちとの協働に おいて、です。 一人一人が、自立していて、 ともに働きます。 あなたが、協働の疑問に入ったことが あるのかどうか、私は知りません。 自らが全的に 自立していて、 自分自身で 考えているのでなければ - 他の一人の権威を 受け入れない。 特に、霊的な事柄に おいては、です - 私が、その「霊的」という 言葉を、使っていいなら、です。 思考は、このすべてに 責任があったのです。 それは事実です。
13:32 で、思考は、とてつもない 仕事への能力が、あったのです - 大いなる絵画、大いなる彫像、 大いなる発明へ、です。 また、思考はいつも、自分自身のために 安全を、探し求めています。 ゆえに、それは、神を 創り出してきました。 あなたがこれを、気に 入らなそうなのは、知っていますが、 あなたは、これら事実を、 見なくてはいけません。 それは、様々な種類の神を、 創り出してきました - キリスト教、イスラム教の神と、 ヒンドゥー教の神、 この国の、 幾千ものそれら、です。 ともに、私たちは、 考慮すべきです - なぜ思考は、こうもものすごく 重要になったのか、 そして、思考はなぜ、 テクノロジーの世界で、 計算できないほど、働いてきて、 拡大してきたのか、です。 その思考自体は、「私は自分自身を 理解しよう」と、言ってきました。 14:55 すなわち、思考は、「自分自身」を 築き、組み立ててきました。 それに同意されますか。 私たちは、 ともに行っていますか。いいですか? 私たちは、ともに 考えていますか。 または、私があなたに 無理やり考えさせていますか。 または、私たちは、これについて、 対話を行えますか。 対話は、二人の人々の間の 会話を、意味しています - 仲良くて、友だちであり、 単に言語的な水準で、 表現しているだけではなく、 彼らは、自分たち自身に、 関心を持っています - 自分の妻に、夫に、 そして、 人間の本性全体に、です。 彼らは、それについて、 ともに話し合っています。 あなたと、語り手は、 その地位にいます。 私たちは、ともに対話を 行っています。ですね? 16:14 これは、利巧な発言ではありません。 それは、そのようであるべきです。 それは、私たちがともにしなければ ならない、という意味です。 私は、ともに、 というのです。 これらすべてのことについて、 考えるのです。 あなたの意見や 私の意見に沿って、とか、 あなたの視点に沿って、 ではない。 または、あなたの先入観などに 沿って、ではない。
16:45 ともに考えることが、 とても重要です。 それは、私たちがどちらも、自由に 探究できる、という意味です - 自由に、互いに質問できます。 仲良い形で、です。 弁証法的な事柄として、 ではなく、 ともに、思考はどんな所を 持っているのかと、 思考はどこで必要ないかを、 見出すのです。 ですね? 私たちは、それを 探究しようとしています。 思考はどこで必要なのか、 そして、あなたが考えれば考える ほど、その方向に、もっと多くの エネルギー、活力があります - それが、テクノロジーの世界です。 そして、利己を築いてきた 思考の本性を、観察する。ですね?
17:58 私たちのみんなに、 安全が必要です - 生物的、物理的にも、 また、内的な安全も、 私たちのみんなに、 それが必要です。 それは、 頭脳の切迫と要求です - それは、「頭脳が 完全に安全であるとき、 私は、優秀に機能できるだけだ」 と、言います。 ですね? 私たちは、 一緒にいますか。 どこに安全は、 ありますか。 もちろんあなたは、住宅、 フラットや小屋、家具として、 安全を 持たなければなりません - あなたが家具やベッドを 持つなら、です。 そして、わずかな衣服か、 きわめて多くの衣服を、です。 そこで私たちは、安全を 持たなければなりません。 さもないと、あなたと私は、 ここに座っていないでしょう。 そして、頭脳はまた、 こう言います - 「私は、外的に、物理的に だけではなく、 また内的にも、安全でなければ ならない」と。ですね? 19:28 それが、あなたが ほしいものなのでしょう。 安全への探求の中には、 安全を持たないことに関与した 恐れもまた、あるのです。 ですね?  それらは どちらも、相伴います。 これを理解されますか。 すなわち、 私は安全がほしい。 私の頭脳は、自分が 安全であることを、要求します。 それは、 幻影を受け入れて、 その幻影が、それに 安全の感覚を、与えるのか - ほとんどの人々は、 そうします。 伝統での安全、 古い信念での安全、 来る日も来る日も、同じ習慣を、 続けていくことでの安全、 供養や儀式を することでの安全 - 少し自分は 聖なる感じが、します。
20:49 で、私たちはともに、究明し、対話、 会話を、行わなくてはいけません - そもそも安全があるのか どうかを、見出すように、です、 質問を理解されますか。 安全への探求は、 幻影なのかもしれません - 内的には、です。 理解されますか。 すなわち、私たちは、 家族の中に、安全を見つけますね - 妻や夫と、 住宅などを持っていたり、 海辺のあれら、汚い小屋の一つに 住んでいたり、です。 私は、政治や政府について、 話さないでしょう。 安全がありますか。 私たちは、安全がほしい。 私は、何かに関して、 こうも長く働きました。 私は、老いようと しています。 私は、自分なりに確実でありたい、 安定したいと思います - 死について、私の生について、 私の家族について、です。 または、私は、僧侶、 サンニャーシになって、 安全を見つけます。 または、去ってしまい、 ヒマラヤに生活し、 自分が考えることに、自分の冥想に、 安全を見つけます。 ですね? これらに 付いてきておられますか。
22:57 で、思考は、人間たちに、安全を 与える能力が、ありますか。 いいですか?  私が訊ねている ことを、理解されますか。 思考は、一連の活動を 組み立ててきました - それは、国家安全保障と 呼ばれます。 思考は、この安全を 分割してきました - アメリカ、ロシア、シナ、インド などに所属することとして、です。 これに付いてきておられますか - 少なくとも、少しは、です。 安全への探求の中で、それは、 分割を創り出してきました。 ゆえに、様々な国家、民族などの 間に、葛藤、抗争を、です。 それは、 分割の中、分離の中に、 葛藤、抗争があるにちがいないことを、 悟ったことがありません。ですね? 24:19 私は、自分自身に 話していますか。 理解されますか。 どうぞ、これを理解することが、重要 です - 対話、会話として、です。 すなわち、分割、 分離が、あるところ - フランス人、ドイツ人、 それらとして、です - 必然的に葛藤が、あるにちがい ないのです。 それは、法則です。 あなたが、 ヒンドゥー教徒であり、 インドと呼ばれる観念に、 執着していて、 愛国的、それらの事柄に なるかぎり、 他の者が、あるにちがいない - すなわち、イスラム教徒が、です。 彼もまた、自分の条件づけ、自分の 宣伝、自分の信念を、持っています。 で、分割があるところ、 あなたは、戦争を起こすでしょう - ロシアとアメリカやイギリス、 その他すべての間に、です。 25:29 時の始まりから、それは、 人類の歴史であったのです。 戦争は、私たちの 遺産であったのです。 ですね? 誰が、この分割を 創り出しますか。 質問を理解されますか。 それは、思考ですか。 私は、あなたに訊ねています。 どうぞ、これは会話です。 世界を、国家、民族へ、 分割してきたのは、思考ですか - 経済的な分割へ、 様々な形の文化と、 宗教などへ、です。 それは思考ですか。
26:34 そのとき私たちは、 訊ねなくてはいけません - あなたと私、 語り手は、です。 思考の始まりは、何ですか。 考えることの実在性とは、何ですか。 その起源とは、何ですか。 どうぞ、ともに 働いてください。 思考は、最もとてつもない ことを、してきました。 それについて 疑問は、ありません。 また思考は、最も悪魔的な ことをも、してきました。 思考は、私たちのみんなにとって、 こうも本質的ですが - なぜなら、語り手は、英語の語彙、 蓄積された記憶を、持たないなら、 言葉を使えない だろうからです - で、思考は 制限されています。 同意しないで、頷かないでください。 同意しないでください。 いつも同意して、 頷かないでください。 あなたは、よく気をつけて、 これを見つめなくてはいけません。 それを、あなた自身で理解 しなくてはいけません。 語り手はただ、叙述でき、言葉に 表せ、設計を描けるだけです。 あなたが、 考え、見出し、疑い、 問い、訊ねなくては いけません。 まったく 同意するのではありません。 28:24 そうね、それは、人間として 私たちの奇妙さの一つです - 私たちは、同意するのか、 不同意するのか、です。 同意や不同意をする必要は、 何ですか。 あなたは、何かを 現実だと見るとき、 同意や不同意は、ありません。 そうなのです。 ですが、私たちは、何をも 明らかに見ません。 私たちはみんな、かなり 混乱しています。 この混乱の中から、 同意と不同意が、生じますが、
29:05 もしもあなたと私は、あなたと語り手は きわめて明らかに、何かを見たなら、 同意のための必要は、 ありません。 そうなのです。 ビヤン?   理解されますか。 どうぞ、これを 理解してください。 これは重要です。 それに入ってください。 ここは、暑いですね?  いえ、 団扇を拾わないでください。 そうね、この基礎に立って - 同意と不同意ですが - いつも、分割があり、 ゆえに葛藤、抗争があります。 私はあなたに同意する、 私は彼に同意しない、とか、 私はこれに従う、 あなたはあれに従わない、 私は、これを選択する、 あなたは、あれを選択しない。 理解されますか。 この常なる分割、 同意と不同意、です。 あなたと私は、これが マイクロフォンであることに、 けっして 不同意しないでしょう。 私たちは、 聞かされてきました - 電気の専門家により 組み立てられて、 それはマイクロフォンと 呼ばれるでしょう。 そして私たちは、それは マイクロフォンだと、言います。 不同意は ありません。 30:40 あなたがそれを、キリンと 呼びたいのなら、呼んでもいいが、 誰も、このものがキリンで あることを、理解しないでしょう。 彼らは、キリンの写真を持っています。 彼らは、本の中で見たことがあります。 だから、意思疎通が ありません。 ですが、あなたと語り手が、 同じものを見て、 「あれはマイクロフォンだ」と 言うとき、意思疎通が、あります。 それへの知覚、 それを見ることは、 同意や不同意を、要求したり、 求めたりしません。 あなたはその方向へ、進んで ゆけるのかどうかと、思われます。 なぜなら、語り手は、あなたに 何をも、説得しようとしていないし、 また、あなたに、語り手に同意するよう 感じさせようともしていないからです。 31:40 語り手がしているすべては、 実際に進んでいることを、 叙述することです - 外面的にだけではなく、 内的にも、です。 彼は、あなたの鏡です。 鏡は、何の権威をも、 持っていません。 鏡は、あなたの導師では ありません。 ですね? これらが、お分かりになるのか どうかと、思われます。 それは、鏡です。 あなたは、物事を、きわめて 明らかに見はじめるとき、 その鏡をすっかり投げ捨てられ、 それを破壊できます。
32:26 で、これは、人格や個人の 崇拝ではありません。 語り手にとって、それは、 忌々しいものです - 或る人物を、何かとてつもない ものに、することは、です。 が、むしろ、ともに考える、 ともに対話、会話を行う - 可能なだけ深く、です。 お天気についての 表面的な会話ではなく、 私たちの心と頭脳に触れる 会話を、です。 で、私たちは、 訊ねています - 誰が世界に、このすべての分割を 創り出してきましたか - そして、 良いものと悪いもの、 私たちの中の この二元性を、です。 誰が、これを もたらしてきましたか。 それは、思考ではないですか。 そして、思考は 制限されていませんか。 思考は、自らが無限である ことを、想像できます。 34:05 それは、無限の、際限なき地平線、 水平線を、投影できますが、 思考自体は、 制限されているので、 それが何を投影しても、 それが何をしても、 やはり制限されています。 ゆえに、葛藤を生み育てています。 私たちは、気をつけて、 これに入らなければなりません。 私たちは、葛藤とともに 生きるからです。 妻と夫の間の葛藤、 隣人との葛藤、 イスラム教徒と ヒンドゥー教徒の間の葛藤 - 私の生すべては・ ・・ 始まりから私たちが死ぬまで、 この永続的に格闘が、 あります - 冥想するため、どう冥想するのか、 冥想でどう適切に座るのか。 そうね、その事柄全体です。
35:09 葛藤は、必要ですか。 そして、唯一つの葛藤もなく、 生きられますか - それは、まったく問題を 持たない、という意味です。 なぜ私たちは、 問題を持っていますか。 宗教的な問題、 社会的な問題、 私たちの、他の人たちとの関係での 問題 - 親密なそれの、などです。 私たちは、いつも 問題を、持っています。 唯一つの問題もなく、 生を、生きられますか。 あなたは、その質問を したことが、ありますか。 あなたは、それを訊ねているなら - 訊ねなければなりません - それが可能であるのかどうかを、 どのように、見出すのでしょうか。 それが可能であることを、 当たり前だと取ったり、 それは不可能である、と言ったり するのではなく、 問題が何であるかと、 唯一つのその影もなく、 あなたが生きられるのかどうかを、 自分自身で見出すのです。 あなたは、それに入りたいと 思うでしょうか。
36:45 私たちの頭脳は、大変 とてつもない器具ですし、 無量の能力を持っていて、 最も驚異的に微妙なことの 能力を、持っていますが、 その頭脳は、諸問題で、 こうも混雑しています。 なぜですか。 どうぞ、見出してください。 なぜかを、自分自身に 問うてください。 「問題」(プロブレム)という その言葉の意味は、 語源的に、何か自分へ 投げつけられたもの、という意味です。 問題は、挑戦を 意味しています。 そして、頭脳は、 生まれた瞬間から、 死ぬまで、 問題を持っています。 それは、 字を書けません。 教師と、気の毒な親と、 他の人たちが、 その子に、書き方を 教えます。 子どもにとって、それは 問題になります。ですね? 38:08 これらを理解されますか。 で、子ども時代から、 大学をとおして - あなたが運悪くか、運良く、あの 機構を、通って行くなら、です - あなたの頭脳は、問題を持つよう、 教育されます。 ですね? それへ同意されますか - 同意ではない。 すみません。 あなたは、それの事実が、 見えますか - すなわち、あらゆる人間が、問題を 持つよう、教育されるのです。 問題を持つことへ教育される 頭脳を、持っているので、 それはけっして、どの問題をも 解決できません。 ですね? なぜなら、それは、そのように 条件づけられているからです。 それは、政治的に、宗教的に など、観察できます。 その条件づけは、 問題を持つよう、訓練 されてきたことなのですが、 その頭脳は、問題すべてより、 自由でありえますか - 宗教的、経済的、社会的、 などのと、関係の問題より、です。 39:41 質問を理解されますか。 私が問題を持っていて、私の頭脳が それに条件づけられているなら、 私はどうして、 問題を解決できますか。 ですね?  私は、部分的に、 一つを解決できて、 それにより、他のものを、 二つか三つ、創り出します - 政治的に、宗教的に、です。 よろしいですか? これが、世界で 起きつつあることです。
40:15 で、私は、訊ねています。あなたは、 あなた自身に訊ねています - 絶対的に自由であり、 それで、あなたが自由に、 問題に出会えることは、 可能であるのかどうか、です。 問題へ条件づけられている 頭脳でもって、ではない。 ですね? 私たちは、幾らか、 互いに出会っていますか。 私たちは、これに 入るでしょう。 私たちは、なぜかを 訊ねています - そして、誰が、この分割を、 創り出してきたのかを、です。 すなわち 問題を創り出すものを、です。 私たちは、思考、と 言いました。 なぜなら、思考は 制限されているからです。 私たちはまた、こう 言いました - 記憶は、頭脳に 蓄えられている。 その記憶は、思考である、と。 ですね? 記憶は、知識であり、 その知識は、けっして 完全ではありえません。 科学的な知識でも、 あなた自身を含めて、 何についての知識でも、 それは、けっして 完全ではありえません。 いつも、もっと発見すべきこと、 理解すべきこと、 見出すべきことが 何か、あるのです。 42:02 で、知識は過去です。 未来における知識もまた、それは いつも、制限されるでしょう。 これは明らかですか。 知識は、経験の結果です。 ですね?  経験 - それは、いつも 制限されています。 その経験の中からの知識もまた、 制限されています。 そのとき、記憶は、 頭脳の中に蓄えられて、 その記憶が、応答します。 記憶が、思考です。 それは、同意や不同意の問いでは ありません。 そうなのです。 私たちの頭脳は、 記憶に満ちています。 すなわち、私たちの頭脳は、 記録しています。 テープレコーダーのように、 それは、記録しています。 ですね? これらに 付いてきておられますか。 それで、 頭脳は、次第にか、急速に、 機械的になりつつあります。 43:32 テクノロジーの世界において、 ではありません - それは、とてつもないものを、 発明してきました。 コンピューターのように、です。 私は、コンピューターの事柄に、 入らないでしょう。 私はそれについて、あなたに、 少し語りましょう。 コンピューターは、 プログラムされています。 熟達者により、 プログラムされています。 数学者、トップの数学者である人が、 プログラムできます。 それは、他の人たちに 数学を、教えられます。 私たちの頭脳もまた、 プログラムされています。 ですね?  あなたは、ヒンドゥー 教徒です。私は、仏教徒です。 私は、チベットの冥想法に 従う、などです。
44:27 コンピューターがプログラムされるように 私たちは、プログラムされます。 あなたは、アメリカ人、イギリス人、 その他すべてですね。 今は、それらへ入る 瞬間ではありません。 コンピューターは、こうも 急速に発達しつつあるので、 ほとんど何でも、できます。 そして、人間の頭脳には、何が 起きようとしていますか。 人間の頭脳が してきていることを、 コンピューターが、 たくさんできるとき、 人間として私たちには、 何が起きますか。 頭脳を行使する中で、頭脳は 活動的になります - もっともっと もっと、です。 が、頭脳が 活動的でなくて、 次第に、その機器が、 引き継ごうとしているなら、 私たちは、萎れようと しているのか、あるいは、 娯楽の世界に入るのか、です。 ですね? これらを理解されますか。 これらに、興味が ありますか。
45:54 頭脳は、大きな娯楽に 関与するであろうか - それは、娯楽を ほしがります。 なぜなら、テクノロジーの世界で、 他の世界で、 それは、多くを できないからですが、 それで、頭脳は 次第に、萎れ、 娯楽に関与し、 楽しむでしょう。 スポーツにより、 宗教的な儀式により - それは今、ますます 起きつつあります - あるいは、他の可能性だけが あるのか、です。 心理的な世界へ、入る - 心理を越え、制限された利己を 越えている世界へ、 その中へ、大変深遠に 入るのです。 さて、思考は、 これらをできますか。 理解されますか。 思考は、コンピューターを 創り出してきました。 それは、ロボットを使って、 車を製造するでしょう。 大量の失業などなどなどが、 あるでしょう。 47:28 で、思考は、いつも 制限されているので、 そして、それは、見たところ、私たちが 持っている、ただ一つの器具です。 あなたは、こう 言うかもしれません - 感情、情動、情緒に ついては、どうか、と。 そのすべてもまた、 思考の部分ではないですか。 いいえ? 私は、自分の導師を、 熱愛しています。 または、 寺院の或る偶像を、です。 寺院の中の偶像は、思考により 創り出されています。 私の導師は - 私がそれを 持っているなら、です。 幸運にも、私は 何も持っていません - 私はそれを 持っているなら、 思考が、彼に、大変多くの 属性を、与えてきました - 彼は知っている。 私は知らない。 私は、助かるだろう、と。 それが、導師たちの災いの一つです - 他の人たちを助けたがるのです。 あなたは、これらを聞きますか - 私に何かを投げつけずに、です。 48:54 なぜなら、私たちはみんな、 助けてほしいからです。 私たちは、 助けられてきました - 外科医と医師などに よって、だけではなく、 私たちは、助けられてきました - 哲学者により、 いにしえの書物により、 バイブル、コーラン、 ウパニシャッドにより、 または、あなたの特定の宗教書が 何であっても、です。 または、あなたの導師や、 地元のパンディット(学識者)でも、 あなたたちはみんな、 助けてほしいのです。 私は、問題を持っています。 私は、助けてほしい。 私は、あなたへ行きます。 あなたのほうが、私より、 はるかによく知っています。 私は、あなたに 服従します。
49:42 で、私が 助けられつつあるとき、 私には、何が起きつつありますか - 実際に、です。 私は、ますます弱く なりつつありますね - 精神的に、道徳的に、です。 私はただ従い、服従するだけです。 私は、機械になります。 まったく自立は、 ありません。 私はけっして、問い、疑わない。 懐疑的ではない。 あなたが懐疑的であり、疑い、 問うなら、宗教は存在しないでしょう。
50:30 で、私たちは今、探究しています。 ともに話し合っています - 思考は制限されていて、 それが、テクノロジーの世界や 心理の世界において、 何をしようとも - 「私は自分自身を 理解しなければならない。 自分自身を知らなければ ならない」と、です - そのとき、思考は、 究明しはじめます。 その究明こそが、 制限されます。 なぜなら、思考は、 制限されているからです。 ですね?  これらに 付いてきておられますか。 で、私たちは、 訊ねています - それが、私たちが持っている、 ただ一つの器具であるなら、 そして、私たちが、事実を見るなら、 実際に観察するなら - 同意や不同意をするのではなく、 実際に事実を見る。 すなわち、思考が何をしようと、 いつも制限されるし、 ゆえに、葛藤であるに ちがいないことを、です。 葛藤があります。 なぜなら、私たちは 二元性を、持っているからです - 善いものと悪いもの、です。 51:43 少しそれらに付いてきてくださる でしょうか - 興味がおありなら、です。 古代の日々より、これが、 葛藤であったのです - 善いものと 悪いものとの間で、です。 善いものが、悪いものに 打ち勝とうとしています。 悪いものは、善いものに 打ち勝とうとしています。 善いものは、千の違った形で 表現されるし、 悪いものは、 千の違った形で、です - 邪悪などなどなどと、 呼ばれます。 さて - どうぞ、聞いてください - まったく二元性を 持たないことは、可能ですか。 質問を理解されますか。 それを見出す - 理論的にではなく、 切実に、です。 そもそも二元性が、 ありますか。 いいですか? 私たちは、問うています。
52:58 恐れは、事実です - すべての人間にとって、です。 暴力が 事実であるように、です。 そして、恐れの対極は、 勇気です。 または、逃避です。 または、 それを乗り切ろうとする。ですね? で、二元性が、ある。 事実と、非事実。 それがお分かりになるのか どうかと、思われます。 事実は、恐れです。 非事実は、「私は 恐れるべきではない」です。 ゆえに、抑圧、葛藤と、 それらが、生じます - 暴力と非暴力の間に、です。 非暴力は、 事実ではありません。 それはただ、思考の 創案物だけです - 「私は、非暴力に至らなければ ならない」と言って、です。 その間、それは暴力的で いつづけます。 ですね? で、私は、私自身に訊ねています。 あなたは、あなた自身に訊ねています。 そもそも対極は、 ありますか。 54:21 男、女、闇、光、 高い、低い、 測量以外に、です。 それを別として、心理的に、 そもそも二元性が、ありますか。 あらゆる種類の哲学者が、いて、 こう言ってきたのです - 二元性がないとき、あなたが 天国や何らかのものに至ったとき、 あなたは、あの水準に 至られるだけだ、と。 それについて書かれてきた 書物が、たくさんありますが、 私たちは、これらの事柄において、 権威すべてを、脇に押しやって、 探究しています - そもそも 二元性が、ありますか。 または、事実だけですか。 事実は、私が恐れている ということです。 頭脳は、それをどう取り扱うのか、 恐れよりどう自由であるのかを、 知るなら、何も対極は、 ありません。ですね? 55:20 これを理解されるのかどうかと 思われます。よろしいですか。 もし私に、暴力が まるで、ないのなら - なぜなら、私は暴力の本性を、 理解するからです。 私は、それを 見つめてきました。 私は、それを保ってきました。 それを観察してきました。 私は、それに入ってきました。 それが何なのかを、見てきました。 物理的な暴力だけではなく、 心理的な暴力も、です - 「私は、そうであってはならない。 私は、そうでなければならない」と。 そして、模倣、順応、怒り、嫉妬、 憎しみ。 それは、すべて暴力です。 私はそれを理解でき、 それを取り扱えるなら、 対極はありません。 私に、対極は要りません。 私が言っていることを、 理解されますか。よろしいですか?
56:11 さて、私は、それを取り扱えますか。 それを延期するのでなく、即座に、です。 私がそれを延期するとき、私は すでに、葛藤に入っています。 これを理解されるのか どうかと、思われます。 何を、私が延期しても、です。 もし私が、「私は自分の怒りを 乗り切ろう。 私に時間をくれ。 次第にそうしよう」と言うなら、 私はすでに、葛藤を 創り出したのです。 これを理解されるのか どうかと、思われます。 いいですか?  私たちは ここを、一緒に行きますか。 で、私は、私の頭脳は、 私が何であるかの事実を、 取り扱えますか - 私が何である べきか、ではなくて、です。 そして、恐れが、 あります。 私はそれを、完全に 取り扱えますか。 「私は次第に、 恐れを取り除こう」、 57:23 「恐れをどう取り除くかを、教えて くれ」と言うのではありません。 けっして、訊ねないでください - 私たちが先日言ったように、です - 何でも心理的なことを、 どうするのかを、です。 あなたは、医師に、あれとこれを どうするかを、訊ねられますが、 心理的にけっして、どうするかを 訊ねないでください。 何をすべきかを、あなたに語るだろう 人々が、千人、いるでしょう。 さて、私は恐れより、自由で ありえますか - 完全に、です。 私はそれに 入るでしょうが、 あなたは、私とともに、 それに入ろうとしています - ただ聞いて、「それは、抜群な叙述だな。 私はそれをどうするかを、知らない。 それについて考えてみよう」と 言うだけではありません。 58:18 今、私たちは、恐れを 見つめています - 恐れの対象を、 ではありません。 また、恐れの原因、結果を、 ではありません。 ですね? あなたは、闇を 恐れているかもしれません。 自分の妻や夫を 恐れているかもしれません。 職を失うのを 恐れているか、 世論を恐れているか、 ありのままの自分自身に、向き合え ないのを、恐れているかもしれません。 「私はこれをできる」と言って、 取りすがりますが、 あなたはけっして、それを できません。 よろしいですか - 様々な形の恐れ、です。 私たちは、様々な形を 取り扱っていません ですね? 私たちは、一緒にいますか。 恐れの対象ではない。 恐れの因果が何であるかを、 私たち自身で、見出すのです - 原因を、です。 59:19 原因があるところ、 結果は、片付けられます。 私が、原因を理解するなら、 結果は、何の意味もありません。 理解されますか。 私は、自分の病気の原因を 見出せるなら、 私は健康に なるでしょう。 で、私は、恐れの原因を、 見出せるなら - 恐れの多様な形を、ではなく、 恐れの原因を、です。 で、ともに、それを 究明しましょう。 それについて、話しましょう。 同意や不同意をするのではありません。
1:00:08 それは、時ですか - 原因は。 時が、恐れの要因ですか。 私は明日、 死ぬかもしれない - 明日は、時です。 私は、職を 失うかもしれない、 私は、妻を 愛さないかもしれない、 妻は、私に怒るだろう、 などと。 すなわち、時は、恐れの原因と して、関与しています。 私たちは、それが見えますか。 よろしいですか? 私はお訊きしています - あなたは、 実際に自分自身で、事実を知覚しますか。 観念ではなく、事実を、です。 観念は、事実より 異なっています。 ですね? 観念は、 事実ではありません。 あなたは、そこに座っています。 語り手は、ここに座っています。 それは事実です。 が、私たちは、それを 観念にできます。 で、観念は、事実では ありません。 ですね? 「ドア」という言葉は ドアではないように、です。 で、私たちは、恐れをもたらす 事実を、見つめているだけです。 1:01:50 ですね? 私たちは言っています。 あなたと私は、ともに 私たちの会話の中で - 互いに説得 しているのではない - 時が恐れの要因である ことを、見る。 ですね?  私は昨年、何か 間違ったことを、してきました。 私は、誰もそれを発見しない だろうことを、望みます。 なぜなら、私は、一定の評判を 持っているからです。 ですね? 彼らは、それを見出すなら、 私を放り出すだろう。 だから、私は それを隠そう、と。 ゆえに、それが、恐れの原因です - すなわち、時ですね。 私は過去に、何かを してきましたが、 それは、私に、面倒を 引き起こすかもしれません。 ゆえに、私は、その出来事を 恐れています - それは、時を 意味しています。 時は、動きです。 一連の動きです。
1:02:55 これらに、興味が ありますか。 または、あなたは、 語り手がこれについて 果てしなく話すのを、 聞いてきましたか。 ゆえに、それに 退屈していますか。 私は、進みましょう。退屈なさっている なら、それは、あなたしだいです。
1:03:14 で、時は、要因です。 そして、時は何ですか。 私は、時計によって、 時を知ります。 私は、日の出、日の入りにより、 時を知ります - 宵の明星、 美しい細長い、 新しい月と、 満月。 時は、過去です。 時は、今です。 時は、明日です。 過去のこの動き全体 - すなわち、時をとおし、 経験、知識などをとおして、 蓄積された記憶。 そのすべての蓄積が、 時です。 記憶、知識としての その蓄積は、 現在を経てゆき、 それ自体を修正し、 未来へ 進んでいきます。 知識、経験、記憶と思考の、 この動き全体が、 時の中の動きです。 1:04:27 いいですか。 ですね? で、時は、始まりから終わりまでの この動きだけではありません。 また、時は今です。 なぜなら、明日は、今日の私なる ものであるからです。 ですね? 明日は、今日の実際の 私なるものです。 今日、私は怒っていて、 暴力的であるなら、 根本的、根源的な変化が ないのなら、 明日、私は、やはり同じに なるでしょう。 よろしいですね? みなさんは、 悩んだように見えます。 で、それが時です。 私は、変化の問いへ 入らないでしょう。 それは、大変多くの 究明を、要求します。 私は、当面、 そうしたくありません。
1:05:43 で、恐れは、時です。 恐れは、また思考です。 私は、職を 失うかもしれない。 私は、妻を失うかもしれない - 彼女は、他の誰かを見つめている。 私は天国に行けないかも しれない、などと。 思考は、過去、 現在、未来の動きです。 で、思考と時は、ともに・ ・・ それらは、どちらも動きです。 ともに、恐れの原因です。 ですね?
1:06:35 そのとき、問いが 生じます - 思考と時を止めることは、 可能ですか。 ですね? それは、通常の問いです。 恐れが、原因の成果か 効果であるなら - 時と思考の、です - そのとき、思考と時を 止めることは、可能ですか。 さもないと、私は、 恐れとともに行くでしょう。 ですね?  私たちは、 これに出会いますか。 私たちは少し、 一緒にいますか。 少し、すばやく 旅を行いましょう。 私は、何を するのでしょうか。 私は、原因が 分かります。 私は、結果もまた 分かります。 結果は、恐れです。 原因は、時と思考です。 思考と時が、片付けられてしまう なら、私は恐れを持ちません。 1:07:57 そのとき、自分に、 神は要りません。 導師は要りません。 思考からの自由が、あるとき、 あなたは、全然違っています。 で、私たちは、 自分自身に訊ねます。 時と思考を止めることは、 可能ですか。 それが、冥想の することです。 ですね? あなたは、冥想をとおして、 思考を制御したいと、望みます - それにより、それを 後に押しやりたい、 それを制御したい、と。 誰が制御者であるかを、 けっして探究しないで、です。 それもまた、思考です。 私は、当面、それらに 入らないでしょう。 思考と時を終わらせる ことは、可能ですか。 それにお答えください。 働いてください。 私たちの頭脳は、 こうも、だらしない。 私たちは、こうも怠けて、 怠惰になったのです。 なぜなら、私たちは、こうも多くの ことを、言われてきたからです。 私たちは、自分たちがどこに いるかを、知りません。 1:09:27 で、ここで、私たちが会話の中で、 しようとしていることは、 事実を見て、事実と ともに生きることです。 事実より 逃避するのではない。 事実は、私は恐れている。 私たちは恐れているのです - 私たちの一人一人が、 違った形で、です。 恐れがあるし、私たちは 原因を知っています。 絶対的な事実が、 あります。 すなわち、時と思考が、 恐れの因果作用です。 また私たちは、原因の 終わりがあるところ、 結果が全的に終わったことが、 分かります。理解されますか
1:10:17 私は、自分の病気が 何であるかを、知るなら、 私は、一定の治療薬を摂られるし、 それで、それは終わりです。 同様に、私たちは、原因を知ります。 結果は恐れです。 さて、私は何を するのでしょうか。 私がそれに答えるのを、 待たないでください。 これは、 私たちの間の会話です。 あなたは、どのように 原因を観察しますか。 あなたは、どのように 原因を発見しますか。 言ってもらうことや、 それを叙述し、言葉に表して もらうことによって、ではない。 事実を見出す - 事実についての 観念を、ではない。 ですね? どうぞ、これを 見てください。 事実についての 観念、結論を、ではない。 事実は、時と思考です。 全的にそれらを終わらせる ことは、可能ですか。 頭脳の進化が、 百万年を掛けてきたのを、 知って、です。 あなたの頭脳は、時を とおして、進化してきました。 その長い持続、 長い時の航行をとおして、 それは、一定の条件づけを、 集めてきました - すなわち、思考が 恐れを解決するだろう、 恐れから逃避するために、 思考が、何かをするだろう、と。 供養をする。逃避する。よろしい ですか。あらゆる形の逃避です。 1:12:41 すべての逃避は、 止まってしまいました。 なぜなら、あなたは、 原因を知るからです。 ゆえにあなたは、原因を、 何とかしなくてはいけません。 その原因が、 根絶されないなら、 あなたはいつも、恐れとともに 生きるでしょう - 心理的に、です。 生物的、物理的により、心理的に のほうが、はるかに重要です。 なぜなら、心理的な状態が、いつも 生物的な状態に、打ち勝つからです。 私は、それに入らないでしょう。 時間が残っていません。
1:13:22 さて、あなたは真剣に、 自分自身に、その質問をしますか。 または、それはただ、 過ぎさる疑問だけですか。 あなたは今日、その質問をしますが、 翌日、それについて忘れます。 明後日、それを 取り上げます。 または、あなたは、大変 真剣に、その質問をしますか - あなたの強烈さ すべてでもって、 あなたの熱情でもって、です。 それは、こういう意味です - あなたは進んで、原因へ、 自らの完全な熱情的な注意を、 注ごうとしていますか。 質問を理解されますか。 または、あなたは、ただ聞いて、 自分の恐れを、続けていくだけですか。 あなたが その質問をするなら - 深遠に、真剣に、です - 見出すように、あなたの心と精神と 熱情すべてでもって、その質問をする。 それは、あなたのエネルギー、 活力、注意すべてを、 それに注ぐ、 という意味です。 1:15:02 あなたが、自分のエネルギー すべてを、注ぐとき - あなたは、それを、むだにしてきました - それから逃避しようとする中か、 代替物を見つけようとするか、 恐れを合理化する中で、です。 が、あなたが、そのすべてを、 完全に落としてしまうなら、 恐れからの逃避は、 ありません。 神も、他の人間も、恐れから自由で あるよう、あなたを助けられません。 あなたが本当に、 それを問うなら - あなたのすべての エネルギー、強さ、活力をもち、 特に、何かを了解したいとの 熱情をもって、です。 すなわち、 幾千年に幾千年もの間、人類がともに 生きてきたもの、恐れを、です。 そのときあなたは、その熱情的な、 燃え立つ注意を、原因へ注いでいます。 あなたが、そういう燃えさかる 注意を、注ぐとき、 原因は、 燃え尽きてしまいます。 1:16:28 ですが、ほとんどの人々は - 私たちは、 失望させていません - ほとんどの人々は、 こうしません。 彼らは、すべきことを、 こうも多く、持っています - 家族、夫、子ども、 お金を稼ぐことなど、です。 それは、大変多くのエネルギーが、 掛かります - それらは、です。 で、あなたは、 こう言います - 「すみません。 私は エネルギーを持っていません。 私がそのエネルギーを持つよう、 助けてください」と。 助けを求める代わりに、 薬物を摂る。 私は、薬物を提唱していません。 それらは、恐怖です。
1:17:25 で、熱情は、欲情より 全然違った何かです。 欲情は、 感受、性欲です。 私たちは、それに反対していません。 私たちは、指摘しています。 ですが、熱情は、 全然違った何かです。 その熱情は、ものすごいエネルギー と能力すべてをもって、来ます - 悲しみが 終わるとき、です。 あなたの心や精神、頭脳に、 悲しみが、ないとき - それは、 利己の一部です - それが終わることが、 あるとき、 大いなる、無量の、 無尽の熱情が、あるのです。 それはけっして、 燃え尽きえません。 その熱情は - すなわち、注意ですが - 恐れの原因を、燃やし尽くします。 すなわち、時と思考を、です。
1:18:58 私たちは、他の多くのことに ついて、話をすべきです。 今、7時まで15分です。 私たちは つづけるべきですか。 あなたたちは、何について 話したいのでしょうか。 あなたの深い興味は、 何ですか。 あなたは、自分自身に 何を要求しますか - お金を稼ぐことは、別として、 それらの事柄は、別として、 各々の人間が ほしいのは、何ですか。 あなたは、何かが ほしい。 さもないと、あなたはここにいて、 Kに聞いていないでしょう。 誰かは、あくびを しています。 疲れています。 ベッドへ行きなさい。 誰があくびをして いるのでも、お休みなさい。 しかし、私たちは、何かきわめて 深刻なことを、訊ねています。 あなたが、「私は何かが ほしい」と、言うとき、 ほしがることは、自己の中の 空っぽを、充足させることです。 私は、幸せになりたい。 私は、涅槃や解脱や 解放や啓明に、至りたい。 1:20:59 ほしがることは、何か欠けている ものがあることを、意味しています。 あなたは、何が 欠けていますか。 その空っぽ、そのさびしさは、けっして 満たされない、ということですか。 ですが、私たちは、それを満たそうと しています - 供養でもって、 書物でもって、知識でもって、 おしゃべりでもって、 政治について果てしなく 話すことでもって、 そうね、全部です。 私たちは、自分がいかに、とてつも なく浅いのかを、悟りますか。 私たちが浅いのを、悟って、 私は、深さを持ちたいと思います。 で、私たちはいつも、ほしがり、 ほしがり、ほしがっています。 愛されたいと思い、 励まされたいと思い、 長続きする仲間になるだろう 誰かを、見つけたいと思います。 1:22:22 このほしがりは、 果てしない。 あなたは、一つのほしがりを、 満たしたなら、 何か他のほしいものを、 ほしがります。 それがつづきます - 余生の間、です。 私は、知りたい、 自分は、知りたいと思います - 死の後、 何が起きるかを、です。 それは、いつの時も、 問われた疑問の一つです。 私たちは、明日と明後日、 それに入るでしょう - ここで、ではなく、 他の所で、と望みます。
1:23:05 あなたは、ほしがるのを、 いったい止められますか。 あなたは、自分自身のために、 根を見つけたいと思いますね - 或る国に、或る人物に、 或るイメージに、或る幻影に、 あなたは、自分の根を 確立したいと思います。 そして、あなたは、充足したい、 何者かになりたいと思います。 これは、私たちの生涯、 進んでいきます。 あなたは、自分自身に 訊ねたことが、ありますか - 私は何一つ、 ほしくない、と。 私は、衣食住がほしい。 それは、理解されますが、 その他では、私は、 何一つ、ほしくありません。 あなたは、それを 訊ねたことが、ありますか。 あなたはそうすべきだと、 私は思います。 私が大変尊敬をこめて、 ご提案していいなら、 あなたは、その質問を すべきです。 なぜなら、あなたは、自分の ほしがるのを、発見する中で、 なぜ自分がほしがるのかをもまた、 発見しなければならないからです。 そして、渇望すべてに、 ほしがることに 終わることがあるのか どうかを、です。 1:24:44 あなたは、それを 見出すとき - あなたは、自分自身のために、 何をも求めないことを、です - そのとき、あなたは、至った・ ・・ そのとき、 叙述不可能な状態が、 あるのです。 あなたが、叙述を待って いるのを、私は知っています。 その叙述は、無益です。 それは単に、言葉です。 ですが、その点に来る。 それは、 長い旅ではありません。 それは、最も短い旅です。 次の一歩です。 それは、心理的に何をも ほしがらないことです。 よろしいです。
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