SA85Q2 - 第2回質疑応答会合

スイス、サーネン
1985年7月24日
テキストのみのバージョン
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1:30
私たちの問いを、つづけましょうか。
当分の間、 (出された)質問を忘れましょう。
私たちはそれへ、戻ってくるでしょう。
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2:00
私たちみんなに、何が 起きているのでしょうか -
この世界は、すっかりひどいのですが、 そこに生きていて、です。
あなたは、そもそも旅行を したことが、あるなら、
旅行することの危険が、見えるでしょう
- 空港の爆破、テロリスト、 その他すべて、です。
あなたは、それらを見つめるとき、
どのように世界に、向き合うのでしょうか。
私たちは、老いているかもしれません。
しかし、来たるべき世代、 孫、子どもたちなど -
彼らに、何が起きようと しているのでしょうか。
あなたは、そもそも それを、考慮するでしょうか。
来たるべき世代の未来は、 何でしょうか -
あなたは、その一部です。
私たちはどのように、彼らを教育するの でしょうか。
教育の目的は、何でしょうか。
推測するに、私たちはみんな、 教育を受けています。
私たちは、学校、専門校、大学へ 行ってきました - 運が良ければ、です。
または、私たちは 自分自身を教育してきました -
世の中で起きているこれら すべての出来事を見つめ、
それから学ぶことによって、です。
しかし、その学びは、 とても制限されています -
とても小さく、狭い。
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4:12
もしも、子どもと孫たちや、
ひ孫、玄孫を持っていたなら、
私たちは彼らを、どのように扱うの でしょうか。
私たちの反応は、何でしょうか。
私たちは、彼らについて、 まったく関心がないのでしょうか。
アメリカでは、家出する子どもが
五十万人ほどいるのだと、思います -
ニューヨークと、 売春とそれらに終わるのです。
それらが何を意味しているかを、 理解できますか。
このような国、残りの世界の一部には、
貧困がなく、スラムがない。
本当に文字通り、 飢えている人々が、いないのです。
アメリカには、イングランドには、
スラムがあります。
おそらく パリにもです。物乞い、
そして、インドとアジアの、 あれらすべての人々、です。
それは、まったくおぞましい。 不面目です。
5:38
私たちは、自分たち自身と、 来たるべき未来の世代を、見つめるとき、
彼らには、何が 起ころうとしているのでしょうか。
その同じ様式が、反復されつつあるのか。
同じ冷淡さ。
何千何万を殺すため、そして殺されるために
軍隊で訓練されることの無責任。
私たちの責任とは、何でしょうか。
または、あなたは、それらについて まったく考えたくないのでしょうか。
または、私たちは、自分の楽しみ、 自分の問題、
自分の自己中心的、
自己本位の活動に、 関心があるのみでしょうか。
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6:47
これは本当に、とても深刻な問いです
- 脅かし、苦悩させます。
自らは苦々しくなり、怒るのか、
あるいはまた、お手上げです。
あなたが、このすべてを見つめるとき、
私たちの責任は、何でしょうか。
そのすべての苦悩。
理解されますか。
私たちは何をしますか。
私たちは、適切な学校を持っていますか。
これらにおいて、知識は どんな持ち場が、あるのでしょうか。
それが、理論的でも、 物理的な知識でも、です -
理論物理学者たちなど、です。
私たちは、これらへ どういう関係を、持っていますか。
拷問 -
あらゆる国が、他の人間たちの 拷問に、耽溺してきました。
8:38
私の母が拷問されるかもしれない - 理解されますか。
私の息子、私自身が - 私自身ではない -
何か情報のために、 拷問されるかもしれない。
何か国家主義的、共産主義的、
何か民主主義的な理由のために、です。
北アイルランド、ベイルートなどで、 アフガニスタンで
何が起きているのか。
私たちは、涙を流すのでしょうか。
または、何もできないので、 冷笑的に、苦々しくなるのでしょうか。
そして、これらに お手上げでしょうか。
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9:45
で、私たちは、これらすべてのことを、 考慮しなくてはいけません -
単に、自分たちの前進、自分たちの幸せ、
自分たちの自己中心的な 活動だけでなくて、です。
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10:10
私たちは、(出された)質問を、 つづけてもいいでしょうか。
たぶん、そのほうが、心地いいし、 私たちのエネルギーと
頭脳の能力に対して、挑戦が 少なく、要求が少ないでしょう。
頭脳は、とてつもない能力を 持っています。
あなたが、テクノロジーの世界の 前進すべてを、見守ってきたなら -
医薬の分野での
エネルギーの量
- それが正しくても、間違っていても、 それは私たちの関心事ではありません -
テクノロジーの分野、コンピューター、
外科手術、眼の手術で、
ものすごい前進、
計算不能な前進です。
それは、ますます進んでいます。
他の方向には、頭脳は とても制限されています。
その制限は、テクノロジーの 世界により、使用されつつあります。
11:38
私たちは、非情に搾取されつつあります。
アフリカには、 飢餓をとおして意図的に
殺されつつある一部族が、あります。
人々全部が、自らの国から
その国の他の地方へ、自らの故郷から
はるか遠くへ移されて、です。
共産主義者たちは、それをやってきました。
彼らは、いまだにそうしています。
彼らの強制収容所です。
暴政の強制収容所だけではなく、
また、導師たちの強制収容所も、です。
ですね?
私がそう言うことは、 気になさらないですか。
そして、世界の修道士、僧侶 すべての強制収容所。
これは本当に、ものすごい問題です。
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13:05
第一の質問: 「何かを理解するとき、
この理解によって、 行為しなければならないのですか。
または、理解が、それ自体で、 行為しますか。」
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13:21
「何かを理解するとき、
その理解によって、 行為しなければならないのですか。
または、理解が、それ自体で 行為しますか。
」
いいですか。問いは明らかですか。
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13:42
さて、私たちのいうt理解とは、・・・
私は、この問いを見ていません - これらすべての問いを、です。
私は、自発的に、自然に、 そこへ来たいのです。
私たちのいう理解とは、 どういう意味でしょうか。
私たちはその言葉を、たやすく使います。
で、私たちは、その言葉の意味を、
究明し、探検しなければなりません。
私たちは、ともに議論し、 探検しています。
語り手は問いに答えていません。
ともに私たちは、問いを のぞき見ています。
私たちはともに、初めに、言葉の意味を
究明しています。
掘り下げています -
辞書によって、です。
それは、 言語の普通の用法です。
私たちがいう理解とは、 どういう意味でしょうか -
何かを理解する、とは。
14:48
自分自身を理解する、
コンピューターがどう 働くかを、理解する -
それはすばらしいですが。
外科手術の過程全体を、理解する。
私たちがいうその言葉は、 どういう意味でしょうか。
それは純粋に、知的でしょうか - 「私は理解する」と。
それは、二人の人々の間の、 すばやい疎通です。
または、半ダースの人々や、百人の人々との間、 です - それは、大事なことではない。
その言葉の意味のすばやい了解、
頭脳へすばやく翻訳される。
即座に、頭脳へ伝達される。
知能は「ええ、私は理解する」と 言います。
ですね?
すなわち、私は問題を持っている。
私はそれを、論理的に考えぬいた。
私は結論に到った。 私はそれを理解する。
16:02
または、私は、車の分解の 仕方などを、理解する。
すなわち、理解は単に、知的な事柄、
理論的な事柄でしょうか - それについて、私が果てしなく話をできて、
それへますます観念を付け加え、 自分は大きくなっている、成長している、
理解していると考えるところの、 理論ですか。
その理解の中に、 情動的な性質は、あるのでしょうか。
質問を理解されますか。
「これは、まだまだである。
それにもっと 付け加えなければならない」と、
言う何かが、あるのでしょうか。
すなわち、そのとき、 知能がある。
情動がある。
行為がある - ですね?
情動は存在します。
当然です。そう願います。
しかし、それら情動は、 ロマンチック、感傷的になって、
きわめて表面的になったのか。
そして、感情は、頭脳により 認識されなければなりません。
ゆえに、それは頭脳の一部です - ですね?
17:35
感じる感受の、想像の感受の部分 -
想像の感受、 山と、それの美しさと静寂と
威厳と荘厳さを、 見つめることと、
それをキャンヴァスへ表すことや、
それについて詩歌をかくことの感受。
それはやはり、頭脳の活動の部分です。
それら、です。
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18:08
で、知能は「私は理解する」と言いますが、
それは、その残りより 離れているのでしょうか。
または、知能は、判別し、区別し、
決定する能力であり、そして行為ですか。
いいですか?
ゆえに、知能は、他のあらゆる 物事を、支配します。
私はとても利巧である - 私は、自分がそうでないことを、願いますが、
仮に、私はとても利巧であり、 敏い、とします - 知的に、です。
それが、私の生全体を支配します
- ついに、私は老齢に始めます。
そのとき、私は信じます。
そのとき私は、カトリック、プロテスタント、 仏教徒になる - それが何であっても、です。
そのとき、私は、 自分自身とゲームをします。
19:14
で、私たちは訊ねています・・・
私たちは訊ねています -
理解は、全体的な動きでしょうか -
頭脳の行為だけ、 知能の行為だけでなくて、です。
質問を理解されますか。
私たちは今、検討しなくてはいけない でしょう - 行為とは何でしょうか。
自らがすべきこととは、 何でしょうか - 行為とは。
何が行為を決定するのでしょうか。
質問を理解されますか。
何が、行為をもたらしますか。
私たちがいう行為とは、 どういう意味でしょうか - 行為するとは。
質問を理解されますか。
私は、あなたが理解されるのかを、訊ねない ことにしましょう。
もはや訊ねないでしょう。
私たちのいう「行為」とは、 どういう意味でしょうか。
する。
その行為は、理想に基づいているの でしょうか。
または、理論に、
結論に、歴史的な結論に、です。
その結論によって - 歴史的、ロマンチック、弁証法的、
または、想像力豊かなもの。
すなわち、それらを一つの言葉に まとめましょう - イデオロギー的な、です。
21:15
すなわち、私は観念によって 行為します。ですね?
で、観念とは何でしょうか。
私たちはなぜ、こんなに多くの観念を、 持っているのでしょうか。
「観念(アイディア)」という言葉 - それは正しいとか間違っているとか、ではなく、
私たちは、観念という問いを 究明しています。
科学者、物理学者や
科学的な理論哲学者
- 彼らは、観念(アイディア)を欲しがります。
さもないと、彼らは迷った感じがします。
彼らはいつの時も 新しい観念を、ほしがります。
で、私たちは、検討しなければなりません。
私たちのいう観念は、どういう意味でしょうか。
それは、元来のギリシャ語から来ている、と
語り手は思います - それは、 観察する、観る、という意味です。
事実はある。
そこに時計はある。
それは、11時まで10分だと言う。 それは事実です。
22:48
そして、非事実がある。ですね?
非事実は、事実より 全的に離れています。
ですね?
距離です。
それで、事実と、 事実についての観念がある。
それで、私たちは観念を追求します -
観念への究明ではなくて、です。
観念は、事実より はるかに重要になるのです。
社会主義者、共産主義者、 他の人たち、左、右、中道 -
彼らは、観念、理論、 結論を持っています -
歴史的、弁証法的なのを、です。
レーニン、スターリン、
または、アダム・
スミスのような 哲学者と、アメリカの政治家たち。
彼らは人を、それら観念へ 適合させようとします。
24:06
人たちを適合させるために、 彼らは人たちを拷問します。
彼らは、「あなたはこれをできない。
あなたは できない」と言います。付いてきていますか。
で、彼らにとって観念は、人間より、 はるかに重要になるのです -
そちら(人間)は、事実です。
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24:22
で、私たちはこれをしますか。
私たちは、私たちの一人一人は、 いつも動いて、事実を離れ、
その観念を追求し、 その観念に沿って行為しますか -
それは、たぶん事実とは、 何の関わりもないのです!
で、私たちがいう行為とは、 どういう意味でしょうか。
あなたは、自分の過去の記憶、経験に 沿って、行為するのか、
あるいはまた、未来の イデオロギー的な結論に沿って、です。
未来と過去。
で、あなたの行為は、過去に、または 未来に基づいていますか。
ゆえに、それは行為ではない。
ですね?
私たちは、これを 明らかにしつつありますか。
私たちが、一定の記憶、 結論、経験、知識に
応じて行為するなら、
そのとき私たちは、 過去から行為しています。
「行為」という言葉は、 する、という意味です。
25:54
すること -
過去に沿ってとか、 未来に沿ってとか、ではない。
で、問いはこうです - それに 入ってください。
これはとても深刻です -
時に基づいていない行為は、 あるのでしょうか。
悩まないでください。
過去の意義、内容、深い意味を
捉えるならば -
いかに過去が、修正されて、 自体を未来へ投影するのかを、です。
私は、過去に沿って行為するなら、 それは行為ではありません。
それは単に記憶です - 一定の結論に到って、行為、です。
または、行為は、何か未来の 概念に沿って、起こります。
で、それはいつも、 時の分野に、時の循環に
捕らわれています。
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27:13
今、私たちは訊ねています -
時に基づいていない行為が、 あるのでしょうか。
考えぬいてください。
考えぬいてください。私が、
語り手が説明するのを待たずに、 考えぬいてください。
それは、とても単純な問いですが、
ものすごい意味を、 裏に秘めています。
すなわち、私はいつも、自分の伝統に 沿って、行為してきました。
伝統は、一日の古さなのか、 五千年の古さなのかもしれません。
私はいつも、その伝統に 沿って、行為してきました。
伝統(トラディション)が何を意味するかは、ご存じですね。
(語源は)トラダーレ、手渡すこと。
で、私の親、祖父母、 親たち、千の親たちは、
一定の伝統を、手渡してきました -
彼らの思考、彼らの感情の帰結、
様々な世代をとおして 次第に染み出てきたものを、です。
私はそれです。それの一部です。
28:34
それが私の背景です - バラモンと その他すべてです。
私はそれに沿って行為します。
または、私はそれらを拒絶し、 「なんと愚かな!
」と言い、
未来のほうを、見ます。
私はこれをしなければならない、それを してはならない - レーニン、スターリンと
残りの彼らすべてに沿って、です。
私は従うでしょう。
私は、これらどちらをも、 行為と呼びます。
そして私は問います -
これら二つに基づいていない 行為は、あるのでしょうか。
ですね?
時の過程ではない行為。
すみません - あなたは 自分の頭脳を、使わなくてはいけません。
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29:45
あなたはその質問をされるとき、 何をすることになるのでしょうか。
時の輪に捕らわれていない 行為が、あるのでしょうか。
自らの頭脳は、その問いへ どのように反応するのでしょうか。
なぜなら、頭脳はそれへ 条件づけられ、過去、未来に沿って、
形作られてきたからです。
すなわち、時の分野に、 時のネットワークに、
捕らわれています。
ですね?
で、頭脳は当分、引き下がります。
それに答えることができません。
それは言います - 「それはあまりに面倒だ。 後生だから、私を一人にしておいてくれ。
30:48
私はこの様式に慣れている。
それは、その悲惨、苦しみを もたらしてきた。
でもまた、そこには、それを 補償する別の面も、ある。
つづけていこう。
これらの問いをしないでくれ。
とても困難なこれらの問いを、 しないでくれ」と。
それらは困難ではありません。
「困難」という言葉が、 それを困難にするのです。
で、私はその言葉を、使わないでしょう。
私は、行為を 見出さなくてはなりません。
ですね?
私はそれに 入っていいですか。
あなたは、私にそれへ 入ってほしいですか。
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31:44
行為は、愛に関係しています - 記憶に、ではない。
記憶、憶えていること、 イメージは、愛ではない。
感受によってか、それをとおして、 私は行為しますが、
感受は愛ではありません。
ゆえに・
・・
愛の、行為への関係は、 何でしょうか。
付いてきていますか。
愛は記憶でしょうか。
私たちは、ともに出会ってきました。
私たちは、ともに眠ってきました。
私たちはともに、 あらゆる種類のことを、してきました。
ともに、歩いて山を登り、
谷を降り、丘を回り、
チェア・
リフトに乗りました。 交友、けんか、
すべての事柄。
それが、交友、愛情、
愛、手を取ること、それらと 呼ばれます。ですね?
33:09
それのほとんどは、 感受、イメージと
執着に、基づいています。
執着なしには、私は迷っています。
私は、ひどくさびしく感じます。
さびしく感じ、私は絶望的です。
私は苦々しくなる、 その他すべてです。
それらは愛でしょうか。
私たちはそれに 入りました。明白にそれはそうではない。
で、愛と行為との間の 関係は、何でしょうか。
さあ、どうぞ。
愛が時の分野にあるのなら、 それは愛ではありません。
で、愛は行為です。
あなたがこれを 捉えるのかと、思われます。
初めに愛が、後で行為が あるのではない。
または、記憶とそれらが、です。
34:24
で、語り手にとって - どうか、受け入れないでください -
語り手にとって、知覚、 あの愛の性質の間に、
分割はありません。
あの性質があるとき、 それは行為です。
それは、決意や選択の、 知的な過程ではありません。
私は、より錯綜したことへ、 入らないでしょう。
それは、即時の知覚の行為 - 行為です。
いま、私たちは 進まなければなりません。
昨日、私たちは三つの問いに、 答えただけです。
それらが多くあります。
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35:16
第二の質問: 「あなたは、暴力について 多くのことを、言ってこられました。
あなたは、目の前で、自分の友達の一人が 攻撃されるのを、許すのでしょうか。」
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35:31
「あなたは、暴力について 多くのことを、言ってこられました。
あなたは、目の前で、自分の友達の一人が 攻撃されるのを、許すのでしょうか。
」
それは、古き良き問いです。
あなたは、もしも目の前で姉妹が 攻撃されたなら、どうするのでしょうか。
ですね?
同じ問いです。
あなたは、どうするのでしょうか。
彼を叩きのめしますか。
銃で撃ちますか。空手ですか。
「空手」というその言葉の 意味を、ご存じですか。
それは、私に説明されました。
自己がない、私がない。
自分自身を防衛する武術ではない。
で、あなたは、どうするのでしょうか。
36:58
見出してください。
あなたはそこにいます。
夫とともに、 ガールフレンドとともにとか・・・
それらをご存じですね。
誰かがやってきて、
あなたの妻や夫に 暴力を働きます。
あなたは本能的に、 何をするでしょうか。
あなたは攻撃するでしょう。
当然です。あなたは、彼を殴るでしょう。
もしもあなたが、空手とか、或る種の ヨーガの芸当を知っているなら、
彼を転ばせるでしょう。
で、この問いが、私に 出されました。
語り手に、です。
私たちは、人々の通常の 反応を、知っています -
暴力、です。
37:52
あなたが暴力的であるなら、 私は暴力的になろう。
あなたが、私に怒るなら、
私はあなたに、二倍怒るだろう。
あなたが、私をバカだと言うなら、
私は、あなたのほうが 私よりもっとそうだと、言う、
などなどです。
この問いが、私に、語り手に 出されています。
これは、古い問いでした。
語り手がそれに親しんでいる、 ということではなく、
それは、新しい問いです。
私は、すべての問いを、 何か新しいこととして、扱います。
私は何をすべきでしょうか。
あなたは、私を待っていますか。
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38:50
私は暴力的ですか。
私は生涯ずっと、 暴力的な生を生きてきたなら、
そのとき私の応答は、自然と 暴力的になるでしょう。
しかし、私がそうであったように、 暴力なく生きてきたのなら -
物理的な暴力だけではなく、 心理的な暴力も、です。
それは、攻撃、競争、比較、
模倣、順応です。
それはすべて暴力の一部です。
Kはそのように生きてきたように、
私の友だちや姉妹や妻が、攻撃されるとき
- 彼らは、いずれにせよ、みんな 死んでいます。
特に姉妹は、です。
で、私は生きてきたように、 行為するでしょう。
理解されますか。
それは、私がどのように 生きてきたかに、依存します。
生きることの芸術は、最大の芸術です
- 絵画、詩歌すべてではない。 それは芸術の一部です。
40:19
しかし、最大の芸術は、 生きることの芸術です -
誰かに沿ってではなく、 自分自身で、至高の芸術を
見出すことです。
もし私が、生涯に
一回、二回を癇癪を起こしたなら、 それはだいじょうぶです。
騒音とそれらのせいで苛立つ かもしれません。
それは・・・
しかし、暴力の実際の感じ -
暴力とともに生きてきたなら、 暴力的に行為するでしょう。
暴力でない生を、生きてきたなら、
彼は、それらが起きるとき、 境遇に出会うでしょう。
彼の行為は、彼がいかに 生きてきたかに、依存するでしょう。
単純な答えです。
ですね?
あなたは、これについて 悩んでいないでしょうね?ええ。
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41:27
第三の質問: 「智恵とは何でしょうか。」
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41:36
「智恵とは何でしょうか。」
あなたは、智恵は 何であると、考えますか。
その言葉の意味は、
もしも良い辞書を、語源辞書を
覗いてみたなら、
それは(語源的に)「インテルレジェレ」を 指摘します - 行間を読むことです。
理解されますか。
二行の間に、空間があります。
行間を読む。
それが一つの意味です。
他の意味は、あらゆる種類の 情報を集めることと、
様々な情報の中で、 何が正確な情報かを
判別することです。
それは、選択に、自らの教育に、
自らの生の道などに、 依存しています。
で、智恵があります・
・・
身体の智恵があります - ですね?
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42:55
いいえ?
私は、自分自身に話していますか。
あなたは、加わるでしょうか、ともに、です。
身体の智恵があります - それを放っておくなら、です。
たくさんワインを、そうね、 アルコール、薬物をとり、
味、趣味、感受に沿って 生きないなら、です。
そうすると、身体は、 自らの智恵を失います。
身体は、とてつもない道具です。
神経すべてがいかに、 頭脳へ連結されているのか、
肝臓がいかに働くのか - 付いてきていますか。
心臓 - 生まれた瞬間から、 死ぬまで、
心臓は、鼓動しつづけます。
それは、とてつもない機械です。
43:49
それは、百万年の産物です。
ですね?
ものすごい - それに入るなら、です。
もし、あなたが、身体を見せる テレビ(番組)で、画像、写真を
幾つか見たことがあるなら、
それは驚くほどです - 百万年か、二百万年をかけて
自然がしてきたことは、です。
私たちは、身体の 生来の智恵を、破壊します -
あらゆる種類の突飛なことを することによって、です。
飲酒、セックス - それにはその持ち場が あります。
その主題全部をご存じでしょう。
野心的、貪欲で、闘い、格闘し、
身体へのものすごい緊張、
心不全、
大手術の後のバイパス -
そのすべてが、頭脳、神経、 身体組織に、影響します。
ゆえに、物理的、生物的な 道具は、次第に破壊されます。
次第に朽ちて、その活力、 エネルギーを失います。
45:28
もしも、味、趣味に依存せず、 それを自然に放っておいたなら、
それはそれ自体の世話をします。
あなたは、何一つしなくていい
- Kのような人物以外は、です。
彼は九十歳です。で、それは 少し気をつけなくてはいけません。
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45:47
で、智恵とは何でしょうか。
身体の智恵があります。
想像してください - いかに 心臓、肝臓、神経が・
・・すべての緊張、
構造。
頭脳自体がそれ自体を 防御できるのか。
何か危険があるなら、それは 反応します - 一定の腺。
私は、それについてすべてを 知りませんが、あなたはそれを見られます
- それがいかに、すばやく それ自体を、防衛するのか。
で、身体の智恵があります。 それは今、放っておきましょう。
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46:25
それから、利巧な内科医、技術官僚、
科学技術者の智恵は、何でしょうか -
または、きわめて複雑な機械を 組み立てる人の、です。
幾千もの人々がまとまって、 月へロケットを送ります -
それは、智恵、協働を 必要とします。
あらゆることが完璧であるよう、 見届けます。
ですね?
それは、大きな智恵と協働を、 必要とします。
それは、大きな智恵、 一定種類の智恵を、必要とします。
- その智恵は、とてもずるくて、 計算しています。
それは、世界の儀式全体を、 組み立ててきました
- 寺院、神殿、モスク、教会を、です。
47:50
それもまた、とても利巧で、 とても智恵があります -
自らの使徒的継承をとおして、 人々を制御するため、です。
すみません。
あなたがカトリックなら、 私が言っていることを、忘れてください。
それらです。
インドにもまた、それを 表すサンスクリットの言葉が、あります。
それを手渡していくこと、元来のもの、
彼の祝福や使徒的な継承を 手渡していくことです。
それもまた、まったく利巧な 動きを、要求します。
ですね?
それもまた、とても智恵があります - 人々を制御すること、
何か存在するか、しないかもしれないものを 人々に信じさせること、
信仰を持つこと、洗礼を受けること。
それの全体が、とても利巧です。あなたが 見守ったのなら、とても智恵があります。
48:55
それを、共産主義者はしています。
彼らは、自分たちの神、レーニンを 持っています。
その下にスターリン、
ずっと下ってきて、現在の紳士へ、です。
で、それは同じ動きです。
それらもまた、とても智恵が あります - 部分的にです。
科学者、理論物理学者たちは、
みんな、とても部分的に智恵がある。
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49:32
それから、全包括的な智恵とは、 何でしょうか -
それは全体的であり、 それは断片化していません。
私は、その方向ではとても智恵があるが、
他の方向では、私は気にしない。
私は鈍い。
私は、物理学、科学がとてもうまい。
そうね、それらです。
で、生の様々な局面に、 部分的な智恵があります。
私たちは訊ねています -
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50:15
完全であり、部分的ではなく、
断片化していない智恵が、 あるのでしょうか。
ですね?
あなたは、見出そうとしていますか。
または、私が、見出そう、そして あなたに語ろうとしていますか。
どうか、私がその問いに 答えようとしていますか。
または、あなたがそれに、 答えようとしていますか。
腐敗不可能である智恵が、 ありますか -
境遇に基づき、 実用的で、自己中心的で、
ゆえに砕けて、断片化していて、 全体的でないのではないものが、です。
非の打ちどころがなくて、 そこに穴を持たなくて、
人の分野全体に及ぶ
智恵が、あるのでしょうか。
それを探究してください。
それを探究するには、
頭脳は、どの結論からも、 どの種の執着、
どの種の自己中心的な動き、 利己からも、
完全に自由で なければなりません。
52:20
ゆえに、恐れ、悲しみから 全的に自由である頭脳 -
悲しみの終わりがあるとき、 その裏に熱情(パッション)があるのです。
「悲しみ」という 言葉こそが、語源的に、
単に涙を流す、痛みと 嘆きと心配より、
深い意味を、持っています。
熱情(パッション)は、 何かに対して、ではありません。
熱情そのもの、それ自体、です。
私は、信念への熱情を、 持っているかもしれません -
信念は私の中に、熱情、象徴、共同体、
献身、想像を、喚起するかもしれません。
それらはやはり、とても制限されています。
で、初めに、この熱情を、 発見しなくてはいけません。
出くわさなくては いけません - すなわち、
欲情でもなく、何の動機をも 持たないものを、です。
理解されますか。 そういう熱情が、ありますか。
53:44
または、単なる感受、感受等ですか。
悲しみに終わりがあるとき、 そういう熱情があります。
悲しみに終わりがあるとき、 愛があります。
そして、慈悲が、です。
慈悲があるとき -
これやあれのためではなく、 慈悲が、です。
そのとき、あの慈悲は、自らの 至高の精髄、智恵を、持っています。
それは、時のでもなく、 またそれは、どの理論にも、
どのテクノロジーにも、誰にも 所属していません。
その智恵は、人格的とか 普遍的とかではありません -
そのまわりの言葉すべて (でないの)です。
ああ、神様!
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55:05
第四の質問: 「身体的な病気には、
人間にとって、何か 利益があるのでしょうか。」
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55:15
身体的な病気には、人間にとって、
何か利益、報酬、利得、利益が あるのでしょうか。
私はこの問いを、 明らかにしましたか。
私はそれを、フランス語に 翻訳しましょうか。
それなら、私はそれをイタリア語で、 やらなくてはいけないでしょう。
よく聞いてください。
(問いをフランス語と イタリア語に翻訳する)
「身体的な病気には、病気であることには、
人間にとって、何か利益が あるのでしょうか。
」
今、私はあなたに、 その質問を出しました。
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56:30
私たちのほとんどは、きっといつかの時に 病気であったと、私は思います。
精神的に病気か - すなわち、 頭脳が、です。
頭脳の病気、
それは神経症で、 精神病であるなどです。
または、身体の病気。
何か器官が、適切に機能していない。
ゆえに、大きな病気です。
あなたは、癌を持っている かもしれません。
末期のか、
または、手術を受けようとしているなど、 それは病気です。
今はただ聞いてください。
病気と健康との間の 違いは、何でしょうか。
健康とは何でしょうか。
とてつもなく元気であるとは、 どういうことなのでしょうか。
病気と健康 - ですね?
57:36
問いはこうです - 病気、 人間の病気から
何か利益、利得があるのでしょうか。
あなたは、どう思いますか。
その問いへ、語り手は、ある、 と言うでしょう - すみません!
しかし、あなたが病気であるとき、
頭脳はどのように 作動していますか。
いいですか?
あなたの反応、応答は、何でしょうか。
自らが病気であるとき、 痛みを回避したいとの願望 -
すばやく錠剤をとる。
または、即時に医師へ行く。
そうですね、あなたは お金を持っているなら、
支払って、彼は、何をすべきかを 言ってくれます。
あなたは、ベッドに戻ります。 そして、それを乗り越えます。
58:45
ですね?
で、病気であることから、 利益があるのでしょうか。
語り手は、あると、言います。
それは、身体の浄化であるのか -
あなたは熱を出すとき、 それは、一定の物事を焼き払います。
あなたは、その熱を 止めるために、錠剤をとります。
あなたは、それを阻みます。
それをすばやく、乗り越えたいと思います。
なぜなら、あなたは仕事を、 失うかもしれないから等々です。
で、あなたの意図は、可能なだけ すばやく良くなることです。
それは、見たところ、自然です。
分かりましたか。理解しましたか。私はこの子へ (イタリア語、フランス語で)話しています。
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で、あなたが病気を、恐れていないなら、
病気は、まったく 違った意味を、持っています。
語り手は、もし私はわずかに 私的になっていいなら、
北インド、カシミールで一ヶ月間、 麻痺していました。
様々な理由で、です - 彼らは、 こいつめに抗生物質を、
投与しすぎました。
ものすごくたくさんです。
で、二、三日後、彼は麻痺して、 一ヶ月間そうでした。
私は、それが最終的であると、 考えました。
私は考えました - さあ、そうだ。
私は、語り手は、 怯えていませんでした。
彼は、「ええ、いいよ。
余生の間、 麻痺していよう」と言いました。
これは実際に起きました。 私は誇張していません。
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彼らは私を運んで行き、身体を洗う、その他 すべてをしてくれました。一ヶ月間、です。
それがどういう意味なのかを、ご存じですか。
ご存じない。
幸運にも、ご存じない。
しかし、もしも私が、それに対して 格闘し、「とんでもない。
医師たちは
何と愚かだ。
私は抗生物質に反対だ!」
などと言ったなら、
私は、この病気と格闘しています。
で、それはもっと悪くなります。
私は、それから何を、学ばなかった。
それは、私の身体を 浄化しなかったし、利益しなかった。
しかし、私はそれとともに戯れるなら - 私はそうしました。
語り手はそうしました。
彼は、幾度も病気でした。重病です。
1:02:32
私はそれに入らないでしょう。
しかし、それとともに留まることを、 それとともに居ることを、恐れていないなら
- 即時に医師へ、錠剤へ 駆けつけるのではなくて、です。
あなたは、それを後で とるかもしれません。
しかし、それには、ゆっくり、
辛抱づよく取りかかります。
自分の反応が何なのか、
健康になりたい、痛みを持ちたくないとの
この狂乱は何なのかを、観察します。
そのときあなたは、全体のことに 抵抗しています。
ですね?
この利己性は、病気の要因の一つ であるかもしれません。
それは、病気の真の 理由なのかもしれません。
理解されますか。
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で、病気、身体的な病気は、 一定の自然の利得、利益などを、
持っています。
明らかですか。ですね?
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第五の質問: 「なぜあなたは、頭脳と精神の
間を区別するのでしょうか。」
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「なぜあなたは、頭脳と精神の
間を区別するのでしょうか。
」
残念ですが、これが最後の問いで なくてはならないと、思います。
幾つも残っていますが、これが、 最後のものでなくてはなりません。
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まず第一に、頭脳とは何でしょうか。
私たちは職業的専門家ではないことを、 憶えておいて、です。
私たちは、頭脳の 専門家でない普通の人々です -
語り手を含めて、です。
彼は、頭脳の専門家たちに 話してきましたが。
ですが、彼らはそこまで行く - それは放っておいてください。
が、語り手は、頭脳の専門家ではない - 下線付きです。
で、私たちは互いに訊ねています - 頭脳は何でしょうか。
頭脳の構造 - 頭脳の
物理的、生物学的な構造、 右側、左側ではない。
左側は、右側より、はるかに 多く使われてきた。
右側は、新しい頭脳であり、
それは、新しい情報を 受け取れる、などです。
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私はそれについて、何も知りません。そうで あるかもしれないし、そうでないかもしれない。
しかし、私たちがともに生きている このものは、何でしょうか -
すなわち、私たちの日々の生において、 作動しているものは、です。
私たちの日々の生における 頭脳のこの機能は、何でしょうか -
上の意識、下の意識ではない。
上の意識を、下の意識へ下ろしてくる
- そのゲームを、ご存じですか。
それが、そのゲームが、 導師たちのやることです。
彼らは、あなたが、 高い意識を低い意識へ
降ろしてくるのを、手助けします。
1:06:30
または、低い意識を、冥想をとおし、
従うことをとおし、 一定の実践をすることをとおして、
高い意識へ到らせる。
私たちは、それらの 種類のことをしていません。
私たちはまもなく、後で、 意識とは何かへ、来るでしょう。
これらに入るのは、構わないでしょうか。
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1:06:54
私たちの頭脳の機能、 日々の機能は、何でしょうか。
あなたの頭脳 - 私の頭脳ではない - あなたの頭脳、人間の頭脳、
あなたがスイス、アメリカ、ロシアなどや、
インドや極東に生きていても、
私たちの日々の生で 起きていくこと、
それは、頭脳の行使です -
思考の行使、選択の行使、
判断と行為の行使です。
私たちは、
行為について話していません。
私はそれについて説明したからです。それは外してください。
で、私たちがどこに生きていても、 頭脳の活動は、
私たちの生において、 大きな役割を果たします。
で、この頭脳は、何でしょうか。
1:07:58
私たちは素人、アマチュアです。
私たち自身の頭脳を、見つめてください。
作用と反作用(行為と反応)。
ですね?
感受。
過去から条件づけられている -
私はヒンドゥー教徒だ、 あなたはキリスト教徒だ、
私は仏教徒だ、 あなたはイスラム教徒だ、などと。
私はこの国に所属している。
あなたはあの国に所属している。
私はカトリックだ。
あなたは プロテスタントだ、またはイスラム教徒だ、
または仏教徒だ、あれやこれだ、と。
私はとても強く信じている。
私は一定の結論に到っている。
私はそれに拘る。
私の先入観は、強い。
見解は、強い。
私は、執着している。
私は充足したい。
私は何かになりたい - 付いてきていますか。
それが、私たちの日々の課業ですし、 さらにもっと多く、です。
1:09:05
心配の苦悩、
心配の苦々しさ、
心配の実用主義、
さびしさ、ものすごく憂鬱だ、
そのさびしさから、テレビ、 書物、儀式、寺院、教会、
モスクをとおして、逃避すること。
ですね?そして、神。
葛藤、葛藤、葛藤。
それが、頭脳が捕らわれて いることです - いつの時も、です
それは、誇張されていません。
私たちは、事実に向き合っています。
ですね?
それはそのとおりです。
で、頭脳は、このすべての中心です。
神経、記憶、神経の応答、
好き嫌い、私は憎む、私は傷ついた、
それは、私たちの存在 すべてのまさしく中心です -
情動的に、想像力豊かに、 芸術、科学、
知識の、です。
1:10:36
で、その頭脳は、きわめて制限されています。 けれども、とてつもなく有能です。
テクノロジー的に、信じがたく それはやってきました -
五十年前には、想像不可能なことを、です。
で、そのすべてが、頭脳の活動です。
条件づけられ、 その条件づけの中で生きている -
宗教的、政治的、ビジネス、 外科手術の、などです。
それはすべて、とても制限されています。
自分自身に関心を持っています。
神の名、その他すべての名においての
利己性、私利。
ですね?
私たちは明らかですか。 これは明白です。
それは、「私は唯物的だ」と 言います。
またそれは、
「いや、いや、私はそれよりましだ。 魂がある」とも言います。
1:11:46
サンスクリットを使うと、 「アートマンがある」などなどと。
で、意識はそれです。
ですね?
人々は、意識について、幾つもの 書物に書物を、書いてきました -
職業的専門家、非専門家。
私たちは、職業的専門家ではありません。 私たちは、有るものを、取り扱っています。
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意識はその内容です。
それが収容しているものが、 意識を作ります。
それは、心配、信念、信仰、 苦々しさ、さびしさ、
嫉妬、憎しみ、暴力を、 収容しています。
そうですね、
人間の性質、経験すべてを、です。
それが意識です。
その意識は、あなたのではありません。
なぜなら 彼らは、それらを分かち合っているからです。
これが困難です - あなたが 困難だと見るであろうところです。
この地上のあらゆる人間は、
最も貧しい者で、 無知で、堕落していても、
最も高く洗練され、教育されていても、
これらの問題を持っています。
1:13:24
彼らは、衣と冠を着けるかもしれません - サーカスすべて、です。
でも、それらを取り除いてください。
彼らは、あなたと私に似ています。
葛藤、迷惑。
ですね?
で、私たちは、世界のあらゆる人間の 意識を、分かち合っています。
あなたがそれを受け入れないだろうことを、 私は知っていますが、それは大事でない。
これは事実です。
なぜなら、 あなたは苦しむし、インドの村人、
一日一食、二枚の衣服で生きる人、
彼もまた苦しむからです。
あなたが苦しむように、ではない。
それはまた、彼が 苦しむようにでもない。
ですが、それはやはり、苦しみです。 それはやはり、苦しみです。
1:14:23
あなたの記憶は、他のより 異なっているかもしれません。
でも、それはやはり記憶です。
あなたの経験は、もう一つのより 異なっているかもしれません。
でも、それはやはり経験です。
で、あなたの意識は、あなたのではない。
それは、全人類の意識です - 心理的に、です。
あなたは、背が高いかもしれない。
色白かもしれない。私は黒かもしれない。紫かもしれない。
でもやはり、その意識は、 私たちのみんなに、共通です -
心理的に、です。
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で、あなたは、全人類です。
スイス人とそれら戯言ではない。
あなたは、全人類です。
それが何を意味するかを、ご存じですか。
それを、観念として受け入れるなら、 あなたは離れています。
あなたは動いて、事実から、 それの真理から、離れています。
それの実在、実体からです。
その実在、真理があるとき - すなわち、 あなたは残りの人類である、ということ、
あなたは残りの人類です。
理解されますか。
そのとき、 生の動き全体が、変化します。
あなたは、他の一人を殺さないでしょう。
すると、あなたは、あなた自身を殺しています。
或るアメリカ人がいました - ああ、私は忘れてしまいました -
戦争中の将軍です。
彼は、戦争に行こうとしていました。
彼は、敵に向き合います。
彼は、上司へ報告します -
「私たちは敵に会った。
私たちが敵である」と。
理解されますか。
「私たちは、平原の 向こうの敵に会った。
だが、私たちが敵である。 敵は私たちである」と。
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で、あなたが全人類であるとの この真理があるとき
- それとともに眠り、それに入り、 手探りで入ってください。
それを拒否したり、 受け入れたりしないでください。
川が流れるように、 それに入ってください。
あなたは、何と深い変容が 起きるのかが、分かるでしょう -
それは、知的ではなく、想像力豊かでもなく、
感傷的、ロマンチックでもない。
その感覚には、ものすごい慈悲、愛の 感覚が、あるのです。
それがあるとき、
あなたは、あの至高の智恵に 沿って、行為します。
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立ち上がってもいいですか。
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