SA84Q3 - 第3回質疑応答集会

スイス、サーネン
1984年7月26日
テキストのみのバージョン
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0:12
これが、ここでの最後の会合です。
私たちは、きわめて多くの質問を、 手渡されてきました。
それらの幾つかに、私たちは、 今朝、答えようとしています。
ですが、私たちは、 それに入る前に、
どうすれば、この世界に、 自らは生きられますか -
ますます複雑で危険に なりつつある、現代世界に、です。
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1:01
どうすれば、自らは 全然、正直に生きられますか。
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1:08
正直さとは、何ですか。
何か前もっての構想として、 何か思想上の概念への正直さではなく、
何か夢想的で、想像力豊かで、 ロマンチックで、感傷的な知覚へ、ではなく、
むしろ、どんな幻影をも 持たないことです。
いかなる幻影も、ない。
幻影(イリュージョン)と いう言葉は
- 私たちは、気をつけて それを、辞書で調べました -
語源「ルーデレ」、 遊ぶことから、来ています。
私たちは、幻影でもって 遊びます -
すなわち、私たちの日常生活と、いかなる 関わりをも、持たないものと、です。
おそらく、自らが、想像力豊かであれば あるほど、ロマンチックであるし、
この現代世界に、とうてい 向き合えません -
そこは、相当に 腐敗しています。
「不道徳」という言葉を、 使えるなら、
そこでは、お金と権力が、 計り知れぬ役割を、果たしますが、
自らは、どうすれば、今、毎日、全的な 正直さをもって、生きられますか。
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3:25
私たちの一人一人が、この質問をした ことが、あるのかどうかと、思われます。
全的に、正直な真実の生を 生きること。
少しそれへ入ると
- 進める前に、 多くの問いが、あります -
(統合された)誠実さとは、 何ですか。
誠実さは、正直さに 関係しています。
誠実さは、頭脳や 自らの存在の性質です -
全体的、全包括的であり、 断片化していない性質です。
私たちの生は、 断片化しています。
(私の前には、二人の若者たちが、 います。
かなり真剣です)
(統合された)誠実さ -
何か、自らが真実だと 概念化してきたもの、
真実だと構想し、考えぬいてきて、 それに沿って生きる、のではない。
5:01
それは、断片化している 一つの形の生き方です
なぜなら、思考が、概念、理想を 創案してきたからです -
自らがそれに沿って 生きるところのものを、です。
そのとき、それが 断片化を、もたらします。
自らは、何かを、真実だ、 論理的だ、健全だと、構想します。
観念を構想します。
そして、それに添って 生きようとします。
ですね?
それは自然に、断片化、 亀裂を、もたらします。
あなたは、何かを真実だと構想して きました。
想像し、経験してきました。
そして、それに応じて 生きようとしますが、
それは、実際の事実とは、 何の関わりも、ありません。
6:12
で、いつも、 この断片があり・・・
私たちの生において、 断片化が、進みつつあります。
それは部分的に、 不正直を、もたらします。
理想主義者は、本当に、 全く不正直な人です。
こう言うのを、 許してください。
なぜなら、彼は、予め構想された 生き方に応じて、生きているからです。
「私は、あの様式に応じて 生きなければならない」と。
それは、日常生活と 何の関わりも、ありません。
で、葛藤があるのです。
それは、偽善を 生み育てます。
で、全的な正直さ、 (統合された)誠実さをもって、
この世界に、生きることは、 可能ですか -
内的に正しいことをするとの感覚をもって、 です。
外的にでなく、初めに内的に、です。
自らの振るまい、 自らの行い、自らの考え方が、
完全に幻影より、自由であるのを、 見届けるように、です -
何か夢想的な概念とか、
人物などに、 依存しないように、です。
7:57
それには、ものすごい(統合された) 誠実さが、必要とされます。
それで、自分自身にとって真実でない 何をも、けっして言わないのです。
自分自身に真実であることも、 かなり困難です。
なぜなら、自分は、 「それが、私の意見だ。
それは真実だ」と、言う かもしれないからです。
自分が、自分の意見に 応じて生き、
ゆえに、同じく強い意見を 持っている他の人々と
対立するなら、
闘いが、進みつつあるのです。
ですね? これらはすべて、日常的な事実です。
そういう明瞭さを持つこと、
物事を、まさにありのままに 見ることは、可能ですか。
自らの願いと欲望と、 その他すべての事柄に
応じてではなくて、
そういう明瞭で論理的で 健全な頭脳を、持つこと -
個人的な欲望、動機、依存により 納得していない頭脳を、です。
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9:38
それは要求する・・・私たちは また、きわめて短く入るべきです。
それについて、私たちは、 先日、話しました。
時、です。
私たちは少し、それに 入ってもいいですか。
私たちは、今、友だちです。
十日間の後、いや、三週間の後で、 私たちは今、友だちです。
で、私たちは互いに、すっかり 楽に、気軽に、話し合えます -
大きなユーモアの感覚と、 友情の感覚をもって、
それで、私たちがどちらも、物事を ともに見つめられるように、です。
私たちが先日、 言っていましたように、
時は、過去です。
自らが蓄積してきた すべての記憶、
すべての経験などです - それは、背景です。
その背景は、今、作動しています - あなたがそこに座っているとき、です。
私たちは、そこ、ここに 座っていますが、
言葉を聞くとき、あなたは、
それらの言葉を、 一定の意味に、翻訳します。
その意味は、あなたの過去の 知識などに、依存します。
で、現在は、過去を 収容しています。
それについて、疑問はありません。
それは、健全です。
また、未来、明日も、 今に収容されています。
すなわち、未来は、 過去の一部です。
ですね?
一緒ですか。
私たちは、一緒にいますか。
過去は、 現在において修正され、
明日へ、進行します - それが未来です。
で、明日は今です。
私は、自分は、怒っています - 何の理由のためでも、です。
その怒りが、理解され、 終わりにされないなら、
私は明日、再び 怒っているでしょう。
または、おそらく 明日ではなく、来週です。
で、未来は、今に 収容されています。
ですね?
これは、明らかですか。
で、今は、すべての時を 収容しています。
ですね?
私たちはここに、少し 一緒にいますか。
未来、過去と現在は、今です。
今は、時と思考の両方です。
ですね?
思考は、知識などとして 蓄えられた記憶ですが、
それは、過去です - 知識はいつも、過去です。
その過去は、現在を 通りぬけて
- 出来事、圧力を、です -
それ自体を修正し、 進んでゆきます。
で、過去は、未来です。
そして、未来は今です。ですね?
自らは、この過程全体、 この動きを、理解できますか。
それは、動きなのでしょう。
過去から、 現在をとおして、未来へ、
常なる動き、循環です。
その循環が、私たちの生です。
自らは、留まれますか・
・・
どうぞ・
・・私たちは、今朝早く それについて、考えていました。
それを見つめていました -
自らは、今に留まれますか - それは、すべての時ですが、
何の動きもなしに、です。
理解されますか。
動きは時です。ですね?
ここからそこに行く。
または、言語を 学ぶ、など。それは、時を必要とします。
どの動きも、どの方向にでも - 水平でも、垂直などでも、対称的でも -
時です。
どの動きも、です。
全的に今に生きる、 この感覚を、持つこと
- 思考のも、行為のも、
どの動きもなしに、です -
これらを理解されますか。
時、思考は、今に 収容されているし、
それを離れる、どの動きも、再び、 時と思考に捕らわれることを、見る
- これらに付いてこられるのか どうか、私は知りません。
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16:08
で、誠実さ、正直さと、
全体性の感覚は、
そこに何の動きもない 頭脳の性質です -
頭脳が自らのリズムを 持っているの以外は、です。
これはすべて、たぶん ちんぷんかんぷんでしょう。
これは、とても深刻です。
なぜなら、私たちは、 いつも行為していて、
ぐるぐると円周を 回っているからです。
私たちは、けっして 円環を破りません。
この、常にぐるぐる 回ることは、
頭脳を、全く 鈍くするだけではなく、
またそれは、機械的な生き方を、 生み育てます。
機械的な生き方は、 正直ではありません。
それは、反復的です。
で、深く長続きし、揺るがしえない 正直さが、何であるかを、見出すことは
- それは、 誠実さ、全体性ですが -
そこにまったく動きがない 頭脳の状態を、
発見することです。
これは、もちろん、 冥想の一部です -
私たちは、それについて、話してきました。 今朝は、それに入らないでしょう。
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18:24
その、動かないことは、生において 自らの行為を、持っています。
なぜなら、私たちにとって、 行為は、何かをすること、
何かを達成すること
何かを充足させることである からです - 何かにおいて、です。
それは、中心より 周辺への動きです。
これらに、付いてこられるのか どうか、私は知りません。
それが、私たちが 慣れていることです。
何も動きがないところ、
全体性があります。
その全体性より、 行為があります。
それは、けっして葛藤を もたらしえないのです。
ですね?
あなたがこれらを、理解されるのか どうか、私は知りません。
理解されるといいと、 願います。
私があなたを助けている、 ということではない -
それは、ひどいでしょう。
ですが、もしも、私たちは、ともに 働き、このことを見られたなら、
それは根本的に、根源的な変化を もたらすでしょう。
19:57
というのは、頭脳は、こんなに 条件づけられてきたからです -
こんなに小さい。
それは、無際限の能力を 失ってしまいました。
なぜなら、頭脳は、無際限の 能力を、持っているからです。
テクノロジーの世界で、何が されているのかを、見てください。
何と、とてつもない能力が それに、注ぎ込まれてきたのか
- コンピューター、 潜水艦、航空機、
そうね、とてつもないことが、 なされています。
頭脳は、一方向に、そのものすごい 能力を、持っていますが、
頭脳は、別方向に、自体を 行使していません -
すなわち、内的に、です。
理解されますか。
外的にも、内的にも、
それらの両方が、一緒に作動しているとき、 何かものすごいことが、あります。
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21:14
ビャン(よし)、進みましょう。
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21:24
質問: どうすれば、動機、欲望なしに、 このテントへ、来られますか -
ここに来たい、お話を 聞きたいと思うことなしに、です。
私は、ここに来るには、動機を 持たなければなりません。
どうすれば、動機なしに 生きられますか。
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21:47
なぜ私たちは、動機なしで いたいのですか。
誰が私たちに、動機を持っては ならないと、語りましたか。
あなたは、語り手が、動機はとても 破壊的であると言うのを、聞いてきたなら、
あなたは単に、彼が言ってきたことを、 反復しているだけです。
ですが、私たちは、もしも一緒に、 動機とは何なのか、
動機の意義は、何なのか、
なぜ私たちは、動機を持つかを、 見出せたなら
- 私たちはそれを持っては ならない、と言うのではない。
私たちは、その意味を 発見するなら、
それらを持つことも、 持たないことも、できますが、
あなたが、語り手は、動機を 持ってはならないと、言ってきた、
ゆえに、私はどうすれば、
動機なしに生きることに なるのか、と言うなら、
それは、すっかり 間違った問いです。
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23:06
で、ともに見出しましょう - 動機とは何ですか、
なぜ私たちは、 動機を持ちますか。
なぜですか。
私たちは、私たちがそれらを 持ってはならないと、言っていません。
私たちは、なぜ私たちは、それを 持っているのかと、言っています。
その言葉「動機」の意味は、 動作、動き、という意味です。
それは、私たちをして、 動かすことです。
自らは、このテントに、 動機をもって来ます。
明白です。
すなわち、動機は、 誰かに聞くことです。
それで、あなたは、来ますが、
あなたは、けっして問うたことが、 ありません - 自分の動機は何なのか、
なぜ自分は、その動機を 持っているのか、
なぜ自分は、その欲望を 持っているのか。
あなたは、欲望と動機について 明らかでないなら、
探究しなくてはいけません - ここに 来る中で、私の意図は、何なのか、と。
24:29
助けてもらうためか - 私たちは、 みんな、助けてほしいのです。
それは、私たちの痛み、 心配、悲惨すべてです -
私たちがともに生きる、 ひどい物事すべてです。
私たちは、かなり、それに 深く入るのでなければ
- ともに、です。
私は・・・
ともに、です。
そうでないと、あなたは、 いつの時も、動機を持つでしょう。
動機は、方向づけです。
ですね?
私は、ここに来る動機を、 持っています。
私の動機は・
・・ 様々な理由のためです。
それは何ですか。
私はすでに、頭脳を定めた・・・
頭脳は、方向を定めたのです。
ですね?
この人を理解する、 または、「彼は愚かな人だ。
彼は、自分が何について 話しているかを、知らない」と言う、
25:48
批判する、受け入れる、 服従する、反論する -
それらが、あなたの精神、頭脳を 占有しつつあります。
ゆえに、あなたは 聞いていません。
いいですか?
聞くことは、芸術です - 私たちが先日 それについて、話したように、です。
誰かに聞くこと - あなたの全存在でもって、です。
彼が言うことを、解釈しないで、
あなたが聞くなら、 それは、最大の奇跡です。
ところが、動機を持っているなら、 あなたは、聞けません。
ですね?
さほどに単純です。
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26:37
そして、欲望を持っているなら - それは、動機の一部です -
なぜ私たちは、 欲望の奴隷ですか。
そうね、私たちは、 探究しません。
私たちは受け入れます - 私は、ここに 来たいとの欲望を、持っている、と。
私たちは、「なぜ私は欲望を持つのか。
欲望とは何なのか」と、言いません
- 理解されますか。
駆り立てる、 押す、探究する、疑うのです。
欲望とは何ですか。
私たちは先日、それについて話しました。 私たちは短く、それに入るでしょう。
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27:21
欲望は、感受の中から 生まれます。
いいですか?
私は、このテントに 来たいと思います。
なぜなら、私は、友だちに会うだろうから です。
私は一年間、彼らに会っていません。
それは、私が彼らに会う 良い機会です。
私はまた、Kをも 聞きたいと思います。
また、山々、風景。
私は、 良い時を、過ごすでしょう。
講話も、おまけで、 付いてくるでしょう!
それは、私たちの欲望の一部です。
欲望は・
・・
いいえ。
私は、あなたに 語らないでしょう。
欲望とは何ですか。
私たちは、欲望を持つべきで ないと、言っているのではありません
- または、欲望を抑圧するとか、 欲望を助長するとか、です。
充足したいとの欲望、
何かになりたいとの欲望 - 外的にと、内的に、です。
28:39
で、欲望 - 欲望とは何ですか。
それに入るには、訊ねなければ なりません - 感受とは何ですか。
いいですか?
感受は、どのように 生じますか。
いいですか?
何かを見ることをとおして - 美しい山荘、
すてきな浴室、 その他すべてを、です。
そして、うるわしい眺め。
眺め、山荘は、 もたらします・
・・
それを見ることが、感受を、 もたらします。
ですね?
それは自然です。
また、そのとき思考は、「私は、あの山荘を 持てたらなあ」と言います。
ですね?
それは何ですか。
思考が、感受に 形を与えています。
思考は、あの邸宅の中でのあなた 自身のイメージを、与えています。
明らかですか。
いいですか。
その瞬間に - 思考が、あの邸宅での あなたのイメージを、もたらすとき、
その秒に、欲望が生まれます。 いいですか。明らかですか。
30:21
私たちは・・・いいですか。
で、欲望は、形を 与えられます・
・・
いえ、感受・
・・思考が 感受に与える・・・欲望へ、です。
思考が、イメージを創り出す
- あなたが、車に乗っている、 あなたが、その絵を所有しているとか、
美しい男や女を見る、などです。
そのとき、思考は、その感受の中から、 イメージを創り出す。
その秒に、欲望が、 動きます。
生まれます。
これは、全く単純です - あなたが これをご覧になるなら、です。
それは、ものすごい頭脳を 必要としません。
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31:15
そのとき、問いは、 こうです -
感受と、感受のイメージを ともなった思考は、
しばらくの間、別に分けて おけますか。
理解できますか。
即時に、形を取るのではない。
理解されましたか。
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31:45
先日、山荘があり、私は見ました。自らは 見ました。グシュタードで、ですが、
とてもすてきで、美しく、楕円形で、 内は現代化されていました。
あらゆるものが、 あるべきとおりでした。
それを見つめました。
あなたは、大都市の一つの (集合住宅の)フラットに、生活します。
あなたは、「やれまあ、私はあの山荘を、 持っていたならなあ」と言います。
私は個人的に願っていませんが、 願います。
そのとき欲望は、あの山荘に到達するよう、 あの山荘を買うよう、働きます。
または、妬みます。
進んでいく過程すべてを、 ご存じですね。
さて、あの山荘を見ることは、 感受です。ですね?
32:42
良い蛇口、浴槽、シャワー、 ダイニング・ルームを見る。
そうね、現代のキッチン全体です。
あなたは、皿を 洗わなくていい。
それを置く。
そうね、 それらが、進んでいきます。
そのとき、思考が来て、 言います -
「私は、そこで生活できたら、 いいなあ」と。
または、 「そこを貸せば、私は
もっとたくさんお金が得られる。
特に、 (スキー・シーズンの)冬には!」と。
そのすべては、即時です。
理解されますか。
感受と、 思考がその感受に形を
与えるのとの間には、 何も間隔が、ありません。ですね?
33:28
さて、しばらくの間、それらを 分けておくことは、可能ですか。
理解されますか。
それは、大きな注意を、 必要とします -
感受を見る、そして、
思考が即時に取り、それへ形を 与えるのを、見るには、です。
そして、思考を、 思考の速さを、見守り、
その思考をゆっくりさせるには、 です。
理解されますか。
で、ゆっくりさせることと、 感受は、
気をつけて見守るなら、
欲望は、その所を持っています。ですね? まあ、私はそれに入ってきました。
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34:25
さて、私たちは、 動機を持っています。
豊かになりたいとの動機、 幸せでありたいとの動機、
充足したいとの動機、 自らの根を持ちたい、
自分自身を何かと 同一視したいとの欲望。
これは、自らの生の 毎日の事柄です。
動機は、いつも 変化しています。
ゆえに、動機は、私たちの生へ 形を与えます。
ですね?
欲望。
欲望、動機などが、です。
で、過去は - 見てください -
で、過去は、私たちの生へ 形を与えつつあります。
ですね?
動機は過去です。
理解されますか。
で、過去 - それは、動機です。
それは、方向づけを与えています。
私たちの生の枠組みを、 与えています。
35:46
ですね? ゆえに、 私たちは過去です。
ビャン(いいですか)?
もちろんです。
過去は記憶です。
ですね?
それは、伝統、その他すべてです。
で、私たちは、過去です。
私たちは、記憶です。
一連の記憶全体、記憶の束です。
それが、自己、自我です。
意識的なのと、 他のものは、無意識です。
無意識は、ありません。
ただ全的な意識だけが、あります -
それを、無意識と意識に、砕いて しまわない。私はそれに入らないでしょう。
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36:45
で、この循環を破ることは、 時を理解することです。
理解されますか。
それに、私たちは入りました。
ですが、私たちは、 動機を持っています。
それは、私たちの生において、 ほとんど、規準になったのです。
自らはどうすれば、動機なしに、 生きられますか、と。
私たちは、動機を 受け入れてきました。
私たちは、けっして 自分の動機を、問いません。
または、新しい動機を 創案するか、
または、自分の動機を正当化するか、 です。
理解されますか。
が、私たちは、欲望、動機と充足の この問い全体へ、
入ろうと、けっして言いません。
ですね?
で、それは、私たちを その点へ、運んできます。
自らは、そう完全に、 他の一人に聞けますか -
相手の人やその女が言っていることを、 解釈するのではなく、
完全に聞くのです。
耳で聞こえるだけではなく、
また、いわば、内の耳でも 聞こえる。
それで、あなたは 全的な注意を、注いでいます。
注意があるところ、あなたは 動機を持たなくていい。
ですね?
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38:41
質問: 初めに、私たちのほとんどは、 意識的に、注意深くなければなりません。
ですが、この注意は、
常なる自発的な行為の状態に、 なりますか。
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38:56
そこには、欲望、 動機が、あります。
理解されますか。
これが見えますか。
私はどうすれば、この注意を常に 維持できますか - 継続的に、です。
それは、あなたがすでに、動機を 持っている、という意味です。
いいですか?
で、探究しましょう。 注意とは何ですか。
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39:26
また、注意していないこと、 不注意とは、何ですか。いいですか?
不注意と注意。
注意とは何ですか。
注意の、気づきへの関係は、 何ですか。
いいですか?
理解されますか。
私たちは、テントに、 人々などに、気づいています。
その気づきは、全部を 見ることです -
あなたは、テントに入って 来ると、見ます。
その注意の中、その気づきの中に、 選択があります。
ああ、そこの彼らは、私の友だちだ。
そこのあれらの人々を、私は知らない、と。
私は、友だちに、手を振りますが、 他の人たちには、振りません。
その気づきの中で、 私は、言います -
「あれは、すてきなシャツだ。 あれは、かなり醜いものだ。
40:46
彼は、かなり すてきな顔をしている。
彼女は、全くすてきで、 智恵があると、見える。
私は、彼女がここに いるので、驚く」と。
それは、まったくおかしい。
で、その気づきの中、 選択があります。
いいですか?
選択があります。 それらは、ここ、そこにあります。
で、その選択は、 全的な気づきを、阻止します。
選択なしに、気づけますか。
理解されますか。
私たちが話しているとき、 今、そうしてください。
どうぞ、私を見つめないで、 あなた自身を見守り、
あなたが、何の選択もなく 気づけるのかどうかを、見てください。
あなたは、選択しなくては いけません -
良い素材と悪い素材の間で、 ですね?
あなたは、良い車と悪い車との間で 選択しなくてはいけません -
中古車などなど、です。
42:13
私たちは、それに入らないでしょう。 あなたは、選択しなくてはいけません。
ですが、気づきの中で、
すっかり選択より 自由でありえますか。
ただ気づく。
そして、「私は このシャツが、好きでない。
私は、あのシャツが好きだ。
彼は、私に 良くしてくれる」と言わない。いいですか。
そのすべての活動が、 進んでいます。
選択なく完全に気づくことが、 注意です。
ですね?
それは明らかですか。
私たちは ここに一緒にいますか。
あなたが、そうしてこそ、 私たちは、ここに一緒にいます -
あなたが、自分が選択すること、 自分が好き嫌いを持っていること、
自分が動機を持っていることに、 完全に気づいて、
いかに、これら動機、好き嫌い、 私の友だちと、友だちでないもの・
・・
そうね、進んでいる それらのことを、です。
そのとき、あなたは、 十分に気づいていません。
43:36
あなたは、選択を持たないとき、
十分に気づいています。
当然です。ですね?
その気づきの状態は、 注意です。
ですね?
その気づきの状態は、 その最中に、「私」を持ちません。
明らかですか。
選択は いつも、中心を持っています
- そこから選択を 行うところを、です。
ですね?
それは、自我、「私」、 自己とそれらです。
ところが、あなたが、観察して、 選択なく気づいているなら、
その気づきは、 全的な注意へ拡大します。
その注意の中に、自己はありません。
「私」はありません。
私は好きだ、好きでない - よろしい ですか。それらの事柄が、です。
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44:54
で、さて、 不注意とは何ですか。
不注意は、散漫ですか。
理解されますか。
私たちは、騒音により、 列車により、散漫になります
- そうね、様々な形の散漫です。
なぜ私たちは、それを 散漫と呼びますか。
これらに付いてきておられますか。
私たちはここに、一緒にいますか。
なぜ私たちは、それを 散漫と呼びますか。
なぜなら、私は、これより 散乱したくないからです -
自分がしていることより、です。
ですね?
ところが、することが、 注意です。
そして、私が・
・・
不注意があるところ、 注意があるなら、
不注意は、注意です。
ヴザヴェ・ コンプリ(理解しましたか)?
ああ、神様!
なぜ私たちは、それを 不注意と呼びますか。
私は、不注意といったものが、 あるとは、思いません。
または、散漫が、です。
46:30
ただ、完全な注意があるか、 注意がないか、だけです。
それで、すべてです。
ですね?
私は、個人的に・
・・
私たちは、散漫があるとは、 言わないでしょう。
列車が通り過ぎつつあります。
私は、あれに気づいています。
選択はありません。
私は、あの人に聞きたいと思う - 理解できますか。
私はただ、あの音を 聞いているだけです。
で、ただ、注意だけが、 あります。
なぜ、不注意が、あるべきでないの ですか。
何がいけませんか。
私たちは、昼中、 働いています。
私たちは、夜に 眠ります。
ですね?
あなたは、眠りを 不注意と呼ぶのでしょうか。
理解されますか。
自らは、散歩に行きます。
樹々、山々すべてを、 見つめます。
晴れた日の、松の樹々の香り、
流れる川、その響き。
それは、すべて注意です - あなたが注意しているなら、です。
48:03
なぜ、注意が ないのでしょうか。
あなたは、一休みします。
よろしいですか。
私たちは、いつの時も、 何かでありたいと思います。
私たちは、何かの継続を、 持ちたいと、思います
- 正しいと、私たちが 考えるものの(継続)、です。
ゆえに、継続性を 持つものは、正しくない。
いいですか?
これを理解されるのか どうかと、思われます。
ヴザヴェ・
コンプリ(理解しましたか)。 私たちは、ここに一緒にいますか。
私たちは、継続性が ほしいのでしょう。
幸せの継続、関係の継続、
きわめて、きわめて多くの物事の 継続 - それは、何ですか。
記憶の継続。
ですね?
継続がないなら、私たちは迷った感じです。
私たちは、空っぽに感じます。
なぜ、私たちは、しばらくの間、 空っぽであるべきでないのですか。
49:26
なぜ、私たちは、何物でも ないべきでないのですか。
二、三分の間でさえも、です。
ですが、それは、 私たちを、怯えさせます。
なぜなら、私たちは、継続を 知っているからです。
いいですか?
で、注意は、継続を持ちません。
ただ注意だけが、あります。
「私は継続的に、注意深くなければ ならない」とは、言いません。
すると、それは、 機械的な過程です。
注意は、何か 生きているものです
- 私が注意深くなければ ならないとの結論ではない。
それは、あまりに子どもっぽく なります。
ですね?
質問: あなたは、 この広大な智恵について・・・
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50:41
あなたは、この広大な智恵について 語りますが、
それについて、もっと 語ってくれるでしょうか。
それは、頭脳の中の、 未開封の能力ですか。
またはそれは、何か具体化されて いない力 - 私たちがそれへ
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51:02
開かれるかもしれないもの、 ですか。すてきな問いですね。
あなたは、この広大な智恵について 語りますが、
それについて、もっと 語ってくれるでしょうか。
それは、頭脳の中の、未開封の能力ですか。
またはそれは、何か具体化されていない力
- 私たちがそれへ開かれるかも しれないもの、ですか。
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51:33
普通の智恵が、あるでしょう。
あなたは、もしも智恵がなかったなら、 ここに座っていないでしょう。
座っているでしょうか。
あなたは、列車に乗りました。
歩きました。車で行きました。
あなたは、バスなどで 行きました。
ここに来ることは、 智恵の行使です。
なぜなら、あなたは、 来たかったからです。
または、良い手紙を 書くのは、智恵です。
コンピューターを 組み立てるのは、智恵です。
人を月へ立たせてきたのは、 智恵です。
あそこに旗を掲げるのは、 智恵ではありません!
いいですか?
コンピューター、ミサイル、 原子爆弾、中性子爆弾、
水素爆弾を 作ってきたのは、智恵です。
そして、彼らが、癌
- よろしいですか - 肝臓障害 などなどなどについて
52:50
究明していることすべて、です。
それはすべて、智恵を 必要とします。
その智恵は、思考より 出てきたものです。
ですね?
いいですか?
ですが、その智恵は、 制限されています。
なぜなら、それは、よく気をつけ、 論理的で、実験的で、体系的に、
それを解き明かすことより、 出てきたことであるからです
- それは、思考です。
ですね?
思考は、 制限されています。
ゆえに、測量 - すなわち、テクノロジーです が - そのすべては、制限されています。
彼らは毎年、もっともっと多くを 付け加えています。
ですね?
「もっと多く」があるところ、 それは、制限されています。
ですね?
私たちは一緒にいますか。
または、もっと良くは、 制限されています。
私は、昨日よりもっと良い。
それは、きわめて 制限されています。
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54:09
さて、制限されていない 智恵が、ありますか。
私はあなたに、訊ねています。
私は・・・ 私たちは、互いへ語っていません。
私たちは、普通の智恵を 認識します -
お金を稼ぐ、ビジネスをする、 工場へ行く、
朝に起きる。
そうね、その他すべてです。
それは、一定の智恵を、必要とします - それは、制限されています。
ですね?
なぜなら、それは、思考より 出てきたものであるからです。
思考は、知識より 生まれますが、
知識は制限されているので - 未来においても、今でも、いつも、です。
で、思考は、いつも 制限されています。
思考の智恵は、制限されています。
それは単純です。
制限されていない智恵が、 ありますか。
いいですか?
さて、誰が、見出そうとしていますか。 あなたはどのように、見出すのでしょうか。
55:21
どのように - どのように、ではない。 あなたはどのように、探究しますか。
質問を理解されますか。
あなたは、これを どのように探査しますか -
思考が、制限された智恵を、 創り出してきたことを、知って、です・
芸術家、詩人、偉大な彫刻家、
偉大な文学者、画家など、
彼らすべてのものは、 制限されています - 当然です。
芸術家たちは、それを 受け入れないかもしれませんが。
科学者たちは、それを 受け入れてきました。
なぜなら、彼らは毎年、もっともっと 多くを、付け加えているからです。
生物学について、あらゆる物事について もっともっと多くの知識を、得ています。
で、付け加えでない智恵は、 ありますか。
その言葉を理解されますか - それに付け加え、付け加える。
どうすれば、これを 探査できますか。
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56:45
ともに、それへ入る・・・私は、何を すべきかを、あなたに語っていません。
どうぞ、私は、あなたの 導師ではありません。
私は、あなたの指導者ではありません。
私は、あなたの助け人ではありません。
それは、残酷なことでは ありません。
なぜなら、私たちは、多くの人々により 助けられてきたからです -
何千年にわたって、です。
この助けは、私たちを 弱くしてきました。
探し求めることから・
・・ 多くの方向からの、この助けは、
私たちを、ひ弱にしています。
私たちは、自分の足で立ち、観察し、 責任を持つことができません。
ですね?
あなたは、助けを探し求めているなら、 どうして責任を持てますか。
または、あなたは、依存しているなら、 どうして責任を持てますか。
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57:51
で、どうすれば、私たちは・・・
これを探査することは、 可能ですか -
制限されていない智恵を、です。
その智恵を、私たちは 知りません。
ですね?
それは、語り手がそれについて 話してきた、ということではない。
彼は、それを知っているかもしれないし、 それを知らないかもしれない。
それは、不適当です。
ですが、私たちは、どのように それに、出くわすのでしょうか。
それを探究するには、
私は、自分の存在全体を、 探究しなければなりません。
ですね?
それは、私の存在、日々の存在、 という意味です -
別の水準で、 別の次元などでの、
何か幻影の存在、
超自我、超意識、それら イデオロギー的な戯言ではありません。
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59:19
で、私は、自分の生を 探査しなければなりません。
明白に、初めのことは、 こうです -
葛藤があるところ、 智恵はないのです。
いいですか?
私はいつの時も、 葛藤の中にいるなら - 人々と、
観念と、理論、意見と、 ですね?
で、葛藤に、終わりが ありますか。
それは、葛藤と、他の問題に、 終わりがありますか、という意味です。
それで、頭脳が 自由であるように、です。
いいですか?
私たちはここに、一緒にいますか - 少なくとも言語的に、です。
あなたは、それの論理、 それの健全さが、見えます。
頭脳は、条件づけられています。
葛藤へ条件づけられています。
私は、その一つの主題を、 取り上げています。
頭脳は、葛藤の中に あります。
1:00:36
葛藤があるところ、物事を 明らかに見ることは、不可能です。
いいですか?
私は物事を、きわめて明らかに見ます - 思考は制限されているし、
それは何をしようと、 制限されていることを、です -
テクノロジー的に、とか、霊的に、 いわゆる霊的に、
制限されています。
また、葛藤が 生の道であるのが、見えます -
格闘、 何者かであること、
何かを達成すること、 などなどが、
葛藤です。
葛藤は、知覚を 歪曲します。
ですね?
私が、妻や夫と、または隣人と、 けんかしているなら、
私は、物事が、 ありのままに、見えません。
私は、それには、もう 入らないでしょう。
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1:01:49
で、私は、それの真理が 見えるなら、
まさにその真理が、頭脳を 葛藤より、自由にします。
それが智恵です。
ですね?
何かの真理を見て、 その真理に行為させる。
いいですか?
私は、きわめて明らかに見ます - 頭脳に葛藤があるかぎり、
物事を明らかに見ることは、 可能ではないことを、です。
その知覚こそが、 葛藤を終わらせます。
ですね?
なぜなら、そうであるからです。
そうなのです - 蛇は危険です。
野生動物は、危険です。
そうなのです。
それについて、 二つの道は、ありません。
いいですね?
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1:02:55
で、どこに葛藤はありますか・・・ どこに葛藤の根は、ありますか。
何により、頭脳は、終わりなき 葛藤の中に、生きますか。
それへの治療法は、ありますか。
薬物ではなく、 アルコールではなく、
或る種の夢想的な想像ではない。
知覚が、ありますか -
すなわち、頭脳を、葛藤より 自由にするものが、です。
ゆえに、その頭脳は、今、 動いていて・
・・
全く違った状態に、 生きています。
ですね?
その状態は、何ですか。
付いてきておられますか。
私たちは、分析していません。 私たちはただ、観察しています。
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1:03:55
ごく手短に - 私たちは、ほとんど 時間を持っていません -
ごく手短に、 分析者は、分析されるものです。
今、分析されているものより 分離した分析者が、います。
私は、私自身を 分析しています - 仮に、です。
私は、 自分が観察しているものより、
自分自身を 分離してきました - ですね?
私は、怒っているか、嫉妬しているか、 神経症です。
たぶんもっと神経症です。
私は神経症です。
そのとき私は、「なぜ私は 神経症なのか」と、言います。
まるで、それは、何か私の外側のもの であるかのように、です。
ですね?
私は神経症です。なぜなら・・・ 頭脳が神経症です。ですね?
1:04:55
私の全存在が、神経症です。
それは・
・・ 私は、神経症より異なっていません。
で、観察者、分析者は、 分析されるものです。
明らかですか?
経験者は、経験されるもので あるように、です。
もちろんです。
それは、かなり困難です。
私は これに、入らなくてはいけませんか。
思考者は、思考です。
ですね? それは明らかです。
「私は思考より分離している」と 言う思考者、
ゆえに、彼は、思考を 制御し、形作ります。
ですね?
ですが、思考者は、 思考自体です。
で、思考者は、思考です。
分析者は、分析されるものです。
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1:05:52
さて、次の一歩へ動きます。 すなわち、
経験者は、経験より 異なっていません。
彼は、自分が異なっていると 考えます。
ゆえに彼は、「私は経験しなければ ならない」と、言います。
経験するには、あなたは、それを 認識しなければなりません。
ですね?
さもないと、それは 経験ではありません。
ですが、それを認識することは、 それをすでに知っていることです。
これをお分かりなのか どうか・
・・
で、経験者は、経験です。
思考者は、思考です。
分析者は、分析されるものです。
いいですか?
たぶん、 (精神)分析家と療法士などは、
これに同意しないでしょうが、 それは構いません。
たぶんと、私は言いました。 彼らは同意するかもしれません。
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1:06:53
で、ずっとあった・・・
葛藤がないのなら、それは、ただ事実だけが ある、という意味です。
ですね?
ですね?
葛藤が終わることだけが、ある。
それは、事実です。
または、事実ではない。
そのとき、関係に、 何が起きますか。
理解されますか。
すなわち、私の頭脳の内側、 頭脳の内側に、葛藤がないとき、です。
それは、私の頭脳ではない。
それは、私たちみんなの頭脳です。
当分の間、私たちは、 それに入らないでしょう。
この頭脳は、今、 葛藤なしです。
ですね?
なぜなら、私はそれを見守り、 働き、見つめてきたからです。
ゆえに、私の関係に、 葛藤がありません -
女と、男と、です。ですね?
1:08:04
そのとき、関係に、葛藤が ないとき、それは何ですか。
それは、愛ではないですか。
いいですか?
葛藤がないとき - 理解されますか。
あなたたちは、みんな、 これらについて、ぼんやりしています。
あなたと私の間に、 葛藤がないとき
- 理解されますか -
あなたと私の間に、 違いがないとき、です。
あなたは、女であるかもしれない。
私は男である、などです。
あなたは、背が高い、低い、黒い、白い、紫なの かもしれません。
何であっても、ですが、
葛藤がないとき、
あなたと私には、 全的な関係が、ある。
それが愛です。
いいですか?
愛は、嫉妬ではない。
1:08:58
愛は、欲望ではない。
愛は、楽しみではない。
楽しみは、葛藤を 意味しています。
欲望は、葛藤を 意味しています。
私は、何かをしたいと思います。
あなたは、そうしたいかもしれない・
・・ 私の妻は、他の何かをしたいと思います。
愛があるところ、
彼女は、自分のしたいことをできますが、 愛がある。
理解されますか。
変容全体が、起きたのです。
愛があるところ、慈悲がある。
愛と慈悲があるところ、 それは、智恵です。
その智恵は、与える・
・・
その智恵には、 絶対的な安全が、ある -
相対的な安全ではない。
1:10:02
理解されますか。 それが、智恵です。
ですが、ものすごく 見張っていなくてはいけません
- 私たちは今、 そうであったのです。
その智恵は、無限です。
それは、あなたのや私のではない。
それは、智恵です。
愛は、私の愛とあなたの愛では ない。
それは、愛です。
そうです。
その愛は、一人のためかも、
多くの者のためかもしれません。
それは、やはり愛です。
愛があるところ、 憎しみはない。
敵はない。
これらを、ご存じないですか。
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1:10:54
で、それが智恵です。
あなたは、そうするのでなければ、 それについて、果てしなく話せません。
私はそうしてきたので、私は、 自分は、それについて、話せます。
あなたが、それに はるかに深く入るなら
- そのための時間があるのか どうか、私は知りませんが。
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1:11:22
そうね、あなたは、考えたことがありますか - 太鼓を見つめたことが、ありますか。
太鼓は、最高に優秀に 調律されます -
正しい音調に、です。
あなたがそれを叩くとき、 それは、正しい音色を出します。
ですね?
それは、調律されています。
で、頭脳は、 調律されているとき、
正しい音色を、出します - 正しい応答を、です。
あなたがこれらを捉えるのか どうかと、思われます。
それは、調律されていません。
太鼓がそうなっていないように、です。
それは、葛藤の中にあるとき、弛んでいます。
で、頭脳を調律する。
あなたが、頭脳を 調律するのではない。
なぜなら、あなたは、頭脳の一部で あるからです。
よろしいですか。
私は、それらへ 入らないでしょう。
で、太鼓が、最高に優秀に 調律されるように、
頭脳を調律することは、 可能ですか。
それで、それがいつの時も、 正しい音色を出すように、です。
そうです。
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1:13:04
質問: あなたが差し出す教えは、なぜ 私たちに、ほとんど効果を持たないのですか。
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1:13:20
いわゆる教えは - 私は、「いわゆる」 という言葉を、付け加えています -
なぜ私たちに、ほとんど 効果を持たないのですか。
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1:13:33
あなたは、語り手に 質問をしていますか。
または、あなた自身に、 質問をしていますか。
多くの人々が、語り手に、 この質問をしてきました。
語り手は、あなたに言います -
あなたは、自分自身に その質問をしたことが、ありますか。
なぜ真理は、あなたに、私たちに ほとんど効果を持たないのですか。
なぜですか。
一ダースの理由は、 示せます。
ですね?
怠け、無頓着、疲れ、退屈、
自分の習慣に取りすがること、 条件づけられていることと、
条件づけを取り除くのは、 ひどく困難だと言うこと。
私は、それについて何をすべきか、 それについて、私に言ってくれ、
などなどなど、です。
1:14:49
で、あなたはけっして、自分自身に この質問を、していません。
なぜ、あなたたちの幾人かは、
何年も何年も何年もの間、 語り手に聞いてきたのに、
なぜ、あなたは 変化していないのですか。
語り手が、あなたに 質問をしています。
あなたが、語り手に 訊ねているのではありません。
私は、反転させています・
・・
語り手は、テーブルを、 あなたのほうへ、反転させています。
彼は、あなたに挑戦しています。
もしあなたが、どうぞ・・・
その挑戦は、厚かましくなく、 尊敬を込めています。
で、彼は言います - なぜ あなたは、変化していませんか。
聞いて、聞いて、聞いて、読んで、 ビデオや何やらかんやら、ですが、
なぜあなたは、 変化していませんか。
1:16:01
もっと苦しむことが、変化するよう、 あなたを助けるのでしょうか。
私たちは、百万年の間、 千年の間、
苦しんできたから、
一日の苦しみで、十分です。
で、苦しみが、あなたを助けるのでしょうか - もっと多くの苦しみが?
明白に、そうではない。
ですね?
もっと多くの圧力ですか。
明白に、そうではない。
あなたは、 ものすごい圧力を、受けてきました
- 環境的、金銭的、
あらゆる種類の圧力、印象と、
もっと多くの脅威。
それが、 あなたを変化させるのでしょうか。
地獄と天国 - 脅威です。
それは、私たちを 変化させてきませんでした。
もっと多くの指導者、 もっと良い指導者、もっと賢い指導者、
古い導師より、もっと良い導師!
1:17:16
何が、私たちを 変化させるのでしょうか。
何もない。
あなた自身の知覚以外は、です。
ですね?
外側からの何も、けっして 私たちを変化させられません。
共産主義者は、 これを試してきました。
全体主義者は、 こう言ってきました -
外側をすばらしく 組織しよう、等と。
そうね、その他すべてです。
あなたが、すべての共産主義の 理論などに、従ってきたなら -
外的な配置により、心理は変化する だろうと望んで、です。
ですね?
それは、彼らの深い教説の一つです。
それは、起きたことが ありません。
正反対です。
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1:18:17
で、何が、私たちの一人一人を、 変化させるのでしょうか。
表面的に、何か言葉と何か観念に 適応するのではない。
それは、まったく 変化ではありません。
何かが、深遠に、 根本的に、変化します。
あなたは、外に頼らないなら、
全面的に、あなた自身に 頼らなくてはいけません。
私たちは、自分自身に 頼られないから、
助けを探し求めます。
私たちは、導師すべてを探し求め、
本を読む、その他すべてです。
なぜなら、私たちは、けっして、 自分自身を見つめること
自分自身でこれを解き明かすことが、 できなかったからです。
それは、私たちがもっともっと利己的に なる、という意味ではありません。
正反対です。
これは、大きな責任を要求します - 理解されますか。
あなたが全的に、自分自身に責任を持つ、と いうことです - 何をするにしても、です。
1:19:42
環境、遺伝を責めても、 何にもなりません
- 私の母と父は、このようだった。
ゆえに私は、そのようだ、と。
社会は醜い。
それで、私は社会に 捕らわれている、と。よろしいですか。
これは、あなたが働くことを、 要求します。
あなたは、 しっかり働くのか -
あなたは、お金を稼ぐために、 一生懸命、働きます。
ですね?
何年も何年も、使います。
来る日も来る日も、 来る夜も来る夜も、
年がら年中、 お金を得るために、です。
あなたは、いかにみんなが働くのか、 すべての人間が働くのかを、悟りますか。
私たちは、そのエネルギーの極小をも、 内的に働かせません。
私たちは、ひ弱に、無責任に なってしまったのです。
で、私たちは、変化しません。
なぜなら、 私たちは単純に、そうしたくないからです。
あなたは、何かをしたいなら、 そうします。
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1:21:32
みなさま、私たちは、質問の ほとんどに、答えてきました。
今、十二時近くです。
本当に、問いはまったく ありません。
問いは、まったくありません。
ゆえに、答えはありません。
あなたが、問題なのです。
あなたが、罠なのです。
自らが、この牢獄に 捕らわれています。
あなたは、働かなくては いけません - まるで・
・・
私は、「むちゃくちゃ」と 言おうとしていました。
あなたは、働き、 観察しなくてはいけません -
その他すべてが、あなたの心と 精神より、来なければなりません。
そのとき、あなたは 全的な人間です。
自由です。
自由があるところ、 恐れはありません。
あるいは、むしろ、恐れが あるところ、自由はありません。
自由があるとき、あなたは 何の神も要りません。
いいですか?
よろしいです。
立ち上がってもいいですか。
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