SA83T4 - 至高の智恵とは何なのか。

公開講話、第4回
スイス、サーネン
1983年7月17日
テキストのみのバージョン
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1:32
あなたたちが、暑すぎない ことを、望みます。
私たちが木曜日に 話していたことを、
継続してもいいですか。
私たちは、先の木曜日に こう言っていました -
すなわち、 世界中の人間たちは、
安全を 探し求めてきたし、
彼らは、安全を持たなければ ならない、ということを、です。
生物的に、物理的に、 だけではなく、
また、人間たちは、心理的な安全を、 探し求めてきたのです。
彼らは、あらゆる種類の イメージ、理論、
仮説などを、 考案してきました。
それらすべてに、人は、心理的な 安全を、探し求めてきました。
物理的には、それは必要です - 明白です -
すなわち、世界中の 私たちのみんなが、
衣食住を持つべき であることが、です。
それは、様々な形の分割により、 拒否されます -
人種的、民族的なもの - すなわち、部族主義です -
そして、イデオロギー的な 違いによって、です。
それらが、大変多くの戦争を 産出してきました。
何千もの戦争、です。
3:41
歴史をとおして、戦争は、 存在してきました。
で、人は、物理的に、ほぼ 何の安全をも、持っていません
- しっかりと 安定している人、
たくさんのお金、 伝統に従い、
保守的であるなどの 人たち以外は、です。
が、心理的に、 内的に、
私たちは、様々な幻影に、 安全を、探し求めてきました
- 神に、 観念に、関係に、
概念と先入観、 結論、確信に、です。
それらすべては、人に、内的な 安全を、与えてきませんでした。
私たちは、かなり徹底的に それに、入りました -
前回、私たちがここで 会ったとき、です。
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4:46
私たちは、こう 言いました -
人間たちにとって、そもそも 安全が、ありますか。
初めてここに来られた、 あなたたちは、
どうぞ、 留意なさってください
- すなわち、これは 講義ではないのです。
講義とは、 特定の主題について、
話をすること、談話です
- 教示され、情報を 与えられるために、です。
で、これは、 講義ではありません。
これは、何かイデオロギー的、 哲学的なこと、
東洋からの異国風な ことではありません。
私たちが言いましたように、 私たちは、二人の友として、
人間存在について、一緒に 話し合っています -
なぜ人間たちは、 幾千年に幾千年の後で、
やはり、心理的に、 原始的であるのか、です。
テクノロジー的には、 高度に前進しましたが。
6:06
彼らは、月へ 行ったことが、あります。
彼らは、大変多くのものを、 発明してきました。
高速な通信、
偉大な外科手術、医療
- あなたが、それらを 信じているなら、です。
そしてまた、 コンピューターも、です
- それはおそらく、私たちの頭脳の 活動全体を、引き継ぐかもしれません
- すっかりではないが、 そのほとんどを、です。
で、私たちは、ともに 話し合っていました -
私たちがここで行ってきた、 ここ数回の会合において、です。
なぜ人間たちは、今あるところの ものであるのか、です。
進化と呼ばれる、 長い時の期間の後に、です。
彼らはやはり、暴力的で、 残忍で、原始的です。
部族的な戦争をします - それらは、民族的、国家的な戦争、
経済的な戦争 などです。
7:12
見たところ、世界に 平和は、ありません。
政府は、どの国のでも、
とうてい、平和を もたらせません。
私たちは、それについて 大変多く、話してきました。
私は再び、それらに、 入ろうとしていません。
なぜなら、私たちは、もう二回だけ 会合を、行うからです
- 次の火曜日と 木曜日です。
で、私たちは、言ってきたことへ、 何度も何度も、戻ってはなりません。
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7:51
私たちは、二人の友として、 話し合っています -
語り手が、一定の格言、 一定の観念を、
定めているのでは ありません。
彼は、何の権威をも 持っていません。
彼はただ、一緒に 話し合っている友だちです
- 人類の悲惨、 人間の苦しみ、痛み、心配、
さびしさ、絶望、 憂鬱、不確実さと、
生の騒動すべての 問い全体について、です。
で、私たちは、先日、 話していました -
心理的に、そもそも安全が あるのかどうか、です。
8:51
私たちは、心理的な安全を、 見つけようとしてきました
- あらゆる形の、
幻影、執着、きずな などに、です。
それらすべての活動に、 何も安全が、なかったのです
- 安全とは、安定し、堅固で、 変化不可能であることです。
流動していなくて、
変化していなくて、
安定性、着実さ、
大きな強さと 活力の感覚、です。
私たちは、こう言いました - 全的な安全が、あるのは、
智恵の中だけである、と。
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9:50
さて、私たちは、ともに 探究しようとしています。
ともに、 あなたと語り手は、
智恵とは何であるかを、 究明します。
辞書によれば、 その言葉の普通の用法は、
理解する、判別する、すばやく 掴む、という意味です
- 発言、観念を、何か 差し出されたことを、です。
迅速に理解する。
そして、聡明である。
それは、即座に判別する能力を、 持つことができる、ということです。
私たちの一人一人は、その言葉 「智恵」を、聞くとき、
私たちは、それを 翻訳するでしょう -
自分たちの条件づけに、 自分たちの先入観に応じて、です。
私たちは、「あれは、 智恵のある本だ」と、言います
- 「あれは、 智恵のある人だ」と。
すなわち、究明できる、 観察できる、考えぬける
能力を、 持っている人、です。
11:18
その言葉「智恵」 (インテリジェンス)、根本的に、
その言葉の語源は、 判別すること、
何かを捉えることが できることだけではない -
差し出されることを、即座に、です。
それは、新しいのかもしれません。
またそれは、 理解すること、
行間を垣間見ることをも、 意味しています -
二つの思考の間、
一ページの行の間、 印刷されていないことを、です。
そして、智恵(インテリジェンス)、 その言葉こそは、
とてつもない響きを、 持っています。
あなたは、その言葉が、 聞こえるとき、
それは、私たちの一人一人に とって、何を意味していますか。
初めに私たちは、その言葉を 聞きます。
その言葉の響きを、です。
なぜなら、その言葉は、 智恵ではないからです。
その言葉は、 そのものではありません。
このテント - 「テント」という 言葉は、その実際ではありません。
12:47
で、その言葉は、言語的に 自体の意義を、持っていますが、
また、その言葉の裏に、 その言葉の響きが、あります。
響きは、その言葉の、 より深い意義を、収容しています。
私たちは、互いに 出会っていますか。
なぜなら、響きは、とても 重要であるからです。
音楽は、響きです。
急速に流れ下る、あの川は、 響きを立てます。
私たちは、ほとんど 響きを、聞きません。
私たちは、自分の先入観を、持って いますが、それらは、阻止します
- 疎通するための言葉が 聞こえることを、だけではなく、
また、その言葉の響きを 捉えることをも、です。
それは、自らが よくよく気をつけて
聞かなくてはいけない、 という意味です
- それで、 その言葉自体が、
その言葉の十分な意義を、 解き明かすように、です。
そして、その言葉がもたらす 響きが、あるとき、
あなたは、 聞けるだけです。
14:20
響きは、 雑音ではありません。
響きは、二つの音の間の、 間隔ではありません。
響きは、大いなる深さを、 持っています。
すなわち、きわめて 明らかに聞くとき
- 何の偏見もなく、
何の先入観、意見や、 どの形の結論もなく、です -
そのときあなたは、一言の 甚大な意義を、捉えます。
「智恵」のように、 その響きとともに、です。
私たちがともにこう しているのを、望みます。
なぜなら、私たちは、 今朝、多くのことについて、
話し合おうと しているからです。
自らは、言葉でもって、疎通 しなくてはいけないだけではない
- なぜなら、 私たちは、幸か不幸か、
英語で 話しているからです。
そして英語は、一定の言葉に、 一定の明確な意味を、持っています。
それらの言葉は、疎通するために、 使われなければなりません。
「すてきな日ですね」、
15:54
「美しい朝ですね」と。
が、その言葉は、 美しい朝ではありません。
言葉は、 山ではありません。
しかし、あなたが、 その言葉の響きを、聞くなら
- 「美しい朝」を、です -
あなたは、その朝の 意義全体を、捉えます
- そのとてつもない 美しさすべて、
陰、澄んだ空気、 山々とともに、です。
その響きに、すべての物事が、 存在しています。
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16:40
で、私たちは、ともに 話し合おうとしています
- 智恵とは、何ですか。
そのような問いへ、 どのように接近しますか。
私たちの一人一人が、それに、 異なった意味を、与えるでしょう
- 私たちの能力に 応じて、です。
もしあなたが、 大変多く読書し、
大変多くの本を、 読んできて、
大変多くの言語を話し、様々な 方向で、才能に恵まれているなら、
あなたはそれを、 智恵と呼ぶでしょう。
他の誰かは、あなたは 能力を持たなければならない、
と言うかもしれません -
選択なく、判別できる ように、です。
行為です。
誰かは、こう言うかもしれません - コンピューターの複雑な
機構全体を、組み立てる ことは、智恵である、と。
で、一人一人が、 自分の贔屓に応じて、
自分の先入観、 偏見、結論に応じて、
「これが智恵だ」と 言うでしょう。
18:00
しかし、本当に智恵が 何であるかを、究明するには、
私たちは、何が智恵でないかを、否定 しなければなりません。
ですね?
私たちは、智恵でないものを、 究明しなければなりません
- 智恵が何であるかを、 見出すために、です。
が、智恵が何であるかを、 究明するには、
あなたは初めに、何がそれでないかを 理解しなければなりませんね。
これが、幾らか明らか であるのを、望みます -
すなわち、私たちは、何が智恵でない かを、究明しつつあることを、です。
否定をとおして、あなたは、 肯定的なものに、来ます。
が、あなたは、肯定的なもの でもって、出発するなら、
否定に 終わってしまいます。
あなたが、子ども時代から、 信じて出発するなら
- 何かの形の幻影などに、 信を持って、です -
あなたは、 成長するにつれて、
間違いなく、何をも信じないことに、 終わってしまうでしょう。
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19:24
で、私たちは、今、 出発しつつあります -
何が智恵でないかを、 見出そうと、です。
ですね?
すなわち、私たちは ともに考えています。
語り手があなたに、何が智恵でないかを 語っているのではない。
ともに、 あなたと語り手は、
二人の友だちとして、 この甚大な問題、そして、
とても複雑な問題を、 究明しています。
何が智恵であるかを、自分自身で 見出すように、です。
そうするには、
智恵でないものの否定が、 なければなりません。
ですね?
私たちは、この事柄について、 明らかですか。
そうであるなら、 私たちは、進行できます。
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20:19
何が 智恵ではないのですか。
戦争は、智恵ですか。
すべての獣性、嫌らしさ、
醜さ、騒音、 残忍さ、流血、
他の人たちを 殺すこと
- それは、 智恵ですか。
地上のものすべてを、 殺すこと
- 海中の動物、鯨、
私たちは、永続的に 殺しています -
自然だけではなく、 私たち自身をも、です。
私たちの頭脳は、 退廃しつつあります。
あなたがこの問いに、そもそも 入ったのかどうか、私は知りません。
私たちは、戦争は、 智恵がないのを、見ます。
けれども、私たちは それを、追求しています。
21:35
私たちの一人一人が、 それに、責任がありますね。
あなたが、そういう責任を、認知する だろうかどうか、私は知りません。
(レバノンの)ベイルートでは 戦争が、進みつつあります。
現時点で世界には、 四十の戦争が
進みつつあると、 私は思います。
観念、理想のために、 殺し合っています -
民族、国家として、自分の 地位、権力を主張するために、
そして、侵略、包囲 されないために、です。
そうね、そのすべてが、 進んでいます。
それは、 智恵の行為ですか。
長い時の経過をとおして、 進化してきた人間たちは、
近頃、二つのおぞましい 戦争を、行ってきました。
けれども、彼らは、 戦争の準備を、しています。
22:54
それは、大いなる愚かさの 行為です。ですね?
明白です。
それの原因、 それの原因の一つは、
民族主義です - それは、 栄達した部族主義です。
私の国、私の空間、 私の国民、
私の伝統、私の神。
そういう活動すべてが、 愚かしさの行為です。
それは、 智恵ではありません。
みなさんが、それに 同意されると、思います。
が、私たちは、 それの事実が、見えますか
- それは愚かであるとの、 言語的な主張だけではありません。
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23:56
で、私たちの責任とは、 何ですか。
私たちは、まさにぐさりと、 行くでしょう。
このことが進みつつあるのを、見る とき、私たちの責任は、何ですか。
私が、民族主義と呼ばれる 一定の部族、
一定の宗派に、 所属しているなら -
それは、分割を、もたらします。
ゆえに、葛藤を、です。
私は、その葛藤を、受け入れて、 普通の伝統的な道に、従うのか、
あるいは、私は、もはや どの国にも、所属していません。
実際に、どの国にも、どの部族にも、 どの集団にも、どの派閥にも、です。
ですね?
または、 どの宗教にも、です。
なぜなら、それらは、 分割の要因であり、
ゆえに、葛藤の 要因であるからです。
そして、 頭脳の衰退は、
私たちのみんなに、 起きてきましたが、
私たちが、生まれて、幼いとき、 それはすでに、衰退しつつあります。
25:38
すみません。
葛藤は、頭脳での衰退の要因の 一つか、おもな要因です。
葛藤。
そして、人間たちは、 子ども時代から、死ぬまで、
永続的な葛藤の中に、 います -
何らかのことに ついて、です。
矛盾があるとき、 その葛藤は、生じてきます
- あなたが、何かを言い、全然 違ったことを、するとき、です。
それは、偽善です。
あなたは、友として、聞くでしょうか。
私たちは、互いに聞いていますか。
または、あなたは、ただ、 「はい、そのとおりです。
私はあなたに同意します」と 言って、続けていくだけです。
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26:46
私たちが先日、言いましたように、 これは、深刻な会合です。
娯楽ではなく、
知的な刺激とか、何か ロマンチックな、感傷的なことと、
それらの戯言では ありません。
これは、きわめて 真剣、深刻な集会です。
生は、ほとんどの人々にとって、 大変危険になったのです。
そして、生は、見たところ、 いかなる意味も、ありません。
私たちは、生を深刻に、 真剣に取ることになるなら
- 私たちは、智恵があるなら、 そうしなければなりません -
私たちは、このすべてに、関心を 持たなければなりません
- ただ、それの一面だけに、 ではありません。
私たちは、人間存在全体に、 関心を持っています
- 私たちが生まれた瞬間から、 死ぬまで、です。
或る種の不条理な冥想に、 入ってしまうとか、
或る導師に従うとか、
理論や理想を、受け入れて、 繋がれるのではない。
28:18
これは、考慮すべき 深刻な事態です。
それは、自分の頭脳を 行使する、という意味です。
何が真実であるかと、 何が幻影であるか、
幻影である物事を、自分自身で 見出すように、です。
そして、どの種類の 民族主義も、
戦争、分割を もたらしていて、
明白に、智恵の 行為ではありません。
で、あなたが、何かを、 真実であると見るとき、
偽りは、 抜け落ちてしまいます。
もはや、葛藤は、 ありません。
または、民族主義者であるまい との決意も、ありません。
あなたは、パスポートを、持っている かもしれませんが、パスポートは・
・・
不幸にも、それは、 旅行するために、必要です。
で、民族主義は、 葛藤の要因の一つです。
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29:31
また、先入観に 取りすがることも、です。
先入観(プレジュディス)という言葉は、 予め構想された意見、という意味です。
ですね?
私たちは、 先入観に満ちています。
他の一人物の意見に反する、 あなたの意見。
ですね?
そして、政治的な 意見が、あります。
そして、世界中で、 人々を分割することが、です。
私たちの意見は -
意見とは、提案を意味しています - 証拠を欠いていて、
何か情動的な反応に、
結論への強い固執に、 基づいています。
これもまた、人々を 分割しています。
ゆえに、葛藤が、 あります。
私たちは生きられますか・
・・ どうぞ、友よ、聞いてください。
私たちは、意見なしに 生きられますか
- 先入観なしに、です。
結局のところ、あなたが、或る種の神を 信じているとき、それは、先入観です。
31:12
あなたは、 キリスト教徒として・・・
他の誰かは、ヒンドゥー教徒や 仏教徒として、
救い主を 信じていないが、
あなたは、きわめて強く 救い主を、信じているし、
他のやつは、 信じていないなら、
それはただ、 信念、信仰の事柄です
- 何の証拠もなしに、です。
そして、 或る人物への、あなたの信念は、
世の中に、平和を もたらしてきていません。
あなたが、このすべてを 見るとき
- いかに信念、先入観、 結論、理想が、
人々を分割し、ゆえに、 葛藤を生み育てるかを、です。
そういう活動は、明白に、 智恵ではありません。
で、あなたは、 それが聞こえるとき、
あなたの先入観すべてを、 落としてしまうのでしょうか。
自分が何であるのか、自分が何でないのか、 あなたが何であるべきか
などについての、 あなたの意見すべてを、です。
32:22
あなたは、それらすべてを、落として しまうのでしょうか - それで、
自由な精神、取り散らかって いない精神を、持つように、です。
もしあなたが、「それは 可能でない」と言うなら、
あなたは、けっして、自分自身で 見出さないでしょう。
私たちは、友として、 話しています -
あなたは、智恵を持つとは、どういう ことかを、けっして見出さないでしょう。
ゆえに、あなたは、
いつも幻影に、安全を 探求するでしょう。
けっして、安全を 見つけないで、
ゆえに、大きな騒動、混乱、 神経症的な活動の中に、いて、
感傷癖と ロマンティズムへ
または、官能性の中へ 逃避します。
これが、起きつつ あることです。ですね?
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33:29
で、私たちが 言いましたように、
頭脳の衰退の おもな要因の一つは、
この常なる分割です - それは、葛藤を生み育てます。
なぜ私たちに、分割、 断片化が、ありますか。
私たちが互いに、この質問を しているのを、望みます。
私が・
・・語り手が、 質問をしていません。
私たちは、互いに この質問を、し合っています。
あなたが、その質問を しています。
なぜ世界中で、 人間すべてに、この矛盾、
この断片化が、あり、
ゆえに、断片すべてを まとめたい、
充足したいとの衝動が、 ありますか。
で、私たちは、 検討しようとしています。
なぜなら、私たちは、智恵が 本当に何であるかを、見たいからです
- 至高の智恵です。
思考の智恵ではなく、
知識の智恵ではなく、
経験の智恵ではない。
なぜなら、その智恵は、 制限されているからです。
なぜなら、経験は、制限されていて、 知識は、制限されているからです。
ゆえに、何でも制限されている ものは、智恵ではありません。
35:45
私たちが互いに 出会っているのを、望みます -
小道を歩いて行く、 二人の友として、です。
静かに、ベンチに座り、 鳥たちを聞いていて、
流れゆく小川を、 聞いていて、
美しい山々を見て、
静かで、止まり、 理解に対して、
自らの究明を交換し、 確立しています
- 単に知的に、言語的に 理解するだけではなく、
自らの生において、この智恵の 性質を、確立しています。
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36:37
なぜ、私たちには、この二元性、 これら対極が、ありますか。
ほしい、 ほしくない。
あるものと、 あるべきでないものや、
あるものと、 あるべきもの。
これらに、付いて きておられますか。
貪欲だ。
自分は、貪欲であるが、 自分は、貪欲であるべきではない。
自分は、暴力的であるが、自分は、 暴力的であるべきではない。
自分は、鈍い、愚かであり、 順応するか、模倣する。
自分自身を比較する - 自分の愚かさを、
愚かでない誰かと、です。
で、私たちは、この 常なる格闘を、持っています。
それは、 明白な事実です。
あなたは、これらに 興味を、持っていますか。
本当に確かですか。
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37:40
聴衆: はい。
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37:43
K: で、あなたたちが、眠りに 就かないだろうことを、望みます。
あなたが本当に、それに 興味を持っていて、
それを終わりまで追求し、 それを落としてしまうなら
- 「私は、気軽な興味を持って いる」と、言うだけではない。
あなたは、お金儲けに、 気軽な興味を、持っていません。
あなたは、セックスをすることに 気軽な興味を、持っていません。
あなたは、職を持つことに、 気軽な興味を、持っていません。
あなたは、職を 持たなくてはいけません。
あなたは、お金を 持たなくてはいけません。
で、このほうが、 職、セックスや、
他のどのことより、 はるかに重要です。
なぜなら、その智恵が あるとき、
それは、私たちの生の分野 すべてに、作動するだろうからです
- 私たちの存在の区域 すべてに、です。
38:51
ですが、私たちは不幸にも、 けっして、その最後まで行きません。
そういうわけで、私たちは みんな凡庸であるのです。
そう言うのを、 お許しください。
凡庸(ミーディオーカー)という言葉は 丘を途中まで、登る、という意味です
- けっして、丘のまさに 頂上へ、行きません。
私たちは、智恵の生を、理解しよう、 生きようとしています。
そうするには、葛藤の原因が 何であるかを、見るだけではなく、
原因を終わらさなくては なりません。
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39:50
何が、事実であり、何が、 事実でないのですか。ですね?
事実があるだけのとき、事実は 二元性を、持ちません。
理解されますか。
事実は、対極を、 持ちません。
愛は、憎しみとしての 対極を、持ちません。
で、事実(ファクト) とは -
前に起きたこと、 それは、事実です。
または、今、起きつつあること、 それは、事実です。
が、私たちは、前に起きた ことから、結論を引き出し、
その結論に、 取りすがります。
その結論は、事実では ありません。
ですね?
または、今、起きつつあること、 それは、事実ですが、
私たちは、けっして その事実を、見つめません。
が、いつも、事実を、 観念として、抽象化するのです。
それから、観念を追求します - それは、非事実です。ですね?
41:10
これは、 明らかですか。
または、私は 自分自身に、話していますか。
で、私たちは、ただ事実にのみ、 留まられますか。
私は、妬んでいる。
それは、事実です。
私個人が、ではありません。
私は 妬んでいません。私は気にしません。
仮に、自分は妬んでいる、 とします。
それは事実です。
それは、 起きつつあることです。
妬みと呼ばれる 反応です。
その事実の中から、私たちは 結論を、引き出します
- すなわち、私たちは 妬んではならない、と。
で、私たちは 非事実を、追求します。
で、「有るもの」への対極を、 創り出します - 明らかですか。
で、あなたが、非事実を 追求しないで、事実に留まるなら
- そして、その事実は、 あなたです。
あなたは、事実より 分離していません。
ですね?
あなたがこれを 見ることは、困難です。
なぜなら、私たちのほとんどは、 こう言うからです -
「私」は、行為(作用)より 異なっている。
「私」は、反応(反作用)より 異なっている。
「私」は、私の怒りより、私の妬み などより、異なっている、と。
43:14
それが、私たちが 条件づけられてきたことです。
それは、私たちが、葛藤に 条件づけられてきた、という意味です。
さて、誰かがやってきて、 「ほら」と言います -
「頭脳の衰退を、 終わらせること -
そのときだけ、頭脳は 智恵を持ちうる」と。
その衰退要因を、 終わらせることは、
事実に取りすがり、非事実すべてを 片付けてしまうことです。
理想主義、観念論はなし。
結論はなし。
先入観はなし - 理解されますか - ただ事実だけです。
事実は、自分が 妬んでいることです。
さて、あなたが、事実に取りすがるなら、 そこには、何が含意されていますか。
他のもの -
あなたが、非事実を追求するとき、 時が、関与しています。
これを理解なさるのか どうかと、思われます。
私はこれを、困難に していますか。
44:42
私が、暴力的であるとき、 非暴力を追求するとき、
非暴力を達成する追求は、 時を、必要とします。
ですね?
非暴力的になることは、 時を、必要とします。
ところが、あなたが 事実に、留まるなら、
そこに、関与した時は、 ありません。
これをご覧になるのか どうかと、思われます。
どうぞ、 これは、重要です。
で、私は今、探究しなくては いけません - 時とは、何ですか。
あなたは、進んで、これらに 入ろうとしていますか。
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45:23
まあ、それは、あなたしだいですが、 私は、進もうとしています。
どうぞ、 留意してください -
私たちは、ともに話し合っている 友だちであるのです。
あなたは、言われつつある ことを、単に聞いていません。
あなたは、言われつつあることを、 分かち合っています。
それが、 友の活動です。
あなたは、見知らぬ人へ 話しません。
たぶん、彼は 興味を持ちません。
が、友だちとして、私たちは、この事態に ついて、話し合っています -
時とは、 何ですか。
なぜなら、私たちの生すべては、 時に、基づいているからです。
百万年の経過の進化は、 時です。
私たちがそうであってきたものは、 時を、必要とします -
ここからあなたの家へ行くために、 必要とされる時だけではありません。
何かになるための時だけ ではありません。
事務員から、 最高責任者になる
- それは、時を 必要とします。
47:00
あなたは、技能、能力を 持っているなら
- ひねくれたことと、 その他すべてを、です -
そのときあなたは、頂上に到ります - あなたが、そうしたいなら、です。
そのすべてが、時を 必要とします。
言語を学ぶことは、 時を、必要とします。
で、一定の区域での時は、 必要です。
あなたは、一定の列車に 間に合いたいなら、
一定の時に、そこに いなければなりません。
そして、そもそも、 心理的な時が、ありますか。
明日が、です。
どうぞ、気をつけて、 これを理解してください。
さもないと、私たちは、あらゆる種類の 有害な観念を、創り出すでしょう。
時。
時は、望みです
- 心理的に、です。
時は、心理的に、何かに なるために、必要とされます。
自分は、妬んでいます。妬まなくなる ことは、時を必要とします。
48:14
で、私たちの頭脳は、時へ、そして、時に より、条件づけられています。ですね?
明らかですか。
私たちは、千年の経験を してきました -
そのすべての経験を、蓄積する ことは、時を必要とします。
大変多くの知識を、 取得することは
- 心理的な知識を、です - 時を、必要とします。
記憶の経過は、 時ですね。
それで、記憶は・
・・
思考は、記憶の応答です - それは、時です。
で、思考は、時です。
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49:13
これは、すべて・・・ いいえ? ああ、神様!
さて、これが、 私がいう意味です -
これを即座に 捉える(能力)、
それの真理を 見る能力を、持つ。
すなわち、
経験は、いつも 制限されていますね?
あなたは、完全な経験を、 持ちえません -
何についても、です。
で、経験は、制限されています。
ゆえに、知識は、制限されています。
それは、事実です - あなたが、それを 好きでも、好きでなくても、です。
それで、記憶は、知識に 基づいています。
ゆえに、記憶は、 制限されています。
あなたは、自分の若い頃から 憶えているかもしれません
- すべての物事、 長い時の経過、
過去の物事の 思い出を、です。
そのすべてが、 制限されています。
50:31
それで、思考は、 間違いなく、
いかなる境遇のもとでも、 制限されています。
ですね?
で、思考が創り出してきた物事 すべては、制限されています。
世界の、すべての 宗教的な構造は、
思考により組み立てられて、 制限されています。
これを理解されるのか どうかと、思われます。
あなたが、インドに 生まれたなら -
私は、あなたたちのキリスト教世界に ついて、話をしないでしょう。
なぜなら、あなたは、 うろたえるかもしれないからです。
あなたが、インドに 生まれたなら、
または、 仏教国に、なら、
ブッダや、ヒンドゥー教の 誰かが、言ってきたことが、
完全であり、 終了しています。
彼らは、イメージ、像を、 崇拝します -
それが、絶対的、永続的で、果てしなく 続く真理であると、考えて、です。
あなたたちが、ここで、自分なりの やり方で、やるように、です -
私があなたに、それを指摘するのを、 気にされないなら、です。
51:59
そのすべてが、 思考の活動です。
彼らはみんな、それが、真理の直接的 啓示であると、言います。
ですね?
- あらゆる宗教、組織が、それは、 真理の啓示であると、言います。
が、真理は、書物をとおして 開示できません -
人物をとおして、 観念をとおして、
式典や、信仰を持つことを とおして、です。
真理は、見つけられなくては いけません -
それについて、語られるの ではなくて、です。
ゆえに、完全な自由が、 なければなりません。
完全な自由が あるときだけ、
葛藤が、ありません。
頭脳が、 そのただ一つの道具
- すなわち思考 - と ともに・
・・
その思考は・・・
53:16
その思考は、私たちの生の ただ一つの道具です。
考えるすべてが、制限されている ことを、悟らなければなりません。
ゆえに、間違いなく葛藤を もたらすことを、です。
私が、自分のひどい小さな自己に ついて、一日中、考えているとき
- ほとんどの人々が、 そうするように、です -
それは、確かに、きわめて 制限された業務です - いいえ?
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53:51
で、時は、 思考の動きです
- 物理的にも、 心理的にも、です。
時は、過去だけ ではありません。
未来と現在も、 ですね?
過去からの、 この動き全体が、
現在をとおして、 それ自体を修正し、
さらに進行していく。
その動き全体が、 思考と時です。
ですね?
これに 付いてきておられますか。
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54:32
で、そのとき、 訊ねます -
それが、時の過程であり、 それが、制限されているなら
- これらに付いてきて おられるのを、望みます -
それが制限されているとき、それは、 葛藤を創り出すにちがいありません。
ゆえに、頭脳の衰退の 要因の一つです。
そのとき、頭脳がそもそも 衰退しえないのかどうかを、
探究するには、
「今」が何であるかを、 理解しなければなりません。
これらを 理解されますか。
あなたにとって、 「今」は、何ですか。
「今」は、あなたが そこに座っていて、
聞いているときですか
- 参加していて、 分かち合っている。
それが、 「今」ですか。
気をつけて見て、 それに、入ってください。
「ええ、それは、その一部です」と 仰らないでください。
55:45
「今」は、過去だけではなく、 現在も、です。ですね?
過去とは、あなたが、ここに 来ようと結論をしたことです。
ゆえに、あなたは ここに、座っています。
未来は、あなたが、テントを去り、 行ってしまうときですね。
で、「今」は、過去、現在、 未来を、収容しています。
過去は、 あなたが、ここへ来て、
こいつの話を聞こうと、 決断したことです。
そして、あなたは、 そこに座っています。
また、「今」は、あなたがここで 終了して、行くとき、です。
で、「今」は、過去、現在、 未来を、収容しています。
すなわち、「今」は 何の時をも、持ちません。
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56:59
で、あなたは、「今」に留まる とき、過去を理解します -
人間の経験すべてと ともに、です。
あなたは、それの (存在)です。
ですね?
あなたの意識は、 その内容とともに、
過去、現在、未来です。
ですね?
あなたの意識は、 それです
- あなたが 信じていること、
あなたが信じていることを、 あなたは、語られてきました。
あなたは、専門家により、 プログラムされてきました
- 政治において、宗教において、 教育において、などです。
それは、過去です。
ですね?
これらに 付いてきておられますか。
過去は、今、 そこにあります。
そして、未来は、その過去から、 出てきたものです。
ですね?
- それは、すでに ここに、あります。
で、「今」は、すべての 時を、収容しています
- 過去、現在、 未来として、です。
これを深みにおいて、 理解する -
それで、「今」が、全部を、 収容しているように、です。
すべての存在は、 今です。
58:52
ゆえに、「今」を離れた 動きは、ありません。
事実を離れた動き・
・・と 非事実は、ありません。
事実を離れた、非事実への動き - それは、終わってしまいました。
ゆえに、葛藤が、 ありません。
これらを理解されるのか どうかと、思われます。
言語的に、ではありません。
どうぞ、 言語的に取らないでください。
それの真理を、 見てください。
それで、頭脳は、何千年の間、 生きてきましたが -
それは、あなたの 頭脳ではありません。
それは、あなたの 思考ではありません。
それは、人類の全体の 思考です。
私たちは、ここ数日前に、よく 気をつけて、それに入りました。
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59:58
で、事実は、 「今」です。
そして、事実は、すべての過去、 現在、未来を、収容しています。
ですが、その事実を、聞く - 理解されますか -
事実が、内容を 開示するように、です。
あなたが、事実へ、その内容が 何であるかを、語るのではない。
これらを理解されるのか どうかと、思われます。
私たちは、ともに 考えていますか。
または、あなたは、単に、語り手の 言葉を、幾つか聞いていて、
ゆえに、 混乱していますか。
私たちは、ともに 考えていますか。
すなわち、私たちは、今です。
過去だけではありません。
すべての記憶、 すべての活動、
痛み、心配、傷、
さびしさ、苦しみ、 痛み、恐れ。
1:01:13
あなたは、今、 それらです。ですね?
そして、未来は、 今、あるものです。
ですね?
明白です。
で、未来と過去は、 今、存在しています
- 今のあなたなるものの せいで、です。
ですね?
これは、こうも信じがたくも ・
・・何が困難ですか。
あなたの困難を、 表明していただけるでしょうか。
どうぞ、きわめて単純に、です。
それを錯綜させないでください。
あなたは、 過去ではないですか。
あなたの教育、
あなたの、プログラムされたこと - スイス人として、イギリス人として、
ドイツ人として、 ヒンドゥーとして
アメリカ人、ロシア人などとして、 あなたは、プログラムされてきました。
そのプログラムは、 過去です。
ですね?
で、過去は、あなたの 蓄積された記憶です。
ですね?
それらの記憶は、頭脳に 蓄えられています。
で、過去は、今です。 ですね?
1:02:43
そして、今はまた、 未来をも、収容しています。
根源的な変異が、あるのでなければ、 です - 理解されますか。
すなわち、 頭脳のまさに細胞こそに、
完全な変異が、 あるのでないと、
あなたは、 過去の記憶です。
そして、記憶として、 未来に継続します。
未来は、今です。
ゆえに、過去は、今です。
それは、 明らかですか。
根源的な心理的変化が、 あるのでなければ、です。
すなわち、人間の頭脳の、 この条件づけが、あるとき、
その条件づけは、 記憶です
- 私は、カトリックだ。
私は、プロテスタントだ。
私は、ヒンドゥー教徒だ。
私は、仏教徒だ。
私は、神を信じていなくて、私は、 マルクス、レーニンを信じている。
それは、違った言葉での、 同じことです。
1:03:59
私の導師のほうが、 あなたの導師より、良い。
その他すべての事柄です。
で、私たちの一人一人の頭脳は、条件 づけられ、プログラムされています
- それは、 過去の広大な蓄積です。
それは、十分に 単純です。
で、私たちは、 記憶です。
あなたは、自分が、記憶より優れた 何かであると、考えるかもしれませんが、
あなたは、 そうではありません -
あなたが、自分は優れていると、 考えるときさえ、です。
その思考こそが、 記憶です。ですね?
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1:04:40
で、記憶は、 時の動きです。
現在における 未来としての時です。
で、あなたが、その事実に留まり、 それより動いて離れないなら
- すなわち、あなたは 今である。
あなたは、残りの すべての時です。
ですね?
そのとき、 あなたが悟るとき、
事実が開示されるとき - すなわち、 あなたがそれであることが、です。
そして、あなたが、自らの 完全な注意を、注ぐなら
- それより逃避しないで、です。
よろしいですか -
その記憶は、あなたです。
あなたは、その記憶より 異なっていません。
ですね?
で、あなたとその記憶の間に、 分割が、ありません。
分割が、あるとき、 葛藤が、あります。
で、観察者は、 観察されるものです。
経験者は、 経験されるものです。
分析者は、 分析されるものです。
などです。
そのとき、葛藤は、 終わります。
1:06:05
分割が、あるときだけ、 葛藤は、存在します。
ゆえに、そのとき、頭脳は、 何も葛藤を、持ちません。
ゆえに、頭脳の衰退が、 ありません。
しかし、私たちの頭脳の ほとんどは、衰退してきました。
または、 衰退しつつあります。
それは、事実です。
それで、なぜかを、 発見しなくてはいけません
- 衰退の原因は 何であるのかを、です。
本質的に、葛藤です。
怯えている精神、 恐れの中に生きる頭脳 -
私たちは次回、それについて、議論する でしょう - 恐れと、その他すべて、です。
そういう頭脳は、衰退するに ちがいありません。
常なる官能性、性行為を 探し求めている頭脳は、
衰退するに ちがいありません。
これらは、事実です。
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1:07:25
で、生きる道を、 見出すこと -
そこに葛藤の影もない、 生きる道を、
見出すことは、 可能ですか。
そのとき、あなたの頭脳、頭脳は、 とてつもなく生きています。
そのとき、その活動は、全体的です。
なぜなら、それは自由であるからです。
自由(フリー)という言葉は、また、 (フレンドと同じく)愛を意味しています。
愛は、対極を 持ちません。
愛は、欲望ですか。
愛は、 思考の活動ですか。
私たちのほとんどにおけるように、そうで あるなら、それは、愛ではありません。
関係において思考が
- 親密な関係においても、
思考の活動が、あるなら、 そのとき、愛はありません。
それに入ってください。
私たちは、 別の時、それに入るでしょう。
立ち上がっても いいですか。
立ち上がっても いいですか。どうぞ。
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