OJ80T3 - 心理的に何かを終わらせるには、時が必要なのか

第3回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1980年5月10日
テキストのみのバージョン
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0:34
先の日曜日に止めたところから、 継続してもいいですか。
おそらく、あなたたちの幾らかは、 ここにいませんでした。
で、私たちは、 自分たちが言っていたことを、
再び、少し短く 調べなくてはいけません。
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1:08
私たちは長年の間、 言ってきました -
社会は、とうてい 変化させられない・
・・
大きな動乱の中にあり、 腐敗している社会 -
そこには、戦争があり、
人間たちの間に、 大変多くの闘争が、あります。
人間たちが、それを 創り出してきたのであり、
彼らが自分自身に、根本的な変化を もたらすのでなければ、
その社会は、とうてい 変化させられないのです。
これが、私たちが 言ってきたことです。
私たちは、それについて、もう 少し説明しなければなりません。
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2:15
が、どうぞ、これは、娯楽の ための集会ではありません。
これは、精神的に、知的にとか、 ロマンチックに刺激されるための、
人々の集まる 会合ではありません。
私たちは、この問題に向き合うために ここにいます - そう願います。
すなわち、この甚大な混乱、 過ち、大きな危険に、です。
それらに、人間たちは 向き合っています。
とても深くそれに入るには、 私たちは、問題について、
ともに考えなければなりません。
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3:20
私たちは、矛盾した意見を、 持っているなら、
とうてい、ともに 考えられません
- もし、私たちが、自分の特定の 結論や信念に、繋留されているか、
何か空想的とか、ロマンチックな 経験に、取りすがるなら、です。
なぜなら、この問題は、 人類すべてが、向き合うからです。
あなたがどこに行こうとも - あなたが 旅行をしてきたなら、ですが -
観光客としてではありません。
あなたは、どこに行こうとも、 同じ問題を見つけるでしょう
- 人と対立する人、混乱、恐れ、 (統合された)誠実さの欠如、です。
科学者、心理学者は どうやら、この問題を
解消できるように、思われません。
また政治家も、制度、施設もです。
それらが、宗教的でも、 政治的でも、社会的でも、です。
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5:02
で、私たちが、そもそも真剣であり、 関心を持っているなら、
その社会を創り出してきた 私たち人間が -
そして、私たちは、世界で 起きつつあることすべてに、
責任があるのです
- 動物へ、人間への おぞましい残酷さ、
過去の宗教的な拷問 などに、です。
私たちが、それらを 創り出してきました。
それを理解するには - 単に知的にではなく、
本当に、それに 向き合うのです。
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6:03
私たちが問題について、ともに 考えられることを、望んでいます。
すなわち、自分が 特定の視点を持っていて、
別の人は、自分の意見を 保っているなら、
ともに考えることは、 不可能です。
あなたが、先入観を 持っていて、
語り手が、特定の視点を 持っているなら、
私たちはとうてい、 ともに考えられません。
ともに考えるとは、 同意する、というのではなく、
むしろともに、人間たち、二人の 人間として、という意味です
- アメリカ人とヒンドゥー教徒と それらの事柄ではなく、
この問題に、直面している
二人の人間、です。
人間たちが、 この怖ろしい社会を
創り出してきた という問題に、です。
人間として私たちは、
根本的に、自分自身を、 変化させなくてはいけません。
7:36
それは、可能ですか。
人間精神にとって、 それは、可能ですか
- その精神は、 幾千年に幾千年も、
時を経て進化してきて、
大変多くの経験、苦しみ、 多くの衝突の出来事、
戦争を、経てきました。
人間のこの精神、 この頭脳は、
あなたのや 私のではありません。
五百万年か一千万年、 進化してきた頭脳。
それは、人間の頭脳です。
特定の頭脳ではありません。
ですが、私たちはそれを、特定の 頭脳に、還元してきました。
私のと、あなたのに、ですが、 よく気をつけて、
それを検討するなら、この頭脳は、 時をかけて進化してきましたが、
これは、人類の頭脳であることを、 見つけるでしょう。
9:09
どうぞ、それを拒絶したり、 受け入れたりしないで、
それを検討し、 見つめてください。
なぜなら、私たちのこの頭脳は、 苦しむし、心配し、さびしく、
怯えていて、常なる楽しみを 追求しているからです。
この頭脳は、特定の様式に、 生きてきました。
この様式は、 何度も何度も何度も、
世界中で、反復されます -
それらが、仏教のでも、 ヒンドゥー教のでも、共産主義のでも、
カトリックでも、何であっても、 あなたが何をしようとも、です。
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9:59
で、それは、 あなたの頭脳や、
特定の個人の頭脳ではない。
それは、人類の頭脳です。
その頭脳は、様々な様式で、 機能してきたのです
- 恐れの様式、楽しみの様式と、 褒賞や処罰です。
それが様式です。
これら 幾千年をとおして、ずっと
それは、 発達してきたのです。
また一連の楽しめる様式や、
恐れ、信念などの様式を、 もたらさないで、
これらすべての様式を 乗り越えることは、可能ですか。
さもないと、根本的な変化は、 ありません。
心理的な革命は、ありません。
これを理解することは、 重要であると、思います。
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11:33
またもや、どうぞ、
あなたは、誰か見知らぬ人物による 講話を、聞いていません。
私たちはともに、考えていて、 問題を探究しています。
で、あなたは、それに 付いてきてくださるなら、
あなたは、どの権威をも 受け入れていません。
私たちは、どんな宣伝も していないし、
あなたに何をも 納得させようとしていません。
ですが、問題を見る - それは、とても複雑です -
その問題を見つめる、 その問題に向き合い、
ともにその問題を 探究する。
問題への探究は、 分析ではありません
- 因、果、と。
12:57
探究は・・・
探究は、論争ではない -
一つの意見を別の意見に、
一つの先入観を別のに、 対立させることではない。
探究は、観察 という意味合いです。
観察があるところ、 分析はありません。
あなたが観察するとき、 すなわち、恐れなく、
自分の特定の先入観や体質なく、 観察するとき、
その観察の中、 分析は終わります。
私たちがともに、こう しているのを、望みます。
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14:14
すなわち、あなたが樹を、 あのものを、観察するとき、
まさにその観察こそが、 言葉をとおして、です。
あなたは、それを見た瞬間、 それを樹と呼びます。
どうぞ、私たちが話しているとき、 こうしてください。
あのものを 言葉なしに見つめる -
それは、実際に、それが 何であるかを、観察することです。
それは、相当に明らかですが、
心理的にそうすることは、 はるかに複雑です。
何の動機もなく、観察する。
実際に進んでいることを、 観察する
- あなたの恐れ、あなたの心配、 あなたのさびしさ、
自分の欠如、抑鬱の感覚、
何であれ、実際に 進んでいることを、です。
15:27
それを観察する - 分析なく、判断せず、
評価せず、ただ観察する。
これが明らかになりつつある ことを、望みます。
私たちはともに、 これをできますか。
私たちの精神は、分析するよう、 訓練されてきました -
原因を見て、結果を 発見するように、です。
結果を発見する 過程こそにおいて、
結果が原因になる。
それは、連鎖です。
これらに 付いてきておられますか。
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16:24
それは、これらたぶん 百年の間に私たちが
持っている災禍の一つ であると、思います -
私たちは、共産主義と 心理分析を、持っています。
なぜなら、それらは今、 あなたが実際に
自分自身に責任を持つのを、 阻止するからです。
自分自身に何か紛糾、騒動が あるなら、あなたは、
分析者や、何か施設や、 何か集団などへ、行きます。
あなたは人間として、 今、なりつつあります -
自由に、ではなく、他の人たちに 依存しつつあります。
17:31
教会に依存し、政治に依存し、
自分の導師とか、それが 何であっても、依存しています。
あなたはいつも、 変化するため、
自分自身に秩序をもたらすために、 誰かに依存しています。
で、私たちは、 自分自身へ責任を持つ
自らの自由を、 失いそうになっています。
そういうわけで、共産主義は、 自らを無責任にするのです。
心理分析のように、それは あなたを、縮減するか、または、
自分の問題を解決するために 誰かに依存させます。
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18:22
で、私たちが 言っていることは、
人間として私たちが、
世界に存在する無秩序に、 責任がある、ということです。
この無秩序は、思考により 創り出されます。
それが、私たちが先週、前の 日曜日に、終わりにしたところです。
私たちは、思考が創り出してきたと、 言いました -
すばらしい建築物、 すばらしい大聖堂と寺院、
神殿とモスクだけではなく、
それは、テクノロジーの世界を 創り出してきました
- 有益なのと、破壊的なのを、
戦争と、戦争の道具を、です。
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19:46
思考は、 人間たちの間の分割を、
創り出してきました。
もたらしてきました -
民族主義的な、階級の、 政治的、経済的、
霊的、宗教的な分割を、です。
あなたは、それを 間近で検討するなら、
それが事実であることが、 分かるでしょう。
思考は、これらに 責任があったのです -
寺院、神殿、教会の内側に あるものだけではなく、
また外側に、世界に あるものをも、です。
で、私たちが、思考の本性を、 きわめて深く理解するのでなければ、
根本的な変化をもたらす 可能性は、ないのです。
いいですか?
私たちはともに、ここに いますか - ここまでは。
21:06
思考は、テクノロジーの世界を 創り出してきました。
ですね?
思考はまた、
イメージを創り出してきました - 自分自身について、
様々な民族的な分割について、
思考は、アラブ人、ユダヤ人、 ヒンドゥー教徒、
イスラム教徒などなどを、 創り出してきました。
思考はまた、 すばらしい建築物と、教会、
大聖堂をも、創り出して きました。
そして、
それら大聖堂、寺院、神殿とモスク すべての中のイメージ、像をも、です
- イスラム世界には、 像はありませんが、
彼らは、聖典、書物を 持っています。
それらもまた、 一つの形のイメージです。
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22:06
ですが、思考は、自然を 創り出してきていません
- 樹、川、空、星、
あれら麗しい山々、 鳥を、ですが、
思考は、それらを使っていて、 それらを破壊しています。
大地を破壊していて、 空気を汚染している、などです。
で、私たちは、人間精神の中、 ゆえに、人間社会の中の
葛藤、格闘、騒動、混乱の この問題を、解消したいのなら、
私たちは、考えるとは 何かという、この問いに
入らなければなりません。
いいですか?
私たちは、ともに出会っていますか。
どうぞ、そうしましょうか。
いいえ、あなただけではなく、 私たちのみんなが、一緒に、です。
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23:08
私たちは訊ねています - 思考とは何ですか。
考えるとは、 どういうことですか。
なぜ思考は、これらを 作ってきましたか。
なぜ思考は、すばらしい医療を もたらしてきましたか。
また、なぜ思考は、戦争を創り出し、 人間たちを破壊しますか。
なぜ思考は、神を 作ってきましたか。
なぜ思考は、神のイメージ、 像を、作ってきましたか。
私たちは、神のイメージを作って きました - 思考が作ってきました。
また思考は、人間たちの間に こうも甚大な葛藤、抗争を、
もたらしてきました - あなたと、あなたの親友、
親密な人物、妻、夫、 彼氏などなどの間に、です。
あなたはこれらに、 興味がありますか。
または、あなたは、 樹々のもとに座って、
かなり涼しい朝を楽しむために、 ここに来たのですか。
24:54
あなたが本当に、興味があるなら - 言われつつあることに、ではなく、
むしろ、見出すことに 興味があり、
あなた自身で見出すことに 興味があるなら、です。
なぜ思考は、 こうしてきたのか、
思考の本性は、 何であるのかを、です。
それは、私たちがともに、それを 覗きみている、という意味です。
それは、あなたは自らの観察を 行使しなければならない、
あなたは鋭敏に、鋭く、熱情的に それに、入らなければならない、
という意味です - 語り手がしているように、です。
ただそこに座って、何気なく聞き、 去ってしまうだけではなくて、です。
これは、娯楽ではありません。 これは、とても深刻な事柄です。
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26:12
で、私たちは、ともに、探究 しています。話し合っています
- 二人の友として、です。
こんなに多くの人々と、一緒に 話し合うことは、できませんが、
それは、二人の人々、あなたと私が 見出そうとしているのです
- なぜ思考が、この混乱、 この騒動を、作ってきたのか、です。
で、思考は物質です。
思考は、記憶の応答です。
いいですか?
もしも、記憶を 持っていなかったなら、
あなたは考えることが できないでしょう。
もしも、過去の物事を 憶えていなかったなら、
思考は 作動しないでしょう。
で、思考は、 記憶の応答です。
記憶は、様々な経験、 複合的な出来事、事件から、
出てきたものです - それらは、 知識として蓄積されてきました。
これらに付いてきてください。 頭脳に蓄えられています。
27:49
その経験、その知識 - それは、記憶です。
その記憶の反応が、 考えることです。
ですね?
それは、私が言っている ことではありません。
あなたは、それを 自分自身で、発見できます。
いいですか?
それは明らかですか。 私たちはそこから、進めますか。
すなわち、幾千年をとおして、
私たちは、色々な種類の知識を 取得してきました -
文学的、科学的、 個人的な経験を、です。
それら経験が、知識になってきました - 科学的にも、個人的にも、です。
その知識は、頭脳に 蓄えられています。
で、その頭脳は、あなたの知識 ではない。
それは、人間の知識です。
私たちが、それは私の頭脳とあなたの 頭脳だと考えたいのは、存じています。
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29:18
で、この知識、経験は、記憶として 頭脳に蓄えられていますが、
いつも、制限されているに ちがいない。
なぜなら、知識はけっして、 完全ではないからです。
ですね?
けっして、どの分野でも、 完全ではありえない。
で、知識には、 無知が相伴います。
ゆえに、思考はいつも、 制限され、部分的です。
それは、けっして、完全では ありえません。
ですね?
私に同意なさらないで、 検討してください。
で、思考は、この混乱の世界を、 創り出してきたのです。
なぜなら、それは自体が、 制限されているからです。
ですね?
思考は、私たちが言いました ように、物質です。
思考は、物質を、物を 創り出せるだけ、ということです。
30:48
いいですか? それは、 幻影を創り出せます。
それは、すばらしい観念、 ユートピア、
すばらしい体系、理論を、 創り出せます。
が、まさにその理論、まさに その理想、まさにその概念 -
神学者や歴史家によるものが、 いつも制限されています。
ですね?
で、私たちの行為は、 いつも制限されています。
ゆえに、私たちの行為は、 断片化しています。
ですね?
私たちの行為は、 思考に基づいているなら、
けっして、 完全ではありえません。
よろしいですか。
それを悟るなら - 観念としてではなく、
現実として、です。
違いを理解されますか。
観念と現実です。
32:26
あなたは、この発言が 聞こえます -
すなわち、思考はけっして 完全ではありえない。
それが何を創り出しても、不完全 であるにちがいないのです。
あなたは、その発言が 聞こえますが、
本能的にあなたは、それを 抽象化して、観念にします。
これらに 付いてきておられますか。
私たちはともに、ここにいますか - 事実を離れた、抽象化。
で、そのとき、 観念のみが、重要になる。
そのときあなたは、「私はどうやって その観念を実行すべきか」と考えます。
で、またもや、行為と 観念との間に、分割がある。
私たちは、あまりに速く 進んでいますか。
それは、あなたしだいです。
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33:37
で、抽象化なしの観察、 分析なしの観察、
どの形の結論もない観察
- 考えることの本性を、 ただ観察する。
すなわち、考えることの本性を 観察している観察者は、誰ですか。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
理解されますか。
誰かに、私は話を しなければなりません。
いいですか?
私が誰かを 選んでもいいですか。
よろしいです。
このように表しましょう。
自分は、きわめて貪欲で、 自己中心的です。
それは事実です。
貪欲は、あなたより 異なっていますか。
35:06
質問を理解されますか。
あなたは貪欲です!
ですが、私たちは不幸にも、 幻影を、創り出してきました
- すなわち、貪欲ですが、 私は、行為するだろう、
その貪欲について、何かを するだろう、と。
ですね?
で、貪欲と行為者との間に、 分割が、ある -
すなわち、貪欲に対して 行為するだろう者と、です。
ですね?
で、 それは事実ですか。
または、それは、 事実から逃避するために、
私たちが発達させてきた 様式ですか。
いいですか?
これらに出会っておられるのか どうかと、思われます。
すなわち、私は貪欲です。
私は、この貪欲の問題全体を、どう 解消するかを、よく知りません。
それで、私は、その対極、 無貪欲を、創り出したし、
無貪欲に取り組みます - それは、非事実です。
36:28
これらに 付いてきておられますか。
で、私たちは、観察者は観察される ものである、と言っています。
いいですか?
よろしいですか?
で、分割は、ないのです。
ごらんください。
ユダヤ人とアラブ人との間に、 分割がありますね?
思考により創り出されています - 人種的な先入観により、
宗教的な条件づけによって、です。
彼らは、同じ大地に 生きていますが、
彼らはみんな、 互いに闘っています。
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37:19
さて、あなたは、よく 気をつけて観察するなら、
人間精神は、ヒンドゥー教徒として、 条件づけられています -
イスラム教徒、アラブ人、ユダヤ人、 キリスト教徒、非キリスト教として。
よろしいですか。
それは、 条件づけられてきました。
その条件づけが、「私はあなたより 違っている」と、言います。
いいですか?
思考による これら条件づけの違いは、
様々な人々により、政治的、宗教的な 理由のために、助長されますが、
私たちは、その分割に 取りすがります。
で、分割があるところ、 格闘があるにちがいない、
葛藤があるに ちがいないのです。
で、貪欲は 私より分離していない、
私が貪欲であることを 悟るとき、
全的に、違った動きが、 起きつつあるのです。
これに、付いてきて おられますか。
私たちはこの点で、 互いに出会っていますか。
やれまあ。
それは、 とても困難に思われます。
それは、とても複雑ですか
- 私たちが話していることは。
はい?
見つめてください。
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38:53
あなたはどのように、 暴力に出会うのでしょうか。
人間たちは、暴力的です。
ですね?
私たちは、対極を 養成してきました。
ですね?
非暴力。 「暴力的であるな。
優しくしろ。
正しくあれ」 その他すべて、です。
が、基本的に、 私たちは暴力的です。
それは、いまだに、進んでいます - 百万年の後に、です。
その暴力は、あなたより 異なっていますか。
明白に、異なっていません。
あなたが暴力です!
さて、あなたは、 その事実を観察できますか
- 事実について、 どの種の観念をも作らずに、です。
そのとき、何が起きますか。 これらに、付いてきておられますか。
40:02
私は暴力的です。人間として、 私は暴力的です。
私は、その暴力とともに、 百万年の間、生きてきました。
私の頭脳は、 様式を、形成してきました
- 暴力的でないけれども、 暴力であるものを、です。
暴力的でないことの追求は、 事実からの逃避です。
そして、私は事実を 観察するなら、
暴力的であるとの事実は、 私より、異なっていますか
- 私の本性、私の見方より、です。
私はそれです。ですね?
私たちは、同意しますか。
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41:00
そのとき、 前に存在した葛藤は、
終わります。
そうでないですか。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
暴力と、暴力的でないこととの 間の分割の葛藤。
それは葛藤ですが、「私が葛藤 である」との悟りが、あるとき
- 「私は葛藤より 異なっている」ではない -
そのとき、その葛藤は、 終わります。
そして、全的に違った行為が、 起こります。
で、私たちの問いは、 こうです -
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42:00
思考は、 時の中の動きです。
いいですか?
思考は、記憶に、基づいています - すなわち、過去に、です。
その結論、観念、信念、イメージ すべてをともなった過去、です。
その過去から、現在 -
過去が、現在と出会う。
そして、未来です。ですね?
常なる修正が、進んでいるのです。
それが、時です。
いいですか?
時計により、 昼、夜、夜と昼による、
時系列の時が、 あるだけではない。
また、心理的な時も、ある。
いいですか?
「私はなるだろう」と。
あなたが、「私はなるだろう」と 言うとき、それは時です。
「私は、何かにならなければ ならない」 - それは、時です。
「私は良くないが、 私は良くなるだろう」
- それは、時です。
43:30
時はまた、思考です。 ですね?
昼と夜としての時。
あなたが行って、バスに 乗らなくてはいけない時。
知識を取得する時、 言語を学ぶ時。
どの種でもテクノロジー的な 知識を取得する時 -
巧みに行動するため、 生計を立てるために、です。
そのすべてが、時です。
時を必要とします。
心理的に、内的に、私たちはまた この時の観念を、持っています。
いいですか?
「私は、そうではないが、 私は、そうなるだろう」、
「私は混乱している。
私は分析者へ行くだろう。
彼が私を助けてくれる だろう」。
時です。
で、心理的に私たちは、この時の 観念を、養成してきました。
いいですか?
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44:57
で、時は、動きです - ここからそこへ。
心理的にもまた、それは、 ここからそこへの動きです。
で、思考は時です。
ですね?
これを理解することは、 重要です。
なぜなら、
私たちの頭脳は、 時の本質であるからです。
私たちは、心理的に、その様式の 中で、機能してきました。
「私は楽しみを持つだろう」。
私は、幸せだったこと、 すばらしい経験をしたこと、
あれやこれを、憶えています。
そして私は、もっと 持たなければなりません。
この常の、なることが、 時です。
今、私たちは訊ねています - それは、現実ですか、
虚構ですか、幻影ですか - 心理的に、です。
ですね?
あなたは 疲れつつありますか。
これはたぶん、あまりに 多すぎるのでしょう - このすべては。
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46:35
私たちは、こう言っています。 時は、知識の取得において、必要です
- 様々な種類の、 多くの種類の、です。
さて、何かを心理的に終わらせる には、時は必要ですか。
付いてきておられますか。
すなわち、心理的に、私は 恐れを持っています。
ほとんどの人間は、 恐れを持っています。
彼らは心理的に、 この恐れを、持ってきました
- たぶん、 時のまさしく始まりから、
心理的な時のまさしく 始まりからです。
ですね?
私たちは、それを解消 してきませんでした -
私たちは、物理的な痛みなどに、 物理的に怯えているだけではなく、
心理的にもまた、私たちは、 大きな恐れを、持っています
心理的に、傷つく、打撃を受け、 負傷するとの、です。
なぜなら、子どもの頃より、私たちは 傷つくなどしてきたからです。
48:01
で、私たちの頭脳は、 時の中で機能します。
で、それはけっして、問題のどれをも 解消してこなかったのです。
あなたがこれに出会うのか どうかと、思われます。
「私は自分の恐れを乗り切ろう」 と、私自身に言うのなら、
実際に起きることは、 こうです -
私はやはり、その終わりに、 怯えているのです。
私は意志を行使し、それを制御し、 それより逃避する、などなどです。
で、私は、けっして - 人間たちは、けっして
この恐れの問題を、 解消したことがないのです。
私たちは、こう言っています - 私たちが心理的に、
時の様式で考えるかぎり、 恐れは、継続するでしょう。
これは明らかですか。
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49:16
で、私たちは こう言っています
- 恐れと呼ばれるこのものは、 即時に終わらされますか。
さて、もう一つの例を 取りましょう。
恐れはかなり、複雑な問題です。
私たちはおそらく明日、
別の講話で、それに 入るでしょう。
依存を、例に取りましょう - 心理的な依存です。
人間たちは、これを 養成してきました。
なぜなら、彼らは、一人で あるのを、恐れているからです。
彼らは、さびしいのを、恐れて います。
彼らは、慰めがほしい。
彼らは、誰かに依存するなら、 扶養されたと感じます。
なぜなら、彼らは自分自身では 心理的に、不充分であるからです。
ゆえに、誰かに縋りつきます。
宗教的なイメージや、 個人的なイメージなどに、です。
誰かに縋りつきます。
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50:29
さて、それが、人間精神の 様式であったのです
- 時をとおして 養成されて、です。
依存の帰結は、恐れ、 心配、嫉妬、
憎しみ、敵対、 つづくすべてです。
その様式の中に、私たちは、 生きてきました。
ですね?
さて、その様式を即時に 終わらせることが、問いです。
なぜなら、あなたが 時を認めた瞬間
- 「私はそれを 終わらせるだろう」と、です -
あなたは、事実より動いて離れる ことを、認めたからです。
ですね?
事実は、こうです - 自分は依存しています。
さて、時を認めずに - 理解されますか。
「私はそれを乗り切るだろう」と、です - それを終わらせる。
即時に、です。
あなたは、時の様式を壊したのです。
これに付いてきておられますか。
私があなたのために働いているように あなたは、しっかり働いていますか。
51:54
すなわち、あなたが いかに他の一人に、
心理的に依存しているかを、 観察してください。
すべての思い出、すべての映像、 イメージなど、依存です。
私たちの頭脳は、時の様式に 慣れてきました。
なぜなら、それは、時とともに 成長してきたからです。
で、それは、意志の行為を、 行使してきました -
「私はしよう」と。
それは、事実を 回避している、という意味です。
さて、自らが理解するとき - 知的にや言語的にではなく、
実際に、事実を見る。
いかに頭脳が、時の中で働くか、
ゆえに、けっして 解消させないのか、
そして、あなたは 依存しないことの切実さが、
見えるとき、 それは終わりました。
あなたが何かを終わらせるとき、 新しいことが、始まります。
いいですか?
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53:19
私たちは、ともに 考えていますか。
または、あなたは単に、 語り手の話を聞いていて、
それから、「ええ。
私は、彼が 話していることを、よく理解できない。
彼は、あれこれについて 話をする」と
言っているだけですか。
それは、あなたが問題について本当に 考えていない、という意味です
- それは、あなたの問題、 人類の問題です。
問題、すなわち、
全的に違った種類の社会を もたらすこと、です。
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54:11
で、あなたの敵対、 あなたの憎しみ、あなたの嫉妬を
終わらせることは、 可能ですか。
理解されますか - 即時に、です。
それで、頭脳が様式を破って しまい、全的に違ったように
考えられ、行為し見つめ、 観察できるように、です。
これがお分かりになるのか どうかと、思われます。
これが冥想です。
理解されますか。
話をされてきた、 まがい物すべてではない。
冥想する - それは、 あなたの精神が
いかに作動するかを 観察する、という意味です。
心理学者たちがあなたに、いかに 精神が働くのかを、語ってきたこと、
フロイトと その他すべての連中ではない。
あなた自身で観察するのです。
なぜなら、あなたは、自分自身に、 責任があるからです -
あなたの身体に、あなたの精神に、 あなたの思考に、です。
55:35
で、あなたは、自らの意識の 内容全体を、観察できますか。
理解されますか。
私はこれを、あまりに 困難にしていますか。
私は分かりません。
少し私に 言ってくださるでしょうか。
私はこれを、あまりに 困難にしていますか。
あなたの意識は、思考が創り出して きた物事に、満ちています。
いいですか。
あなたの心配、 あなたの信念、あなたの神、
あなたの救い主、あなたの クリシュナたち - よろしいですか。
そのすべてが、思考により 創り出されてきました。
で、あなたの意識は、 時の本質です。
やれまあ、分かりますか。
56:43
私たちは、その中で、生きて、 機能して、行為しています。
ゆえに、根本的な、心理的な 変化が、けっしてないのです。
ゆえに、社会はけっして、 善くありえないのです。
善さは、悪いの対極では ありません。
いいですか?
そうであるなら、それは 善くありません。
愛は、憎しみの対極では ありません。
いいですか?
そうであるなら、それは やはり憎しみです。
いいですか?
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57:44
で、今、何時ですか。
11時30分、12時30分。
で、 私たちはここで、止めた方がいい。
みなさんが、お出でになりたいのなら、 私たちは明日、継続するでしょう。
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