OJ80Q2 - 第2回質疑応答会合

カリフォルニア、オーハイ
1980年5月8日
テキストのみのバージョン
|
0:15
私たちは、語り手は、あなたに 何をも語ろうとしていません。
彼はあなたに、何をも 納得させようとか、
自分が持つ何か観念や、 概念や信念を
伝達しようとかしていません - あなたが受け入れて、それから、
それらの信念、観念、概念を 検討しようとするものを、です。
私たちはその事柄について、全く明らかでなければならないと、思います。
|
|
0:48
これらの質問に答える中で、 私たちは、
私たちのどちらもが、 問いを究明しています。
語り手が究明していて、それから あなたへ、それについて語る、
それから、あなたがそれを 受け入れる、ということではない。
むしろ、私たちはともに、 それに入ろうとしています -
で、それは、一人の人物が理解し、 それについて、あなたに語る、
ということではないように、です。それが明らかであってほしいと望みます。
|
|
1:21
第一の質問: 「この頃は、 あらゆる物事が相対的であり、
個人の意見の事柄であるとの、 支配的な想定が、あります。
すなわち、 個人的な知覚に依存しない
真理や事実といったものは、 ない、と。
この信念に対する、 智恵ある応答とは、何ですか」。
|
|
1:50
「この頃は、あらゆる物事が相対的であり、個人の意見の事柄であるとの、
支配的な想定が、あります。
すなわち、
個人的な知覚に 依存しない真理や
事実といったものは、 ない、と。
この信念に対する、 智恵ある応答とは、何ですか」。
いいですか?
|
|
2:21
それは、私たちがみんな、ひどく 個人的である、ということですか。
私が見るもの、あなたが見るものが 唯一つの真理ですか。
私の意見とあなたの意見が、私たちが 持っている唯一つの事実ですか。
それが、質問が 含意していることです。
すなわち、あらゆる物事が 相対的である - 善は相対的である、
悪は相対的である、 愛は相対的である、と。
で、あらゆる物事が 相対的なので、
すなわち、全体的、完全でなく、 真理でないので、
そのとき、私たちの行為、私たちの 個人的な関係の慈しみは、
相対的であるし、いつでも自分たちが 好きなとき、いつでもそれが、
自分たちの気に入らないなどの とき、終わらせられます。
それが、この質問の含意です。 ですね?
|
|
3:38
さて、どうぞ、私たちは ともに、究明しています。
私があなたに語っていません - 真理といったものが、ありますか。
信念を離れて、個人的な意見、 信念、知覚を離れて、
真理といったものが、 ありますか。
この問いは、 古代ギリシャ人が、
古代の日々のヒンドゥー教徒と 仏教徒が、訊ねてきました。
それは、東洋の諸宗教の ふしぎな事実の一つです
- すなわち、 疑いが奨励されたのです。
理解されますか。
疑うこと、問うことが、です。
西洋において、それは かなり抑えられています。
疑うなら、それは 異端と呼ばれます。
で、個人的な意見、知覚、 経験を離れて、自分自身で
見出さなければなりません - それらは、いつも相対的ですが、
知覚、見ることが、 あるのかどうかを、です。
すなわち、相対的ではなく、 絶対的な真理が、あるのか、です。
5:24
理解されますか。 質問を理解されますか。
さて、あなたはどのように、 見出そうとしていますか。
私たちが、個人的な意見、知覚は 相対的であり、ゆえに、
真理、絶対的といったものは ない、と言うなら、
そのとき それは、相対的です。
それに応じて、私たちの振るまい、 私たちの行い、
私たちの生き方は、 相対的です。
ぞんざいであり、 完全でなく、全体的でなく、
ゆえに、断片的なのです。
私たちが互いに付いてきている ことを、望んでいます。
私たちは、真理といったものがあるのか どうかを、見出そうとしています -
相対的、個人的な意見、知覚 でないものが、です。
いいですか?
で、あなたは、どのように、 それに取りかかりますか。
|
|
6:40
この問いが、あなたに出されるなら、 あなたはどのように、
真理といったものが、あるのかどうかを どのように見出すのでしょうか
- 絶対的であり、相対的でなく、 完全であり、
気候、個人的な意見などのもとで、 けっして変化していないものが、です。
あなたは、どのように、 見出すのでしょうか。
あなたの精神、知能は、 どのように見出しますか。
または、思考は見出しますか。
私たちは、これを 進めていいですか。
それに、興味はありますか - これらに。
なぜなのかと思われます。
(笑)
なぜなら、あなたが、
大変多くの究明を要求する何かを、 探究しているとき
- 日常生活での行為を、
偽りであるものを脇に置く感覚を、 要求する何かを、です。
それが、唯一つの進行の仕方です。
いいですか?
すなわち、私たちは、真理や愛や その他すべてについて、
幻影、夢想、イメージ、ロマンチックな概念を、持っているなら、
それらは、さらに動くことを 阻止する、まさに障壁です。
|
|
8:16
幻影とは何であるかを、 正直に究明できますか。
精神は、幻影の中に 生きますか。
または、私たちは、 人々について、諸民族について、
神について、宗教について、 あらゆる物事について、
幻影を持っていますか。
よろしいですか。
幻影は、どのように 生じますか。
付いてこられるのか どうかと、思われます。
どのように幻影を持ちますか。
その根は、何ですか。
私たちがいう「幻影(イリュージョン)」 という言葉は、どういう意味ですか。
それは、ラテン語などから 来ています。
「ルーデレ」からです。 それは、遊ぶという意味です。
9:19
その言葉の根本の意味は、遊ぶ ことです - 「ルーデレ」は。
それは、何か現実的でないものと 遊び戯れる、という意味です。
理解されますか。
現実的なものは、 起きつつあることです
- それは、良い、悪い、可も 不可も無い、などと呼ばれる
かもしれないものであっても、 実際に起きつつあることです。
自らが、実際に自分自身の中に 起きつつあることに、
向き合う能力がないとき、
それより逃避することが、 幻影を創り出すことです。
どうですか・・・いいですか。
|
|
10:15
どうぞ、同意しないでください。 私はただ、これを探検しています。
私たちは、ともに 探検しています。
「幻影(イリュージョン)」という 言葉は、現実的でない何かと、
遊び戯れることを、含意しています - 「ルーデレ」は、です。
私は、ギリシャ語とラテン語の その意味すべてに、入らないでしょう。
で、また、サンスクリットにも、 まさに同じ言葉が、使われます。
|
|
10:45
それで、乗り気でないとか、 恐れているとか、
実際に進んでいることを 回避したいのなら、
まさにその回避こそが、 幻影を、創り出します
- 「有るもの」を離れた、夢想、 ロマンチックな動きを、です。
私たちは、それを - 「有るもの」を離れて動くことを、その言葉
「幻影(イリュージョン)」の 意味として、受け入れるなら、です。
いいですか?
私たちは、 そこから進めますか。
いいえ、どうぞ、私に同意しないで、 これを事実として見てください。
そのとき私たちは、現実からのこの動き、 この逃避を、回避できますか。
で、そのとき私たちは、訊ねます - 現実とは何ですか。
いいですか。
付いてきておられますか。
現実は、起きつつあることです - それは、応答、観念です。
実際に、あなたが 持っている現実の信念、
あなたが持っている 現実の意見、です。
それらに向き合うことは、幻影を 創り出さないことです。
ですね?
究明の中で、進んでもいいですか。
私たちは、そこまで来ましたか。
いいですか? なぜなら、さもないと、 あなたは、さらに行けないからです。
|
|
12:42
で、「有るもの」の回避に基づいた 幻影、意見、知覚が、あるかぎり、
そのときそれは、相対的である にちがいありません。
ですね?
いいですか?
アヴァンティ? 私たちは進みましょうか。
相対性、それは・
・・私は、その言葉 「相対的」に、入らないでしょう。
それは、その言葉は・
・・いえ、私は 入らないでしょう。すみません。
事実より、起きつつあること、 「有るもの」より、
離れた動きが、あるとき、 これは、起きるだけです。
「有るもの」を理解する中で、
「有るもの」を判断するのは、あなたの個人的な意見ではありません。
それは、あなたの 個人的な知覚ではなく、
「有るもの」の実際の観察です。
理解できますか。
もしあなたが、 「私の信念が、観察を指令する。
私の条件づけが、観察を 指令する」と言うなら、
実際に進んでいることを、 観察できません。
14:21
そのとき、それは、「有るもの」を 理解することの回避です。
それをお分かりになったのか どうかと、思われます。
いいですか?
私たちは、こう していますか。実際にそうする。
現実であることを、見る、知覚する - あなたの現実の信念、
あなたの現実的な依存の感覚、 あなたの現実的な競争性を、です。
それから動いて離れずに、 それを観察する。
その観察は、個人的では ありません。
いいですか?
ですが、あなたがそれを個人的にするなら - すなわち、私はしなければならない、
私はしてはならない、私はあれより 良くなければならない、と -
そのときそれは、個人的になり、 ゆえに、それは相対的になります。
ところが、もしも私たちが、現実に 起きつつあることを、見つめられたなら、
どの形の幻影のも、 完全な回避が、あるのです。
15:35
いいですか。私たちは こうできますか。
あなたはこれに、言語的に同意する かもしれませんが、私たちは
現実に、自分の依存を、知覚 できますか。
いいですか?
人物、信念、理想に 対する依存か、
あるいは、何か経験に対して、です - あなたに大変多くの興奮と
その他すべてを 与えてきたものへ、です。
ゆえに、それらに 依存します。
その依存は、必然的に 幻影を、創り出すでしょう。
で、私たちは、自分たちが 依存しているという事実を、
観察できますか - そして、それを観察する。
いいですか?
|
|
16:35
で、同じように私たちは、 絶対的な真理といったものが
あるのかどうかを、 見出そうとしています。
あなたが、これに興味が あるなら、です。
なぜなら、これは、何かぞんざいな 質問者によりだけではなく、
これに人生を捧げてきた僧侶、
修道士たちによっても、 問われてきたからです。
理解されますか。
哲学者により、 あらゆる宗教的な人物
- 制度化されたのではなく、 生に、実在と真理に、
深い関心をもつ人 - によって、 です。
理解されますか。
で、あなたが、真理は何であるかに 本当に関心をもっているなら、
それに、きわめて深く 入らなくてはなりません。
|
|
17:34
まず第一に、実在とは何かを、 理解しなくてはいけません。
いいですか?
実在とは何ですか。
あなたが知覚するもの、 触れるもの、
味わうもの。
いいですか?
あなたが痛みを持つとき など、です。
で、実在は、感受と、 その感受への反応、
感受への、観念としての応答です。
いいですか?
どうですか・
・・その観念は、 思考により創り出されています。
で、思考が、実在を 創り出してきたのです
- すばらしい建築、
世界の大聖堂、寺院、 神殿、モスク。
それらに置かれた偶像、 イメージ。
すべてが、思考により 創り出されています。
私たちは、それは実在だ、と言います。
なぜなら、それに触れられるし、
それを味わえるし、 それを嗅げるからです。
|
|
19:18
聴衆: 幻覚については どうですか。
これは、生理学的な頭脳に、 動揺が
あるからなのかもしれません。
|
|
19:26
K: そうです。
頭脳は、病気になっていたり、影響 されたり、負傷したり、損傷したり
しているかもしれません。その中から あなたは、幻影、幻覚を持ちます。
|
|
19:39
聴衆: 生理学的に、という意味ですが、 たとえば高熱を出すなら・・・
K: よろしければ・
・・私は 願うのですが・・・もちろん、です。
お願いしてもいいのなら、
問いは答えられなくては なりません。
聴衆より質問をされるなら、 探究の流れが、中断されます。
で、大変礼儀正しく、 お願いしてもいいのなら、
それを書き留めるのでなければ、 なさらないでください。
私がこうお願いするのを、気に されないことを、望みます。
|
|
20:19
頭脳が損傷しているとき、 「有るもの」からの回避や逃避が
あるとき、幻覚、幻影、 妄想が、起こります。
これらすべての言葉 - 「幻影」、 「幻覚」、「妄想」 - は、
すべて、その範疇の、です。
|
|
20:50
で、私たちは、こう言っています。 思考が創り出してきた物事すべては
- 理解されますか - 知識、
科学をとおし、数学などなどを とおした知識の取得は、実在です。
ですが、自然は、思考により 創り出されていません。
いいですか。
これに 付いてきておられますか。
あの樹、山々、川、水面、 鹿、蛇は、思考により
創り出されていません。
それは、そこにあります。
ですが、樹の中から、 私たちは、椅子を作ります。
それは、思考により 創り出されています。
いいですか?
で、思考があり・
・・
私たちがそこに生きている 現実世界を、創り出してきました。
そして、自然。
そうね、環境を 含めます - 全体を、です。
それは、思考により 創り出されていません。明白です。
|
|
22:14
そのとき、私たちは訊ねます - 真理は実在ですか。
理解されますか。
これに 付いてきておられますか。
私たちが生きるところの世界を、
思考が、創り出してきたことは、 知覚されますが、
思考は、宇宙を 創り出してきていません。
ですが、思考は、 宇宙を探究できます。
宇宙論、天体物理学者、
すなわち、彼らは思考でもって、 探究を進行させています。
彼らは、一定の結論、 一定の仮説に、到るし、
それら仮説を証明しようとするでしょう - いつも、思考の道筋で、です。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
それで、思考は相対的です。
ゆえに、何であれ、 それが創り出すものは、
いかなる方向に動こうとも、それは 相対的であるにちがいありません。
それは、制限されているに ちがいありません。
23:45
これらに 付いてきておられますか。
どうぞ、これは 講義ではありません。
(笑)
私は、教授ではありません。
ありがたい!
私たちはただ、現実の真理が 何であるかを、見出したい
二人の人間として、探究しています - そういうものがある、として、です。
それで、精神はもはや、幻影の中に ない。
それが第一のことです
- 仮説を持たない。
幻覚、妄想を持たない。
それは、何かを掴みたいとか、
自らが真理と呼ぶ経験を 創り出したいとか思わない
- ほとんどの人々が、 そうしたいのですが。
|
|
24:34
で、精神は今、自らに、秩序を もたらしたのです。ですね?
いいですか。
それは、秩序を持っています。
混乱が、ありません -
幻影について、妄想、幻覚に ついて、経験について、です。
で、精神、頭脳は、幻影を創り出す 自らの能力を、失ったのです。
いいですか。
そのとき、真理は何ですか。
すなわち、 実在との関係は、何ですか
- 実在を理解されますか。
私たちが 説明したこと、実在が何であるのかと、
そして、思考により創り出されて いないものとの間、です。
思考の産物でないような ものが、ありますか。
理解されますか。
これを進めていいですか。
|
|
26:08
すなわち、あなたの精神は、 私たちの精神は - 今、ここに、
かなり陰鬱な天候の中、木々のもとに 座っていて、かなり涼しいですが -
私たちの精神は、あらゆる形の 幻影より、自由ですか。
いいですか。
さもないと、他方を とうてい見つけられません。
それは、あなたの精神が、 どの混乱からも完全に自由なのか、
という意味です。
ゆえに、 それは、絶対的な秩序です。
よろしいですか。
そうですか。 質問を理解されますか。
混乱した精神、無秩序な精神、 動乱の中にある精神は、
いったいどうして、真理が 何であるかを、見つけられますか。
それは創案できます。
真理があるとか、 真理はないとか、それは言えますが、
絶対的な秩序の感覚を 持っている精神、
あらゆる形の幻影より、完全に 自由である精神は、
そのとき、前進して見出しうるの です。
理解されますか。
さもないと、それは できません。明白です。
|
|
28:05
すなわち、ご覧になってください。 何かかなり興味深いことが、あります
- あなたがそれに 興味があるなら、です。
天体物理学者、科学者たちは、見出す ために、思考を使っています -
外へ出て行きます。
理解されますか。
彼らは、こうしています。
彼らは、まわりの世界、 物質を、究明しています。
そして、天体物理学を越えて、 彼方へ行きますが、
いつも、外的に動いています。
ですね?
ですが、あなたが内的に始める なら、「私」もまた物質です。
いいですか?
思考は物質です。
それで、あなたは、 内的に入られるなら、
事実から事実へ 動いています。
いいですか?
これらがお分かりに なるのかどうかと、思われます。
ゆえに、物質を越えているものを、 あなたは、発見しはじめます。
それは、あなたしだいです。
|
|
29:24
これは、とても深刻な事柄です。 それは、或る朝、木曜日の午前、
一時間、これについて 議論するだけではありません。
自らの生を捧げる - 理解されますか -
自らの生を、これに 捧げなくてはいけません。
生から離れて、ではなくて、 です。
理解されますか。
生は、私の格闘、私の心配、 私の恐れ、私の退屈、
私のさびしさ、私の悲しみです。
よろしいですか。
- 私の不幸、すべての後悔。
そのすべてが、私の生です。
それを私は、理解し、それを 通ってゆかなければなりません。
よろしいですか。
それより 離れて、ではなくて、です。
そのとき、絶対的な真理と いったものが、ある
- あなたがそれを 通って行ったなら、です。
|
|
30:31
第二の質問: 「私たちはどうすれば、
自分の日常生活で 機能しつづけながら、
世界で起きていることに、 責任を取れますか。
暴力に関して、そして、 暴力に向き合ったとき、
正しい行為は何ですか。」
|
|
30:48
「私たちはどうすれば、自分の 日常生活で機能しつづけながら、
世界で起きていることに、 責任を取れますか。
暴力に関して、そして、 暴力に向き合ったとき、
正しい行為は何ですか。
」
私たちは、どうすれば、自分の 日常生活で機能しつづけながら、
世界に起きつつあることに、 責任を取れますか。
まず第一に、世界は、 外側で起きつつあることは、
内側で起きつつあることより 異なっていますか。
質問を理解されますか。
世界は、世界で起きつつある ことは、暴力です。
世界で起きつつあることは、 このとてつもない動乱です
- 進みつつあること。 危機に次ぐ危機です。ですね?
32:07
戦争、民族・国籍の分割、 宗教的な違い、
人種的な、共同社会の違い、
別のに対して、一組の 体系化された概念。
よろしいですか。
進んでいるこの闘い -
それは、私たちの中で進んでいる ことより、異なっていますか。
いいですか?
どうぞ、究明してください。
それは異なっていますか。
なぜなら、私たちもまた 暴力的であり、
私たちもまた、 虚栄に満ちていて、
ひどく不正直であり、
様々な場合に様々な仮面を 着けているからです。
いいですか?
で、それは、一つの動きですか。
理解されますか。
外へ引いていく潮と、内へ 満ちてくる潮のように、です。
よろしいですか・
・・ それは、一つの動きです。
私はどのように、それに責任を 持つべきなのか、ではありません。
|
|
33:39
で、世界は私であるなら - いいですか? -
なぜなら、私たち人間が、 それを創り出してきたからです。
私たち人間が、変化しないのなら、 それはとうてい変化させられません。
それが、その根です。
理解されますか。
私たちは、そこで、世界で 何かをしたいのです。
より良い制度、より良い政府、
より良い経済、等々々ですが、
私たちはけっして、私たちがそれを 創り出してきたと、言いません。
そして、私たち、私、あなたが、 変化しないのなら、
それは変化させられません。
私たちは、それに責任を 取ろうとしませんが、
私たちは、それに 責任を取るでしょう。
違いを理解されますか。
私たちはここで、 出会いますか。
|
|
34:49
で、私は世界です。ですね? よろしいですか。私は世界です。
それは、観念ではない。
それは、信念ではない。
それは、概念ではない。
それは、現実です。
私たちが生きてきた 一千万年とか、
いかなる年数の後にしても、
私たちは、まさしく同じです。
よろしいですか。
私たちは、根源的に 変化していません。
それで、私たちは世界に、こうも 荒廃などを、創り出してきました。
で、事実は、私は世界である、という ことです。
観念ではなく、現実です。
違いが、分かりますか - 観念と現実として、です。
観念はこうです - あなたは、 これを聞いてきました。
すなわち、あなたは世界である、と。
あなたは、それを抽象化して
観念にし、その観念について 議論します。
それが真実でも、虚偽でも、 反対でも、賛成でも、です。
あなたは、それを失って しまいました。
理解されますか。
ですが、事実は、あなたは そうなのです。そのとおりです!
|
|
36:18
で、あなたは、これを変化させる ことに、責任があります。
それは、あなたが、いかに 自らの日常生活をするかに、
完全に責任がある、 という意味です。
どうぞ、これは、説教ではなくて、 何をも提唱していません。
私たちは、ともに 究明しています。
|
|
36:56
で、私たちの責任は、進んでいる 混沌に対して、ではない -
それを修正しよう、 変化させよう、装飾しようとか、
この集団やあの集団やあの施設に 加わろうとする、などではない。
世界である人間として、
その人間は、根本的な変容を、 遂げなくてはならないのです。
さもないと、あなたたちは、 良い社会を、持たないでしょう。
私たちのほとんどは、変化することを 怖ろしく困難だと、見ます。
ですね?
喫煙を止めることすら、です。
理解されますか。
あなたは、禁煙するのを助けて くれる施設、制度を、持っています。
私たちがいかに、施設、 制度に、依存するのかが、
お分かりですね。
よろしいですか。
で、私たちは、なぜ自分たちが 変化しないのかを、見出せますか。
なぜ私たちは、何かを 間違っていると見て
- 括弧付きの「間違っている」です - それを即時に終わらせるのか。
38:31
それは、私たちは、他の誰かが世界に 秩序をもたらすだろうと感じる、
そのとき私たちは、ただ それに滑り込むだろう、
ということですか。
理解されますか。
それは、私たちが怠惰である、 心理的に怠けて、
無能である、ということですか。
理解されますか。
一定の技術を習得するために、 どれほどの年を使いますか
- 学校、高校、専門校、 大学を出るため、
医師になるために、 十年以上です。
私たちは他方、一日も使おうと しません。
理解されますか。
で、私たちの責任は、自分自身に 根本的な変化を、もたらすことです。
なぜなら、私たちは、 残りの人類であるからです。
|
|
39:48
次の問いは、こうです -
「暴力に関して、そして、 暴力に向き合ったとき、
正しい行為は、何ですか」。
暴力に関して、 正しい行為は、何ですか。
暴力とは、何ですか。
進んでください。
暴力とは、何ですか。
怒りですか。
憎しみですか。
どうぞ、私はそれに入ろうとして います。
怒り、憎しみ、順応、
模倣、服従ですか。
または、それらの拒否、 それらの対極ですか。
質問を理解されますか。
暴力は、 私たちの生の一部です
- たぶん動物より 継承された、などです。
そして、それより 自由であることは、可能ですか。
それより、相対的にではなく、 完全に自由である。
それが何を意味するかを、 理解されますか。
怒りより自由である -
それは、怒りより 自由であるだけではなく、
精神に怒りを持たないことを、 意味しています。
理解されますか。
あなたがこれらに出会うのか どうかと、思われます。
|
|
41:58
例えば、順応。
外的な順応ではない。
理解されますか。
比較をとおした順応の感覚、です。
私がいう意味に、 付いてきておられますか。
私たちは、いつも、 比較しているでしょう。
心理的に、私はそうだった。
私は そうなるだろう。私はそうである
- それは比較的です。
これらに 付いてきておられますか。
で、私は訊ねています - この精神は、
いつも比較し、判断し、 攻撃的であり、
その攻撃性は、 比較することです。
いいですか?
お分かりに なるとは、私は思いません。
で、精神は絶対的に、暴力 すべてより、自由でありえますか。
43:17
そうであるなら、仮に、 それが暴力に出会う、とします。
その応答は何ですか。
まず第一に、精神が、模倣、順応、 比較などより、自由であるなら、
そこから、正しい行為が、 あります。
ですね?
それに付いてこられるのか どうか、私は知りません。
そして、暴力に 面と向き合うなら、
起きる行為は、何ですか。
あなたは、それに出会うとき、自らが 何をしようとするかを、判断できますか。
質問に付いてきておられますか。 どうなのかと、思われます。
|
|
44:18
ごらんください。私は、これに、 あまりに深く入りたくありません。
頭脳は、 私が言っているように
- どうぞ、私は、 頭脳の専門家ではありません。
私は、神経学とその他すべてを、 研究したことがありませんが、
あなたは、敏感で、鋭敏であるなら、 それを自分自身に、見守れます
- すなわち、頭脳は、 暴力に向き合うとき、
化学的な変化を、被るのです。
なぜなら、それは、打撃より はるかに速く反応するからです。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
いいですか。
それは、自体を癒やす能力を、 持っています。
私はそれに、さらに 入らないでしょう。
|
|
45:19
で、頭脳は、 暴力が何であるかを、知り、
その暴力へ、反応できますが、
頭脳自体が意識する・
・・
暴力からの自由を意識する。
理解されますか。
私は、何かを説明していますか。
または、ちんぷんかんぷんですか。
たぶん、ちんぷん かんぷんでしょう!
|
|
45:56
ごく単純にしましょう。
誰かが怒っているのを知るとき、 あなたの全身が、反応します。
化学的な応答、 そのすべてが、起こります。
即時の応答が、あります。
あなたは、 叩き返さないかもしれませんが、
そこでの怒りや 憎しみの存在こそにより、
行為が、あります。
いいですか?
さて、暴力の面前で、 この応答を持たないこと。
理解なさるのかどうかと、 思われます。
いいですか。
私はそれを、説明していますか。
いつかそれを試してください。
あなたがけっして暴力に 向き合わないことを、望みますが、
きっとあなたは怒りに 向き合うだろうと、思います。
怒っている人物の面前で、 何が起きるかを、見てください。
それに気づいて、反応しない。
よろしいですか。
すなわち、あなたは、 他の人物の怒りに気づいて、
あなた自身が応答しない瞬間、
全く違った応答が、ある。
47:24
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
それを、愛と、その種のことと 呼ばないでください。
この応答は、私たちの本能です。
憎しみへ憎しみにより、
怒りへ怒りにより、 応答するのですが、
怒りの面前で、これが、 あります - よろしいですか。
わき上がってきて、それが、 神経系に反応などを、
化学的に創り出しますが、
怒りの面前で、 これらを鎮めるように、です。
そのとき、あなたが暴力に 直面しているとき、
違った行為が、 起きているのです。
これは、明らかに なりましたか。
または、それはやはり、 ちんぷんかんぷんですか。
よろしいですか。
いいえ? 明らかですか - 少なくとも、言語的には、です。
|
|
48:42
第三の質問: 「明日が私たちの問題を 解決してくれるだろうとの望みが、
私たちが変化の絶対的な切実さを 見るのを、阻止します。
これをどのように、 取り扱いますか。」
|
|
48:56
「明日が私たちの問題を 解決してくれるだろうとの望みが、
私たちが変化の絶対的な切実さを 見るのを、阻止します。
これをどのように、 取り扱いますか。」
|
|
49:14
それが、私たちが 変化しない理由ですか
- すなわち、明日、 その望み、未来、
明日、来年など、 未来、です。
私たちの精神は、未来へ 条件づけられているからですが、
質問者は、訊ねます - それが、 私たちが変化しない理由ですか。
さて、あなたがそれに入るなら - 私たちは、この問いに入るでしょう。
|
|
49:56
あなたがいう未来とは、どういう 意味ですか。未来とは、何ですか。
質問を理解されますか。
あなたが重篤な病気であるなら、 明日は意味を持っています。
理解されますか。
理解されますか。
なぜなら、私は明日までに、 治るかもしれないからです。
で、私たちは、訊ねなければなりません - この未来の感覚は、何ですか。
未来とは何ですか。
質問を理解できますか。
未来とは何ですか。
私たちは、過去を知っている から - 理解されますか -
そして、私たちは過去に生きる から - それは、事実です。
反対の動き、すなわち、 過去が現在を通ってゆき
- いいですか?
- 自体を修正し、
未来と呼ばれるものへ、 動きます。
いいですか? これに 付いてきておられますか。
51:29
まず第一に、私たちは、 自らが過去に生きることを、
知っていますか、 気づいていますか。
いいですか?
私たちは、過去に生きますね。
その過去はいつも、 自体を修正し、
自体を調整し、自体を拡大し、 収縮していますが、
それは、やはり過去です
- 過去の経験、過去の知識、 過去の理解、過去の喜び、
過去になった楽しみ、 などなどです。
で、修正された未来は、 過去です。
ですね?
いいですか?
私は、未来は 過去の修正であると、言いました。
いいですか?
で、未来は、 修正された過去です。
これがお分かりになるか どうかと、思われます。
|
|
52:52
で、私の未来の望みは、 やはり、
過去が、私が未来だと考える ものへ、動いているのです。
いいですか。
よろしいですか。
私は、誰かに 話さなければなりません。
で、精神はけっして、過去より 動いて出たことがない。
それが、私が取りかかりたい すべてです。
いいですか?
未来は、やはり過去です。
で、精神はいつも、過去に 行為し、生きて、考えています。
で、過去は、終わりえますか
- 変化の絶対的な必要性を、 見ること、ではない。
質問を理解されますか。
|
|
54:09
過去とは何ですか。
しばしの間、それを見つめましょう。
過去とは、何ですか。
私の人種的な継承物、私の条件づけ - これやあれとして、
ヒンドゥー教徒、仏教徒、キリスト教徒、 カトリック、アメリカ人などとして、です。
過去は、 私が受けてきた教育です。
過去は、 私がしてきた経験、
傷、喜び、思い出 などなど。
それが過去です。
よろしいですか。
それが、私の意識です。
それが、私たちの意識です
- それは、私の意識ではない。
それは、私たちの意識です。
で、その意識は、 その内容すべてとともに
- それは、私の信念、私の教義、 私の望み、私の恐れ、私のあこがれ、
私の幻影など、私の依存ですが、 そのすべては、終わりえますか。
あなたは、これらを ご存じありません。
|
|
55:37
さて、見てください!
あなたは今朝、他の一人への依存を 完全に終わらせられますか。
なぜなら、それは、あなたの意識の 一部であるからです。
ですね?
なぜなら、あなたが 終わらせる瞬間、
何か新たなことが、 始まるからです。
明白です。
ですが、私たちは、けっして 何をも、完全に終わらせません。
終わらないのが、 望みです。
ですね?
これに 付いてきておられますか。
で、あなたは、終わらせて、
依存の帰結を見られますか
- 心理的に、です。
外的に、 ということではありません。
私は、郵便配達人に、電話に、これ、 あれ、その他に、依存しますが、
心理的に、内的に、依存するとは どういう意味かを、見てください。
すると、即時の行為が、起きています - それが終わることが、です。
|
|
57:15
さて、論点は、こうです -
私たちの意識の内容は、
ちょっとずつ、なされるべきですか。
理解されますか。
すなわち、怒りを取り除く、嫉妬を 取り除く。
よろしいですか?
ちょっとずつ、ちょっとずつ。
それは、あまりに長く掛かる でしょう。
そうでないでしょうか。
または、全部のことが、即時に、 無媒介に、なされますか。
質問を理解されますか。
すなわち、私たちの意識の内容を、 一つずつ取り、
それらを終わらせるには、 自分の生涯が、掛かるでしょう。
または、多くの日々、 多くの年が、掛かるでしょうが、
内容全体を見て、それを 終わらせることは、可能ですか。
質問を理解されますか。
内容全体、 その全体を見ることは、
相当に簡単です - あなたがそうするなら、ですが、
私たちの精神は、こうも 条件づけられているので、
私たちは、変化するための 要因として、時を許すのです。
|
|
59:03
私たちがこれらの問いに 答えていることを、望みます。
|
|
59:13
第四の質問: 「私たち人間が、
他の人たちとの日常関係において 満たすべき責任を
持つ心理的な必要が、 ありますか。
真の心理的な必要と いったものが、ありますか。」
|
|
59:32
それが、本当の問いです -
真の心理的な必要といった ものが、ありますか。
あなた自身が、 問いに答えましたね。
私がそれに、答えなくては いけませんか。
私が問いに、答えなくては いけませんか。
ああ、私はそれに、答えなくては いけませんか。いいえ。ありがたい!
|
|
1:00:06
第五の質問: 「何かの総体を 見るとは、どういう意味ですか。
何か動いているものの総体を、 知覚することは、
いったい可能ですか」。
|
|
1:00:17
問いを理解されますか。
「何かの総体を見るとは、 どういう意味ですか。
何か動いているものの総体を、 知覚することは、
いったい可能ですか」。
私たちはともに、 そうしましょうか。
|
|
1:00:43
私たちが以前の質問で、それに 入る中で、言いましたように、
私たちの意識の総体を 知覚すること。
いいですか?
その意識は、「私」、自己として 集中しています -
自我本位の活動、 自己中心的な動きとして、です。
それが、 私たちの意識の総体です。
いいですか?
さて、私たちは、それを 完全に見られますか。
もちろん見られます。
いいですか?
それは困難ですか。 または、それは・・・
すなわち、自らの意識は、その内容 すべてから、作り上げられます。
いいですか?
それは明らかです。
すなわち、私の嫉妬、 私の民族性・
国籍、私の信念、
私の経験などなどなどです。
それが、意識と呼ばれる このものの内容です。
1:02:00
それの核心は、私、自己です。 ですね?
このものを今、全面的に見る。
いいですか?
よろしいですか?
それを見られますか。
もちろん、見られます。
それは、完全な注意を それに注ぐ、という意味です。
いいですか?
またもや私たちは、何へも めったに、完全な注意を注ぎません。
さて、私たちは、互いに 訊ねています -
自己のまさに核心にある この内容へ、
完全な注意を 注いでください。
自己、「私」は、 それの本質です。
それへ注意を注いてください。すると、 あなたは、全体が見えるでしょう。
|
|
1:03:15
さて、質問者はまた、言います - それは興味深いです -
すなわち、 何か動いているものの総体を
知覚することは、 いったい可能ですか。
自己は動いていますか。
あなたの意識の内容は、 動いていますか。
それは、自体の制限の中で、 動いています。
よろしいですか。
あなたはどうですか・
・・これらに 付いてきておられますか。
私は、自分自身に 話していますか。
|
|
1:04:00
ご覧ください。意識の中で、 何が動いていますか。
執着、 執着しないことの恐れ、
私が執着していないなら、起きる かもしれないことの恐れですか。
それは何ですか。
自らの半径の中で、動いている
- ですね?
- 自らの 制限された区域の中で、です。
それを、あなたは 観察できます。
で、あなたは、制限されていて、 生きているものを、観察できます。
で・
・・私はこれに、少し入りたいと 思います。衝撃を受けないでください。
内容をともなった私たちの意識は、 生きていますか。
質問を理解されますか。
私の観念は、生きていますか。
あなたの信念は、 生きていますか。
で、何が生きていますか。
これに 付いてきておられますか。
自らは、経験を持ちます - 快い、快くない、尊い、卑しい、
いわゆる覚り、です。
真理の、 覚りの経験は、できません。
それは不適切です。
1:05:36
で、あなたがしてきた経験は、 生きていますか。
または、その経験の思い出が、 生きていますか。
いいですか?
事実ではなく、 思い出が、です。
事実は、 去ってしまいました。
ですが、思い出の動きは、 生きていると呼ばれるものです。
よろしいですか。
さあ、動いてください!
で、経験は、去ってしまいました。
もちろんです。
それは、憶えられています。
その思い出は、 生きていると呼ばれます。
ですね?
それを、 あなたは見守れますが、
去ったものを、見守れません。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
|
|
1:06:45
で、生きていると呼ばれるものは、 起きて、去ってしまったことです。
ご覧ください - ご自分が何を なさっているのか、です。
去ってしまい、死んでいるもの。
私たちの精神は、 こうも死んでいます。
それらの思い出は、
生きていると呼ばれます。
それが、 私たちの生の悲劇です。
私は、私たちが持っていた 友だちを、憶えています。
彼らは、去ってしまいました - 亡くなってしまった兄弟、
姉妹、妻、母親 - 私は、憶えています。
思い出は、写真と 同一視されます。
それを常に見つめること、
それを思い出すことが、生きている ことです。
理解されますか。
それが、私たちが生きること と呼ぶものです。
今、何時ですか。
|
|
1:08:11
聴衆: 1時まで25分です。
|
|
1:08:15
K: 私たちは止めたほうが いいと、思います。
|
|
1:08:18
止めてもいいですか。
私は、(録画)テープのために、 ちょうど1時間で
止めなければならないと、 言われました。(笑)
|
|
1:08:42
これは、かなり興味深い疑問です。
|
|
1:08:44
第六の質問: 「対極を 持たない状態が、ありますか。
私たちは、それとどう 親交するかを、知りえますか」。
|
|
1:08:57
「対極を持たない状態が、 ありますか。
私たちは、それとどう 疎通するかを、知りえますか」。
|
|
1:09:10
これについて、ごく 単純にしましょう。
対極が、ありますか - 男、女、闇、光、高い、低い、
金髪、黒髪、樹以外に、です。
違いです - 夜と昼。
良さに対極が、ありますか。
もし対極を持っているなら、 それは、良くありません。
いいですか。
それをお分かりに なるかどうかと、思われます。
良さ - それは、もし 対極を持っているなら、
その良さは、対極の中から 生まれるにちがいありません。
これに 付いてきておられますか。
私は、あまりに速すぎますか。
いいですよ。 ゆっくり行きましょう。
|
|
1:10:13
そうね、私は、 これらについて、考えません。
それは、私の中から、 追い出されています。
で、良さ。
対極は何ですか。
私たちは、対極を育成して きましたね - 良い、悪い。
私たちは、「良さ」は「悪い」の 対極である、と言います -
括弧付きの「悪い」、 どちらも括弧付きです。
さて、それらが互いに 関係を持っているなら、
または、互いの結果であるなら、 そのときこれは、良くありません。
良いは、やはり、悪いものに 根ざしています。
これらに 付いてきておられますか。
で、そもそも対極が、 ありますか。
1:11:17
理解されますか。
私は暴力的です - 暴力があります。
思考は、非暴力を、 創り出してきました
- すなわち、非事実を、です。
なぜなら、暴力は・
・・ 暴力が終わることは、
非暴力より、全く 違った状態であるからです。
いいですか?
で、精神は、 行為より逃避するために、
対極を 創り出してきたか
- いいですか?
- あるいは、暴力を乗り切るか、
暴力を抑圧するために、です。
このすべての活動は、 暴力の一部です。
これらに 出会っておられますか。
|
|
1:12:16
で、あなたは、事実に 関心を持つだけなら、
事実は、対極を持ちません。
ですね?
それがお分かりになるのか どうかと、思われます。
私は関心を持っています・
・・ 例えば、私が憎むなら・・・
私は自分がそうでないと、望みます。
仮に、私は憎む、とします。
私の精神、私の思考、社会は、 「憎むな」と言うでしょう。
ですね?
それは、対極です。
対極は、自らの対極の中から、 生まれています。
いいですか?
いいですか?
これに付いてきていますか。
で、ただ、憎しみだけが、ある - その対極が、ではない。
私は、その事実と、その事実への 応答すべてを、観察するなら、
なぜ私は、対極を 持つべきですか。
1:13:29
私が何を言っているかを、 理解されますか。
対極は、思考により、 創り出されてきました。
ゆえに、憎しみと非憎しみとの 間に、常なる格闘が、あります
- 私は、どうやって、自分の 憎しみを、乗り切るべきなのか。
ですが、ただ、その事実だけが、残る なら - その対極でなくて、です -
あなたは、それを見つめる エネルギーを、持っています。
いいですか?
あなたは、そうする エネルギーを、持っています
- いや、それについて、 何をするのでもない。
あなたがそれを観察するとき、 その事実こそが、解消されます。
お分かりになりましたか。
|
|
1:14:16
それで、十分です。
|