OJ81T2 - 生は、関係の動きである。

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1981年5月3日
テキストのみのバージョン
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0:21
あなたたちは、なぜ自分がここにいるのか、
なぜ自分が、このような、うるわしい朝に 来たのかを、知っておられる、と私は思います。
私たちは、昨日、話していたことを、 継続してもいいですか。
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0:58
もう一度指摘してもよろしければ、
私たちは、どの種の宣伝をも、していません
- どの観念のため、信念のため、 集団や概念などのためにも、です。
私たちがともにしているのは、
世界で起きつつあることを、 観察することです -
私たちの外側の世界にだけではなく、
また内的に、心理的にも、です。
ただ観察する。
その観察から、どんな結論をも引き出さない。
それから抽象して、観念にしない。
どんな先入観もなく、観察する -
どんな特定の哲学や宗教や、
フロイトなどの心理学的な結論にも、 参与せずに、です。
ただ観察する。
2:47
それは、一定の自由、 一定の敏感な気づきを、必要とします。
そして、そう観察するなら、
世界中で、大変多くの暴力が、あります。
通りは、危険になりつつあります。
民族的、国家的、宗教的、分派的な 分割が、あります。
究極的に、怖ろしい破壊をともなった
核爆弾が、あります。
コンピューターとロボットが、あります。
それらはたぶん、人類の活動すべてに、 取って代わろうとしています。
全般的に、世界中で、
退廃が起きています。
4:22
もしそれを間近で観察するなら、
外的な世界で起きていることは、
私たち人一人に、内的に 起きつつあることの結果です。
私たちが、この社会を 創り出してきました
- 私たちの親、祖父母、過去の世代、
世代に継ぐ世代が、です。
私たちは、それへ付け加えています。
社会は、何かふしぎな出来事により、 創り出された何かではありません。
それは、世界中で、人間たちにより、 創り出されています。
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5:27
危機は、政治に、政府にはありません
- それが全体主義的でも、 いわゆる民主主義的でも、です。
危機は、科学者の中にも、
既成の体裁よい宗教の中にも、ありません。
私たちは昨日、これらを言いました。
危機は、私たちの意識にある - すなわち、私たちの精神に、
私たちの心に、私たちの振るまいに、 私たちの関係に、あるのです。
危機は、十分に理解できないし、 おそらく全的に応えられません
- 私たちが、意識におけるこの危機の
本性と構造を、理解するのでなければ、です。
それは、思考により、組み立てられています。
私たちは、昨日言ったことを、 反復しています。
なぜなら、おそらく(今日)、日曜日の朝に 来た人々が、幾らかいるからです。
で、私は再び、それを 反復しなくてはいけません。
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7:22
どうぞ、私は指摘したいと思いますが、 これは、娯楽ではありません -
知的、ロマンチック、情動的、 扇情的ではありません。
私たちは、かなり真剣です。
あなたもまた、そもそも真剣であるなら、
私たちはともに、この危機の 本性を、探検できるのです。
それは、他のどこかの危機ではありません。
それは、私たちの精神に、
私たちの一人一人の精神に、私たちの心に、
私たちの互いとの関係に、あるのです。
危機は、私たちが言いましたように、 私たちの意識にあります。
この意識は、人類すべてに、 共通しています。
どこへ行こうとも、人は、 苦しんでいます。
不安定で、
不安全で、さびしく、神経症的で、憂鬱で、
昂揚し、次から次へ 流行り物を追いかけます
- 特に、世界の この地方(アメリカ)では、です。
9:05
この危機は、思考により、 もたらされています。
思考が、私たちの意識の内容を、 組み立ててきました。
どうぞ、またもや、きわめて明らかに 指摘してもよろしいなら、
私たちは、説明していません。
私たちは、ともに観察しています。
語り手は、教師ではありません。
教師はありません - 数学において以外には、
または、あなたが良い大工に なりたいのでないなら、です。
しかし、心理の世界に、教師はないし、
弟子はありません。
指導者も、従う者もないのです。
10:22
私たちはともに、人の本性を、 観察しています -
人に何が起きてきたのか、
なぜ私たちは、私たちが今あるようなのか。
暴力的で、神経症的で、
さびしく、ひどく不安定で、 混乱しているのか。
この混乱に - 哲学者たちは、それに付け加えています。
宗教的な人々は、それに付け加えています。
福音主義者、学者なども、です。
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11:17
で、私たちは、自身の精神の状態を、 学んでいます。または、観察しています。
それが、真の教育が始まるところです - 自己教育です。
私たちは、自分自身について、 他の人たちから、あまりに多く学んできました。
私たちはいつも、他の人たちに、導いてくれるよう、 頼っています - 外的にだけではなく、
特に心理的な領域で、内的に、です。
どんな紛糾、どんな動揺でもあると、
私たちは即時に、誰かそれを晴らすのを 助けてくれるだろう人を、追いかけます。
私たちは、制度、施設に、中毒しています。
私たちは、組織に中毒しています -
それらが、私たちの問題を、 落着させるだろう、
私たち自身の精神を、明瞭にするのを、 助けてくれるだろう、と望むのです。
12:42
で、私たちはいつも、誰かに依存しています。
依存は必然的に、腐敗をもたらすでしょう。
で、ここで私たちは、誰にも依存していません - 語り手を含めて、です。
特に、語り手に対しては、です。
なぜなら、特定の方向で考えるよう、 あなたを説得しよう、
空想的な言葉と理論により、
あなたを刺激しようとする 意図は、ないからです。
むしろ、世界で実際に起きていることと、
内の混乱すべてを、観察する。
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13:48
その観察において、観察されるものを、
観念へ抽象化するのではない。
どうぞ、この点について、 きわめて明らかにしてください。
私たちがあれを、樹を観察するとき、
「樹」という言葉は、抽象です。
それは樹ではない。ですね?
それが明らかであってほしいと、 願っています。
その言葉、説明、叙述は、
実際ではない。
「有るもの」ではない。
で、私たちは始まりから、この点について、 きわめて明らかでなければなりません。
私たちは実際に、世界において、そして、 私たち自身の意識において深く、
つづいていることを、観察するとき、
その観察は、清浄に、 直接的に、明晰に、留まれます
- 観察されるものの、 観念への抽象化がないとき、です。
15:16
私たちのほとんどは、観念とともに 生きます - それらは、実際ではありません。
観念のみが、重要になるのです - 実際に有るものではなくて、です。
哲学者は、様々な意味で、「観念」を、 使います - アリストテレス流の人、
様々な哲学者は、観念を 自らの特定のさまで、使ってきました。
しかし、私たちは、観念を扱っていません。
私たちは、起きつつあることの 観察のみに、関心を持っています
- 理論的にではなく、実際に、です。
特定の思考の様式に沿って、ではなく、
「有るもの」です。
「有るもの」のその観察の中、 それを、きわめて明らかにするのです。
「有るもの」の、観念への抽象化は、
さらなる混乱だけを、もたらします。
これが明らかであってほしいと、 願っています。
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16:53
私たちが言いましたように、 危機は、私たちの意識に、あるのです。
その意識は、人類すべての共通の基盤です。
それは、特定の意識ではない。
それは、あなたの意識ではない。
それは、人の、人間の意識です。
なぜなら、どこへ行こうとも、 極東、中東、
極西、中西部 - 世界中で、
人、人間は苦しむからです。
痛みを持ち、
深い不安定性、さびしさ、
全くの絶望に生き、
様々な空想的な宗教的概念に、 捕らわれているからです
- 実際には、いかなる意味をも 持たない概念に、です。
18:09
で、これは、人類すべてに、共通しています。
どうぞ、これを、 きわめて明らかに、見てください。
それは、あなたの意識ではありません。
それは、人間たちすべての意識です
- こんな苦労、悲惨、葛藤を経てゆき、 自分自身を何かと
同一視したがっている、 人間たちすべての(意識)、です。
国家、民族と、宗教的な人物と、 概念と、同一視したいのです。
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18:50
この意識は、人類すべてに共通しています。
どうぞ、これの意義を、掴んでください。
なぜなら、これを理解することは、 とても重要であるからです。
なぜなら、私たちは自分自身を、個々人として 分離してきたからです -
私たちは実際には、個ではありません。
私たちは、百万年の結果です。
それら百万年に、私たちは 奨励されてきました。
私たちは、個人の観念を、 受け入れてきました - 観念を、です。
実際に、近くで観察するとき、
あなたは個人ではありません。
あなたは、残りに似ています - 心理的に、残りの人類に、です。
これは、知覚するのが、 とても困難なことです。
なぜなら、私たちのほとんどは、 この観念に、縋りつくからです
- すなわち、私たちはみんな、 分離した個々人であり、
自分の私的な野心、貪欲、妬み、
苦しみ、さびしさをともなっている、 との観念に、です。
20:24
しかし、あなたが観察するとき、 これは、あらゆる人がやっていることです。
個人としての概念は、私たちを、 はるかに利己的に、自己中心的に、
神経症的に、競争好きにするのです。
それで、競争もまた、 人を破壊しつつあるのです。
で、世界はあなたです。
あなたは世界です。
それは、驚くべき感じです -
あなたが本当にそれを理解するなら、です。
そこには、知覚の大いなる活力が、ある。
そこには、無量の美しさがある -
絵画、詩歌や、愛くるしい顔の、 単なる美しさではない。
私たちは世界である、その世界は あなた、私である、ということに、です。
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21:57
世界のこの地方(アメリカ)では、 自由は誤用されています
- 残りの世界でのように、です。
なぜなら、一人一人が、充足したい、 ありたい、なりたいと思うからです。
ゆえに、私たちの意識の内容は、
この常なる格闘です - あろう、なろう、
成功しよう、権力を持とう、
地位を持とう、身分を持とうとの格闘です。
それは、あなたが、お金や、 特定方向での才能や能力を
持っているなら、得られるだけです。
で、能力、才能は、個人性を奨励します。
しかし、あなたが観察するなら、その個人性は、 思考により、組み立てられています。
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23:10
で、これらを観察すると、危機は、 思考のまさに本性に、あるのです。
私たちは昨日、それに短く入りました。
私たちは、よく気をつけて、 再びそれに入るでしょう。
外的な世界と内的な世界は、 思考により、組み立てられています。
思考は、物質的な過程です。
思考は、原子爆弾、 (スペース・
)シャトル、
コンピューター、ロボットと
武器のすべてを、築いてきました。
思考はまた、すばらしい大聖堂、教会と、
それら大聖堂と教会の内容すべてをも、 築いてきました。
24:25
思考の動きには、 いかなる神聖なものも、ない。
思考が象徴として創り出してきたものを、 あなたは崇拝しますが、
それは、神聖ではありません。
それは、思考により、そこに置かれています。
儀式、すべての宗教的な分割と、
国家的、民族的な分割は、思考の結果です。
どうぞ、それをごく近くで、見つめてください。
私たちは、説得したり、非難したり、 奨励したりしていません。
私たちは、ただ観察しています。
これは事実です。
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25:12
で、危機は、思考の まさしく本性に、あるのです。
私たちが昨日、言いましたように、
思考は、諸感覚の起源、
感覚的応答、経験、
何かとの出会いの結果です
- それは、知識として、記憶として、 記録されます。
その記憶から、思考が生じます。
これが、数百万年に数百万年の間、
思考の過程と本性であったのです。
すべての文化は、 紀元前五千年の古代エジプトからと、
それ以前にも、思考に基づいています。
思考は、外側と内側に、 この混乱を、創り出してきました。
どうぞ、それをあなた自身で、観察して ください。
私は、あなたに教えていません。
私は説明していません。
語り手は単に、自らが観察してきたことを
伝達するために、言葉に表しているだけです。
27:02
しかし、あなたが観察しています。 私が、ではない。語り手が、ではない。
私たちはどちらも、思考の 本性と構造を、観察しています。
すなわち、感覚的反応、経験 - あなたは何かと出会う。
それが、経験です。
その経験は、知識として記録されます。
その知識が、記憶になります。
その記憶が、思考として行為します。
で、その行為から、あなたは、もっと多くを学び、 もっと多くの知識を、蓄積します。
で、人は、数百万年に数百万年もの間、 この過程の中で、生きてきました。
経験、知識、記憶、思考、行為 - この連鎖の中で、です。
私たちは、これがきわめて明らかに 見えるのかどうか、と思われます。
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28:19
私たちは、知識に ものすごい重要性を、与えてきました。
すべての大学、すべての科学的知識、
経験をとおして自分自身で 取得してきた知識ばかりが、
重要になるのです。
しかし、知識は、けっして完全ではありません。
けっして、です。
それが、科学的な知識でも、
大工の知識でも、主婦の知識でも、
導師や司祭者のいわゆる知識でも、です。
啓示はありません。 ただ、開示する思考だけです。
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29:15
で、私たちの危機は、思考の まさしく本性に、あるのです。
これが明らかであることを、 願っています。
そのときあなたは、言うでしょう -
「私たちはどうやって、知識なく、 思考なく、行為できるのか」と。
それが論点ではありません。
初めに、思考の本性を 観察してください - きわめて明らかに、
何の先入観もなく、方向づけもなく、 ただ「それはそのようなものだ」と。
で、私たちの頭脳は、この循環 - 経験、知識、記憶、
行為、記憶、より多くの知識 - の中に 生きていて、
諸問題を、持っています。
なぜなら、 知識はいつも、制限されているからです。
で、私たちの頭脳は、 問題を解消するよう、訓練されています。
30:31
それは、問題解消の頭脳です。 それはけっして、問題から自由ではありません。
あなたが、二つの間の区別が 見えることを、願っています。
私たちの頭脳は、諸問題を 解消するよう、訓練されてきました -
科学的な世界においても、 心理学の世界においても、
関係の世界においても、です。
問題は生じます。
私たちは それらを解決しようとします。
解決はいつも、知識の分野の中にある。
ですね?(一旦中断。再開後)
知識はいつも不完全です。
これは事実です。
頭脳は、問題を解決するよう、 慣習づけられ、訓練されます。
それは、問題解決の頭脳です。
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31:53
(一旦中断。再開後) 他の何かを見つめましょう。
すなわち、美しさとは何でしょうか。
なぜなら、世界には、ほとんど美しさが ないからです - 自然を別として、です。
丘、木立、川、鳥、
大地の物事を別として、
なぜ、私たちの生には、 ほとんど美しさが、ないのでしょうか。
私たちは美術館へ行き、 絵画、彫像を見ます。
人が作ってきた、とてつもない物事
- 詩歌、文学、壮大な建築。
ですが、私たちが内を見るとき、 ほとんど美しさがない。
私たちは、美しい顔がほしい。
それらに 塗り、覆います。しかし内的に、
私たちは再び観察しています。
それを拒否したり、受け入れたりしていません。
美しさ、静けさ、威厳の感覚が、 ほとんどないのです。
33:47
なぜでしょう。 なぜ人は、このようになったのでしょうか。
人間たちはなぜ、他の方向すべてでは 利巧で、博識であり、
月へ行き、
あそこへ布きれを立てたり、
すばらしい機械を創り出しているのに、
私たちのみんなは、なぜ 今ある私たちに、なったのでしょうか
- 低俗で、騒がしく、凡庸で、
小さな経歴について虚栄に満ち、
自分の小さな知識をめぐって傲慢である - なぜでしょう。
人類に何が、起きてきたのでしょうか。
あなたに何が、起きてきたのでしょうか。
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35:05
私は、これが危機である、と思います。
私たちはそれを回避します。
私たちは、 自分自身を明らかに見つめたくないのです。
自己教育は、英知の始まりです -
書物においてではなく、 他の誰かにおいてではなく、
私たち自身の利己的な、 狭い、歪曲された活動を、
理解することにおいて、です - 来る日も 来る日も来る日も、つづいている活動を、です。
私たちが言いましたように、危機は、 私たちの心と精神に、私たちの頭脳に、ある。
知識はいつも制限されているし、
私たちはいつも その分野の中で、行為しているので、
永久に葛藤が、知識の競技場にある。
よろしいですか。
これは、明らかに 理解されなければなりません。
私たちは、問題を解決しようとします
- 政治的、宗教的なもの、 個人的な関係などを、です。
36:41
これら問題は、けっして解決されません。
あなたは、一つの問題を解決しようとします。
その問題のまさしく解決こそが、 他の問題をもたらします
- それが、政治の世界で起きつつあります。
それで、あなたは 信仰へ、信念へ向かいます。
信念が、頭脳の萎縮をもたらすことを、
あなたが観察されたのか どうか、私は知りません。
それを見つめてください。
観察してください。
常なる主張、「私は神を信じている」、
「私はこれを信じている」、 「私はあれを信じている」。
それの反復 - それが、教会で、大聖堂で、寺院で、
モスクで、起きつつあることです
- 頭脳に栄養を、与えていないで、 それを次第に、萎縮させています。
38:00
信念に、人物に、観念に 執着している人物のように、
その執着には、葛藤、恐れ、
嫉妬、心配があるのです。
それは、頭脳の萎縮の一部です - この常なる反復は。
「私はアメリカ人だ」、「私はイギリス人だ」、 「ヒンドゥーだ」
- それら民族主義的な戯言です。
観察するなら、それの反復は、
頭脳への栄養の不足を、もたらします。
それで頭脳は、ますます鈍くなる。
ただ一人の救い主がいる、ただブッダ、 キリスト、あれやこれやがいると、
反復し、反復し、反復する人々を、
あなたは、観察したにちがいないですが、
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39:15
あなたは、自分自身を観察するなら、
信念へのこの執着は、安全でありたいとの
欲望の一部であることが、分かるでしょう。
そして、安全、どの形でも
心理的安全への欲望と欲求は、
頭脳のこの萎縮を もたらすことが、です。
そこから、あらゆる種類の 神経症的な振るまいが、生じます。
私たちのほとんどは、 むしろ、これを拒絶します。
なぜなら、これを観察することに、 あまりに怯えてしまうからです。
それが、凡庸さのまさしく本性です。
あなたが、或る導師へ、 或る司祭者へ、或る教会へ行き、
反復し、反復し、反復するとき -
あなたの冥想は、一つの形のその反復です。
その反復には、安全、安心感がある。
40:41
で、次第にあなたの頭脳は、 萎縮し、萎みます。
それは小さくなる。
あなた自身で、これを見守ってください。
私たちは、あなたに教えていません。
あなたは、自らの生において、 それを観察できます。
しかし、危機へのこの観察・
・・
私たちの精神と心にあり、 私たちの意識にある危機は、
いつも葛藤を、もたらしています。
なぜなら、 私たちは、他の諸問題を持つことなく、
けっして、唯一つの問題をも、 完全に解決することができないからです。
で、私たちに起きつつあることを、 見てください - 問題に次ぐ問題、
危機に次ぐ危機、 不安定に次ぐ不安定、です。
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41:55
で、頭脳は、精神は、いったい 問題から、自由でありうるでしょうか。
どうぞ、これを訊ねてください。
これは、自分自身に訊ねなければならない、 根源的な問いなのです。
しかし、頭脳は、問題を解決するよう、 こんなに訓練されています。
それは、問題から自由であるとは どういう意味かを、理解できません。
自由であると、それは問題を解消できますが、
逆にではない。どうですか・・・
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42:50
で、問いはこうです -
私たちの意識のこの危機 -
その危機は、思考により、 もたらされています。
思考は、いつも不完全なので、
思考はけっして、問題を解決できません。
それは、問題を増加させたり、 多様化させたりできます。
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43:29
これがきわめて明らかであるなら、 探究しはじめます -
頭脳を問題すべてから自由にし、
そのため、問題に応えられるように するであろう、もう一つの
道具が、あるのかどうか、です。
違いが分かりますか。
問題に応えられ、 それらを即時に解消できるのは、
問題を持たない自由な精神、 自由な頭脳だけなのです。
しかし、問題の解決へ訓練されている頭脳
- そういう頭脳は、いつも、 葛藤の中にいるでしょう。
そのとき、問いが生じます
- 葛藤から自由であることは、 どうして可能でしょうか。
そういうわけで、私たちは言ったのです
- 思考は、私たちの問題を 創り出している道具である、と。
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44:52
それを、もう一つの方向で、 ごく間近で見つめてください。
私たちは関係に、問題を持っています
- 男と女の間や、
男と男の間、同性愛 -
この国(アメリカ)には、 ますます多く・
・・
それは他の国々に存在しない、 ということではないが、
ここでは、そうなりつつある。
それについては、すっかりご存知です。
それを、ごく間近で 見つめてください。
観察してください。
それを変化させようとせず、 それを方向づけようとせず、
「それはこのようであってはならない」とか、 「それはあのようでなければならない」とか、
「私がそれを乗り越えるのを、助けてくれ」とか 言わずに、ただ観察する。
あなたは、あの山の線を、変化させられません。
または、鳥が飛ぶのや、 水の速い流れをも、です。
あなたは、ただそれを観察する。
それの美しさを見る。
しかし、あなたが観察して、
「あれは、昨日私が見た山ほど、 美しくない」と言うなら、
あなたは、観察していません。 単に比較しているだけです。
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46:24
それで、この関係の問いを、 ごく近くで観察しましょう。
関係が生です。
関係なしに、自らは存在できません。
あなたは、関係を拒否するかもしれません。
関係より引き下がるかもしれません。
なぜなら、それは怯えさせるからです。
そこには、葛藤、傷があるからです。
で、私たちのほとんどは、関係において、 自分自身のまわりに、壁を築きます。
で、ごく近くで見つめましょう。
観察する。学ぶのではない。
学ぶべきことは、何もない。
ただ観察するのです。
それの美しさが、見えますか。
なぜなら、私たちはいつも学びたい、
それを知識の範疇へ入れたいからです。 そのとき私たちは、安心を感じます。
47:38
ところが、あなたが、観察するなら - 何も方向づけなく、
動機なく、思考の干渉なく、
ただ観察する。
視覚的に 裸眼でもって、だけではなく、
また、自由であって観察できる 精神と心と頭脳でもって、
何の先入観もなく、です。
そのとき、あなたは自分自身で、 関係の美しさを、発見します。
しかし、私たちは、 その美しさを持っていません。
で、近くでそれを、見つめましょう。
関係とは何でしょうか。
関係していること。
血縁関係ではなくて、
他の一人へ関係していること。
48:41
私たちはいったい、 他の一人に関係していますか -
おそらく性的にとか、手を取る以外に、です。
心理的に、内的に、深く、
私たちはいったい、 誰かに関係していますか。
または、私たちは、深く関係したいのです。
私たちは、それがどうして 起きうるのかを、知りません。
で、私たちの、他の一人との関係は、 涙で満ちています -
時折の喜び、時折の楽しみと、
性的な楽しみの反復、です。
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49:41
で、あなたが観察するなら、
私たちは、そもそも 誰かに関係していますか。
または、私たちは、他の一人に、 思考をとおして、イメージをとおして、
関係していますか - 思考が、あなたの夫と妻について
築いてきたイメージ、
あなたが彼女や彼について、持っている イメージをとおして、です。
明白です。
で、私たちの関係は、あなたが 彼女について持っているイメージ、
彼女があなたについて持っている イメージの間に、ある。
一人一人が、このイメージを 持ち運んでいます。
一人一人が、自分の方向へ進みます -
野心、貪欲、妬み、競争。
権力、地位を探し求める。
関係に何が起きつつあるかを、 ご存じですね -
一人一人が、反対方向へ動いている。
または、おそらく平行であり、
けっして出会わない。
なぜなら、これが、現代文明であるから、
これが、あなたたちが世界へ 提供しているものであるからです。
それで、常に闘争、葛藤、離婚、
いわゆる連れ合いの交替が、ある。
何が起きつつあるのかは、ご存じです。
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51:46
で、これらを観察するとき、 なかなか怯えてしまいます。
これが自由と呼ばれています。
で、あなたが事実を観察するとき
- あなたがごく近くで、何の動機もなく、
方向づけもなく、事実を観察するなら -
事実は、変化しはじめます。
なぜなら、あなたは、観察するよう、 完全な注意を注ぎつつあるからです。
これに付いてきていますか。
あなたは、何かに完全な注意を注ぐとき、
その主題へ、いわば光を照らします。
そのとき、その光が明瞭にします。
その明瞭化が、有るものを、解消させます。
52:55
これらを理解されますか。
私たちは、ここで 互いに出会っていますか。
事実はこうです。
イメージが、ある -
二十日、三十日、五日とか十年の間に
思考が創り出してきたイメージ、です。
彼女は、相手は、イメージを持っています。
一人一人が、野心的で、貪欲であり、
性的に、このように、あのように充足したい。
そうですね、このいわゆる関係において、 つづいている騒動すべて、です。
そして、それへの観察。
それの純粋な観察。
神経症的な事柄すべてが始まるのは、
あなたが、それから 逃避したいときだけなのです。
そのときあなたは、心理学者すべてを、持つ - あなたをもっと神経症にするのを助ける人たちを、です。
54:14
問題に向き合ってください。 それを見つめ、
それへ全的な注意を注いでください。
あなたが、完全な注意を注ぐとき -
あなたの心でもって、 頭脳でもって、神経でもって、
持てる物事すべて、
エネルギーすべてでもって、 見るように、です -
そのとき、その注意深い観察には、 明瞭化がある。
明瞭であるものは、何も問題を持ちません。
そのとき関係は、 何か全面的に違ったものになる。
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55:07
で、生は、私たちのほとんどにとって、 尋常でない問題になりつつあります。
なぜなら、生は関係であるからです。
私たちは関係していないなら - 現にそうでないように、です -
そこから、他のあらゆる問題、 すべての問題が、生じます。
私たちは、 関係の欠如から生まれる社会を、
創り出してきました。
共産主義者、社会主義者、 民主主義者、政治家たちは、
社会の本性、構造を、 変化させようとしています。
基本的な問いは、 他の一人と正しい関係を、持つことです。
あなたは、一人の人物とそれを持つなら、 あらゆる人と、それを持つ -
自然と、大地の美しさの物事すべてと、です。
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56:27
それで、戻って、再び、 とても深く探究しなくてはいけません
- なぜ思考は、私たちの生に、 この荒廃を創り出してきたのか。
なぜなら、私の妻と私自身、 私と他の一人について、
このイメージを組み立ててきたのは、 思考であるからです。
あなたは、それを解消し、それを 見つめるのでなければ、これから逃避できません
- 教会へ行く、祈り。
それらはすべて、あまりに子どもっぽく、
全く未熟です。
なぜなら、それらはどの問題をも、 解決したことがないからです。
はるか遠くへ行くには、 ごく近くで始めなければなりません。
ごく近くで始めることが、私たちの、 他の一人との関係を、観察することです
- それが何であっても、です。
あなたの上司と、あなたの・・・と。
あなたが、大工であるなら、 大工の名匠であるなら、
親方であるなら、労働者であるなら、
あなたの妻と、夫と、それらと、です。
57:53
生は、関係における動きです。
私たちは、思考により、 その関係を破壊してきました。
思考は、愛ではありません。
思考は・・・
愛は、楽しみではありません。
それは、欲望ではありません。
しかし、私たちは、あらゆる物事を それへ還元してきました。
私たちは、次の土曜日と日曜日、 それらに入るでしょう。
ですが、明後日、火曜日と、木曜日には、
質問を受けるでしょう。
終了しました。
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