SA84Q2 - 第2回質疑応答集会

スイス、サーネン
1984年7月24日
テキストのみのバージョン
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0:16
またもや、たぶん百五十か、
それ以上の質問が、ありました。
それらすべてには、 答えられません。
たぶん、それには、二ヶ月が 掛かるでしょう。
あなたたちは、
もう一ヶ月間、ここに座るのは、きっと お好きでないだろうと、思います。
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0:43
いったい、最終的な問いが、
あるのかどうかと、 思われます -
すべての問いに答えるだろう、 一つの問いが、です。
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1:04
私たちは、それについて 考えたことが、ありません。
私はちょうど、それについて 考えました。
ちょうど今です。
問いや探究は、ありますか
- 経験、ではない。
なぜなら、経験は、いつも 制限されているし、
経験は、自分の欲望、 意図と制限により、
条件づけられるからです。
で、とうてい、 経験には、頼れません。
それらは、世の中で、 最も疑わしいものです -
この、いわゆる 霊的な経験さえも、です。
きっと、あなたたちのほとんどは、 その種の経験がほしいのだと、思います
- 自らを扶養し、自らにエネルギーなどを 与えてくれるだろうものを、です。
2:19
ですが、あらゆる経験は、どれほど深くても、 どれほど広くても、錯綜していても、
そういう経験は、制限されています。
なぜなら、いつも、経験者が あるからです -
経験している者が、です。
いいですか?
経験者は、過去です - 過去の記憶、過去の彼の背景です。
その背景に応じて、
経験者は、経験を認識し、 それでもって生きます -
自分は、より大きな経験を するだろうと、望んで、です。
ですが、より大きな経験や、 より広い、より深いものも、
やはり、いつも制限されています。 なぜなら、経験者が、あるからです。
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3:27
さて、問いが生じます - 私は それを、あなたに出しています。
何か経験することが、いったい あるのかどうか、です。
生物学的、性的な経験など以外に、
それら物理的な反応などを 別として、
いったい、経験が ありますか。
私たちはなぜ、経験を ほしがりますか。
どうぞ、私たちが言いましたように、 私たちはともに、これを探究しています
- 語り手が、何かを言っていて、
あなたが、それを拒否するか、 受け入れるか、やり過ごすか、ではない。
ですが、もしも私たちは、このきわめて 興味深い問いを、検討できたなら、
普通の生物学的な経験などを 別として、
いったい、経験の必要性が、 ありますか。
4:55
経験は、見たところ、 自分を目覚めさせておきます。
経験や問題は、何かあなたに 投げつけられたものです -
特に、その「問題(プロブレム)」 という言葉の意味は、
何かあなたに、 投じられたものです。
それは、問題(プロブレム)です -
その言葉の意味、根本の意味です。
経験もまた、経てゆく、 という意味です -
あなたが経てきたことへ、 取りすがるのではない。
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5:47
で、頭脳は、自らが目覚めている ために、問題が必要ですか
挑戦、危機、衝撃 -
それは、自らが目覚めているために、 これらのものが、必要ですか。
なぜなら、私たちは、こういう 表面的な生を、生きるし、
私たちは、それで満足するからです - 少なくとも、私たちのほとんどは、です。
そして、すべての教育などにより、
私たちは、かなり機械的になり、 怠けて、怠惰になります。
そして、私たちは、 目覚めているために、
問題、圧力などが必要だと、 感じます -
頭脳を鋭敏に保つために、です。
ですね?
頭脳は、何の薬物、問題、 挑戦、衝撃もなく、
鋭敏であり、極度に見守っている ことが、できますか。
私たちは、いったい、これを 探究したことが、ありますか。
7:31
または、私たちは熱心に、何かもっと多くを、 何かもっと良いものを、持とうとしていて、
いつも測量しています。
それにより、精神は、 さらに鈍ります。
もっと多くを求めているのは、 鈍い精神です。
ですね?
ですが、どうぞ、私たちは、 冷笑的になっていません。
もしも、私たちが、 何かを探究できて、
見出せたなら -
頭脳は、幾千年に幾千年の間、 条件づけられてきて、
様々な事故、出来事、圧力、宣伝を とおして、 条件づけられてきて、
プログラムされてきましたが、
その頭脳は、自然に、どんな努力もなく、 十分に目覚めていられますか。
それを見出すには、
経験すべてを、全的に 拒絶しなければなりません -
物理的な経験以外、
心理的な経験は、全的に 拒絶されなければなりません。
9:23
それで、依存しない -
圧力、印象、刺激に 依存しないのです。
あなたは不幸にも、今、語り手により 刺激されつつあります。
彼は、薬物として、 作用するでしょう -
コーヒー、お茶や、より強い薬物、 アルコールなどのように、です。
頭脳を鋭敏にしておくために、 これらの物事に、
刺激物として、依存するなら、
あなたは単に、機械的な過程を、 維持しています。
頭脳は、私たちのほとんどにとって、 機械的、反復的になったのです。
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10:29
で、唯一つの挑戦もなく、 生を生きるには
- それは、眠りに就く、 という意味ではありません -
外的にも、内的にも、 唯一つの要求もなく、
それで、頭脳は、とてつもなく 活動的であるように、です。
行為は、動きではありません - これが お分かりになるのかどうかと、思われます。
私はそれに、少し入ってもいいですか。 それに興味はありますか。
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11:12
行為は、動きではありません。
動きは、時を 含意しています。
ですね?
ここからそこへ行く、などです。
どの種類の動きも、 時と思考の領域に、あります。
ですね?
すべての動きは、 物理的でも、心理的でも、
すべての思考は、 時の平野に、収容されています。
いいですか?
行為は、 時のではありません。
行為は、してきたのではなく、
されてきたことの思い出や、
経験や、解決された問題の 思い出でもない。
それはすべて、背景です。
それは、時です。
未来もまた、時です。
ゆえに、行為は、即座です。
それのまさに生きること、 無媒介で、即時に、です。
私たちは、それを幾らか 伝えていますか。
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12:48
で、私たちはともに、頭脳の 問いについて、話し合っています
- そんなに台無しにされて、
衝撃を受けて、 負傷してきたものについて、です。
どの衝撃も、負傷です - どの傷も、です。
傷つく可能性がない そういう頭脳を、持つこと
- 心理的に、です -
あなたは、階段から落ちるとき、 衝撃を受けるかもしれません。
それは、違った事柄です。
あなたが、階段から落ちない ことを、願っていますが、
悪い知らせをめぐって 受ける衝撃や、
突然に医師が、「あなた、癌に 罹っていますよ」と言う。
または、誰かが、あなたから 去って行くことの衝撃。
それらすべての種類の衝撃は、 当然、頭脳を負傷させ、
それで、頭脳は、いつも 緊張の中にいるのです。
ですが、境遇により 触れられない精神を、持つには
- 理解されますか。
そういう頭脳は、 何かとてつもないものです。
それは、冥想の一部です -
進んでいる、ばかげたこと すべて、ではない。
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14:57
で、私たちは、 訊ねてきました -
すべての問いに、答えるだろう問いが、 ありますか。
ただ一つの問いが、です。
私たちは、それに 答えてきました。
ですね?
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15:21
質問: 芸術は単に、 思考の産物であり、
ゆえに、創造ではないとの あなたの発言は、
多くの芸術家、詩人、音楽家を、 悩ませてきました -
ここにいて、自分たちは創造者であると、 考える人たちを、です。
創造は、思考の活動を 含められませんか。
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16:01
それは単に、思考の産物だとの あなたの発言は・・・
いや、ここには、何か 欠けているものが、あります。
すべての芸術は単に、思考の産物・
・・
ちょっと待って。
ここで、 何かが間違っています。
芸術は単に・
・・
いえ、これは、すべて 間違っています。
ああ、はい。
芸術は、単に・
・・
芸術は単に・
・・ ああ!
芸術は、単に 思考の産物であり、
ゆえに、創造ではないとの あなたの発言は、
多くの芸術家、詩人、音楽家を、 悩ませてきました -
ここにいて、自分たちは 創造者であると、考える
私たちを、含めて、です。
創造は、思考の活動を 含められませんか。
ですね? 問いは、明らかです。
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17:42
語り手は、 言ってきました -
思考は、思考の本性 すべてとともに、
けっして 創造的ではありえない、と。
思考は、また、 芸術家、詩人、音楽家の
表現でもありますが - 私たちのみんなを、含めて、です -
思考はいつも、 制限されています。
ですね?
で、初めに私たちは、 探究しなければなりません -
思考とは何なのか、
なぜそれは、 制限されているのか、
それは、世界の最大の詩人や 最大の芸術家や、
ちょうど始めかけた芸術家により、 表現されるのかどうか、です。
芸術家は達成しているのではなく、 いつも始めているのを、私は望みます。
私は、それはゴヤか、ヴェラスケスだったと 思います。
私は、誰かを忘れましたが、
彼らの一人は、「私はいつも 学んでいる」と言いました。
ゴヤですか。
ベーネ(よし)!
彼は、それを言ったとき、九十二歳でした - 「私はいまも学んでいる」と。
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19:27
で、私たちは、幾つものことを、 探究しなくてはいけません。
まず第一に、創造とは何ですか。
創造。
世界は、どのように 生じてきたのか。
それは、創造の一部です。
私たちはまた、思考と、
生きることの芸術をも、 探究すべきです。
それは、はるかに最大の芸術、 至高の芸術です。
そして、絵画の芸術、 音楽の芸術、
ことばの芸術。
なぜ私たちは、芸術家に、こんなに とてつもない重要性を、与えますか。
先日、或る絵画が、 1千万ドルで売られました。
それは、たぶん とても良い投資でした。
で、私たちは、これらを 探究しなくてはいけません -
ただ非難したり、「なぜあなたは、そう 言いますか」と言うだけではなくて、です。
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21:09
で、初めに、生きることの芸術とは 何であるかを、探究しましょう。
なぜあなたは、それは最も 偉大な芸術であると、言いますか
- 世界の、他のどの芸術よりも、 偉大だ、と。
飾り棚を組み立てる、 すばらしい大工と、
偉大な芸術家、レオナルド・
ダ・ヴィンチなど、
偉大な古典派の芸術家と 偉大な詩人と、
いわゆる芸術家ではない私たちの 中の人たちよりも、ですが、
私たちは、山々を見つめる敏感さを、 持っているかもしれません
- 苦しんでいる誰かへの敏感さ、
自然に対して、 樹を見つめる敏感さを、です。
道路沿いに、 すばらしい樹が、あります -
唯一本、全体的で、一本の大きな幹は、 きわめて多くの枝をつけ、
木の葉に満ち、 風の中で、ひらめいています。
あなたが、あの美しさを 見つめるとき、
または、日の光が照った 雲の美しさを、です。
で、私たちはそのとき、また、美しさとは 何かをも、探究しなくてはいけません。
いいですか?
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23:06
で、この問いは、大変多くの 物事を、含意しています -
ただ一つのことだけではない。
物理的な形は別として、 美しさは、何ですか -
くっきりとした顔、健康的で、 きらめきに満ちた眼と
微笑みと、威厳の感覚ですか。
山の、樹や、流れる水の 美しさが、ある。
そういう大いなる美しさは、 いつ、見られますか。
あなたは、世界の美術館 すべてへ、行くかもしれません。
語り手は、きわめて多くの 美術館を、訪れてきました。
あらゆる人が、「あれは、何と すばらしい絵画か」と、言います
- 「色、形、グループ分けは、 何と美しく均整しているのか」と、
その他すべてを、です。
24:23
で、私たちは、多くの形で、 「美しさ」という言葉を、使います。
美容室!
などです。
あなたが本当に、それを探究するなら、 美しさとは、何ですか。
美しさは、眼に、心に、 精神に、ありますか。
または、自己、自我がないとき、 美しさは、ありますか。
理解されますか。
自我 - その問題すべてとともに、 その苦労すべてとともに、
その混乱すべて、不安定、 悲惨、幸せとともに、そうね、
それが、自己です。
その自己が、「それは何と 美しいのか」と言うとき、
それは、ほとんど 意味がありません。
25:54
おそらく、あなたたちは、アリゾナの グランド・キャニオンについて、
聞いたことがあるでしょう。
それは、最もとてつもない峡谷です
- 何マイルもあり、川がそこを、 切り抜けてゆきます。
そこは本当に、大変 とてつもない光景です。
誰かが、本の中、ホテルの 本の中で、言っていました -
「私は、この輝かしい 光景を、見てきた。
私は、お茶を飲もうと しているのが、うれしい」と。
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26:34
で、何かを見つめることは、 可能ですか -
樹々、山、谷、
あなたの妻や夫か、 何かを、
自己なしに、
あなたが、それとあなたの知覚との 間に入ってこないで、です。
理解できますか。
大いなる美しさの感覚を、 堪能することは、可能ですか。
あの美しさは、 自己があるとき、
とうてい存在できません。
あなたは、偉大な芸術家であり
- その言葉の、 現代的な意味でも、です。
そして、ものすごく自我中心的で、 ものすごく野心的であり、
お金を掴んでいるのかも しれません。
ですね?
そして、とてつもない絵画を、 描くかもしれません。
私たちは、それを 偉大な芸術家と呼びます。
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27:58
で、私たちは、訊ねなくてはいけません - 生きることの芸術とは、何ですか。
それは、地上で 最も偉大な芸術です。
なぜなら、私たちは けっして・
・・
偉大な詩人、偉大な彫刻家、
ミケランジェロと、 残りの彼らすべては、
彼らは、理解したのですか。
私は、彼らを、見くびったり、彼らに 失礼にしたりはしていません
または、芸術家、詩人、音楽家として ここにいる、あなたに対しても、です。
初めに、生きることの芸術を、 発見できますか。
そのとき、あなたがすること すべてが、芸術です。
生きることの芸術とは、 何ですか。
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29:05
「芸術(アート)」という言葉は、
生へ、正しい均整を与える、と いう意味だと、私は思います -
生の中の、すべての物事を、 それらの秩序に、収める。
どの一つのことをも、 誇張しない。
生きることの芸術を見出すには、 ものすごい・
・・
知的な能力だけではなく、また、 大きな敏感さも、必要とされます。
生きることの芸術は、全的な自由が あるとき、来られるだけです -
私たちの些細な小さな 悩み事すべて、
私たちの意図すべて、
私たちの問題、恐れ すべてからの自由です。
そして、このとてつもない全体性の 感覚が、あるとき、です。
すなわち、あなたが、 何でもないとき、です。
30:46
何でもないことが、全体性です。
これらを理解されるのか どうかと、思われます。
なぜなら、私たちは、いつも 何かでありたいと思うからです。
あなたは、事務員であるなら、 管理職、経営者になりたいと思います。
あなたは、科学者であるなら、 もっともっと探検したいと思います -
そして、名声、世間の注目、そうね、 その他すべて、調査研究、です。
生物学への調査。
あなた自身の精神、 あなた自身の存在への調査ではない。
それは、世の中では、 勘定されません。
それは、何の重要性も ありません。
ですが、科学者であり、 原子を探検していることは、
ものすごい重要性を 与えられます。
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31:55
で、私たちは、私たち自身で、 生きることの芸術を、見出せますか。
それに入るには、私たちは、思考の 本性を、見出さなければなりません。
思考は、知識より生まれます - ですね?
- 記憶としての、です。
思考は、記憶、知識、経験です。
何も経験、知識、記憶が ないのなら、
考えることは、ありません。
あなたは、感情を持つかもしれませんが、 それは、能動的に考えることではありません。
どの方向でも、 私たちが考えるのは
- 水平でも、垂直でも、 直線的でも、全体的でも -
やはり制限されています。
なぜなら、知識はいつも、 制限されているからです
- 今も、未来においても、です。
それは、明らかですか。そうなのです。
それは、語り手が言っていて、 主張していることではない。
それは事実です。
なぜなら、私たちの経験すべては、 制限されているからです。
33:28
それが制限されているとき、 もっと多くへの要求が、あります
- もっと多くの知識へ、です。
分かることですが、 知識は・
・・
生物学者と科学者の幾人かは、
知識をとおして、人は向上すると 言うけれども
- あなたたちは、それらを 聞いたにちがいありません -
人は、知識をとおして、 向上する。
たぶん物理的には、ね。
理解されますか。
彼らは、もっと大きな住宅を、 築いています -
もっと良い家、もっと良い暖房、 もっと良い道路、もっと良い通信、
もっと良い、人の殺し方、 などなどなどです。
で、思考は、 制限されていますが、
私たちが生きるところの、この世界、 この社会を、創り出してきました。
明白です。
思考は、儀式すべてと、宗教的組織 すべてを、創り出してきました。
34:47
思考は、神々を創り出してきました - 恐れの中から、
慰め、快適さ、安全への 欲望の中から、です。
思考は、物質的な過程です。
なぜなら - 理解されますか - それは、 頭脳に収容されているからです。
語り手は、頭脳の 専門家ではありませんが、
彼は、自分の頭脳がいかに 働くのかを、見守ってきました -
その反応、 そのリズムなどを、です。
私は、それらに 入らないでしょう。
で、思考は、何をしようとも、 制限されています。
制限されているので、 それは、創案できます。
新しい自転車の製造法を創案し、 より良いやり方、
新しい内燃機関などを、 発明できます。
そうね、ジェットなどを、です。それは あらゆる物事を、創案できますが、
36:21
創案は、創造ではありません。 ですね?
自らは、美しい詩を書いて、
それは、私の創造であると、 感じるかもしれませんが、
それはやはり、思考の 区域の中に、あります。
いいですか?
必ずそうです。
自らが詩を書くなら、
どれほど荘厳で、 どれほど美しく、
どれほど・
・・言葉の深みと リズムと、それらでも、
それはやはり・
・・
感情は、違っている かもしれませんが、
それの表現は、やはり 思考の平野の中に、あります。
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37:24
で、思考が何をしても、 制限されています。
創案は、制限されています。
自らは、何かを創案しますが、 誰かがやってきて、
同じものを、創案します - はるかに良い、などなどなどです。
で、創造とは何ですか。
これは、古代ヒンドゥーが、
訊ねてきた疑問だったのです -
後のギリシャ人が、です。
私たちは、「神がこれらを 創造した」と言います。
それは、物事からの きわめて便利な抜け道です。
ですが、これらすべての主張を 脇に置き、自分自身で訊ねるなら、
創造とは何ですか。
それは、知識の中より 生まれえますか。
ゆえに、創造は、 制限されていますか。
または、創造は、 すべての知識を越えた何かですか。
それは、知識とは、いかなる 関わりをも、持っていません。
38:56
理解されますか。
あなたが、見出すように、 きわめて真剣に、これに入るなら
- 私が見出し、あなたに語るのではなく、 自分自身で見出す。
それは、思考とは、いかなる 関わりをも、持っていないからです
- 記憶と、知識と、 経験とも、です。
で、私たちは、それらを伝えるために、それらを一つの言葉「知識」に、表しましょう。
私たちが言いましたように、
知識は、いつも制限されています - 今も、未来においても、です。
創造は、何か無制限のもので なければなりません。
「私が詩歌を創造する」ではない。
それは、まさにその言葉の誤用です
- 指摘してもいいなら、ですが。
私たちは、芸術家や画家等を、 見くびっていません。
私たちは、きわめて深く、 この問いを探究しています -
思考により 創り出されていないもの、
宇宙・万物の無量性を、 見出すように、です。
40:37
望遠鏡をとおして、 宇宙を見つめられ、
様々なガスなどを、 見られますが、
創造の甚大さ、
言葉により 測量可能でないもの -
私たちは、あらゆる物事を、 言葉により測量します。
知識より自由であるが - 理解されますか -
なおも、知識を、 その所に持つこと。
それを見出すこと -
頭脳はいったい、 知識と言葉より自由でありえ、
なおも、知識を、その所に 保てるのかどうか。
理解されますか。
運転をする、 話をする、手紙を書く、
様々な形の技能と専門分野。
そこでは、知識が、 絶対的に必要です。
さもないと、あなたと私、語り手は、 ここに座っていないでしょう。
41:48
ですが、無量性の感覚、
思考により測量可能でない 創造の感覚。
ゆえに、創造は・
・・
で、創造は、何か、
知識と何の関係をも 持たないものです。
質問: 私は、助けを求めて、 叫びたいと思いますが、
自らはどうやって、自由へ 「助け」られますか - 括弧付きです。
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42:54
私は、助けを求めて、 叫びたいと思いますが、
自らはどうやって、自由へ 「助け」られますか - 括弧付きです。
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43:09
私たちが助けてほしい瞬間、
日、期間が、あります。
私たちは、医師へ行くとき、 助けてほしいのです。
私たちは、病気に罹っているとき、 助けてほしいのです -
私たちは、困ってきたとき、
訊ねることにより、誰かと 話し合うことによって、です。
私たちは、いつも 世界にいます -
ここでも、アジアでも、 世界の違った地方でも、
私たちはいつも、助けてほしいと 思っています。
ですね?
そして、あなたに助けを 与えてくれる人たちが、います
- 司祭者、 地元の村の教区牧師、
教皇、
「私があなたを助けよう」と 言う導師たち。
世界には、他の人たちを助けようと している、それらすべての人々が、います。
なぜなら、人々は、助けを ほしがっているからです。
44:32
これは、見たところ、 彼らの苦労すべてへ、
彼らの悲惨、不幸せへの 自然な応答です。
たぶん、 あなたたちのほとんどは、
大変尊敬をこめて、 指摘してもよろしいなら、
あなたたちはみんな、おそらく 助けてほしいと思っています。
おそらく、ね。
幾らかの人は、 そうでないかもしれません。
なぜあなたは、 助けてほしいのですか。
誰が、自分を助けてくれる ことになりますか。
これは本当に、まったく 深刻な問題です。
私たちは、指導者たちにより、 助けられてきました -
括弧付きの「指導者」、司祭者により、 心理学者により、療法者により、
様々な文学、文献により、 助けられました。
ですね?
渇望、人間的な渇望、
助けてほしいとの、この叫び。
46:05
なぜですか。
これは、進んできました - 私たちの生涯の間だけではありません。
これは、人の始まりより、 進んできました -
助けてほしいのです。
または、他の一人から、他の一人により 助けてほしいだけではなく、
また、神へ祈る - 何か象徴へ、
何かへ、 助けてほしいと叫ぶ。
私たちは、何千年に何千年もの間、 こうしてきました。
政治的指導者、社会的指導者など、
愚劣さをともなった導師たち。
このすべてが、進んできました。
私たちは、助けられてきません でした - いいですか?
助けられるとは、強くなる、 という意味です -
誰にも依存しない、
物事を、個人的にではなく、客観的に きわめて明らかに見る、ということです。
47:45
なぜなら、私たちは、 むしろ怠惰であるからです。
私たちは、たやすく 満足します。
私たちのほとんどは、 不満であるからです。
不満は、炎に似ています。
私たちは、それを 揉み消したいのです。
私たちは、その炎を、 生かしつづけません。
なぜなら、それは、あまりに 厄介であるからです。
それは、破壊を もたらしかねません -
破壊 - 革命での、 物理的な破壊ではなく、
自分の些細さ、
自分の不安定さなどの破壊です。
で、私たちは、 助けてほしいのです。
そして、私たちを 助けている人々が、います。
ゆえに、彼らは、 私たちを永続的に、
自分自身を助けられない状態に、 保っています。ですね?
49:09
他の一人を頼みにしないこと、
書物を、何をも、 頼みにしないことは、可能ですか。
なぜなら、あなたなるものは、 助けられることの結果であるからです。
あなたは、「私は自分自身を 理解しようとしている。
私は自分自身を見守ろう、 私が何なのかを正しく
見ようとしている」と、 自分自身に言うなら
- 自分が何であるかを 見て、憂鬱になったり、
昂揚したりしないで、 ただ観察する。
この観察は、とても単純です - あなたが本当に、それを望むなら、です。
あなたは、誰からも 助けを求めていません。
ゆえに、あなたは、全面的に 自分自身に、頼らなくてはいけません。
それは、ものすごい責任を、 意味しています。
私たちは、責任を 持ちたくないのです。
50:59
これが、世界で 起きつつあることの一つです。
私たちは、ますます責任を 持たなくなりつつあります。
なぜなら、私たちは、 政治家たちがそれを見届けるだろう、
経済学者たちがそれを見届ける だろう、と言うからです -
私たちが悩んでいるなら、 心理学者、
療法者、その他すべてが、と。
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51:33
ですが、いつも流れゆく生活、
自己と呼ばれるこの動きの 深さと理解を、持つ -
それは、関係の鏡において、
きわめて明らかに知覚できます。
ですね? よろしいですか。
あなたは、あなた自身を あなたの妻とともに、
その関係において、 きわめて明らかに見られます。
あらゆる反応、あらゆる思考、 あらゆる感情 -
一つの思考をも逃さず、 見守る。
そのときあなたは、無量の強さを持ちます。
そのときあなたは、誰にも頼りません。
なぜなら、あなたは全的に、責任があるからです - 自分自身へ、自分の行為へ、です。
それは、大変多くの エネルギーを、要求します -
エネルギーをむだにし、しゃべりに、 しゃべり、しゃべるのではない。
よろしいですか。
それら、です。
ほとんどの人が、これらを しないでしょう。
不幸にも。
なぜなら、私たちはみんな、 かなり、弛んでいるからです。
語り手が「弛んだ」という言葉を 使っても、許してください。
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53:13
で、責任は、自分自身に、 ではなく、他の人たちにある。
あなたは、助けを求めるなら、
あなた自身を、ますます ひ弱にしています。
あなたは、頭痛があるなら
- 残念ながら、ほとんどの人々は、 或る種の神経痛などを、
持っていると、思います - あなたは即時に、錠剤を飲みます。
ですが、なぜそれが来るのか、 それの本性は何なのか、
なぜかに・
・・入りません。 見出し、そのために働くのです。
理解されますか。
それが 起きないように、見計らう。
あなたは、間違った食事を している、等々かもしれません。
私たちは、けっして 物事の原因へ、行きません。
原因があるところ、 それに終わりが、あります。
理解されますか。
ものすごくたくさん 飲んでしまう。
翌朝、あなたは、 二日酔いです。
頭痛がします。
その頭痛を乗り切るために、 あなたは、錠剤を摂ります。
翌日、あなたは、続けてゆきます。よろしい ですか。これが、私たちの生き方です。
54:48
私たちが生きるところの、 高度に洗練された世界です。
ゆえに、助けを求めることは、 自分自身を、もっとひ弱に、
もっと無責任にし、 もっと依存させることです。
ところが、あなたが全的に、 自分自身に責任を持つなら
- 自分がすること すべてに、です。
または、自分がすると 約束したことすべてに、です。
けっして、言い訳を見つけない、 など。
理解されますか。
それで、あなたは、自分の足で立ち、 そして、尊厳と責任、です。
質問: 私たちはどうすれば、今日の世界に おいて、自らの子どもたちを、
智恵をもち、自由であり、なおかつ、責任を もつ人間であるよう、教育できますか。
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55:51
質問: 私たちはどうすれば、今日の世界に おいて、自らの子どもたちを、
智恵をもち、自由であり、なおかつ、責任をもつ人間であるよう、教育できますか。
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56:11
あなたは、これらに 入りたいですか。
見たところ、これは、
世界のあらゆる親が 訊ねる疑問です。
子どもたち、
そして、私たちはどうすれば、 今日の世界において、彼らを
智恵をもち、自由で、責任をもつ 人間であるよう、助けられますか。
親たちは、 智恵をもち、自由ですか。
教師たちは、智恵をもち、 自由で、責任をもっていますか。
社会は、教育制度は、彼らが
自由であり、責任をもち、 智恵があるよう、助けていますか。
で、よろしければ、私たちは 探究しなくてはいけません -
なぜ私たちは、 教育されつつありますか -
数学と生物学、 科学、化学、歴史、
自らが学ばなくてはいけない すべてのことを、です。
そして、大学、専門校を出て、 学位をもち、良い職につく。
少なくとも、そう望みます。
この世界では、そうではない。
そこには、無限の人口増加と、 失業が、あります。
58:07
で、もしも自分が、 息子や娘を、持っていたなら、
もしも、語り手が、 息子や娘を、持っていたなら、
彼らに、何が起きようと していますか。
学校 - そこで彼らは、 書き方、読み方を、学び、
科目すべてを、 詰め込めなくてはいけません。
そのときそれは、ものすごい問題に なります。
理解されますか。
あなたは、数学を 経ていかなくてはいけません。
それを好きではないが、良い技術者になりたい のなら、そうしなければなりません。
で、それが問題になります。
そして、社会は、 「技術者になりなさい。
私たちは、あなたにもっと多くを 支払うでしょう」と、言います。
理解されますか。
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で、私たちは、 見出さなくてはなりません -
私たちがいう「教育」とは、 どういう意味ですか。
それは単に、 生活の技術を学ぶこと、
特定の専門分野で、技能を 習得することだけですか。
理解されますか。
医師になるには、十年か、十五年の間、 勉強し、学習しなくてはいけません。
優れた外科医になるには - よろしい ですか -それは、時間が掛かります。
などなど、です。
このために、私たちは自らの子どもたちを 教育しているのですか。
それは必要であるけれども - 理解されますか。
1:00:13
教育はまた・・・
それは、人間を教育する、という 意味ではないですか。
理解されますか。
単なる技術、技能を 取得するだけではなく、
人間を、大いなる芸術をもって 生きるように、教育することです。
それは、テクノロジーの知識だけ ではなく - いいですか?
-
また、心理の無量の、制限なき平野をも、 意味しています - それを乗り越えるのです。
それは、全包括的な教育です。 理解されますか。
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で、これらは、 教育者は教育が必要だ、
親は、教育が必要だ、という含意です - 子どもたちだけではない。
もし親が、自分の子どもを 愛しているなら - 愛している。
彼らを、玩具と、そうね、それらの種の ものとして、持っておくのではない。
もしも、親が本当に、 子どもを愛していたなら、
彼らは、子どもが殺されたり、 殺したりするのを、許すでしょうか。
理解されますか。
政府は、要求します -
おそらく、アメリカや、 イングランドでは、そうではないが、
この国(スイス)、フランス、 ヨーロッパでは、
あなたたちは、二年間、軍隊に 入らなくてはいけません -
どう銃を持ち運ぶのか、どう撃つのか、 どう他の人間を殺すのか、です。
これを - 母親と父親たちは、 これを受け入れます。
彼らは、「私たちは、何も できない」と言います -
「政府がこれを要求する」と。
どうぞ、私は、あなたが政府に 反逆することを、提唱していません。
それは、あなたしだいです。
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で、教育は、生への全包括的な 接近、という意味です。
頭脳をテクノロジー的に養成し - 理解されますか -
また、頭脳を、自身の些細な小さな自己より 自由であるようにも、養成する。
それは、これを理解する教師、
参与し、責任を持っている教師を、 必要とします。
親たちは、自らの子どもを 愛さなければなりません。
今、何が起きますか - 親は、子どもたちを 抱きしめます。
膝の上に載せます。
子どもたちにキスします。
彼らが二歳、五歳になるまで、です。
その後、親は、子どもを 狼へ、投げやります。
ですね?
これが、教育と呼ばれます。
どうすれば、智恵が ありえますか
- あなたの頭脳が、条件づけられて いるとき、です。理解されますか。
1:04:16
一方で、知識により 条件づけられ、
あなた自身の恐れ、心配、 さびしさ、絶望、
その他すべての人間の醜さにより、 条件づけられている。
それから、その上に、
寺院、神殿、教会、 モスクが、ある。
で、宗教は、何か全面的に 違って、離れたものです。
それは、あなたの生と 何の関わりも、ありません。
そして、生計を立てることに、 全面的に参与している。
これは、ますます深刻に なりつつあります -
この二分法、この分離が、です。
そして、教育は、何かそこに
これらに、尊敬、愛、慈しみが、 なければならないものです。
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で、親、教師と
学生たちは、これらに 同意するのでしょうか。
あなたは、これに 責任能力が、あります。
あなたは、親であるなら、 責任があります -
あなたの子どもが、何に なろうとしているか、です。
或る親がこう言っているのを、 聞きました - 「私は自分の生を、
犠牲にしなければならないのか。
すなわち、飲酒、ドラッグの使用、
女たちと寝ることなどを、私の愚かな 小さな子どものために、か」と。
私が言っていることを、 理解されますか。
で、世界は、このように 進んでいきます。
それは、幾千年もの間、 進んできました。
なぜなら、私たちは、 親として、人間として、
全包括的な、完全な生を 生きたくないからです。
私たちは、断片化しています。
ゆえに、 私たちは、その断片化を受け入れます。
その断片化に、 智恵は、ありません。
慈悲は、ありません。 自由は、ありません。
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最後の質問です。
質問: 私たちへの、 あなたの関係は、何ですか。
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私たちへの、 あなたの関係は、何ですか。
あなたは、その問いに 答えるでしょうか。
あなたの、 語り手との関係は、何ですか。
あなたが、その質問を してきて・
・・
語り手が、あなたに その質問をしているなら、
あなたの、語り手との関係は、 何ですか -
私の、あなたとの関係は、 何ですか、ではない。
理解されますか。
私は 問いを、反転させています。
私は後で、問いに 答えるでしょう -
私の・
・・語り手の、 あなたとの関係は、何なのか。
それは、少し後に、 答えられるでしょうが、
あなたは初めに、ご自分の、語り手との 関係が何かを、訊ねなくてはいけません。
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それは、なぜあなたは、ここに いるのか、という意味です。
あなたの意図は、何ですか。
あなたがほしいのは、何ですか。
あなたは、刺激されるために、 ここにいますか。
大きな集団と 同一視されるため、ですか。
語り手が言っていることの真理を、 見出すため、ですか。
または、ただそれを受け入れる - 何気なく、一時間かそこら、です。
それから、前のように、 自分の道を進みつづけますか。
または、あなたは、物理的に 語り手に、魅了されていますか。
語り手は、これはまったく 個人崇拝でないことを、
ずっと言ってきています -
人物は大事ではない。
大事なのは、 彼が言っていることです。
疑い、問い、訊ねてください。
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で、あなたの、 語り手との関係は、何ですか。
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その問いを、 違ったように表すと、
光と闇との間の 関係は、何ですか。
葛藤と無葛藤との間の、 関係は、何ですか。
平和と戦争との間の、 関係は、何ですか。
この質問を理解されますか。
それは、こういう意味です -
善と悪との間の関係は、 何ですか。
善は、悪より 出てきたものですか。
どうぞ、私たちは、 ともに働いています。
善は、悪より 出てきたものですか。
または、善は、悪より 全的に、離別していますか。
悪が善に関係しているなら、 それは、善くありません。
ですね?
それは関係しているなら、 善がその根を、悪に持っているなら、
それは、部分的に善い。 ゆえに、それは、善くありません。
1:11:55
いいですか?
で、自分自身で、 発見しなくてはいけません -
善は、悪より 全的に自由です。
全的に離別していて、 互いに何の関わりも、ありません。
暴力と、 暴力より自由であること。
人間たちは、暴力的です - 不幸にも。
それは、生物学的に 暴力の起源へ、辿られます -
動物などに由来します。
私たちは それらに、入らないでしょう。
人間たちは、暴力的です。
彼らは、暴力的にならないように、 考えぬいてきました。
ですね?
で、彼らは、暴力的です。
彼らは、非暴力と呼ぶ対極を、 創り出してきました。
で、非暴力は、 暴力に関係しています。
ゆえに、それは、暴力より 自由ではありません - 理解されますか。
1:13:20
私たちは、ともに 働いていますか。
で、善は、悪に 全然、関係していません。
愛と憎しみ。
自らが、憎しみ、敵対、好き嫌い、 嫉妬を知っていて - いいですか?
それから、「私は愛している」と 言うなら - いいですか?
-
そのとき、その愛は、やはり 憎しみに関係しています。
いいですか?
やはり、好き嫌い、敵対、 その他すべてに、
関係しています。
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1:14:31
で、私たちは、自分自身に 訊ねています -
私たちの、互いとの関係は、 何ですか。
自由である人と、 牢獄の中で生きる人の
関係は、何ですか。
理解されますか。
私たちは、牢獄の中に 生きます -
看守と、そうね、それらをともなった 実際の牢獄ではなく、
私たちは、自分の牢獄を 持っています。
私たちは、自分の牢獄を作ります。
私たちは、それらの中に生きます。ですね?
そして、その外側にいる誰か。
牢獄の中に生きる人は、
その外側にいる人にとって、 何なのでしょうか。
質問を理解されますか。
彼は、あなたに、牢獄の中の人に、 何か関係を、持っていますか。
または、牢獄の中の人は
- 語り手がいう牢獄とは、どういう 意味かを、理解されますか -
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私たちの恐れ、私たちの心配、 私たちの望み、私たちのさびしさ、
人間たちが持っている 物事すべて、です。
それが、私たちの牢獄です。
私たちの神々、私たちの信仰、
私たちの教義的や表面的な意見など、 それが、私たちの牢獄です。
その人は、 あの牢獄の中に、いません。
あの牢獄の中の人との、 彼の関係は、何ですか。
そして、牢獄の外側にいる人、です。
牢獄の中の人は、
その外側の人と、 何か関係が、ありますか。
当然、ありませんが、
その外側の人は、
牢獄の中の人と関係を、 持っています。
理解されましたか。
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私は牢獄の中にいます - 仮に、です。
あなたは、 牢獄の外側にいます。
私は、あなたへ、 何の関係をも、持っていません。
私は、関係を持ちたいと思いますが、 私はやはり、閉じ込められています。
ですが、あなたは、私へ 関係を持っています。
ですね?
なぜなら、あなたは、智恵を持っている、 その他すべて、であるからです。
あなたは、愛しています。
あなたは、 慈悲、智恵を持っています。
あなたは、あそこで、全く 責任を持っています。
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1:17:24
で、理解されますか。
初めに、私たちは、 思考により、神を創り出します
- 万能で、まったく情け深く、
全能で、すべてご覧になり、 すべて、何とかかんとかです。
私たちは、あれがある、 と言います。
私は、彼の一部であるよう、 祈るでしょう。
理解されますか。
同じ事柄です。
私は、牢獄の中にいます。
あそこで、あなたは自由です。
そして私は、祈ります。
私が やっている、ごまかしを、見てください。
私は、何か自分が創り出してきた ものへ、祈っています。
私は、創り出したのではなく、 組み立てたのです。
すみません。
思考により、 組み立てられました -
イメージ、構造、象徴、
救い主、導師、その他すべて、
- 理解されますか - などです。
私たちはいつも、 何かとの関係を、ほしがります -
全然、 私たちの外側のものと、です。
ですね?
何か無量のものと、です。
無量のものは、私たちに、 関係を持っていますが、
私たちは、それに、 関係を持っていません。
1:18:47
私たちは、それを認識するなら、 それの真理が、見えるなら、
私たちは、牢獄を破るでしょう - 何を支払っても、です。
私たちは、それが見えるなら - 私たちの 頭脳は、微妙に、すばやくなる。
私たちは本当に、牢獄に 捕らわれています。
牢獄の中の人は、窒息しつつあり、 泣き叫び、望んでいて、
あれを捉えよう、 自由になろうとしています。
彼は、牢獄の中にいて、 あれに祈ります。
それは、どんな価値を、 持っていますか。
理解されますか。
それは、あれらの人々、 世界中の修道士、僧侶と尼僧が、
平和を祈っているのに、 似ています。
ですね?
他方で、
世界は、武器を準備し、 集めています。
そうです。これらの不条理を、 理解されますか。
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1:20:04
で、私たちのどちらもが、 自由であるときだけ、
他の一人との関係が、 あります。
ですね?
ですが、私たちは・
・・自分は 牢獄の中にいて、相手はいません。
そのとき、私たちは、 困ったことになっています。
そのとき、私たちは、自らの エネルギーを、むだにします
- あれに関係しようとして、です。
自らは自由であるのか、 あるいは、そうでないか、です。
あの自由の深さ、 それの美しさを、認識するには、
あの自由の無量性が、見えるには、
自己が、 あってはなりません -
自分の頭脳の奥底の、 違った空間に、違った部分に
隠れている自我が、 あってはなりません。
いいですね。
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私たちは、今朝は 終了しました。
どうか、立ち上がっても いいですか。
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