OJ72T2 - 秩序は、自らの法を持っている

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1972年4月9日
テキストのみのバージョン
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1:52
クリシュナムルティ: 私たちは、 昨日、話していたことから、
継続しましょうか。
私たちは、 単なる物理的な革命は、
ほとんど意義がないと、 言っていました。
そして、意味、深みを 持っているのは、
心理的な革命です。
自らの態度、価値、 振るまいにおける、
全的な変化です。
私たちは、 表面的に変化し、
表面的な要求へ、 適応するのか、
あるいは、私たちは、 意識の全体的な構造と本性へ、
はるかに深く入るのか -
そこに、革命が 起きなければなりません。
それが、私たちが昨日、 多かれ少なかれ、話していたことです。
私たちは今朝それに、はるかに 深く入るべきだと、思います -
深み - 「深み」という言葉は、 測量を持たない、ということに、
留意しておいて、です。
それは、本当に 測量不可能です。
それに入れば入るほど
- より深く、より広く、です -
それは、もっと 底知れないのです。
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3:46
ですが、私たちは、秩序でもって 始めなければなりません。
秩序は、私には思われますが、
精神的な命令ではありません。
また、規律を課された順応とか、
自分自身の内とか、外的な 常なる闘いの効果でもありません。
秩序は、自らの法を 持っています。
私たちは、そもそも 真剣であるなら
- そして、狂った世界では、 そうあるべきです -
私たちのまわりで、 砕けていく世界、
ほとんど狂気に なってしまった世界では、
正気が、本質的です。
正気が、秩序です。
この秩序は、自然に、
何の努力もなく、訪れます -
私たちが、無秩序とは何かを、 理解するなら、です。
私たちが昨日、 言いましたように、
私たちはともに、 事態を考慮しています。
あなたは単に、語り手に 聞いていて、
彼の言葉を受け入れたり、 拒絶したりしていません。
むしろ、私たちはともに、
究明の中、 旅を行っています -
無秩序の過程全体の 究明の中へ、です。
6:08
すなわち、私たちは、無秩序とは何かを、 互いに意思疎通しようとしています。
何が私たちの生に無秩序をもたらすのかを、 ともに理解しようとしています。
それを理解する中で、自然に、 秩序は来るでしょう。
そのとき、秩序は 青写真ではありません。
むりやり精神を、順応させる 設計ではありません。
むしろ、無秩序の 本性と構造が
何であるかを、 理解することです。
よろしいですか。
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7:02
麗しい朝ですね。
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7:13
私たちの生、
私たちが日々、送る生活は
- イデオロギー的な生ではなく、
自らが何であるべきかの 生ではなく、
毎日、実際に、 「有るもの」の生です。
その毎日の生活の中、私たちは、 無秩序な生を、送ります -
矛盾していて、
自己中心的であり、
無数の価値を 持っている生、です。
想像力豊かで、作為されていて、 憶えられています。
どうぞ、私たちは昨日、 言いましたように、
そして、私がもう一度、 反復してもいいなら、
ご提案してもよろしいなら、 語り手の言葉を、使ってください
- あなた自身を観察するよう、
あなた自身の日常生活を、見、
実際にそれが何であるかを、 見つめるように、です。
理論的に、ではなく、 抽象において、ではなく、
実際に、自らの生において 起きつつあるように、です。
あなたはそもそも、自分の生を 観察し、気づいているなら、
大変多くの 葛藤、闘争、矛盾、
比較での競争性が、 あることが、分かります -
心理的にも、外的にも、です。
これらが、無秩序に 寄与する要因です。
9:18
すなわち、人間たちは、 条件づけられています -
自らがそこに生きている 文化に沿って、
国、環境、
経済状況などに沿って、です。
この条件づけは、中国、 インド、ヨーロッパ、
アメリカより、 異なっているかもしれません。
この条件づけの中、 私たちは生きます。
その生に、この常なる闘争、
一定の価値への 常なる適応が、ある -
社会によってか、自分自身によって 投影されたのや、
私たちが継承してきたなどの 価値へ、です。
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10:33
無秩序の要因は、本質的に、 自分自身の中の矛盾です -
一つのことを言い、 別のことをする。
何か全然違ったことを、 考える。
この矛盾は、必然的に 無秩序を、創り出すにちがいない。
それは、単純な事実、 心理的な事実です -
二つの民族があり、
イデオロギーと、宗教的な見通しで、 対立しているときのように、
彼らは必然的に、互いに 反目し合っていて、
戦争の準備をするにちがいない。
それが、幾世紀をとおして、 進んできたように、です。
それは、またもや事実です。
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11:41
さて、私たちは、 表面的に変化し、
外的に、一定種類の秩序を、 もたらすのか
- 立法をとおし、
法律をとおし、政治をとおし、
経済的な調整などを とおして、です。
あるいは、私たちは、自分自身の中の無秩序の本性を、理解し、見るのか、です -
昨日、私たちがいう、見るとは、 どういう意味かを説明したように、です。
まさにその知覚の中、私たちの 生の秩序化が、あるのです
- 何の努力もなしに、です。
これは、少し説明が必要だと、 私は思います。
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12:38
そうね、私たちが、昨日 言っていましたように、
知覚は、最高に重要です。
あなたは、 イメージをとおして、知覚し、
ゆえに、まったく知覚しないのか、
あるいは、 直接的に知覚するのか、です。
直接的である知覚は、 即時の行為を、持ちます。
なぜなら、善は、時の平野に 花開かないからです。
それを理解されますか。
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13:20
私は、ちょうど今、 言いました -
善は、時の平野に、 花開かない。
時とは、 延期することだけではなく、
観念へ、
イデオロギーへ
「あるべきもの」への順応、
より良くなるとの 段階的な観念です。
そのすべてが、 時の平野に、あります。
その平野には、 もっと多くの葛藤が、あります。
善が、何もありません。
時がまったく存在しない 平野にのみ、
善は、花開けるのです。
私たちは、互いに 意思疎通してきましたか。
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14:18
質問者: はい。
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14:20
K: いいえ。 疎通してきましたか。
ちょっと、お待ちください。
あなたたちは、講話の 終わりに、質問をできます。
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14:33
なぜなら、家が 燃えているとき、
それを消すための時間は、 ないからです。
あなたは、火を付けたのは、
長い顎髭の紳士である、 どんな色だ、
などとは、言いません。
あなたは、 即座に行為します。
関与した時間は、 ありません。
私たちの家は、火が 付いています。
あなたたちは、 この美しい谷に、生きる、
または、たくさん物がある国に、 生きるかもしれません。
けれども、あなたの家は、 燃えています。
私たちは、即時に 行為しなければなりません。
あなたが、自分の生において、 無秩序の本性を、実際に見るとき、
行為は、起きるだけです。
その無秩序は、世界に、こんなに 荒廃を、引き起こしています。
なぜなら、あなたなるもの、それを、 あなたは、世界に投影するからです。
それの真理を見ることが、 即時に行為することです。
行為の即時性が、善です。 ですね?
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16:03
どうぞ、同意や不同意を しないでください。
善についてのこの言い回しを 憶えないで、
それの真理を、実際に 見てください。
それの実在性、それの美しさを、 見てください。
明日にではなく、そこに座って、 聞いていながら、です。
- あなたがそもそも、 聞いているなら、です -
自分の生が、 こんな乱れの中にあるのを、
実際に見てください -
混乱、矛盾、 大変多くの悲しみ、
痛みの中にあるのを、です。
物理的にだけではなく、
心理的な痛みと、挫折。
生きることと呼ばれる、 私たちの生全体を、です。
私たちが言いましたように、 私たちは、表面的な秩序をもたらし、
ゆえに、一定のイデオロギー、 象徴などに
適応するのか、
あるいは、あなたは、自分自身の、 ありのままの意識の
全体的な構造と本性に、 入るのか、です。
それが、今朝、私たちが、少し しようとしていることです。
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17:48
これは、集団療法では ありません。
これは、(カトリックの) 告解ではありません。
これは、分析的な 過程ではありません。
私にとって、分析は、延期です。
それは、何も実在性を持ちません。
私は、次の三十年間、自分が死ぬまで、 自分の生を分析しつづけられますし、
その終わりに、やはり私は、 分析しています。
分析は、時を、 含意しています。
分析は、分析する者と、 分析されるものを、含意しています。
ゆえに、そこには、分割がある。
ゆえに、葛藤がある。
で、私たちは 分析していません。
また、それは、 集団療法でもありません。
また私たちは、 宣伝をも、していません。
宣伝は、いつも 嘘を進めることです。ですね?
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19:01
あなたたちはみんな、これらを 受け入れますね - 全く容易に、です。
なぜそうですか。
あなたは、私たちが話して いることを、理解しないのか、
あるいは、あなたは、それを理解するし、 ゆえに、それは自然であるのか、です。
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19:20
私たちが、この麗しい朝、ともに しようとしていることは、
私たち自身を、ありのままに、 明らかに観察することです -
語り手の言葉を、 鏡として使って、です。
鏡は歪曲するのか、
あるいは、鏡はまさしく、 「有るもの」を示すのか。
歪曲があるのは、あなたが、「私は 好きだ」とか「好きでない」とか、
「これが私の意見や判断だ」、
「これが正しい。
これは間違っている」、
「これがあるべきだ」とか 「あるべきでない」とか、
言うときだけです。
そのとき、歪曲が起こります。
あなたが、どの特定の社会や
特定の集団にも所属していたり、
カトリックやプロテスタントの 教えに応じて、条件づけられているなら
- そうね、世界の 様々な宗派の、
その他すべての分派です -
こんなに条件づけられていて、 鏡を見るとき、
あなたは、歪曲しています -
「有るもの」の事実を、 歪曲しています。
20:48
ところが、あなたが、 意見なく、
判断なく、評価なく、見るなら、
または、自分の 条件づけに気づき、
それを脇に置き、観察しているなら、 そのとき、歪曲はありません。
そのとき、あなたと私は、まさしく 「有るもの」を、観察しています。
そうね、観察するには、大変多くの エネルギーが、必要です。
あなたは、あの樹を、 よくよく観察したいなら、
それへ、注意しなくては いけません。
あなたは、自分の精神と心を、
木の葉への光へ、幹の形へ、
枝々のあらゆる動きに、 注がなくてはいけません。
あなたはそれに、注意全体を 注がなくてはいけません。
21:53
ですが、あなたが、漠然と それを見つめていて、
あなたの思考が、 さまよっていくなら、
それは、エネルギーのむだです - さまよっていくことは。
ゆえに、あなたは、観察するための 充分なエネルギーを、持ちません。
それは、だいじょうぶですか。
私たちが言いましたように、 私たちは・
・・
あの鳥を観察し・・・
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22:50
私たちは、イメージをもたずにか、 イメージをもって、観察します。
イメージをとおした観察は、 エネルギーのむだです。
「有るもの」を変化させるには、 あなたは、エネルギーが必要です。
私たちはともに、「有るもの」を、 究明しようとしています。
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23:26
さて、私たちは、意識を、意識的なものと 隠れたものとに、分割してきました -
意識的な精神と、無意識的な精神、
潜在意識など、 様々な分割すべて、です。
私たちは、精神の意識的な 活動に、親しんでいます -
それが考えること、
それがしなくてはいけない 様々な仕事、
自動的な、習慣的な活動、
毎日の出来事、行為 - 行わなくてはいけないこと、です。
それから、隠れている動き すべてが、あります -
それが、無意識です。
精神のより深い層です。
さて、根本的な革命を
意識全体に、もたらすには
- それは、 全く違った種類の文明を
生み出すために、必要です。
その中で、人が、もう一人の 人とともに、葛藤なく、
平和に生きられる文明を、 生み出すには、
この内容全体を、 見つめなくてはいけません。
25:04
意識的な水準に、
表面的な秩序をもたらすのか、 あるいは、
単なる観察をとおして、
秩序をもたらすのか。
秩序は、意識の内にあるのか、 その外側にあるのか、です。
これは、あまりに錯綜しているのか どうかと、思われます。
ベーネ(いいですか)? 進んでいいですか。
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25:46
さあ、私たちは、意識の内に 秩序を、もたらそうとしますね。
すなわち、私たちは 分析しようとします。
私たちは、順応しようとします。
私たちは、規律を課そうとします。
私たちは、様式を 変化させようとします -
私たちの思考、私たちの存在などの 様式を、意識の内で、です。
そして、意識は、内容です。
内容です。
意識は、その内容なしには、 存在できません。
いいですね?
私たちは、色々な所で、 内容を動かそうとしています。
それにより、秩序を もたらそうと、望んでいます。
ところが、秩序は 意識の外側に、存在します。
第一の提議、第一の知覚を、
理解されますか -
内容が意識であることを 見ることを、です。
27:08
そのすべての内容なしに、 意識はありません -
あなたの思考、あなたの観念、
あなたの願い、あなたの絶望、
あなたの挫折感なしに、です。
そのすべてが、あなたの意識です。
その意識の中に、あなたは、秩序を もたらそうとしています。
その意識に、 秩序は、存在できません。
秩序は、外側に、違った次元に、 存在できるだけです。
さて、その次元に到ることや、 出くわすことは、どのように可能ですか。
いいですか? 付いてきていますか。
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28:02
私は悟ります -
私はその状態にあるなら、
私は、自分の生が葛藤であることを、 悟ります - 外的にも、内的にも、です。
私は、自分の意識、「私」が、 その内容であることを、悟ります。
家具、執着、
所有の感覚、
権力、立場、威信、 地位への欲望、
楽しみ、恐れ。
そのすべてが、私の意識です。
私は、その意識に、秩序を もたらそうとしています。
私は、それが可能でないことが、 分かります。
その意識の外側にのみ、 秩序がある。
精神は、その違った次元が 何であるのかを、
見出そうと しなければなりません。
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29:23
まず第一に、
私は、自分の生が 恐れであると、分かります -
甚大な量の恐れです。
私の生は、恐れと楽しみを とおして、導かれています。
それらが、自らの生の二つの中心的な 事実です - 楽しみと恐れ、です。
それらは、同じコインの裏表です。
私は進んでもいいですか。
話をすべきことは、 もっとたくさん、あります。
そういうわけで、私は 進めてゆきたいと思うのです。
あなたたちが、これらに 付いてこられることを、願っています。
そうでないなら、すみません。
私は、お役に立てません。
で、自らの生は、これら二つの 要因に、基づいています -
楽しみと恐れに、
そして、愛と呼ばれるものに、です。
愛は、楽しみですか。
愛は、欲望ですか。
または、それは、何か 全然違ったものですか。
また私は、死とは何かをも、 見出さなければなりません。
なぜなら、それは、私の 生きることの一部であるからです。
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30:51
で、自らの生は、楽しみ、 恐れ、愛と死です。
その平野の中で、
精神は、秩序をもたらそうと しているだけではなく、
またそれは、安全をほしがります - あの平野の中で、です。
なぜなら、脳細胞は、 完全に安全であるときだけ、
効率的に、全的に、効果的に、
機能できるからです
- それは、神経症的に 安全でありうるのでも、
または、自由の中で、 安全でありうるのでも、です。
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31:54
あなたが注目なさったことが ないのかどうか、私は知りません -
神経症的な人々は、観念において、 信念において、
概念において、 安全であるのです。
彼らにとって、それが、まさしく 安全の本質になるのです。
で、精神は、観念に安全を 探し求めるとき、神経症的です。
それを受け入れますか。
それが、分かりますか。
または、精神が、 信念に、教義に、概念に、
安全を見つけるとき、です。
精神はそこに、安全を見つけますが、 それは、神経症的な安全です。
なぜなら、それは、本質的に 人々を分割するからです。
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32:59
自らの生に、これらを見て、
葛藤、悲惨、
悲しみ、恐れ、
心配 - すなわち、自分が何かに、 イデオロギー的な信条を
持っているとき、訪れるもの。
絶望、
全くの挫折感。
それが、私たちの生です。
そして、私たちは、 死に怯えています -
老齢、病気と死です。
それが、私たちの生の 生きること全体です。
私たちは、恐れているので、 信じています。
私たちは、恐れているので、 何かに、信を置いています。
私たちは、死を恐れているので、 様々な理論を持っています。
輪廻転生、復活を 信じています -
そうね、あらゆる形の希望です。
それが、私たちの無秩序の 日常生活です。
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34:40
さて、この無秩序な世界に、自らはいかに 秩序を、もたらすことになりますか
- すなわち、私自身に、です。
すなわち、あなた自身に、です。
自らはいかに、完全に秩序だち、 何も矛盾ない生を、
生きることになりますか。
それが、私たちのほとんどが、 ほしいものだと、私は思います。
私たちが、正気で 理性的であればあるほど、
私たちの生が理性的、 健康的、道徳的、
道義的であることを、 要求します。
それをそこに見つけないので、
私たちは、投資します -
自分のお金だけではなく、 自分の希望をもまた、
教会に、
神話に、
様々な教義と、
輸入された異国風な宗教 すべてに、です。
(ハレー・
)クリシュナ意識
- よろしいですか -
様々な形のヨーガ、
様々な形の冥想、です。
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36:17
その種の何かが、 この国に輸入されるとき、
あなたは即時に、 それを輸出すべきです。
なぜなら、あなたは、それについて 何一つ、知らないからです。
あなたたちは、たくさんの 騙されやすい人々です。
あなたたちがほしいすべては、楽しみを 与えてくれるであろう経験です。
あなたたちは、薬物を 試してきました。
あなたたちは、マリファナを めぐって、けんかをしています。
あなたたちは、他の何かをめぐって、 けんかをするでしょう。
なぜなら、あなたが関心を 持っているすべては、
経験での楽しみを、さらに 進めることであるからです。
ゆえに、それは、あなたの生に、 もっと無秩序を、もたらします。
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37:14
で、私たちが今、 しようとしていることは、
人間精神が - あなたの精神、人間精神が、
根本的に 変化できるのかどうかを、
見ることです。
そのとき、あなたは 言うでしょう -
「一個人が、一人の人間が、 変化するなら、
それは、どのように 重要ですか。
彼はどのように、世界全体に、 影響できますか」と。
そうね、あなたは、もしも 変化しつつあったなら、
もしも実際に、変化しつつあったなら、 けっして、その質問をしないでしょう。
変化しないための言い訳を、 見つけたくて、
「まあ、私が変化するなら、それが どう良いのだろうか」と言うのは、
変化しつつない人物だけです。
私たちが今朝、ここで、 しようとしていることは、
全的な変化の意義を、
理解し、話すことか、 または、見ることです。
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38:32
私たちが言いましたように、
秩序は、意識の平野の中に 存在していません。
あなたは、明らかに自分自身で、それが 見えるなら、訊ねるでしょう -
精神は、こんなに 無秩序で、腐敗し、
こんなに些細で、 ごまかしですが、
その精神は、どのようにして、全的に 違った何かに、出くわすことになりますか
- すっかり違った次元で、です。
問いは、明らかですか。
質問を理解できますか。
さて、あなたが、自分自身に その質問をするとき -
すなわち、自分は 無秩序の中に生きるし、
その平野での、 どの形の思考の動きも、
無秩序を、さらに進めるだろう ことが、分かります。
ですね?
ゆえに、こう言います - 「精神は、 こんなにおしゃべりしていて、
こんなに活動的で、 果てしなく想像し、
思い出し、 工夫していますが、
その精神はどのように、
秩序をもたらすことに なりますか」と。
あなたは、質問を はっきりと捉えましたか。
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40:29
さて、秩序をもたらすには、
精神は、完全に 静寂でなければなりません。
そこが、冥想の重要性が あるところです。
そうね、その言葉は、 インドから、持ち込まれました。
この国には、 様々な形の冥想が、あります。
私たちは、それらすべてを、 引きちぎろうとしています -
それらすべてにおいて、 何が偽りであるかを、見て、です。
あなたは、何が偽りであるかが、 見えるとき、それの真理が、見えます。
ゆえにあなたは、けっして それに触れないでしょう。
なぜなら、その観念全体は、精神が、 絶対的に静かでなければならない、
というものであるからです -
それ自体の中に、秩序を もたらすために、です。
41:55
なぜなら、あの樹を見つめるには、
精神がおしゃべりしているなら、 あなたは、見られません。
あなたは、精神が静かであってこそ、 完全に見られるだけです。
それは、単純でしょう。
それは、あなたが、それに注意全体を 注がなければならない、という意味です。
注意とは、見ること、 理解すること、智恵の
意義が分かることだけではない。
そのすべてが、完全に注意深い ことに、含意されています。
さもないと、あなたはとうてい、 何も見えないか、何も聞こえないのです。
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42:46
そうね、あなたが音楽を 愛しているとき、
聞くでしょう。
あなたは、自分の心でもって、
精神でもって、 身体でもって、 目でもって、
自分の持てるすべてでもって、 それを聞きます。
さもないと、あなたは 音楽家ではありません。
あなたはただ、音を 楽しんでいるだけです。
で、あなたは、精神が完全に止まって いるときだけ、観察できます。
あなたは、精神が静かであるときだけ、 他の一人を、見られます。
あなたの精神が、イメージで 満たされていないとき、
他の一人を、見られて、
他の一人と、全的に 意思疎通できます。
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43:47
聞くには、静寂が必要です。
理解できますか。
それが、 観察の中心的な要因です。
明らかに見るには、精神は、 完全に静かでなければなりません。
あなたの身体もまた、そうです - 構造全体が、です。
あなたの精神、あなたの脳細胞と神経は、 全的に静かでなければなりません。
さもないと、あなたは、 明らかに見られません。
さて、それは事実です -
あなたと私は、それを、相当 単純に理解するのです。
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44:38
そのとき疑問が、生じます -
「精神はどうやって、静かに させられることになるのか」。
理解されますか。
それは、 自然で通常の疑問です。
それは、間違った疑問です。
そこに、あなたは 捕らわれます。
あなたは、自分自身で分かります - あなたは何かを聞くとき、
あなたは、美しい山や、樹、
飛んでいる鳥を見るとき、
精神は、全的に静かでなければ ならない、ということが、です。
あなたは、それが分かります。
あなたは、それを理解します。そうします。
そして、こう言います -「もしも 私は、精神を静かにできたなら、
あらゆることが、 単純になるだろう」と。
そのときあなたは、「それは、どうやって 静かにされることになるのか」と、訊ねます。
45:38
あなたが、その質問をするとき、
すべての導師、教師、研究者、 専門家たちが、います -
「私が、どう静かにするかを、教えて あげよう」と言う人たちが、です。
いいですか?
これらに、 付いてきておられますか。
それで、彼らは、体系を 持っています。
私が言いましたように、 私たちは、見出すように、
このすべてを、 引きちぎろうとしています。
あなたは、それらのすべてに、 所属しているかもしれません。
たぶんあなたは、そうです。
あなたは、自分の冥想の体系や、
これやあれの体系を、 持っています。
私たちは、それらを 覗き込もうとしています。
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46:24
体系は、目標、目的と、その目的への 手段を、含意しているでしょう。
どうぞ、気をつけて、 これを聞いてください。
キリスト教の方法が、ある。
ヒンドゥー教の方法、
禅の方法、
様々な方法が、ある -
超越冥想の方法を、 含めて、です。
方法は、目的への手段です -
あなたが投影してきた 目的へ、です。
あなたは、目的を 投影してきました。
それを、覚り、神とか、 何であれ、呼びます。
あなたが、それを投影してきたのか、 または、あなたの導師、
あなたの教師、あなたの司祭者 - 彼らが、あなたのために、
それを投影してきて、 あなたは、それを受け入れます。
そのとき、彼らはあなたに、その目的を 達成するための方法を、提供します。
目的は、あなたの投影物です。
あなたが、方法を 実践するとき
- すなわち、その目的の達成を 約束するものを、です -
それは、自己催眠の過程です。
分かりましたか。
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48:00
そうね、あなたは、或る人を 知っていました。
彼は、二十五年間、 冥想を実践しました。
その他に、 何もしないで、です。
彼は、家族を離れて、 森に入っていきました。
修道生活をし、冥想しました。
不幸にも、誰かが、彼を 講話の一つに、連れてきました。
その中で、語り手は、とりわけ、 冥想について、 話していて、
指摘しました - あらゆる形の・
・・
体系と目的をもった、この形の 冥想は、自己催眠である、と。
彼は翌日、私に会いに 来て、こう言いました -
「あなたは完璧に正しい。
二十五年間、私は、冥想を 実践してきましたが、
今、私は、自分が人生をむだに してきたことを、悟ります、と。
そうね、それには、大変多くの知覚と 活力とエネルギーを、必要とします
- 何か自分がしてきたが、
真実でないことを、 認知するには、です。
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49:18
それから、この輸入された、 超越冥想が、あります -
マントラ・
ヨーガ、です。 これを、ご存じですか。
あなたたちの幾人かは、 それをしますか。
または、あなたは、それを 認知するのを、恥じていますか。
私が言いましたように、 あなたは、
これらすべてのものを、 即時に輸出すべきです。
それらは、エネルギーのむだです。
それらは、幻影をもたらします。
そうね、マントラ・
ヨーガの 観念全体ですが、
それは、この国の 超越冥想です。
その観念全体は、一定の 言葉の反復をとおして、
初めに、言語的に、声を出し、 それから、静寂に、
そして、一定の点に到った後で、 飛び立ちます -
それが、どういう 意味であろうとも、です。
50:37
あなたは、どの言葉を、 反復してもいいですが、
それがサンスクリットの言葉であるなら、 もっとロマンチックです。
それは、言葉や、 一連の言葉であり、
あなたの教師、導師が、秘密裏に、 あなたに授けるものです。
あなたは、それに支払います。
あなたは、 自分が天国に到るだろうと、思います。
あなたは天国に到るのですが、 それは、あなたが創案した天国です。
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51:13
彼らはまた、今、新しい種類の ヨーガを、付け加えています -
それは、クンダリニー・
ヨーガです。
あなたたちは、それについても、聞いたことがありますね。
きっとそうだと思います。
これらのもののどれにも、触れないで ください。
それらは、大変危険です。
すなわち、私が、あなたに 言ってよろしいのなら、
あなたが、幻影を楽しむのなら、
あなたが、神や覚りや 真理の名において、
自己催眠をする状態にいるのを、 楽しむなら、それへ行ってください。
様々な形の規律、修練、 実践が、あります -
すべてが、あなたが ほしいものを、約束しています。
すなわち、覚り、幸せ、 真理などを、です。
すなわち、あなたは、もっと もっと広い経験が、ほしい。
なぜなら、あなたは、自分の 日常生活に、退屈しているからです。
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52:26
ですが、あなたは、静寂な精神のみが、 観察できることが、分かります。
静寂な精神のみが、 完全な秩序を、もたらせます。
で、あなたは、自分自身で その真理が、見えるとき、
どの体系も - 誰がそれを言うのかは、 大事なことではない -
どの思考の動きも、
必然的に分割をもたらす、ゆえに、 葛藤をもたらすにちがいない
ということが、です。
あなたは、このすべての 真理が、見えるとき、
あなたの精神は、 静かになります。
このすべての真理が見えることが、 静かな精神を持つことです。
53:28
これを理解されますか。
で、お分かりですか、 私たちの困難は、こうです -
私たちは、無秩序な生を 生きることを、知って、
私たちは、それへ秩序をもたらす 能力が、ない、ということです。
なぜなら、私たちは、自分の 考案、工夫に沿った秩序が、ほしい。
私たちは、自分の想像に沿って、 自分の楽しみと都合に沿って、
秩序がほしいからです。
その平野には、 まったく秩序が、ありません。
あなたは、それが見えるなら - そして、それが見えるには、
静かな精神を、持たなくては いけません。理解されますか。
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54:34
さて、さらなることは、 こうです -
何が、もっとありますか・
・・ もっと、ではない。
実在とは何ですか。
精神により、 思考により、想像により、
組み立てられていないものが、 何かありますか。
測量可能でないもの、
人が何千年に何千年もの間、探し 求めてきたものが、何かありますか。
質問を理解されましたか。
人はいつも、時の始まりから、 訊ねてきました -
自らの生が終わりに なることを、知り、
自らがいつも、果てしなく
自分自身との葛藤、世界との抗争に あることを、知り、
自らがそこに、秩序を もたらせないことを、知り、
そのとき人は、それらを越えた何かが あるのかどうかを、訊ねます。
56:00
まさにその訊ねる中で、人は、 自分の生より、逃避しています。
理解されますか。
私たちは、逃避していません。
私たちは、秩序が必要であり、
それが確立されなければ ならないことが、分かります。
そのときあなたは、 質問をできます
- 行い、道義、秩序の基礎を、 確立し、敷いた後で、です -
そのとき、質問をできます。
「これらを 越えた何かが、ありますか」。
付いてきておられますか。
話は、明らかに なっていますか。
さて、どのように 見出そうとしていますか。
あなたは、何かを 信じられます。
あなたは、 時と思考を越えているものが、
何かあることを、信じられます。
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56:57
信念は、現実ではありません。
あなたは、太陽が輝いていることを、 信じません - それは輝いています。
それは、ただ、 あなたが知らないとき、
あなたが理解しなかったとき、それが、 あなたの精神にないときだけです。
そのときあなたは、信じます。
そのとき あなたは、何かに信を置きます。
で、それを見出すには、精神は、全的に 信念より、自由でなければなりません。
そうではないですか。
信念は、恐れを 含意しています。
あなたの信念、 他の人の信念が、あります。
信念は、人々を分割します。
で、精神は、自由で なければなりません -
恐れから、自由でなければ なりません -
恐れが、私たちの条件づけすべてを、 創り出してきました。
物理的な条件づけも、 心理的な条件づけも、です。
で、精神は、恐れより 自由でありえますか。
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58:23
恐れは、思考の動きにのみ、 存在します。ですね?
それを悟ることより、「思考は、 静かでありうるのか」と言います。
思考は、一方向には、 論理的、健全に、
効果的に機能し、
別の方向には、 完全に静かです。
なぜなら、思考が、恐れを 創り出すからです。
すなわち、あなたは今、 生きています。
そして、死があります。
死は、未来のいつかです。
または、 おそらく明日か、はるか遠くです。
思考は、「私は、自分が 知らない状態を、恐れている。
ゆえに、私は怯えている」と 言います。
恐れは、楽しみのように、 思考の産物です。
あなたは、それの真理が見えるなら - 知的に、言語的に、ではない -
そのとき、恐れは、 終わりになります。
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59:45
それで、何か越えたものが あるのかどうかを、見出すには、
自由が、絶対的に必要です -
このすべての混乱、乱れ、 醜さ、美しさを越えた何かが、です。
そうね、生きると呼ばれる このことを、越えて、です。
その中に、私たちは 秩序をもたらそうとします。
その中に、真剣な人々すべてが、 秩序をもたらすのです。
それで、彼らは 道義的に、振るまいます。
自由が、なければなりません。
自由は、自分がしたいことを することではありません。
自由は、責任を持っています。
自由は、秩序、 という意味合いです。
その自由の中には、
なぜなら、精神は、自由を 要求しているからですが、
その自由こそが、自らの 規律、修練を、もたらします。
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1:00:55
すなわち、「規律、修練(ディシプリン)」 という言葉は、学ぶという意味です。
順応するのではなく、 抑圧するのではなく、学ぶ。
「有るもの」を学ぶ。
「有るべきもの」について、 ではない。
で、恐れからの自由、
あらゆる形の信念からの 自由です。
そして、集団に所属しない自由が、 なければなりません。
理解されますか。
従うことから、
教師、導師を 受け入れることからの自由。
従わない自由。
ゆえに、権威からの自由、です。
理解できますか。
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1:02:13
法律の権威は、一つのことです。
心理的な権威と、
心理的な権威の受け入れは、 別のことです。
私たちは、心理的な権威について、 話しています。
あなたは、恐れているから、 ゆえに、誰かに従います。
あなたは、覚りがほしい。
それは、あなたの投影です。
ゆえにあなたは、自分の導師に従います - その紳士淑女が、何であっても、です。
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1:02:49
で、権威から、恐れから、 信念からの
自由が、なければなりません。
それは、あなたが完全に一人である、 という意味です -
孤立したのではない。
なぜなら、あなたは一人であるとき、
あなたは直接的に、他の一人と 関係しているからです。
美しい花のように、 それは全く一つです。
それは、類似した他の花々を、 持っているかもしれませんが、
それは、とても美しい。
それは、全く一つです。
美しいものは、いつも 全く一つです。
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1:03:42
測量可能でない、このものに、 出くわせるのは、
こういう精神だけなのです -
名を持たない、
言葉に表せない このものに、です。
なぜなら、 叙述されたものは・
・・
叙述は、 叙述されたものではない。
言葉は、 そのものではない。
それは、生きることの この現象全体を理解したし、
それ自体を理解できる 精神だけです。
このとてつもないものに、 出くわせるのは、
完全に自由であり、静かで止まって いる、そういう精神だけです -
人が幾千年をかけて、探し求めてきた このものに、出くわせるのは、です。
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1:04:51
あなたたちは、これについて、 質問をしたいのでしょうか。
はい?
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1:04:56
質問者: もし私が、恐れから自由であり、 私の精神が、静かであるなら、
私は、何かを 探しているのでしょうか。
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1:05:04
K: もし私の精神が、恐れから 自由であり、完全に静かであるなら、
私は、何かを 探しているのでしょうか。
もし私の精神が、静かであり、 恐れから自由であるなら、
私は、何かを 探しているのでしょうか。
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1:05:31
そうね、あなたは、質問をなさったが、 それは、そもそも質問ではありません。
私は、あなたに 失礼にしておりません。
あなたが、「もし私が、 恐れのない状態にいるなら、
私は、何かを探しているの でしょうか」と仰るとき、です。
ですが、あなたは、恐れていない 状態に、いないのです。
それは、仮説です。
それは、実在性を持ちませんね?
それは、私が、「まあ、もしも 私がイギリスの女王だったなら、
私はこれをするだろう」と 言うようなものですが、
私は、イギリスの 女王ではありません。
で、あなたは、ありえない 質問を、されました -
「もし私がそうであるなら、私は何を するのだろうか」と言って、です。
ですが、初めに、恐れより自由であって ください。
そのときあなたは、
何か探すべきものがあるのか、 ないのかを、知るでしょう。
そのとき、探すと いったことは、ない。
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1:06:33
あなたは、その「探す」という言葉が、 どういう意味かを、ご存じですか。
探し出すこと、見出すこと。
そうね、それが、「探す」という、 その言葉の意味です。
今、あなたは、探しています。
あなたは、何を探していますか。
あなたは、自分が見つけるものが、本当のことであると、どのように知りますか。
あなたは、自分が見つけることが、 偽りのことかもしれないと、
どのように知るのでしょうか。
で、あなたの探求において、 何が真実かを、見出すには、
認識が、なければ ならないでしょう。
いいですか?
これに付いてきておられますか。
私は、自分の探求の中で、 「それが真理である」とか、
「それは虚偽である」とか、 認識しなければなりません。
さて、認識は、何か私がすでに 知っていたことを、含意しています。
で、私は、「探す」という言葉を、 使うとき、何をしていますか。
私は、自分がすでに知っていたことを、 探しているだけです。
よろしいですか。
ゆえに、探さないで、
「有るもの」とともに、 いてください。
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1:08:01
そうですね、ごらんください - 恐れがあります。
それについて、私たちは みんな、知っています。
死の恐れ、老齢の恐れ、
昨日の痛みが 反復されることの恐れ、
世論の恐れ、 支配されることの恐れ、
愛されないことの恐れ、
恐れ - 私たちは、みんな それを知っています。
さびしさの恐れ。
さて、それは事実です。
さて、恐れがあるとき、 何が起きますか。
あなたは、それを乗り越えたい、 あなたは、それを征服したい、
あなたは、それを抑圧したい、あなたは それより逃避したいと思います。
あなたは、それより逃避するとき、 それを抑圧したいとき、
勇気、その他すべてをとおして、 それを征服しようとするとき、
あなたは、エネルギーを むだにしています。
なぜなら、事実は、恐れであるからです。 それが、「有るもの」です。
1:09:04
さて、あなたは、逃避しないで、 実際に恐れを見るなら、
何が起きますか。
これらに、 付いてきておられますか。
さて、ごらんください。
恐れがあります。
私は、どの形をとおしても、 事実より、逃避しません -
恐れ、または妬みがある、 との現実より、です。
さて、私は、それが恐れである ことを、どのように認識しますか。
私は、それが恐れであることを、 どのように知りますか。
なぜなら、私は前に、同様な反応を 持ってきたからです。
ですね?
さもないと、私はそれを、恐れとして 認識できなかったでしょう。
これらに 付いてきておられますか。
または、あなたは、一時間の 終わりに、疲れつつありますか。
で、恐れは - 私が、それは 恐れであると、言うとき、
それは、すでに 生じたことがあり、
それは、前に 起きたことがある。
1:10:10
「私は恐れている」と言うとき、
私は、前に起きてきたことを、 強めているだけです。
これらに 付いてきておられますか。
で、私は、恐れと呼んできたものを、 非言語的に、見つめられますか。
あなたは、恐れを 持っているでしょう。
持っておられないですか。
明白に、持っています。
さもないと、ここに 座っていないでしょう。
あなたは、その恐れより逃避せずに、 それを見つめられますか。
ただ、それを 見つめてください。
分析しないでください - それは、別の形の逃避です。
「何がその恐れを、引き起こしたのか」 と言わないでください -
1:11:10
それは、別の エネルギーのむだです。
どの形の逃避もなく、 それを見つめる。
それは、あなたが、見つめるエネルギーを 持っている、という意味ですね。
あなたは、 逃避していないから、
逃避をとおして、エネルギーを むだにしていません。ですね?
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1:11:32
で、恐れがあります。さて、あなたは どのようにそれを、見つめますか。
言語的に、ですか。
すなわち、 言葉が、恐れを創り出したのですか。
私が言っていることを、 理解されますか。
ああ、神様!
「恐れ」という言葉が、 恐れを創り出したのですか。
または、その言葉なしに、 恐れが、ありますか。
その言葉は、あなたが前に 持っていた恐れの記憶です。
ああ、さあ、どうぞ、 すばやく、進んで行ってください。
ちょっと待って、どうか、 見てください。
私は、様々な理由のために、恐れて います - 死のため、私は恐れています。
私は逃避していません。
「私は、征服しなければならない。
私は それを乗り越えなければならない。
私は、これをしなければ、あれを しなければならない」と
言うことにより、 逃避していません。
1:12:42
で、私は逃避しません。私は、 ありのままの事実に、向き合っています。
さて、事実は、 言葉の結果ですか -
言葉は、以前の恐れの 記憶なのですが。
または、この恐れは、 何か全的に新しく、
ゆえに、 非言語的なものですか。
これを理解されますか。
私は、どのように それを見つめますか。
私は、その言葉をとおして、見つめて いますか。
または、言葉なしに、ですか。
私がその言葉なしに、見るなら、 それは、恐れですか。
すなわち、今、私は、見るための 完全なエネルギーを、持っています。
私が、全的なエネルギーをもって 見るとき、恐れはない。
これをしてください。 あなたは、分かるでしょう。
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1:13:54
妬みを取り上げてください。あなたたちは みんな、それに親しんでいます。
妬みは、比較、測量です。
どうぞ、これを 聞いてください。
妬んでいる。
「あなたは、とてもすてきに見える。
あなたは、とても美しい。
あなたは、智恵がある。
私は鈍い。私は愚かだ。
あなたは、私より はるかに良い。
あなたは、成功者だ。
私は、失敗者だ。
あなたは、これだ。
あなたは、あれだ」 -
比較、測量。
それが妬みです。
さて、私は、妬みなしに 生きられますか。
すなわち、測量なく、私自身を 他の一人と比較せずに、です。
他の人は、英雄、神、聖人、 最高経営責任者なのかもしれません
- 彼が何であっても、です。
私は、どの形の測量もなく、 見られますか。生きられますか。
1:14:58
見出すには、私は、人々が 妬んでいるのが、見えます。
そして、自分が 妬んでいるのを、悟ります。
そのとき、それを 合理化しはじめます。
「私は、この世界で妬んでいない なら、破壊されるだろう」と。
それは、エネルギーのむだです。
なぜなら、私は、自分が妬んでいるとの 事実に、直面しているからです。
社会的、宗教的な構造全体が、 この妬みに、基づいています。
妬みをとおして、私は、測量不可能な ものを、見出そうとしています。
私たちがいかに愚かであるかを、 理解されますか。
で、私は、測量なしに、 生きられますか。
私は、合理化しません。
なぜなら、合理化するとき、
私は、妬んでいることの言い訳を、 見つけられるからです。
私は、自分が妬みと呼んできたその感情を、 言葉なしに、見つめられますか -
その感情を喚起したり、強めたりする その言葉なしに、です。
1:16:21
すなわち、 その言葉は記憶です。
その言葉は、過去の象徴です。
私が、その妬みを 見つめるとき、
私は、過去の目でもって、 見ています。
で、私は、それを新鮮に 見つめられますか。
私は、逃避がないとき、 言い訳がないとき、
それを、新鮮に 見つめられるだけです -
私のエネルギーすべてでもって、 それを見つめるとき、です。
そのとき、あなたは 分かるでしょう -
私が妬みと呼んできたもの、 そういうものは、ない、と。
これを理解されましたか。
言語的に理解したのではなく、 実際にそうしていますか。
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1:17:31
はい?
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1:17:32
質問者: で、初めに私たちは、 イメージを見つめなければなりません
- 自分と恐れとの間に、 入って来るものを、ですね?
私たちは、イメージを 見つめなければなりません -
自分と、自分が見守っているもの、
すなわち、恐れとの間に 入って来るものを、です。
そのとき、イメージは、 あなたが恐れを見つめるのを
阻止することを、理解したとき、
精神は、静かであり、 恐れを見つめるでしょう。
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1:17:56
K: 質問は、こうです -
何かを、樹、 あなたと他の一人を、
見つめるには、
イメージがあっては ならない。
ですね?
イメージは、どのように 形成されますか。
イメージは、形成されますが、それを 防止できますか。
理解できますか。
すみません。
イメージは、どのように 形成されますか。
イメージを形成する機構は、 何ですか。
あなたは、注目したことが、 ありますか。
あなたは、誰かに - 妻や夫、 友だちに - 完全に聞くとき、
何もイメージを 形成しないのです。
あなたは、完全な注意を、 注いでいるとき・
・・
すみません。
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1:19:35
質問者: クリシュナムルティ、 あなたは、唾液を呑み込まれました。
それは、あなたの肺に入りました。 それは、出さなくてはいけません。
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1:19:42
K: 私は、そうしております。
私たちは訊ねています -
「イメージは、どのように 形成されますか」と、
「なぜそれは形成されますか。
イメージを 形成する機構は、何ですか」と。
あなたは、注目した ことがありますか -
あなたが、注意を払わないとき、 イメージが形成されるのです。
私が、長年の間、一緒に生きてきた 友だちを、持っているなら、
私は、彼について イメージを、形成してきました
- 彼の侮辱、
彼の優越、
彼の苛立ち、
彼の快い言い回し、
彼のいじめ、など、です。
私は、彼について、イメージを 形成してきました。
なぜなら、私は、彼から 自分自身を保護するために、
そのイメージを 形成してきたからです。
1:21:08
私の彼との関係は、 そのイメージをとおして、です。
彼は、私自身について イメージを、持っています。
彼は、私について、 イメージを持っています。
私は、彼について、 イメージを持っています。
私たちの関係は、これら 二つのイメージの間に、あります。
私は、自分自身を保護するために、 このイメージを、創り出してきた。
いいですか?
それは、事実でないですか -
あなたが、夫、友だち、妻、 隣人、神について、
イメージを持っていること、
それは、傷つかないため、 生存しつづけるため、
葛藤でない生活をするため、です。 よろしいですか。
1:22:08
あなたは、自分のイメージを とおして、自分自身を孤立させます。
あなたは、なぜ自分がそれを 形成してきたのかを、知っています。
さて、そのイメージ形成は、 止められますか。
イメージを形成する機構 - その機構は、終わりになりえますか。
私はそれを、あなたに 示しましょう。
私たちが話しているとき、 どうぞ、それをしてください。
それは、やりがいが、あります - それを家に持ち帰り、
後で放り出してしまうの ではなくて、です。
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1:22:45
私たちは、なぜ機構が 作動するかを、理解しました。
イメージ作りが、重要になる -
外的にも、内的にも、
意識的な水準でも、 無意識的な水準でも、です。
自分自身を保護したい、 傷つきたくないとの願望です。
なぜなら、私たちは、 傷つく生活を、してきたからです。
子どもの頃から、 私たちは傷ついています。
傷つくとは、どういう意味かを、 ご存じないですか。
あなたは、もはや 傷つきたくないのです。
それで、あなたは、 保護し、抵抗します。
イメージは、抵抗です。
ですね?
さて、それは、どのように 生ずるのですか。
1:23:42
その機構は、止められますか。
それは、止められますが、
言われつつあることに、あなたが、 完全に注意を払うときだけ、です -
言われつつあることの瞬間に、です。
理解されましたか。
あなたは、私を侮辱します。
あなたは、私を、ばか、 まぬけと呼びます -
または、あなたが、私を何と 呼びたいのであっても、
偉大な人や、すばらしい あれやこれでも、です。
あなたが、私をばかと呼ぶとき、 私はそれに、注意を払います -
完全な注意、です。
反応しないで、「ああ、おまえもだ」 とか言わずに、
あなたが呼ばれていることに、 ただ全的に気づくのです。
1:24:48
注意のその状態において、 イメージ作りは、ない。
イメージが形成されるのは、
あなたが 不注意であるときだけです。
これを理解しましたか。
そうしてください。
そのとき、あなたは、自分がけっして 傷つかないだろうことが、分かるでしょう。
それは、あなたが自分自身について、 何者かだ、あれやこれやだと、
イメージを持つときだけです。
そのとき、 あなたは、傷つきつつあります。
あなたは、「無垢(イノセンシー)」 という言葉は、
傷つけないとか、傷つかない、という 意味なのを、ご存じですね。
ラテン語の言葉「ノチェーレ」は、 そこから来ています。
それは、傷つけないとか、 傷つかない、という意味です。
あなたは、抵抗するとき、
自分自身についてイメージを 持つとき、傷つきます。
1:26:03
イメージ作りは、あなた自身を 保護することです -
害に対して、傷に対して、
あらゆる形の侵入に対して、です。
あなたは、それが見えるとき、
言われつつあることに、 注意を注ぎます -
全的な注意、 あなたの精神、心、頭脳、
あらゆる物事が、注入します。
その注意の状態に、 傷はありません。
ゆえに、イメージ作りは、 ありません。
そういう生は、本当に、 美しさの生、大いなる喜びです。
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1:27:00
質問者: あなたが仰る、正当化や 非難や同一視をしない、と
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1:27:06
いうのは、 どういう意味ですか。
K: あなたがいう、正当化や非難や同一視 というのは、どういう意味ですか。
自分が嫉妬しているとき -
あなたは、それがどういう 意味かを、ご存じでしょう。
または、それは、 何か新しいことですか。
みなさんが、 それをご存じでしょう。
自分が嫉妬しているとき、 正当化しますね。
「嫉妬するのは、正しい。
彼女や彼は 私に所属している。それは私のだ」と。
あなたは、その嫉妬を正当化 します。
あなたは、
「彼女は、こうすべきでなかった」とか、 「彼はああすべきでなかった」と言います。
あなたは、その人物を妬んでいます。
あなたは、それを合理化します。
すなわち、それを説明します - 自分の嫉妬を強めるために、です。
1:28:25
あなたは、嫉妬が好きです。 あなたは、それを正当化します。
あなたはそれを、推奨します。
あなたは 「それは、愛の一部だ」と言います。
そうではないですか。
「嫉妬深いのは、愛の一部だ」と。
麗しいですね。
それが、私たちが無秩序な生活をする、 ということが、意味するところです。
そこであなたは、正当化できない ことを、正当化します。
そこであなたは、 容赦できないことを、容赦します。
愛と嫉妬が、どうして 共存できますか。
ですが、それが、私たちが 受け入れてきた生の道です。
私たちは、それを 正当化します。
それが、それの 意味するところです。
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1:29:45
それで、十分でないですか。 今、12時半です。
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1:29:56
バスタ(十分です)。 よろしいです。
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