OJ82T2 - 私たちの生における知識の持ち場は、何なのか

第2回公開講話
カリフォルニア、オーハイ
1982年5月2日
テキストのみのバージョン
|
1:10
昨日の朝、私たちが話していたことを、 継続してもよろしいでしょうか。
昨日、ここにいなかった人たちのために、
言ったことの幾らかを、 繰り返してもよろしいでしょうか。
私たちは、昨日の朝、言っていました - 世界がどんなに壊れ、
民族主義、国家主義により 分割されているのか -
それは本当は、一つの形の部族主義です。
宗教が、その教義、その信念でもって、
その迷信、幻想でもって、
いかに人を、分割してきたのか。
人間たちがいかに、宗派を創り出してきたのか。
各々が、自分たちが人類を、 違う種類の物理的世界と、
いわゆる霊的世界へ、 導こうとしているのだと、信じています。
2:45
西洋にも、東洋にも、様々な導師たちがいました -
その特有の信念と冥想と その他すべてをもって、です。
それは本当に、良いビジネスです!
また、人はいかに、軍隊と、戦争の道具すべてを、
創り出してきたのか -
自らの国、栄誉、威信、自由の名において、
互いに破壊しあうため、です。
何でも、です。
観念の名において、 互いに破壊しあうため、です。
そして、イデオロギー的にも人は、またもや、 自分自身を分割してきました -
全体主義者たちと民主主義者の集団とに、です。
一つの国には、絶対的に自由が無い。
それは、牢獄に生きているのに似ています。
他方では、他の人たちは、 したいことを自由にできるのです。
4:15
また人は、信念でもって 自分自身を、分割してきました。
この小さな谷を、取ってみてください。
観察するなら、または、回ってみるなら、
多くの小さな宗派、
多くの異なった会合、異なった信念、
異なった理想、異なった先入観、 偏見などがあります。
それらは、世界を代表しています。
世界は、その偏見、結論、
理想、信条でもって同様です -
この人物に従う。
あの人物、あの象徴を
崇拝する。
または、東洋や西洋で他の種類の 象徴を、です。
どこに行こうとも、 このとてつもない現象が、見られます -
すなわち、人は、生涯をとおして、
大地を壊してきただけでなく
- アメリカの大地、イギリスの大地、
フランスのものと ロシアのものと、アジアの世界、と -
何であれ、人が触れてきたものは、 悲惨を、もたらしてきました。
5:54
またテクノロジー的にも、人は、 大きな利益をもたらしてきました。
テクノロジー的にもまた、人は、 戦争を創り出してきました。
|
|
6:11
それで、私たちが昨日言っていましたように、
科学者たちは、人を助けてきませんでした
- テクノロジー的には、人を助けてきました。
だがまた(科学者は)、さらなる戦争を もたらすのを、助けてきました -
原子爆弾と、通常の戦争です。
で、科学者たちは基本的、根源的に、
人の条件付けに、変異を もたらしてこなかったのです。
政治家たちも、そうです。
また、宗教的な指導者たち、組織化された信念、
組織的な信仰も、です -
象徴、人物、救い主への
組織化された通常の崇拝も、です。
それらの人々の誰一人として、 人がその悲しみを、そのさびしさ、
その絶望と心配を、終わらせるのを、 助けてきませんでした。
また、地元の司祭者も、導師たちも、です。
見たところ、幾つもの時代をとおして、 人は導かれてきました。
いつも、政治的な指導者、 宗教的な指導者が、いました -
もちろん民族的、国民的な英雄 - すなわち、一番多く殺す人も、です。
|
|
8:10
これらを観察し
- それは、西洋の現象ではなく、 アジア世界にもあるのですが -
これらを観察し、
そもそも真剣であるならば、
そもそも、人の精神、人の心、
人の全存在に、関心を持っているなら、
彼は、別の形の孤立、コミューンをとおして、
そのすべてから逃避するのか、
または、僧侶になるのか、
または、何かの形の娯楽、 面白いことをとおして、逃避するのか。
または、彼はそもそも真剣であるなら、 これらに答えなくてはなりません。
彼は、これらに責任があるのです。
聞き手たちが、 どれほど真剣なのかを、私は存じません。
しかし、あなたが真剣であるなら、 これらに対して、あなたの責任は何でしょうか。
あなたは自らの責任において、 どれほど遠く、行くのでしょうか。
どれほど深く、どれほど広く、でしょう
9:55
または、自分の小さな生活、 自己の小さな経験、
楽しみへ、自己を制限し、
広大な人間の苦しみ、貧しさを 忘れるのでしょうか
- 関心を持たないのか、
または、特定の一種類の戦争に、関心を持つのか、
または、戦争すべてを 終わらせることに、関心を持つのか。
外的な戦争だけでなく、人の内的な闘争、
人の自己との、仲間の人との 永遠の葛藤、抗争に、です。
これは、人の歴史でありました。
何千年に何千年もの進化。
人はまだ、かつてそうだったように、 留まっています。
わずかに、たぶん少し修正されたが、
基本的に人は、残酷で、暴力的で、
敵対的で、競争好きなどです。
|
|
11:40
昨日もまた、言っていましたように、
私たちの一人一人が、自分たちは 独立した個々人であると、考えます -
自分の狭い問題と 制限された視点をもった個人だ、と。
しかし、今私たちがやっているように、 深く探究しはじめるとき
- 私たちがともに、これをできることを、私は願っています -
私たちが深く探究しているとき、
なぜ人間たちは、数百万年の後、
なぜ私たちは、このようになったのか
- 分割され、断片化し、矛盾し、混乱し、
果てしなく楽しみを探し求め、 自らの悲しみをけっして終わらせない。
世界との、お互いとの関係を、 けっして了解しない。
なぜ人と人との間に、 この無際限の葛藤、抗争が、あるのか。
|
|
13:23
私たちはまた、昨日の朝、言っていました -
私たちの意識は - すなわち、あなたなるもの、
あなたが考えること、あなたが感じること、
あなたの反応、信念、
あなたの結論、経験、知識、
あなたの恐れ、心配、さびしさ、
絶望と悲しみ、そして死の恐れ - は、
人類すべてに共通なのです。
どこへ行こうとも、人はこの状態へ、 条件付けられています。
どこで生活しようとも、裕福な社会にでも、
どこか貧しい村にでも、
文明から遠い集落にでも、
そこでもまた、人は苦しみます。
絶望的にさびしくて、
心配で、不安全で、残りの人類に似ています。
15:00
私たちがまた、言っていましたように、 これを見て、問いはじめます -
そもそも個人性があるのか、です。
または、ただ人類があるだけで、 あなたは人類です。
本質的に、深く、あなたは、残りの人類です。
しかし不幸にも、私たちは 教育され、条件付けられてきました
- 宗教的にも、環境的にも、です。
私たちは、分離した個々人であるとの観念に、 教育されてきたのです -
一人一人が、自分の特定の救済を、特定の幸せを、
生の特定の楽しさを探し求める、と。
これは、大きな自由の感覚を、与えてきました -
一人一人が、自らのしたいことをする。
16:17
それは選択である、と。
人は、選択できるから、 自分は自由であると、考えます。
しかし、選択の動きは、同じ分野にあるのです -
一つの隅から別のへ、です。
これは、自由ではありません。
で、私たちは昨日、言っていました -
私たちの意識 - すなわち、 私たちの人間的な日々の存在 - は
残りの人類である、と。
その意識は、それ自体、矛盾しています。
それ自体、砕けていて、断片化しています。
|
|
17:22
私たちがまた言っていましたように、 これは講義ではありません。
講義とは、特定の主題について、
さらに情報を与えるとの視点で、 話をすることです - その主題について、です。
その意味で、これは講義ではありません。
私たちは、ともに考えています - それがそもそも、可能であるとして、ですが。
人がなってきたことの、このとてつもない現象を、
ともに考える、ともに観察する -
人が自分の生で、まわりの世界の生でもって、 やってきたことの現象を、です。
で、私たちは、ごく近くで、偏らず、冷静に 観察しています -
私たちが何であるのか、そして、 私たちが世界をどうしてきたのかを、です。
18:58
ですから、どうか、あなたが そもそも真剣であるなら -
そして、真剣でなければなりません。
なぜなら、世界はひどい状態にあるからです。
私たちの一人一人にとって、 ものすごい危険があるのです。
で、私たちは、ともに考えています。
ともに観察しています。
ともに同意しあっていません。
私が見るとおりにとか、 あなたが見るとおりにとか、物事を見ていません -
自らの特定の偏見、自らの先入観、
自らの民族主義的、国家主義的な バカな視点をもって(見ないの)です。
むしろ、自由に観察する。
自由に観察するとは、 何も偏見を持たない。
外的に起きていることを
そのとおりに見る、という意味合いです。
20:15
私たちは、それが正確に見えないのなら、
正確に、精密に、それに関係することが
できないでしょう。
はっきりと観察する -
何も動機なく、何も方向づけなく
ただ観察する。
山を観察するかのように、です。
それはそこにあり、雄大で、静寂で、不動です。
同じように、人のこのとてつもない現象を観察します。
|
|
21:34
で、私たちはともに、近くで、ためらい、注意深く、
この動きを、観察しています -
出て行って入ってくるこの潮の満ち引きを、です。
すなわち、私たちが何なのか、 私たちが、世界を創り出す。
それから世界の罠に、私たちは、はまります。
私たちが、この社会を創り出してきました。
私たちの一人一人が、ではなく、 私たちの過去の諸世代、
彼らと私たちが、この現在の 不道徳で破壊的な社会を、創り出してきたのです。
私たちは、その社会の罠に、はまります。
その社会は、私たちの 一人一人によって作られます。
で、私たちは、その社会に対して、責任がある -
それは可能なのかどうか。
社会を変化させるのではなく、
私たちの条件付けを、根本的に深く 変容させることは、可能でしょうか。
すなわち、私たちの意識を 深く理解することは、です -
意識は、私たちなるものです。
23:17
変容させることは、可能でしょうか - 何かにするのではなく、
変化させる。
私たちの意識の
まさに構造と本性に、変異をもたらすのです。
それが問題です。
それが危機です。
それは、政治的な危機、 経済的な危機や、戦争の危機ではない。
危機は、私たち自身にあるのです。
私たちは見たところ、その危機に向き合えません。
または、進んで向き合おうとしていません。
で、私たちは、その事実から
逃避しようとします - 宗教的、政治的、 フットボール、その他すべての
様々な形の娯楽をとおして、です。
|
|
24:31
また、私たちが昨日の朝、言っていましたように、
私たちの意識の内容は -
内容は、あなたが考えること、 感じること、あなたの反応、
あなたのあこがれ、絶望、
楽しみ、憂鬱、信条、教義、
悲しみ、信念、絶望的なさびしさ、
究極的な死の恐れ。
そのすべてが、あなたの意識です。
それが、あなたなるものです。
私たちは、ともに訊ねています -
内容は終わりうるのかどうか、です。
すなわち、人間精神、人間存在の条件付け -
それは、変容できるのでしょうか。
で、私たちは昨日、 信念という問い全体を、取り上げました。
それは、私たちの意識の一部です -
人に対して人を分割する理念、信条、
全体主義のイデオロギー、 そして、民主主義のイデオロギー、
カトリックのイデオロギー、 プロテスタントのイデオロギー、
彼らの信念、教義、暴力。
アジア世界でも同じです。
26:40
それが、私たちの意識の部分です -
民族主義が、私たちの 部族的意識の部分であるように、です。
その信念は、全的に、完全に終わりうるのか。
まったく信念、理想を持たないで、
実際に、事実に向き合う - あるべきように、ではなく、
それらのあるがままに、です。
私たちの一人一人が、それの事実、それの真理、
それの実在、それの論理を見るように、
私たちが、信念から、理想、イデオロギーから、 全的に自由でありうるのか。
これは、大変多くの究明、 注意、エネルギーを、必要とします -
私たちの精神が、信念とイデオロギーにより、 いかに不具になっているかを、見出すように、です。
信念などは、「有るもの」からの実際の逃避です。
28:10
私たちは、「有るもの」に出会う能力がないので、
何か理想の中へ逃避しようとします。
私たちは進みながら、それに もっと詳細に、入るでしょう。
|
|
28:25
また私たちは昨日、傷という この問いを、取り上げました -
人間たちの心理的、内的な傷。
どのように、私たちの一人一人が、 子どもの頃から死ぬまで -
私たちは、いつも何かしらのことで、傷つきます。
あなたが、そこに座っているとき、 それに気づくなら - 快適にいてほしいと願います -
自らが傷ついていることに気づいているのかどうか。
親により、学校により、比較をとおし、
或る種のきつい言葉をとおし、仕草をとおして、 深く傷ついている。
29:42
年を取るにつれて、私たちは その傷を、運んで行きます -
意識的、または、無意識的に、深く、です。
その傷の帰結は、信じがたいほど複雑です。
なぜなら、傷ついているとき、 もっと傷つくのを、恐れるからです。
その傷からの行為は、神経症的でも、防衛的でも、
さらに傷つくことから、 自己を防衛する。
ゆえに、その傷には、恐れが関与しています。
それが、私たちの意識の一部です。
|
|
30:39
私たちが言いましたように、その傷は、 私たちが自己について築いてきたイメージです。
一人一人が、自分自身について イメージを持っています -
様々な種類の仮面、
様々な性質と、多様なイメージを、 彼自身が持っている
- 彼自身で築いてきた。
または、 社会が、彼にイメージを与えてきたのです。
傷つくのは、これらイメージの一つです。
イメージは私です。
イメージは、 私から異なっていません。
私たちは昨日、それに入りました。
で、すべての傷から全的に、
完全に自由であること、二度と傷つかないことは、
可能でしょうか。
そのときだけ、精神は花開けるのです。
そのときだけ、互いとの 適切な人間的関係が、ありうるのです。
で、見出すことが、とても重要です -
自己についてのイメージから、全的に 自由であることは、可能なのかどうか、です。
傷つくのは、そのイメージです。
私たちは昨日、幾らか 詳細に、それに入りました。
|
|
32:29
で、私たちはまた、自らの意識の
さらなる内容の検討に、入るべきです。
すなわち、仲間の人との関係、他の一人との関係、
最も親密な人物との関係です。
日々の生活で観察すると、その関係には、
大変多くの葛藤、抗争が、あります。
大変多くの格闘、不幸せが、あります。
究極的には、離婚に終わり、別の人を見つけ、
同じ歌を再び始めます。
人と人との間、男と女の間の
この永続的な葛藤、抗争 - なぜでしょう。
私たちは、この葛藤、抗争を、受け入れます。
または、それを受け入れなくて、 それに解決策がほしいなら、
助けてくれる専門家たちのところへ、行きます -
心理学者、司祭者、何かの権威、何かの専門家。
私たちを、他の人との特定の葛藤から抜け出すよう、 助けてくれるであろう人へ、です。
34:16
見たところ、観察すると - あなたもまた観察してきたなら、
この葛藤、抗争は、終わりません。
あなたはそれを、覆い隠すかもしれません。
それから逃げ去るかもしれません。
どうやらそれを忘れて、受け入れるかもしれません。
しかし、葛藤、抗争はあるのです - 内的に、
人間すべてとの関係において、
どれほど親密でも、どれほど疎遠でも、です。
私たちは、なぜかを、一度も 訊ねてきませんでした -
親密でも、そうでなくても、 人間たちの間のその葛藤は、
いったい終わりうるのか、どうかです。
これは、問うのが重要な疑問です。
なぜなら、生すべては、関係であるからです -
あなたが僧院やコミューンに生きていても、
小さなアパートに自分一人で生きていても、
あなたはやはり、関係しています。
35:34
生は、関係の中での動きです。
その動きには、明らかに、
大変多くの葛藤、抗争と悲惨が、あるのです。
これが、私たちの意識の一部です - 埋没していても、表面にあっても、です。
なぜ、百万年の後、私たちの持つ 情報すべてをもってしても、
私たちの知識となった情報すべて -
それは、私たちのこの悲しみ、この関係の葛藤を、
防止してこなかったのでしょうか。
|
|
36:34
どうか、あなた自身に この問いをしてください。
私はあなたに、この問いをするよう、 頼んでいません。
それは自然な問いなのです。
私たちは、この問題に向き合い、 それを解消させなくてはいけません。
それが解消されないなら、 私たちが葛藤の中、生きるなら、
必然的に私たちは、この葛藤、抗争を 永続化させる社会を、創り出すでしょう。
で、どうか、よろしければ、 この問いに関して、真剣であってください。
なぜなら、それはとても重要であるからです。
私たちは、戦争に向き合っているのです。
戦争は、私たち自身の中での果てしない葛藤、 私たちの一番親密な人物たちとの抗争の
この究極的な結果です。
37:56
で、これは、とても深刻な問いなのです。
それには答えを見つけ、解消しなければなりません。
それは、学術的な問い、 理論的な問いではありません。
それは、人間的な問いです - 私たちはみんな、そこに関与しています。
私たちの生の毎日が、です。
なぜ私たちは、隣人たちとの葛藤に、 生きるのでしょうか -
その隣人が、はるか遠くにいても、 間近にいても、です。
なぜ私たちには、この闘争、この葛藤が、 あるのでしょうか - 男と女の間に、です。
様々な形の闘争。
性的なもの。
各々が自分の願望を、自分の野心を、
自分の充足を追求する、
各々が、互いとは違った何かになろうとする闘争。
39:20
これは、明白な日々の事実です。
あなたたちは、ベッドで出会うかもしれません。
しかし、一人一人が、 異なった路線を追求しています。
それは、けっして出会わない 二本の平行線に、似ています。
これが、関係と呼ばれます。
そこには、実際の愛の感覚が、何もありません -
それに、私たちは入るでしょう。
|
|
40:05
愛は楽しみではない。愛は欲望ではない。
愛は、充足を探し求めることではない。
しかし、私たちは、互いとの関係を、
充足、楽しみの感覚、 何か欲望されるものなどに、してきたのです。
で、なぜ人間たちは、テクノロジー的には こんなに智恵があり、
こんなにとてつもない能力とエネルギーなのに、
なぜ人間たちは、この最も本質的な問い、問題を、 解決してこなかったのでしょうか。
あなたは、冥想するかもしれません。
覚りを探し求めるかもしれません。
最新の導師に従うかもしれません -
何であれ、あなたが 従っているものの最新の表現に、です。
しかし、この問題を解決していないなら、
あなたの霊的な到達、 テクノロジーの達成すべては、
まったく価値がないのです。
41:56
なぜなら、私たちの生は関係であるからです。
私たちの生は、孤立の中、 あなた自身により、生きられない何かです。
私たちは、孤立に生きる(から) または、生きようと試みるから、
大惨事を、引き起こそうとしています -
自分たち自身を孤立させつつある集団として、 民族、国家として、です。
アメリカ人、イギリス人、フランス人、
ロシア人、インド人など。
これは、一つの形の孤立です。
その孤立の中、彼らは、安全を 見つけようとしています。
孤立には、いかなる安全も、ありません。
なぜなら、究極的に人間たちは、 破壊されつつあるからです。
42:55
同様に、私たちが、関係という、 この本質的で基本的な問いを、
解消していないなら
- すなわち、現在、私たちを 互いから孤立させています -
この孤立は必然的に、あらゆる種類の悲惨、混乱、
憎しみ、怒りを、生み育てるにちがいないのです。
で、そこにいかなる葛藤もない関係を、
持つことは、可能でしょうか。
|
|
43:55
関係とは、何でしょうか。
他の一人へ関係するとは、どういう意味でしょうか -
物理的にだけではなく、 はるかに心理的に、深く、です。
そちらが、私たちの物理的活動を、条件付けます。
私たちはいつも、それを忘れます -
すなわち、私たちは、 社会環境を改善したいと思います。
私たちは、あらゆる種類の 立法などなどを行います。
私たちは、心理的にはっきりしていないなら、 自分たちのすることが、
腐った社会をもたらすだろうことを、悟りません。
単に、外的な抗争を終わらせるだけでなく、 心理的に、私たち自身の葛藤を
変容させるほうが、重要です。
これが深く 理解されることを、私は願っています。
心理的な葛藤は、必然的に、 世界の抗争を、生み出すでしょう。
45:25
しかし、私たちは、外的な構造を 変化させようとしています -
根源的に、心理的に、
乱用されているその言葉を使っていいなら、 霊的に、そうしようとしないで、です。
精神・
心理の根源的、 基礎的な変容が、ないのなら、
あなたが外的に何をしようとも、
あなたが外的にしてきたことは、いつも、 精神・
心理により打ち負かされるでしょう -
共産主義者たちの近頃の革命に、 見られるように、です。
彼らは、社会の外的構造を変化させることをとおして、
人を変化させようと、願いました。
それは全然、逆でした - それは観察可能で、知られています。
|
|
46:38
で、関係は、とてつもなく重要です。
男と女の間、人自身の中、隣人とに、
なぜ、この分割が、あるのでしょうか -
関係の過程全体に、です。
あなたは、語り手がそれを 説明してしまうのを、待っていますか。
なぜ私たちは、互いとの、男、女などとの 葛藤に、生きるのでしょうか。
または、私たちは、この現象を、 ともに観察しています。
それを解消しようとするのでなく、観察しています。
まず初めに観察する。
そして、どのように観察するかを、理解する -
どのように問題を解消するかを、 ではありません。
理解されますか。
問題があります。
私は結婚していませんが、仮に結婚しているとします。
私には妻がいます。
私は、自分の欲望、自分の野心、 自分の成功などを、追求しています。
彼女もまた、違う形で、同じことをしています。
私たちは、セックスなどをし、 子どもを持つかもしれません。
しかし、私たち二人は、分離した実体です -
自分の目標、自分の道筋、自分の充足を
追求しています。言うところの、 自分のことをやっています。
48:54
当然ながら、妻と私は、矛盾し合っています - けんか、苛立ち、です。
適応できない。
または、適応したくない。
なぜなら、本当は、愛があるところ、 何も適応はないからです。
で、私はどうするのでしょうか。
私の行為、または無行為は、何でしょうか。
どうか、気をつけて聞いてください - 行為、または、無行為です。
なぜなら、無行為は、行為より はるかに重要なのかもしれないからです。
否定は、最も肯定的な行為です。
すなわち、虚偽を見て、 虚偽に真理を見ることは、
虚偽を終わらせることなのです。
ただ観察する。
しかし、私たちはみんな、あまりに熱心に、 行為しよう、それへ何かをしようとします。
50:25
私と妻はけんかする。私たちは不同意する -
その他すべての、起きている醜い事柄を、 ご存じでしょう。
あなたたちはたぶん、私より、 それに気づいているかもしれません -
そのすべての、ひどい緊張、 さびしさ、醜さ、です。
|
|
50:56
今、ともに私たちは、問題を 観察しようとしています -
解消しようとするのではない。
どうか、気をつけて聞いてください。
解消するのではなく、終わらせるのではなく、 このための解決策を見つけようとするのではない。
ともに、私たちは観察するでしょう。
すなわち、あなたが問題へ どのように接近するのか、
すなわち、あなたが問題を どのように見つめるのか、です。
問題自体より、接近のほうが はるかに重要でしょう。
私は、妻を失うことに怯えていたり
- ご存じでしょう、そのすべての事柄です。
私が、そのすべての詳細に、入らなくてもいい。
そのとき、私の接近は、 私の恐れにより、条件付けられます。
51:59
そのとき、問題の解決は、 私の恐れにより、条件付けられます。
で、それは解消されません。
理解されますか。
で、接近は、問題自体より はるかに大事です。
もしも私たちが、この一つの 単純なことを理解できたなら!
で、私たちはいつも、 問題に、関心を持っています
- その複雑さ、問題の分析に、です。
私たちの精神は、問題の解決へ 方向づけられています。
語り手は言っています - 解決に関わり煩うな。
あなたがどのように接近するのか、 どのように問題に近づくのか、
どのように問題を観察するかのほうが、 問題自体より、
はるかに重要である、と。 これは捉えましたか。
53:09
たとえ知的にでも、言語的にでも、 これを見てください。
すなわち、解決は重要ではない。
重要なのは、あなたがどのように問題へ来るか、
あなたがどのように問題を見るか、です。
問題は外に、向こうにあり、 あなたはそれに接近しているのか、
- どうか、聞いてください - または、問題はあなたなのか。
理解できますか。
|
|
53:52
当面、私はそれに入らないでしょう。 それは、他のどこかへつながるからです。
で、私たちが言っていましたように、 問題への接近のみが、重要です。
ですね?
そこから、動いていいですか。
あなたが動いています。
私は動いていません。
私たちは言っています - あなたは、どのように問題へ来るのか、
あなたは、どのように問題を見るのか、
あなたは、問題を見るために、 どのようにエネルギーを集めるのか、と。
あなたの接近は、方向づけられていますか。
それは、問題を解消しようとしている、 という意味です。
または、あなたは動機を持っていますか。
あなたは、動機を持っているなら、 その動機をもって接近しますか。
で、動機をもって接近するとき、
動機が、あなたが問題をどう取り扱うかを、 決定するでしょう。
ところが、あなたが何も動機を持っていないなら、
- どうか、これは、正確な観察を要求します -
あなたは、何も動機を持っていなくて、 ゆえに方向づけを持っていないとき、
純粋に、問題を観察しています -
何も偏見なく、変色なく、です。
55:27
あなたはただ、それを観察しています。ですね?
今、私たちは進みながら、 これをしているでしょうか。
どうか、これは - 私たちが やっているのは - ゲームではありません。
それは、日曜日の朝の知的娯楽ではありません。
これは、きわめて深刻です。
なぜなら、 生は関係であるからです。
私たちは、その関係を理解しないなら、
世の中に荒廃を創り出すのです。
自らの子どもたちを、破壊する。
お互いに破壊しあうのです。
それが、今、私たちがやっていることです - 競争をとおし、
戦争をとおし、人がやっている 怖ろしいことすべてをとおして、です。
|
|
56:29
で、ともに私たちは、観察しています -
なぜ人間たちは、お互いに 平和に生きられないのか。
それは事実です。
それは、 実際の発言です - 誇張されていません。
それに対する私たちの接近は、
純粋な、無私の客観的な観察なのか。
または、あなたはそれへ、 私的な反応をもって接近しているのか。
もしあなたが、私的な反応をもって 接近しているなら、
それは永遠に続くでしょう - 葛藤、抗争です。
しかしあなたが、客観的に冷静に、 何も方向づけなく、
それへ接近するなら - 理解できますか -
そのとき、あなたの精神の状態は、どうでしょうか - どうか、付いてきてください -
そのとき、問題を見つめる、あなたの精神の状態は、 どうなのでしょうか。
57:52
これを理解されましたか。
理解されましたか。
誰かは?
いいです。
逆に表しましょう。
なぜ男と女の間、人と人との間に、
葛藤、抗争があるのでしょうか - そうですね、関係の全体です。
なぜでしょう。
どうか見てください。
あなた自身に答えてください。 あなた自身、それに入ってください。
私に、語り手に依存しないでください。
彼はその甲斐がありません。
彼は何も価値がありません。
彼はただ、 言語的な実体、電話機です。
あなたが、答えを、なぜかを、 見つけなくてはいけません。
それは - 私たちはともに、観察しています。
で、あなたはそれを、語り手から学んでいません。
彼は、あなたに何をも教えていません。 どうか、これを理解なさってください。
59:07
彼は、あなたに、何一つ教えていません。
ゆえにあなたは、彼に従うものではない。
彼は、あなたの権威ではない。
彼は、あなたの導師ではない。
それらはみんな、あなたを迷わせてきたのです。
なぜなら、彼らはけっしてこの問題を、 解決できたことがないから、
または、けっしてこの問題に 取り組んだことがないからです。
|
|
59:40
で、ともに観察する中で、 私たちは発見しようとしています -
なぜこの葛藤は存在するのか、
それを完全に終わらせることは、可能なのか。
理論的にではなく、一日間ではなく、 それを終わらせる。
この葛藤は存在します。
存在するにちがいない - 私はあなたに語りたくありません。
なぜなら、それはとてもばからしくなるからです。
私があなたに語るなら、あなたは、 「はい、全くそのとおり」と言うでしょう。
そのとき、あなたは、もとに戻っています。
それは、何かあなた自身が 発見したことではない。
あなたは、心理的に、 自分自身で何かを発見するとき、
何が起こるかを、ご存じですか。
1:00:42
あなたは、無量のエネルギーを持つのです。
そして、精神をその条件付けから 自由にするには、エネルギーが要るのです。
私は妻とけんかする - 妻がいるとして、です。
または、女友だちとか、何であっても、です。
私は彼女とけんかする。
私はさびしい男であるから、
私は彼女を所有したい。
私は彼女に依存したい。
私は、彼女の慰め、彼女の励まし、 彼女との交際がほしい。
私は、私はすばらしいと 言ってくれる誰かが、ほしい。
で、私は彼女について、イメージを築いています。
彼女もまた、所有されたい、
私で充足したい - 性的に -
私に、今の私より何か違ったものに、 なってほしいと、思います。
1:02:25
で、これがあります - 一週間か一日間か数年間、
生活しているのでも、各々が、
イメージを築いてきたし、 それが知識になるのです。
付いてきてください。
どうか付いてきてください! お互いについての知識です。
知識は - 少しそれに入ってもいいですか。
これは深刻です。
知識は、 関係において破壊的です。
ですね?
あなたが、一度これを理解されるならね!
私は、「私は妻を知っている」と言います。
なぜなら、私は、彼女とともに 生きてきたし、すべての彼女の傾向、
彼女の苛立ち、性急さ、嫉妬を、 知っているからです。
それが、彼女についての私の知識になります - 彼女がどう歩くのか、
彼女がどう髪を整えるのか、 彼女がどう動くのか。付いてきていますか。
1:03:43
私は、彼女について、たくさんの 情報と知識を、収集してきました。
彼女は、私について、たくさんの 知識を、収集してきました。
で、過去は - 付いてきていますか - 知識はいつも過去なのです。
ですね?
未来について知識は、ありません - 予知可能なのは。
で、私たちは互いについて、 知識を持っています。ですね?
|
|
1:04:23
で、私たちは、知識という問いを、 大変多く探究しなくてはいけません。
生において知識は、 どんな持ち場があるのでしょうか。
私たちはこの観察の中、ともにいるのでしょうか。
知識は、人を変容させるでしょうか。
条件付けの変異、または終わりにおいて、
知識は、どんな持ち場があるのでしょうか。
これが条件付けです -
私は、知識をとおして、彼女を条件付けてきました。
彼女は、知識をとおして、私を条件付けてきました。
これらに付いてきておられますか。
私たちはここで、一緒にいますか。
私たちはともに、観察していますか。
どうか、私はあなたに教えていません。
あなたは、自らの全エネルギー、 能力でもって、観察しています -
この事実を見るように、です。
すなわち、関係に知識があるところ、 葛藤が必ずあるのです。
1:05:45
私は、知識を持たなければなりません - 車の運転の仕方、文章の書き方、
英語やフランス語やイタリア語や 何語であろうと、その話し方。
または私は、技術的な知識を、持たなければ なりません。
私は良い大工であるなら、
木材について、使う道具などについて、 知識を持たなければなりません。
しかし、妻との関係、
友だちや何でも、その関係において、
私が集めてきたその知識 -
常なる苛立ち、常なる分離、
野心をとおして組み立てられたもの。
私が取得してきたこの知識 -
その知識は、他の一人との実際の関係を、 妨げようとしています。
1:06:46
ですね?
これは事実でしょうか。
または、これは 単に仮定、理論、観念でしょうか。
観念は、事実からの抽象化です。
ですね?
ギリシャ語の「観念(アイディア)」は、 観察する、見る、という意味です -
抽象化して、それが観念になるのではなく、
知覚へきわめて近づくことです。
で、私たちは、観念を扱っていません。
私たちは、実際の関係を扱っています -
それは葛藤、抗争になっています。
その葛藤は、生じます -
私が、彼女について たくさんの情報を蓄積してきて、
彼女が、私について たくさん取得してきたとき、です。
で、そのとき私たちの関係は、 知識に基づいています。
知識は、生の何についても、 けっして完全ではありえません。
1:08:10
どうか、これを悟ってください。
知識はいつも、無知の影とともに行くのです。
ですね?
万物・
宇宙について、知ることはできません。
天体物理学者は、叙述するかもしれません。
しかし、あの無量性に気づくには、
情報をとおした知識は、何も必要とされません。
あなたは、宇宙のように広大であり、 完全に秩序だった
精神を、持たなくてはいけません。
そのとき、それは違った事態です。
|
|
1:08:58
で、同様に、関係における知識は、 葛藤をもたらします。
事実を見てください。
事実を受け入れるのではない。
知識は、一方向では重要性があるが、 別方向では、ない、
という事実を、見てください。
否定は、最も肯定的なことなのです - 理解されますか。
ですね?
そこから、もう少し 進んでいいでしょうか。
すなわち、
私たちは、葛藤を終わらせるために、 意志を行使するのでしょうか。
すなわち、意志は肯定的な行為です -
「私はこの葛藤を終わらせたい」と -
その意志は、葛藤の終止を、 もたらすのだろうかを、探究するのです。
私たちは前に、これをしてきました。
|
|
1:10:20
で、知識の持ち場を 理解することが、とても重要です -
そして、関係における障害としての 知識を(理解することが)、です。
愛は知識ではありません。
愛は思い出ではありません。
彼女について何も知識がないとき、私は彼女を、
新鮮な新たな人間と見ます - 毎日、新たです。
それによりどうなるか、分かりますか。
みなさんは、何もご存じでない。
あなたたちは、学識がありすぎます。
書物の知識で、他の人たちが言ってきたことで、一杯です。
そういうわけで、これを了解することが、 怖ろしく困難になるのです
- このような、ごく単純なことが、です。
|
|
1:11:41
またも、1時まで15分です。すみません。
私たちは、次の土曜日と日曜日に、 継続するでしょう。
なぜなら、私たちは、生きることの きわめて複雑な問題を、取り扱っているからです。
その生きることは、私たちの 意識の内容を、理解することです。
その知識の総体を、了解していないかぎり、
私たちはいつも、無秩序(状態)にいるでしょう。
無秩序は、私たちの意識のまさに本性です。
そういうわけで、私たちは、 信条、信念、傷、関係を、取り上げたのです。
それらは、私たちの意識の一部です。
この無秩序の中から、秩序は もたらされうるのです -
私たちはそれについて、 次の土曜日と日曜日に、話すでしょう。
|
|
1:12:59
もう立ち上がっていいですか。
|