MA8485T3 - 熱情なしの生の浅さ

第3回公開講話
インド、マドラス(チェンナイ)
1985年1月5日
テキストのみのバージョン
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0:21
これは、私が望んでいたのより、 はるかに良い
- 樹々の下に座り、
真剣なことについて、 話すことは、です。
私たちが話していることへ、
同等に興味をもつ 一団の人々と、です。
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0:50
私たちは、昨日止めたところ から、進んでいいですか。
ほぼ満月が、あります。
これらすべての物事に、注目 なさるのかどうかと、思われます
- 満月と、日の入り、
雲の豊かさと、
浜辺に寄せる波の美しさと、
世の中のすべての響き、 雑音に、です。
たぶん私たちは、 注目しません。
私たちは、自分の問題に、 あまりに占有されすぎています
- または、おしゃべりに、です。
または、世の中の物事に、 あまりに関心を持ちすぎています。
または、世の中の、他の物事に、 あまりに関心を持ちすぎています。
2:30
私は思うのですが、 私たちは、よろしければ、
昨日の晩に話していたことを、 継続すべきです。
私たちは、葛藤について 話していました
- 問題と、
恐れについて、です。
それがどんなに重要なのかを、 悟るのかどうかと、思われます
- どんなに本質的なのか、
どんなに葛藤が、頭脳を 損傷するかを、です。
私たちの頭脳は、 損傷しています
- 葛藤により、
生きることの事実を 理解しないことにより、
あらゆる種類の迷信、 イデオロギーと、
二元性の葛藤によって、です。
で、私たちは、その主題に 入ってもいいですか。
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4:06
頭脳を持つことは・・・
なぜなら、私たちは、 頭脳により生きるからです。
頭脳は、私たちの応答と反応 すべての中心です。
語り手は、頭脳に関して、 専門家ではありませんが、
自分の頭脳と その活動を、観察できます。
頭脳は、行為、反応 (作用、反作用)の中心、
思考、感情の動きすべて、
神経の応答の中心です。
それは、私たちの 意識の中心です
- 私たちの恐れ、 私たちの心配、私たちの悲しみ、
実際にあるものより違った何かへの、 私たちのあこがれの、です。
5:22
この常なる占有
- 頭脳が静かであるときは、 一瞬もありません。
どの形でも、この葛藤は、 頭脳を、損傷するのです。
頭脳は、 私たちの意識の中心です。
そのとおりです。
それは、語り手が 差し出している理論ではありません。
それは、私たち行為すべて、
私たちの感情、
私たちの想像、
私たちの情緒すべての中心です
- それが、ロマンチック などであっても、です。
この頭脳は意識を、保有しているか、 中に持っています。
私たちの意識は、私たちが それから作ってきたものです。
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6:43
もう一度、ご注意を 申し上げてもいいですか
- 私たちはともに、いろいろと 話し合っているのです。
二人の友人として、 小道を歩いてゆきます
- 多くの木陰と、 木漏れ日があり、
ベンチに座り、これらに ついて、話しています。
彼らは友人です。
ゆえに、 彼らは、論争していたり、
お互いに何らかのことを 説得しようとしたりしていません。
友だちはけっして、 そうしません。
論争は、ありません。
受け入れや拒否も、
同意や不同意も、です。
で、私たちは、 語り手とあなたは、
ともに考えています。
ただ聞いている だけではありません。
聞くことは、 大いに重要です
- どう聞くのかが、です。
耳で聞こえることで、 だけではなく、
また、言葉の意味、意義、
深みを、聞く。
あなたは、そう深く聞くとき、
言われていることを、 自分の用語法に応じて
翻訳していません。
または、言われつつあることを、 あなたがすでに知っていることに、
翻訳したり、 比較したりしていません。
8:44
あなたは実際に、 聞いています。
それで、あなたは、
言われていることの意義、 深さを、捉えます。
それは、あなたは、 語り手だけではなく、
また、はるかに、あなた自身をも、 聞いている、という意味です。
あなた自身の反応を 見つめている
- あなたはどう聞くのか、
あなたは本当に 聞いているのか、
または、 聞いていることを、
自分の夢想、想像に応じて 翻訳しているのか、です。
または、自分の特定の経験と 知識に応じて、です。
そのすべてが、実際に 聞くことを、阻止します。
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9:40
あなたは、偉大な音楽を 聞いているなら、
そして、あなたがそれを、他の 偉大な音楽家と比較しているなら、
あなたは実際に、その特定の 音楽を、聞いていません。
で、同様に、
実際に、自分の心でもって、 聞いているなら、
- それは、情緒性を、 意味しません。
それは、或る種の情動的な混沌を、 意味しません。
実際に聞く。
そして、二人の友だちが、互いに 聞き合っているように、
その聞く性質の中で、
彼らは、互いに 訊ねています -
頭脳は、 私たちの生の中心ですが、
それが、負傷しないこと、
どんな傷跡をも持たないことは、 可能ですか。
11:04
それは、私たちが葛藤の本性を 探究することを、要求します
- なぜ人間たちは、 時の始まりから、
多かれ少なかれ、百万年、
葛藤とともに 生きてきたのか、です。
私たちはみんな、 葛藤の中に生き、
あなたたちはみんな、葛藤の中に 生きるように、です。
それについて、疑いは ありません。
それは事実です。
私たちは 訊ねています -
なぜ人間たちは、葛藤を 堪えるのですか。
外面的な葛藤、抗争だけではない - 戦争のように、
他の一人との競争のように、
模倣、順応、 すべての圧力のように、です。
政治的な圧力、新聞の圧力、
家族の圧力など、
これらの圧力もまた、 頭脳を損傷します。
12:28
それは、事実です。
圧力のもとにあるものは、 何でも、
必然的に、
圧力より逃避するのか、
そして、その逃避が、 葛藤の手段になる。
あるいはまた、私たちは、いつの時も プログラムされつつあります。
新聞、雑誌などの宣伝、です。
これらすべての活動は、 明白に、葛藤をもたらします。
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13:15
さて、頭脳は、すべての葛藤より、 自由でありえますか。
これは、きわめて 深刻な疑問です。
葛藤は、敵対を 生み育てます。
葛藤は、自己中心性を 生み育てます。
それが、 利己性の本性です。
私たち、人間は、 怖ろしく利己的です。
自己利益、
それは、葛藤を 生み育てます。
私たちの一人一人が、 自分自身に、自分の充足、
自分の野心などに、 関心を持っているとき、
それは、 様々な形の矛盾、葛藤を、
生み育て、 ゆっくりと築き上げます
- 究極的に、戦争です。
これらすべては、 明白な事実です。
私たちは、訊ねています - 頭脳が、完全に健康で、
理性的で、健全で、 論理的であることは、
可能であるのか どうか、です。
なぜなら、それがものすごく、 そして、十分に機能できるのは、
そのときだけで あるからです。
15:07
現代の世界において、 葛藤なく、
生を生きることは、 可能ですか。
あなたは、それは不可能だと 言うかもしれません -
あなたが、競争好きでないなら、 あなたが、攻撃的でないなら、
あなたが、一番になろうと していないなら、です。
ヨーロッパで言われるところの、 ヌメロ・
ウーノですが。
それは、一番 という意味です。
あなたは、そうしているなら、必然的に 葛藤の中に生きるにちがいありません。
あなたは、自分自身に、 「私はそれをできない」と言います
- 「私は、自分のビジネスで、 競争しなくてはいけない。
「私は、自分の試験で、 競争しなくてはいけない」などと。
私たちは、競争するよう、養われ、訓練 されます - それが、攻撃性になります。
あなたは、ビジネスで、 攻撃的でなければなりません。
さもないと、あなたは、ビジネスが できない、などなどなどです。
16:38
私たちは、このすべてを、 言語的に理解しますか。
なぜなら、私たちは、どちらも 英語を話しているからです。
私たちはこれを、言語的に 理解しますか -
それはそのとき、 観念、概念、理論になります。
またはあなたは、 それの事実が、見えますか。
質問を理解されますか。
事実と、事実の観念との間には、 巨大な違いが、あります -
事実についての観念と、 事実自体の間に、です。
ですね?
観念は、 レコード、観念です。
すみません - マイクロフォンです。
が、観念は、 実際の道具ではありません。
語り手の前の、です。
ですね?
で、事実と、 事実の観念が、あります。
ヴザヴェ・コンプリ? これを理解されますか。
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17:58
さて、私たちが捕らわれて いるのは、どちらですか。
観念、概念、結論や、
叙述か、 事実自体ですか。
すなわち、私たちは葛藤の中に 生きる、ということです。
この葛藤は、基本的に、 根源的に、
利己により、 もたらされています。
そのとき、あなたは、見做すでしょう。
そのとき、こう言うでしょう -
利己がないのなら、この現代世界に、 どうやって生きられるのか、と。
それは、ごく ありふれた疑問です。
それはかなり、 ばかげた疑問です。
すみません - 私がその言葉を 使っていいなら、です。
あなたは、利己なく 生を生きることを、試したか、
そうしたことが ありますか。
19:08
あなたはそうしたなら、生において、 全く違った活動を、持つでしょう。
私たちは、そうしたことがないから、 それは不可能だと、言います。
あなたは、山に 登らなくてはいけなくて、
あの山に登らなくては いけないなら、
あなたは、それは不可能だと 言うことから、始めません。
あなたは、それへ 上がって行きます -
あなたの能力でもって、あなたの エネルギーとやる気でもって、です。
あなたは、この世界に 葛藤なく生きることは、
可能なのかどうかを、 見出したいのなら、あなたは、
そうしなくてはいけません。
見出さなくてはいけません。
すなわち、あなたは、 利己なく、生きられますか。
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20:15
世界の政治家すべては、 自分自身に、関心を持っています
- そして、自分の権力と 自分の地位に、です。
それは、政治的な利己です。
世界は、それです。
私たちは、そのように生きられますか。
あなたは、利己なく生きられますか。
で、その利己は、持続的に 葛藤を、生み育てます。
それで、私たちの頭脳は、 損傷します。
負傷します。
私たちが、年を取るにつれて、 頭脳は、ますます鈍くなり、
ますます迷信深く、 反復的になり、
どの伝統とどの体系にも、 進んで服従しようとします
- 哲学と宗教などの それに、です。
で、それは、 とても深刻な疑問です。
21:33
なぜなら、けっして 損傷されていない頭脳を
持つ可能性が、 あるからです。
そのとき、その頭脳は、 無量の能力を、持ちます
- テクノロジーの世界に、 ではありません。
そこでもまた、 持つかもしれませんが、
はるかに、 心理の世界において、
無自己の世界に おいて、です。
そうね、
テクノロジーの旅は、 いつも制限されています。
なぜなら、付け加えられるべきことが、 もっともっと多く、あるからです。
ゆえにそれは、いつも 制限されています。
ところが、自らが
心理的に、内的に 行う旅は、
際限がありません。
それは、終わりが ありません。
それは本当に、 全然違った世界です。
これは、 理論ではありません。
23:03
あなたの書物に戻って、「ええ、 これは、彼らが言ってきたことです。
あなたはそれを現代の言葉に、表している だけです」と、言わないでください。
ですが、私の友だちと私は、小道の あのベンチに座っているなら、
そして、その友だちが、
「私は本当に見出したい。
これは、なかなか興味深い 観念です」と言うなら、
初めに、観念。
彼は、他に 何も知りませんが、
彼は、それを聞きます。
それの意義、それの美しさ、
それの深さを、見ます。
そして彼は、「私は、あなたが 言う意味を、捉えます」と言います
- 「私は、自分がいったいそれを できるのかどうかを、知りません。
なぜなら、それは、大変多くの 気づきを、要求するからです
- 大変多くの注意、
大変多くの見守り、見守り、 見守りを、です。
24:09
が、私は、それが可能なのか どうかを、見ようとしています」と。
あなたは、あのベンチに、語り手とともに 座っている、あの友だちなので、
あなたは、自分自身に 言っています
- あなたがそもそも、 真剣であり、浮ついていなくて、
ただ好奇心から、これらばかげた会合に 出席したいだけではないなら、です -
あなたもまた、 言っています -
「私は、それの意義を見よう。
私はそれを追求しよう」と。
で、それの意義と実在性と、
その美しさが、見えるなら、
そのとき、自己を越えた 無量性が、あるのです。
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25:11
美しさについて、話すと - 少しそれに入っていいですか。
あなたは、美しさに 興味があります。
ありますか。
あなたがいう、美しさとは、 どういう意味ですか。
樹の美しさ、
絵画の美しさ、
麗しい彫像、
偉大な詩歌、
日の入りの美しさ、
或る人物の美しさ、 麗しい顔
- その顔の裏に、深さをもって、 です。
映画スターだけではありません。
なぜ彼らがスター(星)と 呼ばれるのかを、私は知りません。
本当の星は、無量です。
それらは、 とてつもない広大さの感覚、
自らの光を、持っています
- 減少せずに、永続的です。
で、美しさは、何ですか。
美しさは、映像に、絵画に、 美術館に、ありますか。
または、あなたが、豊かであって、 億万長者であるほど、
古い巨匠の絵画の一つや、
ヴァン・ゴッホの絵画の一つを 買うほどなら
27:03
- 私は、それらに 入らないでしょう。
美しさは、絵画に ありますか。
美しさは、あの樹に、 あの月に、ありますか -
明るさをもち、 まわりに唯一つの雲もなく、
ちょうど昇ってくる月に、 ですか。
あなたにとって、 美しさは、何ですか。
または、あなたは、それについて 考えたことさえ、ないですか。
または、私たちは、 こうも鈍感になったので、
けっして見ない、 ということですか。
私たちは利潤のために、進んで、 あらゆる樹を、切り倒そう、
土地を砂漠化させてしまおうと しています。
それは、起きつつあります。
通りの、 むさ苦しさすべて。
美しさとは、何ですか。
なぜなら、私たちは、美しさの性質を、 理解しないか、持っていないなら
- なぜなら、美しさは 真理であるからです。
美しさなしに、 真理は、ありません。
あなたの心に、 美しさが、ないのなら、
あなたはけっして、 真理を持たないでしょう。
あなたは、あのすばらしい言葉と、 その言葉の深さに、
けっして 出くわさないでしょう。
28:51
ドレスの美しさや、
すばらしいサリーやガウンの 色ではありません。
美しさは、何ですか。
あなたが真剣に、 それを訊ねるなら
- 詩人が言うことではなく、
美しさについて 書かれてきた書物ではありません。
または、偉大な詩歌の一つを 読んで、昂揚を感じ、
情動的に感じて、 それへ応答し、
「あれは、何と美しいものなのか」 と言うのでもありません。
それが、美しさですか。
美しさという言葉は、 単に言葉だけですか。
私たちは少し、それに 入ってもいいですか。
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30:01
どうですかね。
なぜこの国には、 その「美しさ」という言葉が、
失われているのかと、 思われます。
それは、 美しい人物を見ることと
単に性的に興奮することの、 感覚的な応答ですか。
または、彼が世の中で重要であり、 たくさんのお金を稼ぐからですか
- 映画の人物ですか?
私は彼らを、スターと 呼びたくありません。
なぜなら、政治的に、彼らは 重要になったからです。
他の或る国は、
俳優を大統領に してしまいました。
で、あなたたちもまた、 これを助長しています。
うつろな俳優 - 顔と身体だけであり、
その裏には、ほとんど 何もありません。
31:22
で、美しさを探究するには
- あなたが本当に、 それに入りたいなら、です。
なぜ人間たちが、何かで 没入するかを、理解するか、
掴むのでなければなりません - 知的に、ではなくて、です。
あなたの供養で没入し、
あなたのお祈りに 没入するか、です。
どうぞ、注意を払ってください。
これは、美しさに関係しています。
どうぞ、投げ出さないで、 聞いてください。
人間たちは、何らかの物事に、 没入したいのです
- 国家、民族に、
政治に、
または、自分のビジネスに、 没入する。
没入するとは、どういう意味かを、 ご存じですね
- あなたのエネルギー すべてを、注ぐ。
何か外面的なものにより、 没入する。
または、あなたは、何か内的なものを、 持っています - 観念として、
理想として、です。あなたは、 それにより、没入しています。
32:53
あなたは、訊ねたことがありますか - なぜ人間たちは、没入したいのか、です。
あなたは、子どもに注目した ことが、ありますか。
一日中ずっと、 いたずらだったが・
・・
- 幸いにも、彼らは そうであるべきです -
その子に、玩具を 与えてください。
その子は、それに 完全に没入します。
ですね? あなたたちは、子どもを 持っていますね? いいえ?
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33:30
あなたは、ずっといたずら だった子を、見守って、
その子に、複雑な玩具を 与えたことが、ありますか。
彼のいたずらすべてが、 止まります。
玩具が、その子を 没入させます。
ですね?
で、その子が、 それを壊してしまうまで、
その子は、完全にそれで 没入しています。
静かです。
集中し、それを愛しています。
ですね?
よろしいですか。
あなたは 子どもを、持っておられるでしょう。
何?
後生です。
これに注目したことが、 ないですか。
また、大人たちも、同様に 玩具で没入しています -
冥想の玩具、
神の玩具。
神は、大変とてつもなく 錯綜します。
いろいろな神々です。
あなたは、供養を行います。あなたは それで、没入しています。ですね?
34:48
あなたがそのように没入して いるとき、何が起きますか。
理解されますか。
子どもが、 玩具で没入するとき、
その子に、何が起きますか。
彼は静かになりますね。
彼は、その玩具に、 完全に関与します。
彼は、物語に 没入します。
私たち、人間もまた、 それに似ています。
あなたが没入するとき、 何が起きますか。
あなたのいたずらすべてが、 止まります。
ですね?
あなたが、自分の供養を行う、 鐘を鳴らす、教会へ行く、
その他すべてをしているとき、 何が起きますか。
その瞬間か、十分か、 二十分の間、一時間か、
どれほど時間が 掛かるとしても、
供養や儀式が、あなたを、没入 させたのです。あなたは、静かです。
36:10
さて、あなたが山を 見つめるとき、
- あなたが、山を見つめた ことが、あるなら、ですが -
その広大さ、 無量の荘厳さをともない、
不動であり、 こうも甚大であり、
青空に対して、 雪を被っている。
一、二秒の間、
あの力強い光景が、自己を 追い払ってしまいます。
あなたは、これに 注目したことが、ないですか。
そのとき、何が 起きますか。
大きな山の、 壮大さ、無量性と、
とてつもない美しさが、
追い払うか、 瞬間的な衝撃を、与えます。
その瞬間に、自己は ありません。
ですね?
これは正しいですか。
これに注目されたことは、 ないですか。
あなたは、あの月に、こうも うっとりしています。
37:34
それで、あなたは、 一秒間、静寂になります。
すなわち、山の玩具が あなたを、没入させたのです。
で、あなたは、自己より 自由でありえますか -
何にも没入しないで、です。
質問を理解されますか。
なぜなら、自己がないとき、 美しさが、あるからです。
これらを理解されますか。
これがいかに重要なのかを、 ご存じですか。
私たちは、自らの生に 何の美しさも持たないから、
私たちは、ますます卑俗に、 騒がしくなりつつあります。
私たちは、この問いについて、 考えたことさえ、ありません。
私たちはみんな、あまりに宗教的すぎて、 美しさについて考えません。
それは、女や男に 関係しています。
それは、あなたの感覚を 没入させるかもしれない。
ゆえに、気をつけろ、と。
39:15
あなたは、美しさの本性を 理解するなら、
この世界に、こうも完全に、
全包括的に、生きられます。
なぜなら、美しさは、 醜いものではないからです。
美しさは、醜いものへ 何の関係をも、持ちません。
あなたは、マドラス(の街)を 歩き回ったことがありますか
- 昨夜、私たちが そうしたように、です。
あなたは、あれらの建物を、見たことが ありますか - いかにそれらが醜いか。
私たちは、これらと ともに、生きます。
私たちは、醜さと ともに、生きます。
そして、私たちは、 醜さに慣れます。
私たちは、通りのむさ苦しさに、 慣れてしまったのです。
私たちは、 気にさえしません。
それは、いつの時も、 起きつつあります。
で、私たちは、敏感さの性質を、 失ってしまいます。
敏感さは、本質的です。
さもないと、あなたは、感じられません。 あなたは、見つめられません。
40:58
あなたが、あの月に 敏感でないなら
- それをしばらく見つめる。
思考なく、ただそれを見つめる。
河面のあの光の美しさや、
水面のそれを、見る。
それは、敏感さを 要求します。
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41:26
それにより、問いが 持ち上がります
- あなたは、これらに 退屈しつつありますか -
なぜそうでないの?
あなたは、自分の生に 美しさを、持っていますか。
あなたは、 沈黙しています。
敏感さについて話すことで、 別の問いが、持ち上がります。
あなたは、このように進みたいですか。
私は、このように進みましょうか。
または、あなたは、他の何かに ついて、話したいのでしょうか。
あなたは、楽しみについて 話したいのでしょうか。
あなたが楽しみを探し求めて いるのは、確かだと思われます。
すべての人間は、楽しみを 探し求めています。
性的な楽しみだけ ではありません
- その反復的で想像力豊かな 映像などなどとともに、です。
また、権力の楽しみも、です。
その権力が、あなたの妻や 夫に対して、であっても、
角を曲がったところの、 あなたが投票してきた
政治家の権力でも、です。
43:00
あの人を持つことは、 楽しみです
- 彼が、有能でも無能でも、 それは大事なことではない -
彼をその所に就けることが、 あなたの楽しみです。
そして、何かを所有することが、 あなたの楽しみです
- お金、良い住宅を 所有する。
良い住宅 - 理解されますか - 美しい邸宅です。
あなたが豊かであるなら、 均衡が取れていて、
良い庭が付いていて、 うるわしい花々がある。
それは、 大きな楽しみです。
そして、達成の楽しみと、
失敗の恐れ。
楽しみは、
褒賞と処罰の原理に、 基づいています。
そのとおりですか。
私たちは、それについて 話しましょうか。
なぜなら、それが、私たちみんなが ほしいものであるからです。
究極的な楽しみは、 神です。
44:27
ゆえに、神は、処罰と褒賞の どちらでもある。
この神は、私たちの思考により、 創案されています。
私たちが昨日、言いましたように、 恐れがあるところ、神があります。
多くの神々か、 一つの神が、あります。
心理的、内的に、 まったく恐れが、ないのなら、
外側の機関は、ありません。
しかし、扉は、永遠へ 開いています。
私たちは、それらについて 話しましょうか。
何かの理論について、
または、私たちは、 何かについて、話しましょうか
- 悲しみについて、
または、はるかに近い何かに ついて、話しましょうか
- 私たちは、私たちの一人一人が、 悲しみを持っているか、
悲しみを持ってきた けれども、です。
私たちは今すぐ、 それへ行くでしょう
- 時間があるなら、です。
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45:54
私たちは、二人の友人として、 ともに話し合うべきです。
これは、 講義ではありません。
これは、何かあなたに情報を 与えたり、
あなたに教示したりする ものではありません。
これは、あなたと語り手との 間の対話です。
語り手は、質問を 取り上げたいと思います
- 私たちは、一つか二つの感覚で もって、機能しているだけなのか、
または、私たちは、自らの感覚すべてで もって、機能しているのか、です。
質問を理解されますか。
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46:46
たぶん、宗教的な人々なので - 私はそれを疑いますが -
少なくとも、私たちは、自分が 宗教的であると考えます -
寺院へ行くことと、 それらの事柄と、
見かけ倒しの葛藤の残忍な生を 送ることによって、です。
諸宗教は、「あなたの感覚を抑圧 しなさい」と、言ってきました -
「それらは、散漫であるから。
女や男を見つめるな。
美しい日の入りを、 見つめるな。
または、道路脇で 歌っている小川 -
それらを聞くな」と。
それで私たちは、自らの感覚を、 次第に殺しています。
あなたは、来る日も来る日も、来る日も 来る日も、雑音が聞こえるとき
- 他の住宅からの、 何かの雑音です -
あなたは、それに 慣れます。
あなたは、その雑音に、 鈍くなります。
48:07
で、次第に私たちは、自分の感覚を 破壊しつつあります。ですね?
私たちは訊ねています。
あなたが 自分の感覚を破壊するとき -
或る感覚の触れ合い、 感じ、性質。
頭脳もまた、鈍くなります。
それは、可能ですか
- 私は、この質問を、自分の 友に、しているだけです。
木陰のベンチに 座って、です -
あなたの感覚すべては、目覚めて、 全体として一緒に機能できますか。
あなたは、それを試した ことが、ありますか。
そのときあなたは、見つける でしょう。
あなたの感覚すべてが、
活動的であるとき - 性的な感覚だけでは なく、あなたの感覚すべてが、です。
見ること、聞くこと、 触れること、
情動、
思考、 あなたの感覚のすべて
- なぜなら、思考は、 物質的な過程であるからです。
49:43
あなたの感覚すべてが、 最高に優秀であるとき、
自己はありません。
それは、 一つか二つの感覚の
部分的な、鈍い作動が あるときだけです
- そのとき、自己が、 築き上がるのです。
私たちは、友だちに 言います -
それを聞いてください。
それの真理を、見出してください。
あなたが聞かないのなら、 気にしないでください、と。
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50:27
私たちは、楽しみと、
楽しみの含意すべてについて、 話しました -
本質的に、褒賞と処罰に 基づいています。
処罰を回避するために - 理解されますか -
物理的な処罰ではなく、
失う感覚、
持たない感覚、です。
持つことは、褒賞ですし、 失うことは、痛みです。
で、私たちは、この原理に乗って、 日常生活を生きます
- 褒賞と処罰、です。
あなたは、服従するよう、 犬に褒美を与えます。
次第に、服従するよう、 犬を訓練します。
彼は、とてもよく服従します。
後に付いてきます。
あなたが、犬を飼っているなら、ね。 あなたは、犬を飼っていますか。
51:35
いいえ。
で、私たちの生は、褒賞と 処罰に、基づいています。
そこには、恐れ、痛みと 楽しみが、関与しています。
私たちは、そのように 生きます。
私は良くなるだろう - それは、褒賞です。
良くないことは、痛み、
処罰です。
で、その原理、褒賞と処罰を、 理解するなら、
そして、自らは、その原理より 自由でありうるのかどうか、です。
そのとき、生は 全然、違っています。
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52:45
他の何かについて、 話しましょうか。
私たちは、美しさについて、 話してきました。
それは、無量のことです
- 書物に、詩歌において、 ではありません。
あなたは、 没入なしであり、
醜さの感覚なしである美しさを、 持っています。
私たちはともに、苦しみのとても複雑な 問題について、話し合うべきです。
それは、 だいじょうぶですか。
私たちは、それに 入られますか。
なぜ人間たちは、記録なき時より、 苦しんできましたか。
彼らは一度も、その問題を 解決したことが、ありません。
彼らは一度も、苦しみを、 終わらせたことが、ありません。
54:06
何千年に何千年もの後、
現代世界の私たち、人間は、 苦しみます。
子どもを持たなくて、 苦しみます。
充足することができなくて、 苦しみます。
自分が愛されていないとき、 苦しみます。
私たちのさびしさの中で、 苦しみます。
あなたは、いったい さびしいですか。
あなたは、いったい さびしいですか。
本当にそうですか。
私たちがさびしいとき、 苦しみます。
私たちが豊かにならない、認知されない、 人気が出ないとき、苦しみます。
それらはすべて、 とても表面的な苦しみです
- 偉大な人になりたいが、
偉大な人である器量が ありません。
何かをうまくやりとげたいが、 うまくできません。
55:34
様々な形の悲しみが、あります - 恐れのように、です。
誰かの死の悲しみ
- あなたが親密に 生きてきた人の、です。
死の悲しみを、
私たちはみんな、知っています。
この地上のあらゆる人間は、
不幸にも、死の悲しみを、 知っています。
輪廻転生の慰め すべてにもかかわらず、
宗教的活動すべてと それらの迷信にもかかわらず、
悲しみは、けっして 終わりません。
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56:44
悲しみは、 あなたの悲しみ
あなたの個人的な 悲しみだけではありません。
世界の悲しみも、あります。
戦争で殺された人々の悲しみ
- 不具、盲目になり、
腕がなく、脚がなく、 身体、胴体だけ。
そして、彼らの親戚。
どれほど 多くの母親が、泣いてきたのか。
姉妹、妻、恋人などが、です。
あなたは、これらを 知りませんか。
または、あなたは、自分の悲しみに 関心を持っているだけですか。
私たちは、正直であるなら、 こう言います -
「すみません。
私は自分の悲しみに、 関心があるだけです」と。
私は、他の人たちの悲しみを、 認識します。
ベイルート、ニカラグア、サンサルバドル、 ヴェトナムで、死んでいく人々。
彼らは、はるか遠くに離れています。 それは、私たちに触れません。
58:16
で、個人的な悲しみ、
そして、世界の悲しみが、 あります。
それは、やはり 悲しみです。
あなたの悲しみは、 他の一人の悲しみに、似ています。
自分が息子、妻、夫を失うとき、 それは、自分の悲しみです。
私たちは、それについて、 何と大騒ぎをすることか。
泣き、わめき、 慰めをほしがります。
そして、数千、数百万の人間たちの 悲しみすべてが、あります
- 彼らもまた、あなたの ように、苦しんでいます。
この悲しみは、恐れのように、楽しみの ように、人類に共通しています。
それは、 人類の悲しみです。
その悲しみは、一度も 終わったことが、ありません。
たぶんそれは、けっして 終わらないでしょう。
なぜなら、私たちは、世界を、 こうも怪奇にしてきたからです。
私たちが築いてきた この社会
- 社会は、それ自体では 存在していません。
私たちが、自分の恐れをとおし、 自分の貪欲をとおし、
自分の利己性と怪奇な活動を とおして、それを築いてきたのです。
1:00:26
この社会は、言葉に表せないほど 腐敗しています。
私たちがそれを作ってきました。
なぜなら、 私たちが、腐敗しているからです。
この腐敗は、 まず第一に、利己です。
それで、社会は、私たちを 助けようとしていません。
宗教は、人類を 助けてきませんでした。
それらは、戦争を、 防止してきませんでした。
あなたたちは果てしなく、非暴力、 世界の平和について、話すけれども -
「私は、自分の精神に、平和を持たなければ ならない」と。そうね、それらの戯言です。
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1:01:09
世界には、 悲しみがあります。
そして、悲しみは、 終わりえますか。
おそらくあなたは、その質問を したことさえ、ないでしょう。
私たちは、苦しみます。
苦しみを堪えます。
何かの宗教か、何かの教義や、 何かの信念に、慰めを得ます。
それは、 ふしぎな事実ですね。
自分の妻を失うなら、
または、息子や親戚を 失うなら、
私たちは、その痛みを、 生涯ずっと、運んでいきます。
あなたは、そうしませんか。
私は、机の上に、息子の写真を、 置いています。
私は自分一人で、 静かに泣きます。
または、私は人前で泣きます - すなわち、友だちといて、です。
1:02:26
私たちは、けっして言いません - 「で、それは終わりだ。
私はけっして、痛みの記憶を 運んでいかないだろう」と。
それは、 残忍ではありません。
失った痛みを、 片付ける -
二、三日で、です。
何年も かけて、ではありません。
それは、冷淡さがある、という 意味ではありません。
反対です。
亡くなった自分の息子や 夫についての、
この果てしない話
- あなたは、それを つづけています。
すると、それは、 一つの形の娯楽、噂話です。
私がそれを残忍に 表したのなら、すみません。
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で、私たちは、訊ねています - 悲しみは終わりうるのかどうか、です。
世界のこの悲しみではありません。
なぜなら、戦争があろうとしているから、
なぜなら、人間たちは、 暴力的であるからです。
彼らは泣きます。
彼ら自身の息子が、 戦争で殺されました。
が、あなたの息子は、 まったく安全です。
で、私たちが 築いてきた社会。
私たちの一人一人が、この社会に、 寄与してきたのです
- 政治的な世界に、 民族性、国籍の世界に、
それらの分割をともなって、です。
それらは、進んでいくでしょう。
なぜなら、大多数の人間たちは、 それらを、ほしいからです
- 何かのために、投票する。
私はそれに、触れないでしょう。
で、あなたは、言うでしょう - 私は自分の悲しみを終わらせるなら、
- それが可能である として、です -
それは、残りの世界に対して、 どんな効果を、持ちますか、と。
1:05:02
それは、こう訊ねるのに 似ています -
もし私が、生の些細なすべて、 私の生の痛みと心配と、
さびしさと悲しみすべてより、 自由になるなら
- 私はあなたのために、 泣きたいです -
なぜなら、このすべては、あなたに とって、無意味であるからです。
あなたは、自分自身に 訊ねるでしょう -
私が悲しみより自由になるなら、それは どう世界に、影響するのでしょうか。
私が変化したからといって、 世界は、変化するのでしょうか。
それは、 間違った問いです。
なぜなら、 そういう質問をするとき、
あなたは、変化しないことへの 言い訳を、見つけつつあるからです。
それは、あなた自身の変化からの、 たやすい抜け道に、なります。
あなたは、こう言います - 「私が 変化するか、しないかは、大事でない。
私たちはみんな、そのようであるし、私は この世界に生きなければならないから。
で、私はお話を聞こう。
良さそうに聞こえるが、
私は、自分なりに 続けてゆこう」と。
1:06:47
で、「私が変化するなら、世界は 変化するのだろうか」と質問をすること
- それは、全的に 間違った問いです。
そのとき、あなたは 褒賞と処罰を、探しています。
あなたが根本的に変化するなら、 それが世界に対して、
効果を持つのか、持たないのかを、 見出すでしょう。
ヒットラーは、自らの狂気でもって 世界を変化させてきました。
ナポレオンと、 戦争の偉大な英雄、
殺害の英雄すべては、 世界を変化させてきました。
ブッダなどもまた、 そうでした。
彼らは、個人でした。
彼らは、個別でした。
彼らは、「これが、私がしたいことだ」と 言って、そうしました - 残忍にか・・・
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で、あなたが本当に、 悲しみを終わらせるなら
- 言語的に、ではなく、 実際に、悲しみより自由です -
そのとき熱情が、あります - 余生の間、 あなたを消耗しつくすものが、です。
で、悲しみを終わらせることが、 可能なのかどうかを、
理解することが、重要です
- あなたの悲しみ、 自分の悲しみを、です。
悲しみは、自己憐憫ですか。
どうぞ、語り手が言っていることを、 検討してください。
語り手は、ベンチに座って、 友だちに語っています。
彼は、悲しみについて 話しています。
語り手は、彼に訊ねます。
Kは、彼に訊ねます -
あなたは、その質問を したことが、ありますか。
あなたは、悲しみを終わらせられるのか どうか - あなたの悲しみを、です。
彼は言います - 「私は、そういう問いに ついて、考えたことさえ、ありません。
なぜなら、生涯ずっと、私は 悲しみとともに、生きてきたからです。
1:09:32
あなたが、自分は悲しみを 終わらされるのかどうか、と、
その質問をするとき、 私は本当に、知りません。
私は、それをどうすべきかを、 知りません。
私は、十もの様々な道を、 試してきましたが、
私は、やはり 苦しみつづけます」と。
そしてKは、彼に訊ねています。
あなたは その質問をしたことが、ありますか
- 悲しみはいったい 終わりうるのかどうかと、です。
彼は、「いいえ」と言いました - 「私は 一度もそれを訊ねたことがない」と。
彼は言います - 「今、それを訊ねてください」と。
あなたがいかにそれを 訊ねるのかが、重要です
- あなたはそれを、 何気なく訊ねているのか、
または、それを逃避として 訊ねているのか、
または、あなたは、悲しみの終わることで もって、慰めを探し求めていますか。
または、あなたは、褒賞と処罰より 自由に、質問をしていますか。
1:11:01
悲しみを終わらせる。
「私は、これを終わらせるなら、あれを得る だろう」と、あなた自身に言うのではない
- 「私は、悲しみを 終わらせるなら、
平和を得るだろう。
私は幸せを得るだろう。
私は喜びを得るだろう」と。
それは、単なる交換です。
それは、 悲しみが終わることではありません。
で、Kは、友だちに 訊ねます -
それは、利己、 自己憐憫ですか。
すなわち、あなたが苦しむとき、 それは、自己憐憫ですか。
彼は、「部分的に、ええ」 と言います。
それは、あなたに慰めを与えてくれた 誰かの喪失ですか
- あなたに性的に、 楽しみを与えたり、
違った形の楽しみを、与えたり した誰かを、失うことですか。
彼は、「部分的に、ええ」 と言います。
それは、あなた自身がさびしいと 気づく、ということですか
- なぜなら、あなたは、 その人物に、寄りかかってきた、
何年もの間、その人物と 一緒にいた、
彼女や彼に 慣れてしまったからですか。
または、それは、 家具なのかもしれません
- あなたが、大切にして、 磨き上げてきたもの、
古い一品、 13世紀の家具、です。
そのときあなたは、 それに執着します。
それが、取り去られてしまうとき、 あなたは、うろたえます。
1:13:11
あなたが持っているのは、 その種類の苦しみですか。
- あなたは、彼女や彼を、一つの 家具のように、扱ってきて、
彼に 慣れてしまいましたか。
理解されますか。
これら すべての質問を、してください。
眠りに 就かないでください。
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1:13:37
友だちは、「ええ。これらすべては、 これの部分です」と、言います
- 「第一に、 私はさびしいです」と。
あなたは、 さびしくないですか。
そして、さびしさとは、 何ですか。
私は、あなたたちに、執着しています - 聴衆としての、です。
語り手は、大小の聴衆に、 執着しているなら、
聴衆が消え去るとき、彼は、 さびしくなろうとしています。
彼は、名声や悪名を、 失おうとしています。
あなたは、自分が彼について持っている イメージを、失おうとしています。
ですね?
そのとおりです。
で、同様に、あなたが 何かに執着しているとき
- それは、 別の形の利己です。
或る人物に、観念に、 概念に、象徴に、
神話に、 執着しています -
そのとき、その執着が、 あなたより引き裂かれるとき、
あなたは、さびしく、 憂鬱になり、
心配し、神経質で、 崩れてしまいます。
1:15:39
で、Kは、友だちに語っています - あなたは、これらを知るとき、
それは、苦しみの一部であり、
それは、苦しみの本質です。
苦しみは、あなたより異なっていません - まるで、あなたが苦しんでいて、
苦しみは、何か異なった ものであるかのように、です。
あなたが、苦しんでいる実体です。
あなたが、苦しみです。
違いを理解されますか。
私が苦しんでいる、のではない。
「私」は、苦しみです。
理解されますか。
怒り、妬みが、
あなたより 異なっていないように、です。
あなたが、妬みです。
あなたが、 怒りです。あなたが、暴力的なのです。
あなたは、「私は非暴力になろうと している」と言うかもしれませんが、
それもまた、あなたです。
あなたは、 その性質より、
表現より、 異なっていません。
あなたは、それなのです。
1:16:56
で、苦しみは、あなたより 分離していません。
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1:17:07
で、Kは、友だちに 言います -
あなたが苦しむとき、一番目の ことは、それより逃避するな、
どの形でも、慰めを 探し求めるな、です。
友だちは、こう言います - 「それは、あまりに困難です。
何か慰め、何か慰安を 探し求めないこと、
何か、自分自身より、痛みと苦痛を 軽減する道を、探し求めないことは」と。
そのとき、あなたは、 事実より逃避しています。
私たちは、千の逃避を 養成してきました。
それは、 私たちの生の一部です。
で、Kは、友だちに言います。
すなわち、あなたに、です。
彼は、「逃避するな」 と言います -
「それが、初めに 悟るべきことです。
あなたが、何かへ 逃避するなら、
その何かをもまた、 あなたは、失うでしょう。
そのとき、あなたは再び、 始めるでしょう」と。理解されますか。
1:18:39
で、けっして 逃避しないでください。
事実を、それの真理を、 逃避の含意を、見てください。
そのとき、あなたが 逃避しないなら、
苦しみの原因を、 見出そうとしないでください。
なぜなら、それは、またもや、 分析の過程であるからです。
ですね?
それは、思考、時の作動です。
そのどれをも、しないでください。
Kは、友だちに言います。
すなわち、あなたに、です。
悲しみとともに 留まりなさい。
あなたが、楽しみとともに留まりたい ように、です。
そうでないですか。
で、悲しみとともに留まりなさい。
けっして悲しみより動いてはいけません。
すなわち、悲しみと呼ばれるものへ、 思考を、介入させてはいけません。
1:20:08
悲しみは、大きな衝撃です
- 物理的な組織体にとって、 だけではなく、
また、心理にとっても、 大きな衝撃です。
その衝撃とともに留まる
- けっしてそれを 超越しようとしないで、です。
そのすべては、 思考の活動でしょう。
理解されますか。
それは、手に、すばらしい 宝石を持つのに、似ています。
あなたが、それを 見つめれば見つめるほど、
その宝石の美しさが、 もっと開示されます。
同様に、あなたが、 悲しみを見つめ、保つなら
- けっして動いて、 それを離れない -
そのとき、それがいかに無量 であるかが、分かるでしょう。
ただ悲しみ、痛み、心配 だけではない。
その悲しみの観察の中、
熱情が、来るのです。
1:21:43
欲情とそれらの情熱ではない。 熱情です。
熱情が何であるかを、 ご存じですか。
いいえ、ご存じない。
なぜなら、熱情なしに、あなたは、 何をも創造できないからです。
あなたは、熱情なしには、 愛せません。
それを、性的な情熱、欲情に 翻訳しないでください。
熱情は、重要です。
熱情なしには、生は、 浅くなります。
ゆえに、浅いものは、 何の美しさをも、
何の愛、何の熱情をも 持ちません。
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引き留めてきたのなら、 すみません。
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