SA85T2 - 無秩序から全く自由であること

第2回公開講話
スイス、サーネン
1985年7月10日
テキストのみのバージョン
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1:55
私たちが先日、話していたことから、 継続してもいいですか。
これは個人崇拝ではない ということを、
悟ることが、重要である と、私は思います。
Kと呼ばれる人物は、 まったく重要ではありません。
ですが、重要なのは、 彼が言っていることです -
彼がどのように見えるか、 彼の人格と、
その他すべての戯言ではありません。
で、どうか、気をつけて、 明確に指摘してよろしければ、
演壇の上で語っている人物は、
どのようにも重要ではないのです。
で、これは個人崇拝ではありません -
それに伴う戯言すべてとともに、です。
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3:22
私たちは先日、様々な形の
葛藤、抗争について、 話していました -
それの原因は何なのか、
なぜ、人類の始まり、
二百五十万年前かそこらから、
なぜ人は - もちろん 女を含んでいます -
なぜ彼らは、葛藤(状態)に 生きてきて、
その問題をまったく 解決してこなかったのか、です。
そして諸時代をとおして、
幾千年、幾万年もの、
進化のこの長い期間の間に、
私たちはいまだに、互いとの 葛藤(状態)に、います -
男と女の間、人間たちの間、
人々の集団の間、 国家、民族、派閥、宗教の間で、
これは、幾千年もの間、 つづいてきました。
自らがきっとこれらに 気づいている、と私は思います。
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5:04
私たちは、起きていることに、 まったく無頓着であるのか -
テロ、残忍さ、おぞましい残酷さ、
世界で起きている 忌まわしいことすべてに、です。
このすべてに、誰が 責任があるのでしょうか。
私たちが先日、言いましたように、 これは真剣な集会です -
ただ、テントのもとで良い朝を過ごたり、 誰かに聞いたりだけではない。
これは、深刻で、能動的で、
協働的で、明確な集会です。
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6:14
私たちはまた、今朝も 訊ねていました -
誰が、このすべてに 責任があるのでしょうか。
責任は、気づかい、注意 という意味合いです -
世の中で外的に、起きて いることに、だけではなく、
また、私たちみんなに、内的に (起きていることに)も、です。
誰が、これに責任があるのでしょうか。
政治家たちが、責任があるのでしょうか。
すなわち、彼らに、彼らが やりたいことを、させるのか -
なぜなら、いわゆる民主主義社会では、 私たちが、彼らを選挙したからです。
全体主義諸国では、彼らは選挙されません。
彼らはただ権力に就いて、 全体を支配します -
それらが、共産主義世界では、 起きています。
7:26
で、またもや、誰が 責任があるのでしょうか。
宗教ですか。
イスラム世界ですか。
キリスト教世界ですか。
ヒンドゥー教世界ですか。
仏教徒などですか。
または、私たちが責任があるの でしょうか - 私たちの一人一人が、です。
どうか、これを考慮してください。
私たちの一人一人が、 この世界に、この環境に
生きていて -
うるわしいスイスにだけではなく、 また世界中に、です -
私たちの一人一人が、
そこに座っているあなたと、 ここの語り手、
私たちが、このすべてに 責任があるのでしょうか。
あなたは、その問いを あなた自身にするとき、
- 私たちがそうして いることを、願っています -
あなたは、このおぞましい世界を 創り出すことへ、
責任があるのでしょうか
- 危険な世界、
残忍な、そして恐ろしい世界を (創り出すことへ)、です。
9:09
あなたは、様々な国へ行った ことがあるなら、そのすべてが見えます
- 甚大な貧困、
恐ろしく豊かな人たち、
高い地位。
生まれついての、です。
そして、余生の間、
彼らは、自らの富、城、 ペンションなどを、持っています。
何百万に何百万もの 貧しい人々が、います - 飢えています。
誰が責任があるのでしょうか。
あなたは責任があるのなら -
なぜなら、私たちが そうであるように、
あなたは、この社会を 創り出すことへ、責任があるからです。
私たちが、まわりのこの社会を、 創り出してきたのです -
文化、宗教、神々、
その他すべての 儀礼的な反復と感動を、です。
10:28
なぜなら、私たちは 怒っていて、貪欲で、
暴力的で、無秩序で、 憎んでいて、
自らの愛情を、きわめてわずかな者へ、 まさに制限しているからです。
私たちが、私たちの一人一人が、
この社会を、創り出してきました - そこに私たちが生きるものを、です。
そうなのでしょうか。
私たちの一人一人が、 責任があるのでしょうか。
または、あなたは、 「すみません。
私はそうではない」と言います。
または、あなたは、全体のことに 無頓着なのでしょうか -
私たちが、特定の国において 安全であり、
国境で保護されているかぎりは、です。
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11:40
で、私たちは、とても深刻な問いへ 来るのです -
秩序とは何でしょうか。
無秩序とは何でしょうか。
どうか、私たちは議論しています。
または、この問いを、 ともに調べています。
私たちは、この問いをめぐって 熟慮しています。
あなたは、語り手の言っていることを、
受け入れるだろうとか、どの形でも 黙従するだろう、ということではない。
そのとき、それは まったく無益になるでしょう。
しかし、もしも私たちが、ともに とても長い旅を行えたなら
- 知的に、言語的にだけではなく、
もっとはるかに深遠に、です -
なぜ、私たちが、私たちの一人一人が
創り出してきた社会は、
こんなにひどい無秩序、残酷さと それらを、創り出していますが、
私たちは、それらに責任が あるのでしょうか。
13:16
私たちは、社会より 異なっているのでしょうか -
私たちが創り出してきたものより、です。
または、初めに家に、私たちの自宅に 秩序が、なければならないのでしょうか。
住宅の外壁の中と、庭や、 谷にだけではなく、
また、私たちみんながそこに 生きる内的な世界、
主観的な世界、心理的な世界にも、です。
そこに無秩序があるのでしょうか。
質問を理解できますか。
語り手がそれをすっかり明らかに していることを、願っています。
私たちが、私たちの一人一人が 無秩序に生きるかぎり
- 私たちは、無秩序とは何かの 問いへ、詳細に入るでしょう。
私たちが無秩序に生きるかぎり
- 心理的に、主観的に、内的に、です -
私たちがすることは何でも、 無秩序を創り出すでしょう。
14:46
全体主義諸国は、言ってきました -
社会を、環境を変化させ、彼らに強い、
彼らに強制することにより、
人類を、人間の頭脳を 変化させるだろう、と。
彼らは成功したことがありません。
常に異議、反逆、 その他すべてが、あるのです。
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15:21
で、これが見えるなら - すなわち、 私たちがこの無秩序を創り出してきたこと、
この無秩序は、そこに私たちが生きる 社会であることが(見えるなら)、です -
そのとき私たちは、 何をするのでしょうか。
あなたは、どこで始めるのでしょうか。
あなたは、社会を変化させたいですか。
社会改革や、良いことを行う人たち、
法律を変更したい人たち -
テロをとおし、強制をとおし、
その他すべてをとおして、ですか。
または、あなたは自分の家を 内的に、秩序立てるのでしょうか。
問いは明らかでしょうか。
それが明らかでないなら、 私たちは再び、それを調べるでしょう。
それはかなり、 虚しい時間のむだになるでしょう。
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16:48
で、私やあなたは、どのように 自らの家を、秩序立てるのでしょうか。
なぜなら、それは、私が始められる 唯一つの場所であるからです -
外的な変革、 外的な法律の変更、
国際連合の結成ではなくて、です。
そこに - 私が少し脱線してもいいなら、
私たちはそこで講話するよう、 招待されました。
昨年と今年です。
Kが話をした後、そこの 大物の一人が、立ち上がって、
言いました - 「この組織で 四十年間、一生懸命働いた後で、
ついに私は、
互いに殺し合ってはならない、
という結論に、到りました」と。
四十年です!
私たちは、同じことをします -
何かが、外で、向こうで起こるだろう。
私たちを強制し、強いて、説得し、
駆り立ててくれるだろう何かが、 と願って、です。
私たちは、外のものに、 依存してきました -
外の挑戦、外の戦争などに、です。
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18:58
で、私たちは何をするのでしょうか。
小さな共同体に加わること、 誰か導師に従うことは、
何の役にも立ちません。
それは全的な無責任です。
自分自身を他の誰かに、 譲り渡す、降参する。
自分自身は覚りを開いたと言い、
あなたを導く人に - 彼があなたを どこへ導くだろうとしても、です。
一般的に、お金などへ、です。
で、私たちはどのように、内的に 始めて、秩序をもたらすのでしょうか。
秩序は、葛藤がない、 という意味合いでしょう。
自分自身に葛藤がない。
完全に何の葛藤もない。
私たちは先日、その問いへ入りました
- 葛藤の原因は何なのかへ、です。
それについては、大量の書物が 書かれてきました。
20:49
心理学者、精神科医、心理療法者などは、
言語的に説明してきました。
幾百万の言葉が、溢れ出してきました。
けれども、私たちは、私たちのみんなが 葛藤に留まっています。
精神、頭脳が無秩序であるところ
- それは葛藤の本質です -
その頭脳はけっして、秩序立ち、 単純、明らかではありえません。
それが、当たり前だと取られるのなら - 法則として、です。
重力の法則、
太陽は東に昇り、 西に沈むという法則、です。
すなわち、主観的とか内的な 葛藤があるところ、
無秩序があるにちがいない、 ということです。
どうか、気をつけて、 覗いて見てください。
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22:27
そして、無秩序の本性は、何でしょうか。
秩序は何か、ではない。
なぜなら、混乱した精神は、 秩序を創案して、
「それが秩序だ」と言いうるからです。
幻影に捕らわれている頭脳は
- ほとんどの人々はそうです -
そのときそれは、混乱の中から 自らの無秩序を、創り出すでしょう。
ですね?
で、無秩序の本性は、何でしょうか。
なぜ私たちは、「秩序がなければ ならない」と言って、それから、
無秩序の中にいるのでしょうか。
理解されますか。
なぜ私たちは、二つを 分離するのでしょうか。
理解されますか。
私たちは、自分たちが無秩序の中に いることを、悟る、と言います。
それは相当に単純です。
それから私たちは、その中から 秩序を探し出しています。
ですね?
すなわち、
政治家たちは、無秩序が あることを、知っています。
ですね?
彼らは、秩序を探し求めています。
ですね?それは明らかですか。 もちろんです。
24:09
政治家たちだけではなく、 私たちの一人一人が、です。
私たちは、自分たちの生が 無秩序であることを、知っています。
朝、オフィスへ行く。
9時から5時まで。
あなたは、何という生を 送るのでしょうか!
9時から5時まで。
または、 12時から真夜中までとか、何にしても、です。
そして、格闘、戦い、野心的で、
貪欲で、攻撃的で、梯子を登る。
家に帰って、とても従順です。
ですね?
または、奥さん、旦那さんに 服従する - それが何であっても、です。
で、ここには、無秩序がある。
無秩序があるとき、
いつの時も、頭脳は秩序を 探し求めています - いつの時も、です。
なぜなら、それは無秩序の中で 生きられないからです。
無秩序があるとき、
それは、明晰に、美しく、絶妙に
自らの最高の能力で、 機能できません。
25:31
ゆえに、秩序への 微かな探求が、あるのです
- 私たちのみんなに、です。
で、私たちは訊ねています -
なぜこの分割があるのでしょうか。
理解されますか。
秩序。
それから、無秩序に生きること。
あなたがこれらに付いてきて いるのかどうか、分かりません。
いいですか?
悩まないでください。
それはとても単純です。
私たちは、無秩序の中に生きます。
それは 確実です。なぜ秩序について思い煩うのですか。
ですね?
私たちが無秩序をすっかり 晴らせるのかを、見てみましょう。
そのとき、それをすっかり晴らすなら、 そのとき、秩序があるのです。
無秩序と秩序との間の、 この葛藤が、ないのです。
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26:31
見てください。 これは、相当に単純です。
私たちは、暴力的な人々です。
攻撃的です。
物理的にだけではなく、
また心理的に、内的にも、です。
私たちは、人々を傷つけたいのです。
私たちは、他の人たちについて 残忍なことを、言います。
暴力は単に、物理的な行為、 活動だけではありません。
また暴力は、心理的でもあるのです -
攻撃的、模倣的で、
自分自身を他の一人と 比較することなど。
そのすべてが、暴力の形です。
ですね?
私たちは、自然に、 動物などから、暴力的です。
私たちは、それに留まりません - 私が暴力的であるのを、認識して、です。
ですが、私たちは 非暴力を創案します。
28:03
私たちは、「私は 暴力的であってはならない」と言います。
理解されますか。
なぜ、暴力的でないことに、思い煩うの でしょう。
あなたは暴力的なのです。
見ましょう。
それとともに留まりましょう。 それとともに堪えましょう。
動いてそれを去らないで、です。
そのとき私たちは、ともに それを検討できます。
そのとき私たちは、それを消失する ように、どれほど行けるのかが、見えます。
しかし、常に、非暴力的に なるよう、格闘しているなら、
あなたは、問題を解決できません。
なぜなら、あなたは、 非暴力的になろうとしているとき、
いつの時も、暴力の種子を 蒔いているからです。
理解されますか。いいですか?
28:55
私は暴力的である。私は、いつの日か 暴力なしになるだろうと、願う。
そのいつの日かは、 かなりはるかに遠い。
その間隔の間、私は、種子を蒔き、 やはり暴力的なのです -
おそらく、さほどではないが、 やはり暴力的なのです。
で、私は、暴力的でないことに 思い煩わないでいよう、
暴力を理解しよう、と言います - その本性は 何なのか、なぜそれは存在するかを、です。
それから完全に自由であることは、 可能でしょうか。
いいですか?
非暴力を 追求するより、そのほうが、
はるかに興味深く、肝心です。
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29:43
で、同様に、無秩序を 理解すること、秩序について
忘れることが、重要です。
なぜなら、私たちは、それを理解し、 それから抜け出すなら
- 知的な、言語的な理解を、です -
そのとき、生をいかに生きるかを、 見出せるからです -
完全に非暴力的である 生を、です。
ですね?
私たちはこの事柄について、 明らかであることを、願っています。
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30:23
で、無秩序とは何でしょうか。
頭脳は、秩序を 探し求めていないから、
それは今、無秩序が何かを、
発見することに、集中し、 注意しています。
これは、あなたと語り手との 間の対話です。
彼がその問いに答えるのを、 待たないでください。
そのときあなたは、 反復するだけでしょう。
しかし、それの真理を、 発見し、見つけられるのなら、
それはあなたのです。
そのときあなたは、行為できます。
しかし、単に、語り手が 言っていることを、聞くだけなら、
そのときあなたは、反復します。
あなたは知りません。
「なぜか理解できない。それはとても困難だ」 とか、それらの戯言です。
31:23
ですね? で、無秩序は何でしょうか。
一つのことを言い、 別のことを考える。
ですね?
一通りに行為し、
自分の思考、感情を、 別の通りに隠しておく。
それはただ、とても単純な事柄です。
それは、大きな正直さを、必要とします - 思っていることを言うことは、です。
あなたが思っていることだと、他の人たちが、 語ってくれたことではなくて、です。
ですね?
たぶん、あなたたちのみんなは、 大変多く読書をしてきています。
それで、あなたたちの頭脳は、 すべての他の人々の知識、
他の人々の概念、先入観で、 満ちています -
あなた自身のへ加えて、です。
それで、あなたは反復します。
しかしあなたは、けっして森に 座ったり、そこを歩いたりして、
無秩序が何かを見出しません。
32:53
見出すには、ものすごい正直さを 持たなくてはなりません。
ありのままの物事に、向き合うのです。
私は恐れているなら、 恐れています。
私は、恐れていないふりを しません。
私は嘘をついたのなら、
私は嘘をついたと、言います。
それを弁護しません - 原因や、
そうね、それをめぐる ゲームのすべて、です。
で、一人一人が、自らが何であるかに、 そのまま向き合えるなら -
自らがあるべきもの、ではありません。
私たちは、ともにここにいますか。
私たちは、当分の間、同じ道路を
一緒に歩んでいますか。
で、次第に、または即時に、 あなたは自分自身で、
無秩序の因果作用を、見出します。
34:03
すなわち、どの種でも葛藤があるところ、
無秩序があるにちがいないのです
- 物理的でも、主観的でも、 心理的でも、です。
そして、生に二つの対立要因が あるとき、葛藤は存在します。
善と悪 - ですね?
善は、何か悪から全然 分離したものでしょうか。
または、善は部分的に 悪いのでしょうか。
理解されますか。
私の話は明らかになっていますか。 なっていない。
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34:58
何が悪いのでしょうか。 何が善いのでしょうか。
明白に、他の人を殺すことは、悪い
- 神の名、等々の名において、 他の人間を、です。
何が善いのでしょうか
- 善いこと。
あなたは、私の叙述を 待っていますか。
たぶんあなたは、これらに 入ったことがないでしょう。
私たちは、このかなり興味深い 主題に、入るでしょう
- 善は、悪より 分離しているのでしょうか。
または、善は、その根、その始まりを、 悪に持っているのでしょうか。
理解されますか。
私は、あなたが理解するかを、 訊かないことにしましょう -
私の方がバカです!
36:22
人間たちには、二つの要素があります
- 善と悪です。
悪は、怒ることであり、善は、 怒らないことである、と私は言います。
しかし、私は怒りを 知ってきました。
ですね?
私は怒ってはいけない、 私は善くなろう、と私が言うとき、
善は、私の怒りから生まれています。
ちがいますか。
「私は善くならなければならない」と 私は言います。
なぜなら、私は悪を
知ってきたからです。
ですね? 私が悪を知らないなら、私は善です。
善い品物ではない!
私は善です。
これを理解されますか。あなたが これを理解するのかと、思われます。
37:25
すなわち、私は、暴力的であるかぎり、
他方が何であるかを、知りません。
私が暴力的でないなら、 そのとき、他方があるのです。
で、善は、悪から 生まれるのでしょうか。
それが悪から生まれるのなら、 善は善くないのです。
ですね?
私たちはともに、ここにいますか。
かなり不可思議に見えますが、 どうか、そうではありません。
それはとても単純です。
そういうわけで、私は、どうか、
ともに考えましょう、と言ったのです - 単純に、明らかに、
先入観なく、偏見を持たずに、です。
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38:26
で、愛は憎しみではない。ですね?
愛が憎しみから生まれているなら、 それは愛ではありません。
それは明らかですか。
語り手は、誰をも憎みません。
が、仮に憎むとします。
そのとき彼は、「私は憎んではならない。
私は愛さなければならない」と言います。
それは愛ではありません。
それはやはり、憎しみの一部です。
それは決断です。
それは、思考の行為です。
思考は愛ではありません。
私は今、当分、それに入らないでしょう。 私たちは(後で)それに入るでしょう。
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39:21
それで私たちは、私たちの一人一人は、 自分たちがこの社会を
創り出してきたとの責任を、感じて - 私たちがそこに生きていて、
想像力を越えて、化け物じみていて、
非道徳的である社会を、です。
私たちがやってきたこと、です。
私たちの一人一人は、この世界に、 この社会に生きて、
無秩序から、まったく 自由でありうるでしょうか。
それは、自由であることを、 意味しています - 私たちの中の、
葛藤の完全な終わり、 この二元性の感じの終わり、です。
私たちの中の、 二元性、対立要素です。
で、それは、ものすごく気づいている という事柄ではないでしょうか
- 理解されますか -
あらゆる思考に、 気づいているのです!
ですね?
それはできますか。
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40:41
で、それは、一定の点へ つながっていきます。
思考とは何でしょうか。
考えるとは、何でしょうか。
「考えるとは何ですか」と訊ねられるなら、 あなたの答えは、何でしょうか。
考えること。
あなたは今、考えています。
なぜなら、私があなたに訊ねている、
語り手があなたに、訊ねているからです - 考えるとは何ですか。
それで、あなたは考えはじめます。
私たちの生すべては、 考えることと感受です - ですね?
感受 - 「それは私の時計です」。
子どもは、「私の本」、
「それは私のぶらんこです」と言います。
で、考えるとは、何でしょうか。
考えることにより、人類は月へ ロケットを、送ったのです。
ですね?
しかし、その考えることはまた、 そこに旗をも立てました。
それはとても・・・ 付いてきていますか。
42:18
はるばる月まで行って、旗を立てる!
いいえ。
思考が何を しているかを、見てください。
何万もの人々の
ものすごい発明、集中、協働、訓練。
そして彼らは、そこまで行って、 それから、最もばかげたことを・
・・
それでまた、思考は、 テクノロジーの世界全体をも、
創り出してきたのです。
ですね?
驚くべきことを、彼らはしています。
それについて、私たちは ほとんど想像していません。
または私たちは、それについて ほとんど知りません。
コンピューター、とてつもない 潜水艦、軍艦などなどなどです。
そのすべては、考えることにより、 なされてきました。
ですね?
それは、一番とてつもない建物を、 築いてきました。ですね?
43:39
で、あなたは、手紙を書くとき、 考えなくてはなりません。
車を運転するとき、それはほとんど 自動的ですが、考える、
見張るなどを しなくてなくてはなりません。
で、考えることが、私たちのみんなにとって とてつもなく重要になったのです。
ですね?
考えることは、私たちのプログラムの 一部です。
私たちはプログラムされてきました。
私はカトリックだ、あなたはプロテスタントだ。
私はイスラム教徒、あなたはヒンドゥー教徒だ。
あなたは共産主義者だ、私は民主主義者だ - 付いてきていますか。
それは私たちの条件づけです。
ですね?
すなわち、私たちは プログラムされつつあります -
新聞、雑誌、政治家、司祭者、
大司教、教皇、そうですね、 全部のことです。
私たちは、プログラムされつつあります。
44:33
で、考えることは何ですか。
なぜあなたは考えますか。
なぜあなたは、そもそも考えますか。
なぜあなたは、ただ行為しないのですか。
あなたはできません。
初めにあなたは、よく気をつけて、自らが 何をしようとしているかを、立案します -
それは正しいのか、間違っているのか、 それはあるべきなのか、あるべきでないのか。
そのとき、あなた自身の情動、感受は、
それはだいじょうぶだとか、間違っているとか、 と言います。
あなたは行って、それをします。
このすべては、考える過程です。
ですね?
私は結婚すべきか、すべきでないか。
あの女の子は正しい。
あの女の子は・・・
または、逆に、です。
で、考えることが、とてつもない量の 害を、してきました -
戦争。ですね?憎しみ、嫉妬、
45:51
他の人たちを傷つけたいこと。
で、考えるとは何でしょうか。
善い、いわゆる善い(考え)と、 いわゆる悪い考え。
ですね?
正しい考えと間違った考え。
ですが、それはやはり 考えることです。
ですね?
東洋の考えと西洋の考え。
ですが、それはやはり考えることです。
考えるとは何でしょうか。
私を待たないでください。
あなた自身に その質問をしてください。
考えるとは、何でしょうか。
あなたは、記憶なしに 考えられるでしょうか。
すみません。
記憶なしには、考えられません。
それでは、記憶とは何でしょうか。
進んでください。
あなたたちの 頭脳を、それに注いでください。
思い出、
長い観念の連想、
長い記憶の束。
47:50
そのときあなたは、訊ねます - 記憶とは何でしょうか。
私は、自分が生活した住宅を、 憶えています。
私は、自分の子ども時代を 憶えています。
それは何でしょう。
過去。ですね?
過去は記憶です。
あなたは、明日何が 起こるだろうかを、知りませんが、
それは、何が要るのかもしれないか、
それが何を含むかもしれないかを、 投影できます。
それはやはり、時の中での 記憶の作用です。ですね?
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48:33
で、記憶とは何でしょうか。 記憶はどのように、来るのでしょうか。
これはすべて単純です。
記憶は・
・・
知識なしでは、記憶は存在できません。
ですね?
私は、昨日起きた 自分の車での事故の知識を
持っていないなら - それは(現実には)起きていません。
その事故は憶えられます。
しかし、その憶える以前に、 事故がありました。
それが知識でした。
ですね?
事故は知識になります。
そのとき、その知識から 記憶があります。
ええ、記憶です。
もしも私が事故を起こさなかった なら、事故の記憶はないでしょう。
私は、他の人々の事故を想像できます。
で、知識は、経験に 基づいています。
ですね?
で、経験はいつも制限されています。
50:15
私は、もっと多くの経験を、 もっと多様な経験を、持ちえます -
物理的、性的なのだけではなく、 また、いわゆる内的な経験、
何か幻想的な神の(経験) などなどを、です。
それで、経験、知識、
記憶、思考。
ですね?
で、知識、経験は、いつも 制限されています。
いつも、です。
私は、宇宙・
万物の秩序の
無量性を、経験できません。
経験する -
私はそれを経験できません。
ですが、私はそれを想像できます。
「それはすばらしい!」と。
で、経験は制限されています。
ゆえに、知識は制限されています
- 未来においても、今も、です。
なぜなら、すべての知識は、もっともっと 多く、付け加えられつつあるからです。
ですね?
科学的な知識は、それに基づいています。
51:40
ガリレオなどなどの前から、それらは 付け加えられ、付け加えられてきました。
で、知識はいつも制限されています - 今も、未来においても、です。
ですね?
で、記憶は制限されています。
で、思考は制限されています。
これが、あなたが困難だと 見るだろうところです。
思考は制限されています。
思考は、神、救い主、儀式を、 創案してきました -
レーニンとマルクスとスターリンを、です。
彼らの知識は制限されています。
で、思考は、何をしようとも、 高尚でも、下劣でも、
宗教的でも、非宗教的でも、 徳が厚くても、徳が薄くても、
道徳的でも、不道徳的でも、 それはやはり制限されています。
思考が何をしようと、です!
ですね?私たちは、ともに ここにいますか。
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53:08
で、思考は、秩序を もたらしうるのでしょうか。
なぜなら、思考自体が、 制限されているので、
無秩序の起源なのかも しれないからです。
あなたはこれを 捉えるのかと、思われます。
質問を理解されますか。
とても興味深い。入ってください。
何でも制限されているものは、 無秩序を創り出すにちがいない。
私がイスラム教徒であるなら - それはとても制限されていす -
私は無秩序を創り出すに ちがいないのです。
私はイスラエル人であるなら、それは制限されて いる。
私は無秩序を創り出すにちがいないのです
- または、ヒンドゥー教徒、仏教徒、 キリスト教徒、その他すべてでも、です。
ですね?
で、思考は、まさしく 無秩序の根なのでしょうか。
入ってください。
どうか、 懐疑的であってください。
語り手が言うことを、何一つ 受け入れないでください。
見出し、究明してください。
明日ではなく、
今、そこに座っていて、 それに入り、見出してください。
あなたの熱情を、そこに注いで ください。
あなたの狂信を、ではない。
そのときあなたは、 発見しはじめるでしょう。
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54:50
で、私たちは、これまで 二百五十万年か、
そのあたりの後、人間として、
暴力、無秩序、葛藤の
状態に、生きてきました。
それらは、思考により、 もたらされます。
ですね?
そのすべてが、です。
それで、探究しはじめます -
思考ほど、活動的で、 明晰で、精確で、
エネルギーに充ちたものが、 何かあるのでしょうか。
理解されますか。
発見する。
Kは発見する、 とします -
思考はとても制限されていることを、 です。
はるか前にです。
誰も彼に語りませんでしたが、彼はそれを 発見しました。
または、それに出くわしました。
それから彼は、訊ねはじめます -
そのような他の道具が、 あるのだろうか、と。ですね?
56:07
思考は、この頭脳の中、 この頭蓋骨の中に、あります。ですね?
頭脳は、思考すべてを、 保っているものです -
記憶すべて、経験すべてを、です。
それはまた、情動、感受、 神経反応のすべてでもあります。
そこに保たれているのは、 広大な記憶です
- 人種的、非人種的、個人的、 そのすべてが、そこにあります。
そのすべての中心が、思考です。
それは、「いや、他の何かがある」と 言うかもしれません。
それはやはり思考です!
それが、自らは超意識を 探し求めていると、言うとき、
それはやはり思考です。
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56:59
で、訊ねます。Kは訊ねます -
これでない、他の道具が、 あるのだろうか。
または、道具ではなく、 この種類でない
波、動きが(あるのか)、と。
あなたは、その質問をしていますか。
あなたが、それを訊ねているなら、 誰が、あなたに告げるのでしょうか。
思考が、あなたに告げるのでしょうか。
どうか、気をつけてください。
これは、とてつもない。
大いなる微妙さ、技巧を要求します。
なぜなら、思考は、とても 欺瞞的でありうるからです。
それは、「よろしい。
私は、思考が 制限されていることを、理解した」と言います。
しかし、それはやはり活動しています。
そのときそれは、創案しはじめます -
「私は、思考が制限されていることを、 知っている。
だが、神は無制限である。
私は神を探し求めている」と。
思考は制限されていますが、 それは、儀式を創案します -
中世の僧侶、修道士、司祭の衣、 その他すべてを、です。
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で、それを見出すには、頭脳は、
頭脳は、思考を使いうるのでしょうか
- それが必要であるとき、 思考をもって行為し、
その他では、何の思考もない、と。
理解されますか。
頭脳は、必要なとき、 思考を使う、または、
思考とともに生きることが できますか - あなたが車を運転するときも、
食べるときも、手紙を書くときも、
あれこれをするときも、です。
それはすべて、 制限された思考の動きです。
すなわち、必要であるとき、 思考は行為できる。
だが、その他では、なぜそれが 一日中、おしゃべりすべきなのでしょうか。
理解されますか。
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で、もう一つの道具が あるのでしょうか -
すなわち、まったく思考でないものが、
すなわち、思考により 組み立てられたり、
思考により構想されたり、
思考により微妙に製造されたり していないものが、です。
理解されますか。
見出してください。
それは、時を理解することを、 必要とします。
私は、それらに入ってもいいですか。
あなたは、疲れていませんか。
まあ、あなたたちは、それへ支払われた。 だから、あなたしだいです!
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あなたは、時が何かを、 理解しなくてはいけません
- 日の出と日の入りの時ではない。
それもまた時ですが。
新しい月と満月の時。
朝から晩までの昼の時。
二十四時間。
時はまた、自らの人生に 起きたことすべてです -
それらは千の昨日です。
そして、明日、起きる かもしれないことすべて、です。
時は、水平にと 垂直にです。
ですね?
上がっていくのと、 直線の、です。
時は、過去です。
時は、今、ここに座っていること。
時はまた、明日です。
で、これが、私たちが 捕らわれている循環です。
私たちの生の、千の昨日、 多くの日々。
私が死ぬ前に、さらに幾らか 日々があるでしょう。
1:01:51
で、この動き全体、
循環的な動きが、時です。
ですね?
私たちは出会っていますか。
いいですか。
進化するには、時が必要です - 小さな種子から
大きな樹へ、
小さな赤ちゃんから 大人の人へ。
物理的な時間があります。
また、心理的な時間もあります。
私はこれであるが、 私はあれになるだろう。
あれになるには、 私は時が要ります。
ですね?
これらに付いてきていますか。
で、頭脳は、時の中に生きます。
頭脳は、時をとおして、 養成され、成長し、進化してきました
- 最も原始的なものから、今、 最も洗練されたものへ。
それは、時が掛かりました。
で、生のこの動き全体
- 私たちが知っている ようなもの - は、時です。
ですね?
それが、すべてでしょうか。
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そのとき私たちは、何が 昨日であったかを、知っています。
あなたは、自分の子ども時代を、 憶えているかもしれません。
あなたは、二十年前や十日前の 自分の生活を、憶えているかもしれません。
それは過去です - 付いてきて いますか。
それは過去です。
その過去は現在です - 現在の境遇により、
わずかに変化して、 わずかに修正されて、です。
付いてきていますか。
または、私は 自分自身へ、話していますか。
眠らないでください。
どうか、もう十分間です。
眠ったり、退屈したり しないでください。
それは、あなたの生です。
私の生ではない - 私たちが話しているのは、です。
それは、あなたの生、 あなたの日々の生です。
それが実際に何であるのか、です。
それがあるべきもの、ではない。
1:04:45
あなたの日々の、単調で、 さびしく、絶望的で、
心配で、不安定な生です。
その生は、時の動きの一部です。
時はまた、私が死ぬとき、 終わりになる時でもある。
で、私たちは、時に 関心を持っています。
私は、続けていくなら、 もっと良い職を、得るだろう。
私は、もっと上手になるなら、 もっとお金を得るだろう。
ですね?
そのすべては、時です。
昨日、多くの昨日が、
境遇により、圧迫により、 わずかに修正されて、
今なのです。
ですね?
それは分かりますか。
千の昨日より 起きてきたことすべてが、
わずかに磨かれ、わずかに修正されて、
未来へ進みます。ですね?
1:06:03
過去が、現在をとおして それ自体を修正し、
未来になる。
ですね?
で、未来は今なのです。
あなたはこれが見えるのかと、 思われます。
いいですか?
これに、必要な・
・・どうか、 それに少し時間を掛けてください。
すなわち、私はインドに 生きていました -
文化的、迷信的な信念、教義、伝統 すべてを伴って、です。
無量の伝統、 三千年から五千年の
無量の伝統です。
あなたは、それにより 育てられました。
あなたはそこで、バラモン教の あの小さな内輪で、生きました。
もし目覚めなかったなら、
あなたは、死ぬまで、余生の間 ずっと、そこに留まりました。
1:07:08
しかし、境遇、経済的な境遇、 旅行、あれとこれにより、
あなたはこれを、棄てました。
で、三千年から五千年の 過去の伝統は、
修正をとおして、今 変化しています -
すなわち、経済をとおして、です。
ですね?
私は、もっと多くのお金を、 稼がなくてはなりません。
私の妻、子どもたちは、もっと多くの 衣服を、持たなければなりません。
しかし過去は、やはり動いています。
それは、境遇をとおして、 変化させられます。
ですね?
そして変化は、未来へ つづいていきます。
それは明らかです。
それであなたは、訊ねます - 未来とは何でしょうか。
あなた自身に訊ねてください - 未来とは何でしょうか。
あなたの未来は、何でしょうか。
今あるあなたが、あなたの未来です - 修正されて、
ですが、やはり未来です。
1:08:20
で、過去からの継続が、あるのです
- わずかに変化して、 未来へ、です。
ですね?
私たちは、人間、 ホモ・サピエンスとして、この地上に、
二百五十万年の間、生きてきました。
私たちは、そのとき野蛮人でした。
私たちは、いまだに野蛮人です -
きれいな衣服を着て、ひげを剃り、 清潔で、磨かれているが、
内的に私たちは、 互いに憎しみ合っています。
私たちは、互いに殺し合います。
私たちは、部族主義者、その他すべてです。
私たちは、あまり変化してきていません。
いいですか。これを理解されますか。
で、未来は今です。
あなたはこれを・
・・
なぜなら、私はいまだに、 私がそうであったものです - 修正されて、です。
私はそのように、つづけるでしょう。
で、未来は今です。
1:09:32
私が循環を破るのでなければ、
未来はいつも、今であるでしょう。
あなたがこれを理解されるのかと、 思われます。
それはあまり困難ではありません。
どうか、それを困難にしないでください。
それは、とても単純です。
私は、ここ三十年間、貪欲でした。
その貪欲は、修正されます。
なぜなら、私はさほど稼げない、 自分で満足するからです。
それで私は、やはり貪欲ですが、 それは、つづいていきます - ですね?
で、私は今、貪欲を止めるのでなければ、 明日、貪欲でしょう。
それは、とても単純です。
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で、そのとき私たちの問いは、こうです -
「有るもの」、過去は、変化し、 完全に終わりうるでしょうか。
そのときあなたは、循環を破ります。
あなたが循環を破るとき、
頭脳の細胞自体が、変化します。
私たちは、この事案を 頭脳の専門家たちと、議論してきました
- それらについて、 思い煩わないでください!
お分かりになりますよ -
私は八十年、生きてきました - 語り手は九十歳です。
私に同情しないでください。
お願いです。ほんの九十です。
これら九十年の間に 起きてきたことすべては
- または、五十年か、十年か、 たとえ十日の間でも、です -
過去です - 記憶、経験、
ここ、そこでの講話、聴衆、 小さな聴衆、大きな聴衆、
評判と、それらの戯言。
そのすべてが、過去にあります。
1:11:45
彼は、演壇に座って、 重要だと感じます -
彼は評判を持っています。
彼は その評判を、保っていかなければなりません。
さもないと・
・・
で、彼は、この評判をほしがります - 演壇に座ること、
聴衆、それらの事柄が 継続してほしいのです。
ですね?
しかし、彼は老いるかもしれません。
私は老いて いないかもしれません - 彼は老いています。
彼は聴衆を、失うかもしれません。
なぜなら、彼の頭脳は、惚ける かもしれないからです
- いいえ。
気をつけて、聞いてください。 どうか、聞いてください。
それは、笑い事ではないのです。
それは可笑しいですが、 ただそれを見つめてください。
彼の頭脳は、老衰するかもしれません。
すると彼は、行き詰まるでしょう。
で、何が起きますか。
彼は、今、聴衆より、 今、自分の評判から
自由であるのでなければ - 理解できますか。それを終わらせなさい!
1:12:55
彼は来年、惚けるかもしれません。 いいですよ。
ですが、彼は終わらせました。
理解されますか。
頭脳は、時の循環を破ったのです。
頭脳は、何百万に何百万の 細胞から、構成されていますが、
それは、それら細胞こそが、変異する、 という意味です。
異なった細胞の種類が、あるのです。
なぜなら、あなたは一定の方向を去り、
別の方向へ動いたからです - 付いてきていますか。
すなわち、あなたは生涯ずっと、 北へ進んでいました。
誰かがやってきて、言います -
「ごらんよ。
北には何も無い。お願いです。
北へ行くことに、あなたのエネルギーを むだにせず、南か東へ行きなさい」と。
1:13:48
東へ向かう瞬間、 彼は、様式を破ったのです。
理解されますか。
脳細胞が定めてきた様式を、です。
彼はそれを破り、東へ行ったのです。
それは、行うなら、 それほど単純です。
しかしあなたは、果てしなく 言葉を玩べます。
果てしなく書物を書けます。
しかし、ひとたび時の本性が 見えるなら - すなわち、
私たちがこれら数百万年をとおして、 ほとんど変化しなかった、ということ、です。
私たちはいまだに、 互いに殺し合っています -
もっと悪魔的な形で、です。
原子(爆弾)は、一秒で私たちを 消し去れます。
蒸発させられます。
私たちは存在しない。
何も存在しないのです。
それは同じです。
人は二百万年前に、 もう一人の人を殺しました。
私たちは、いまだにそうしています。
1:15:05
私たちは、様式を破るのでなければ、
明日、同じことをするでしょう。
付いてきていますか。
これはとても単純です。
二千年前には、棍棒で殺しました。
後に、弓矢が発明されました。
彼らは、それが戦争すべてを 止めるだろう、と考えました。
それから、ローマの軍団と それらが、来ました。
それから、私たちは、現在の
恐ろしい破壊手段を、持っています。
二百万年前と同じことを、
私たちはいまだに、 やっています - 殺しています。
それが、頭脳が受け入れてきた、 ともに生きてきた様式です。
頭脳は、様式を創り出してきました。
もし頭脳が悟らないなら - それ自体で、です。
圧迫、強要をとおして、ではない -
時が、変化の動きにおいて、
何の価値も持たないことを、 悟らないなら
1:16:16
- お分かりになるのかと、 思われます。いいですね?
そのときあなたは、 様式を破ったのです。
そのとき、全然違った生き方が あるのです。
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立ち上がってもいいですか。
昼食のため、ここには 座っていられませんよ!
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