SA84T3 - 思考と分割的な過程。 home
第3回公開講話
スイス、サーネン
1984年7月12日

0:19 ありがたい。少し涼しいです!
0:41 私たちは、 一昨日、話していたことから 継続してもいいですか。 私たちは、自由について 話していました。 そして・ ・・ 私は忘れてしまいました! 私たちは、自由とエネルギーと、 時について、話していたと、思います。
1:43 私たちは今朝、ともに 考慮すべきです - 頭脳の能力とは、何ですか。 頭蓋骨の内側にある頭脳。 その頭脳は、きわめて気をつけて 保護されています - 様々な骨の層、 空気、さらに骨、それから水、 で、それは、きわめて気をつけて 保護されています。 語り手は、脳の専門家では ありません - ありがたい! ですが、頭脳がいかに作動するかを、 自分自身で観察してきました。 頭脳は、とてつもない能力を、 持っています。 テクノロジーの世界で、いかに発達して きたのかが、示されているように、です。 2:59 彼らは、テクノロジーの分野で、 信じがたいことをしています - コンピューターと、 世界中で起きつつある、 信じがたい、 信じられない テクノロジーの物事すべてです。 内的に - 私は、静脈、 骨、動脈、肝臓と心臓、 それら、という意味で、 言っていません。 内的に、心理的に、私たちは きわめて制限されています。 それは事実です。 四万五千年か、それ以上の後で、 私たちはやはり、心理的、内的に、 かなり原始的です。 私たちの頭脳は、信じがたい 能力を、持っていますが、 心理的に、きわめて 制限されています。 ゆえに、私たちは、テクノロジーの 世界を、誤用しています - そして、人間たちが もたらしつつある発明すべてを、 無限の害をするため、 また大きな善をするために、です。 ですが、心理的に、私たちは 頭脳の能力を、 内的に、放置してきました。 4:48 ビャン?(いいですか) なぜですか。 どうぞ、私たちが先日言いましたし、 もう一回、反復しなければなりませんが、 私たちは、ともに観察しています。 客観的に見ています - 単に、主観的に、先入観をもち、 意見をもち、 一定の教義、信念、結論に 取りすがるだけではなく、 ともに、きわめて詳しく 観察しています - なぜ、心理的な世界、 すなわち、全平野 - 思考、 情動、感受、 恐れ、楽しみ、喜びと、 人が通ってきた、 計算不可能な苦しみの平野全体。 なぜ内的に、私たちは こう制限されていて、 自分自身に 関心を持っているのか - 自分の前進に、 自分のいわゆる進歩に、 自分の野心などに、です。 私たちはともに、 それの制限が、見えますか。
6:37 どうぞ、私は、この質問をしています。 それをともに、考慮しましょう。 心理学、精神の区域は、 思考の平野に、あります - そして、思考が掲げてきた 投影すべて、 イメージ、想像、 象徴、神話と、 人間たちが子ども時代より 受けてきた、様々な傷、 人が四万五千年の間、 抱えてきた恐れと、 関係における楽しみ、 性的なのも、他の形での楽しみも、 そして、関係の痛み。 そしてまた、 個人的な苦しみだけではなく、 人類の苦しみ、です。 人はまた、何かがあることを、 考えてきました。 または、望んできた、 願望してきた、願ってきました - 単なる物理的な活動以上の何か、 より大きな何か、 神聖である何かが、です。 人は、時が始まってから、これら すべてのものを、探し求めてきました。 私たちは、いまだに、 手探りしています。 私たちは、いまだに、探し求めています どう逃避するかとか、 どう理解するかとか、 どう、檻(おり)、牢獄を解消するか - 頭脳が、心理的に 捕らわれているところを、です。 私たちは、互いに 理解しあっていますか。 なぜ私たちは、それに注意を 払ってこなかったのですか。 なぜ私たちは、 制限を破ってしまい、 内的に、頭脳のとてつもない能力を、 見出さないのですか。 なぜですか。 それは、私たちがいつも、安全を 探し求めてきた、ということですか。 外面的にも、内的にも、です。 なぜなら、安全は、 必要であるからです。 さもないと、頭脳は、自らの優秀さを 発揮できません。ですね?
10:00 で、物理的に、外面的に、 私たちは、或る種の安全を、 見つけてきたのです - 家族の中での安全、 共同体の中での安全、 より大きな共同体の中と、 民族性、国籍の中での安全。 物理的な、心理的な安全が、 あったのです - 私たちは 探し求めてきました。 それは、明白な事実です。 なぜなら、私たちは 朝食を摂っていなかったなら、 食べ物を摂らず、 衣服を着ていなかったなら。 とうてい、きわめて明らかに考えたり、 無私に行為したりできません。 で、安全は、物理的に必要です。 それは、民族性、国籍、民族主義により 拒否されつつあります。 なぜなら、それは、戦争を生み出すから - その原因の一つであるからです。 フランス、ロシア、イギリス、 スイス - 許してくださるなら、ですが、 ベルギー、アメリカ、インドと、 その他すべての事柄です。 11:24 それは本当に、一つの形の部族主義です - 私たちはみんな、それを知っています。 そして、心理的、内的に、 私たちは関係に、安全を 探し求めました。 ですね? どうぞ、私たちは、 ともに考えています。 あなたはただ、語り手に 聞いていて、 ただ何か観念を受け入れたり、 拒絶しているだけではなく、 気をつけて、頭脳の機能、 複雑な思考を、観察しています。 生きることの過程全体を、 観察しています - 外的にも、内的にも、です。
12:19 私たちは内的に、安全を 探し求めてきました。 神を、私たちは創り出してきました。 思考が、創り出してきました。 あなたは、それに 衝撃を受けるでしょうか。 思考が、それを 創り出してきました。 思考が、様々な儀式を、 組み立て、まとめてきました - 様々な教義、信念、 信仰、儀式を、です。 これは、宗教すべての 共通の要因です。 そして、思考は、心理的に 安全を見つけなくて、 神の概念を投影しました - 古代(ギリシャ、ローマ)の日々より、 ジュピター、ゼウスより、です。 アジア人たちは、自分固有の 古代の神々を、持っていました。 心理的な安全といったものが、 そもそも、ありますか。 質問を理解されますか。 自らは、他の一人に従う - 特に、いわゆる・ ・・ 語り手は、「霊的」という あの言葉が、好きではありませんが、 いわゆる「霊的な」世界で、 自らは、安全を探し求めます。 導師に従い、様々な 伝統的な概念に、従う - カトリック、プロテスタント、 ヒンドゥー教、仏教、イスラム教、 そしてまた、導師。 そして、知識における安全 - いいですね? 14:22 技能における、 様々な形の活動における安全。 慰めて、動揺させて、破壊的ですが、 これらすべての手段をとおして、 安全を見つけようとします。 頭脳は、とてつもない安全が、 必要です。 ですね? さもないと、それは、 明晰に機能できません。
14:56 それで、問いますが、 物理的な安全は、別として - それも、ゆっくりと拒否され、 破壊されつつありますが - 心理的な安全が、いったい ありますか。 いいですか? どうぞ、よく気をつけて、 それを究明しましょう。 なぜなら、私たちのほとんどは、 自らの関係において、 或る種の安定、或る種の安心が、 ほしいからです - 家で寛ぐ感覚が、です。 住宅の中で、ではなく、 内的に、寛いでいること - 誰かと、男、女とともに、 または、何か象徴でもって、 何か概念でもって、です。 または、キリスト教徒は、 そうなのでしょうが、信仰に、です。 16:02 なぜなのか、それが何を意味するかは、 神しか知りませんが、 彼らは信仰に、安全を見つけます。 アジア世界では、 特にインドでは、 疑いが、彼らの宗教の 主要な教説の一つであったのです。 すなわち、自らは、まさに最高の 権威を、問わなければならない、 疑わなければならない、と。 で、その疑い、問い、 探査する中で、 きわめて深く、そう してきたなら、訊ねます - いったい 安全が、ありますか。 質問を理解されますか。 物理的な安全は、持たなければなりません - それは理解されています。 どうぞ・・・ それは、民族主義をとおし、 戦争をとおし、 分割をとおして、 破壊されつつあります。 17:17 国際連合(連合国)と呼ばれる、 独特のものが、行われつつあります。 それは、用語の矛盾です。 国々は、連合できません。 それらはいつも、分離的、 分割的です。 ですね? それらはけっして、連合できないし、 ゆえにそれらは、いつも戦争をしています。 もっと多くの軍備を得ている、 などなど、です。 私が、それらに入らなくてもいい。 私たちはみんな、それを知っています。 誰も、「これらを止めよう」と 言うように、思われません。 宗教は、それを奨励します - この分割を、です。 カトリック、プロテスタント、 ヒンドゥー教、仏教と、 私にとっては、 そのすべての戯言が、です。 18:09 この分割、分割的な過程は、 世界中で進んでいますが、 それが、大きな葛藤、抗争を もたらしつつあります。 内的にもまた、 私たちは、分割的です。 私たちは、人間として、 砕けてしまっています。 ですね? 断片化していて、けっして 全体的、全包括的ではありません。 そして、自らが、もっと深く 探究しはじめるなら、 いったい安全が、ありますか。 自らは関係に、安全を 見つけようとします - その「関係」という言葉を、 見つめましょう。
19:11 関係とは何ですか。 関係していること、 接触していること、 もう一人との意思疎通を、 完全にしているので、 分割的な過程が、 進みつつないこと。 理解されますか。 この関係は、何ですか - 世界中で、ほぼあらゆる人において 観察されるように、 それは、常なる葛藤です。 結婚した人々や、 結婚していない人々に、 私が、そう言うことは、 正しいのでしょうか。 私たちがみんな、少なくとも、 それについて同意するのが、 私は、うれしいです。 語り手は、うれしいです。
20:25 なぜ、この分割が、 ありますか。 頭脳は、安全を 探し求めています。 けれども、その頭脳こそが、 分割を創り出しています。 いいですか? それは、思考ですか。 思考が、関係に、分割を 創り出していますか。 いいですか?
21:00 そのとき私たちは、思考とは何なのかを、 きわめて深く、探究しなくてはいけません。 あなたたちの幾人かは、語り手が 思考の動き、思考の起源を 説明するのを、聞いたことが あるかもしれませんが、 彼らは、語り手が言うのを、前に おそらく千回、聞いてきたことを、 脇に置いて、新たに 始めてくださるなら、ですが、 思考の起源は、何ですか。 思考は、テクノロジー的に、最も すばらしい世界を、創り出してきました。 いいですか? 信じがたいことを、 思考は、してきました - 医療、外科手術の世界において、 ホメオパシーにおいて、いいですか? 兵器を生産することなど、 コンピューターにおいて、です。 私たちは、コンピューターについて 少し後で話すでしょう。 それは、大いにおもしろい!
22:19 思考はまた、分割を 創り出してきました - あなたと私、妻と私の間に、です。 よろしいですか。 この分割の過程全体は、生を とおしてずっと、進んでいます。 思考が、それの原因ですか。 どうぞ、気をつけて、 見つめてください。 見出しましょう。 思考が、この分割的過程の 原因であるなら、 私たちは、はるかに深刻な質問を、 しなくてはいけないでしょう - 思考はいったい、一つの区域に おいて、完全に機能できるが - 物理的な世界において、 日常的な世界において、です - 心理的な世界では、完全に 終わられるのかどうか、です。 ヴザヴェ・ コンプリ(理解できますか)? 私が言っていることを、理解されますか。 私たちは、見出そうとしています。 ゆっくり行きましょう。
23:32 私が言語を学ぶとき、 思考が機能しています。 私が学ぶとき、 自らが様々な技能を学ぶとき、 自らがスキーをするとき - いいですか? 様々な船を建造するとき、 思考はそこで、とても活動的です。 思考はまた、心理的に、 とても活動的です。 ですね? 私たちは、訊ねています - 思考は・ ・・ どうぞ、聞いて、これに 注意を払ってください。 あなたがよろしいなら、あなたが、 あまりに疲れていないなら、ですが、 思考は、この分割的な 過程の起源ですか。 キリスト教の神、ヒンドゥー教の神、 イスラム教の神、などなどなど、です。 神は、一つの神でなければ なりません - いいですか - そもそも、神であるには、です。 ですが、思考は、その哀れなやつを、 分割してきました!
24:54 で、よく気をつけて探究 しましょう - 思考とは何ですか。 なぜ思考は、私たちの生において、こんなに とてつもない役割を、果たしますか。 そして、考えるとは、何ですか - それは思考と同じです。 考えるとは、何ですか。 記憶がないのなら、あなたは - 自らは 考えることができないでしょう。 明らかですか。 それは、記憶喪失の状態でしょう。 で、記憶は、思考にとって 必要です・ ・・ ここは、小さな国です。 思考は、記憶の応答です。 記憶は、蓄積された知識から 出てきたものです。 ですね? 知識は、経験をとおして 集められます - いいですね? 科学的な世界でのその知識は、 ちょっとずつか、一足跳びに、 集められます。 ですね? 常に蓄積しています。 27:30 その知識は、経験に 基づいています。 経験は - どうぞ、気をつけて、 ともに、それに入ってください。 経験は、制限されていますか。 いいですか? いったい、完全な経験が、 ありえますか。 その言葉「経験」は、 どういう意味ですか。 私はただそれを、声に出して、 考えているだけです。 経験する - あなたは、 車を運転しているなら、 自らは車を運転していて、 事故があるなら、それは経験です。 その経験から、 あなたは、学んできました。 自らは、もっと見守るよう、 学んできました - 道路すべて、300ヤード先などを、 観察するよう、はるかに多くを、です。 さて、私たちは訊ねています - 経験は、制限されていますか。 そして、経験している経験者は、 誰ですか。 いいですか? 神様!
29:45 この質問をすることは、 かなり重要です。 私たちはみんな、 経験したいのです。 あなたが若いとき、 性的な経験です。 あなたは年を取るにつれて、 宗教的な経験です。 そして究極的に、 啓明の経験です。 または、あなたがそれを、どう 呼びたいと思うにしても、です。 さて、経験している経験者は、 誰ですか。 いいですか? 質問に、付いてきていますか。 自らは、働き、実践します - 一定の形のいわゆる冥想を、です。 それは、冥想ではありませんが、 私たちは後で、それに入るでしょう。 来る日も来る日も、 来る日も来る日も、それを実践する。 彼は、その過程において、 一定の想像力豊かな状態や、 何か幻影を、経験しつつあります。 30:52 そして、経験しつつある 経験者が、あります。 さて、経験者は、誰ですか。 経験者は、彼がしようと している経験より、異なっていますか。 質問を理解されましたか。 私は - 自らは・ ・・ 私は、私自身で通しましょう。 私は、神を経験したいと思うなら、 または、聖なる状態を、です。 どうぞ、私はそれを、貶していません。 私は、冷笑的になっていません。 その神、その啓明、 啓明の概念 - 思考がそれを、 投影してきました。 ですね? 私は、思考が差し出してきたものを、 経験したいのです。 何が起きつつあるかを、 見てください。 私は、何かを投影します。 それから、その何かを経験します。 32:17 いいですか。 これは明らかですか。 すなわち、私は、何か 想像上の神を、投影します。 私は、働き、実践します - 思考が創案してきた、その神の境地を、 達成するか、経験するために、です。 で、私は、きわめて明らかでなければ なりません - 経験者は誰ですか。 いいですか? 確かに、経験者は、すべての 蓄積された記憶です。 ですね? 蓄積された知識、です。 彼が、何かを経験するとき、彼が それを認識しなければなりません。 さもないと、それはまったく経験ではありません。 ヴザヴェ・コンプリ(理解されますか)? 彼が認識するなら、 彼はすでに、知っています。 これらを理解されますか。 で、かくして、経験は、きわめて、 きわめて制限されます。 ですね? 科学的な世界では、 知識が、少しずつ、少しずつ 付け加えられます。ですね? 33:34 または、ここ百年の間に、 それは、飛躍してきました。 ですが、それは、やはり 制限されています。 ゆえに、完全な経験は けっして、ありえません。 なぜなら、経験は、いつも 制限されているからです。 明らかですか。 私たちは、理解しますか - それは、言語的な説明ではなく、 それの事実、真理を、です。 すなわち、経験者は過去です。 その経験者は、 どの種類の経験をも、するとき、 彼はそれを、何か自分が経験している こととして、認識しなければなりません。 それは、彼は、前に起きていたことを、すでに 知っている、という意味です。 ですね? で、経験は、いつも 制限されています - 神の経験でも、 特定のキリスト教の神や 象徴や人物の経験でも、 自らの神々をもった アジア世界においても、です。 34:57 どの種類の経験も - 科学的なのや、心理的なのも - いつも、制限されているに ちがいありません。 それは明らかです。 ゆえに、知識は いつも、制限されています - 今でも、未来にも、です。 ですね? あなたが、それを観察するなら、 それは、とても明らかです。 で、思考と記憶は、 制限されています。 で、思考は、制限されているので、 分割的であるにちがいありません。 何でも制限されているものは、分離的で あるにちがいありません。ですね?
35:47 私は自分自身について、考えているなら - 私の前進、私の野心、 私の達成、 私がいかにすばらしいのかとか、 私がいかに愚かなのか、 などについて、です。 私自身について考えることは、 きわめて小さな事柄です。 ですが、その小さな事柄は、 拡張できます - 私は、「私は宇宙・ 万物について 考えている」と言います。 それは、やはり 制限されています。 ですね? で、思考は、どの分野で、 何をしようとも、 テクノロジーの世界でも、 心理の世界でも、 制限されているに ちがいありません。 ゆえに、その行為は、いつも 制限されるでしょう。 ですね? それは、なかなか・・・
36:41 で、思考の、時への関係は、 何ですか。 いいですか? あなたは、その質問をしていますか。 私は、それを訊ねています。 私たちは、時は、過去、 未来と現在であると、言いました - 今に収容されている、と。 いいですか? それは、明らかですか。 思考と時は、過去です - 過去の記憶、過去の知識、 過去の経験であり、 頭脳に、記憶として 蓄えられています。 そして、未来は、 その記憶より、投影されます。 その未来は、今です。 ですね? それは明らかですか。 いいえ、そうではないと思います。
37:48 私たちは、過去の結果です。 ですね?  明白です。 生物学的にも、 長い進化の期間をとおして、 そして、心理的にも、です。 私たちが持っている、 蓄積された記憶すべて、です。 いいですか? で、過去は、記憶です。 ですね? 未来は、過去の記憶より、 投影されます。 で、未来は、すでに過去です。 なぜなら、 それは、過去の一部であるからです。 未来は、過去の一部です。 いいですか? 明らかですか。いいえ?
38:52 ごらんください。それを はるかに単純にしましょう。 私は、すべての私の記憶です。 ですね? 私は、すべての私の記憶です。 私は、記憶です。 たとえ私が、私は神だと、言うと しても - 内的に何かがある、と - それはやはり、記憶です。 で、私の存在全体が、 記憶です。 あなたが、それに論駁するか、それに 同意しないだろうことは、知っていますが、 事実を見てください。 記憶を持たないなら、 あなたは、ありません。 ですね? で、あなたは、 記憶の束全体です。 その記憶、それら記憶は、未来を投影します - 「私はそうでなければならない」、 「私はそうであってはならない」、 「私は暴力的であってはならない」と。 で、それは、過去の、 未来へ向かう動きです。 ですが、その未来は、 現在です。 私はこれを、つづけられません。 いいですか?
40:20 で、現在、今は、すべての時を、 収容しています。 さて、思考の、 時への関係は、何ですか。 理解できますか。 私たちの頭脳を使うことが、 必要です - ただ眠り込んで、誰かがあなたへ、 それについて、すべてを語るのではない。 私たちは、私たちのどちらも、 行為しています。 私たちの頭脳の能力を、 行使しています。 私たちは、質問をしています。 私たちは、よく気をつけて、 時とは何であるかを、 互いに説明してきました - 時の動き全体が、 今にあります。 私たちはまた、思考の本性を 説明してきました。 思考の、時への関係は、 何ですか。 41:34 ヴザヴェ・コンプリ(理解されますか)? それらはどちらも、同じではないですか。 で、思考は時です。 すなわち、私は、知識、経験を 持つために、時が必要です。 で、時と思考は、一緒にあります。 それらは、分離した動きでは ありません。 ですね? 私たちは、これが 事実として、見えますか - 或る人物により説明された 観念として、ではなくて、です。 私たちは、それが 事実として、見えますか。 あなたが持っていることを、 抽象化して - 事実から観念へ - そして、 観念を追求するのではない。 ヴザヴェ・ コンプリ (理解されましたか)? 私たちは、一つの講話に、あまりに 多くを、入れすぎていますか。 タンピ(まあ、いいか)。 なぜなら、これを理解することは、 重要であるからです。 時は、思考より 分離していますか。 42:50 または、思考が時ですか。 もちろん、そうです。 で、何が起きるのかを、 見てください。 思考が時であり、 思考が今であるなら、 思考が時であるなら - 私たちは、思考は時である、 と言いました。 ですね? そのとき、関係は何ですか。 理解されますか。 自らの、他の一人との関係は、 何ですか。 私たちは、それに、 違った接近を、するでしょう。 私たちは、生きます。 生は、関係です。 関係なしに、生はありません。 大地への関係、 水へ、 あらゆる物事へ、 自然へ、 大地のすべての物事へ。 私たちは、それに 関係しています。 私たちは、女や男と、はるかに 親密に関係しています。 44:40 その関係には、 葛藤があります。ですね? 男は、自分の野心を 追求します。 男は、自分の充足を、性的にと 他の形で、追求します。 女も、同じことをします。 ですね? 彼らはおそらく、性的に出会いますが、 すべての時に、分離しています。 何が、この分離を、 もたらしてきましたか。 私たちは、思考が、と言っています。 いいですか? それは明らかです。 で、どうぞ、気をつけて、 これに付いてきてください。 私たちは、思考は時である、 と言いました。 男と女の間などの、この分割は、 思考により、もたらされています - 愛ではない。
45:52 で、その問いへ、 入らなくてはいけません。 とても多くがありますが、 その問いへ、です。 愛とは何ですか。 愛は、時ですか。 それへ入ってください。 働いて、見出してください。 愛は、時ですか。
46:17 愛は、思考ですか。 あなたが誰かへ、「私はあなたを 愛している」と言うとき - 私は、あなたが本気で そう言ってほしいと、望みますが、 その愛は、表現ですか。 または、あなたの自己充足より 出てきたものですか - それが、性的であっても、 その他であっても、です。 いいですか? すると、では、なぜ この分割が、ありますか。 私は、愛の問いへ、 さらに入らないでしょう - あなたが望まれるなら、 私は今、それに入るでしょうが。 神様! すでに、11時20分です。 よろしいです。 それに入りましょう。 愛は、思考ですか。 思考の動きですか。 理解されますか。 それは、こういう意味です - 愛は、時の産物ですか。 どうぞ、気をつけて、あなた自身の中で、 それを見守ってください。 47:33 または、愛は、楽しみですか。 楽しみは、生において、 とてつもなく重要になったのです - 娯楽、スポーツの産業全体、 宗教的な娯楽、ですね? そうね、教会 - あなたは、娯楽で 楽しむために、そこへ行きます。 新しい種類の感動を 得るために、です。 で、愛は、 思考、時、楽しみですか。 そして、愛は、欲望ですか。 愛は、所を 持っていますか・ ・・ いえ、思考は、愛に 所を持っていますか。 はい、進んでください。 思考が、愛に 所を持っているなら、 その愛は、制限されています。 制限されているものは、葛藤を 創り出すにちがいありません。 ですね? これは、論理的です。 健全さです。
49:06 で、あの香りを持つことは、 可能ですか - 愛と呼ばれる、 あのとてつもないものを、です。 それは、自らの生における、 大いなる炎です - このすべての苦労なしに、 このすべての分割なしに、です。 理解されますか。 それは、自らが、きわめて、 きわめて深く理解するか、 即座に知覚しなくては いけない、という意味です - 思考、時、楽しみと欲望の 本性を、です。 いいですか?  それらは、すべて、 相互に関係し合っています。 それらは、分離したもの ではありません。 思考、時、楽しみ、欲望は、 一つです。 それらは、相互に 関係し合っています。ですね?
50:22 で、あの香りを捉えるには、 それが、自らの生すべてに、留まるには - 何も分割なしに、です - 欲望を、理解しなければ なりません。 いいですか? 欲望は、私たちのほとんどにとって、 とてつもなく重要です。 神への欲望、 新しい家への欲望、 自分が一緒に、もっとうまく やってゆける、誰かへの欲望、 もっと多くの富への欲望、 もっと大きな平和への欲望、 そうね、欲望です。 私たちのみんなの中で、猛烈に、 燃えさかっているものです。 欲望は、私たちの生において、 きわめて顕著であったのです。 思考のように、です。 そして、様々な宗教は、 「欲望を抑圧しなさい」と 言ってきました。 あなたが、修道院、 僧院へ入るとき - あなたは、修道院へ入っていたことが、 ありますか - あなたたちの誰かは? 私は、一個所へ入っていました。 語り手は、一個所へ入っていました。 それは、大事なことではありません。 52:17 そこでは、修道院、僧院の中、 そして、何の組織もなく、地上を 彷徨っている僧侶たちの中では、 彼らは、欲望を持っています。 欲望は、危険なものなので、 彼らは、「女を見るな」と 言います - 「神に傾倒するだけにしろ」とか、あなたが 傾倒するのが、何であっても、です。 人はいつも、欲望を抑圧しよう、 制御しよう、形作ろうとしてきました。 いいですか? 若いとき、あなたは、何かばかげた 小さなことを、欲望します。 それから、年を取るにつれて、あなたは、 地位、権力、お金、身分を欲望します。 あなたは、はるかに年を取るにつれて、 そのとき、何か平和を欲望します。 そのとき、あなたは、不滅を欲望します - そういうものがある、としてですが。 そのとき、あなたは、死の恐れより、 闇より、逃避したいと欲望します。 53:41 生の始まりから、生の終わりまで、 自らは、欲望により苦悶します - その楽しみでもっても、です。 ですね? そして、私たちが言いましたように、 愛は、欲望ですか。 愛は、楽しみですか。 楽しみは、自らの欲望の 充足に、あります。 私は、車を欲望します。 それを得るとき、私は幸せです。 私は満足しています。 全くそうでもない。 なぜなら、私は、 もっと大きな車が、ほしいからです! などと、です。 欲望は、その充足において、 満足をもたらします。 その満足、満悦より、 大きな楽しみの感覚が、 あります。 ですね? 私たちは、自分の欲望を十分に 表現するために、 想定可能なことすべてを、 やってきました - それは、自由と呼ばれます。 あるいは、別の極端へ行き、 欲望を抑圧します。 55:19 これが、人の、常なる 動きであったのです。 いわゆる霊的な世界においても、 外部世界においても、です。 欲望の拡張と収縮です。 今、私たちは、 見出そうとしています - 欲望の起源、始まりは、 何ですか。 私たちは、私たちは 抑圧しなければ、とか、 充足しなければならないとか、 言っていません。 私たちは、しようとしています - しようとしているのではない。 私たちは、欲望の動き全体を、 観察しています - まさに始まりから、まさに 終わりまで、です。 いいですか? 欲望とは何ですか。
56:31 私は、あの列車が 通り過ぎるのが、聞こえます。 そして私は、あなたが言っている ことを、聞きたいと思います。 私は、あの列車が、 あんなに大騒ぎせずに、 すばやく動き、去ることを、 欲望します。 ですね? すなわち、騒音が聞こえる。 あの騒音から、感受。 そのとき、その感受より、欲望は、 「どうぞ、私はあの列車が、 そんなにしょっちゅう通り過ぎない だろうことを、願う」と言う。 さあ、来ました! 聞こえるのは、感受です - 気持ちいいのか、よくないのか。 それが、気持ちいいなら、 私はそれを、保ちたいと思います。 それが、気持ちよくないなら、 私はそれを、押しのけたいと思いますが、 57:44 それはやはり、感受です。 いいですか? その感受は、必要です。 さもないと、私は聾唖です。 で、感受があります。 そのとき、思考が入ってきて、 「私は、列車がしょっちゅう 通り過ぎなかったらいいのと、 思う」と言います。 理解されますか。 感受は、正常で、 健康的で、自然です。 そのとき、思考は、イメージを作り、 「それが起きなかったら、いいのに」と 言う。 または、 それに起きてほしいと思う。 で、思考が、感受を形作ったり、 制御したり、それに意図を与えるとき、 その瞬間に、 欲望が生まれます。 58:47 それは、明らかですか。 私たちは、この事態について 明らかですか。 すなわち、あなたは、 男であるなら、女を見ます。 それを、あなたは よくよくご存じです。 または、あなたは、大きな権力、地位、 身分に就いている誰かを、見るなら - あなたは、彼を見ます。 そして感受が、そこにある。 見ることは、感受です。 そのとき、思考が来て、 「私が、あの権力、あの地位を、持っていた ならいいのに」と言う。 ですね? 思考が、イメージをとおして、 感受に形を与えるとき、 その瞬間に、欲望が生まれます。 明らかですか。
59:51 さて、私たちが言いましたように、 感受は、正常で、健康的で、自然です - 自らが麻痺して、聾唖で、まったく 反応がないのでなければ、です。 さて、それは正常です。 そのとき、思考が 即座に来ます。 その感受に、形を与えます。 その瞬間に、欲望、です。 さて、どうぞ、 これを見守ってください。 感受と思考は・ ・・ 思考は、緩やかであり、 感受を捉えないでいられますか。 質問を理解されますか。 理解されますか。 いいえ、神様! 語り手は、働いていますが、 あなたは、そうではない。
1:00:59 私は、美術館へ行きます - 私はめったに、 そうしたことが、ありません。 なぜなら、樹々の美術館、 山々のほうが、 世界のどの美術館より、 はるかに美しいからです。 あなたは、美術館へ行って、 絵画を見ます - すばらしい絵画です。 あなたは、 その美しさを見ます。 そのとき、思考は、「何ともまあ、 私がそれを持てたらなあ」と言います。 「私は、自分の部屋に、空間が あるところに、それがほしいな。 私は、それをそこに掛けておいて、 毎日、それを見たいな」と。 あの絵を見ることは、 正常ですが、 思考がそれに入るとき、欲望が、 それを所有するよう、生まれます。 1:01:50 さて、感受と思考は、しばしの間、 別に分けておけますか。 質問を理解されますか。 そこで、あなたは、 ものすごい鋭敏さが、必要です。 いいですか? これらを別に分けておく。 それは、鋭敏さが、自らの大きな修練を 持っている、という意味です - 順応の、服従の 従うこと、実践することの 修練、規律ではなくて、 その、感受を見ることは、 必要ですし、正常です。 欲望は、思考の動きです。 これら二つを、別に分けておく。 あなたは、そうするなら、 思考がいかにとてつもなく 速いのかが、分かるでしょう。 あなたが見る瞬間、 思考がそこにある。 1:03:03 で、ものすごく鋭敏であること。 で、思考と感受は、別に 分けておかれています。 そのとき、抑圧も、充足も ありません。 その鋭敏さだけが、あります。 その鋭敏さ、その見守り、 それの強烈さは、それ自らの修練です。 理解されますか。 「修練(ディシプリン)」と いう言葉 - それは、「学徒(ディサイプル)」と いう言葉から、来ています。 学徒は、学ぶ人です。 学ぶ - 師匠が言っていることを、 学ぶのではなく、学んでいる。 あなたはそれを理解されるのか どうかと、思われます。
1:04:00 私たちは、学びについて 考えます - あなたは、これらに 入りたいと思いますか。 私は、進むでしょう。 それは、あなたしだいです。 学びは、 とてつもない機能です。 知識の蓄積だけではない。 理解されますか。 あなたは、学校、専門校、 大学へ、行きます。 もしあなたが・ ・・ または、工場で、です。 そこで、あなたは、 知識を蓄積しています。 また、あなたは、自分自身について、 知識を蓄積しています。 あなたは、 「私は記憶です」と言うとき、 あなたは、それを学んでしまったし、 それを反復します。 ですね? ですが、学びは、 何か全然違ったことです。 あなたが行き詰まっている 瞬間が、けっしてありません。 で、いつも動いています。 1:05:12 それにより、頭脳は、 とてつもなく活動的になります。 知識は、関係において、 最も破壊的なもので あるかもしれません。 これを捉えておられますか。 なぜなら、知識があるところ - 「私は妻を知っている」 - 何と、ひどい言いぐさですか。 あなたがそう言うとき、それは、 あなたが結論に到った、という意味です - あなたは、彼女について イメージを築いてきたのです。 そして彼女は、あなたについて、 イメージを築いてきたのです。 当然です。 あなたが、「私は妻を 知っている」と言うとき、 その知識は、 分割的な要因になります - あなたと妻との間で、です。 で、それは、きわめて 根源的な疑問を、喚起します。
1:06:26 頭脳は、あらゆる物事を記録する 機能を、持っています。ですね? 記録する。 あなたはそこに、座っています。 語り手は、この上に、座っています - 権威のためではなく、 ただ、便宜のために、です。 演壇は、彼に 権威を与えません。 私は、あなたたちに、物語をしなければ なりません - かなり、おもしろいです。 私たちは、インドに、 ボンベイにいました。 或る導師の数人の弟子たちが、 私たちに会いに来て、 こう言いました - 「あなたは、 彼に会わなければなりません。 彼は、とてつもない人です。 彼は達成しました。 彼は、あなたに会いに 来てほしいんです。 私たちは、彼に会いに来るよう、 あなたを促します」と。 私たちは、「すみません。 私は、導師を追いかけて、 1:07:24 出かけていきません」と言いました。 私は、もっと礼儀正しかった。 三日か四日の後、彼らは、 来るように、導師を説得しました。 私たちはたまたま、二インチほどの 厚さの敷物の上に、座っていました 五十センチメートルとか、 それ以下ではなくて、です。 彼が入ってきたとき、私たちは、 当然、立ち上がり、 彼に敷物を、勧めました。 彼は、そこに座り、 脚を組んだ姿勢を、取りました。 そして、あの小さな高さゆえに、 権威になりました! 理解されますか。 ヴザヴェ・コンプリ? それが生です。
1:08:18 で、私たちが 言っていましたように、 関係における知識は、本当に、 大変危険な要因です - すなわち、関係を 破壊するものです。 あなたは、彼女について、 イメージを築きます。 彼女は、あなたについて、 イメージを築きます。 あなたが、そのイメージを持って、 彼女が、そのイメージを持っているとき、 彼女は知っています - 「私は夫を知っている」と。 あなたもまた、反復します - 「私は妻を知っている」と。 で、自らは - どうぞ、これに 付いてきてください - 自らは、関係において、唯一つもイメージを 創り出さずに、生きられますか。 それを見出すには - それが 可能であるのか、ないのかを、です - 記録するこの過程全体を、 はるかに深く 探究しなければなりません。 理解されますか。 頭脳は、記録しています。 今、頭脳は、あなたが聞いているなら、 言われつつあることを、記録しつつあります。 1:09:38 関係において、記録する過程が、 進んでいます。 彼女は或る日、私に、「あなたは 馬鹿よ」と言います。 ですね? それが、記録されます。 それは、印影を残してきました。 それは、私を傷つけてきました。 または、或る日、彼女は、 「あなたはずっと、 すばらしかったわ」と言います。 そうね、「ダーリン、あなたは 昨日、私にとてつもなく すてきだったわ」と。 それは、記録されます。ですね? で、私たちの頭脳は、外的にも、 内的にも、記録しています。 そのとき、問いはこうです - 物理的に、一定の物事を記録するが - 理解されますか - 心理的に、何一つ、 記録しないことは、可能ですか。 すなわち、自分の妻が、「あなたは、 ひどい人ね」と言うとき、 それを記録しないのです。 1:11:01 彼女が、「あなたは昨日、 私にすごく親切だった」とか、 「あなたは私に、こんなに楽しみを 与えてくれた」と言うとき、 記録しないのです。 いいですか。 それで、頭脳は、 記録しています - 物理的に、日常生活で、 必要なとき、です。 そして内的、心理的に、 けっして記録しないのです。 そうです! その記録は、知識です。 その記録は、イメージです - あなたと私、彼らと我ら、 彼女と私や、 私と彼を、分離するもの、です。 理解されますか。 さて、その記録は、関係において、 けっして起こりえませんか。
1:12:06 もう止める時間ですが、 これらを聞くことは、 何になりますか。 あなたは、これらより 何を学びますか。 あなたは、聞いて、去って行き、 古い様式を反復しますか。 そのとき、聞くことの 価値とは、何ですか。 あなたは、強烈さをもち、 見出したい、 違った種類の生を生きたいとの 熱情をもって、聞くのか。 あなたは前に、間違ったことを してきたかもしれません。 あなたは、他の一人へ、何か 害を加えてきたかもしれません。 悔恨、罪悪、その他すべて、 それは去ってしまい、 それとともに生きない。 で、そうね、熱情的に 見出すには - あなたが、お金をほしいように、 あなたが、セックスをほしいように、 あなたが、空腹であるように、 あなたは、ものすごく活動的です - この記録が 終わりうるのかどうかを、 あなた自身で 見出すように、です。 それで、あなたと私の間、 あなたの妻とあなた自身の間に、 何の葛藤もないように、です。 1:13:58 分割的であるのは、この記録です。 記録が、私です。 自己です。 そして、冥想は、 その記録が終わること、 - 理解されますか - 全的に終わることです。 脚を組み、眼を閉じて座り、 或る種の芸当をすることではない。 それはすべて、戯言です。 これには、甚大なエネルギー、 熱情が、必要とされます - それは、自らのものすごい 修練を、もたらします。 それは、学ぶ、という意味です。
1:14:56 12時まで15分です。 止めてもよろしいですか。
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