OJ82CNM4 - 健全な心とは home
第4部 ボーム博士、ヒドレー博士、シェルドレイク博士との対話
カリフォルニア州オーハイ
1982年4月18日

0:10 【 心の本質 】
0:23 ~ 第4部 ~
0:25 ~ 健全な心とは? ~
0:37 これはJ.クリシュナムルティと― その他の人々による一連の対話です これらの議論の目的は 心の探究です 心理的無秩序とは何か? 心の変容に必要なものとは何か?
0:57 クリシュナムルティ氏は 宗教哲学者として この問題に長年携わってきました 米国、英国、インドでは 小中学校を設立しました
1:11 ディビッド・ボーム氏は倫理物理学者 英国のロンドン大学の教授です 倫理物理学などに関する本を 多数執筆しています 2人は以前― 様々な対話を行いました
1:28 ルパート・シェルドレイク氏は生物学者 彼は最近『形態形成場』という仮説を 本の中で発表しました 現在 インドの国際作物研究所に― 植物生理学者の意見を 求めています
1:46 ジョン・ヒドレー氏は精神科医 クリシュナムルティ学校に 過去6年間携わってきました
1:57 最初の3部では 自己同一化の過程と その影響に焦点を当てました 安心感への欲求が 基本的な分裂から生まれ その分裂の中で 意識の中身が― 意識そのものから分離します 今回は まず注意の重要性からです
2:21 分析とは何でしょうか? 観察とは何でしょうか? そこには分析者と 分析されるものがいます よって常に不和が持続されます ゆえに葛藤が生じます 分裂が。 それが心理的自由に― 破滅をもたらす原因の一つです この葛藤、分裂が。 分析は この分裂を持続させます だが よく観察してみれば― 調べてみれば― 分析者は 分析されるものです 3:24 また同じ問題です 思考が分析者と 分析されるものを分離したのです 分析者とは過去であり― 多くの知識と情報を習得し 分析されるものの誤りを訂正して― 同調させますが― 彼が分析されるものなのです このことを深く理解するならば― 心理的葛藤は終焉します なぜなら そのとき 分析者と分析されるものの間に 境界はないからです あるのは観察のみです 4:14 それが ボーム博士と私が 去年 長らく話し合ったことです それを明確に理解したなら… 命令ではありません これまで観察してきました 葛藤というものを これまで観察してきました 葛藤なしに 人生を生きることができるかどうかを つまり支配者の不在です それは非常に危うい質問です 不注意、注意の欠如があるところに 葛藤の全過程が生じるのです
5:09 ええ わかります もし双方が 最大の明晰さを持っているなら…
5:15 ええ 問題に 英知を与えることになります
5:20 片方だけが明晰な場合は どうなるのですか?
5:25 では 男女の関係を例にして― これを見てみましょう あなたは完全に注意を払っています 彼女があなたを侮辱するとき お世辞を言うとき 執着するとき それらはすべて注意の欠如です あなたが注意深くとも 妻がそうでないなら どうなるでしょう? また同じ問題です 来る日も来る日も 辛抱強く 彼女に説明して 共に調べるのか… 6:15 結局のところ 注意とは 多大な配慮、愛情を意味します 単なる内的な注意でなく 全身全霊の注意です その結果 彼女は あなたと共に歩むことにし― 言わば あなた側に来るのか それとも 自分にしがみつくのか 分裂し矛盾した状態に それで どうなるのか? 1人は愚かで 片方は賢明です
6:58 つまり常にそこには
6:59 対立が生じます 愚かな者と賢明な者の間で
7:09 そこでは賢明な方が― 愚かな者に余地を与えているのでは? 自由に調べることができるように
7:24 しかし片方がそれを拒絶したら 関係はどうなりますか?
7:31 ‐なくなります ‐それまでです
7:34 部族主義は根本的に ひどく有害なものです あなたはそれを理解しています あなたは即座に 理解したかもしれませんが 私はそこに至るのに 何年も掛かるとします あなたは辛抱強く― いえ… あなたは配慮、親愛、愛を持てますか? 私の愚かさを理解するために 私は反発するかも 離婚するかもしれません 逃げ出すかもしれませんが あなたは私に種をまいたのです こういうことは 実際にあり得るのでは?
8:43 はい
8:45 興味深い話ですね 片方は即座に理解し― もう片方は時間が掛かる この注意の中での理解とは
8:58 即座のものですよね?
8:59 ‐蓄積したものでなく… ‐それは理解とは違います
9:01 だから もう片方は
9:04 理解できないのかも
9:09 あなたは理解していて―
9:15 私が理解していないとき
9:16 2人の関係はどんなでしょう? 意思の疎通ができません
9:23 ええ
9:25 言葉の上でも 配慮を持っても 大変難しい
9:29 話が通じない
9:31 私は常に反発し 自分を正当化します
9:36 自分の考えを…
9:38 自分が正しいと思っていることを 自分が生まれ育った国の考えを― それを手放すのは危険だと思うのです 人に心が狭いと言われるかも 世論に頼っていると言われるかも 手放すのが怖いのです だから固執します そのとき2人の関係とは? ‐関係がありますか? ‐いいえ
10:15 本当にそうでしょうか?
10:17 伝えることはできます
10:20 ええ そして 執着や性的な理由からではなく
10:22 あなたが本当に 私のことを愛しているなら 関係を失う訳にはいきません 私が逃げたとしても 結び付きを感じるはずです 伝わったでしょうか?
10:45 つまり相手が拒絶しても 放り出すべきではないと?
10:50 ええ そして― 愛があるとき 非常に深い関係を― あなたは築いているのです 私が拒んでも あなたには愛の責任があります 特定の人物だけにではなく 人類全体に対して
11:22 どう思いますか?
11:25 これ以上言うことは あまりありませんが 配慮や注意は重要な点だと思います 例えば 観察者と観察されるものや― 分析者の話では 注意の欠如によって 分離が生じます
11:44 その通りです
11:46 ですから心理的な問題を調べるときも それと同じ姿勢でのぞむべきです
11:56 配慮の姿勢ですか?
11:58 今への配慮と注意です いつもの癖で分析してしまい それを非難するとします “正しい姿勢ではない”と。 しかし まさに 今そこで起きていることに対して 我々は配慮と注意を 払わなければならないのです そこに注意がなかったり 正しい注意でなければ 最初の段階で分裂が生じ 持続されるわけですから
12:35 しかし家族や友人に対しては そのような注意を払えるとしても― 見ず知らずの人に対しては? 大抵の人は ロシア人に会ったことがなく ロシアの核兵器や脅威などに対して 恐怖を抱いています そして 我々も核爆弾を― 持とうとするわけです “ロシア人は恐ろしい”と。 つまり 面識がない敵に対しては
13:15 ‐どうしたら? ‐敵とは何ですか? 敵などいるのでしょうか?
13:24 ええ 例えば―
13:27 あなたに賛同しない者?
13:29 決定的に 観念や―
13:31 イデオロギーが異なる者?
13:36 大抵 ロシア人は我々を恐れ 我々はロシア人を恐れます それが原因で― 敵の立場にあるのです
13:46 我々は依然として部族主義です
13:50 ええ 確実に
13:53 そこから抜け出しましょう 私がロシア人で あなたはそれ以外の出身だとします 私が この手の部族主義を 軽蔑しているとして そのとき2人の関係とは?
14:12 私はロシア人ではなく―
14:13 1人の人間です
14:14 多くの悩みを抱えています
14:16 そして あなたもまた 悩みを抱えた人間です ラベルではなく 人間なのです
14:31 しかし ロシア人は― このことを 認めないかもしれません
14:35 ロシア人が我々を拒絶したら
14:37 どうするんですか?
14:43 どうしましょう? いいですか 私は全人類の代表です 私が全人類なのです 実際に 私はそのように感じます ただの感情の爆発でも ロマンチックな着想でもなく 私は全人類だと感じているのです 私は苦しみ 楽しみ あらゆる苦痛を経験します あなた方もそうです つまり あなたが全人類なのです 故に 多大な責任があるのです そこで ロシア人、ドイツ人、 英国人、アルゼンチン人に会うとき あなたは人間と接するのです
15:49 つまり 大多数が部族社会で 政府や爆弾を備え 戦争兵器を持っている中で 散在する少数の個人が 部族主義を解消できると?
16:03 もし世界中のあちこちにいる 100人の人間が― 実際に非部族的な姿勢を示せば それはまるで― 暗闇の中の光となるでしょう 我々はそうしません ただの理想主義的な着想に過ぎないと 断念します 皆 我を通すからです
16:35 ええ
16:37 ここで注意と集中の違いを 見極めておきましょう 集中とは 一つの事柄に 焦点を合わせることです そして注意とは― 一つの事柄に焦点がないことです それが注意です
17:12 集中には目標があります
17:15 目標、動機― それは限定的な行為です 私は本に集中しますが― 思考が窓の外に奪われ 何度も本に引き戻します 一方 もし完全な注意を 窓から見えるものに払うなら その同じ注意をもって― 私は本を読むことができます 己の現状が見れます
17:47 集中には支配者がいて
17:54 思考を引き戻します
17:58 注意には支配者がいないなら それは単なる反応なのでは? 何であれ現状に対する…
18:06 注意を払うなら 侮辱されても その屈辱を記録することはありません
18:20 その通りです
18:23 あなたは私にお世辞を言います “先日の講演は素晴らしかったです” だから何だと言うんでしょう? わかりますか? これは更に難しい質問です 記録せずにいられますか? 必要な場合以外に 運転には記録が必要です 運転の仕方を習うために 仕事をするときなども 記録は必要です しかし 心理的に記録する必要が?
19:07 勝手に記憶されるのでは?
19:11 記憶は選択的なものです
19:15 我々が記憶するものは
19:18 自分にとって―
19:18 重要なことのように思えます
19:24 しかし通常 注意を払っている中で― 何を記録し 何を記録しないか決めるなら 無意識とは言えないのでは?
19:35 もっともです
19:37 過去、集中、分析が原因なら― 無意識のものでしょうが…
19:46 議論すべき問題がもう一つ 昨日 我々が言ったことですが 宗教、瞑想― 神聖なものについて 話し合うと言いました 神聖なものがあるのか? 思考によって神聖なものを創り出し 崇拝するのではなく… それは ばかげたことです インドの寺院の象徴などは 彼らのイメージです キリスト教の教会のように イスラム教の寺院には 素晴らしい文字があり それもまた同じことです それを崇拝するのです
20:48 ‐偶像崇拝ですね ‐いえ 思考がこれを創り出したのです
20:52 思考がイメージを創り それを崇拝するのです 何とばからしいことか
21:06 ええ
21:07 確かにそうですが さらに洗練された信者なら 崇拝しているのは 思考のイメージではなく それが指し示すものだと
21:21 言うのではありませんか? 象徴とは― 現実のものではありません では なぜ象徴を創り出したのか? 答えてください 超越したものがあるとして なぜ仲介物を創ったのか?
21:47 これは特定の宗教の人々にとって 中核をなしてきた問題で ユダヤ人は偶像崇拝に反対しています イスラム教も偶像がありません
22:00 ‐けど彼らには… ‐文字はあります
22:02 その通り
22:03 文字は象徴の向こうにあるものを
22:05 教えてくれるものです
22:10 単なる象徴ではなく
22:11 それは我々を支えてくれる言葉です 例えば あなたの言葉が 私を救ってくれるかもしれません それを書き出せば 同じことです
22:27 それで なぜ仲介するものが 必要なのでしょう?
22:38 私はここに居て 神聖なものは― 向こうにあるからですか?
22:44 質問に答えていません 仲介者が真実を理解していて― それで私にそれを― 伝えているのでしょうか?
23:03 見たことを伝えたいのかも
23:06 ええ でもなぜ 通訳の役を買って出るのか? なぜ仲介者になるのか? 『それ』と私の間の。 私は無知で苦しんでいます 『それ』より 悩みに対処しては?
23:26 『それ』が悩みを解決するのです 仲介することで…
23:31 その手口が 世界中の聖職者によって 使われてきたのです 聖職者は 太古の時代から 存在しますが
23:47 人は悲しみから解放されてません
23:48 百万年たっても苦しんでいます 何のために? 解放してください 恐怖から解放してください 身分、権力、地位が 欲しいのでしょうか? 他の人々と同じように だとしたら かなり深刻です
24:27 もし聖職者を 好意的に解釈するなら 彼らの中で最良の者が 詩的なイメージによって 超越したものを表せると 考えたのかもしれません それによって 彼らは神聖なものを 指し示めそうとしているのです 恐らくは。 さて あなたはこのことを 無意味だと言うのですか?
24:57 しかし なぜ現状を理解する 手助けをしないのですか?
25:04 神聖なものを示すより まず現状を見ろと?
25:08 解放しなさい!
25:10 ええ わかります
25:14 誰も深く調べようとしないのです 常に 神や救済者、 ブラフマンといった話ばかりです これがいわゆる宗教です 儀式は思考の産物です 素晴らしい建築物も 思考の産物です 教会、寺院の中にあるものも すべて思考の産物です そして それを思考が崇拝するのです 思考は神聖ではありません
25:59 つまり思考を― 停止できるかと?
26:03 できますか?
26:05 思考は―
26:08 イメージを創り
26:09 我々を妨げます
26:11 私が神聖なものを探していると あなたが来て こう言います “全部教えるから それを構築しなさい” そして全て見失います
26:28 思考の中に留まるわけですね
26:30 つまり 思考は 神聖なものではありません 神聖なところなどありません ただ思考が 己の創造物を崇めているのです ええ
26:49 それでは時間は 神聖ですか?
26:54 もちろん―
26:55 神聖ではありません
26:57 永遠なものは神聖では?
26:58 永遠なものを知るには 時間を止めなくては!
27:01 それにしても微妙な問題です
27:07 完全な注意が 自我を消滅した結果― 注意が思考になるかもしれません
27:17 観念の上ではあり得ます
27:19 観念を創り上げる可能性がある ‐危険ですね ‐あなたがこう言います
27:25 ええ
27:27 “完全な注意”と。
27:29 その意味の深さを 私は把握していません あなたは調べたので 言うことができます 私はそれを聞き 観念化して その観念を追いかけます
27:50 我々はいつもこの調子です
27:51 ええ
27:53 だから見失うのです あなたが言ったことは―
27:54 観念ではなく…
28:02 しかし我々は― 観念を追っていると思ってません
28:08 もちろんです 我々は 何でも抽象観念に変換することに 慣れていますから 従って 理解することはできますか? 思考が行うことは 何であれ神聖ではないことを
28:40 自明の理です
28:43 はい 自明の理です このような宗教に 神聖なものは何もありません そうでしょう?
28:54 いえ 言葉や建物自体は 神聖ではないですが それらを超越したものを 宗教は示しているはずです
29:06 ええ しかし それらを超越するためには― まず 己を苦悩から解放し― 人間関係を 理解しなければなりません もし 心の中に混乱があれば― 何の意味もありません 私は物質主義でも 他者を排除 しているわけでもありません ただ 非常に遠くに行くためには 身近な所から 始めなくてはなりません 自分は大変 身近です つまり己を理解することです 私は全人類です 私は個人ではありません 私の中に人類の本があり 私がその本なのです もし それを読むことができれば そのとき私は― 30:22 確かめることができるでしょう 本当に計り知れない 神聖なものがあるかどうかを 単に『それ』があると言われても― それは私を救ってくれません 宗教は長年存在してきましたが― 救ってくれないどころか あなたを現状から遠ざけます 従って もし神聖なものが あるかどうかを確かめたいなら 身近から始めることです 非常に身近なのは己です そして己を恐怖から 解放できるでしょうか? 苦悩、悲しみ、絶望などから 自由があれば 山に登ることができます
31:36 つまり 恐怖などを解消すれば 神聖なものが明らかになると?
31:42 もちろんです それが本当の瞑想です
31:51 我々の中で起きていること―
31:54 ええ
31:56 人間関係で起きていること―
32:00 あなたと人々の間で
32:01 それらに注意を払うことによって…
32:05 それから以前 ボーム博士と話し合ったことですが― 自我の運動全体を洞察することです それは回想ではありません 洞察とは 己を完全に理解することです 分析したり 審査したりすることなく― 完全に あなたの意識の中身すべてを― 即座に理解するのです 少しずつでは きりがありません
32:54 分裂した断片ではなく
32:56 分裂しているから 全体が見えないのです 言うまでもありません
33:05 では 分裂せずにいられるでしょうか?
33:06 何が分裂するのか? この意識の混乱について― 昨日お話したわけですが… ご覧なさい 誰もそれほど深く調べたくはないのです まず 時間がありません 己の仕事に専念しています 己の職業、己の学問― 何であれ己がしていることに そして誰もが “難しすぎる 難解すぎる―” “実用的でない”と言うのです 己がしていることは 実用的であるかのように 軍備は実用的なことですか? 部族主義は― お分かりでしょう? では そこから前進しましょう 心の静寂とは 注意を払っている状態のことですか? あるいは 注意を超えたものですか?
34:38 “注意を超えたもの”とは? 説明してください
34:48 注意とは― 意志による行為ですか? “注意を払おう”
34:58 いえ それは集中です
35:01 では お聞きします そこに注意があるとき― 何らかの努力がありますか? 奮闘が? “注意しなければ” もう少し踏み込みましょう 注意とは何でしょう? 『勤勉』という言葉は 注意の中に含まれます 勤勉になることです 怠慢ではなく
35:48 油断がないという意味ですか?
35:52 ええ 油断がなく 非常に的確であることです
35:58 本来の意味は『骨を折る』です
36:00 その通り 『骨を折る』 つまり 配慮をすること― 愛情を持つこと すべてを的確に 秩序立てて行なうことです 反復的にではなく 注意は 思考の行為を必要としますか?
36:33 分析者の行為は―
36:36 必要としません
36:37 故に 思考を必要としません そして意志の行為も必要としません 意志が 心の中の分離や努力に― 関与している限り 注意は『何かに成る』という意味を 含みません 『成る』は― 人を現在から遠ざけるからです
37:03 注意深くなることはできません
37:07 それが何を意味するか 見てみましょう
37:09 注意深くはなれません 注意の中には 時間がないからです
37:21 『成る』とは時間を意味します
37:22 注意中 時間は生じません 故に 注意は 思考の産物ではありません
37:29 ええ
37:39 その注意とは 心の静寂のことでしょうか? それは健全で分別のある心― 整頓されていて執着がなく 自由な心、 最も健全な心のことです そこでお尋ねしますが その注意の中にあるとき 心は静寂でしょうか? 思考の動きはないですか?
38:30 ないと思います それはどちらかと言うと 存在している状態です
38:43 『存在している』とは? それはどういう意味ですか?
38:50 『あるがまま』に在ることです
38:53 『在る』とはどんな意味ですか? 『成る』の反対の表現ですか?
39:02 ‐そうです ‐それなら―
39:04 それは反対語ではありません
39:09 『存在している』とは やがて別のところへ行く過程の中には― ない状態という意味です
39:19 つまり 運動がない状態ですか?
39:26 そうだと思います
39:28 運動がない状態
39:30 つまり それは―
39:31 静的な状態ですか?
39:35 いえ 動的な状態です
39:37 少し分かりにくいです
39:39 ここからそこへと動きません
39:42 別の種類の運動であると?
39:45 それを論じましょう 『存在している』とは― そこに運動がない状態で つまり思考や― 時間といった運動が ない状態のことだとして― しかし一方 独自の活力があり 時間や思考ではない独自の運動が あるものだとして それが『存在』ですか?
40:31 そうだと思います
40:39 それは静かなものですか? どうですか? 静寂には様々な形態があります
40:53 そうでしょう? 無音ではないかもしれませんが
41:01 ここで言う“静寂”とは 思考の動きが全くないことです
41:09 それなら確かに静寂です
41:12 ええ つまり心が 考えることをやめたのでしょうか? というより 思考が 自分の居場所を見つけたので それが故に― もはや運動、おしゃべり、 指図をしないのでしょうか? なぜなら支配者がいないからです もし そこに 卓越した静寂があるなら― それが永遠なるものです 探す必要はありません それは作業でも 成し遂げるものでもありません 断食や儀式といった ばかばかしいことによって
42:27 さて あなたはこれを聞いて―
42:29 ある人からこれを聞いて― そこに どんな価値が? それで どうするのですか? 何か意義があるのでしょうか? 皆 自分の道を進みます あなたは精神分析医で 私は私の道を進みます 言うべきことを言って そこで終わりです 次に何が? 誰かが現れて 通訳を申し出るのです あなたは時間がないので 彼がすべてを 通訳するわけです 43:18 そして術中に陥ります 常にこうです 太古の時代から 彼らは― これを演じてきたのです そして依然として同じままです 宗教は人類に何かしたでしょうか? 救っていません 非現実な架空の慰めを与えました 実際に起きているのは 殺し合いです そんなわけで 始めましょう 健全な心とは何でしょう?
44:28 囚われがなく…
44:31 無傷な心 健全な心― 分別がある心 神聖な心 全て健全な心を意味します それを議論しましょう 健全な心とは何でしょう? 世界は非常に神経症的です 精神分析医として 健全な心とは何かを どう伝えますか? 誰も気にかけません 彼らはテープやテレビに耳を傾け 賛同はしますが 我が道を行きます では どうしましょう? 第一 私は健全な心を 持っているのでしょうか? それとも ただの想像でしょうか? まったく執着がない心 自分の国、自分の観念に すべてにおいて 完全に冷静で執着がない心
45:58 つまり患者と話す立場なら
46:02 まず健全な心が必要だと? もちろんです 私が結婚しているとして 妻に執着する必要が?
46:14 それが結婚というものです
46:17 愛は執着ではありません 私は理解したのでしょうか? 健全な心は 愛してるが故に執着しないことを それは可能でしょうか?
46:35 とても簡単そうに言いますが 非常に難しいことに思えます どこが難しいのですか?
46:42 なぜなら あなたの話を聞いて
46:43 これは大変素晴らしいと 健全な心を持ちたいと思います なのにその後 健全な心の状態には なれないことに気付くんです 意志の行為や欲望では この状態に入れないことを。 それは生じるもので 意志では起こせません
47:08 その通り
47:10 なら生じさせなくては
47:12 では 調べてみましょう あなたは尋ねます なぜ健全ではないのか? なぜ家に執着するのか? 妻、人間関係― 人間関係なしに生きることはできません 人生とは人間関係です しかし人に執着する必要が? 観念、信仰、象徴― わかりますか? 執着の連鎖です 私の国、私の教祖、私の神 これらの一貫した執着から 自由になることが? もちろんなれます
47:58 しかし欲するだけでは…
48:00 いえ 執着の結果を見るのです それに関与していることを 苦痛、快楽、苦悩、恐怖― 関与する全てを見るのです そんな心は不健全であると!
48:26 ええ 人はそれに賛同することも 己の執着を知ることも― 有害な結果を見ることもできます けど本質的には解放されません
48:39 もちろんです そこで全く違う質問が生じます あなたは単に 耳の感覚器を使って聞いているのか それとも実際に聞いてるのか
48:58 質問がわかりますか?
48:59 文字通り ただ聞いているだけなのか それとも 心から聞いているのか? 非常に深く聞くなら それは あなたの一部になります どうでしょう
49:23 通常そこまで深くは聞きません 条件付けによって阻止されます
49:31 または聞きたくないのかも
49:34 それもまた条件付けです
49:36 確かに
49:38 不本意なことです
49:40 妻に“愛してるが執着はない”と言えば “寝ぼけるな”と言われるでしょう しかし もし健全な心を持つことの 絶対的な必要性を― 理解するなら― そして それを求めるなら… 自分にだけでなく― 自分の子供、自分の社会にも…
50:23 まさか それを人々に 説いて回れと?
50:27 いえ 自分に求めるのです なぜ自分の心は 健全ではないのか? なぜ神経過敏なのか? そして調べ始めます 熱心に観察し 注意を払うのです
50:53 健全な心の絶対的必要性を 理解するにしても― 執着を持続することが 絶対的に必要であると 我々は条件付けられてます
51:10 一概にそうとは言えません 心に問題があることを 多くの人が認識していて 変えたいと思っています そして瞑想などの精神修行を 始めるわけです しかし あなたは― 瞑想やチャクラなどは すべて同じ類のものだと?
51:34 ずっと前にやったことがあります
51:37 ええ
51:40 それらは ばからしいことです それでは思考は止まりません
51:48 止めるものもあるのでは? 私には効果がありませんでしたが… 修行が足りないのかも…
52:00 では そうする代わりに 調べてみては? 思考とは何なのか 終焉できるかどうかを わかりますか? 探究なさい! これら4回にわたる議論の末― 健全な心を得ましたか? 混乱のない心を得ましたか? もはや模索していない― 求めていない心を どうですか? なんと厄介な! それはヘビを見て― 近づかないことと同じです
53:01 内側から見れば 途方もなく深く― 困難な問題ですが 外側から見れば ヘビの話と同じくらい 単純なことであると?
53:13 私にはそう思えます
53:15 涅槃や天国など要らないからです
53:16 観察するだけです
53:23 なぜ事実と違って― 深く見えるのですか?
53:30 我々は皆 非常に浅薄なのです でしょう? それで満足すると思うのです 良い家、良い妻― 良い仕事、良い人間関係― 何も打破しません それぞれが教会、モスク― 寺院に行き 現状を維持するのです
53:59 つまり目を背けていると?
54:01 もちろんです
54:02 もし自らの部族主義に 目を向けていれば
54:04 戦争をやめたはずです しかし皆 目を向けたくないのです わかりますか? 非情になるよう教育されます 詳しくは言いません つまり 健全な心とは― いかなる葛藤もない心です つまり全体観的な心です そこに神聖なものとなる 可能性があるのです でなければ子供じみたことです
🢁