SA84T1 - すべての時が今であるなら、行為とは何か。

第1回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月8日
テキストのみのバージョン
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0:54
神様! 多くの人々がいますね。 大きなテントなのが、うれしいです。
何とも麗しい朝ですね。
大いなる静寂。
特に、朝、きわめて早く
ちょうど日が 昇ってくるとき、です。
雪を被ったすべての山々、 深い谷、漠然とした影
そして、 無量性の大いなる感覚。
それは、美しさです
美しさは、私たちの生において とても重要です
単に、そのロマンチックな面、
想像力豊かな面だけではなく、
全くの静寂の感覚です
特に、朝に目覚めて、
窓の外を見て、
通りすぎる車が 一台もなく、
人々のおしゃべりが、 ない。
この大いなる無量性は、
自己がないとき、見られるか、 堪能されるだけなのです。
2:19
自然と、大地の美しさとともに、
私たちの日々の生を、 腐敗させるものは、
私たちの狭く小さな精神です -
私たちの利己性、 私たちの残虐性、
暴力と、すべての腐敗と、
人間たちが 準備している戦争、です。
そのすべてが、生の無量性、
生の善さ、
自由の善さを、否定します
- そして、 ロマンチックでない美しさ、
大いなるきびしさを 要求する美しさ、
休んでいて、 おしゃべりしていない
頭脳の感覚を 要求する美しさを、です。
この美しさは、真理です。
この美しさは、善さです。
私たちはそれを、地球中で いろいろな形で、探求します -
様々な指導者、聖典に従い、
服従し、不服従し、
様々な楽しみを 追求しています。
そのすべてが、確かに、
生の大いなる美しさと 無量性を、否定します
4:18
私たちが、 生のこの無量性を
縮減してきたのは、 なぜですか。
生は無量です。
私たちがそれらを、 こんなに些少に、個人的に、
破壊的に、全く無意味に してきたのは、なぜですか。
この質問を自分自身にするのか どうかと、思われます。
これらすべての話の間に、 あなたたちが、
こうしていることを、 望んでいます -
私たちが、ともに
自らの生のあらゆる 物事を、問おう、
自らの生のあらゆる物事を、 疑おうとしていることを、です。
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5:20
疑いは、とてつもなく 重要なことです -
懐疑は、そうです。
自らがする あらゆる経験を、観察する。
まさにその経験を、疑う。
まさにその思考を、疑う。
まさにその感情を、疑う -
それで、頭脳は、
とてつもなく 浄化されるのです -
私たちのすべての蓄積した経験、 伝統などより、です。
これが、私たちが、これらすべての 講話の間に、しようとしていることです。
これは、個人的とか、 個人崇拝とかではないのです。
どうぞ、これを 理解してください
私たちはみんな、何かに 縋りつきたい、崇拝したいとか、
誰か、人物と近く感じたいのです。
私たちは、それが 慣習となっています。
私たちは言っています - これは まったく個人崇拝ではないのです。
だから、どうぞ、彼、話し手について、 イメージを築かないでください。
7:05
話し手は、あまり 価値がありません。
価値があること、 意義があることは、
彼が言っていることです。
彼が言っていることを理解するには、 あなたは、問わなければなりません
- 何一つ受け入れないで、です。
それは、あなたが観察しなくては いけない、という意味です。
自らが、自分の反応、自分の態度、
正当化、防衛などを、 観察しなくてはいけません。
そのとき、私たちがどちらも、互いと 意思疎通することが、可能です -
理論的に、ではなく
抽象において、ではなく、 実際に、です
なぜなら、私たちはともに、きわめて 長い旅を、行おうとしているからです
- まったく迂回は ありません。
私たちはともに、生のこの現象 全体を、見守ろうとしています
- あなたは、それに よっています。
8:41
また、これは娯楽でないことに、 どうぞ、留意してください。
なぜなら、私たちは、娯楽で 楽しむことに、慣れていて、
それは、私たちの 習慣であるからです。
映画、テレビ、 本、小説 -
私たちは、娯楽で 楽しみたいのです。
そして宗教もまた、そうなって きたのです - 一つの形の娯楽です。
で、どうぞ、これらの講話を とおしてずっと、留意してください
- これは、どんな形でも、 娯楽ではないのです。
語り手は、あなたを 助けようとしていません。
どうぞ、きわめて真剣に、 それに留意してください。
なぜなら、彼があなたを助けようと しているなら、彼は指導者になるからです
- あなたを指導し、何をすべきか などを、あなたに語る人に、なる。
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10:00
で、これは、 娯楽ではありません。
知的な饗宴でもありません
なぜなら、私たちは、自らの知能を 使わなければならないからです。
それは、私たちの日常の 生活の一部です。
それは、私たちの 生物学的な構造の一部ですが、
私たちの中の或る人たちは、 むしろ、その知的な能力を、放置し、
全部を、一種のロマンチックな、 理論的な活動として、扱います。
で、語り手は、あなたを、 助けていません。
私たちは、一緒にいて、 もしよろしければ、
考え、観察し、感じます -
日常生活のとてつもない 複雑な現象全体を、です。
どうぞ、これについて、 真剣であってください -
すなわち、話し手は、けっして あなたの案内役ではないし、
忌まわしき導師ではないのです。
それは、そのとき、あなたは単に、 従う者になる、という意味です。
一般的に、従う者は、
真理であるものを、破壊します。
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11:42
で、私たちは、ともに 考えようとしています。
それは、なすのが最も困難な ことの一つです。
なぜなら、私たちの一人一人が、 意見を持っているからです -
とても強い意見、 とても強い結論、
偏見、先入観を持ち、
自分の特定の楽しみや経験に応じて 条件づけられています。
それで、自らは孤立します。
そして、ともに考えることは、 ほとんど不可能になります。
あなたがこれに注目なさったのか どうか、私は知りません -
たとえ、妻と夫、
彼氏と彼女などとの間ですら、
彼らはけっして、 一緒に考えません。
同じことを、ともに 観察しません -
同じ反応、同じ強烈さ、 同じ時に、です。
いつも、この分割が、あります - 「私は考える。
あなたは考える」、
「それが私の意見だ。 私の判断だ」などと、です。
13:11
で、どうぞ初めに、それがいかに困難で 難儀であるかを、見てください。
それは、大きな注意を、必要とします - ともに考えるには、です。
なぜなら、考えることは、私たちの 生において、とても重要であるからです。
私たちの行為すべては、 考えることに、基づいています。
今、私たちの一人一人は、 分離して個人主義的に、感じます -
自分の神をもち、 自分の経験をもち、
自分の先入観をもっている、 などです。
そして、ともに考えることは - もしも私たちは、そうできたなら、
それは、すばらしいことでしょう。
もしも自らが、脇に置けたなら -
少なくとも、この時間に、 私たちの先入観、
私たちの意見、
私たちの傾向、体質を、 脇に置けて、
観察できたなら -
あなたの観察や 私の観察に沿ってではなく、
山々を、ともに 観察するのです。
あれらの丘の 美しさ、荘厳さ、
日の光の壮麗さ、
流れゆく水、
大地のとてつもない栄光を、
ともに、です。
15:20
私たちの困難はまた、
私たちが言葉に 捕らわれていることです。
あなたは、言葉に 一定の意味を、持っています。
または、語り手は、言葉に 一定の意味を、持っています。
私たちは、伝達するために、 言葉を使います -
それは、 しなければなりませんが、
また、私たちの頭脳が、 言葉に捉えられ、
その罠にかかり、 囚われていることを、
悟られるのかどうか、です。
自らがそれを悟るのか どうかと、思われます -
言葉が、いかに、とてつもなく 重要になったのか、です。
それで、私たちが、常に 言葉を使っているとき、
それは、きわめて 表面的になります
- それは、標語になったのです。
反復的で、機械的です -
私はイギリス人だ、私はフランス人だ、 私はドイツ人だ、などと。
16:59
ですが、言葉を乗り越えて はるかに深く、行くには、
とてつもない鋭敏さが、必要とされます - 言葉の罠に掛からないように、です。
そのときだけ、 ともに考えることが、可能です。
私たちは今朝、 これができますか。
実際に、自分の先入観、 意見、教義に、
自分の特定の態度に、気づく。
そして、それらすべてを、脇に置く - 少なくとも、しばらくの間、です。
あなたが、そうできるなら、です。
そのとき、私たちは ともに考えられます。
そのとき、私たちは ともに働けます。
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18:11
また、これは、 刺激の活動ではないことを、
悟ることが、重要です。
18:28
語り手は、あなたを 刺激しようとしていません。
彼は、薬物として、 作用していません -
それで、あなたは、 今朝の間、刺激されて、
昼間に、それを へたらせるのではない。
で、それは、刺激ではありません。
それは、宣伝ではありません -
あなたに、一定の形で 考えさせるものではない。
彼は、どの理想、どの理論、
どの信念をも、 宣伝していません。
なぜなら、理論、理想、 信念、教義は、
人間たちを 分離させてきたからです。
全体主義的な理想が、 あります。
そして、いわゆる自由世界の 理想が、あります。
それらは、互いに 戦争をしています。
私たちもまた、互いに 戦争をしています -
私たちの生における、 この永続的な葛藤です。
あなたは、一人の人物と やって行けないなら、
その人物より離れてしまう、
離婚するのか -
私たちの日常生活で、 進んでいる
それらすべての、とてつもない 分割的な過程です。
どうぞ、言葉を聞いて、
それらが真実なのか、それらが 現実なのかを、見てください。
それらが、私たちの日常生活に、 何か意味があるのか、
または、これらの講話と集会は、 何か分離したものであり、
私たちの存在と、私たちの日々の行いと 全く連携していないのか。
もしこれが、可能であるなら - そうであることを、望んでいます -
私たちはそのとき、生のきわめて、 きわめて複雑な問題へ、入られます。
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21:26
複雑な問題に、接近するには -
なぜなら、私たちの生は、きわめて きわめて複雑であるからです。
社会は、きわめて複雑です。
関係は、きわめて複雑です。
私たちの労働、 事務所へ行くこと、そのすべて
- 社会的、外的な存在とともに、 心理的なもの全体が、
とてつもなく複雑です。
すばやい答えは、ありません。
自らがまさに始まりから、これを 通り抜け、それがはっきりと見えるなら、
すばやい答えが、あります。
私たちの生は、複雑です。
ゆえに、私たちはそれへ、
きわめて単純に、 接近しなければなりません。
それが、私たちの困難に なるでしょう。
なぜなら、私たちの頭脳は、 きわめて複雑であるからです。
それらは、幾千もの経験を してきたし、
大いなる知識を 蓄積してきたのです
- 生物学的にも、心理的にも、 外面的にも、です。
22:53
私たちは、ほとんどあらゆる物事について 大いなる知識を、持っています。
あなたが近頃、テレビで、 子どもの誕生を、
見たのかどうか、 私は知りません -
いかに子どもが受胎されるのか、 細胞の複雑さすべてなどを、です。
で、私たちの頭脳は、 きわめて複雑な機構です。
それを理解するには、 私たちは、
きわめて、きわめて単純に、 それに接近しなければなりません。
ですが、私たちは、きわめて複雑な 精神を、持っています - 頭脳を、です。
私たちはけっして、直接的に 単純ではありません。
単純さは、単に、 一日一食をとるとか、
わずかな衣服を着るなど、 だけではありません。
それもまた、きわめて複雑です。
単純さは、先入観、好き嫌いを 持たないことを、
意味しています。
どんな個人性も、 そこに入りません。
24:15
夕方の美しい空を、 見つめる -
日は、ちょうど丘の上にあり、
光輝、とてつもない光と 明瞭さ。
それらを観察するには、頭脳の 大いなる単純さが、必要とされます
- 果てしなく、しゃべって いるのではなくて、です。
それは、あの静寂の感覚を、 必要とします -
日の入りの大いなる無量性を、 観察するには、です。
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24:58
で、このすべてが、私たちの間で、 相当に明らかであるなら、
私たちは、進行できます。
ですが、どうぞ、 これは、基盤だけです。
初めの二個の煉瓦だけです。
私たちは、きわめて深い基盤を 敷かないなら、
あなたは、あまり遠くへ 行けません。
初めの動きが、 尋常でなく大事です。
その動きが、 精密であるのかどうか
- それが、煉瓦です -
精密で、正確で、 非個人的であるのか。
あなたが、生の全体を考慮しているとき、 それは、非個人的になります
- 客観的で、非ロマンチックで、 感傷性なし、です。
それが、私たちが今、していることです - 初めの煉瓦を敷くのです。
それを敷いておいて、あなたはその気が あり、それを追求しているなら、
私たちは、きわめて複雑な問題を、 探究しなければなりません
- それは、時です。
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26:51
私たちは一緒です - 私は、 語り手は、あなたに語っていません。
私たちは、ともに それを観察しています。
観察するのは、 言葉をとおして、ではなく
ただ見るだけです -
初めに、 あなたの目で、見る。
それで、知覚は、 きわめて明らかです。
あなたが、問題を 持っているとき、
その知覚は、否定されます。
あなたは、問題を持っているとき、 明らかに見られません。
いいですか?
で、ともに、少なくとも 今朝の間、自由でありましょう
- 時の内容全体、意義を 観察できるように、です。
なぜなら、私たちは、 時により生きるからです
- 日の出、日の入り、 晩の星と、朝の光、
闇と明るさ。
28:21
昨日の時が、あります -
明日としての時、 今としての時が、です。
あなたが、そこに座っていながら、 時は、今です。
で、距離を行くための時が、 あります - ここからそこへ、です。
言語を学ぶための時、
手紙を書くための時、
技術を習得するための時、
経験するための時が、 あります。
で、私たちは 時により、生きます -
外的、外面的にも、 内的にも、です。
どうぞ、これを理解することは、 とても重要です。
なぜなら、私たちは、何かへ 入ろうとしているからです。
私たちのどちらも、本当にそれを 理解しなければなりません -
理論的に、だけではなく、
抽象的な意味において、ではなく、 実際に、です。
なぜなら、私たちは、 時の本性を理解するなら、
おそらく、時を越えたものを、 理解する可能性が、あるからです。
それは、はるかに複雑です。
29:55
それへ 跳びつかないでください。
初めに、私たちは、有るものを、 理解しなければなりません。
- 実際に有るものを、です。
ゆえに、私たちは、時とは 何かを、探究しています。
あなたもまた、 探究しています。
私たちが言いましたように、距離を行く ための時 - ここから、あなたの家へ、です。
優秀な大工になるには、
偉大な科学者になるには、
偉大な小説を書くには、 時が、必要とされる、
などです。
また、内的にも、 時があります
- 私は、なるだろう、 私は、ならなければならない、
私は、覚りを達成しなければならない。
それが、何を意味していようと、です!
私は、神、天国へ 到らなければならない。
そうね、
そのすべてが、時を含意して います - 私はこうだ。
暴力的だ。
が、私に時間をくれ。私は、 暴力より自由になるだろう、と。
31:19
どうぞ、あなた自身において、 この実際の事実を、見てください。
語り手は、単に鏡として、 作用しています -
その中に、あなたは 自分自身が、見えるのです。
あなたは、自分自身が明らかに 見えるとき、鏡を、投げ捨てられます。
鏡は重要ではありません。
重要なのは、 あなたが鏡に見るものです。
鏡は、明らかであり、 何も歪曲なしであるなら、
それは、あなたの顔を、 そのとおりに示します
- あなたの見た目、などを、です。
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32:11
で、私たちは、ともに、 時を探究しています。
私たちは、外側の時を 叙述してきました -
時計によっての、です。
私たちは、ちょうど 10時30分に、ここで会いました。
私が演壇に座ったとき、 それはぴったりでした。
また、内的にも、時があります。
自分は見習いです。
次第に、自分は 達人になります。
それには、時が掛かります。
あなたは、或る組織の 事務員です。
あなたは、それが上手であるなら、 次第に管理職になります。
その態度、その考え方が、 こぼれでて、
心理的な世界の中へ、 拡大してきたのです
- 私はこれだ、私はあれに なるだろう、と。
いいですか?
私たちは、互いに 理解し合っていますか。
で、外側に、時があります - 時計によって、です。
内的に時、 今と死との間の時。
いいですか?
さて、私たちは、時の本性を、はるかに 深く探究しようとしています。
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34:01
まず第一に、見出すには、私たちの 頭脳を、使わなければなりません
- ただ受け入れるの ではなくて、です。
知能の機能は、判別すること、
判定し、評価することです。
ですが、あなたが、知能を、
あまりに偏っていると、 払い除けるなら
- 知能は、 私たちの構造の一部です。
情動のように、 私たちの存在の一部です。
ですが、あなたが単に、 自分の情動へ縋りつき、
知能は大事ではないと、 言うだけなら、
または、あなたが 単に知的であるだけなら -
で、私たちは、その全体を見つめる 能力を、持たなければなりません
- 私たちの頭脳でもって、 知能でもって、感情でもって、
神経でもって、私たちの 全存在でもって、です。
35:02
ですね? あなたが そうできるなら、です。
そういうわけで、それには、 大きな注意が、必要とされるのです
- 思考のあらゆる動きを、 見守ることが、です。
あなたがかつて、そうしたことが あるのかどうかを、私は知りません。
あらゆる思考を、 歪曲しようとせず、見守る。
唯一つの思考をも、逃さない。
それには、注意、見守り、大きな 自己の気づきが、必要とされます。
で、そこで時は、過去、
現在と未来として、 あります。
いいですか?
過去としての時 -
蓄積された知識、経験すべて、 出来事すべて、
私たちがしてきたが、 後悔すること、
私たちがしたいと思うこと - それは、未来です。
今、されつつあること。ですね?
36:39
で、現在、今は、過去です。
もちろんです。
現在と、また未来でもあります。
いいですか?
私たちは、互いに、 これを理解しあいますか。
なぜなら、それを、理解する ことは、重要であるからです -
私たちがさらに言おうとしている ことを、伝達するには、です。
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37:16
私たちは、こう言っています。
語り手は、こう言っています。
すべての時は - すべての時が、です - 今に収容されている、と。
すなわち、過去は、今に 収容されています。
それは単純です。
あなたは、それが分かります。
あなたは、あなたの過去です。
いいですか?
あなたの記憶、あなたの出来事、 あなたの経験、あなたの失敗、
あなたの後悔、あなたの呵責、 あなたの罪悪、
あなたが育てられてきたところの すべての伝統 -
宗教的、宗派的なものも、
過去の全体が、時です。
いいですか?
私たちは、この地上に 人間として、
四万五千年以上の間、いたと、 考えられています。
私たちが持ってきた、広大な蓄積された 知識について、考えてみてください。
38:29
4万5千年の闘争、葛藤、悲惨、 不幸せ、喜び、悲しみ。
いいですか?
そのすべてが、過去です。
明らかですか。
そのすべてが、今です。
あなたがそこに座っているとき、 そのすべてが、今のあなたなるものです。
そして、今はまた、未来をも 収容しています。
私はそれを、お示ししましょう。
そうね、私はそれを、お示し しています。
私は・・・
理解されますか。
あなたは、 それに出会っていませんね。
木陰の道を歩んでいき、 これらについて話している
二人の友だちのように、です。
しばらくの間、互いに 知り合ってきた二人の親友です。
彼らの間に、敵意はありません。
防衛はなく、攻撃はありません。
長年の間、互いに知り合ってきて、 一緒に話し合ってきた
二人の古い友だち、です。
おそらく、同じクラブに 入っていて、同じネクタイで、
同じ話し方です。
彼らは、互いを、とてつもなく よく知っています。
39:55
彼らは、互いに、何をも 説得しようとしていません。
彼らは、この質問を しています -
時は何ですか。
今とは何ですか。
一人は相手に言います
- 今は、すべての時を、 収容しています。
なぜなら、今のあなたなるものに、 明日、あなたはなるだろうからです。
ですね?
で、明日は今です。
理解されましたか。
私は今、先入観を 持っています。
私は、人々を好きだし、 好きでない。
明日、私は、先入観を 持っているでしょう。
私は、やはり、好きだし、 好きでないでしょう。
ですね?
で、明日、未来は、今です。
これは明らかですか。
私たちは、互いに 理解しあっていますか。
どうぞ、これを理解することは、 きわめて重要です。
41:08
語り手は、とてつもない、 或る種の異国風、
東洋的な戯言を、 出しているのではない。
東洋人たちが、何かをもたらすとき、 それは、戯言でしょう。
ですが、あなたは、この点を、 自分自身で見られます -
すなわち、すべての時、 過去、現在と未来は、
今、収容されています。
いいですか?
私は、ずっと私であったものです。
私がなるであろうものは、 今の私であるものです。
私は今、変化しないなら、
明日、まさしく、今の私なるものに、 なるでしょう - 明らかですか。
私たちは、ここに 一緒にいますか。
言語的にではなく、 理論的にではなく、実際に、です。
すなわち、私たちは今、 すべての時を、収容しているのです
- 言語を学ぶ、技能を学ぶのを、 別として、です。
理解されますか。
42:36
手紙を書く -
それには、時が 必要とされます。
一つの所から別へ来るには、 時が必要とされます。
ですが、心理的、内的に、 すべての時は、今です。
いいですか?
それの危険が、見えますか。
それの困難が、見えますね -
すなわち、明日はない。
今だけが、ある。
それは、なることがない、 という意味です。
いいですか?
心理的な進化は、 まったくないのです。
さて、これは・
・・ 理解されますか。
それは、「私は何かを達成しようと している」、ではありません。
- それは、時を意味しています。
理解されますか。
仮に、私は啓明を得たい、とします - それが 何を意味しようと、です。
括弧付きです。
私は真理を見つけたい - その他すべて、です。
44:12
それは、未来において、という意味です。 いいですか? 明らかですか。
未来は今です。
今の 私なるものです。ですね?
私は根源的に変化しないなら、
未来は、明日、今の私なるものです。
いいですか?
明日、今の私なるものです。 明らかですか。
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44:39
そのとき、そこから、 私たちは、進めます -
何かきわめて 複雑なことへ、です。
私たちは、これの真理が 見えるなら -
すなわち、心理的な進化は、 まったくないということを、です。
なることが、ない。
今の私なるものは、なくて、
私がなるだろうものが、ある。
未来は今です。
私が今、根本的に 変化しないなら、
私は明日、まさしく、 今の私なるものに、なるでしょう。
いいですか?
それは、真理が見える、 という意味です -
心理的に、なることがない、 ということが、です。
心理は - それは、自己の本質ですが -
なる、ということに立って 考えます。
いいですか?
これらに、 付いてきていますか。
これは、知的な芸当ではありません。 これは、単純で明白な事実です。
46:04
キリスト教は、それを表現する 一通りの道を、持っています
- 復活、神へ到る、
天国に到達する。
それは、アジア世界では、 違ったように表現されますが、
それは、同じ動きです。
いいですか?
すなわち、私はこれだ。
私は次第に、あれになるだろう。
すなわち、次第に、ということに立って けっして考えない - 段階的なことに、です。
これらを理解されますか。
私は、次第に技能を学ぶために、 時が必要です。
ですね?
私は、バレエで上手に踊るのを 学ぶには、長年が必要です -
子どもの頃から、私は 始めなければなりません。
ヴァイオリンを演奏するには、私は きわめて幼いとき、始めなければなりません
- 私が才能を持っているなら、私が その裏に、熱情を秘めているなら、です。
47:30
また私は、同じ動きが、 心理的な領域へ、
持ち越されることを、 感じます -
私は、或る日、到らなければ ならない、と。
いいですか。
そういうわけで、あなたたちは、 様々な集団、様々な導師に所属するし、
様々な衣服や衣を着るのです - 違っているために、です。
あなたは、何かを 達成したいからです。
で、あなたは、真理が、 絶対的な真理が、見えるなら -
すべての時が、今に 収容されていることが、です。
その深さを悟ることには、 かなり怯えます。
あなたが、「明日、あなたに お会いしたいと、願っています」、
「明日、私はあなたを愛する でしょう」と言うとき
- 理解されますか。
で、その愛は、その全体が、 今、あるのか、
あるいは、 まったくないのか、です。
49:02
これが、きわめて 明らかであるなら
- その、絶対的な明瞭さ、です -
すなわち、心理は、 未来を持たないのです。
- 理解されます。
すなわち、あなたは 未来を持たないのです。
それは、今のあなたなるものに、 あなたは、なるであろうからです
- 根源的な変異が、 ないなら、です。
それは、生物学的な言葉ですが、 用いるには、良い言葉です。
今、根源的な変異がないなら、
あなたは、明日、 あなたなるものに、なるでしょう。
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49:55
で、それを、現実だと悟り
- 理論ではなく、仮説ではなく、
何か理想、それらの戯言ではなく、
事実、です。
そのとき私たちは、探究し はじめなければなりません -
行為とは何なのか、
関係とは何なのか、
変化とは何なのかを、です。
いいですか?
変化、行為と関係。
いいですか?
私は、すべての時が今であるとの その真理を、理解するなら、
そのとき、 私の行為は、何ですか。
そのとき、行為は何ですか。
どうぞ、探究してください。
眠らないでください。
すみません。
お許しください。
語り手が 強調しているなら、どうぞ、
それは、彼が攻撃的である、 ということではありません。
51:31
語り手は、これらの事柄について、 とても強く感じます。
人類は、自らを破壊しつつ あります。
いいですか?
世界中で、ひどいことが、 起きています。
人々は、あらゆる種類の 恐怖を、準備しています -
世界中の科学者が、です。
毒ガス戦、細菌戦、
これらのひどいミサイル、
原子爆弾、中性子爆弾。
これらすべてを準備しているセンターの 一つに、私たちは行っていました
- 最高の科学者たち、です。
私たちは何気なく、人生の毎日を つづけていきます -
それらに、何の注意も 払いません。
52:33
あなたは、世界で起きつつある すべてのことに、気づくとき
- 世界は、あなたです。
あなたのまわりで、です。
あなたは、まったく 責任を感じます。
あなた自身へ、ではなく、 この人類全体へ、です。
スイスへ、だけではない。
これが、私たちのほとんどにとって、 何の意味もないのを、私は知っています。
なぜなら、私たちは、ただ つづけてゆきたいからです -
私たちの古い伝統、古い習慣、
古い防衛機構などを、です。
で、私たちは、すべての時が 今であることを、悟るとき
- 何とすばらしい真理か -
そのとき、行為は何ですか。
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53:32
私たちの現在の行為は、 何ですか。
本当の行為が何かを、 見出すには、私たちは、
現実より、始めなければなりません - その行為は、未来を持ちません。
私が言っていることを、 理解されますか。
私たちの現在の行為は、 何ですか。
行為、することは?
それは、記憶に基づいているのか - 過去に、ですね?
様々な実験、経験をとおして、 蓄積されてきた記憶に、です。
それで、過去が、行為を 指令します。
ですね?
付いてきていますか。
さあ、進んでください。
または、未来が、 行為を指令します
- 共産主義者たちの理想、 理論的な概念、
弁証法。 それらをご存じですね。
54:41
で、行為は、過去の記憶に 沿って、なのか -
過去の思い出、過去の憎しみ、 過去の嫌い、
過去の先入観、 過去の個人的な態度に、沿ってです。
それは、すべて過去です。
その過去に沿って、 行為がある。
ですね?
科学的な世界においても、 心理的な世界においても、です。
そこで行為は、創案です。
ですね?
理解されますか。
私たちは一緒に、これらにいますか。
または 私は、自分自身で離れて行っていますか。
一定の所に、最高の 科学者たちの集団が、います -
アメリカのニューメキシコの、 ロス・
アラモスです。
彼らは、講話をするよう、 語り手を、招待しました。
55:55
アメリカの最高の科学者、 700人が、いて、
戦争のためのものすべてを、 創り出していました。
彼らは訊ねました - 科学における 創造とは、何ですか、と。
理解できますか。
科学における創造とは、 何ですか。
私は、科学に創造はない、と 言いました -
考案だけがある、と。
私たちは、別に それに入るでしょう。
語り手が説明したいことは、
過去は、恐るべきだ、強い。
で、それは、私たちの行為を導き、 制御し、形作る、ということです。
ですね?
または、あなたは、
未来の理想、未来の理論を、 持っていて、
それら理論に沿って、行為します。
可能なだけ、 近似させて、ですね?
57:08
過去の記憶と、未来の理論、
理想、概念、教義、信条。
で、行為は、これら二つの 原理に、基づいています。
ですね?
明らかですか。 もちろんです。これは単純です。
ですが、すべての行為が 今であることを、悟るとき、
未来の行為は、ありません。
理解されますか。
なぜなら、未来は、 今であるからです。
私は、それを 調べなければなりません。
それが、明らかでないなら、です -
すべての時が、今であり、 今に収容されることが、ですね?
あなたたちは、二分前に 同意しました。
少なくとも、頷きました - あなたたちの幾人かは、です。
あなたたちは、付いてきていること、それの 事実が見えることを、標示していました。
58:12
さて、未来がないのなら
- なぜなら、未来は今であり、 過去は今であるからです -
そのとき、 行為は何ですか。
私たちは、今、私たちが 知っているような行為は、
過去に基づいていると、 言いました -
記憶、後悔、罪悪、経験に、です。
それは、すべて知識です。
または、未来、理想、 概念、理論、信条に、です
- あなたは、それに沿って 行為します。
で、あなたは、過去に沿ってか、 未来に沿って、行為しています。
ですが、過去と未来は、今です。
いいですか?
で、行為とは何ですか。
質問を理解されますか。
どうぞ、あきらめないで、 そうしてください。
行為とは、何ですか - もし・
・・
いや、すべての時が今であるとき、 行為は、何ですか。
59:38
あなたの答えは、何ですか。
あなたの深い誠実な答えは、 何ですか。
頭脳が・
・・ 聞いてください。
頭脳が、過去に沿ってとか、 未来に沿って、
行為するよう 条件づけられているとき、
真理が、すべての時は 今であるとき、
ゆえに、未来がなくて、 今がある。
未来は、今に 収容されています。
過去は、今に 収容されています。
これらを理解されますか。
で、行為とは何ですか。
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1:00:28
私はあなたに語れますが、 そうね、
あなたは、私が語ってくれるのを、 待っています。
残念です。
あなたは本当に、それに 入っていっていません。
あなたは、誰かがこれらを 説明するのを、待っています。
仮に、あなたに説明してくれる人が、 誰もいない、としましょう。
あなたは、何をするのでしょうか。
あなたは、何かの真理を 見たのです -
すべての時、過去、未来は、 今にあるとの真理、です。
あなたは、それが見えます。
あなたは、或る人に 出会います -
彼は、「さて、行為とは何ですか」 と言い、去って行きます。
あなたは、 見出さなくてはいけません。
なぜなら、あなたがひとたび、すべての 時が今であるとの真理を、見たとき、
その真理は、けっして、あなたを 去って行かないでしょう。
理解されますか。
それは、あなたの身体に刺さった 刺に、矢に、似ています -
それは、摘出、引き抜くことが、 できないでしょう。
1:01:43
で、あなたは、それに 答えなくてはいけません。
あなたは、それに答えないでしょう。
なぜなら それに答える能力が、ないからです。
なぜなら、私たちの頭脳は、過去の行為に 条件づけられているからです -
過去に沿ったり、 未来に沿ったりの行為に、です。
で、初めに、その問題に 取り組まなくてはいけません
- 頭脳は、過去より 自由でありうるのかどうか、です。
今、気をつけてください。
私は、世の中で機能するには、 記憶が必要です - ですね?
自分の事務所へ行くには、 研究所や工場で働くには、
または、何かの技能には、
私は、大変多くの時、 大変多くの知識が、必要です。
そこには、なることがある。
ですね?
私は知らないが、 私は知るだろう、と。
その同じ動き、同じ・
・・ それが、拡張されます。
その同じ思考が、 心理的世界の中へ、拡張されます。
1:02:56
私はこれである。私はあれに なるだろう、と。いいですか?
さて、あなたはおそらく、自分自身で きわめて明らかに見たのです -
すべての時が今である との真理を、です。
そして、語り手は、見出しなさい、と 言います - 行為とは何ですか。
いいですか?
あなたの行為は、過去の記憶、過去の訓練、 過去の経験に沿ってであったのです -
それが、頭脳を 条件づけてきました。
また、頭脳を、未来の観念、理想、 概念に、条件づけてきました -
私はそうでなければ ならない、などと。
頭脳は、これら二つより、自由で ありえますか。
理解できますか。
あなたは、これらに 付いてきていますか。
質問を理解されますか。
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1:04:01
聴衆: はい。
K: 頭脳は、過去の記憶に 沿って、行為するよう、
条件づけられてきました。
または、思考は、概念、理想、 理論を、投影してきて、
それに沿って、あなたは、 行為しています。
頭脳は、そのように 条件づけられています。
頭脳は、それより 自由でありえますか。
さもないと、あなたは、 今の行為が何であるかを、
けっして見出さないでしょう。
理解されますか。
私は - 誰かは、 説明できますが、それは、
あなた自身の理解の 深みではないでしょう。
明らかですか。
私は、それを説明するでしょう。
私は、それに入るでしょう。
これは、言語的な説明に なるでしょう - 当然です。
それは、何かあなた自身が 発見したことではないでしょう。
ゆえに、真理ではなく、ゆえに、 それに沿って生きないでしょう。
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1:05:21
私たちは、知覚とは何かを、 探究しなくてはなりません -
見る、知覚すること。
すべての時が今であるとの事実を、 実際に知覚する。
それは事実です。
取消できない事実です。
他のどの利巧な人も、やってきて、
「そのようではない」とは 言いません。
あなたが発見したことが、 真理であるなら、
あなたは、どの挑戦にも、 出会えます。
あなたは、 打ち倒されないでしょう。
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1:06:06
質問者: 私は、答えを知りませんが、 私が感じられる・・・
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1:06:11
K: マダム、聞いてください。 あなたは、この質問をできます。
ご自分の質問を、書き留めてください。
私たちはそれに、答えるでしょう
- 今ではない。気に なさらないことを、願っています。
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1:06:30
行為とは、何ですか -
すなわち、全然、過去と未来に 依存していないものは、です。
いいですか?
過去や未来に依存していない
行為とは、何ですか。
いいですか?
今、完全であり、
断片化していない行為が、
ありますか - 理解されますか。
それが、私の行為です - 人間の行為は、 過去や未来に、基づいています。
ゆえに、それは断片化しています。
いいですか?
それは、壊れてしまっています。
で、私たちは、訊ねています -
全的に断片化より 自由である行為が、ありますか。
あなたが、その問い自体の美しさが、 分かるのかどうか、私は知りません。
ゆえに、語り手は、 そういう行為がある、と言います。
1:07:38
その行為は、見ることです -
見ることが、することです。
見ること、知覚すること、 理解することと、
することとの間に、 時の間隔はありません。
理解する、知覚する、見ることが、 行為自体です。
例えば、です -
私は、しっかり 働いています。
さあ!
きわめて明らかに、客観的に、
何の偏見もなく、 知覚します -
世界中の すべての組織的な宗教、
それらのすべては、 迷信、信仰、信念、伝統に、
基づいている、 ということを、です。
明白です。
それらの様々な形の 儀式、衣装、
凝った服装、などなどなどを もって、です。
1:09:09
それは思考により、組み立てられて いることが、分かります
- それが、古代の思考や 現代の思考でも、
それは、思考により 組み立てられています。
ですね?
ゆえに、思考は、制限されているので、 それは、制限されているにちがいない。
なぜなら、思考は - 私は手短に、ご説明しましょう -
思考は、記憶から 出てきたものです。
記憶は、知識の部分です。
知識は、経験から 出てきたものです。
ですね?
完全な知識は、ありません。
科学的な世界では、知識を 付け加えつつあります。
ですね?
少しずつ、少しずつ、 少しずつ、です。
千人や、十万の人々が、 それに付け加えています -
来る日も来る日も来る日も、 ですね?
1:10:12
ゆえに、もっと多くは、 制限されています。ですね?
で、経験は、制限されています。
「私は神へ到った」と言う人の 経験は、制限されています。
いいですか?
で、知識は、今でも、未来にでも、 制限されています。
ゆえに、思考は 制限されています。
いいですか?
で、思考が組み立てた物事は、 何でも、
外的でも、内的でも、 制限されています。
ですね?
で、思考に基づいた行為は、 制限されています。
分かりますか?
後生ですから、初めて 聞いてください。
すべての行為は、それが 思考に基づいているなら、
いつも 制限されているでしょう。
ゆえに、 制限されているものは、
間違いなく、葛藤を創り出すに ちがいないのです。
1:11:30
私は、一日中、自分自身について 考えているなら
- ほとんどの人々は、 そうですが -
それは、きわめて 小さな事柄です。
ですね?
私は、実践しなければならない。
私は、冥想しなければならない。
私はこれをしてはならない。
私はあれを してはならない - よろしいですか。
私は、探し求めなければならない。
私は、葛藤を持ってはならない。
私は冥想しなければならない、と。
それはすべて、きわめて 自己中心的な活動ですし、
ゆえに、それは、きわめて 制限されています。
ですね?
で、思考は 制限されています。
思考に基づいていない行為が、 ありますか。
思考は過去です -
すべての記憶、 すべての伝統、それらです。
思考はまた、未来を 投影してきました -
理想、共産主義の理論を、です。
それは、やはり 制限されています。
1:12:30
で、私たちは、過去か未来に 沿って、行為しているなら、
それはやはり、 制限されています。
ですね?
ゆえに、甚大な葛藤と混乱を 生み育てています。
明白です。
で、過去や未来に 基づいていない
行為が、ありますか。
なぜなら、すべての時は、 今であるからです。
今、完全である行為は、 ありますか。
理解されますか。
それは、こういう意味です -
何かを明らかに見ることは、 即座に行為することです。
私は、きわめて明らかに見ます。
語り手は、きわめて明らかに見ます -
どの組織にも所属することは
- 特に、霊的な組織、ですが -
全く有害であり、 制限されている、と。
ゆえに、何にも 所属しないのです。
1:13:42
そうです。
なぜなら、何かに所属することは、 私たちに、安全を与えてくれるからです。
私たちは、安心を 感じたいのです。
導師は知っている。
私は知らない。 ゆえに、私は彼に従おう。
それは、一つの形の自己欺瞞、 不安全です。
いいですか?
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1:14:09
で、それを知覚するし、 即座の行為です。
全部 - あなたは、いわゆる霊的な 指導権全体より、自由です。
それが必要とする・
・・ 理解されますか。
それは、強さではありません。 「有るもの」を見る、単なる知覚です。
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1:14:35
12時まで15分です。
1時間と15分です。
あなたたちが疲れていないことを、 願っています。
私たちは、火曜日の朝に 継続するでしょう。
どうぞ、ご注意を 申し上げていいなら、
生は、複合体です。
あなたは、その部分を取って、
「理解した」と言い、 去ってしまえません。
それは、その部分だけではなく、 その全体を、必要とします。
私たちは、ちょうど 始めつつあります
- そのきわめて 小さな部分を、です。
私たちは、恐れ、関係、 冥想、悲しみについて、
話そうとしています -
私たちの日常生活の 複雑な問題全体、です。
1:15:28
あなたは、本を読むなら、 第一章(だけ)を読みません。
あなたは、その最後まで、 読み通さなければなりません。
私たちが、すべての会合に来るよう、 あなたを招待しているわけではない。
あなたが来るのか、 来ないのかを、
私は気にしません。
語り手は、気にしません。
ですが、重要なのは、こうです -
あなたが始めるなら、 まさにその最後まで、行ってください。
その途中で、止まらないで ください。
いいですか?
あなたのエネルギーすべてを、 それに注いでください。
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1:16:02
もう立ち上がっても いいですか。
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