OJ77T2 - 葛藤の起源

公開講話 第2回
カリフォルニア、オーハイ
1977年4月3日
テキストのみのバージョン
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0:22
私たちは、昨日の朝、話していた ことを、つづけてもいいですか。
私たちは、安全と、安全の 重要性について、話していました
- 生理的な安全とともに、
心理的な安全を見つけたいとの 探求と要求と熱心さも、です
他の一人へ、観念へ 依存の安全
- 集団でもって、または、 民族でもって、です。
心理的な安全への そういう欲望は、
間違いなく、人々の間に、 分割を、もたらします。
私たちは昨日、よく気を つけて、それに入りました。
私がもう一度、それを通らなくても、 気にされないことを、望みます。
なぜなら、私は、幾つも、他の ことについて、話をしたいからです。
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1:53
あなたたちの ほとんどは、きっと、
余暇の重要性を理解される だろうと、私は思います。
なぜなら、あなたが学ぶのは、余暇を 持つときだけであるからです。
その言葉「余暇」 (レジャー)の意味は、
とても良い辞書によれば、
何も占有されないことを、 意味しています
- 私たちがともに、 話し合っている時に、です。
いつの時も 占有されているのではない
- 心理的に、物理的にか、 知的にか、
ただ、たくさんの余暇を持つ。
それで、自らは学べるのです。
それが本当に、(語源的に) 学校(スクール)の意味です。
そこで自らは、葛藤なく、 たやすく学べます -
あなたの精神が、こうも多くの他の問題 でもって占有されていないとき、です。
3:06
で、私が今朝、提案を していいなら
- そして、私たちがここで会う、 残りの他の朝の間にも、ですが -
あなたは、 占有されていないのです。
すなわち、あなたたちの精神は、 問題で満たされていないのです
- 心配事で、用事で、問題を解決 しようとすることでもって、です。
が、私たちは、ここにともにいるのです - 実際に余暇を持つように、です。
それで私たちが、 ともに色々と話し合うとき
- 私たちは、そう しようとしていますが -
その余暇は、 占有されていない、
おしゃべりしていない、 見つけ出そうとしていない精神です。
ただ余暇に富んでいて、それで、その 状態において、自らは学べるのです。
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4:14
二つの種類の学びが、 あります -
言われつつあることを 記憶するのか
- それが、私たちのほとんどが 学びと呼ぶものです。
あるいは、観察を とおして、学ぶ。
ゆえに、それを記憶として、 蓄えていない -
そのとき、記憶をとおして、 見ること、観察することですが。
私はそれを、 説明しようとしています。
私たちが言いましたように、 二種類の学びが、あります。
一つは、何かを 暗記することです。
それであなたは、それを 頭脳に蓄えておきます。
そして、その知識に沿って、 上手にか、下手にか行為します。
それが、私たちの ほとんどがすることです。
私たちが、学校、専門校、 大学へ行くとき、
私たちは、知識と呼ばれる、 情報を、大変多く蓄えます。
そして、その知識に応じて、 行為します。
自分自身にとってや社会にとって 有益に、上手にか、
または、単純に、直接的に 行為する能力が、ありません。
5:46
それが、一種類の学びです。私たちは みんな、それによく親しんでいます。
私たちは、 いつの時も、そうします。
あらゆる経験が、知識として 蓄えられます。
そして、それに応じて 行為し・
・・
その知識に応じて、 行為が起きます。
で、それは、きわめて 明らかです。
私たちのほとんどが、 そのとおりだと、私は期待します。
それから、もう一種類の 学びが、あります。
それはたぶん、あなたには、すっかり 慣習に、なっていないのです。
なぜなら、私たちは、こうも 習慣の、伝統の、
あらゆる形の順応の 奴隷であるからです。
私たちが言っていましたように、 他の種類の学びが、あります
- それは、 観察することです。
観察は、以前の知識の同伴なく、 見ることを、含意しています。
まるで初めてかのように、新鮮に、 何かを見つめること、です。
7:21
そして、あなたが、物事を 新鮮に観察するなら、
そのとき、記憶の養成は、 ありません。
なぜなら、あなたは 毎回、観察するからです。
その観察をとおして、あなたは学ぶ。
それを記憶として、蓄えておく。
そのとき、次回 あなたは観察するとき、
あなたは、記憶の様式を とおして、観察しています。
ゆえに、あなたは、何も新鮮な ものが、けっして見えません。
ですね?
理解されましたか。
どうですか・・・私は進むでしょう。 私たちは、それに入るでしょう。
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8:08
で、私たちが言っていましたように、 余暇は、とてつもなく重要です
- 常に占有されていない、 常におしゃべりしていない精神を、
持つことが、です。
なぜなら、学びの新しい 種子が、起きうるのは、
その占有されていない精神の 中だけであるからです -
それは、記憶とは、記憶の 養成とは、全然、違っています。
知識として蓄えておいて、その知識 より行為することからは、です。
私たちが言っていましたように、 もう一種類の学びが、あります
- それは、観察することです。
樹、空、山々、
山々の美しさ、 木の葉の中の光。
そして、その観察は、 記憶として蓄えられるなら、
次の観察が新鮮であるのを、 阻止するでしょう。
9:32
この点が分かりますか。 それは、全く単純です。
すなわち、あなたが、自分の妻や 彼女や彼氏を観察するなら、
あなたが観察するなら、
あなたは、以前の 出来事の記録、
その他すべてなしに、 観察できますか
- その特定の 関係において、です。
あなたが、相手の人を、 以前の知識なく
観察するか、見守るなら、
そのときあなたは、 はるかに多く学びます。
私が話していることを、理解されて いるのかどうかと、思われます。
私は何かを伝えていますか。 または、まったく何も、ですか。
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10:42
そうね、私にとって、 最も重要なことは
- 他の大変多くの 物事の中で、ですが -
観察することです。
そして、私たちがいう観察、 観察するとは、
観察者と観察されるものとの間に、 分割を持たない、という意味です。
私たちのほとんどが、 この分割を、持っています。
観察者は、過去の経験、知識と それらの総和です
- それは、過去です。
そのとき、その過去が 観察します。
で、観察者と観察されるものとの 間に、分割が、あります。
それが、 葛藤の本源です。
ですね? これをご覧に なるのかどうかと、思われます。
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11:55
私たちが昨日、言いましたように、 どこでも分割があるところ、
葛藤が、あるにちがいありません - 人種の間、人々の間、
二人の個人、夫、妻、 彼氏や彼女の間、
諸民族、信念の分割、 教会の分割。
どの形の分割も、葛藤を もたらすにちがいないのです。
それは、明らかです。
さて、その葛藤をまったく 持たないことは、可能ですか
- 自分の生をとおして、 ずっと、です。
質問を理解されますか。
私たちは、伝統的に、 この葛藤、この格闘、
この果てしない戦いを、 受け入れます -
生理的に、すなわち、 生存するためだけではなく、
また、心理的にも、 です。
善いことと悪いこと、 などなど、分割、です。
13:13
で、唯一の努力もなく、生を 生きることは、いったい可能ですか。
なぜなら、常なる努力が、あるなら、 何も平和は、ないからです。
ですね?
どうぞ、私たちは、互いに 意思疎通し合っています。
あなたは、語り手に聞いて、 同意や不同意をしていません。
私たちはそのものを、ともに分かち合って います。
私たちは、ともに旅をしています。
私たちは、これらについて、 ともに、関心を持っています。
ゆえに、それは、私たちのです。私の とかではなく、それは、私たちのです。
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14:04
で、私たちは訊ねています - 人は、幾世紀に幾世紀も、
闘い、葛藤の生を、生きてきたので - 外的にも、内的にも、です。
達成するための 常なる格闘、
そのとき、失うこと、 落とすことの恐れ、です。
あなたたちはみんな、 これらに親しんでいます。
今、私たちは訊ねています - 何も 葛藤を持たないことは、可能ですか。
または、自らの生において、 葛藤の影さえをも、です。
さもないと、あなたは けっして、平和を持てません。
あなたは、平和について、 果てしなく話すかもしれませんが、
人が、葛藤の受け入れへ 条件づけられているかぎり、
平和は ないでしょう。
で、私たちは、訊ねています - 生を生きることは、可能ですか。
日々の生において、生の地層すべてに おいて、外的にも、内的にも、
絶対的に葛藤がない生を、 生きることは、です。
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15:29
さて、あなたがそれを聞くとき、 私が提案していいなら、
どうぞ、それを受け入れたり、 拒否したりしないでください。
「それは可能でない」と 言わないでください。
または、「それは可能だ」と 言うことも、です。
あなたが、それは可能だと言うなら、 それは、ただの観念です。
ゆえに、無価値です。
しかし、あなたが、
「それは可能でない」と言うなら、 あなたは自分自身を阻みます。
ですね?
で、私たちはともに、 この問いを究明しています。
そして、あなたが余暇を持っているとき、 究明は起きうるだけです。
ですね?
余暇は、あなたの精神が、他の問題に より占有されていないことです。
私たちはともに、 ここにいます。
あなたは今朝、余暇を 持っているから、来ました。
近くか遠くか・
・・遠くから、 そして、ともに、余暇を持って、です
- それは、日々の問題により 占有されていない、
ゆえに、進んで学ぼうとし、見ようと する精神を、意味しています -
そのように生きることが、自らの日々の すべてで、可能であるかどうかを、です。
16:46
ですね? 私たちは、互いに どこかで、出会っていますか。
言語的にでなく、実際に、と私は望みます。
それは、私たちの問題であるからです。
なぜなら、生は、ますます 困難になりつつあるからです。
単なる生存、物理的な生存が、 尋常でなく困難になりつつあります。
人口過剰、民族的な分割、 経済的な不平等。
そうね、他の、 起きつつあるすべて、です。
生は、とてつもなく困難に なりつつあります。
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17:31
そして、単なる 物理的な生存、ですが、
自らは、ものすごい努力を しなければならないとの事実に、
条件づけられています - 地位を 達成し、それを保つために、です。
あなたは、これらを ご存じです。
あなたは、それを保たないなら、 あなたは、格闘しないなら、
あなたは、あらゆる物事を失うかもしれ ません。
潰されてしまうかもしれません。
あなたは、落ちていく、 それらかもしれません。
で、私たちは、きわめて、きわめて 深刻、真剣な質問を、しています
- どうぞ、あなたの注意を、 それに向けてください -
唯一の葛藤の影もなく、 生きることは、可能ですか。
分割があるとき、 葛藤は、存在します
「私」と「あなた」、 「われら」と「彼ら」、
アメリカ人、ロシア人、 この集団のイデオロギーと、
あの集団のイデオロギー、 などなどなどです。
18:40
初めに心理的に - それが、最も重要です -
生理的に、 ではありません。
自らが、心理的に、 葛藤の本性と構造を、
きわめて深く 理解するなら
- そして、おそらく そこで、それを終わらせる -
そのときあなたは、生理的な要因を、 取り扱うことができるでしょう。
しかし、あなたが、生理的な要因に 関心を持っているだけなら
- 生存するための 生物的な要因に、です -
そのときあなたは、それを、尋常でなく 困難だと、見つけるでしょう。
たぶんあなたは、それを まったくできません。
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19:23
で、私たちは、関心を持っています - 私たちは今朝、余暇を持っていて、
美しい所に、 ともに座っているので・
・・
たくさんの影、緑の樹々と、 山々と、涼しい風がある。
涼しすぎないことを、 私は望みます。
そして、余暇を持っているので、私たちは ともに検討し、探検しています
- 自らが、本当に葛藤なしであり、 ゆえに、深い気づかい、慈しみ、
注意をもった生を、生きられるのか どうかの事実を、です。
ですね?
あなたは 問いを捉えましたね?
で、私たちは訊ねます - なぜ この葛藤が、心理的にありますか。
初めに、心理的に、 なぜですか。
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20:23
古代の日々から、歴史的にも、 宗教的にも、経済的など、
善いものと悪いものとの間に、 この分割が、あったのです。
あなたたちが古代の洞窟に気づいて いるのかどうか、私は知りません
- フランスの南部、アフリカの 北部で、彼らの洞窟には、
そこには、絵画があります。
たぶん、 二万五千年前のだと、言われています。
私に手紙を書いて、「あなたは、 年代が間違っている」と、
私に言わないでください。
そこには、この常なる、 戦いが、あります -
象徴的な形で、善いものと 邪悪なものとの間に、です。
それは、紀元前七千年にシュメールに 存在していて、現在までずっとです。
善いものが、邪悪なものに 対立しています。
正義と不正義、 天使と悪魔、です。
21:49
ですね? 私たちはみんな、 これに親しんでいます。
私たちは、この分割に 条件づけられています。
ですね?
そして、私たちは、 余暇を持っているので
- 私は、この講話の間、それを 主張しようとしています -
私たちは、事実を究明 しようとしています。
すなわち、この分割が そもそもあるのか、
または、ただ「あるもの」だけで、 その対極はないのか、です。
理解されますか。
仮に、怒りがある、 とします。
それは、事実です。
それは、「あるもの」です。
ですが、怒らないことは、 事実ではありません。
私の論点に 出会っておられますか
で、事実と、非事実。
すなわち、善いものが、 邪悪なものに、対立している。
そして、私たちは訊ねています - なぜ 人間たちは、これを分割してきましたか、
どうしてそれは、 訪れたのか - この分割は?
23:24
神と悪魔 - そうね、
神話的なもの全体、同じく、 知的なものなども、
なぜこの分割ですか。
それは、私たちが、あらゆる物事を 過去より、見つめるからですか。
要因の一つです。
過去は、あなたが 学んできたすべて、
あなたが 経験してきたすべてです。
そして、過去に生きていて、 あなたは、現在を見つめます -
現在としてではなく、 過去からです。
それをご覧になるのか どうかと、思われます。
私たちは互いに、疎通し合って いますか。
そうだと私は望みます・・・
そうなっていないなら、私はそれを、 違った形で、調べてみたいと思います。
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24:26
私たちは、訊ねています。 なぜ人間たちは、
この分割に生き、ゆえに、 葛藤に生きるのか。
私たちは、言っています - 要因の一つは この常に過去に生きることです。
それが、私たちの行為 すべてを、指令します。
それは、 無意識の要因です。
私はそれに、当面の間、入らず、 後で、入るでしょう。
ここには、著名な心理学者、分析者が、 たくさんおられると、私は望みます。
彼らが、私とともにゆっくりと 進むだろうと、望みます。
私たちはこの分割を、けっして 問うたことがありません。
私たちは、それを 受け入れてきました。
なぜなら、私たちは、本性、習慣から して、きわめて伝統的であるからです。
私たちは、何も新しいものを、 ほしがりません。
それが要因であり、 他の要因は、
観察者と観察されるものとの間に、 分割が、あることです。
25:51
あなたが、山を見つめるとき、あなたは それを、観察者として見つめています。
で、観察者と、 観察されるものが、あります。
すなわち、あなたが「山」と 呼ぶものが、です。
その言葉は、そのものでは ありません。
ですね?
その言葉、「山」は、 その山ではありません。
ですが、私たちにとって、 その言葉が、きわめて重要です。
で、あなたが、あれを見つめる とき、即座に応答は、こうです -
「あれは山である」と。
その言葉です。
さて、あなたは、あの山を 見つめられますか -
「山」と呼ばれるあのものを、 その言葉なしに、です。
なぜなら、その言葉は、 分割の要因であるからです。
あなたがこれらを捉えているのか どうかと、思われます。
あなたが、「それは私の妻です」と言うとき、 その言葉「私の」が、分割を創り出します。
27:03
私たちは、それに入るでしょう - 私たちが関係について、話すとき、です。
で、この分割の要因の一つは、 言葉、名前です。
そして、言葉と名前は、 記憶です。
思考の一部です。
そして、私たちが そのものを、見つめるとき
- 男や女を、または山、樹を、 それが何であっても、です -
名前、記憶、思考が生じてくる とき、分割が起きます。
いいですか?
で、言葉なし、名前なしに、 観察が、ありますか -
あの特定の形と象徴への 執着なしに、です。
そして、そのすべてなしに、 観察することが、です。
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28:26
これは、困難に なりつつありますか。
で、あなたは、観察者なしに、 観察できますか - 彼は、過去です。
理解されますか。
彼は、過去であり、
彼は、すべての記憶、経験、 反応などの本質です。
すなわち、 過去の、です。
そして、過去なく、 観察者なく、何かを見つめる。
あなたが、そうするとき、 観察されるものだけが、あります。
それで、分割がありません。
理解されますか。
それで、心理的に、 葛藤がありません。
いいですか?
あなたは、 そうしていますか。
またはあなたは、言われつつある ことを、記憶しつつあるだけですか。
あなたは、自分の彼女や、妻や、 何でも、見つめられますか
- 自分の一番近い、 親密な友だちを、です。
あなたは、彼女や彼を、その名前、言葉 なしに、見られますか。
観察できますか
- その関係において、あなたが 集めてきた経験すべてなしに、です。
それは、記憶です。
それは、過去です。
そして、見る。
30:04
あなたが、そう見るとき、 何が起きますか。
そのとき、あなたは、彼や彼女を 初めて、見つめています。
理解されますか。
後生ですから、 これを捉えてください!
どうぞ、それを学ばないでください。
実際に、あなたがしつつ・・・余暇です。
私たちが、何かものすごく重要な ことについて、話しているとき、です。
そして、学ぶことは、今そう していることを、含意します
- 明日ではない。
別の日ではない。
それで、観察者は、観察されるものです。
ゆえに、観察されるものだけが、あります。
あなたがこれを捉えるのか どうかと、思われます。
誰も、これらすべてのことを、 あなたに、語ろうとしていません。
どの書物も、どの導師も、 どの哲学者も、です。
31:10
あなたはこれを、あなた自身から 学ばなくてはいけません。
あなたは、これをあなた 自身から、学べるだけです
- あなたが、時間、 余暇を持っていて、
精神があらゆる種類の物事で 占有されていないとき、です。
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31:29
で、私たちは、こう言っています - 完全に、心理的に
葛藤すべてから自由である生を 生きることは、可能ですか。
それは、あなたに 起きたことがありますか。
どうぞ、これは、 集団療法ではありません。
それは、私個人にとって、 忌まわしいことです
- 自分たちの汚い洗濯物を 互いに晒し合うことは、です。
それは、何の意味も ありません。
ですが、私たちは実際に していることは、学ぶことです。
記憶することではなく、学ぶこと、 事実を観察することです。
そして、事実が、あらゆる ことを、するでしょう
- あなたが、事実を 放っておくなら、です。
理解されますか。
で、事実は、人間たちが 過去に生きることです。
ゆえに、いつも分割が、あります - 過去と現在と未来の間に、です。
32:58
過去は、時です。
で、私たちは、言っています - 私が 少し先へ進んでいいなら、です -
あなたの観察において、 観察者と観察されるものとの間に、
時の間隔が、あるかぎり、葛藤が あるにちがいありません。
どうぞ、私に同意しないで ください。
見てください -
これがあなたにとって、実際の事実 であるのかどうかを、見出してください。
あなたが本当に、 これを理解したなら
- 言語的に、ではなく、 実際にそうしているなら -
なぜなら、私たちは、きわめて、きわめて 深刻な問題について、話しているからです。
すなわち、生における 葛藤、格闘です。
そして、あなたは、格闘しないとき、 自分は負けたと、考えます。
よって、負けるのを 恐れています。
それは、 別の形の葛藤です。
34:28
で、あなたが本当に、語り手と ともに、これに入ってきて、
あなた自身で発見したなら - 語り手からではない。
あなた自身で、 それを発見した -
すなわち、観察者、イメージを作る者と 事実との間に、分割があるかぎり・
・・
何もイメージを持たずに、 ただ事実だけです。
分割があるかぎり、果てしない 葛藤が、あるにちがいありません。
それは、法則です。
その葛藤は、 終わりえますか。
私たちは、指摘しています。
または、 それについて、話しています。
そして、それが終わりうる ことを、学んでいます。
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35:35
で、心理的に苦しみが、 終わることが、
葛藤が - すなわち、苦しみの一部 です - 終わることが、あるとき
そのとき、それはどのように、 私たちの生計に、適用されますか。
それはどのように、私たちの 互いとの関係に、適用されますか。
ですね?
付いてきておられますか。
あなたが理解されるのか、 されないのか、私は知りません。
私は 進んでいいですか。
これが事実であるなら - すなわち、 人間として、あなたが・
・・
あなたは世界ですし、 世界はあなたです。
私たちは昨日、よく気を つけて、それに入りました。
もしこれが、事実であるなら - すなわち、あなたが本当に・
・・
すなわち、あなたが実際に、今、 そこに心理的に、
いかなる葛藤もない生を、 生きていることが、です -
そのとき、心理的な格闘が、 そのすべての葛藤、
痛み、心配、恐れとともに、 終わるそのこと、ですが、
それは、私たちが日々生きる ことに、どう適用されますか。
37:06
理解されますか。私たちが日々、 オフィスへ行くこと等々へ、です。
あなたの答えは 何ですか。
これが、あなたにとって 事実であるなら
- すなわち、あなたが、心理的な 葛藤を、終わらせたことが、です -
そのときあなたは、どう葛藤なく、 外的に、生を生きるでしょうか。
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37:37
質問者: (聞き取れない)
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37:38
クリシュナムルティ: いえ、 どうぞ、私に答えないでください。
なぜなら、私たちは、これについて 討論会を、行うだろうからです
- これらすべての事柄について、 明後日、対話を、です。
毎週火曜日と木曜日です。
で、これは、二人の人々の 間の会話です。
そこでは、たった一人の人物が、 会話しています。
なぜなら、さもないと、私たちは、 迷ってしまうだろうからです。
あなたが気にされない ことを、望みます。
それは、全く面白い。 一人の人物が・・・
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38:27
もし私が、この種類の生を生きるなら、 私は、何をすることになりますか。
内的に、葛藤がない。
それが 何を意味するかを、ご存じですか。
内側に葛藤が、ないとき、 外側に葛藤が、ありません。
なぜなら、内と外との間に、分割が ないからです。
理解されますか。
それは、引き潮と 満ち潮に、似ています -
海が満ちてくるのと、 海が引いていくのに、です。
が、これがあるとき - 心理的に、何も葛藤がない -
引き潮が出て行き、また何も 葛藤がない。
理解されますか。
私は何を するのでしょうか。
私は、不幸にも、生計を 立てなくてはいけません。
個人的に、私は そうしません。
私は、そうしません。
なぜなら、私は、
生計を立てることについて、 問題を持っていないからです。
が、あなたは、生計を立てることに ついて、問題を持っています。
40:02
なぜ私は、生計を立てないことに ついて、問題を持っていませんか。
なぜなら・
・・ とても単純です。
みなさん、 待っておられますか。
あなたたちは、 変な人々です。
いいですよ。
私は、何も問題を、 持っていません。
なぜなら、私は、何が起きるかを、 気にしないからです。
理解されますか。
私は、自分が失敗するのか、 成功するのかを、気にしません。
私は、自分がお金を持つのか、 お金を持たないのかを、気にしません。
個人的に私は、お金を持って いません - ありがたい!
私は、お金をほしくありませんが、 私は、衣食住が必要です。
そして、誰かが私に与えてくれるなら、 それはだいじょうぶです。
誰かが与えてくれないなら、私は、 自分がいるところで、生活します。
質問を理解されますか。
私は、 何も問題を、持ちません。
なぜなら、私は誰からも、生から、 何をも、要求しないからです。
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41:51
これを理解なさるのかどうかと、思われ ます。で、私は説明してきましたが、
私の生きる道は、あなたのより、 全然違っています。
だから・・・
で、もしも私が、生計を立てなくてはいけ なかったなら、私は何をするのでしょうか。
心理的に、どの種類の葛藤をも 持っていない。
あなたは、それがどういう 意味かを、ご存じですか。
私が葛藤を持たないことは、 どうして起きたのですか。
それは、理論ですか。
それは、 充足された欲望ですか。
それは、 幻影ですか。
それは、何か、私が自分自身を 催眠に掛けてしまったものですか。
私の質問すべてを、 理解されますか。
または、それは、絶対的な、 取消不可能な事実ですか
- すなわち、誰も触れられないもの。
それは、侵犯されません。
あなたは、「侵犯されない」が 何を意味しているかを、ご存じですか。
損傷されえない、 触れられないもの、です。
43:17
で、そうであるなら、そのとき私たちは ともに、何をするのでしょうか。
それは、ともに、です。
私たちは、ともに 生計を立てるために、何をするでしょうか。
なぜなら、葛藤がない。
ゆえに、野心がないからです。
葛藤がないから、何かでありたい との欲望が、ありません。
ですね?
なぜなら、何も 葛藤がないからです。
内的に、絶対的な、何か 侵犯されないものが、あるから
- すなわち、触れられえない、 損傷されえないものが、です -
そのとき私は、心理的に、 他の一人に、依存しません。
ゆえに、順応がなく、模倣と それらが、ありません。
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44:27
で、そのすべてを持たないので、 そのとき、私は、
世の中で、自分が できることを、するでしょう。
庭師、料理人である。
何でも、です。理解されますか。
が、私たちは、成功と失敗へ、 こうも重く条件づけられています。
世の中での成功 - 金銭、地位、 威信、そうね、それらです。
それが、私たちが目指して 格闘しているものです。
しかし、それが、何一つ 存在しないなら
- 理解されますか - 一人の人間に、何が起きますか。
意識において、人間の意識、こうも 重く条件づけられているものにおいて
45:35
- いいですか? - 成功と、失敗の 恐れへ、重く条件づけられている。
外的にだけではなく、 内的にも、何かであること。
そういうわけで、あなたは 導師すべてを受け入れるのです。
なぜなら、あなたは、彼が自分を、何か 啓明へ、或る種の幻想的な戯言へ、
導いてくれるだろうと、 望むからです。
何か絶対的に真実であるものが ない、ということではないが、
誰もあなたを、そこへ 導いていけません。
で、私たちの意識全体か、 そのほとんどは、
常なる格闘の生を生きるのを、受け 入れるよう、条件づけられています。
なぜなら、私たちは、達成したい 私たちは、なりたいからです -
私たちは、一定の役割を果たしたい、 私たちは、充足したい、
私たちは、したいからです。
そうね、 それはすべて、拒否を含意しています
- どうぞ、これを聞いてください - 「あるもの」の拒否と、
「あるべきもの」の 受け入れを、です。
47:03
私たちが、 「あるもの」を拒否し、
「あるべきもの」の理想を、 創り出してきたから、
葛藤が、あるのです。
しかし、実際に、 「あるもの」を観察する。
それは、あなたが何も対極を持たない、 「あるもの」だけ、という意味です。
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47:28
ご覧ください。あなたが、 暴力を観察するなら、
「暴力」という言葉は、すでに、汚染 されています。
その言葉こそが、です。
なぜなら、それを是認する人々、それを 是認しない人々が、いるからです。
で、それは、すでに 歪んでいます。
で、私たちは、例えば、暴力を、 取り上げなくてはいけません。
そして、 非暴力の哲学全体
- 政治的にも、宗教的にも、 その他すべてでも、です。
すなわち、暴力と、その対極、 非暴力が、あります。
対極は、存在します。
なぜなら、 あなたは暴力を知っているからです。
ですね?
さあ、みなさま。
そして、対極は、「あるもの」に 根ざしています。
ですね?
で、私たちは、 こう考えます -
対極を持つことにより、何か とてつもない方法や手段により、
私たちは、「あるもの」を 取り除くであろう、と。
48:48
すなわち、「あるもの」と、 「あるべきもの」です。
「あるべきもの」を達成するには、 あなたは、時が要ります。
私たちが何を経てゆくかを、 見てください - 悲惨、葛藤を、
このすべての不条理を、です。
「あるもの」は、暴力です。
そして、 「あるべきもの」は、非暴力です。
で、私たちは、非暴力を達成するには、 時が必要だと、言います。
なぜなら、私は、暴力へ、そして、 非暴力へ、条件づけられているから
- 私は、時を持たなければならない。
私は、努力をしなければならない。
私は、非暴力であるよう、格闘 しなければならないと、です。
それが、哲学です。
それが、条件づけです。
それが、伝統です - 善いものと悪いものです。
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49:30
さて、あなたは、 対極を片付けてしまい、
暴力を、ただ見つめられますか - すなわち、事実を、です。
非暴力は、事実では ありません。
ですね?
私たちは、互いに 出会っていますか。
非暴力は、観念です。
概念です。結論です。
ですが、事実は、暴力です。
あなたが怒っていること、
あなたが誰かを 憎んでいること、
あなたが、人々を傷つけたい ことです。
怒り、嫉妬。
そのすべてが、暴力の含意です。
それが、事実です。
今、あなたはその事実を、その対極を 導入することなく、観察できますか。
理解されますか。
そのとき、あなたは エネルギーを、持っています -
対極を達成しようとする中で むだにされつつあるものを、です。
あなたは、「あるもの」を 観察するように、
そのすべてのエネルギーを、 持っています。
その観察の中に、 葛藤はありません。
あなたがこれらを捉えるのか どうかと、思われます。いいですか?
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50:50
で、暴力、葛藤、格闘に基づいた このとてつもない複雑な存在を、
理解した人は、何を するのでしょうか。
実際にそれより自由である人は、です。
それについて理論的に、ではない。
実際に自由です。
それは、 何も葛藤がない、という意味です。
彼は、世界で何を するのでしょうか。
あなたは、私に 訊ねるのでしょうか。
またはあなたは、自分自身に、 この質問をしていますか。
あなたは、この質問をするのでしょうか - どうぞ、聞いてください -
あなたは、この質問をするので しょうか - あなたが、内的に、
心理的に、葛藤から、完全に 自由であるのかどうか、です。
そうするでしょうか。
明白に、しません。
それは、葛藤の中の 人だけです -
「もし何も葛藤がないなら、 私は終わってしまうだろう。
51:56
私は、社会により 破壊されるだろう。
なぜなら、社会は、葛藤に基づいて いるから」と言うのは、です
しかし、社会は、あなたが、 そこから作ってきたものです。
あなたが、社会を作ってきました。
あなたが社会に、責任があります。
なぜなら、あなたが、貪欲であり、 妬んで、暴力的であるからです。
そして、社会は、 あなたなるものです。
で、あなたと社会との間に、 何も違いが、ないのです。
あなたが社会です。
ですね? これらは、事実です。
しかし、あなたが、あなた自身を 社会より分離して、
「私は社会より違っている」と 言うとき
- それは、 こうも戯言です -
そのとき、社会の構造の 完全な変容が、あるなら
- すなわち、暴力、非道徳と、 その他すべてに、あなたに、です -
あなたは、社会の意識に、 影響するでしょう。
53:10
そして、あなたが内的に、 そう自由であるとき、
あなたは、そもそも その質問をするでしょうか
- 私は、外的な世界で、 何をするだろうか、と。
あなた自身、それにお答えください。
あなた自身で、答えを見出してください。
なぜなら、内的に、あなたは 完全に、何かを変容させたから -
人が条件づけられて いるもの、
この常なる闘い、闘い、 闘いを、です。
私は、その問いに、 答えたでしょうか。
私ははるか昔、私自身で それに答えたのです。
が、あなたはその問いを、あなた 自身に出して、見出すでしょうか
- 何の幻影もなく、何の夢想もなく、 あろうとかあるまいとかの
何の欲望もなく、です - それは、 すべて葛藤をもたらします。
あなた自身で、それの事実を 見出すでしょうか。
54:36
すなわち、内的に、 完全な変容、です -
何か最も重要なものとして、 人が保ってきたもの、
すなわち、格闘、戦い、葛藤、そうね、 その他すべての(変容)、です。
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54:58
で、次のことは、こうです - 私が、 他の何かへ進んでいいなら、です -
私たちの意識は、あなたが それを観察してきたなら、
そして、私たちは、余暇を持って いるから、今、見つめられます。
あなたが、自分の意識を観察するなら、 あなたが、自分の意識に気づいているなら
- すなわち、あなたは、 自分の意識に、気づいていますか。
自分が何であるかに、です。
あなたが 気づいているなら、
そのときあなたは、見るでしょう - すなわち、あなたの意識は全的な・
・・
私は、「全的」という言葉を、 その絶対的な意味で、使っています。
相対的な意味ではなく、 その絶対的な意味で、です。
あなたの意識は、全的な 無秩序の中に、あるのです。
56:01
ですね?
あなたは、この事実に 気づいていますか。
気づくことは、含意として・
・・ きわめて単純です。気づくこと。
あなたは、樹々に気づいています。
あなたは、 自分が座っているところに、気づいています。
私は、自分の頭上の日射しに、気づいて います - 私はそれが好きではありません。
私は、様々な色などに、気づいて います - 外的に気づいている。
そして内的に、気づくことは、何も 歪曲なく、気づくことを、含意しています。
あなたは、あの樹を歪曲して、 「あれは象だ」とは言えません。
しかし、あなたは、見るものを、 内的に、きわめて容易く歪曲できます。
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57:03
で、気づくことは、何も歪曲なく、 気づくことを、含意しています
- 内側で進んでいる ことに、ですね?
あなたは、自分の意識に、 そう気づいていますか。
あなたがそうであるなら、あなたは、それが 矛盾していることを、見つけるでしょう
- 見つけませんか - 一つのことを 言い、他の何かをする、
他の何かをほしがるのです。
よろしいですか。
全的な動き - 或る区域の中で、それは こうも小さく、それで空間がないし、
その小さな空間の中に、 無秩序が、あります。
よろしいですか。あなたは、 これに気づいていますか。
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57:57
何時でしょうか。
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58:01
質問者: 12時8分です。 K: 12時?
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58:04
あなたは、一時間の終わりに、 疲れているにちがいありません。
なぜなら、これは、かなり 骨の折れる仕事であるからです。
私たちは、今すぐ、 止めるでしょうが、
このことについて、 少しの間、進みましょう。
私たちは、土曜日と日曜日に、 再びそれを、拾い上げるでしょう
- 次の土曜日と 日曜日に、です。
すなわち、あなたは、自分の 意識に、気づいていますか。
あなたは、自分の意識より 異なっていますか。
または、あなたは、 あの意識ですか。
いいですか?
それは単純です。
あなたは、あの意識です。
あなたは、あなたの意識より 異なっていません。
あなたは、自分が全的な無秩序の中に あることに、気づいていますか。
そして究極的に、あの無秩序は、 神経症へ繋がります。明白です。
59:13
そして、現代社会の要因すべてが、 心理学者、心理分析者、
心理療法者をともない、そうね、 そのすべてのことが、進んでいます。
あなたが自分自身を見守る、という 意味で、あなたが気づいているなら
- すなわち、あなたの意識を、何の 無秩序もなく、何の歪曲もなく、ですが、
それは、可能ですか。
観察者が観察されるものである とき、それは、可能なだけです。
理解されますか。
観察者が 観察されるものであるとき、
何も歪曲が、ありません。
彼は、「あるもの」を、見ます。
しかし、観察者が存在するなら、そのとき 彼は、見えるものを、歪曲します。
この問いを理解されますか。 これは、明らかですか。
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1:00:09
で、あなたは 観察できますか・・・
自分自身の - すなわち、私たちの 意識の - 観察が、ありますか。
そして、その無秩序の 実際の事実を、見る -
日々の生の中で、自分の 無秩序のそれを、です。
外的に、だけではなく、 はるかに深く、内的に、です。
外的に私たちは、 きわめて秩序立っています
- 少なくとも、 私たちの幾人かは、です。
なぜなら、それは強迫的であるからです。
それは、ますますなりつつあります・・・
あなたは、秩序立っていなくては いけません - 何らかのために、です。
私は、それらに入らないでしょう。
しかし、内的に
あなたは、秩序の中にありますか。
または、無秩序が、ありますか。
あなたは、この事実を 観察できますか。
そして、あなたが選択なく 観察するとき、何が起きますか。
それは、何の歪曲もなく、という 意味ですが、何が起きますか。
1:01:19
質問を 理解されますか。
なぜなら、無秩序が、あるところ、 葛藤が、あるにちがいないからです。
絶対的な秩序が、あるところ、 葛藤はありません。
私たちは、絶対的な秩序があると、 言っています - 相対的な秩序ではない。
それは、自然に、容易く、何の 葛藤もなく、訪れうるだけです
- 自らが、意識としての自分自身に 気づいているときだけです。
混乱、騒動、矛盾を、外的にと 内的に、観察するし、
何も歪曲なく 観察するのです。
そのとき、その中から、 自然に快く、容易く、
取消不可能な秩序が、 出てきます。
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1:02:32
ここまでは・・・1時間です。 1時間には、それで十分ですか。
またはあなたは、座って、私に話を つづけさせたいのでしょうか。
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