SA85T1 - なぜ人は葛藤の中に生きるのか

第1回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月7日
テキストのみのバージョン
|
1:16
私が認識できる古い顔が、幾つか見えます。
私たちは何について、話しましょうか。
もしできるなら、指摘したいと思います -
私たちは、自らの日々の生に関心を持つ、
真剣な人々の集会であるということを、です。
私たちは、信念、イデオロギー、仮説、
理論的な結論や神学的な概念に、
いかなる関心をも、持っていません。
また私たちは、宗派を 創設しようともしていません
- 誰かに従う人々の集団を、です。
私たちは軽薄ではない - そう願います。
むしろ私たちは、みんなともに、 世の中で起きていることと、
それへの私たちの責任について、
関心を持っているのです -
悲劇のすべて、全くの悲惨、貧困に、です。
この国にではありません。 (スイスに)スラムはありません。
3:39
私たちは先日、このすばらしい気候風土には、
スラムはありえないことを、言われました。
来る日も来る日も雨が降っていましたが、
これらの会合の間に、
相当に良い天気になるよう、望みましょう。
|
|
4:05
また、よろしければ、 あなたと私、語り手は
ともに、歩んでいる、 旅を行っていることを、
指摘したいとも思います -
航空機で3万1千フィートや
4万フィートの高さを、ではなく、
静かな道路を、世界中で
長い果てしない道路を、歩んでいます。
そこには、おぞましいテロが、
目的もなく人々を殺すことが、見られます - ただ彼らを脅迫するため、
人々を恐怖させるためだけです。
人々を誘拐し、ハイジャックし、殺害し、
他の人々を殺害する準備をしています。
戦争 -
アフガニスタン、ベイルートと 南アメリカだけではなく、
世界中で、です。
おそらく、あなたたちのほとんどは、 これらを知っています。
5:24
私たちは、あまり気にするように見えません。 私たちは、かなり無頓着です。
私たちが関心を持ち、悩み、怖れるのは、
それが、私たちのごく近くで、 起きるときだけです。
それが私たちから、私たちの一人一人から
はるかに遠いところでは、私たちは無頓着です。
むしろ、もっと無頓着です。
これが世界で起きていることです -
経済的分割、宗教的分割、政治的分割と、
すべての宗教的、派閥的分割など、です。
大変多くの危険、危害があります。
未来に何が起きようと しているかは、分かりません -
私たち自身の生涯の時にだけではなく、
また、私たちの孫、子どもたちなど にとっても、です。
6:40
全世界が、大きな危機にあります。
危機は、向こうにだけではなく、 また私たちの一人一人にも、あるのです
- あなたがそもそも、 これらに気づいているなら、で す。
それらに対する私たちの責任は、何でしょうか
- 私たちの一人一人の側で、です。
自分自身にこの問いを、しばしば 訊ねたことがあるにちがいありません
- 自らは何をすべきでしょうか。
どこで始めるべきでしょうか。
政党に加わりますか。
共和党、保守党、民主党、共産党 -
マルクスとスターリンに従う。
そのすべての集団ですか。
みなさんは、どこで始めるのでしょうか。
私たちの一人一人は、何をするのでしょうか -
私たちが生きるこのひどい社会に、 向き合って、です。
各々が、自分自身に、自分の充足に、
自分の悲しみに、自分の悲惨、 経済的闘争などなどに、
関心を持っています。
8:33
私たちの一人一人が、 自分自身に関心を持っています。
私たちは、何をするのでしょうか。
神に祈りましょうか。
何度も何度も何度も、 祈りを反復しますか。
または、何か派閥に、 何か導師に所属し、彼に従い、
世の中から逃避しますか。
何か中世の衣装や、
奇妙な色の現代の装束、 その他すべてを、着ますか。
私たちはそもそも、 世の中から引き下がれるのでしょうか -
インドでもここでも 僧侶、修道士のように、です。
|
|
9:52
これらを見て、親密に観察して
- 新聞での何かとしてではなく、
または、何か読んだり言われたりしたこと、
ジャーナリスト、小説、テレビと
情報産業すべてをとおして、
通知されたことではない -
私たち一人一人の役割、 責任は、何でしょうか。
|
|
10:46
私たちが言いましたように、 これは娯楽ではありません。
私たちは娯楽で、 あなたを楽しませようとか、
あなたが、私たちの一人一人が、 何をすべきかを、
告げようとか、していません。
私たちは、たくさん 指導者たちを、持ってきました
- 政治的、宗教的なのを何百も、です。
「私たちは覚りを開いた(啓明を得た)。
私たちは達成した」と言う人たち、です。
彼らが何を達成したのでも、です。
私たちは、幾千もの 指導者を、持ってきました -
政治的、経済的、宗教的、 派閥的なのを、です。
彼らは、まったく 救いようがなかったのです。
彼らは、自分の理論を、 自分の道を持っています。
そして、彼らに従っている 何千、何万の人々が、
世界中に、います。
大量の金銭、本当に莫大な富。
ローマ・
カトリック教会の富だけではなく、
また導師たちの富も、です。
それはすべて、お金に終わるのです。
|
|
12:18
で、お訊きしていいなら、私たちは ともに、何をするのでしょうか。
または、私たち、単独の人間は、 何をするのでしょうか。
私たちは、そもそも関心を持っていますか。
または私たちは、自分自身のために、
何か奇妙な満足、喜悦を、探し求めていますか。
または私たちは、一定の象徴へ、参与して いますか - 宗教的、その他のへ、です。
私たちは、それに縋りつきます。
その象徴が、
その象徴の裏にあるものが、 助けてくれると、願って、です。
これは、とても深刻な問いなのです。
それは今、はるかに深刻になりつつあります。
というのは、戦争の脅威があるからです。
全的な不安定があるのです。
|
|
14:10
私は、語り手は、自らがXさんと 行った会話について、
お知らせしてもいいでしょうか -
幾日もの間、継続的に、
このXさんと語り手との間の会話、です。
このXさんは、多かれ少なかれ 世界中を、旅してきた、と
彼は語り手に言いました。
彼は、相当読書をしていて、
様々な施設へ行ってきました。
時には彼は、それらに加わりましたが、
慌てて彼は、それらを抜け出しました。
彼は、一人か二人の導師に従い、 彼らを、あきらめました。
二、三週間、彼は 僧侶になろうとしましたが、
それもまた彼は、あきらめました。
15:32
彼は、様々な政党を見つめました -
極左、極右、中道と、
政治活動の色々を、です。
ついに彼は言いました - 私はあなたと話をしに来ました。
私は、あなたと会話を したいようにも思います、と。
私がいるのと同じ水準で、です。
あなたが、うぬぼれている、とか、 あなたの本当の立場は、ということでない。
私は、あなたが何なのかを、知りません。
私は、あなたについて、 何かを読んだことがあります、と。
私はこの会話をつづけていいですか。
繰り返していいですか。あなたは それに興味がありますか。
|
|
16:33
彼は言いました - 二人の友のように、
あなたと私は、物事について 二人の友のように、
一緒に話し合いましょう、と。
世の中でという意味で、ともに生きてきた、
あらゆる種類の苦労を経てきた、 二人の友のように、です。
彼は、語り手に言いました - いったい、どういうことなのでしょうか、と。
なぜ人は、このように生まれるのでしょうか。
なぜ人は、幾千、幾万年もの後に、 今ある人に、なったのでしょうか。
この進化の長い期間、
長い時の期間をとおして、
苦しみ、心配し、さびしく、
絶望し、病気、死と、
いつもどこかに神々、です -
オリンポスの山々や、ナイル川や、
インドのベナレスの古都に、です。
18:09
それら神々については すべて忘れて、
ともに話をしましょう -
この世界に、生きている二人の 人間として、です。
このすばらしい国に、 とても美しい大地に、です。
それは、すべてのものの母親です。
ですね?
これらに付いてきていますか。
母親は崇拝されました。
なぜなら、大地は母親であるからです。
(古代)ギリシャ人たちは、幾つもの乳房を もった(女神)アテネを、持っていました。
両側に四つずつだと、思います -
彼女は大地の母であることを、 表示していました。
大地としての母親です。
|
|
19:15
それで彼は示しました -
このXさんは、自らの内的な思考、
外的な活動の幾らかを、示しました。
彼は言いました - これらは どういうことでしょうか。
なぜ人間たちは、自分たちを
教育してきて、
洗練され、テクノロジーの熟達者で、
のべつ幕なく論争できるのに
- あなたは、これらすべての表現を 理解されますか -
人は、神と女神と あらゆる物事を、創案できるのに、
なぜ世界中の人間たちは、
なぜ永続的な葛藤、 抗争(状態)に、あるのでしょうか。
環境とだけではなく、
彼らが選挙した自らの政府とだけとか
(共産党)政治局に支配されたり、
古代の司祭者たちが創案した
何か教義に支配されたりだけではなく、
このすべてにもかかわらず、
なぜ各々の人間は、生まれた瞬間から
死ぬまで永久に、なぜ彼は
この葛藤、抗争に生きるのでしょうか。
21:18
それが、彼が訊ねた最初の問いでした - このXさんが、です。
なぜでしょう。
この葛藤の存在理由や 原因は、何でしょうか -
外的にだけではなく、
また大変深く、内的に、主観的に、
いわば肌の内側でも、
なぜ彼は、葛藤(状態)にあるのでしょうか。
彼らは果てしなく、 平和について話してきました。
すべての宗教は、説いてきました - キリスト教のはるか前、
キリスト教の幾世紀も前に、
平和に生きなさい、平和的でありなさい、 静かでありなさい、
優しく、寛大で、慈しみ、愛しなさい、と。
彼らの宣伝にもかかわらず、
人間たちは子どもの頃から プログラムされるにもかかわらず、
攻撃的であるよう、または、 優しくあるよう、励まされるのです。
または、自分たちで、一人で行って 世の中に向き合い、闘うように、です -
それらはご存じでしょう。
23:06
この問いに答えは、あるのでしょうか -
最終的な反駁不可能な答えが、です。
すなわち、この世界の人間たちは、
自らの日々の生を生き、オフィスへ行き、
世帯、セックス、子ども、 それらを持ちながら、
また、単なる生の物質的な物事を はるかに越える
何かへの、この探求、このあこがれ、です。
この問いは、いったい 解決できるのでしょうか。
人は、見たところ、 それを解決していません -
彼はこの地上に、二百万年か
三百万年の間、人間として
四万年か五万年の間、
生きてきたけれども、です。
私たちは、ものすごい経験を 集めてきました。
24:44
私たちは、大変多くの知識を、集めてきました。
Xさんは、語り手に言っていました -
私たちはテクノロジー的に、 無量の情報を集めてきました。
しかし内的に、私たちは 野蛮人に留まっています -
互いに殺し合おうとし、
互いに競争し合おう、 互いに破壊し合おうと、しています。
|
|
25:30
で、彼は、はるばると やってきました。バス、列車、
航空機と、とても長い距離です。
彼は、「この問いに 答えてください」と言いました。
この葛藤には、原因があるのでしょうか。
もし原因があるのなら、
原因が何なのかを、発見しましょう。
あなたが私を導いていこうとか、 語ろうとか、ではなく、
ともにあなたは、Xさんと語り手は、 ともに、です。
あなたが私に語るだろう、 私は受け入れるだろう、とか、
私は行って、それについて考えて、
或る種の自分の結論へ到る、とかではない。
むしろ - Xさんは言いました -
ともに、二人の人間として、
一人が演壇の上に座っていて、
もう一人が下に座って いるのではなく - すみません!
ともに、二人の人間、
生の大変多くを経てきた者として -
さびしさ、絶望、
心配、不安定、
愛をほしいが、それが見つからない。
愛しているが、それで満足していない。
いつも押して、押して、押して、
いつも何かを達成したい - それが天国でも、
啓明でも、覚りでも、
億万長者になることでも、です。
それは、多かれ少なかれ、 同じことです。
28:00
みんなが、何かを達成したいのです。
彼らは、けっして満足していません。
彼らは、平和が何かを、けっして知りません。
彼らは、けっして樹の下に、
静かに座りません - 山々、
川、草の葉、
大地の美しさと、日の光と、
早朝の輝きを、見つめません。
|
|
28:38
それで、Xさんは、語り手に言いました -
話をしましょう。
互いに問いましょう、と。
彼が言うことや、あなたが言うことを、 けっして受け入れないで、です。
私は、あなたから何一つ、 受け入れないでしょう。
またあなたも、私から 何一つ、受け入れないでしょう。
私たちは、同じ水準にいます。
あなたは、とても利巧なのかもしれません。
あなたは、評判を取っているかもしれません - それは、戯言です。
あなたは、地球とか、
地球の一定の地方を、回るかもしれません。
そのすべては、勘定に入らない。
それは、何の価値もない -
それについて、語り手は 心から、同意します。
|
|
29:46
で、この呪いを、探検しましょう -
人が時の始まりから、抱えてきたものを、です。
なぜ人は - どうか、 それは女を含んでいます -
なぜ人は、このように生きるのか、 なぜ人は、葛藤(状態)にあるのか -
自分の親密な関係において、
性的に、家族の中で、です。
葛藤のネットワーク全体。 ですね?
|
|
30:54
で、彼は、Xさんは、次の日、来ました。 私たちは継続しました。
私たちは、美しい日に、 谷を見下ろす
ベランダに、座りました -
まわりの、雪を被った大きな山々、
すばらしい谷、 青く、うるわしい紺碧の空。
太陽は木の葉にきらめき、 木漏れ日の大地。
あらゆるものが、 驚くほど生きて、脈動し、
エネルギーに満ちて、見えました。
そこに私たちは、 彼と語り手は、いました -
この大いなる美しさを 見守っていました。
けっして美しさとともにいないで、
いつも、それを見守っていて、
けっして、自らの心と精神で 美しさを感じず、
大地の輝きすべてに 全く敏感でなくて、です。
32:24
彼は、「私たちは美しさについて 話さないでしょう」と言いました。
「それはあなたの事柄です。
あなたが それについて、私に語ってください」と。
私は、「私たちは、少し後で そうしましょう」と言いました。
初めに、ともに、この葛藤の問いの中へ、
旅を行いましょう。
または、 探検しましょう、と。
私たちは訊ねています - 人間たちは、 それに耐え、それに馴染み、
それを保たなければ ならないのでしょうか。
けっして、けっしてそれを、 完全に脇に置いて、
そのため、そのとき人の頭脳が しかるべく機能しうるように、できないで、です
- 完全に、繋がれていないで、 完全に自由であり、
プログラムされていなくて、 条件づけられていなくて、です。
|
|
33:35
で、今、語り手は、この問いを あなたに、出しています。
また私たちは、この点について議論し、 話し合い、討論しました -
それの原因は、何でしょうか。
私たちは、ともに旅を行っています。
私に告げるよう、あなたに頼んでいないし、 私があなたに告げるのでもない。
それの原因は、何でしょうか。
あらゆるところに、闘争があります。
あなたは、自然には闘争がある、 と言うかもしれません -
大きな動物が小さな動物により 生きるとき、などです。
林では、小さな樹が、光を求めて、
巨大な樹と闘争しています。
あなたは、地上のあらゆるところに、 自然に、葛藤がある、と言うかもしれません
- 或る種の闘争がつづいている、と。
34:58
で、なぜ私たちもまた、そのように、 つづけるべきでないのでしょうか。
私たちは、自然の一部分であるからです。
そこには、向こうには、 葛藤、抗争があります -
人間たちが、葛藤と呼ぶものが、です。
そうではないかもしれません。
それは、自然の 行為する、最も自然な道なのかもしれません。
鷹、鷲がウサギを殺す。
熊が、鮭を殺す。
虎が、何かをすばやく殺す。
または、チーターが、です。
自然では、殺しに殺しつづけます。
私たちもまたこの自然全体の一部分である、 と言うかもしれません -
それで、私たちが常に闘争に なっているのは、不可避である、と。
それを受け入れるなら - それは自然であり、 不可避であると、です -
もはや、それについて 言うべきことは、ありません。
なぜなら、あなたは、それは自然であると 言うからです。
私たちはそのように
つづけるでしょう。なぜなら、私たちは 地球全体の一部であるからです。
36:38
しかし、それを問いはじめるなら
- Xさんは語り手に言っていました -
それを疑いはじめるなら、 あなたは、どこにいるのでしょうか。
それは、あなたはともに見出そう という気があるのか、という意味です。
なぜなら、私たちは、 樹々、虎、象より、もう少し
活動的で、智恵がある、と 考えられているからです -
幸運にも、象はそうではない。
彼らは、あまりに多くを殺しません。
が、彼らは樹々を破壊します。
そして、チーターとその他すべてより、です。
私たちは、類人猿から来たのかもしれません。
たぶんそうなのでしょう。
私たちは、変な猿であるにちがいない!
葛藤が生の道であることを、
もし私たちが受け入れないのなら、 何をすべきでしょうか。
37:54
葛藤の動き全体を理解するように、 どこから始めるのでしょうか。
これらへの道を、どのように 探って行くのでしょうか。
語り手は、Xさんへ言いました。
あなたは、よく気をつけて 葛藤の要因すべてを、
次から次へ、分析するのか。
分析をとおして - 自己分析や
他者に分析されたり、
教授、哲学者と心理学者たちの
専門的な助言を受け入れたり、です。
分析しはじめるなら、
それは、原因の発見を もたらすでしょうか。
その発見は、分析をとおして
知的であるでしょう。
あるいはまた、その分析は、あなたに、 一定の結論をもたらすかもしれません。
または、あなたは、分析的要因を すべてまとめて、全体が見えるのか。
39:31
理解されますか。 それは可能でしょうか。
または、問いには、 異なった接近があるのでしょうか。
理解されますか。
Xさんは語り手が言っていることを、 理解されるのかと、思われます。
|
|
39:55
で、彼はXさんに訊ねます - 私たちはまだ、同じ水準に、
|
|
39:59
同じ了解にいますか、と。
すなわち、語り手は Xさんに、語っています -
分析は、分析者である者を、 含意している、と。
ですね?
ゆえに、分析者と、 分析されるものが、ある -
主観と客観(対象)が、です。
自分自身に、そういう違いが あるのでしょうか -
主観と客観(対象)のように、です。
私たちは、一緒になりつつありますか。
それが、語り手がXさんに 訊ねる最初の問いです。
あなたがXさんです。
分析者は、教育をとおし、 条件づけをとおし、
プログラムされることをとおして、 助長されてきました -
すなわち、彼、分析者は、 彼の分析するものより、
完全に違っている、と。
ですね?
顕微鏡のもと、何かを とても注意深く見つめるとき、
そのまさに注意こそが、 観察されつつあるものへ、
さらに大きな光を照らします。
41:49
私はこれには入らないでしょう。
語り手は言います - 私は、分析に対する態度全体を、
問おうとしている、と。
語り手は言っています - 私は、職業的専門家たちが、
分析について言ったことを、 受け入れていません、と。
ウィーンから来る (精神医学の)人たちや、
最新のアメリカの心理学者を、 含めて、です。
私は、彼らのどれをも、受け入れていません - 語り手はXさんへ告げます -
私はそれを問います。
それを疑問とします -
分析の活動だけではなく、 分析者は誰ですか。
初めに、分析者を理解できるなら、
そのとき、分析に、 どんな必要があるのでしょうか。
理解されますか。
私は、あまりに速く行っていますか。 私たちはともに、ここを行ってもいいですか。
|
|
43:07
私は自分自身を分析します。
私は怒っていた、貪欲だった、 性的だった - それが何であっても、です。
分析する中、 すなわち、それを砕いてしまい、
よく気をつけて、 一歩一歩見つめる中で、
観察者は誰なのでしょうか。
観察者は
- 語り手はXさんへ語っています。
彼が言うことを、受け入れないでください。
ともに問い、疑ってください、と -
分析者は、蓄積された過去の 思い出すべてではないでしょうか。
彼は、経験をとおして 条件づけられています - 彼の知識
彼の生への見方、
彼の特有の傾向、
彼の先入観。
44:22
彼の先入観、彼の宗教的プログラム
- 宗教的にプログラムされること -
このすべてが、過去です。
このすべてが、彼の生の背景です - 子どもの頃からです。
彼が観察者です。
彼が分析者です。
その背景が、共同体的な思い出、
人種的な思い出、人種的な意識などなどを、 含んでいるにしても、
彼が観察者です。
そのとき、観察者はそれを砕いて、
観察されるものと観察者にしてしまう。
ですね?
付いてきていますか。
で、分析におけるまさにその分割こそが、 葛藤を、創り出すのです。
45:24
ですね?私たちは、ともにいますか。
あなたはXさんです。
私は語り手です。
私たちはともに、 同じ旅を行っていますか。
すなわち、分析者と 分析されるものとの間に、
分割があった瞬間、
必然的に、或る種の葛藤が あるにちがいないのです -
微妙で、愚鈍で、無意味だが、
それは葛藤です。
乗り越える、征服する、 抑圧する、超越する。
これらすべては、大小の形での 努力です。ですね?
|
|
46:15
それで発見するのです - すなわち、分割があるところ、
スイス人とドイツ人、
フランス人とイギリス人、
どこでも分割があるところ、 葛藤があるにちがいないことを、です
- 「私とあなた」、「私たちと彼ら」。
分割がない、ということではない。
豊かな者たちは、とても強力です。
しかし、もしも私たちは、主観的に 分割を創り出したなら -
私は、これに所属しているが、 あなたは、あれに所属している。
私はカトリックだが、 あなたはプロテスタントだ。
私はユダヤ人だが、 あなたはアラブ人だ、と。ですね?
|
|
47:12
で、どこでも、二人の人々の間に、
で、いつでも、この分割が あるとき - 男と女の間、
神と地上の間、
「あるべきもの」と「有るもの」の間
- あなたが付いてきているのか・
・・ -
私は、Xさんに訊ねています - 彼が これらに付いてきているのかどうか、と。
言語的に、知的にだけではない - それは無意味です。
彼の心でもって、存在でもって、
活力、エネルギーと熱情でもって、です。
すなわち、どこでも分割が あるところ - 私とあなた、
私は女だが、あなたは男だ、と。
|
|
48:23
それで、葛藤の根を発見しはじめるのです。
人間にとって、 現代世界に生き、仕事へ行き、
生計を立て、ビジネスはそこで、
家族はここ、
私はそこでは攻撃的だが、 妻とは穏やかで、
従順で、堪える、それらです。
それで、自らの生は、矛盾になるのです。
その矛盾は、終わりうるのでしょうか。
さもなければ、私たちは、 葛藤、抗争に生きるでしょう。
さもなければ、偽善者になります。
偽善者でいたいのなら、 それもまた、けっこうです。
しかし、ごく正直に生きたいのなら
- それは絶対的に必要です -
大いなる、きびしい 正直さをもって生きること。
誰かに対して、自分の国や 自分の理想に対してではなく、
自らの思うところを、 そのまま言うこと。
そして、自らが思うところを、言う。
49:58
他の人たちが言ってきたことを、ではなく、 あなたも反復するのではない。
それは正直さではない。
または、何かを信じていて、 正反対のことをする、とか。
みんなが、平和について話をします。
あらゆる政府、あらゆる宗教、 あらゆる説教者が
- 語り手を含めて、です -
平和について、話をします。
平和に生きることは、ものすごい 正直さと智恵を、要求します。
で、この二十世紀とか今、生きて、
まず初めに、内的に、
初めに心理的に、主観的に、
自分自身にどの種の分割をも、
持たないことは、可能でしょうか。
どうか、探究してください。
探求し、訊ねてください。
熱情をもって、です。熱情は、 狂信を含んでいません。
51:30
熱情(パッション)は、 殉教を要求しません。ですね?
それは、何かあなたが 執着していることではありません。
まさにその執着こそが、 あなたに熱情を与えます。
それは、熱情ではありません。
それは、何かに繋がれているようなものです
- それが、あなたに、熱情の感じ、 エネルギーを与えます。
杭に繋がれたロバのように、です。
それは、ぐるぐると歩き回れますが、 やはり、そこに留め置かれています。
|
|
52:11
で、私たちは、Xさんと語り手は、
自分たちが何をすべきかを、 互いに告げるのではなく、
自分自身で発見できる でしょうか - すっかり正直に、
何の欺瞞の感覚もなく、
何の幻想の感覚もなく、
それが可能なのかどうか
- 可能か、です。
「それは可能だ」と言うのではない。
この世界、戦争や、 起きている恐怖すべての中
葛藤なく、分割なく、
生きることは、可能なのかどうか、です。
どうか、眠らないでください。
朝にあまりに早すぎます。
あなたは訊ねられるなら - あなたはXさんです。
あなたは訊ねられるなら、
あなたの答えは、どうなるでしょうか - 内的に、です。
あなたは、スイス人、ヒンドゥー教徒、 インド人、イスラム教徒です。
または、何か党派や、何か集団に従います。
何か導師の信奉者です。
そのすべてを、完全に放棄しなくては いけないではないでしょうか。
53:58
あなたは、スイスのパスポートを 持っているかもしれません。
語り手は、インドのパスポートを持って います。
しかし、彼はインド人ではありません。
インドでは彼らは、それが気に入りません。
ですが、私たちは彼らに対して、 幾度も言ってきました -
どの宗派にも、どの導師にも、 何にも所属すべきでない、と。
あなたたちは、これを 恐ろしく困難だと、見るでしょう。
それの終わりに、一人立つのではなく、
了解があるのです -
本当に無意味である、 それらのものに対する、
内的な気づき、洞察が、です。
それは、瞬間的な満足を、 与えてくれるかもしれません -
何かに所属すること、
集団に所属すること、
何か派閥に所属することは。
しかし、それはすべて、かなりくたびれ、 あわれで、醜くなろうとしています。
|
|
55:25
で、これのどれにも、執着できないのです
- 特に、語り手が 言っていることをも、含めて、です。
そのため、自分の頭脳は・
・・
ふしぎにも、あなたの頭脳は あなたのでなく・
・・、
また、他のでもあるのです。
理解されますか。
あなたの頭脳は、あらゆる他の 人間の頭脳と、似ています。
それは、無量の能力を、持っています。
無量で、信じがたいエネルギーを、です。
テクノロジーの世界で、 やられてきたことを、見てください。
アメリカの科学者すべてが今、(国防の) スター・
ウォーズ計画に、関心を持っています。
私たちは、それらに入らないでしょう。
エネルギー。
理解されますか。
頭脳は、このとてつもない エネルギーを、持っています -
あなたが何かに集中し、
何かへ注意を向けるなら、です。
56:57
彼らは、他の人間たちを殺すことへ、 注意を向けてきました。
それで原子爆弾が生じました。
で、私たちの頭脳は、 私たちのではありません。
それらは、長い時の期間をへて、 進化してきました。
その進化において、私たちは
ものすごい知識、経験を、集めてきました。
そのすべての動き、状態には、
愛と呼ばれるものが、ほとんどありません。
理解されますか。
私は、自分の妻を、子どもたちを、 自分の国を、愛しているかもしれません。
私の国は、思考により 分割されてきました
- 地理的に、です -
それは世界です。
私の世界、
自らが生きている世界は、全世界です。
58:12
で、私の頭脳は、長い時の 期間をへて、進化してきましたが、
意識をともなった頭脳は、私のではないのです。
なぜなら、私の意識は - Xさんは言っています。
私は、あなたが言ってきたこと について、何らかを読んできました。
私は、あなたが言ってきたことを、 反復していません。
ですが、これは、私もまた感じること、 その実際が見えることです。
すなわち、私がどこに行っていても、
地のあらゆる片隅に、
苦しむ人間たちがいるのです -
痛み、心配、絶望的なさびしさ。
で、私たちの意識は、すべての他の 人間たちにより、分かち合われています。
あなたは、これを悟りますか。
ここ、上でではなく、 知的にではなく、実際にです。
59:41
それを本当に感じるなら、 そのとき分割はないでしょう。
理解されますか。
Xさんは理解するのか・
・・ 私は彼に訊ねます -
あなたは、この真実が見えますか。
それの概念ではなく、
それの観念ではなく、美しい結論ではなく、
それの実際が、です。
実際は、実際についての観念より、 異なっています。
ですね?
あなたは、そこに座っています。
それは実際です。
ですが、私は、あなたがそこに 座っていることを、想像できます
- それは全然異なっています。
|
|
1:00:35
で、私たちの頭脳は、 私たちの意識の中心です -
神経的応答、感覚的応答すべてをともない、
私たちの知識すべて、
経験、知識、記憶すべての中心です。
あなたの記憶は、他のとは 違っているかもしれません。
しかしそれは、やはり記憶です。
あなたは、高度の教育を 受けているかもしれません。
他者は、まったく教育を 受けていないかもしれません。
読み書きの仕方さえ知りません。
ですが、やはり、それの一部です。
ですね?
で、あなたの意識は、この地上の あらゆる人間が、分かち合っています。
ゆえに、あなたは全人類です。
1:01:38
理解されますか。
あなたは実際に、
理論的にや神学的に(ではなく)、
「神の眼において、私たちは みんな一つである」ではない。
たぶん神は眼を持たないでしょう。
しかし実際に、どこに行こうとも、
このふしぎな改変不可能な 事実が、あるのです
- すなわち、私たちは みんな、同じ型枠、
同じ心配、望み、恐れ、 死、さびしさ(を経ていく)、すなわち
こんなに絶望をもたらすものを、 経てゆくのです。
で、私たちは人類です。
それを深く悟るとき、他の一人との
葛藤は、止まります。なぜなら、 あなたは私に似ているからです。
|
|
1:02:49
で、それが、私たちが話を したことです - XさんとKさんが、です。
また私たちは、他のことについて、 継続しました。
彼は、幾日もの間、そこにいたからです。
ですが、私たちは初めに、 本当の関係を、確立しました
- どの種の討論、 どの種の意思疎通もあるとき、
必要であるものを、です。
言語的だけではない。
言葉は、自らの伝えたいこと、
伝えたいと願望することを、 深遠に伝えません。
で、二日目、または一日目の終わりに、
私たちはどこにいるのでしょうか、と 私たちは言いました。
あなた、XさんとKさん - 私たちは、 これのどこにいるのでしょうか。
私たちは、もたらしたのでしょうか -
変化を、ではない。
変化は、 時を含意しています。
私は知りませんが・
・・ 私たちは別の時に、それへ入るでしょう。
私たちは単に 集めてきたのでしょうか
- 理解されますか - 収穫物を集めるように、です。
1:04:28
私たちは種子を蒔きます。すなわち、あなたは ここに来たのです - それは、種子を
蒔くことの一部です。
あなたはKに聞いてきました。
そしてXさん、あなたは 何を集めてきましたか。
それは、集めることは、蓄積を 意味しています。
ですね?
あなたは、とても多くの 情報を、集めてきました -
どうか、これに付いてきてください。
私たちは、まもなく止めるでしょう。
眠くなったり、神経質になったり しないでください。
あなたは、専門家から、心理学者から、
精神科医から、とても多くを集めてきました。
理解されますか。
集めて、集めて、集めてきた。
Xさんは - Kは彼に訊ねます - あなたもまた、集めてきましたか。
あなたは集めてきたのなら、
それは、他のどの集めるのとも、 似てきます。
1:05:34
私は知っている。私は集めてきた。
または、山への登り方を学んだ。
今、私は、山登りの熟達者である -
私は(実は)そうではないですが・
・・
で、頭脳は、磁石に 似ています。
集めています。
で、KはXさんに訊ねます -
あなたは、何を集めてきましたか。
または、あなたは、 集めることから自由ですか。
どうか、これはとても・
・・ 理解されますか。
辛抱がおありなら、どうか これを聞いてください。
|
|
1:06:30
私たちはいったい、 集めることを止めるのでしょうか。
ベッドのシーツ、枕カバーを、集める - それはもちろんです - 水。
良い職を持つために、学位を集める。
生の実践的なことのためには、 集めなくてはなりません。
しかし、どこで集めることが 必要でないのかが、見えること -
それが、生きる芸術が来るところです。
なぜなら、そのとき、あなたは集めている なら、私たちの頭脳は、けっして自由ではなく、
けっして空っぽではないからです -
私たちは、空っぽという 問いに、入らないでしょう。
それは違った事柄です。
ですが私たちは、自分たちが集めに、集め、 集めていることに、気づいていますか。
私たちが習慣を集めるように、です。
あなたがそんなに多く集めてきたとき、
それを免れることは、とても困難です。
1:07:57
この集めることが、頭脳を条件づけるのです。
インドに生まれて、一定の 種類の人々、伝統に所属し
- 宗教的とか、きわめて 正統的なものに、です -
あなたは、それらを集めてきました。
そのとき、そのすべてから自由であるには、 無量の探究が、掛かります - 探求、
見つめること、見守ること、あなたが言う ことへの気づきが、です。
付いてきていますか。
で、まったく集めないことは、 可能でしょうか。
どうか、これを考慮してください。
それを拒絶しないで、見出してください。
あなたは、知識を集めなくては いけません - 自宅へ行くため、
どう車を運転するのか。
外国語を話すには、 単語、動詞の不規則活用、
その他すべてを、 集めなくてはいけません。
しかし内的に、そもそも 集めることは、必要でしょうか。
1:09:25
覚りは、集めることではありません。
反対にそれは、そのすべてからの 全的な自由です -
それが結局のところ、愛なのでしょう。
私はあなたたちを集めてきたから といって、あなたたちを愛していません。
ですね?
私は性的に、あなたに満足してきました。
または、あなたは交際しやすい。
または、私はさびしい。
ゆえに私は、あなたに依存します。
そのときそれは、市場で 売り買いできるものになります。
そのとき私たちは、互いを 搾取し、互いを使用し、
互いを川下へ売り飛ばします。
確かにそれは、愛ではないでしょう。
それ(愛)は、まったく
何も集めない頭脳の性質です。
そのとき、それが言うことは、 それが発見してきたことでしょう -
他の人々が言ってきたこと ではなくて、です。
1:10:51
そこには、ものすごい熱情が あるのです -
欲情ではなく、熱情(パッション)です。
しかしそれは、狂信性を持ちません。
私は突如、厳格な菜食主義者になりません
- 今、私は塩に触れない!
、と。
または、私はイスラム教徒、狂信的な シーア派の者です - 理解できますか。
彼らは、みんな一定の 種類の熱情を、持っていますが、
彼らは、狂信的になってしまいました。
殉教の傾向を持つ、
その他すべての事柄です。
|
|
1:11:29
で、私は訊ねています - 語り手、Kは、Xさんに頼んでいます -
あなたは、集めることなく 生きられるかを、見出してください、と。
あなたは、それについて 語られるわけにいきません。
私たちはともに、それを探究できます。
しかし、けっして集めないこと、 蓄積した記憶が
けっして作動しないことの実際。
これは本当に、きわめて微妙です。
それは、大変多くの探究を必要とします。
|
|
1:12:15
今、止めてもいいですか。
私たちが話をしたのは、 一時間と十五分です。
あなたたちは話をしていなくて、 Kが話してきました。
ですが、私たちは互いに、 疎通を行ってきました。
なぜなら、私たちは、疎通の基礎を、 確立してきたからです -
そこに、優れた者と劣った者がなく、
知っている者と知らない者が ない基礎を、です。
立ち上がってもいいですか。
あなたがたが、お先にどうぞ。
お先にどうぞ。
|