OJ77D2 - 経験と思考の関係 home
公開討論会 第2回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月7日

0:51 おそらく、今朝来た、新しい人々が 幾らか、おられるでしょう。 で、私たちは、 対話をしています。 「対話」(ダイアログ) という言葉は、 自分の思考を、言葉に 表すことを、意味しています。 そして、自分たちの問題について、 ともに話し合っている二人の 仲の良い人々として、おそらく 私たちは、今朝、その精神で、 議論できるか、 対話、会話をできるでしょう。 すなわち、私たちはともに、 自分たちの問題を、検討し、 探検し、 究明しています。 これは、集団療法 ではありません。 集団療法は、自分の汚い洗濯物を、他の 人へ露出することを、含意しています。 そして、その甲斐があるとは、 私は思いません。 ところが、もしも私たちが、深く 私たちの問題を、検討できたなら、 おそらく今朝、私たちは、それらを 解消できるかもしれません - 私たちが死ぬまで、年々、それらを 持ち越していくのではなくて、です。 で、私たちはともに、何について 話し合いましょうか。
2:44 質問者: クリシュナジ、 私は、お訊きしたいと思います - 思考と経験することは、いつも、 対極に留まっているか、 そのように 見えるでしょうか。 または、この隔たりに橋を架けて まとめられる理解が、ありますか。
3:02 K: はい、そうです。
3:04 質問者: もしも私たちが、人間たちに おける暴力と残酷さについて、 話せたなら、 そうしたいと思います。 そして、それと、動物の王国に おける暴力と残酷さとの間の 関係が 何であるのか、です。 そして、その関係は、遺伝ということに 立って、どこで終わるのですか。
3:26 K: あなたの問いに、私は よく付いてゆけません。
3:30 質問者: 私は、関係が 何かを、訊ねています・・・ 人間たちにおける残酷さ、 人間たちにおける暴力と 動物たちにおける暴力との間に、 関係がありますか。 そして、その関係は、暴力の間で どこで終わりますか。
3:58 K: 初めの問いは、こうでした - 思考と経験は・・・ それらは、違っていますか。 そして、 それらは、まとめられますか。 そして、もう一つの問いは、 こうです - 人間と動物との間の関係は、 何ですか - 彼らのどちらも暴力的ですが。 他に何か?
4:33 質問者: はい。私は、 思い悩んでいました - 私たちは、先の火曜日に、特定の 点で、会話を終わらせました。 そしてあなたは、四十五分間の私たちの 議論の後で、それに触れられました。 すなわち、もし、たとえば、 二人の愛された者たちの間で、 もしも、その時間の後で、 一人が理解しないなら、 何も関係は、 ないだろう、と。 または、愛された者たちの間の 愛は、存在しなかった、と。 あなたが幾らか、そのあたりを行って くださるだろうかと、思われました - 私は本当に・ ・・個人的に 私は、それに同意しません。 その意味は・ ・・たとえば、 時における特定の一点への あなたの叙述において、ですが、 あなたは、観察者と観察されるものが 一つであることについて、 話をしておられたからです。 5:30 あなたが、特定の点を 叙述されるとき、 たぶんあなたの議論は、 あの特定の水準にあります - 私が「水準」という言葉を 使っていいなら、です。 ところが、たとえば、 ここの聴衆は、 あなたの哲学を 理解しようとしているなど、 私たちは必ずしも、或る水準に、 いないかもしれなくて・・・
5:52 K: あなたの質問を、 私は理解すると思います。
5:54 質問者: そして、一つの他のことは - ただの観察ですが - 私にとっては、こう思われます。 人々が質問をするなどの途中で、 もし、あなたの議論の中で 進みつつあることにとって、 問いが、幾らか 不適当であるなら、 あなたは一定の点で、欲求不満に なるように、思われました。 そして私は、 思い巡らしたんですね - 無限の辛抱についての、あなたの 話の中、あなたの本などの中で、 そこには、逆説や矛盾が あるように思われます。 6:36 それは、ほんの観察です。 或る意味で、ここの人々が、自分は 本当は理解しないと言ったことは - 火曜日に、私たちが 言ったことの多くを、ですが - 彼らは、質問を していました。 それらの問いは、誤解の 中から、訊ねられます。 それで、あなたが彼らに語るのは、 要を得ていないかもしれません。 たぶん、彼らは 本当に理解しません。 そうね、あなたはただ、欲求不満に なるように思われたんです。
7:07 K: あなたの問いに、私はよく 付いていけません - あなたが訊ねられたことに、です。 私は、よく・・・
7:21 質問者: 私は、まるであなたが・・・(聞き 取れない)・・・かと思い巡らしました。
7:24 K: なぜ私が 欲求不満なのか、ですか。 もう一度、お願いします。
7:33 質問者: ええ、なぜあなたが、訊ねられる 質問により、欲求不満なのか・・・
7:38 K: よろしいですよ。 なぜあなたは、聴衆が訊ねる 質問により、欲求不満なのか。 他に質問は、 何でしょうか。
7:48 質問者: 自分が本当に、他の一人を気づかう なら、それは、どういう含意ですか。
7:53 K: 自分が、他の一人を気づかうなら、 それは、どういう含意ですか。
8:01 質問者: 私たちは、関係について 話せるでしょうか。
8:04 K: 私たちは、関係について 話せるでしょうか。
8:09 質問者: クリシュナジ、私がお訊き したことを、反復するだけですが、 それは、思考と 経験することでした。
8:15 K: 思考と経験すること。 理解できます。
8:22 質問者: 私たちはどうすれば、 恐れと嫉妬なしに、 関係を持てるのかを、 説明してもらえますか。
8:29 K: 私たちは、他の一人との 関係を、持てますか - 嫉妬、恐れと心配と、 関係に入ってくる、 すべての悲惨なしに、です。
8:42 質問者: 私たちはなぜ、 傷つきますか。
8:43 質問者: 前に或る所に いたとの経験から、 学ばれるものが、 何かが、ありますか。 なぜなら、私は、デジャヴを 経験したことがあるからです - そのとき、まるで、前に特定の行為を 経てきたかのように、感じます。 今、現時点で、それは、すべて 新しい経験であるとしても、です。 まるで自分は前に、そこに いたかのように、感じます。 そこから学ばれることが、 何か、ありますか。
9:06 K: 学ばれることが、 何かありますか・・・
9:12 質問者: ・・・デジャブから。
9:16 質問者: 前にここにいたとの 感じからです。
9:19 K: 前にここにいたことから 学んだ - その感じですか。
9:29 質問者: 私たちは、「私」の問いに ついて、話し合えるでしょうか。
9:34 K: 私たちは、「私」の問いに ついて、話し合えるでしょうか。 それで十分です。 出発しましょう。
9:45 まず第一に、 あの問いに答えると、 すみませんが、私は 欲求不満を感じません。 おそらくあなたは、私がそのはずだと 考えますが、私は欲求不満でありません。 で、その問いを 落としてしまいましょう。 私たちは、関係について 議論すべきですか。 関係の意義、 関係の深さは、何ですか。 私たちは、それについて 議論すべきですか。 または、私たちは、この思考の 問いに、入りましょうか。 思考の、経験することへの 関係は、何ですか。 そして、思考なく 経験することとは、何ですか。 私たちは、それに入るべきですか。
10:44 質問者: はい。
10:46 K: ああ。あなたたちは、 経験することの問い、 そして、思考への関係に、 入りたいのですね? 経験することと思考の関係。 いいですよ。 あなたはそれに、きわめて深く 入りたいですか。 
11:06 質問者: はい。
11:10 K: まず第一に、ともに 見出しましょう - 私は本気で、ともに、といいます。 私たちはどちらも、探検しています。 私たちはどちらも、自分たちが話して いることを、理解しようとしています。 私たちは、どちらも理解する 言葉を、使っています。 私は、イタリア語やロシア語で 話していません。 英語で、です。 で、ともに私たちは、このきわめて複雑な 問題を、検討しようとしています。 まず第一に、 考えるとは、何ですか。 考えるという言葉は、 どういう意味ですか。 考えることは、どう生じますか。 考えることの意義は、何ですか。 12:16 すべての思考の起源は、 何ですか。 すべての思考です - 科学的なのも、宗教的なのも、 毎日の思考も、 ビジネスの思考も、です。 で、私たちは、この思考の問いに ついて、議論しています。 ともに話し合っています。 なぜ思考は、人間の生において、こうも とてつもない役割を、果たしてきましたか。 思考は、言葉なしに、 存在しますか。 そして、言葉は 思考ですか。 どうぞ、これらすべてが、 この問いに、含意されています。 で、どうぞ、あなたがそうしてくださる なら、ここを、ともに進んでください。
13:29 で、初めに、私たちは、 訊ねることから、始めましょう - 言葉なしに、考えることが ありますか。 象徴、イメージ、映像なしに、 考えることが、ありますか。 質問を理解されますか。 または、言葉が 思考ですか。 または、思考が、言葉を 行為に、持ち込みますか。 そうね、これは、きわめて 複雑な問いです。 で、私たちは、きわめて ゆっくりと、これに入ろう、 そして、本性全体と構造を 見出そうとしています - 思考の構造を、です。 それが、あなたが望まれること ですね。 
14:33 質問者: はい。
14:35 K: 少なくともあなたは、それに ついて、議論したいと思います。 私たちは、今すぐ、 関係に来るでしょう。 で、考えることは何ですかと、 あなたに訊ねるとき、 その言葉への あなたの応答は、何ですか。 何が進んでいるかを、 あなたが観察するなら、 すなわち、語り手はあなたに、質問を します - 考えるとは、何ですか、と。 あなたの即時の反応は - あなたが それに気づいているなら - あなたの記憶の中で、正確な 答えを、探し出すことです。 本をとおして 蓄積された記憶、 あなたが、心理学の本などを読む ことから、受け取った情報、です。 15:50 で、その問いへの あなたの即時の応答は - すなわち、考えるとは 何ですかへ、ですが - あなたの頭脳は、ものすごく 活動的です。 見つめ、訊ね、 探求しています。 ですね?  そして、あなたは 何を見つけますか。 私はこのように、 表してもいいですか。 親しみ深い質問を されるとき - あなたの名前は、何ですか。 あなたは どこに住んでいますか、などとです - 応答は即時です。 なぜですか。
16:44 質問者: なぜなら、考える過程は、 ただ、自分の記憶の貯えの中で、 思考を探すことであるからです。 あなたは、それを探し出し・・・
16:51 K: はい、そうですが、 私は、質問をしたのです。 ちょっとお待ちください。 私は、 質問をしたのです - すなわち、 私はあなたにお訊きします - あなたのお名前は、何ですか。 あなたの応答は、 即時です。 ですね? 私はあなたに、訊ねています - なぜそれは、こうも即時なのですか。 質問者: それを知っているからです。
17:05 K: 答えないで、覗きみてください。
17:07 初めに、 見出してください。
17:13 質問者: 私は、究明するより、ベラベラ しゃべることに、関心を持っています。
17:17 それはちょうどそこに あります。 K: いいえ。 私は訊ねています。 私は あなたの名前を、お訊きします。 そしてあなたの返事は、 きわめて速い。 なぜですか。 私はあなたに、何かもう少し複雑なことを 訊ねます。 あなたは、時間を掛けます。 私はあなたに、 何かを訊ねます。 そして、あなたは、返事をします。 あなたは、「私は知らない」と言います。 で、これら三つの 要因が、あります。 一つは、即時の応答 - あなたの名前は何ですか。 あなたの家はどこに ありますか、等々。 そして、もう少し複雑な問い。 あなたは、時間を掛けます。 問いと答えとの間に、 遅れ、間隔です。 そして、あなたが 一度も考えたり、 究明したりしなかったことに ついて、問いが、あるなら、 あなたは、「私は本当に知らない」と 言います。 ですね? それは明らかです。 で、これら三つの 要因が、あります。 18:28 一つは、親しみ深い。 すばやい答え。 なぜなら、あなたは、自分の名前を、 十万回、繰り返してきたからです。 あなたはそれに、 きわめて親しんでいます。 で、応答は、速い。 時間の遅れが、ありません。 もし私が、ここと(西アフリカの) ティンブクトゥーとの間の距離は 何かと、言うなら、 時の遅れが、あります。 あなたは「おやまあ、考えてみよう」と 言います。 あなたは、計算しています。 そしてあなたは、「これほどだ」とか 「私は知らない」とか言います。 または、私は、あなたに 質問をします - 「あなたは、神がいるのか どうかを、知っていますか」と。 答えないでください。 あなたが 正気で、理性的であり、 どの形の信念にも 参与していないのなら、 そのときあなたは、「私は本当に 知らない」と、言います。 で、これら三つのことが、 あります。
19:32 さて、私は訊ねます・・・問いは、 こうです - 考えるとは、何ですか。 あなたはそれに、速く返事を することが、できないでしょう。 なぜなら、あなたは、それについて 考えたことがないからです。 さて、私はあなたに、その質問を します - 考えるとは、何ですか。 あなたの頭脳は、 探求しています。 ですね? 訊ね、見つめ、見張っています - 「私はどこで、それを見出せるのか。 それへの答えは、 どこにあるのか」と。 それが、進みつつあること ではないですか。 で、あなたは、記憶を覗きみて います - 記憶の貯えを、です。 そして、それへの答えを、 見つけようとしています。 あなたは、それを 見つけたのですか。
20:29 質問者: はい。
20:30 K: あなたは、自分自身で 答えを、見つけたのですか - それは、理性的で、論理的で、 客観的でなければならなくて、 どの尋問にも 立ち向かえて、 容易く受け入れられるのではなく、 疑うことができる。 で、あなたは、そういう答えを、 見つけたのですか。
20:57 質問者: はい。
21:06 K: で、私たちは、訊ねています - 考えるとは何ですか。 考えることは、 記憶の応答でないですか。 よろしいですか。 知識として、 経験としての記憶 - 頭脳の中に、まさに脳細胞 自体に、蓄えられている - その知識、経験、記憶が、 応答します。 で、経験、知識、記憶と、 記憶の応答が、 考えることです。 ですね? よろしいですか。
22:10 質問者: はい、はい。
22:12 K: いいえ・・・どうぞ、 受け入れないでください。 この哀れなやつが、それについて 話をするからといって、です。 それを見てください・・・ 
22:19 質問者: それらはすべて、一つで同じです。 そうではありませんか - それらの 三つすべては、一つで同じです。
22:30 K: 私は、そこへ来ようとしています。 私は、そこへ来ようとしています。 すなわち、経験、知識、 記憶、考えること、 それは、ものすごく 急速な動きです。 ですね?  それは、一つの単位です。 分離した溜まりではありません。 それは、一つの 統合された動きです。 ですね?  で、考えることは、記憶に 基づいています - それは過去です。 ですね? で、考えることは、けっして 新しくありえません。 ですね?
23:35 質問者: 新しい発明、考案は、 あります。
23:42 K: 発明、考案。いえ、ちょっと 待ってください。私は・・・ 待って。 逸れないでください。私たちは 今すぐ、その問いに答えるでしょう。 が、初めに、あなたに何が 起きつつあるかを、見てください。 新しいものを発明している 人物に、ではない。 私たちは、それに 入るでしょう。 あなたが、この質問をするとき、 何が起きつつありますか。 どうぞ、それをあなた自身に、適用 してください - 発明者に、ではない。 で、私たちは、 この事実が見えますか - 考えることの本性と構造。 ビルディングのように、構造です。 考えることの構造は、 記憶としての過去の動きです。 で、記憶、思考と 考えることは、 どの状況の下でも、けっして、 新しくありえません。 なぜなら、それは、 記憶の応答であるからです - 知識として蓄えられた 過去の経験の、です。 で、思考は、過去から 来つつあります。
24:59 はい?
25:00 質問者: この考えること、 この思考や、この知識とそれら、 それは、新しい思考の中に、 まとまりえますか - 新しい悟り、 何かの極致に、です。
25:10 K: 思考は、何も新しいものを けっして、悟られません。 なぜなら、それは、記憶、 古いものの応答であるからです。 思考が止まるときだけ、 新しいものは、ありえます。
25:30 質問者: 新しいなら、 それは思考ではない?
25:38 K: いえ、どうぞ、 私は・・・ まず第一に、これを 明らかにしましょう。 私たちが何をしているかを、見て ください - 私たちの社会的、道徳的、 政治的、宗教的な構造全体が、 この思考の動きに、基づいています。 私たちの神々すべて、私たちの教会 すべて、私たちの儀式すべて、 私たちの救い主すべて、あらゆる ものが、思考に基づいています。 ですね?  しかし、あなたが 「はい」と言うなら、 あなたが言っていることの 危険を、見てください。 新しいものを見つけたいとの衝動が、 あるなら - 全然新しいものを、です - 思考は全的に、終わりに ならなければなりません。 それは、思考に基づいている あらゆる物事を、 あなたは放棄しなければ ならない、という意味です。 あなたは、 そうしようとしません。
27:02 質問者: あらゆる物事を 放棄することは、可能ですか。
27:10 K: これは、可能ですか。 そのご婦人は、 お訊きになります - これは、可能ですか。 思考を終わらせることは、と。 質問者: 思考はそれを終わらされません。
27:25 K: すみません。私には聞こえません。
27:35 質問者: あなたは、その質問を するなら、あなた自身を塞ぎます。 あなたは、どちらかで答えるなら、 あなた自身を、塞ぎます。
27:39 K: で、自分自身を塞ぐことなく、 見出しましょう。 私たちの、互いとの関係は、 - 男、女、夫と妻、 彼氏と彼女、などですが - どうぞ、聞いてください。その関係は、 思考に基づいていませんか。
28:20 質問者: 思考を結合する能力は、 何ですか - それが考えることです。
28:24 K: 思考を伝える能力は、 何ですか。
28:28 質問者: いいえ。 結合する。 イメージを結合して、考えにする。 その能力は、何ですか。 K: その能力は、何ですか・・・
28:33 質問者: 結合する能力は?
28:38 K: ああ、様々なイメージを 結合する能力は?
28:41 質問者: そのとおりです。 それは、思考ですか。
28:44 K: 気をつけて、お聞きください。 それにもっと付け加えないでください。
28:46 その能力は、何ですか。私は、 あなたを止めようとしておりません。 結合し、付け加える能力は、 何ですか - 様々なイメージをまとめる 能力は?  ですね? あなたは、それは何だと 思いますか - その能力は。 私は、国のイメージを持っています。 私は 自分の妻のイメージを、持っています。 私が信じているなら、私は、自分の 神のイメージを、持っています。 私は、自分の上司の イメージを、持っています。 ですね?  さて、結合するのは、互いとの 関係をもたらすのは、何ですか。 それは、思考自体ではないですか。
29:51 質問者: はい。
29:54 K: ちょっとお待ちください。私たちは それに、違ったように入るでしょう。 あなたは、一分間で それが、見えるでしょう。 私たちは、互いに 二分間で、見えるでしょう。 私は訊ねています - 人間たちの間の関係は、何ですか。 その関係は、何に基づいていますか。
30:13 質問者: 感じることに、です。
30:18 K: 感じることに。 思考なしに、感じることが ありますか。 
30:26 質問者: はい。
30:30 K: そうね、みなさんは、 こうも素早い! もしもあなたが、感じを認識しなかった なら、感じが、あるのでしょうか。 すなわち、自分は嫉妬しています。 それは、感じです。 ですね?  ですね? もしもあなたが、それを 認識しなかったなら、 すなわち、「嫉妬」という言葉は、 記憶の中に、蓄えられていて、 特定の感じを、 表現しています。 あなたが、その言葉「嫉妬」を 使うとき、それは認識されます。 さもないと・ ・・ それは感じです。 で、思考なしに、 感じは、ないのです。 どうぞ、私は 入りたくありません・ ・・ これは、きわめて複雑なことです。 私は願いますが・・・ 私たちはそれに、今すぐ入るでしょう。 私はあなたに訊ねています - まず第一に、 人間たちの関係は、 何ですか。 それは、何に基づいていますか - 夫、妻、彼氏、彼女など、ですが。 それは、何に 基づいていますか。
31:56 質問者: 関係には、思考と同じく、 直接的な知覚が、ありえませんか。
32:10 K: 関係には、思考と同じく、 直接的な知覚が、ありえますか。 私たちは、見出そうとしています。 私は訊ねています。 私たちは互いに訊ねています - 私たちの 関係は、何に基づいていますか。
32:26 質問者: 痛みと楽しみです。
32:28 質問者: 関係は、 思考に基づいています。
32:36 K: あなたが、自分の関係は 思考に基づいていると、言うとき、 あなたは、それの含意が 何であるかを、知っていますか。 質問者: 何も関係がありません。
32:44 K: いいえ。それは、こうも・・・
32:47 あなたはそれを、自分の妻に 言えますか - 「何も関係はない」と。 または、あなたの彼女に、「ああ、 それはすべて思考だけだ」と。 どうぞ、それに入ってください。 ともに、です。それに入りましょう。 私たちは、訊ねています - この関係は、何に基づいていますか。 質問者: 痛みと楽しみです。
33:30 K: 神様!
33:34 質問者: 愛に基づいています。 K: 愛に基づいています。
33:39 そうですか。
33:43 それが、愛に基づいているなら、 嫉妬は、ありえません。ですね? 執着は、ありえません。 ですね? 所有欲は、支配は ありえません。 私に所属している、他の人に 所属しているとの感覚は、ありません。 で、あなたが許してくださるなら、 私たちは、その言葉に入るでしょう。 それは、きわめて複雑な事柄です。 で、きわめて単純に始めましょう。 私たちは、自分たちの関係が愛に 基づいていると、考えたいのです - 善、優しさ、 慈しみ、気づかい、 愛と、その他すべてに、ですが、 それは、そうではありません。 質問者: 恐れに基づいている?
34:53 K: それは事実です。
34:55 そうでしょう。 事実を見つめましょう。 で、私たちは、訊ねています。 それは、何に基づいていますか。
35:07 質問者: 恐れですか。
35:10 K: それは、恐れに基づいていますか。 質問者: 相互の利用ですか。
35:12 K: 私は存じません。みなさんが、それに 関与しています。私はそうではありません。
35:14 質問者: 他の一人の人物への あなたの欲望に、基づいています。
35:23 質問者: それは、必要に 基づいています。
35:28 K: 私たちは見ません。どうぞ、 あなたの妻を見つめて、
35:29 彼女とのあなたの関係が 何であるかを、見出してください - 言葉を放り出すだけの代わりに、 です。 または、あなたの彼女を、です。 見出し、それを 見つめてください! 質問者: 知識、です。 
35:45 質問者: それは、必要に基づいています。
35:47 私たちが、自分たちの社会で 育てられているさまに、です。
35:55 K: 私に? 何? 必要に。 それは、何ですか。 私はあなたが必要です - 何のため ですか。慰め、セックス・・・
36:07 質問者: 安全。
36:09 K: 依存ですか。 質問者: 洗濯物です。
36:12 K: あなたは、 これに入りません。
36:15 あなたは、これに入ることに、 怯えていますか。 質問者: はい。
36:21 K: はい、そうです。
36:23 質問者: それは、私たちの過去の 条件づけに、基づいています。
36:25 K: おやまあ!
36:28 質問者: こう思われます・・・ 私は本当に知りませんが、
36:31 私の経験からは、関与した力が あるように、思われます。 二人の人々が、います。 彼らは二人です。 彼らは、対極です。 彼らは、男性と女性です。 または単純に、彼らは二人です。 あなたがいるし、私がいる。 この力は、その条件を解消 しているように、思われます。 それは、彼らが二人である ことだと、思われます。 そして、この深い欲望、 この深い必要が、あります。 すなわち、この力は、解消して、二人を 一つにするのを、求めている、と。
37:04 K: 私が、大変尊敬を込めて 指摘してよろしいなら、 私は、自分が尊敬を込めて指摘するのか どうか、本当に確かではありませんが、 それは構いません。 私は、 指摘してもいいですか - すなわち、私たちはみんな、こうも 観念、結論に満ちているのです - 私たちがほしいものに、です。 私たちは 「あるもの」を検討しません。 私が結婚していて、私が妻を持って いるか、彼女を持っているなら、 彼女への私の関係は、何ですか。 それは、何に基づいていますか。 魅力、物理的な感受、 セックス、 そして、思考の動き - この すべてを支配するものです。 いいえ? あなたが、そうしてこなかったのが、 分かります。それを見つめましょう。
38:13 あなたは、結婚しています。自分は 結婚しているか、彼女を持っています。 即座に、 何が起きますか。 それを見つめてください。 どうぞ、見つめてください。 あなたは、結婚しています。 あなたは、彼女を持っています。 何が起きますか。 それを見つめてください。 あなたは、彼女のイメージを 持っています。 そうでしょう。 彼女は、あなたのイメージを持って います。 持っていませんか。いいえ? はい、そうですか?
38:57 質問者: はい。
38:58 K: さて、それから 出発してください。 あなたは、彼女について イメージを持っているし、 彼女は、あなたについて イメージを持っています。 このイメージは、どうして 生じてきますか。
39:13 質問者: それは、記憶の過程により、 生じてきます - すなわち、思考の、です。
39:17 K: で、あなたは、このイメージを築くのは 記憶に基づいていると、言っています。 あなたは昨日、何かひどいことを、 言いました。 あなたは、私に無礼でした。 あなたは、私を侮辱しました。 あなたは、私を馬鹿と呼びました。 登録されて、記憶。 そして、イメージを築く。 ですね? いいえ?
39:44 質問者: あなたが毎回、その人物に会う たびに、関係は、新鮮でありえませんか - あなたが、イメージを 持っていないなら、です。
39:52 K: が、それは 観念、結論です。 初めに、「あるもの」で 始めてください。
40:03 質問者: 私たちは、明らかに見ますが、 私たちは、知的に見ます。 すなわち、あなたが 仰っていることすべてを、です。 すなわち、私たちの関係すべては、記憶、 「あるべきもの」に、基づいています。 私たちは、自分に 必要だと考えるから、 私たちには、必要です。 それより 他の必要は、ありません。 私たちはこれを、すべて言語的に見ます。 それは、私たちの心に、ありません。 それは、どうやって そこに届きますか。
40:21 K: 私たちの心において、ね。 私たちの心において、関係を持つこと - それは、慈しみ、気づかいを 意味しています。 よろしいですか。 そのすべてが、そこに関与しています。 私たちは、それを捉えましたか。 見たところ、あなたは、率直に これを見つめられません。 自分は、他の一人について、 イメージを持っています - それが、妻でも、この国の 大統領や、教皇であっても、 あなたたちは、互いについてイメージを 持っています。 それは、事実です。 以前の記憶、 以前の出来事に基づいて、 記憶の中に 蓄えられています。 そして、記憶は、イメージ作りです。 記憶は、イメージ、言葉です。 41:25 ですね? それは単純です。 で、私の、 妻や彼女への関係は、 私が持っているイメージに、 基づいています - 出来事をとおして、 集まってきたものに、です。 セックス、楽しみ、この楽しみ、 セックスの記憶、それら、です。 そのとき、彼女への依存が、 あります。 ですね? 執着、所有欲 - そのすべてが、 記憶とイメージとしての時を とおして、築き上げられます。 これは、事実です。 いいえ? いいえ?
42:17 質問者: はい。
42:19 K: 反論してください。議論し、 それを崩してください。 私が間違っているなら、私が 間違っている。 見出しましょう。 質問者: それは、事実です。
42:26 質問者: それは、真実です。
42:27 K: そうです。 すると・・・
42:28 そのときあなたの関係は、これら 二つのイメージの間に、あります。 それの含意を 見てください。 記憶、関係 - 二人の人々、夫、 妻、彼氏とそれらの間のは、 これら二つのイメージ の間に、あります。 それは、時をとおして、 思考が築いてきました。 それは、一日なのか、一秒なのかもしれ ません。 それはすでに、そこにあります。 あなたが私に、何か すてきなことを、言うとき、 それは、すでに 記憶の中に、あります。 または、あなたが私を侮辱するとき、 それはすでに、そこにあります。 で、二つのイメージの間に、関係が あるとき、それは関係ですか。 質問者: いいえ。
43:26 K: いいえ。いいです。
43:28 そうでないなら、私たちは、 何について話していますか。 質問者: 一つであること。
43:33 質問者: 幻影。
43:35 質問者: あなたがそれを言うその秒に、それは 愛ではありえない、ということですか。
43:37 あなたがそれを言ってきたなら、それは 思考です。それは、愛ではありません。
43:45 K: 私はまだ、それに 入っていません。 私は、二つのイメージの間の関係と、言い ました - 思考により組み立てられていて、 そこに、私たちは捕らわれて います。 ですね? ゆえに、常なる戦い、 男と女の間の格闘 - 彼女と彼氏、それが何であっても、 です。 夫、妻 - 常なる葛藤です。 離婚と、その他すべてに 終わってしまいます。 いいですね? 事実です。 さて、そこから 動きましょう。 私は、事実に向き合います。 私は、自分自身を欺瞞しません。 私は、こう言いません - 「それは愛だ。 それはロマンスだ。 それは、麗しい感情だ」と。 それを すべて、洗い流してください。 事実は、こうです - それは、このイメージ作りに 基づいています。 ですね? さて、私の次の問いは、こうです - このイメージ作りは、止まりえますか。 理解されますか。
45:08 質問者: イメージ作りがあって、それに 捕らわれないことが、ありえますか。
45:27 K: 私は質問を 理解できません。
45:32 質問者: あなたは、ケーキを持っていて、 なおかつ、それを食べられますか。
45:34 K: イメージ作りがありながらも、それに 捕らわれないことは、ありえますか。
45:38 質問者: 頭脳は、イメージに捕らわれる ことなく、それらを製造できますか。
45:48 あなたは、問いが見えておられ ません。見えておられませんよ。 あなたは、問いの初めの部分を、 理解していません。 考えるとは、何ですか。 考えることは、記憶、経験、 知識であると、私は言いました - 頭脳に蓄えられた 記憶です。 それは、一つの動きです。 分離した動きではありません。 それは、一つの動きです - それが、 考えることの過程全体です。 この考えることは、関係において これらのイメージを、築いてきました - 私とあなた、我らと彼ら、 共産主義者、社会主義者、 そして、 残りの世界すべて、です。 46:33 で、私は自分自身に、 訊ねています。私は見ます - これら二つのイメージが、 あるとき、 あなたは、彼女について持っているし、 彼女は、あなたについて持っている。 私はここに、ものすごい危険を、 見ます。 よろしいですか。 あなたは、ここに、 大きな危険が、見えますか。 関係に、 すべての関係に、 それが、隣人とでも、 一万マイル離れた隣人でも、です。 あなたは、これら二つの イメージがあるとき、 何が起きるのかを、 実際に見ますか。
47:15 質問者: 私たちは、 今に生きません。
47:19 K: それは、今に生きることの問い ではありません。それは、事実です。 私たちは、事実より 離れてゆきます。
47:27 質問者: もしも、イメージなく関係 していたなら、私たちは関係を・・・
47:29 K: で、あなたは 自分自身に、訊ねています - これら二つのイメージが、 存在するかぎり、 葛藤が、あるに ちがいないのです。 ですね? そして、次の問いは、 こうです - 私は、人間関係における 葛藤の危険を、見ます。 なぜなら、葛藤があるとき、 愛がないからです - 明白です。 で、私たちは、訊ねています - この イメージ作りは、止まりえますか。
48:24 質問者: 誰が、問いに 答えようとしていますか。
48:32 K: 誰が、問いに 答えようとしていますか。 私たちの双方が、 ともにです。 私が、問いを 出してきました。 すなわち、 イメージ作りと、私たちが関係に おいて持っているイメージですが、 私たちは、そのイメージ作りは 止まりえますか、と言います。 誰が、それを止めることに なるか、ではない。 どうぞ、これを 理解してください。 誰がそれを止めることに なるか、ではない。 もしあなたが、「私はそれを 止めよう」と言うなら、 「私」は、思考の産物です。 ですね? で、思考が、イメージを 創り出してきたし、 思考は、「私はそれを 破ろう」と言います。 なぜなら、それは、別のイメージを 創り出すだろうからです。 ですね? で、何が、イメージ作りに 終わりを、もたらすのでしょうか。
49:43 質問者: 常なる無思考の ヨーガ統合です。
49:55 K: ヨーガ? 神様、何ともはや。 「ヨーガ」という言葉 - 私はそれに 入らないでしょう。 すみません。 それは、散漫です。 私たちが、何かきわめて真剣、深刻な ことについて、話しているとき、 ヨーガについて話すことは、 何の意味もありません。 あなたが、ヨーガについて議論したい なら、私たちはそれに、入るでしょうが、 あなたたちが、そこに葛藤がある関係に ついて議論しているとき、ではない。 葛藤を ご存じないですか - あなたと妻の間で、 夜も昼も、です。 そして、思考が もたらしてきた、その分割、 それは、 終わりえますか。
50:56 質問者: 思考が 終わるとき、です。
51:01 K: いいえ。いいえ、それは 終わりえますか - イメージ作りは?
51:07 質問者: 私たちが、思考の使用を 消去するなら、です。
51:13 質問者: 現在の瞬間に、 注意深い。
51:16 K: はい、現在の瞬間。すなわち、 現在に生きること。よろしいですか。 さて、現在に生きることは可能ですか。 それは、どういう意味ですか。
51:29 質問者: あなたの注意を、 現在に向ける。
51:31 K: いいえ。それは、どういう 意味ですか - 現在に生きるとは? 理論的に、ではなく、 実際に、です。 実際に、日々、あなたが 自分のオフィスに、 自分の家に、いるとき、 あなたが、誰かと眠っているとき、 現在に生きる。 それは、 どういう意味ですか。 質問者: イメージを持たない。
51:46 K: それは、理論です!
51:51 質問者: 私たちは、知りません。なぜ なら、私たちはそうしないからです。
51:53 K: 現在に生きるとは、どういう 意味かを、あなたは本当に知りません
51:55 - それは、時なく 生きることです。 私は、それらに 入らないでしょう。 またもや、私たちは 散漫にしています。 で、私は 訊ねています・・・
52:13 質問者: 私たちはどうすれば、現在 以外のどこかに、生きられますか。 私たちはどうして、現在以外の どこかに、生きられますか。
52:28 K: 私たちはどうして、現在以外の どこかに、生きられますか。 「現在」という言葉、 実際の秒、現在は・ ・・ そうね、私はあなたに語られますが、 私たちが、これについて議論しているとき、 それは、 何の意味もありません。 で、イメージを作る者 - それは思考です - そして、イメージを築くことは、 終わりえますか。
53:10 質問者: もし私たちが、精神を 鎮めるなら、それを終わらされます。
53:13 K: もし私たちが、精神を鎮めるなら、 それを終わらされます。 さて、それは仮説だけです - 「もし」、 「私は、雨が降ってほしいと思う」。 それは、降りません。 どうぞ、後生ですから。 私たちが話していることに、拘って ください - 理論ではなく、 条件つきの応答ではない。 それは、 「もし」、「~のとき」、それらです。 事実は、こうです。 あなたが、聞くだろうとしても、 私たちはともに、これに入るでしょうが、 あなたは、こうも 観念に、満ちています。
53:55 私は、ものすごい危険を 見ます。 私は、「危険」という言葉を、その 十分な意義において、使っています。 関係における危険 - 彼女についてと、 彼について、イメージを持つこと、 なぜなら、それは生に、大きな 葛藤を、もたらすからです。 ですね?  そこには 暴力が、あります。 葛藤は、暴力を 意味しています。 そこには、気づかいが、 ありません。 あなたは、「ダーリン、 あなたは、何と美しいのか。 ここに指輪があるよ」と 言うかもしれませんが、 葛藤は進んでいます。 次の分に、です。 で、あなたは、このイメージ作りが 終わりうるのかどうかを、 見出さなくてはいけません - 努力をとおして、ではない。 なぜなら、あなたが努力をするなら、それは またもや、葛藤の一部であるからです。 54:52 欲望をとおして、ではない。 褒賞をとおして、 「私はこれをするなら、私はあれを 得るだろう」と言うのではない。 で、私は、何を することになりますか。 その問いを、あなた自身に してください。 あなたは、これら二つのイメージを持って いるとき、何をすることになりますか - あなたが、 他の一人の人間と 親密にか、親密にでないか、 生きていて、 あなたが、これらのイメージを持ち、 ゆえに、葛藤を持っているとき、です。 あなたは、何を することになりますか。
55:28 質問者: イメージなしに、 それを始めます。 関係は、イメージでもって、 始まりました。
55:40 K: それは、イメージなしで 始まります。 あれは、それと何の 関わりが、ありますか。
55:46 質問者: 私たちは毎日、新たに 始めなくてはいけません。
55:50 質問者: 彼は、あなたの本より読んで きました。それは、とても良く聞こえます。
55:53 K: それもまた、理論だけです - 毎日、新たに始める、と。
55:57 質問者: イメージなしに。 K: イメージなしに。
56:00 質問者: 完全で全的で絶対的な 内の静寂の経験が、
56:02 イメージなしの経験です。 K: 絶対的な、全的な静寂。
56:12 質問者: 内的な静寂。
56:14 K: 内的な静寂。あなたは、それを持って いますか。 質問者: はい、持っています。
56:16 K: ああ、それなら、問題は 済んでしまいました。
56:18 そうね、あなたたち みなさんは、行きませんね・・・
56:19 質問者: 一日二十四時間 ではないが・・・
56:27 K: 二十四時間ではなく、 時折です。
56:29 残りの時は、戦いです。
56:41 K: どうぞ、聞いて くださるでしょうか。 私は本当に、これを 終わらせたいと思います。 このイメージ作り - 私は、 そこに、ものすごい危険を見ます。 で、私は、自分自身に訊ねます - これは、終わりえますか。 なぜなら、その危険は、他の 何より、重要であるからです。 そうね、断崖絶壁のように、です。 それの危険を見るとき、 あなたは、それより 動いて離れます。 あなたは、ガラガラヘビを見るとき、 それより動いて、離れます。
57:20 質問者: (聞き取れない) K: ウン・ モメント、ペル・ファヴォーレ
57:22 (ちょっとお待ちください)。 ただお聞きください。 で、私は見ます・ ・・自分は それの危険が、見えます。 すなわち、思考はなぜ、これらの イメージを、創り出しますか。 どうぞ、即時にそれに 答えないでください。
57:49 質問者: 欲望ですか。
57:53 K: あなたが答える前に、 それに、少し入ってください。 それに、少し 入ってください。 すなわち、私は訊ねています - なぜ思考は、 すなわち、私の妻は、昨日 何かを、私に言いました。 私にがみがみを言いました。 私を いじめました。私とともに幸せでした。 私に、幾らか慰めを与えてくれました - そのとき私は・ ・・等々と。 それが、イメージを築いて きました。 そのイメージ - 私は、そのイメージに沿って生きます し、彼女もまた、そうします。 私は、自分自身に言います - なぜ思考は、こうするのですか。 質問者: (聞き取れない)
58:38 K: まだそれに答えないでください。
58:41 どうぞ、それへ入るのに、 二分間を掛けてください。 あなたは、それについて観念を持って いないとき、それに入られるだけです - あなたが、「これはそのとおりだ。 あれはそのとおりだな」と言って、 言葉に飛びつかない ときだけです。 で、あなたは、なぜ思考がこうする のかを、見出さなくてはいけません。
59:13 質問者: こう 思われるのですが・・・
59:19 K: 思考が、そうします - 私は 継続しなくてはいけないでしょう。 なぜなら、あなたは・ ・・ 思考が、そうします。 なぜなら、それは、イメージに 安全を、見つけるからです。 私の妻 - イメージ。 そこで、私は安全です。 ちょっとお待ちください。 ただそれを聞いてください。 私の国。 ですね? 安全。 私の集団 - 安全。 集団とは、私が集団について 創り出してきたイメージです。 私が民族について、 創り出してきたイメージ、 私が、宗教的教義の刷り込みをとおして、 私が創り出してきたイメージ、 イメージ - キリストでも、 ヒンドゥーの神々でも、 その事柄の めちゃくちゃすべて、です。 1:00:15 それで、思考が、これらの イメージを、創り出します。 なぜなら、それは、そこに 安全を、見つけるからです。 ですね?  その安全が、 神経症にあるのでも - 神経症的な信念、神経症的か、 何か美しい空想的なイメージでも、 それはやはり、 同じです。 で、思考は、安全を見つけます。 それは、安全をほしがります。 なぜですか。
1:01:02 質問者: 私には、思考はそれ自体を 維持したいように、思われます。
1:01:05 K: はい。進んでください。 もう少し進んでください。
1:01:10 そこで止まらないでください。 質問者: それが始める・・・
1:01:11 K: いいえ。あなたは、 何かを仰いました。 究明し、それとともに 動いてください。
1:01:19 質問者: 私には、思考は 非恒常的であると、思われます。 ゆえに、それは 探し求めて・・・
1:01:24 K: ご自分が仰っている ことは、確かですか。 それについて 理論化しないでください。 いえ。 あなたが事実より 語っているのでなければ、 他のあらゆることが、 無意味です。
1:01:40 質問者: 思考はいつも、安全、 安心、確実性を、探し出す。
1:01:46 K: それは、何ですか。 確実である、安全である。 それらは、それが、完全な侵犯不可能な 安全を、要求する、という意味です。 ちょっと待って。 なぜですか。 なぜ思考は、これを 要求しますか。 私の妻 - よろしいですか。 私は、彼女を所有する。 彼女は、 私のだ。彼女は・・・等々々。 そこには、大きな確実性、 大きな安全が、あります。 私は自分自身を、彼女に 同一視してきました。 彼女は、私がほしいものを、 充足してきました。 そして彼女も、同じことをします。 それは、相互の作用し合う利用です。 醜い言葉を使って、すみませんが、 それは、事実です。 1:02:51 で、私は自分自身に言います - 思考が安全を探し求めるなら、 イメージに、 安全がありますか。 理解されますか。 私は、自分の妻に、安全を 探し求めました - 妻や彼女に、です。 そして私は、彼女について、 イメージを築いてきました。 そのイメージに、安全が あります - 私にとって、です。 が、それはイメージです - 理解されますか - それは言葉です。 それは記憶です。 それは、こうも脆いものですが、 けれども、私は それに取りすがります。
1:03:37 質問者: 私の思考は、 時の経過に、気づいています。 私は、それが終わろうと しているのを、恐れています。 で、私は、自分が創り出すイメージに、 恒常性を探し求めます。
1:03:47 K: あなたは何にも、恒常性を 探し求めます。ですね? で、私は訊ねています - なぜ 思考は、それを探し求めますか。
1:04:01 質問者: (聞き取れない)
1:04:03 K: それを 覗きみてください。 私は探し求めます - どうぞ、 お聞きになってください。 私は、伝統的な象徴に、 十字架に、安全を探し求めます。 私は、そこに 安全を探し求めます。 あの十字架、 構造全体、本性と、 その裏に潜んでいるすべて - 儀式、教義、それら、です。 私はそこに、安全を 見つけます - なぜですか。 そして私は、論理的に、知っています - 私がそもそも気づいているなら、です。 論理的に、それは、 思考の産物である、と。 ですね? けれども、思考は、それに 縋りつきます。なぜですか。
1:04:47 質問者: 恐れている・・・
1:04:55 K: それは、私たちの 条件づけの一部ですか。 私たちが子ども時代から、 その象徴を信ずるよう、 条件づけられていることの一部 - ラーマ、 クリシュナ、キリスト、そうね・ ・・ なぜですか。 思考がそこに、安全を見つけるが、 思考がそれを覗きみて、 「神様、安全がない。 それは観念 だけだ!」と言うなら、ですね? それは、思考が 組み立ててきたのです。 で、思考が、イメージに 縋りつくとき、 それは、まさしく 神経症の本質です。 ですね?  私は、それが危険 であるのを、知っています。 けれども、私は、それに 縋りつきます。 あなたは、これの不条理を、 ご覧になりますか。
1:06:00 質問者: 私たちは、そのとき、 恐れに入りつつあります。
1:06:04 K: で、あなたは実際に・・・ いえ、ちょっと待って。 あなたは実際に、 それの不条理が、見えますか。 質問者: はい、私は見えます。
1:06:11 K: すると、それが終わりです。
1:06:13 質問者: はい、はい。 K: いえ。すると、 あなたはイメージを創り出しません。
1:06:14 待って、待って。すなわち、 妻は、私を馬鹿と呼びます。
1:06:16 私は、イメージを形成することなく、 彼女に、聞くのでしょうか。 または、古い伝統、習慣、条件づけ、 応答が、「はい」と言います。 イメージ作りです。 よろしいですか。 彼女が私を馬鹿と呼ぶとき、イメージ 作りが、ない。 それは、可能ですか。 または、彼女が、私にへつらうとき - それは、同じことです。 硬貨の裏側です。 さて、どうやって・ ・・あなたが聞く であろうなら、私は、お示ししましょう。 私たちは、それに入りましょうか。
1:07:13 質問者: はい。
1:07:14 K: すなわち、妻は、 私を馬鹿と呼びます。 私が、何か彼女が好きでない ことを言った、やった、 その他すべてだから、 私を馬鹿と呼びます。 思考は、条件づけられています。 で、即時の応答は、イメージです。 ですね?  「私は馬鹿ではない。 私は・・・」と。 イメージがあります。 さて、私は、彼女に 聞けますか。 どうぞ、見出してください。 私は あなたに、何かを語ろうとしています。 私は、応答なく、 彼女に聞けますか。 理解されますか。 無頓着ではない。 私は彼女に聞けますか - 彼女が「ダーリン、 あなたはすてきだわ」と言うとき、です。 それは、別のイメージです。 ですね? 1:08:15 私は、彼女に聞けますか - 彼女が私を、馬鹿と呼ぶとき、 彼女が私に、「あなたは すばらしい」と言うとき、 どちらも、です。 理解されますか。 それを蓄えることなく、 それを登録することなく、聞く。 質問を理解されますか。 理解されますか。 これは、とても重要です。 どうぞ、 これを、少し捉えてください。 すなわち・・・あなたは、 これらに入りたいですか。
1:08:43 質問者: はい。
1:08:48 K: 頭脳の機能は、 登録することです。 ですね? それは、登録しています。 それは、条件づけられているので、 それは即時に登録します - 「馬鹿」と。 または、あなたは言います - 「あなたは、何とすばらしい人物だ」と。 それは、登録されます。 さて、登録するのを止める。 質問を理解されますか。 彼女が私を、馬鹿と 呼ぶとき、登録しない。 または、彼女が私を、すばらしいと 呼ぶとき、登録しない。 それは、私が無頓着に、きつく、冷淡に なることを、意味していません。 で、私はそれを、できるだけです。 - どうぞ、聞いてください - 私は、登録しないことが、できます - 彼女の言うことへ、私が、 完全な注意を向けるときだけ、 それは、可能です。 1:09:54 彼女が私をそう呼ぶとき - どうぞ聞いてください - 彼女が私を、馬鹿とか、 すばらしい人物と、呼ぶとき、 私が、完全な注意を払うとき、 何も登録することが、ありません。 なぜですか。 質問を 理解されますか。 どうぞ、そうしてください。 そこに 座っていながら、今そうしてください。 すなわち、あなたは、自分の妻や彼女に ついて、イメージを持っています。 または、自分の彼氏に、です。 やれまあ、この彼氏と彼女は。 私は、これに 飽きつつあります。 私たちは、死ぬまで、 この問いを、つづけていきます。 彼氏、彼女、よろしいですか。 女、男。ああ! それは、こうも ばかげています! 私は指摘しています - イメージ作りが、思考の過程です。 1:10:59 思考が、このイメージを作ってきました。 ゆえにそこに、葛藤があります。 私は、葛藤に ものすごい危険が、見えます。 インドとパキスタンとの間でも、 ロシアとの間でも - よろしいですか。 ものすごい危険です。 なぜなら、 彼らは、殺し合うからです。 で、私は訊ねます - その イメージ作りは、止まりえますか。 それはできます・ ・・なぜ思考は、 これらのイメージを、もたらしますか。 それは、これらのイメージに 安全を、見つけます。 ですね? 安全、安心を、です。 けれども、思考は、それがどんなに 不条理であるかを、知っています。 ゆえに、思考は、何か 非理性的なことに、縋りつくとき、 それは神経症的です。
1:11:56 で、私は、言っています、 訊ねています - 精神は・ ・・頭脳は、こうも 条件づけられているので、 それは、手放して、「私はしないだろうな ・ ・・終了だ」とは、言えません。 で、私は言っています - 妻が 「あなたは馬鹿だ」と、言うとき、 または、男が、夫が言うか、彼氏が 言うか、彼女が言うとき、登録しない。 ただそれを見てください。 「それは可能である。 それは可能でない」と言わずに、 見出してください。 なぜなら、あなたが、それは 可能であると、言うなら、 あなたはすでに、逸れて しまっているからです。 または、あなたが、それは可能でないと 言うなら、あなたは自分自身を塞いだのです。 で、それは可能ですか。 それはできますか。 私たちは、究明しようと しています。
1:12:58 なぜ頭脳は、「馬鹿」を 登録しますか。 「馬鹿」という言葉と、「美しい」、 「すばらしい」という言葉、 「あなたは、すてきな人です」と。 なぜですか。 一つは、侮辱です。 一つは、へつらいです。 なぜなら、「馬鹿」という言葉は、 大変多くの意義を、持っているからです。 ですね?  その言葉自体が、 侮辱的な言葉です。 私は、私自身について イメージを持っています。 そのイメージは、私が馬鹿である との観念を、拒絶します。 理解されますか。 私は、自分の妻、夫、彼女について イメージを、持っているだけではない。 または、 何であっても、ですが、 私はまた、私自身についても、イメージを 持っています。よろしいですか。 1:13:53 で、あなたが私を、「馬鹿」と呼ぶ とき、そのイメージが、傷つきます。 ですね? で、それは、すべてのイメージ作りを 終わらせることは、可能ですか - 他の人とともに、 私自身について、です。 すべてのイメージを、全的に 終わらせることは、です。 「いいえ」、「はい」を 言わないでください。 で、イメージ作りが起きてくるところ の 運動、エネルギーは、何ですか。 私が話していることを、 理解されますか。 いいえ。私の話は、明らかにされ つつありません。そうしましょう。
1:14:56 始めましょう。「私」と しての中心が、あるかぎり - 私のイメージとともに、です。 ですね? それが中心です - そのイメージは、いつも傷つくか、 へつらわれるでしょう。 ですね? で、中心があるかぎり、登録 しないことは、不可能です。 お分かりになりますか。 あなたは、あなた自身について イメージを、持っていませんか。 あなたが、本当に正直であり、 あなた自身を見つめるなら、 あなたは、自分自身について イメージを、持っていませんか。 すなわち、あなたはこれである、と。 あなたはかなり醜い、と。 あなたは、さほど利巧でない。 私は、 あなたがもっと美しかったらと願う、と。 そうね、さほど利発でない。 さほど智恵がない。さほど・・・ あなたは、あなた自身について イメージを、持っています。 1:15:59 で、そのイメージは、あなたの 存在の中心です - ですね? そのイメージが、そこにあるかぎり、 それは、登録するにちがいありません。 それは - 登録することは、 分割を、意味しています。 葛藤、暴力、 その他すべてを、です。 あなたが、関係の構造全体を見る とき - それの全体を、です - そのとき中心は、非重要になります。 これらに付いてきておられますか。 中心は、何の価値をも 持ちません。 ゆえに、まったく 登録が、ありません。 私は・ ・・語り手は、語っています - 自分にとっての事実を、です。 観念だけではありません。 1:16:55 なぜなら、私は、これを 生きぬいてきたからです。 K、この人物は、これを 生きぬいてきました。 私は、侮辱され、傷つき、残忍に され、蹴り回されてきました。 「ああ、すばらしい。 あなたは、 偉大な教師です」と 呼ばれてきました。 あらゆることです。 登録が、ありません。 なぜなら、中心が、ないからです。 理解されますか。 ゆえに、葛藤がない。 これを 捉えられましたか。
1:17:29 で、私たちは、訊ねる ことで、始めました - 思考とは何ですか。 そして、経験 するとは、何ですか、と。ですね? 何を経験する瞬間にも - それは、構いません - セックス、 あの麗しい枝を、または、 夕べの日の入りを、見つめる。 そして、朝早くの歓喜です。 経験することが、 実際にあるとき、 それは、その秒です。 そこには、思考がありません。 そのとき、思考がやってきて、「あれは、 何とすばらしかったのか」と言います。 それは、それを保ちます。それが、 「何とすばらしい」と言った瞬間、 1:18:24 それは、それを捕捉したのです。 ゆえに、それを反復したいのです。 よろしいですか。 で、あの 日の入りを、見つめるには - または、木の葉への朝の光を、 です。 それの経験と、 それを終わらせること - それを 持ち越していくのではない。 そのすべては、ものすごい 注意を、要求します。 そして、「私は注意しなければならない。 私は得なければならない」と言う 中心が、あるとき、注意は、可能 ではありません。 よろしいですか。 よろしいですか。 いいですか。 今、何時でしょうか。
1:19:09 質問者: 12時20分です。
1:19:10 K: ああ。
1:19:12 次の火曜日に、私たちは この対話のために、 ともに教育について、 話し合おうとしていると、思います。
1:19:33 質問者: そのご婦人は、 私に訊いてほしいと思います - イメージは、 傷の一部ですか。 イメージと傷は、 同じものですか。
1:19:46 K: イメージと傷ですか。
1:19:48 質問者: それらは、同じものですか。 K: もちろんです。
1:19:49 あなたが、イメージを 持った瞬間、 あなたは、へつらわれようとか、 負傷しようとか、しています。
1:19:57 よろしいです。
🢁