SD74CA1 - 知識と人の変容

アラン・W.アンダーソンとの会話、第1回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月18日
テキストのみのバージョン
|
0:37
クリシュナムルティの、アラン・W・アンダーソン博士との対話
|
|
0:42
J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、
イングランドで 教育を受けた。
過去四十年にわたって、 彼は
合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、
世界の他の地方で、 話をしてきた。
彼は、 生涯の仕事の最初から、
組織された宗教と イデオロギーとの
関連すべてを、 拒絶して、
自らの唯一つの関心事は、 人を
絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。
彼は、 多くの書物の著者であり、
それらの中には、 『智恵の覚醒』、
『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、
『鷲の飛翔』が、 ある。
1:19
これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の
一連の対話のうちの 一つである。
博士は、 州立大学サンディエゴ校の
宗教学の教授であり、
そこで彼は インドとシナの聖典と
神託の伝統を、 教える。
アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、
コロンビア大学と ユニオン神学大学院より
学位を受けた。
彼は、 カリフォルニア州立大学より、
最優秀教育賞の 表彰を受けた。
|
|
1:48
A: クリシュナムルティさん、 私は、あなたの近頃の発言に、
とても打たれました -
その中であなたは、 自分の変容を、もたらすことは、
人間各々の責任であると、 仰いました。
知識や時に 依存していない変容を、です。
もし、あなたが よろしければ、
もしも、私たちがともに、
変容自体の全般的な領域を、 探検できたなら、
すばらしいことだろうと、 思いました。
そして、私たちが そうした後で、
おそらく、 他の関係した領域が、
うまく収まりはじめる だろうし、
私たちは、会話の中で それらの間に、
関係を もたらせるのでしょう。
|
|
2:31
K: こう 思われないでしょうか -
世界で、 インドで、ヨーロッパと
アメリカで 起きつつあること、
文学、芸術における 全般的な退廃、
特に深い文化的な 意味でのそれを、考慮し、
その意味で、 宗教は・・・
|
|
3:04
A: ええ。
|
|
3:05
K: ・・・伝統的な接近、
権威、信念の単なる受け入れが、 あります -
それは、本当は 宗教的な精神ではありません。
これらを見て
- 混乱、大きな悲惨、
無限の悲しみの感覚を、です -
観察ができて、大変真剣な、 どの人々も、こう言うでしょう -
個人、人間が 本当に、根本的に
自分自身を変容させる、 すなわち、
根源的に自分自身を 再生させるときだけ以外は、
この社会は、とうてい 変化させられない、と。
その責任は、
人間に、依存する - 大衆に、ではなく、
司祭者に、 教会や寺院やモスクや
何にでも、なく、
一人の人間に、です。
すなわち、この尋常でない混乱に、 気づいている人に、です。
政治的に、 宗教的に、経済的に、
あらゆる方向に、 こんなに悲惨が、
こんなに不幸せが、 あります。
4:46
あなたが それを見るとき、
自分自身に 問うことは、
とても深刻な、 真剣なことです -
自分自身や、他の一人のような 人間が
本当に深く、
根本的な変容を遂げられるのか どうかを、です。
その問いが、彼に 出されるとき、
そして、彼が、 全体への関係において、
自分の責任を 見るとき、
おそらく私たちは、 議論できるでしょう -
人の変容において、 知識と時は、
どんな関係を 持っているのかについて、です。
|
|
5:36
A: よく分かります。
すると、私たちは、幾らか 土台作りを、しなくてはいけません
- 問い自体へ 入っていくために、です。
|
|
5:44
K: なぜなら、 ほとんどの人々は、まったく
世界に、関心を 持っていないからです。
ほとんどの人々は、 現在の世界の出来事に、
むちゃくちゃな混乱に、 真剣な関心を、持っていません。
彼らは、ごく表面的な関心を 持っているだけです -
エネルギーの問題、 汚染の問題など、
そういう表面的なことに、 ですが、
彼らは本当に、 人間の精神に、
深い関心を 持っていません
- 世界を破壊しつつある 精神に、です。
|
|
6:25
A: ええ、よく 分かります。
仰ったことは、 枢要な形で、
個人そのものに、 根本的な責任を、置きます -
お話を正確に理解したなら、です。
|
|
6:37
K: ええ。
|
|
6:38
A: 私たちを助け出して くれると期待できる
(社会主義国のような) 五カ年計画は、ありません。
|
|
6:42
K: そうね、「個人」(インディヴィ ジュアル)という言葉は、
本当は、 正確な言葉ではありません。
なぜなら、個人は、 ご存じのように、(語源的に)
分割されない、という 意味であるからです
- 自分自身が 分割不可能だ、と。
ですが、人間たちは、 全的に断片化しています。
ゆえに、彼らは、個人(インディヴィ ジュアル)ではありません。
彼らは、銀行口座、名前、住宅を、 持っているかもしれませんが、
全的な、完全な、調和的な、健全な、 断片化していない、という意味で、
彼らは、本当に、 個人ではありません。
それが本当に、個人であるとは どういう意味か、ということです。
|
|
7:17
A: するとあなたは、こう仰るの でしょうか - 動く、移行するとか、
おそらく、より良い言葉は、単純に、 「変化する」であろう、と
- 私たちは、時について 話していないからです -
この断片化した状態から、
全体性のそれへ、です。
それは、当人の存在の水準での
変化と、見做せるのかも しれません。
|
|
7:40
K: ええ。 A: 私たちは、 そう言えるでしょうか。
|
|
7:41
K: ええ。が、そうね、またもや、 「全体」(ホール)という言葉は、
|
|
7:42
(語源的に、)健全さ、健康を、 含意するだけではありません。
また、「全体」(ホール)という言葉は、 聖なる(ホーリー)をも、意味します。
そのすべてが、その一言「全体」に 含意されています。
そして、人間たちは、けっして 全体的ではありません。
彼らは、断片化しています。
彼らは、矛盾しています。
彼らは、様々な欲望により 引き裂かれています。
で、私たちが、個人について 話をするとき、
個人(インディヴィジュアル)は 本当に、
総体的に、完全に 全体的である人間です -
健全で、健康的で、ゆえに 聖なるもの、です。
そういう人間を、 もたらすことが、
私たちの責任です - 教育において、
政治的に、宗教的に、 あらゆる形で、です。
ゆえに、それは、教育者の、 あらゆる人の責任です -
ただ私自身、私の責任だけ ではありません。
それは、私のとともに、 彼のとともに、あなたの責任です。
A: それは、あらゆる人の責任です。
|
|
9:08
K: 絶対に、です。
|
|
9:10
なぜなら、私たちが世界に、このひどい 乱れを、創り出してきたからです。
|
|
9:15
A: が、個人が、 出発しなければならない者です。
|
|
9:19
K: 人間が、 各々の人間が、です。
彼が政治家であるか、 実業家であるかとか、
ただの町中の、私のような、 普通の人であるかとかは、
大事なことでは ありません。
それは、人間として、 私たちの責任です -
世界にある、 甚大な苦しみ、
悲惨、混乱を 悟ることが、です。
それらを変化させることは、 私たちの責任です -
政治家ではなく、 実業家ではなく、
科学者ではない。 それは、私たちの責任です。
|
|
9:52
A: 私たちが、 「私たちの責任」と言うとき、
そして、私たちは今、「個人」という 言葉の使用を、二つ持っています。
一般的なその使用、意味が あります -
量的な度量・・・
|
|
10:07
K: ええ、量的な。
|
|
10:08
A: ・・・それから、 この質的な言及 -
可能性として区別するために、 私たちに単純に必要だと、
私には思われるもの、です。
私は、またもや、 あなたが行われた発言を、
思い起こしています - 私が先に引用したもので、
すなわち、それは、各々、 各人間の責任である、と。
|
|
10:30
K: ええ、人間の。 A: そうです。
|
|
10:31
K: 人が、インドにいても、 イングランドにいても、
|
|
10:31
アメリカにいても、 どこにいても、です。
|
|
10:35
A: で、私たちは、 これから、抜け出せません -
私たちが、これを 創り出してきた、ゆえに、
私たちがそれを変化させなければ ならない、と言うことによっては、です。
|
|
10:42
K: ええ、ええ、ええ。 A: 私たちは、戻ってきますね -
|
|
10:43
変化がそもそも、 始まろうとしているなら、
それは、各々において、になろうと している、と。
|
|
10:48
K: はい、そうです。
|
|
10:49
A: 各々において。 K: 各々の人間において、です。
|
|
10:50
ゆえに、そこから 問いが生じます -
人間は、全く真剣に、 自分の責任を、悟りますか。
自分自身に対して、 だけではなく、
人類の全体に 対して、です。
|
|
11:19
A: 物事の進み具合からは、 そうは見えないでしょうね。
|
|
11:23
K: 明白に、そうです。 一人一人が、自分の些細な
小さな利己的な欲望に、 関心を持っています。
で、責任は、 ものすごい注意、気づかい、
勤勉を、 含意しています。
怠慢ではありません - 今、進んでいるような、です。
|
|
11:46
A: ええ。それは 分かります。
互いへの関係において、私たちが 用いた「私たち」という言葉は、
関係の提起を、 もたらします -
おそらく私たちは、ここで、ちょっとの 間、それを追及できるのでしょう。
何か分割不可能なものが、 あるように、思われます
- 見たところ、私たちが 各々とか、個々人ということで、
言及することの間に、です。
その用法が、ふつう 解釈されるように、です。
それと、私たちが全体と 呼ぶものとの間には、
分割不可能な関係が あるように、思われます -
個人が感知しないものが、です。
|
|
12:29
K: ご存じのように、私は 世界中に、行ってきました -
(社会主義の)鉄のカーテンや、シナの 竹のカーテンの向こう以外は、です。
私は、いたるところへ 行ってきました。
私は、何十と 何千の人々に、
話をして、 会ってきました。
私は、五十年以上の間、 こうしています。
人間たちは、どこに 生きていても、
多かれ少なかれ、 同じです。
彼らは、自分の悲しみの問題、 恐れの問題、
生計の問題、
個人的関係の問題、
生存、人口過剰の問題、
そして、この死の甚大な問題を、 持っています。
それは、私たちのみんなに とって、共通の問題です。
東洋の問題も、 西洋の問題も、ありません。
西洋は、自らの特定の文明を、 持っているし、
東洋は、自らのを、 持っています。
人間たちは、この罠に 捕らわれています。
|
|
13:40
A: ええ、それは 分かります。
|
|
13:42
K: 彼らは、それを抜け出すことが できるように、思われません。
彼らは、幾千年もの間、 つづきに、つづけています。
|
|
13:52
A: ゆえに、問いは、こうです - 人はどうやって、各々として、
一人として、これを もたらすのか、です。
「個人」(インディヴィジュアル) という言葉は、
ちょうど叙述なさったように、 私には、
「変容」という言葉、それ自体に、 関係があるように、思われます。
私はここで、あなたが 同意されるだろうかどうかを、
お訊きしたいと 思います。
多くの人は、こういう概念を 持っているように、思われます -
何かを変容させる(トランスフォーム) とは、それそのものが何であるかに、
全く、いかなる関係もなく、 それを、変化させることである、と。
それは、私たちが形態(フォーム)に ついて、話していることを、
無視するように、 思えるでしょう
すなわち、それ(フォーム)が 変化を遂げる、と。
その形態自体は、やはり定住します。
|
|
14:36
K: ええ、理解できます。
|
|
14:37
A: さもないと、変化には、喪失が関与する でしょう - 全的な喪失が、です。
|
|
14:41
K: で、私たちは、この問いを 訊ねていますか -
人の再生において、知識は どんな所を、持っていますか。
人の変容において、
人の中の根源的、根本的な 動きにおいて、です。
知識は、ゆえに時は、 どんな所を、持っていますか。
|
|
15:08
それが、訊いておられることですか。 A: ええ、ええ、そうです。
なぜなら、私たちは、 変化とは
- それは、 真正の変化ですが -
それに先行したものの壊滅を 意味すると、受け入れるのか、
あるいは、私たちは、 定住する何かの
全的な変容について、 話しているのか、です。
|
|
15:24
K: ええ。で、しばらくの間、 その言葉を見つめましょう。
|
|
15:27
A: よろしいです。
|
|
15:29
K: (語源的に、逆転を意味する) 革命(レヴォルーション)は、
その言葉の普通の意味において、 (進展を意味する)進化
(エヴォルーション)、段階的な進化でない のを、意味しますね。それは、革命です。
|
|
15:46
A: そうです。その意味では ありません。同意します。
|
|
15:50
K: 革命というのは、一般的に こういう意味です
- もし、共産主義者に 話をするなら、
彼は、政府をひっくり 返したいと思います。
もし、ブルジョワに話をするなら、 彼は、怯えています。
知識人に 話をするなら、
彼は、 革命について、
様々な批判を 持っています。
さて、革命は、 流血であるのか・
・・
A: ええ。
|
|
16:18
K: あるいは、 精神における革命です。
|
|
16:20
A: ええ。 K: 外なのか、内なのか。
|
|
16:23
A: 外なのか、内なのか。 K: 外は、内なのです。
|
|
16:24
内は、外なのです。
|
|
16:26
外と内との間に、
|
|
16:28
違いは、 ありません。
それらは全的に、互いに 関係し合っています。
|
|
16:38
A: すると、これは、先に 触れられたことに、戻ります -
何も分割はない、と。
たとえ、知的には、
「私」と「私たち」の間に、 区別を付けるとしても、です。
|
|
16:49
K: そのとおりです。 A: ええ、もちろんです。
|
|
16:50
K: で、私たちが、 変化について、話をするとき、
|
|
16:50
それは、 単なる流血の革命、
物理的な革命ではなく、
むしろ、精神の仕組みにおける 革命(逆転)、という意味です。
A: 各々の、です。
|
|
17:11
K: 人間たちの、です。
|
|
17:12
A: そうです。 K: 彼の考え方、
|
|
17:13
彼の振るまい方、 彼の行い方、
|
|
17:15
彼が作動し、彼が機能するさま。 その全体、です。
さて、その 心理的な革命(逆転)は、
段階的という意味での 進化(進展)ではないですが、
A: ええ。
|
|
17:41
K: 知識は、そこに どんな所を、持っていますか。
A: 知識は、何か起きることにおいて、 どんな所を、持っていて・・・
|
|
17:45
K: 人の再生において、
すなわち、内的な革命において、です - それは、外に影響するでしょう。
|
|
17:55
A: ええ。それは、 段階的な前進ではない。
|
|
17:57
K: ええ、明白です。 段階的な過程は、果てしない。
|
|
18:01
A: そのとおり。 で、私たちは、即座の、
質的な変化について、 話しています。
|
|
18:07
K: またもや、「即座」という 言葉を、使われるとき、
それはまるで、ああ、突然にそれが、 起きることになるように、思われます。
そういうわけで、私は、 「即座」という言葉を使うことに、
かなり 躊躇しているのです。
私たちは、もうすぐ それに入るでしょう。
まず第一に、 よろしければ、
あなたと私が何について、話して いるかを、はっきりさせましょう。
私たちは客観的に、世界が入っている おぞましい乱れを、見ます。
|
|
18:37
いいですか? A: ええ。
|
|
18:38
K: 人の悲惨、混乱、 深い悲しみ。
|
|
18:44
A: ああ、はい。
|
|
18:47
K: 私が世界を回っていくとき、 何を感じるのかは、お話できません。
これらの些少さ、 浅さ、虚しさ -
いわゆる西洋文明の それらです。
私がその言葉を、 使っていいなら、
その中へ、東洋文明は、 引き込まれつつあります。
私たちは、いつの時も、表面を 引っ掻いているだけです。
そして、私たちは、 単なる表面での変化、
構造の変化が、人間へ、
何か甚大なことを、しようと していると、考えます。
反対に、それは、何をも してきませんでした!
それは、ここそこを 少し磨き上げますが、
深く、根源的に、それは、 人を変化させません。
で、私たちは、変化について 議論しているとき、
相当に明らかでなければ ならない、と思います -
私たちは、心理における変化を、 言っている、ということを、です。
人間たちの まさに存在において、
すなわち、人の思考の まさに構造と本性において、です。
A: 根本での変化です。
|
|
19:58
K: ええ、根本で、です。
|
|
19:59
A: 根本自体に、です。
|
|
20:00
K: ゆえに、 その変化があるとき、
|
|
20:02
人は自然に、社会に変化を もたらすでしょう。
それは、 初めに、社会ではない。
初めに、個人でもない。
それは、人間の変化です
- すなわち、社会を 変容させるだろうもの、です。
それらは、二つの 分離したものではありません。
|
|
20:21
A: さて、私は、これを 精確に理解するのか、
よく気をつけなければ なりません。
私は今、判別できると、思います - あなたが発言の中で、なぜ、
「知識や時に依存していない」と、 仰ったのか、です。
なぜなら、 この人物が変化する、
この各々の人間が 変化するとき、
社会に始まる変化は、
各々の人間における変化と 非時間的な関係にある、
変化であるからです。
|
|
20:52
K: そのとおりです。
結局、人間たちが、この社会を、 創り出してきたのです。
自らの貪欲により、 自らの怒りにより、
自らの暴力により、 自らの残忍さにより、
自らの些少により、人間たちが この社会を、創り出したのです。
A: 精確です。
|
|
21:07
K: そして彼らは、考えます -
|
|
21:09
構造を 変化させることにより、
人間を変化させようと しているのだ、と。
これが、共産主義者の 問題であったのです。
これが、永遠の 問題であったのです。
すなわち、環境を変化させなさい。
すると、人を変化させる、と、
彼らは、十の違った形で、 それを試してきました。
そして彼らは、そう してきませんでした -
人を変化させることに、 成功しなかったのです。
反対に、人は環境を、 構造を、征服します。
で、私たちは、外は内であり、 内は外であること、
明らかであるなら -
すなわち、 分割がないこと
- 社会と個人、
集合体と、 個別の人間が、です。
人間存在は、全体です。
彼が、社会です。
彼が、 別個の人間、個人です。
彼が、この混沌を もたらす要因です。
|
|
22:13
A: ええ。それには、よくよく 付いていっています。
|
|
22:15
K: ゆえに、彼は世界ですし、 世界は、彼です。
|
|
22:18
A: ええ。ゆえに、彼が変化するなら、 あらゆる物事が、変化します。
人が変化しないなら、 何も変化しません。
|
|
22:28
K: そのとおりです。これは、 とても重要だと、思います。
なぜなら、私たちは この基礎的な要因を、悟らない、
と思うからです - すなわち、
私たちは世界であるし、
世界は私たちである、 ということ、
世界は、何か私より 分離したものではないし、
私は、世界より分離していない、 ということを、です。
あなたは、或る文化の中に 生まれます -
キリスト教や、ヒンドゥー教や、 どんな文化の中に、生まれていても、
あなたは、 その文化の結果です。
その文化が、この世界を 生み出してきたのです。
こう呼んでいいなら、 西洋の物質主義的な世界は、
世界中に 拡がりつつあり、
彼ら自身の文化、彼ら自身の伝統を 破壊しつつあります。
西洋文化の跡を追って、
あらゆる物事が、 払い除けられつつあります。
この文化が、この人間を 生み出してきました。
そして、人間たちが、この文化を 創り出してきました。
A: そのとおり。
|
|
23:41
K: つまり、人は、
|
|
23:42
絵画を、創り出してきました - すばらしい大聖堂、
すばらしいテクノロジーのもの、 月へ行くこと、などなどを、です。
人間たちが、それを 生み出してきました。
私たちが生きるところの 腐った社会を
創り出してきたのは、 人間たちです。
それは、私たちが生きる ところの不道徳な社会です
- それを、人間たちが、 創り出してきたのです。
|
|
24:04
A: ああ、はい。それについて、 何の疑いも、ありません。
|
|
24:05
K: ゆえに、 世界は、あなたです。
あなたは、世界です。
他のものは、ありません。
私たちは、それを受け入れるなら、 それが見えるなら - 知的に、ではなく、
あなたの心に、あなたの精神に、 あなたの血に、
それを感じる。
あなたはそれである、と。
そのとき問いは、 こうです -
人間が、自分自身を内的に、 ゆえに、外的にも、
変容させることは、 可能ですか。
|
|
24:34
A: 私は、可能なだけ明らかに、これを 見ることに、大いに関心があります
- 私の心に浮かんでくる 二つのテキストに立って、です。
それらは、内的な意味を 所有していると、言えるのでしょう。
そして、 私たちが語ってきた
この内、外のことのために、
聖典に対して、なされる 分裂した接近において、
ここには、 ものすごい皮肉が、あります。
私は、それについて、考えています - 私にとって、すばらしいのですが、
ヨハネ福音書のテキストで、
第三章に、こう言います
- 私は、ギリシャ語にあるように、 これを翻訳しようとしましょう -
「真理を行っている者は、 光へ来つつある」。
それは、彼は真理を行って、 それから後で、
光へ来る、のではない。
|
|
25:29
K: 全くです。
|
|
25:30
A: それは、説教壇より、こう言える だろう、ということではありません
- 「私は、あなたたちに、 真理が何であるかを、告げよう。
あなたは、そうするなら、 光を見るだろう」と 。
なぜなら、私たちは、先に触れられた ことへ、また戻っているからです
- 行為の間の、 非時間的な関係、です。
行為自体が、変容ですが。
|
|
25:51
K: 全くです。
|
|
25:53
A: そして、すばらしい 理解の展望、すなわち、
「もしそうすれば」のことではなく、 真に、同時発生的なのです。
私が考えた、 もう一つのことで、
同じことを言うことに、 同意してくださるかなと、
望んでいました。
それで、あなたが 仰ったことに立って、
自分がそれをよく 理解できるように、です。
またもや私は、それを できるだけ、文字通りに
翻訳しようとしますが、 それは、
「神は愛である。
愛に留まっている者は、
神に留まっている。 神は、彼に留まっている。」
|
|
26:32
K: 全くです。全くです。
|
|
26:34
A: 私は、それらすべての言葉に、 (現在進行形の)ing を、付けました
- 言語自体の 性格のために、です。
それを、おそらく説教壇で 読み上げるために、
翻訳したくはないでしょうが、
それが、 その真の意味です。
この、(現在進行形の)しつつある ing, ing は、感じを、与えます -
ここには、時間的に 束縛されていない活動が
あるとの感じを、です。
|
|
26:57
K: もちろんです。
それは、 静止状態ではありません。
それは、何かあなたが、 知的に受け入れて、
そのように放っておく ことではありません。
そのとき、それは死です。 そこには、何もありません。
|
|
27:07
A: ええ。
|
|
27:09
K: そういうわけで、 そうね、
私たちは、物理的世界を、 分割してきたのです -
東洋と西洋として、です。
私たちは、諸宗教を 分割してきました -
キリスト教の宗教と、ヒンドゥー教、 イスラム教、仏教の、と、です。
私たちは、世界を、民族、 国籍に、分割してきました -
資本主義のものと、 社会主義のもの、
共産主義のものと、 他の国民など、です。
私たちは、世界を 分割してきました。
私たちは、私たち自身を 分割してきました -
キリスト教徒、 非キリスト教として。
私たちは、私たち自身を 断片に、分割してきました
- 互いに対立し 合ったものに、です。
で、分割があるところ、 葛藤があります。
|
|
27:57
A: 精確です。
|
|
27:59
K: それは、基本的な法則であると、 私は思います。
|
|
28:02
A: 分割があるところ、 葛藤がある。
が、その言葉「知識」と いうことに立って、
人々は、始めるにあたって、 その分割がそこにある、と
信じるように、 見えます。
彼らは、その根本的な信念に 則って、作動します。
|
|
28:12
K: そういうわけで、 始まりから、理解することが
重要であると、私は 言っているのです -
私たちの話において、 私たちの対話において、ですが、
世界は私より 異なっていないことと、
私は世界であることを、です。
それは、かなり、 きわめて簡素化され、
単純すぎるように、 聞こえるかもしれませんが、
それは、きわめて深い根源的な 意味を、持っています -
あなたが、それが何を 意味するかを、悟るなら、です。
知的に、ではなく、 内的に、です。
それを理解する。
ゆえに、分割がないのです。
私は世界であり、 世界は私であることを、
私が自分自身に言い、 私が悟った瞬間、
私は、キリスト教徒ではなく、 ヒンドゥー教徒ではなく、
仏教徒でもない。 何でもない。私は、人間です。
|
|
29:02
A: あなたが、そう仰っているとき、 私は、考えていました -
一定の種類の 哲学的な分析が、
いかに、それへ 接近するだろうかを、です。
あなたが仰ったことの精神に 立っていえば、
これは本当に、ほとんど 宇宙的な冗談です。
なぜなら、一方において、 仰ったように、それは、
単純すぎると聞こえる かもしれないからです。
或る人たちは、そうだと、 言うでしょう。
ゆえに、私たちは、それに 注意を払わなくてもいい。
他の人たちは、「まあ、 それは、深遠であるとしても、
たぶん明瞭さが、 大いに欠けているので、
それは 一種の神秘主義だ、と。
それが起きるやいなや、私たちは またもや、分割でもって
行ったり来たり、です。
|
|
29:42
K: またもや。そのとおりです。
|
|
29:42
A: で、お話は、 よく分かります。
|
|
29:44
K: で、それが はっきりしているなら、
すなわち、人間精神は、 自身の安全を見つけるために、
世界を 分割してきたことが、です。
それは、自身の不安全を もたらします。
自らは、それに 気づいているとき、
内的にも、外的にも、 この分割を
否定しなければなりません
- 我らと彼ら、 私とあなたとして、
インド人とヨーロッパ人と、 共産主義者として、です。
あなたは、この分割の まさに根本を、断ち切ります。
ゆえに、そこから 問いが、生じます -
人間の精神は、
幾千年もの間、 条件づけられてきました。
その人間の精神は、
こうも多くの知識を、 こうも多くの方向で、
取得してきました。
その人間精神は、 変化できますか。
それ自体に、 再生をもたらせ、
自由に、今、 生まれ変われますか。
A: 今。
|
|
31:12
K: 今。 A: ええ。
|
|
31:12
K: それが、問いです。 A: それが、問いです。
|
|
31:13
まさしく、 今、生まれ変わる。
|
|
31:14
仰ってきたことからは、こう 言えるように、見えるでしょうね
|
|
31:15
- 膨大な量の、 表出された知識、
幾世紀もの増大は、
私たちが、自分たち自身と 行いつつある議論である、と。
私たちがどの文化について 語っているかに、関わらず、
この分割についての 注解として、です。
|
|
31:47
K: 絶対そうです。
|
|
31:48
A: そして、本当に分割自体を 掴まなくて、です。 K: ええ。
A: もちろん、この分割は、無際限に 分割可能である上は・・・
|
|
31:56
K: もちろんです。あなたは、 分割した瞬間、分割しつづけます。
|
|
31:59
A: そのとおり。すると、私たちは、 次から次へ、次から次へ学術書を、
次から次へ図書館を、書物の陵墓を 果てしなく持てます。
なぜなら、私たちは、持続的に 分割を、分割しつつあるからです。
|
|
32:09
K: そのとおりです。 A: ええ、お話は分かります。
|
|
32:10
K: そうね、 そういうわけで、
|
|
32:11
文化は、文明より 異なっているのです。
文化(カルチャー)は、 成長を含意しています。
|
|
32:25
A: ああ、そうです。 ああ、そうです。
|
|
32:28
K: さて、善の中に 花開くことでの成長です。
|
|
32:36
A: 麗しい言い回しです。 麗しい言い回しです。
|
|
32:39
K: それが、文化です。 本当の文化です
- 善の中に、花開くこと。
理解されますか。
それは、 存在していません。
私たちは、文明を持っています。
あなたは、旅行できます
- インドからアメリカへ、 数時間で、です。
あなたは、よりよいバス・
ルームを 持てます -
よりよいこれと、 よりよいあれ、などを、
それに関与する錯綜すべてと ともに、です。
それが、ずっと 西洋の文化であったのです
- それは今、東洋を 吸収しつつあります。
で、善は、文化の まさしく本質です。
宗教は、 人の変容です。
33:21
キリスト教徒や ヒンドゥー教徒の
すべての信念、教会と、 偶像崇拝ではありません。
それは、 宗教ではありません。
で、私たちは、その点に 戻ってきます -
この世界に、このすべてが 見えるなら -
それを観察する。
それを非難したり、 正当化したりするのではなく、
ただそれを観察する。
そのとき、そこから 訊ねます -
人は、こんなに膨大な情報、知識を 収集してきましたが、
その知識は人を、善へ 変化させてきましたか。
よろしいですか。 A: ああ、はい!分かります。
|
|
33:59
この善の美しさの中に
|
|
34:00
人を花開かせるだろう 文化へ、です。
そうなっていません。 A: ええ、そうなっていません。
|
|
34:09
K: ゆえに、それは、 何の意味も、ありません!
|
|
34:11
A: 善を定義することへの 周遊は、
|
|
34:14
私たちを、助けようと していません。
|
|
34:19
K: 説明、定義を 与えることはできますが、
定義は、 実在ではありません。
|
|
34:26
A: ええ。もちろんです。
|
|
34:27
K: 言葉は、 そのものではありません。
|
|
34:31
叙述は、叙述されたものでは ありません。 A: 精確です。
|
|
34:34
K: で、私たちはまたもや、戻ってきます。 A: ええ、そうしましょう。
|
|
34:36
K: なぜなら、私個人は、 この問いに、ものすごく関心を
|
|
34:39
持っているからです - 人をどう変化させるのか、です。
なぜなら、私は毎年、 インドへ、三ヶ月か、
五ヶ月の間、行って、
そこで何が起きつつあるかを、 見るからです。
そして、私は、ヨーロッパで 何が起きつつあるかを、見ます。
私は、この国、アメリカで 何が起きつつあるかを、見ます。
それは、何か お話しできないことです
- それにより、私が どんな衝撃を受けるのか。
私がこれらの国々に、 来るたびに、です。
退廃、表面性、
知的な概念が、豊富で、
何の実質もなく、 何の基礎や基盤もない
- そこに、 善の、実在性の美しさが、
成長できるところが、 ないのです。
さて、それらを 言っておいて、
人の再生において、知識は どんな所を、持っていますか。
それが、 基本的な問いです。
|
|
35:54
A: それが、 私たちの出発点です。
|
|
35:55
K: 出発点です。 A: 良いです。
|
|
35:56
ここまで私たちが 目指してきた知識、
私たちの議論の中で、 出現してきた知識は、
それ自体では、 この変容を
発効できる力を 持たない知識です。
|
|
36:10
K: ええ。ですが、知識には、 自らの所が、あります。
|
|
36:12
A: ええ、そういうつもりでは ありませんでした。
ここから 期待されること、
私たちが目指して、
図書館に 蓄積されている知識は、
それ自体で、 充足できない期待である、と。
|
|
36:26
K: ええ、ええ。
私たちは今、またもや、その言葉に 戻らなければなりません
- 「知識」という 言葉に、です。
「知る」とは、 どういう意味ですか。
|
|
36:36
A: まあ、私は、 その言葉を、厳密な意味で
このように 理解してきました -
知識は、 「有るもの」の把握である、と。
が、知識として通っているものは、 そうでないかもしれません。
|
|
36:48
K: ええ。一般的に、 知識として
受け入れられているのは、 経験です。
|
|
36:52
A: ええ。一般的に 受け入れられているのは。
|
|
36:54
K: 私たちは、そこから始めましょう。 なぜなら、それが・・・
|
|
36:56
A: ええ、一般的に受け入れられて いることから、始めましょう。
|
|
36:58
K: 経験は、跡をつけたり、 残したりします -
それが、知識です。
あの蓄積された知識 -
科学的な世界にあっても、
生物学的な世界や、 ビジネスの世界や、
精神、存在の世界にあっても、 知られたものです。
知られたものは、過去です。
ゆえに、知識は過去です。
知識は、現在には ありえません。
私は、現在において、 知識を使えます。
A: それは、過去から資金を得ます。
|
|
37:39
K: ええ。
|
|
37:40
が、それは、過去に根を 持っています。 A: ええ、分かります。
K: それは、どういうことか・
・・ それは、とても興味深いです。
私たちが、あらゆる物事について 取得してきた、この知識・・・
|
|
37:56
A: ええ。
|
|
37:58
K: 私個人は、これらの書物を どれも読みません -
ギーター、バガヴァット・
ギーターも、 ウパニシャッドも、
心理学の書物も、何も一つ、 読みません。
私は、読者では ありません。
私は、生涯ずっと、ものすごく 観察してきました。
さて、知識は、自らの所を 持っています。
A: ああ、はい、はい。
|
|
38:23
K: それは、はっきりさせましょう。
|
|
38:24
A: ああ、はい。 実用的な秩序で、です。
|
|
38:25
K: 実用的な、テクノロジーのこと では、です。私は、自分がどこに
|
|
38:27
行こうとしているかを、知らなければ なりません - 物理的に、などなどです。
さて、それは、どんな所を 持っていますか -
すなわち、人間的な経験は、 科学的な知識とともに、ですが、
精神の性質を変化させる中で、 それは、どんな所を持っていますか
- 残忍に、暴力的に、 些細に、利己的に、
貪欲に、野心的に、 その他すべてに
なってしまったもの、
その変化の中に、知識は どんな所を、持っていますか。
|
|
39:01
A: 私たちは、始めた発言に 戻ろうとしています -
すなわち、この変容は、
知識に依存していない、 ということに、です。
すると、答えは、こうならざるを得ない でしょう - それは所を持っていない、と。
|
|
39:12
K: ゆえに、知識の制限は 何であるかを、見出しましょう。
|
|
39:19
A: ええ、ええ、 もちろんです。
|
|
39:21
K: どこに、境界が ありますか。
知られたものからの自由・・・ A: ええ。
|
|
39:28
K: その自由は、 どこに始まりますか。
|
|
39:31
A: 良いです。
|
|
39:35
ええ、今、私はその点を、 精確に知ります -
私たちが動きはじめる ところを、です。
その自由は、どこに 始まるのか -
それは、過去から 資金を得たこの増大に、
依存していません。
|
|
39:49
K: そのとおりです。
|
|
39:56
で、人間精神は、知識の上に 構築されています。 A: ええ。
|
|
40:01
K: それは、この増大の上、 伝統の上、知識の上で、
幾千年をとおして、 進化してきました。
A: ええ。
|
|
40:11
K: それは、そこにあります。
|
|
40:13
私たちの行為すべては、 その知識に、基づいています。
|
|
40:20
A: それは、定義上、反復的で あるにちがいありません。
|
|
40:23
K: 明白です。 それは、反復的です。
で、知識との 関係において、
自由の始まりは、 何ですか。
話を明らかにするように、 私は、このように、
|
|
40:55
表してもいいですか。 A: ええ、ええ。
|
|
41:00
K: 私は昨日、何かを 経験しました。
それが、跡を 残しました。
それが知識です。
その知識でもって、私は 次の経験に、出会います。
で、次の経験は、古いものと いうことに立って、翻訳されます。
ゆえに、その経験は、 けっして、新しくありません。
|
|
41:27
A: で、或る面で、お話を 正確に理解するなら、
あなたは、こう 仰っています -
私が昨日、経験して、
思い起こす・・・
|
|
41:35
K: 想起する。
|
|
41:37
A: 私が何か新しい物事に出会う ことについての想起は、
それに何か関係を 持っているように、見えますが、
私は、 自分の以前の知識を
鏡として掲げる基礎の上で、 接近します -
その中で、私が直面した この新しいものの本性を
決定するためのものを、です。
|
|
41:58
K: 全くです。全くです。
|
|
41:59
A: これは、むしろ 狂った鏡なのかしれませんね。
|
|
42:02
K: 一般的には、 そうです。
|
|
42:07
で、そうね、それが、私が言おうと する意味です。 A: ええ、分かります。
|
|
42:09
K: 知識との関係において、
どこに、自由が ありますか。
または、自由は、知識の継続より 他の何かなのですか。
|
|
42:23
A: 他の何かに ちがいないです。
|
|
42:25
K: それは、それに きわめて深く入るなら、
それは、知識が終わることを 意味しています。
|
|
42:36
A: ええ。
|
|
42:39
K: それは、 どういう意味ですか。
知識を終わらせるとは、 どういう意味ですか -
ところが、私は全面的に 知識の上で、生きてきたのです。
A: それは即時に、それを意味します。
|
|
42:53
K: ああ、待って、待って。
|
|
42:55
そこに何が関与しているかを、 ご覧ください。
私は昨日、あなたに 会いました。
私の精神には、 あなたのイメージが、あります。
そのイメージが、次の日、 あなたに会います。
A: ええ。
|
|
43:14
K: イメージが あなたに会います。
|
|
43:15
A: イメージが 私に会います。
|
|
43:16
K: 私は、1ダースのイメージか、 100のイメージを、持っています。
|
|
43:19
で、イメージは、 知識です。
イメージは、伝統です。
イメージは、過去です。
さて、それからの自由は、 ありえますか。
|
|
43:41
A: お話になる、この変容が、 起きることになる、
叶うことになるならば、
それが、なければなりません。
|
|
43:48
K: もちろんです。ゆえに、
私たちは、それを述べられますが、 精神は、イメージの上、
知識の上、 知られたものの上で、
繁茂し、行為し、 機能しますが、
精神はどうやって、それを 終わらせることに、なりますか。
この、とても単純な事実を、 取ってみてください。
あなたは、私を侮辱します。
または、私を賞讃します。
それが残ります - 知識です。
そのイメージをもって、その知識を もって、私は、あなたに会います。
私はけっして、 あなたに会いません。
イメージが、 あなたに会います。
|
|
44:34
A: そのとおり。
|
|
44:36
K: ゆえに、あなたと私との間に、 関係は、ありません。
|
|
44:41
A: ええ。なぜなら、私たちの間に、 これが、介在してきたからです。
|
|
44:44
K: もちろんです。 明白です。
ゆえに、そのイメージは、どうして 終わることになりますか。
けっして 登録しないのです。
よろしいですか。 A: 私は、自分のために
|
|
44:53
それを取り扱ってくれる 他の誰かに、依存できません。
|
|
44:54
K: ゆえに、私は、何を することになりますか。
この精神は、いつの時も、 登録していて、
記録しています - 頭脳は、です。
頭脳の機能は、記録することです - いつの時も、です。
それは、どうして 知識より、自由になりますか。
あなたが私に、何か 害を加えてきたとき -
個人的にか、集団的にか、 それが何であれ、
あなたは私を、侮辱してきました。
あなたは私に、へつらってきました
- 頭脳はどうやって、それを 登録しないことに、なりますか。
それが登録するなら、それはすでに イメージです。
それは記憶です。
そのとき、過去が、 現在に会います。
ゆえに、それに 解決は、ありません。
|
|
45:38
A: そのとおり。
|
|
45:40
K: 私は、先日、 その言葉を、見ていました -
とても良い辞書の中で、 (語源を、)です。
伝統(トラディション)。
その意味は、もちろん、 普通の言葉「トラーダレ」は、
与える、手渡すこと、 譲り渡すことですが、
それはまた、別の奇妙な意味を 持っています - 奇妙な、ではない。
同じ言葉から、ですが、 裏切り、です。
A: ああ、そうです。トラデュース。
|
|
46:00
K: トラデュース。
|
|
46:02
インドで議論する中で、 これが出てきました
- 現在の裏切りです。
私は、伝統の中に生きるなら、 現在を裏切ります。
|
|
46:19
A: ええ、それは 分かります。
|
|
46:20
K: すなわち、知識は、 現在を裏切ります。
|
|
46:25
A: それは、実は、 自己の裏切りです。
|
|
46:27
K: ええ、そのとおりです。 A: ええ、確かに。
|
|
46:28
K: 精神は、
|
|
46:29
知識の上で機能しますが、 どうやって・・・
頭脳は、いつの時も、記録して いますが、それはどうして・
・・
A: ええ。
|
|
46:42
K: ・・・終わらせるのか。
|
|
46:43
記録することの重要性を 分かり、
それを、どの他の方向にも 動かさないことに、なりますか。
すなわち、このように、 ごく単純に、表させてください -
あなたは、私を侮辱します。
あなたは、私を傷つけます
- 言葉、仕草により、 実際の行為によって、です。
それが、頭脳に 跡を残します。
それが記憶です。 A: ええ。
|
|
47:16
K: その記憶は、 知識です。
|
|
47:18
その知識は、私が次回 あなたに会うことへ、
介入しようとしています - 明白です。
さて、どうやって頭脳は、 そしてまた精神は、
頭脳はどうやって、 記録するが、
それに、現在へ 介入させないことに、なりますか。
|
|
47:44
A: その人物が、 否定するために、
|
|
47:47
手間を掛けなければ ならないと、私には思えます。
K: いえ、いえ。
何が含意されて いるかを、見てください。
私はどうして、それを 否定することに、なりますか。
頭脳の機能は、 記録することです。
コンピューターのように、それは 記録していますが、どうやって・・・
|
|
48:00
A: 私はそれが、記録するのを否定すると 提案するつもりではありませんでした。
それは、記録の、 情動的な複合体への連想、翻訳です。
|
|
48:11
K: それはどうして - ええ、それがまさに論点です -
それはどうして、この情動的応答を 終わらせることに、なりますか
- 私を傷つけてきたあなたに、 次回私が会うとき、です。
|
|
48:27
それが、問題です。 A: そこが、
実用的な秩序の中、 私たち自身への関係の中で、
私たちがそのとき、 始めなければならない所です。
|
|
48:34
K: ええ。 A: そのとおり。
|
|
48:36
これには、或る様相があって、私は それに、大いに興味があります
- 理論的なことと、 実践的なことの間の
関係ということに 立って、です。
|
|
48:49
K: 私にとって、理論は、 何の実在性も、ありません。
理論は、何の重要性も、 ありません -
実際に生きている 人にとっては、です。
|
|
49:06
A: 私がいう理論(セオリー)とは、どういう意味かを、言ってもいいですか。
私がその意味としているとお考えのことを、 私が言っているとは、思いません。
私は、ギリシャ語の言葉 「テオリア」という意味で、
言っています - 眺望、
あそこにあって、 私に見えるもの、です。
その言葉は、ゆえに、あなたが 知識ということに立って
話してこられたことに、きわめて 親しく関係しています。
けれども、私たちが何かを 見るなら、その何かは、
私たちにとって、精神の中に 登録されるのが、実情です -
その似ているところと いうことに立って、です。
さもないと、私たちは、 それを受け取るために、
それにならなくては いけないはずですが、
それは、物質的な秩序の中で、 私たちを絶滅させるでしょう。
49:52
もしも私が、お話に 正確に付いていったなら、
自らの関係に、深遠な混乱が あるように、私には思われます
- 有限な存在にとっての あの必要性と、
人がそれを どうするのかに、です。
人は、そこから、間違ったことを、 作り出しているかぎり、
人は、絶望的な難事の中に いますし、
自分自身を 反復しつづけられるだけです。
そういう反復の中で、 絶望を増加させています。
私はこれを、正確に 区別しましたか。
|
|
50:24
K: そうね、
宗教は、伝統に 基づいています。
今そうであるように、 宗教は、巨大な宣伝です。
インドで、ここで、どこでも、 理論の、信念の、
偶像崇拝、 礼拝の宣伝です。
本質的に、理論の受け入れに 基づいています。
A: ええ、ええ。
|
|
51:00
K: 本質的に、 観念に基づいています。
|
|
51:04
A: しばしば、 陳述、想定に、です。
|
|
51:07
K: 思考により出された観念に、です。 A: ええ、そうです。
|
|
51:10
K: 明白に、それは 宗教ではありません。
|
|
51:12
で、今存在している ような宗教は、
|
|
51:15
まさしく、真理の拒否です。
|
|
51:35
A: ええ、ええ。きっと私は、 お話を理解できると、思います。
|
|
51:41
K: もし私のような人とかが、
その真理が何であるかを、 見出したい、発見したいと思うなら、
彼は、今あるような宗教の構造全体を、 拒否しなければなりません
- それは、偶像崇拝、 宣伝、恐れ、分割です。
あなたはキリスト教徒だ、 私はヒンドゥー教徒だ、
そのすべての戯言です。
そして、自分自身にとって 光であること。
その言葉の 空疎な意味において、ではなく、
光です。
なぜなら、世界は、 闇の中にあるからです。
そして、人間は、自分自身を 変容させなくてはなりません。
自分自身にとって、 光でなくてはなりません。
光は、他の誰かにより 点されません。
|
|
52:38
A: で、人は、自分自身を反復するのを 止めなければならない点が、
あるのです。
それは、正確ですか。
|
|
52:44
K: 正確です。
|
|
52:45
A: 或る意味で、 私たちは、おそらく
外科手術からの類似を、 用いていいかもしれません。
ずっと継続的であった何かが、
今、断ち切られます。
|
|
52:56
K: ええ。
|
|
52:57
A: 根本的に断ち切られる。
|
53:04
いじくり回されるだけでなく、 本当に断ち切られる。
K: 私たちは、もはや、 いじくり回す時間が、ありません。
A: そのとおり。
K: 家は、火が付いているのです。
少なくとも、私はこれを 尋常でなく感じます。
物事は、ここまで 立ち至っていて、
私たちは、何かを しなければなりません。
各々の人間が、です。
より良い住宅、より良い安全、
もっと多くのこれとあれ、 ということに立って、ではなく、
基礎的に、自分自身を 再生させるように、です。
|
|
53:30
A: ですが、その人物が、
この増大より、自分自身を 断ち切る中で、
自分は自殺しつつあると 信じるなら、
彼は、その観念に 抵抗しようとしています。
|
|
53:46
K: もちろんです。もちろんです。 ゆえに、彼は、自分の精神が
何を創り出してきたかを、 理解しなくてはいけません。
ゆえに、彼は、自分自身を 理解しなくてはいけません。
|
|
53:59
A: で、彼は、自分自身を 観察しはじめます。
|
|
54:01
K: 彼自身を、すなわち、 世界を、です。
|
|
54:04
A: ええ。できるように、 五カ国語を学ぶのではなく・・・
|
|
54:07
K: ああ、後生です。 いえ、いえ。
または、感受性と、それらのごみを 学ぶ学校へ、行くのでもない。
|
|
54:16
A: あなたが示しておられる論点は、 またデンマークの大思想家、
キルケゴールも示したと、 私には思われます -
彼は、自分の共同体の中で、 とてもつらい生活を、しました。
なぜなら、彼は、 あなたが仰っていることを、
行うよう、人々に頼んでいた から、と、私には思えます。
彼はこう言っていました - 「ほら、私が神学校へ行って、
キリスト教が何であるかを、 自分自身で学習することにより、
理解しようとするなら、
私がしていることは、ここで 何かを体得することであるが、
すると、私は、自分がそれを十分に 体得したときを、いつ知るのか。
54:52
私は、その点をけっして 知らないだろう。
ゆえに、私は永遠に それを体得するだろうが、
主題としては、 そのものについては、
けっして何をも、 しないだろう」。
その人物は、行いを、 賭けなければなりません -
発言や、
誰かが前に言ってきたことを、 ではありません。
誰かが前に 考えてきたことを、
単純に考えぬくのでもなく、
それへの関係において、
私自身の観察をとおして、 意味を、実際に体現する。
|
|
55:19
K: 全くです。全くです。
|
|
55:20
A: それはいつも、私には、とても 深遠な洞察に、思われてきましたが、
それの皮肉の一つは、 もちろん、
学会では、果てしない 研究の激増が、ありまして、
その中で、学者たちは、 キルケゴールを理解するために、
デンマーク語を学んできたんです。
|
|
55:38
K: ああ、いえ。
|
|
55:40
A: そして、彼らが やっていることは、相当な程度、
私が、自分の読んできた多くのものの、 精神を、誤って判断していないなら、
単純に、彼が断ち切るべきだと言った そのことこそを、永続化させることなのです。
私は、このとても強い感情を、 持っています -
学会に、深遠な変化が 起きるだろうという感じを、です
- そうね、私は その一員なんです -
もしも教師が、
あなたが仰ってきたこれを、 掴むだけでなく、
それに則って行為することに、 賭けてみたとしたなら、です。
それが則って 行為されないなら、
私がお話を正確に 理解したのなら、
私たちは、かつていたところに、 またもや、戻っています。
私たちは、 勇猛果敢であるとの観念を、
玩んできたのですが、
それから、私たちは、 自らがそうする前に、
何が関与しているかを、 考えなくてはいけません。
それから私たちは、しません。
|
|
56:35
K: 全くです。
|
|
56:36
A: 私たちは考えるが、しません。 K: ゆえに、
|
|
56:37
言葉は、 そのものではない。
叙述は、叙述されたもの ではないのです。
あなたが、叙述に、ではなく、 そのもの、「有るもの」にのみ、
関心を持っているなら、
私たちは、何かを しなくてはいけません。
あなたは、「有るもの」に 直面しているとき、行為します。
が、あなたは、 理論と思索と信念に
関心を 持っているとき、
けっして 行為しません。
|
|
57:01
A: で、この変容には、 何の望みもありません -
私がお話を正確に 理解したなら、
私が、これはすばらしく聞こえると、 自分自身で考えたりする
- 私は世界であり、 世界は私である、と。
他方で、叙述は 叙述されるものであると、
私が考えつづけるなら、
何も望みが、 ありません。
で、私たちは、こちらでの 病気について、語っていますし、
私たちは、実情として 述べられてきた何かについて、
語っています。
もし私が、実情として 述べられてきたことを、
「実情」と 受け取るなら、
そのとき私は、叙述は、叙述 されたものであると、考えています。
|
|
57:34
K: もちろんです。 A: 私は、けっして抜け出しません。
|
|
57:35
K: それは、空腹な人に、 似ていますよ。
|
|
57:36
正しい種類の食べ物と、食べ物の 美しさの、どれほどの量の叙述も、
けっして彼を、満足させない でしょう。
彼は、空腹です。
彼は、食べ物が ほしいのです。
で、このすべては、 幾つものことを、
含意しているでしょう。
初めに、知識からの自由が、 ありえますか。
知識は、自らの所を 持っています。
知識としての伝統からの 自由が、ありえますか。
|
|
58:16
A: 知識としての 伝統から、ええ。
|
|
58:19
K: この分離的な見通しからの、
自由が、ありえますか - 私とあなた、
我らと彼ら、 キリスト教徒と・
・・
生における、このすべての 分割的な態度や活動から、です。
それらが、私たちが 見なくてはいけない問題です。
|
|
58:39
A: それが、私たちが 対話を進めてゆきながら、
注意しなければ ならないことです。
|
|
58:44
K: で、初めに、精神は、知られた ものより、自由でありえますか
- 言語的に、ではなく、実際にです。 A: 実際に、です。ええ。
|
|
58:54
K: 私は、自由とは何か、 その他すべてについて、
|
|
58:57
思案できますが、
知られたものからの自由が、 なければならないとの
必要性、重要性を、 見るのです。
さもないと、生は、 反復的に、なります。
継続的で表面的な 引っ掻き回しに、です。
|
|
59:16
それは、何の意味も、ありません。 A: もちろんです。
私たちの次の一緒の会話では、
私たちが、ちょうど止めたところから、 始められることを、望みます。
|