OJ80T1 - 私たちは、自分たちが向き合っている危機について、ともに考えられますか

第1回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月3日
テキストのみのバージョン
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0:35
あなたたちが告げられたように、 六回の講話と、
四回の、
討論または対話と私たちが 考えるものが、あるでしょうが、
私たちは、 それら四回の非講話に、
質問を受けるほうが、 良いだろうと、考えました。
こんなに多くの人々とでは、 対話を行うより、
そのほうが良いだろうと、 私は思います。
対話は本当は、実際は、二人の友の間、 二人の人々の間の会話を、
意味しています。
それは、可能でないので、
質問を受けるほうが、良いだろうと 私たちは、考えました。
あなたたちは、好きな どんな質問をも、できます
- バカげたほうでも、 最も深遠な疑問でも、です。
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1:53
私が提案してもいいなら、 どうぞ、これらの集会を、
週末の娯楽として 取り扱わないでください。
それらは、かなり 深刻、真剣であり、
私たちの一人一人に、
相当な思考の行使、
究明、観察できる能力を、 要求します。
そして、この過程の間、 おそらく、人間精神に
根源的な変化を、 もたらすのです。
それが、これらの会合が 意図していることです -
すなわち、私たちは、
世の中で何が起きつつ あるのかを、観察するため、
そしてまた、私たちの一人一人に 内的に、心理的に、
いわば肌の内に 何が起きつつあるかを
観察するためにも、 ここにいるのです。
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3:18
それで、私たちは初めに、
世界中で何が起きつつあるかを、 観察しようとしています。
観察するためには、必ず、
どの参与からも、 自由でなければなりません。
それは、かなり 困難になるでしょう。
私たちのほとんどは、何らかの ことに、参与しているからです。
どんな先入観もなく、 観察する。
どんな固定した結論もなく、 観察する。
どんな合理化、弁解、
どんな形の信念もなく、 観察する。
ただ観察する。
4:28
おそらくそれは、ほとんどの人々に とって、かなり困難かもしれません。
なぜなら、私たちは、自分の 信念により、自分の先入観により、
自分の結論により、 自分の個人的な傾向と体質により、
縛られているからです。
自由に、選択なく 観察することは、
ほぼ不可能になります。
私たちは、 これらの講話と質疑応答の間に、
ともにそれをできるなら、
おそらく私たちは、はるかに 深く、さらに遠く行けます。
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5:17
世界で何が起きつつあるかは、 観察できます - 葛藤、抗争です。
どこへ行っても、 このひどい葛藤、抗争があります
- 人と人との間、 民族と民族、国家と国家の間、
宗教と宗教の間、です。
理論家と神学者たちの 間の抗争 -
キリスト教の神学者と 非キリスト教の神学者、
共産主義者、全体主義者、
信ずる人、 体系、体制を信ずる人たち、
信念により 縛られている人たち、
イメージ、宗教的なイメージ - キリスト教やヒンドゥー教や
仏教や、あなた自身の 特定のイメージ、像 - により、
完全に没入している人たち、です。
6:27
それで、世界には、この闘いが つづいています -
政治家たちの間、導師たちの間、
あらゆる人間たちの間の、 ものすごい抗争です。
人間たちは外的に、格闘し、 競争し、闘争しています
- 自己を表現するため、
自己を同一視するため、 何かになるために、です。
たぶんこの国では、よりそうです - ここでは、成功が崇拝されていて、
ここでは、金銭、立場、 地位のみが、重要になるのです。
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7:19
で、このものすごい葛藤、 抗争が、つづいています -
科学者たちの間、
司祭者たちの間、
この不幸な地球の上の、 あらゆる人間の間に、です。
誰も、この葛藤、抗争を解消 できるように、思われません -
経済的なこと、社会的なこと、 政治的なことを、です。
誰も、気づかうように、 思われません -
格闘の中で、
人、人間のまさしく 破壊の中で、です。
この問題を、この果てしなく 続く葛藤、抗争を、解消するよう、
誰も、自らの精神と心を、 注入してきませんでした。
冥想は、葛藤になります。
8:32
私たち自身を変化させる ことは、葛藤になります。
親密でも、それ以外でも、 私たちの関係のどれにも、
やはり、葛藤、抗争が、 あります。
人は見たところ、幾百万年もの間、 生きてきましたが、
このすべての時の後で、この問題を 解消したことが、ありません。
何か根本的に間違ったことが、 あるのです。
すなわち、人間たちは高度に、 いわゆる高度に、文明開化していて、
心理的にも、科学的にも、
大変多くの知識をもち、
大変多くの格闘、
戦争、涙、悲惨を もっています。
人は、人間たちは、 この問題を
解消することが、 できてこなかったのです。
9:45
それが、外的な世界です。 そこで起きつつあることです。
誰も、自分たちの特定の信念、 教義、政治的意見、理論、
結論、信念を忘れるか、 落としてしまい、
「一緒になって、この問題を 解消しよう」と言う甲斐があると、
感じるように、思われません。
どの政治家も、 そうしないでしょう。
どの司祭者も、 そうしないでしょう。
どの心理学者も、 そうしないでしょう。
科学者もまた、 そうしないでしょう。いいですか?
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10:43
問いを理解されますか。
問いの重大さが、 分かりますか。
なぜなら、私たちは、互いに 破壊しあっているからです
- 自らのとても強い信念、
思想、概念、 イメージによって、です。
見たところ、私たちは、
一緒になって、
この問題を解消する能力が、 ありません。
すなわち、ともに 考える能力が、ありません。
この国の共和党員も、 民主党員も、
自らの特定の考えの道筋や、
自らの個人的な野心、 自らの権力、地位への渇望を、
落としてしまおうと しないでしょう。
なぜなら、それは、私たちが みんながともに働き、ともに考え、
その必要性、絶対的な必要性を、 ともに感じるときだけであるからです。
そのときおそらく、私たちは、 問題を解消できるでしょう。
が、彼らの誰一人として、 そうしないでしょう。
なぜなら、それは、彼らの 個人的な誇り、虚栄、地位、権力を
あきらめることを、 意味しているからです。
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12:35
世界は、戦争の準備を しています。
おぞましい暴力です -
あなたが誰かに不同意するなら、 彼らは来て、あなたを撃ちます。
人間の気持ち、人間の威厳、 人間の自由への配慮すべてが、
次第に破壊されてきました。
で、それが、私たちが生きる ところの外的な世界です。
誰も正気な人は、これらを 否定できるとは、私は思いません。
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13:24
そして、内的に、
私たちの心理において、
私たちの肌の内側、 私たちの思考において、
私たちの感情において、私たちも また、葛藤の中に、います。
いつも、奮闘しています - より良くなろう、
何かになろう、
内的に成功、地位を 達成しようとして、です。
この闘いが、内側で 進んでいています。
またもや私たちは、それを解消する ことが、できるように思われません -
心理学者にもかかわらず、
心理療法士にもかかわらず、
カトリックの告解にもかかわらず、
この国にある施設、
組織すべてにも かかわらず、です。
14:44
あなたは、気持ちが良くないと、 錠剤を摂ります。
あなたが、喫煙を止められないなら、 人々が、喫煙で助けてくれるでしょう。
あなたが神に話をしたいなら、 彼らが助けてくれるでしょう。
それで次第に私たちは、自分の 責任能力を、失いつつあるのです
- 自分の行為へ、自分の精神へ、
自分の身体への責任を 持つことを、です。
私たちは次第に、不幸にも、
大事な物事すべてを、 失いつつあるのです。
これは、またもや、 真実です。
私たちは、誇張していません。
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15:49
で、外側で世界に 何が起きつつあるかを、見て、
また、人間としての私たちの一人 一人に、何が起きつつあるかをも、見て
- これを観察する。
そして、 ともに考えることの
絶対的な必要性を、見る。
質問を理解されますか。
ともに考える。
すなわち、私たちは、外的と内的に 葛藤、抗争を持っています。
私たちは、この葛藤、抗争を 解消しないのならば、
人類は 自滅していくでしょう。
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16:50
あなたは、 これらを聞きに、
ここへ来てくださった上は、
あなたと語り手が、 この葛藤について、
ともに考えることが、 きわめて必要になるのです。
ともに考えるとは、 私たちのどちらもが、
脇に置くことを、 含意しています
- もし、私たちは 真剣であるなら、
世界で何が起きつつ あるかを、知るなら、
人間たちがしてきたことすべてへ 私たちが、責任を持ち、
人間心理に根本的変化を
もたらす必要性を 感じるなら、です。
なぜなら、各々の人間が 変化するのでなければ、
社会は、 変化させられないからです。
これらを見て、私たちは、
ともに 考えなければなりません。
二人の人々がともに考えられることが、 いかに困難であるかを、
観察なさったことがあるのか どうか、私は知りません
18:25
- 彼らがどんなに 親密であっても、
男と女が、友だちが、何かに ついて、ともに考えることが、です。
ここに、私たちが向き合って いる危機が、あります。
単に政治的、 経済的な危機だけではなく、
はるかに深い危機、
私たちの意識に おける危機、
私たちの精神に おける危機、です。
私たちは、 あなたと語り手は、
それについて、ともに 考えられますか。
すなわち、あなたは、 あなたの結論、
あなたの立場、あなたの信念、
あなたの個人的な心理的参与を、 あきらめます。
語り手は、そうします。
それで、 私たちのどちらも、出会うのです
- この葛藤、抗争を解消することが 可能であるのかどうかを、
ともに考えるように、です。
質問を理解されますか。
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20:02
あなたは 観察すればするほど
- 語り手がここ 六十年してきて、
その期間に世界中で 話してきたように、です -
人間たちは、制御不可能なほどに、 ますますあくどくなりつつあります。
もっと暴力的で、
一人一人が、 自分の独立を主張し、
自分のしたいことを しています。
自分の楽しみにより 駆り立てられて、
この国で呼ばれるように、「自分の ことをやっている」のです。
で、一人一人が、
自己を孤立させ、
残りの人類を 忘れつつあります。
これが起きつつあります。
またもや、あなたが気をつけて、
あなた自身でも、世界でも、 観察するなら、です -
すなわち、私たちの一人一人が、 自分の欲望、自分のほしいもの、
自分の特定の体質を、 追求しているのです。
自分が楽しめることを、 する。
ですね?
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21:45
で、私たちは、 少なくとも、一時間、
そして、おそらく 余生の間、
ともに考えられますか。
何かについて、ともに考える ことは、あります。
ですね?
危機があるとき、私たちは、 ともに考えるのです -
ひどい戦争のように、です。
そのとき私たちは、自分の 特定の戯言を、忘れます。
そして、何かはるかに 大きなことの脅威は、
戦争のように、私たちを、 一緒にまとめます。
それは明白です。
それに不同意する者は、 誰もが、
撃たれたり、監獄へ送られたり、 あるいは、臆病者と呼ばれます -
良心的拒否者 などなどと、です。
22:50
で、見たところ、 大きな危機が、
人を、人間を、 一緒にまとめます -
愛国主義の名、
神の名、平和の名 などにおいて、です。
ですが、私たちは今、 幸運にも、戦争のような、
目に見える実際の危機を、 持っていません。
それで、一人一人が、 自分の望むことを、します。
その追求が、奨励されます。
で、私たちは次第に、 自らの自由を、失いつつあります。
これらを観察なさるのか どうかと、思われます。
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23:58
これらを考慮すると、 あなたと語り手は、
私たちが向かい合っている、この危機に ついて、ともに考えられますか -
経済的ではなく、政治でもなく、
社会的でもない危機です。
それらは、すべて外的です。
危機は、私たちの一人一人に あるのです。
危機は、私たちの意識に、
私たちの精神に、 私たちの心に、あります。
で、私たちは、 その危機を観察でき、
その危機を解消するよう、 一緒にまとまれますか。
私の発言を理解されますか -
それで、私たちは危機について、 ともに考えられるように、です。
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25:00
また、対象なしに、ともに 考えることが、あります。
そのほうが、はるかに複雑です。
理解されますか。
すなわち、私たちは、戦争に ついて、ともに考えられます。
戦争といった危機が、あるなら、 私たちは、自分自身を忘れて、
全体へ責任を持ちます。
ですね?
で、危機について考えることは、 比較的、たやすいのです。
が、対象なく、ともに考える。
「何かについて」なしに、一緒に考える
- これを理解なさるのか どうかと、思われます。
それは構いません。私たちは、 はるか後に、それへ来るでしょう。
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26:07
で、私たちは、今朝と、
続く朝に、 ともに考えられますか。
すなわち、私たちはどちらも、 私たちの精神の、
私たちの意識の、 私たちの心の危機を、見られますか。
それについて、ともに 話し合いましょう。
こんなに多くの人々と、ともに 話し合うことは、不可能なので、
語り手は、まるで
二人の人々に 話しているかのように、
それについて、話すでしょう。
理解されますか。
すなわち、あなたが一人で、 語り手と、です。
私たちはみんな、この麗しい木立に 一緒に座っています。
そして、私たちはこの問題を 解消できるのかどうかを、見ます。
究極的に、ではなく、 数日後に、ではない。
理解できますか。
ともに 話し合う過程こそにおいて、
問題を解消するのです。
すなわち、
私たちの頭脳は、時をとおして 進化してきました。
27:59
ですね? その頭脳は、あなたの 頭脳や、私の頭脳ではありません。
それは、人類の頭脳です。
ですね?
これらに 付いてきておられますか。
ですが、 私たちがしてきたことは、
あの甚大な頭脳の能力を、 狭めてしまう -
時をとおして進化したものを、
「私」の狭く小さな頭脳へ、です。
理解されますか。
自分の小さな問題を もった「私」、
自分のけんか、嫉妬、心配、 競争、自分の成功をもった「私」
- 私はこれをしなければならない。
私はしてはならない、と。よろしいですか。
この甚大な頭脳の能力は
- それは、幾千年に幾千年を かけて進化してきましたが -
何か、けばけばしいものへ 還元されてしまったのです。
何か、そうね、かなり 汚いものへ、です。
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29:11
頭脳は、 どの根源的な変化にも対して、
自体を保護することが、 慣習となったのです。
ご自分の頭脳を観察したことが あるのかどうか、私は知りません。
私は、頭脳の専門家ではなく、 精神生物学者ではないのです。
何が起きつつあるかを、 ご覧ください。
すなわち、彼ら、科学者たちは、 何か越えたものを、見つけるために、
物質を検討しています。
理解されますか。
もしあなたが、どの科学者にでも、 話したことがあるなら、
または、あなた自身が 科学者であるなら、
あなたは、試みています。
あなたは、真剣であるなら、
本当に深く関心があるなら、 あなたは、物質を究明しています。
これらの起源である何かを、 見つけるか、発見するために、です
- 神を、ではない。
なぜなら、それは、 単なる人の考案物であるからです。
私たちは、当分の間、 それに入らないでしょう
- 何か越えたものを、見つけるために、 物質を通っていく代わりに、です。
30:40
が、人間として、私たちは、 その物質の一部です。理解されますか。
ですが、もしも、私たち自身を 通って行ったなら、
私たちは、はるかに深く、 もっとはるかに行くでしょうし、
私たちは本当に、 それの真理へ来るでしょう。
私が言っていることに、 付いてきておられますか。
私の話が明らかでないのなら、 どうぞ、止めてください。
なぜなら、結局のところ、私たちは、 互いに疎通しあおうとしているからです。
言葉は、必要です。
語り手が、非専門的な言葉、 どの種の術語でないものを、使い、
ただ、普通の日常言語を 話しているだけなら、
おそらくそのほうが、 たやすいでしょう。
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31:44
で、私たちの頭脳は、時を とおして、進化してきました。
私たちの頭脳は、 自体を癒やすか、自体に抵抗する
自らの化学的能力を、 持っています。
あなたは、それに入る なら、見出すでしょう。
自らに安全を与えてくれない、 どの変化にも、抵抗するのです。
この頭脳は、時の本質ですが -
私が言っていることを、理解されますか。
私はこれらを説明しなくてはいけませんか。
そうしなくてはいけないでしょう。
分かります。いいですよ。
それは、時の本質です。
なぜなら、 それは、時の結果であるからです。
きわめて、きわめて多くの 幾百万年の後、
それは、一定の轍を 確立してきました -
一定の考え方、
馴染みの一定の活動、
一定の信念と結論を、です。
それは、頭脳に、 安心感を与えます。
33:15
これらは、時をとおして 発展してきました。
私たちは、こう言っています - どうぞ、聞いてください。
私たちは、こう言っています -
一定の概念、信念、 観念、理論に沿って、
条件づけられてきた その頭脳の能力は
- 神学者などなどに よって、ですが -
頭脳は根本的に、自体を 変化させられません。
それは明白です。
ビヤン (いいですか)? 理解されましたか。
私はそれを つづけていいですか。
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34:10
考えることは、この伝統的な、
昔ながらの頭脳の 過程の一部です。
ですね?
で、語り手が、 二人の人々として
ともに話し合いましょう、と 言ったとき、
ここには、多くの人々が いるけれども、二人の人々として、
葛藤を終わらせるその問いに、 関心を持っています。
葛藤を終わらせる。
次第に、すなわち、
時に条件づけられた頭脳の過程、ではない。
これらに付いてきておられますか。
私たちは、 その連鎖が破られないのなら、
人間の本性に根源的な変化は、とうてい ありえないと、言っています。
35:24
あなたが、作動中の自分の頭脳を、 観察してきたなら -
書物からではありません。
それらは役立つかも しれませんが、本質的に、
頭脳についての書物、 作家と研究者など、
彼らは、自分の頭脳を 究明しません。
彼らは、頭脳を究明します。
これらに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
あなたが真剣ならば、私たちは、 自分の頭脳を究明しています。
誰か心理学者、神経学者、
心理生物学者などなどなどに 沿っての頭脳、ではない。
そのとき、あなたが、権威に 沿って、それを検討するなら、
あなたが検討しているのは、あなたの 頭脳ではなく、権威であるからです。
36:25
ヴザヴェ・コンプリ? つまり、理解しましたか。
これは明らかですか。
どうぞ、これはとても重要です。
なぜなら、私たちはみんな、 こうも学識があり、
私たちは、こうも多く読書して きたか、多く言われてきたので、
私たちは、何をすべきかを言ってもらう ために、他人に依存するからです
- どう赤ちゃんに食べさせるのか、 どう歩くのか、どう走るのかを、です。
よろしいですか。
彼らは、あなたに あらゆることを、言います。
私たち、不幸な人間は、 受諾して、
わずかに抵抗しますが、 順応します。
語り手は、これらの書物を どれも、読みませんが、
他の教授たち、 心理学者と科学者たちへ
大変多く話してきたし、
自分の頭脳の活動を 観察してきました。
すなわち、頭脳、頭脳の活動は、 反応、応答です。
感覚的な応答、衝撃 - よろしい ですか - それらです。
37:55
観察するのです。 受け売りではなく、実際に、です。
そのときあなたは、 とてつもない活力を、持ちます。
悪さをするためではなく、 頭脳のとてつもない活力です。
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38:14
で、私たちが言っていることは、 こうです -
頭脳は、時の中で進化してきたし、 それは、危機は解消されるだろうと、
時ということに立って、 考えられるだけなので、
「解消されるだろう」と いう言葉を使った瞬間、
あなたはすでに、時ということに 立って考えています。
これに付いてこられるのかどうか、 私は知りません。
いいですか。
で、あなたと私は、ともに 話し合いましょう。
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38:57
私たちは、 こう言っています -
時をとおして養成されてきた 頭脳のこの活動は、
あなたが危機に向き合うとき、 壊されうるし、
観念、概念、欲望より 自由でありえます -
「私たちは最終的に、それを変化 させるだろう」とのそれより、です。
この点に、 付いてこられますか。
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39:31
で、この葛藤の問いについて、 ともに話し合う中で、
私たちは訊ねています - 葛藤は、 即時に終わらせられますか。
そうならない瞬間、
それを即時に終わらせる 切迫性を、持たないとき、
あなたは、時に入るのです。
ヴザヴェ・
コンプリ? これを理解されましたか。
で、私たちは今、ともに 葛藤について、考えています -
「それは、最終的に、次第に 終わるだろう」
ということに立って、 考えていません。
それをお分かりになるのか、 私は知りません。
どうぞ、これを 理解してください。
で、危機の切迫性こそが、 時を終わらせます。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
あなたは、頭脳の様式を 壊したのです。
私たちが話していながら、 あなたは、こうしていますか。
または、あなたはただ、或る種の話を 観念として、聞いているだけですか。
理解できますか。
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41:05
さて、ちょっと待ってください。 私は、このように表すでしょう -
危機は、あなたの精神に、あなたの心に、 あなたの振るまいに、ありますか。
それは、観念ですか、 現実ですか。
質問を理解されますか。
それは、言語的にあなたへ 提示されてきた概念ですか。
そして、あなたは、その概念を受け 入れるので、それは、観念になる。
ところが、 それの叙述こその中に、
あなた自身の観察の事実が、 ありますか。
これをご覧になるのか どうかと、思われます。
すなわち、それは、 私たちの間で進んでいますか。
それは観念、概念ですか - 時の概念、
それを壊せるとの概念ですか。
で、そのときあなたは、 訊ねるでしょう -
それは、いかに達成される ことになるのか、と。
またもやそれは、時を またもや認める過程です。
これらがお分かりに なるのかどうかと、思われます。
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42:22
そうね、例を 取ってください。
語り手は個人的に、例を取るのが 好きではありません。
それらは、かなり 安易な抜け道です -
私たち人間は、暴力的です。
それは、世界中で立証されて きました。
それは明白です。
暴力は、遺伝的に 由来しました -
古代より、動物から などなどです。
で、私たちは、本性により、 私たちの振るまいにより、
きわめて自己中心的で、 暴力的なのです。
私たちは、暴力は即時に 終わらされないと、言います
- ゆえに、私たちは非暴力を 追求しなければならない、と。
これに付いてきて おられますか。
43:22
非暴力は、観念です。 それは、事実ではありません。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
事実は何なのか。
私がいう事実とは、
実際に起きつつあること、という 意味です。
それは、暴力です。
あなたは今、暴力的で ないかもしれません。
すてきな天気の中、 樹々のもとに座って、などです。
ですが、事実は、人間たちは、あなたは 暴力的である、ということです。
時をとおして進化してきた 私たちの頭脳は、
化学的に自体を保護している などなどですが、
それに条件づけられていて、「私は 最終的にそれを取り除こう」と言います。
で、理論家、神学者、司祭者、
これらすべての人々は - 私たちは 最終的にそれを取り除くだろうと、
私たちもまた、言ってきた からです。よろしいですか。
44:37
ところが、観念ではなく、 事実を取り扱っているだけなら、
そのときあなたは、何かを即時に できます。
お分かりですか。
そうね、ギリシャ語の「観念(イデア)」という言葉は、観察することを、意味しています。
よろしいですか。
単に観察する -
観察をとおして、 観察されたものより
抽象化するのではなくて、です。
理解されますか。
これらに付いてきて おられるのかどうかと、思われます。
そうね、私たちが一般的に することは、こうです -
私たちは、何かを観察するとき、即時に それを抽象化して観念にします。
それから、その観念を 実行しようとします。
45:44
で、観念を実行することは、 極端に困難になります。
それで、葛藤があります。
ところが、実際に起きつつあることを 観察しているだけなら、
あなたは、それを取り扱えます - 時の脈絡において、ではなく、
そこから動く必要性において、です。
これらに付いてきておられるのか どうかと、思われます。
付いてこられないなら、 私たちは進みましょう!
少なくとも、私たちの幾人かは、 そうするでしょう。
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46:30
で、ともに私たちは、この葛藤が 終わることについて、考えています。
明後日や来週ではなく、 即時に、です。
すみません。
すみません。
私は、昨夜、シュトラウスさんの話を、聞いていました。
すみません。
それは、彼の上司です。
彼は、出版関係者です。
私は昨夜、彼の話を 聞いていました。
で、私たちは、これを理解する なら、ともに考えましょう。
問題とは何ですか。
なぜなら、問題を 理解する中で、
答えは、問題に あるからです -
問題の外側には、ありません。
これを理解されますか。
ところが、私たちは、「それは 問題の外側にある」と言います。
「答えは、どうやら、 他のどこかにあるだろう
問題自体に、ではない」と。
いいですか?
私たちは、ともに 進めますか。どうぞ。
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48:17
で、問題とは何ですか。
問題は、見たところ -
社会は、それを 創り出してきた人間たちが
自身を変化させるとき、 変化させられるだけです。
それが、本当の問題です。
問題の本当の核心です。
ですね?
社会は、腐敗しています。
それは 不道徳です。醜いです。
不正義、残忍さが あります。
豊かな者と貧しい者 - よろしいですか - それらです。
社会は、人間たちが 創り出してきたのです。
神ではなく、 何か外側の機関ではない。
人間たちが、それを 創り出してきたのです。
分割を創り出してきた - 民族的な分割、
宗教的な分割、 経済的な分割などなどを、です。
私たち人間、人類が、それを 創り出してきたのです。
49:34
人類が - 私たちはその部分です -
根源的に変化しないのなら、
健康的で、健全で、理性的な社会を、 もたらせません。
いいですか?
唯物論者は、これを 受け入れないでしょう。
彼らは言います - 「環境を変化させなさい。
そのとき人は変化する」と。
それは、 全体主義的な態度です。
それは、彼らの全体的な、 歴史的な実験的な接近法です
- 「社会を変化させなさい。
法律、規則を作りなさい。
制御しなさい、思考を統制しなさい。
彼らを自由にさせるな。
それを変化させなさい。
人もまた、純粋に物質的であり、
そのとき人は変化するだろう」と。
いいですか?
私たちが言っていることは、 全然違っています。
すなわち、人類が、社会を 創り出してきました。
人類が、一人一人が、 人間たちが、変化しないのなら、
社会は変化できません。
51:05
それは、全体主義世界で、 証明されつつあります。
それらの国家の中で、 あなたは、
智恵があればあるほど、 それらに反逆します。
それであなたは、 強制収容所へ送られるのか、
あるいは、国から 追放されるのか、です。
|
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51:36
それで、危機は、それです。
さて、私たちの一人一人は、 どのように
- どうか、これを、二、三分の間、 聞いてください。
私たちの一人一人は、どのように、 この危機に接近しますか。
理解されますか。
人間たちが 社会を創り出してきた -
社会はそれ自体では変化できない、 というこの事実に、接近する。
社会は、 人間たちの一部です。
人間たちが根源的に変化しないのなら、 社会は変化できません。
それが、私たちの 問題の本当の核心です。
あなたは、どのように そこへ来ますか。
理解されますか。
それは、 精神上の合理的な結論ですか。
あなたが観察した後で到った、 抽象概念ですか。
52:38
または、これは事実です。 違いがお分かりですか。
それは、概念、観念ですか。
事実ですか - あなたにとって、です。
それは概念であるなら、
何が起きるかを、 見てください。
概念は単に、結論です - 利巧にとか、智恵なくとか、
理性的にとか、非理性的に 由来したのです。
社会は変化させられない、 人間たちは変化させられない、
だから友好的に続けていこう、 との結論だけです。
こう言っている人々が、 います -
人間たちは、こうも 条件づけられている。
その条件づけは、変化させられなくて、 それを少しましにできる、と。
あなたは、その集団を知っています。 その傾向、それらを知っています。
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で、私たちは、お互いに 訊ねています
- それは観念ですか。
なぜなら、 私たちは、言われてきたからです。
または、それは、 あなた自身にとって、事実ですか。
違いが分かりますか。
それが、他の人から与えられたのではなく、 あなた自身にとって、事実であるとき、
あなたは、それを 取り扱わなくてはいけません。
すなわち、あなたは、痛みを持つ とき、それを取り扱うのです。
あなたは、歯が痛いとき、 即時に何かをします。
しかし、歯が痛いのが 観念であるなら、
あなたは、「まあ、おそらく 先送りしよう」と、言います。
いいえ、笑わないで、 それの合理性を見てください。
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それにより、もう一つの点が、 出てきます。
科学者たちは、人間たちは 理性的であると、考えます。
ですが、彼らはそうではありません。
理解されますか。
事実は、人間たちが 非理性的であることです。
ですが、人間たちは理性的で あるとの概念が、あります。
私たちは、私たちがそうであるとの その概念に沿って、生きます。
で、私たちは、けっして 理性的ではない。
これに付いてきておられるのか どうか、私は知りません。
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何時でしょうか。
私たちは、 毎日、次の二週間、
この問いについて、 継続するでしょう。
それが事実であるなら、あなたは どのように構想しますか。
いや、あなたはどのように、その事実を 見つめますか。
理解されますか。
あなたは、どのように、 事実へ来ますか。
で、事実への接近が、 大事です。
あなたの接近は、 理性的ですか、非理性的ですか。
あなたの接近は、 悲観的ですか、楽観的ですか。
あなたの接近は、望み、欲望 などに、基づいていますか。
そうであるなら、 あなたの接近は
すでに、 指令されていました。
ゆえに、あなたは自由に、 事実を観察できません。
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これらに 付いてきておられますか。
お分かりですか - これは、 尋常でなく困難です。
これは、あなたが 遊び戯れることではありません。
これは、あなたの生に 関連しています。
他の誰かの理論ではありません
- どれほど利巧でも、 どれほど古(いにしえ)でも、
どれほどいわゆる宗教的でも、です。
それは、あなたの生です。
あなたは自らの生に、どのように 接近しますか。
質問を理解されますか。
あなたの接近は、あなたの教育に 沿って、条件づけられていますか。
私たちが進むにつれて、 それを検討なさってください。
あなたの社会的な地位に 沿って、ですか。
あなたの即時の要求に 沿って、ですか。
58:01
または、あなたの接近は、
イエスやブッダや誰かへの あなたの信念に、基づいていますか。
すなわち、あなたの問題への接近は、 想像上ですか。
理解されますか。
なぜなら、私たちは、イメージを もって、生きるからです。
私は、このことを、 錯綜させたくありません。
私たちの生全体が、イメージを とおして、形成されます。
私たちの宗教すべてが、 イメージです -
手で作ったのか、あるいは、 精神で作ったのか、ですが、
それらはイメージです。
そのとき 私たちは、それらを崇拝します。
それを私たちは、すばらしく宗教的だと 考えますが、それは白痴的です。
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で、私たちの接近は、
私たちの結論から、 私たちの経験から、
私たちの知識から、 自由ですか。
それは、私たちの経験から、 私たちの知識からであるなら、
あなたは、すでに 問題に、答えたのです
- それは、時に沿ってに、 なるでしょう。
よろしいですか。
それは、あなたの条件づけに 沿ってに、なるでしょう。
ですが、あなたが、自由に それへ来て、観察するなら、
即時の行為が、あります。
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今日はそれで十分だと、思います。 そうでないですか。
なぜなら、 思うのですが・
・・
この注意をもって 一時間を過ごすことは -
たぶんあなたは、それに 慣れていないからです。
あなたたちは、疲れます。
あなたたちの精神は、 彷徨っています。
あなたは、十分に 集中していません。
で、一時間の後で止めて、
火曜日と木曜日と土曜日に、 継続しましょう。
ああ、もちろん、 明日ですね。
明日、私たちは、これを 継続するでしょう。いいですね?
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