SD74CA18 - 冥想と神聖な精神

アラン・W.アンダーソンとの会話、第18回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月28日
テキストのみのバージョン
|
0:37
クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話
|
|
0:42
J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、
イングランドで 教育を受けた。
過去四十年にわたって、 彼は、
合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、
世界の他の地方で、 話をしてきた。
彼は、 生涯の仕事の最初から、
組織された宗教と イデオロギーとの
関連すべてを、 拒絶して、
自らの唯一つの関心事は、 人を
絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。
彼は、 多くの書物の著者であり、
それらの中には、 『智恵の覚醒』、
『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、
『鷲の飛翔』が、 ある。
1:18
これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の
一連の対話のうちの 一つである。
博士は、 州立大学サンディエゴ校の
宗教学の教授であり、
そこで彼は、 インドとシナの聖典と
神託の伝統を、 教える。
アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、
コロンビア大学と ユニオン神学大学院より
学位を受けた。
彼は、 カリフォルニア州立大学より、
最優秀教育賞の 表彰を、受けた。
|
|
1:49
A: クリシュナムルティさん、 私たちは、
前回の会話において、
冥想について、 議論していました。
私たちがちょうど終結するとき、 あなたは、
植物の花開くことから、とても 美しい類似を、持ち出されました。
そして、私は 打たれました -
花開くときの 植物の動きにとって、
本来的な秩序が、
あなたが議論されてきた
啓示的な秩序のイメージ であることに、です。
私たちはまた、
冥想の関係についても、 話していました -
一方の理解と、 他方の知識に対して、です。
ほぼ、 されない区別です。
K: ええ。
A: 普通の言語において、私たちは
おそらく知らず知らずに、 区別をしますが、
それは、あります。
|
|
2:39
K: あります。
|
|
2:39
A: 私たちは、二つの言葉を 持っています。
が、それから、区別が 何であるかに、入ることは、
何か、あなたが始めようと されていることでした。
おそらく私たちは、それができるかも・・・
|
|
2:49
K: 私たちは、そこから進めるでしょう。
私が正しく憶えているなら、 私たちは、
制御について、 話していました。
A: ええ。
K: 私たちは、制御者は、 制御されるものであると、言いました。
私たちは、充分に それに、入りました。
制御があるとき、 方向が、あります。
方向は、意志を 含意しています。
制御は、意志を 含意しています。
そして、 制御したいとの欲望には、
確立された目標と、 方向が、あります。
それは、 意志によりなされた決断を、
実行する、 という意味です。
そして、実行することは、 時の持続です。
A: ええ。
K: ゆえに、方向は、
時、制御、意志と目的を、 意味しています。
そのすべてが、「制御」という 言葉に、含意されています。
そうでないですか。 A: ええ。
|
|
4:10
K: で、冥想において、 ゆえに、生において、
|
|
4:11
意志は、どんな所を、 持っていますか。
または、それは、まったく所を 持っていませんか。
それは、決断には、何の所も ない、という意味です。
ただ、見る、 するだけです。
それは、意志を 要求しません。
方向をも、です。
よろしいですか。 A: ええ、いいです。
|
|
4:49
K: これの美しさ。 それがいかに、うまく働くのか。
|
|
4:50
精神が、制御の無益さを 見るとき
- それは、制御者が制御されるもの であることを、理解したからです -
一つの断片が、他の諸断片を、 支配しようとしていますが、
支配的な断片は、 他の諸断片の一部です。
ゆえに、それは、ぐるぐると 円を回っているのに、似ています。
悪循環で、けっして それを、抜け出しません。
で、制御なく、生きることが、 ありえますか
- ただ、聞いてください -
意志なしに、そして、 方向なしに、です。
知識の平野には、方向が、 なければなりません。
同意です。
さもないと、私は家へ、 生活する所へ、帰られないでしょう。
私は、車を運転したり、 自転車に乗ったり、
言語を話したりする能力を、 失うでしょう -
生において必要な、 技術的なことすべてを、です。
6:04
そこで、 方向、計算、決断は、
その分野において、 必要です。
選択は、これとあれとの間で、 必要です。
ここでは、選択があるところ、 混乱が、あります。
なぜなら、知覚が ないからです。
知覚が、あるところ、 選択は、ありません。
私の必要が、混乱しているから、 選択が、存在します
- これとあれとの間で、です。
で、生は、 制御なく、意志なく、
方向なく、 送られますか
- すなわち、時を 意味するものなしに、です。
そして、 それが冥想です!
問いだけでは ありません。
おそらく興味深く 刺激的な問いだけではない。
問いは、どれほど 刺激的でも、
それ自体では、 何の意味も、ありません。
それは、生きる中で、 意味を、持っています。
|
7:15
A: 私はまたもや、通常の言語の 用法について、考えていました -
あなたが、話して おられるとき、です。
興味深いですね -
私たちが、故意だ (ウィルフル)と呼ぶ行為を、
誰かが遂行したことを、見るとき、 です。
K: もちろんです。
すなわち、 これは、理解なく、
行われてきた行為である わけです。
|
|
7:40
K: もちろんです。
|
|
7:42
A: で、単語としての 意志(ウィル)と、
形容詞としての、故意の(ウィルフル) との間の、区別こそにおいて、
私たちは、この区別の 仄めかしを、持っていますが、
私は、できるなら、意志の関係について 当面、お訊きしたいと思います。
私たちは、冥想について、 話しているけれども、
私たちは、知識は、 それ自体としては、
適正な経歴を持っているのだと、 見做しました。
|
|
8:11
K: もちろんです。
|
|
8:12
A: そして、私たちは、決断は、 それを参照していると、言います
- 選択は、 それを参照している。
ゆえに、意志は そこで、作動中です。
|
|
8:21
K: そして、方向と、 あらゆる物事が、です。
|
|
8:22
A: 方向などが、です。
で、私たちは、ここで 区別を、つけています。
意志と、その役割 - 大まかにノウハウと呼ばれる
平野全体への関係における 役割との間に、です。
|
|
8:37
K: ・・・ノウハウ、知識。 A: ええ。
|
|
8:38
そして、それ自体としては、 こうも必要な、その活動が、
これの中へ 持ち越されるとき、
生ずる混乱です。
|
|
8:50
K: そのとおりです。
|
|
8:52
A: そのとき、私たちは、本当は それのどちらも、できませんね。
|
|
8:55
K: そのとき、 まさにそうなんです。
ゆえに、私たちは、 無能になり、
個人的になります。
|
|
9:01
A: が、そうね、 私たちは、そう考えませんよ。
私たちが考えることは、 自分たちが、知識において、
おそろしく 有能でありうるし、
非霊的(世俗的)と呼ばれる ものでありうる。
ここでは成功者でなく、ここでは 成功者でありうる、ということです。
ところが - お話を 正確に理解するなら -
あなたは、どちらか一方で失敗しません。
あなたはただ、失敗します。で、終了。
それは、全的な失敗です - もし、 この混乱が、なされるなら、ね。
あなたは単純に、ここでさえ、 うまく作動できません
- それが目先だけで、どのように 見えようとも、です。
|
|
9:32
K: あなたが、 自分自身の内側で、
完全に秩序立って いないかぎり、ね。
|
|
9:40
A: そうです。 そのとおり。
で、私たちが、内と外との間に 付ける分割こそは、
それ自体、このひどい ことの症状です・・・
|
|
9:49
K: 症状です。全くです。
外と内とを分割してきた 思考のそれです。
|
|
9:54
A: ええ、ええ。
私がそれを通り抜けてゆくのを、 堪えていただきたいと、望みます。
|
|
10:00
K: ええ。絶対に、です。 あなたは、全く正しい。
|
|
10:01
A: なぜなら、存じていますが、 宗教思想において
- 私の専攻分野ですが - 宗教思想において、この混乱は・
・・
まあ、その重みは・・・
|
|
10:15
K: 存じています。
|
|
10:17
A: 感じられる・・・ K: ・・・抑圧された。
|
|
10:18
A: それについて、どの種類の 批評でも、しはじめたとたんに、
|
|
10:19
それは、単純に その問いを、出すことなんです。
極端な硬直と神経質が、 生じて・・・
|
|
10:32
K: 全くです。全くです。 A: ・・・劇的です。ええ、ええ。
|
|
10:34
K: ご覧ください。 で、私は訊ねています -
|
|
10:35
冥想は、生きることの 平野全体を、掩います
- その一区分を、 ではありません。
ゆえに、制御なく、 生を生きる
- 意志の行為、決断、 方向、達成なしに、です。
それは、可能ですか。
それが、 可能でないのなら、
それは、 冥想ではありません。
ゆえに、生は、表面的に、 無意味になります。
そして、その無意味な生より 逃避するために、
私たちは、 すべての導師、
宗教的な娯楽、サーカスを、 追いかけます - よろしいですか -
すべての冥想の実践、です。
それは、何の意味も、ありません。
A: ご存じでしょうが、もちろん ご存じです。
|
|
11:31
K: いえ、どうぞ。
A: 古典的な伝統において、私たちは、 意志の定義を、持っています。
それは、合理的にされた欲望 であると、私たちは言います。
|
|
11:46
K: 合理的にされた欲望。
|
|
11:48
A: さて、もちろん、古代の人々が、 自らの観想的な背景に照らして、
「理」(リーズン)という言葉で、 言った意味について、
私たちは、ずっと前に、 失念してしまいました。
私たちは、それは計算を 意味すると、考えますが、
もちろん、それは、 古典的な伝統が、
「合理的」と言うときの 意味ではありません。
それは、むしろ、定義されない 秩序を、指しています。
私は思いつきましたが、もしも、 その発言を、正確に理解したなら、
私たちは、こう 言っているでしょう -
意志は、私が自意識的に 焦点化することなき、
欲望の焦点である、と。
|
|
12:26
K: ええ、 そのとおりです。
そして、欲望が花開くのを、 見守る。
ゆえに、作動中の意志を、 見守る。
そして、 それに花開かせる。
そして、あなたが見守っているとき、 それが花開くとき、
それは、死にます。
それは、萎れてしまいます。
A: ええ。
|
|
12:47
K: 結局のところ、 それは、花に似ています。
それを咲かせてやります。
すると、それは萎れます。
A: それは、自ずと、 生じてきて、過ぎ去ってしまう。
|
|
12:49
K: ゆえに、あなたが、 選択なく、
この欲望の動きに、 気づいているなら -
制御、意志、その意志を行為に焦点化 すること、などなどなどに、です。
そうさせる。
それを見守る。 あなたは、それを見守るとき、
それがいかに、その生命力を 失うのかが、見えるでしょう。
で、制御は、何も ありません。
で、そこから、次の問いが、 生じます - すなわち、
方向は、空間を 意味しています。
|
|
13:26
A: ええ、 もちろんです。
|
|
13:28
K: 何が来るのかは、 とても興味深い。
空間とは、何ですか。
思考が創り出してきた空間は、 一つのものです。
天空に存在する空間 - 何ですか・
・・
宇宙での、空間。
山が存在するには、空間が、 なければなりません。
樹が成長するには、空間が、 なければなりません。
花が咲くには、空間が、 なければなりません。
で、空間とは、 何ですか。
私たちは、空間を 持っていますか。
または、私たちはみんな、物理的に こうも制限されていますか -
小さなアパートメント、 小さな家々に、住んでいて、
外的に、まったく 空間が、ありません。
ゆえに、空間を 持っていないので、
私たちは、ますます暴力的に なります。
A: ええ。
K: 夕方に見守られたことが あるのかどうか、私は知りません -
そのとき、すべてのツバメが、電線に 並んで、止まっています。
A: ええ、はい。
K: 彼らがいかに間に、きっちり空間を 空けているのか。よろしいですか。
|
|
14:45
見たことがありますか。 A: ええ、 あります。それは、すばらしい。
|
|
14:46
K: この空間を見ることは、 すばらしい。
そして、空間は 必要です。
私たちは、物理的に 空間を、持っていません。
ますます増える人口、その他すべて。
ゆえに、ますます増える暴力。
(集合住宅の)小さなフラットに、 ますます一緒に生活しています。
千もの人々が、 混雑し、
同じ空気を呼吸し、 同じことを考え、
同じテレビを見、 同じものを見、
同じ本を読み、 同じ教会へ行き、
同じことを、信じています。
よろしいですか。
同じ悲しみ、 同じ心配、同じ恐れ。
私の国、あなたの・
・・ そのすべてです。
それで、精神は、それで、頭脳は、 ほとんど空間を、持っていません。
空間は、必要です。
さもないと、 私は、息が止まります!
で、精神は、空間を 持てますか。
方向が、あるなら、 何の空間も、ないでしょう。
|
|
16:01
A: 明らかです。ええ。
|
|
16:03
K: お分かりですか。 K: もちろんです。ええ、分かります。
|
|
16:04
K: 方向が、時を意味しているなら、 何の空間も、ありません。
|
|
16:06
そして、精神が 占有されているとき
- 家族でもって、ビジネスでもって、 神でもって、飲酒でもって、
セックスでもって、経験でもって、 占有され、充たされていると、
何の空間も、 ありません。
|
|
16:37
A: そのとおりです。 まさにそうです。
|
|
16:38
K: で、精神の平野全体を、
知識が、思考として、 占有するとき、
何も、空間が ありません。
そして、思考は、自体のまわりに 空間を、創り出します -
閉ざされた「私」と、閉ざされた あなた、我々と彼らとして、です。
で、自己、「私」は、
思考のまさに 本質なのですが、
それは、自らの小さな空間を、 持っています。
その空間の中から、動いて出ることは、 恐怖です。
恐れです。心配です。
なぜなら、私はただ、あの小さな 空間に、慣れているからです。
|
|
17:38
A: ええ、 そのとおり。
それにより、私たちは、前に 行った会話へ、引き戻されます
- そのとき、私たちは、 恐怖の点に、触れました。
|
17:45
K: ええ、 そのとおりです。
A: すばらしい。
K: 無いことと、有ることは、
思考が創り出してきた 小さな空間に、あるのです。
で、思考は、けっして 空間を、与えられません。
|
|
18:04
A: もちろん、 そうです。
|
|
18:06
K: で、冥想は、 精神を、
意識としてのその内容より、 自由にすることです -
自体の小さな空間を、 創り出すものより、です。
よろしいですか。 A: はい、分かります。
|
|
18:26
K: で、そこから言います - それは、可能ですか。
|
|
18:27
なぜなら、私は、 自分の妻、自分の子ども、
自分の責任でもって、 占有されているからです。
私は、樹を 気づかいます。
私は、猫を気づかいます。
私は、 あれとこれを、気づかいます。
そして、私は、占有され、 占有され、占有されています。
|
|
18:48
A: これは、イエスのあの言葉に、 すばらしい光を、照らします -
人々が熟考し、 不思議に思ってきて、
とても変だと 考えてきたことですが、
「狐には、穴があり、 空の鳥には、巣がある。
しかし、人の子には、 頭を休める所が、ない」。
自分自身を掴む、 理解する人そのものは、
自分自身のために 空間を、考案していません。
それは、完璧に合います。それは、 完璧に合います。すばらしい!
|
|
19:29
K: 私は、何なのか、知りませんが・・・ A: ええ、理解します。
|
|
19:30
が、私は、談話全体の脈絡の中で、 考えていました。
それはただ、私に 閃きました。
私たちの会話は、 私にとって、
こうも 啓示であったのです。
私が長年の間、没頭してきた 文献に関して、です。
それは、私にとって、あなたが 仰ってきたことの立証です。
例えば、私が、 これらの問いを、
個人的に、自分自身に するかぎり、
精確に、それらが答えられるに つれて・・・
|
|
20:03
K: 全くです。
|
|
20:05
A: ・・・こちらの、これら すべてのことが、答えられます。
そして、個人にとって、 それより、何が、経験的に
立証可能で ありうるでしょうか
- すなわち、「私は世界であり、 世界である」ことが、です。
|
|
20:16
K: そのとおりです。 A: 私がしているすべては、
|
|
20:17
方向なき旅の報告を、することだけです。 K: で、ご覧ください。
|
|
20:21
世界は、ますます人口過剰に、 なりつつあります。
都市は、 ますます成長し、
拡大に拡大し、拡大しつつ あります - 郊外などが、です。
人は、ますます空間が、 乏しくなりつつあります。
ゆえに、動物たちを追い出し、 殺しつつあります。
|
|
20:40
よろしいですか。 A: ああ、はい、はい、はい。
|
|
20:41
K: アメリカ・ インディアンを、殺す。
ブラジルの インディオなどを、殺す。
彼らは、こうしています。
実際に それは、進んでいます。 A: ええ。
K: あちらに、外的に、 空間を持っていないので
- 折々に私が、 田舎へ行ってしまい、
「神様。
私はここで生活できたら なあ」と、言うの以外は、です -
「だが、それはできない。
なぜなら、 私はしなくてはいけない」などなどと。
で、内的に、空間が ありえますか。
内的に、空間があるとき、 外的に、空間がある。
|
|
21:21
A: そのとおり。
|
|
21:22
K: が、外的な空間は、
内の空間を、与えようと していません。
A: ええ。
K: 占有より自由である、 内の精神の空間 -
それは、その瞬間に、しなくては いけないことで、占有されていますが。
それは、占有されているが、 自由です。
それが終了した瞬間、 それは、過ぎ去りました!
私は、オフィスを 家に、持ちかえりません。
それは、 過ぎ去りました!
で、精神の中の空間は、 意識を、その内容すべてより、
空っぽにする、 という意味です。
ゆえに、 「私」としての思考が
創り出してきた意識が、 終わる。
ゆえに、空間が あるのです。
その空間は、あなたのや私のでは ありません。
それは、空間です。
よろしい?
|
|
22:21
A: ええ、ええ。私は、 「創世記」の中の
天地創造の物語について、 考えていました。
水が水より 分離されたとき、
空間の出現が、 起こります。
今や、大空があり、その上を、 鳥たちが、飛びます。
この空間は、 天空(天国)と呼ばれます。
|
|
22:53
K: それは、天空です。 A: それは、天空です。
|
|
22:53
K: そのとおりです。 A: ええ、ええ、もちろんです!
|
|
22:54
が、それから、私たちがそれを 読むとき、そうね、私たちは・・・
|
|
22:56
K: 幸運にも、私は、それらのものを どれも読みません。よろしいですか。
|
|
23:01
A: ええ、何とまあ。 K: で、空間、方向、時、意志、
|
|
23:06
選択、制御 - 理解されますか。
さて、そのすべてが、私が生きる中で 重要性を、持っています -
日々、私が生を生きる中、 あらゆる人間が生きる中で、です。
人は、冥想の意味を 知らないのなら、
単に、あの知識の平野に、 生きるだけです。
ゆえに、あれは、 牢獄になります。
ゆえに、牢獄の中に いるので、彼は、
「私は、娯楽をとおし、 神々、あれとこれをとおして、
面白いことをとおして、逃避し なければならない」と、言います。
それが、実際に 起きつつあることですね。
A: 休暇(ヴァケイション)という言葉が ・・・
|
|
23:50
K: 休暇。そうなんです。
|
|
23:52
A: ・・・すべてを、語ります。 そうでないですか。
|
|
23:54
K: ええ、絶対に そうです。
|
|
23:56
A: 空ける(ヴァイケイト)とは、 空間へ退出することです。
|
|
23:58
ええ、ですが、そのとき私たちは、 一つの穴から別の穴へ、行きます。
|
|
24:09
K: 別の穴へ。 A: ええ。
|
|
24:11
K: さて、私自身の中で、それが、 明らかに確立・・・知覚されるなら
|
|
24:12
- 私は、そのものが、自分の日常生活で 作動しているのが、見えます -
そのとき、何が 起きますか。
空間は、静寂を 意味しています。
静寂が、ないなら、 方向が、あります。
それは、意志の作動です - 「私は、しなければならない。
私は、してはならない。
私は、 これを実践しなければならない。
私はこれを得なければ ならない」と。
よろしいですか。
あるべきことと、 あるべきでないこと、
ありつづけたこと、あるべきで ないこと - 私は後悔する。
そのすべてが、 作動します。
ゆえに、空間は、内的に 静寂を、意味しています。
|
|
24:56
A: それは、きわめて深い。 きわめて、きわめて深い。
けれども、原型的に 私たちは、顕現を、
沈潜に対して、 音と連携させます。
|
|
25:10
K: ええ、音と。
|
|
25:13
A: あなたが仰ってきたことは、 全部のことを・・・
|
|
25:17
K: 静寂は、二つの物音の間の 空間ではありません。
静寂は、物音の 停止ではありません。
静寂は、何か、思考が創り出して きたものではありません。
それは、自然に、 不可避に来ます
- あなたが開くとき、 あなたが観察するとき、
あなたが検討するとき、 あなたが究明するとき、です。
で、そのとき、 問いが、生じます -
動きなき静寂。
方向の動き、思考の動き、 時の動きですが、
すべての静寂です。
さて、その静寂は、私が日々 生きる中に、作動できますか。
26:13
私は、知識としての物音の 平野に、生きます。
私は、そう しなくてはなりません。
そして、静寂をもって 生きることが、ありますか。
そして、同時に 他方も、です。
二つが、一緒に動く。
二つの河が、均衡の中、流れる。
分割ではありません。
よろしいですか。
調和の中で、です。
分割が、ありません。
それは、可能ですか。
なぜなら、さもないと、 それが、可能でないなら
- 深く正直であって、です -
私はただ、そこに生きられるから です。知識の平野に、です。
|
|
26:56
付いてこられるのかどうか、 知りません。 A: ああ、はい、はい。
|
|
26:57
K: で、私にとって それは、可能です。
私はそれを、虚栄の中から、 言っていません。
私は、大きな謙虚さの中で、 これを言います。
私は、それは可能であると、 言います - そうなのです。
そのとき、何が 起きますか。
そのとき、 創造とは何ですか。
創造は、何か、 表現されるべきものですか
- 絵画に、詩歌に、 彫像に、著作に、
赤ちゃんを作ることに、ですか。
それが、創造ですか。
創造は、必ず・
・・それは、 表現されなければなりませんか。
私たちにとって、それは、 表現されなければなりません
- ほとんどの人々に とって、です。
さもないと、自分は欲求不満、不安に 感じます - 「私は生きていない」と。
よろしいですか。
それらです。
で、創造とは 何ですか。
自らが本当に、この すべてを、経てきたとき、
それに 答えられるだけです。
理解されますか。
さもないと、創造は、かなり 安っぽいものに、なります。
|
|
28:12
A: ええ。それは、「表現された」 (エクスプレスト)という言葉に立って、
単純に、何か押し出されたものになります。
|
|
28:17
K: 押し出された。もちろんです。
|
|
28:18
A: それだけです。ええ。 K: それだけです。
|
|
28:19
作家、文学者たちのように、です。 彼らのうちの何人は、
果てしなく、自分自身の中で、戦いに なっています。
緊張と、それらです。
その中から、彼らは、書物を 書いて、有名になりますね。
|
|
28:33
A: ええ。芸術作品は、神経症に 基づいているとの心理学の理論です。
それは、私は駆り立てられる、 という意味です。
|
|
28:39
K: ええ。 で、創造とは、何ですか。
それは、何か・
・・
花開くことであり、 その中で、花は
自らが花開いていることを、 知らないのですか。
どうですか・・・
A: そのとおり、そのとおり。
|
|
29:08
K: それは、明らかになりましたか。
|
|
29:09
A: ええ。あなたは、それを、 きわめて明らかにされました。
|
|
29:10
私たちの会話を とおして、ずっと、
私にとって、 一つの言葉が、
ずっと、諸刃の剣の冴えた刃の ようでしたが、それは、
この「行為」という言葉でした。
|
|
29:28
K: はい。
|
|
29:30
A: が、無行為に対する行為では ありません。 K: ええ、ええ。
|
|
29:34
A: ええ。 その対極の哲学的用語、
|
|
29:38
(受動的)「熱情」(パッション)に 対する(能動的)行為ではありません
- それは、 私たちの会話において、
あなたが使っておられたものとは、 異なった用法です。
まったく、行為です。
|
|
29:53
K: 行為です。
|
|
29:56
A: まったく行為です。
|
|
29:59
K: それで、何が起きるかを、 ご覧ください。
私が生きる中での、 創造です。
よろしいですか。
表現すること、美しい椅子、あれこれを 創り出すことではありません。
それは、来るかもしれません。
それは、 来るでしょうが、生きる中で、です。
そこから、もう一つの問いが、 生じます。
そのほうが、本当は、 はるかに重要です。
思考は、測量です。
私たちが、 思考を養成するかぎり
- 私たちの行為すべては、思考に基づいて います。
今そうであるように、です -
測量不可能なものへの探求は、 何の意味も、ありません。
私はそれに、意味を 与えられます。
「測量可能なものが、 ある」と、言えます -
「名づけられぬものが、ある。
永遠のものが、ある。
それについて、話さないように しよう。それは、ある」と。
31:09
それは、何の意味も ありません。
それは、ただ 仮説、思案だけです。
または、自分は知っていると考える、 わずかな人の主張です。
そのすべてを、 捨て去ってきました。
ゆえに、訊ねます -
精神が全く 静寂であるとき、
測量不可能なものとは、 何ですか。
よろしいですか。
果てしないものとは、何ですか。
永遠のものとは、何ですか。
神ということ、そうね、 人が考案してきた、
これらすべての物事という ことに立って、ではありません。
実際に・
・・ それである。よろしいですか。
さて、静寂は、その言葉のその深い 意味において、扉を開きます。
なぜなら、あなたはそこに、 自らのエネルギーすべてを、
持っているからです。
何一つとして、むだにされません。
エネルギーの消散が、 まったくありません。
32:20
ゆえに、その静寂の中、エネルギーの 総和が、あります。 A: そのとおり。
K: 刺激されたエネルギー ではありません。
自己投影されたエネルギー などではありません。
それはすべて、あまりに 子どもっぽい。
なぜなら、 何も葛藤が、なく、
何も制御が、 ないからです -
届こうとすることも、なく、 届こうとしないことも、ない。
探求すること、訊ねること、 問うこと、要求すること、
待っていること、祈ることもない。
それのどれ一つ、ない。
ゆえに、そのすべてのエネルギーが、 むだにされてきましたが、
それが、今、あの静寂の中に、 集まっています。
あの静寂は、 神聖になったのです。
|
|
33:19
明白です。 A: もちろん、そうなりました。
|
|
33:20
K: 思考が創案してきた、 神聖なものではありません。
|
|
33:24
A: ええ。世俗的なものに対して、 神聖なものではありません。
|
|
33:26
K: ええ、それらでは ありません。
|
|
33:28
で、最高に神聖なものを 見られるのは、
そういう神聖な 精神だけです
- 神聖であるものすべての本質を、 です。すなわち、美しさを、です。
|
|
33:42
よろしいですか。 A: 分かります。
|
|
33:43
K: で、それが、ある。
神は、何か人が創案したり、自らの イメージとあこがれと失敗の中から
創り出したり してきたものではありません。
が、精神自体が、 神聖になるとき、
それは、何かへ、 扉を開きます -
測量不可能に 神聖であるものへ、です。
それが、宗教です。
それは、日々生きることに、 影響します -
私の話し方、 私の人々のもてなし方
行い、振るまい、 そのすべてに、です。
それが、 宗教的な生です。
それが 存在しないのなら、
他のあらゆる過ちが、 存在するでしょう。
どれほど利巧でも、どれほど賢明でも、 どれほど・・・それらでも、です。
|
|
34:43
A: そして、このすべての 無秩序の脈絡において、
冥想は、生じません。
|
|
34:51
K: ええ。 A: 絶対に、です。
|
|
34:52
が、その進み具合、あなたが それに触れられたさまにおいて、
自らは、精確に そこにいます
- あなたの言葉「宗教的」が、 指しているところです。
|
|
35:11
K: ああ、それが、最も 深遠な宗教的な生き方です。
何が起きるのかを、ご覧ください - もう一つのことです。
そうね、このことが、 起きつつあるとき
- なぜなら、あなたのエネルギーが 集まりつつあるからです。
エネルギーが、集められつつある。
あなたのではありません。
エネルギーが 集められつつある。
あなたは、他の種類の力を、 持っています
- 超感覚的な力、です。
あなたは、奇跡を行えます。
これらが、私に 起きてきたように、です。
除霊、その種のこと、 癒やしですが、
それらは、全然、 不適当になります。
あなたは人々を愛さない、と いうことではありません。
反対に、 宗教は、愛の本質です!
が、それらはすべて、 二次的な主題になります。
人々は、二次的な主題に、 捕らわれます。
何が起きてきたかを、 ご覧ください。
本当に癒やせる人は・
・・
人々は彼を、崇拝するでしょう - 少しの癒やしを、です。
|
|
36:19
A: それで、私は、あなたが かつて語ってくださった物語を、
思い起こします。
それは、一年前でした。
それは、河の岸に座っている老人に ついて、でした。
そして、若者が 彼のところへ、来ました。
何であれ、彼がこれらを学ぶために 必要なことを行うよう、
老人が、彼を送り出した後、 彼は、戻ってきました
- 自分は水の上を歩けるとの、 すばらしい発表をもって、です。
あなたは、こう仰いました - その老人は、彼を見つめて、
「それが、何なのだ」と 言いました -
「で、おまえは、 水の上を歩ける。
おまえは、水の上をどう 歩くのかを、学ぶために、
これらの年すべてを、 掛けてきた。
おまえは、あそこの舟が、 見えなかったのか」と。
|
|
37:05
K: そのとおりです。 そのとおりです。
そうね、それは、とても重要です。
これがあるとき・・・
宗教は、 私たちが言いましたように、
すべてのエネルギーを、集める ことです - それが、注意です。
その注意の中、 多くのことが、起きます。
彼らのうち、何人かは、この癒やし、 奇跡の才能に、恵まれています。
私は、それを 持ってきましたし、
私は、自分が話していることに ついて、知っています。
そして、宗教的な人は、けっして、 それに触れません。
よろしいですか。
彼は、時折、あれやこれを するかもしれませんが、
それは、 片付けられるべきことです -
贈り物のように、 才能のように、です。
それは、片付けてしまわれるべきです。 なぜなら、それは、危険であるからです!
|
|
38:01
A: そのとおり。
|
|
38:02
K: なぜなら、あなたは、才能を持てば 持つほど、もっと「私」であるからです
- 「私が重要である。
私は、この才能を 持っている。私を崇拝しなさい」と。
その才能でもって、私は、金銭、 地位、権力を、得るでしょう。
で、これもまた、 最も危険なものなのです。
で、宗教的な精神は これらに気づいているし、
生を生きます・・・
|
|
38:31
A: ・・・この空間の中、 このすばらしい空間の中に、です。
或ることが、 私に生じました -
先の、エネルギーに関連する、 私たちの議論についてと、
あなたの寸評、すなわち、
エネルギーは、 自体を様式化するとき
- 様式化したエネルギーが、 何であるかを、指示するために、
あなたが何を用いられたのか、 私は忘れてしまいましたが、
私は、それは、しばしば物質(質料)と 呼ばれるものではないかと、思います。
|
|
39:05
K: 物質。ええ、全くです。 A: 正確でないでしょうか。そうです。
|
|
39:07
仰った行為を指すという、 このことに立って、
それは、様式化された エネルギーの特徴に対して、
きわめて違った光を 照らしますし、
私たちの注視を、様式より 引き離してしまい、
私たちに思い起こさせます - すなわち、実体、
あるいは、むしろ、 実質的な要素
- 私は、実体という言葉を使って、 ゆえに、哲学化したくありません -
私たちが指している、 実質的な要素は、
様式ではなく、 エネルギーです。
|
|
39:50
K: 全くです。 ご覧ください。
それが、愛です。
そうでしょう。
エネルギーの宗教的な総和の この感覚が、あるとき、
それは、愛です。
それは、慈悲と気づかいです
- 日々、生きる中で 作動するものです。
|
|
40:09
A: 愛の中、様式は、けっして 変化に、抵抗しません。
|
|
40:14
K: ええ。で、ご覧ください。 その愛は -
あなたは、自分の好きなことが できます。
それは、やはり愛でしょう。
が、そこで、愛は、感受になります - よろしいですか -
知識の平野において、です。
A: ええ、知識の轍全体です。ええ。
K: ゆえに、そこには 愛が、ありません。
|
|
40:39
A: ええ。(鉄道模型の)ライオネル ・トレインのあのイメージ
- ぐるぐる回ってゆく 玩具の、です。
あれは、 とてつもなくないですか。
|
|
40:50
K: ご覧ください。 それは、こういう意味です。
精神は - 私は、「精神」と いう言葉を、精神、頭脳、身体、
という意味で、使っています - 全部です。
精神は、本当に 静寂でありえますか。
誘引された静寂ではなく、 組み立てられた静寂ではなく、
思考により、静寂であると 想像される静寂ではない。
教会や寺院、神殿の 静寂ではない
- それらは、自らの静寂を、 持っています。
あなたが、寺院とかへ 入るとき、です。
A: ああ、はい。
|
|
41:28
K: ・・・古い大聖堂とか、
|
|
41:29
それらは、とてつもない 静寂の感覚を、持っています。
幾千の人々が、詠唱し、 話をし、祈った、それらです。
しかし、それは、 あのすべてを、越えています。
それは、 あれでもありません。
で、この静寂は、 企画されていないし、
ゆえに、 それは本当です。
それは、「私が、実践をとおして、 静寂をもたらした」、ではありません。
|
|
42:02
A: ええ。それは、 あなたが先に触れられたもの、
二つの物音の間の空間では ありません。
|
|
42:04
K: そのとおりです。
|
|
42:06
A: なぜなら、それは、間隔になる だろうからです。 K: そのとおりです。
|
|
42:07
A: 間隔として、それは単純に、 連続的になるだけです。
|
|
42:09
K: 連続的に。 そのとおりです。
|
|
42:11
A: これは、 問いへの継続的な回帰と
|
|
42:21
いうことに立って、 とてつもない。
私には、こう思われます
- 可能性があるのは、 問いの態度において、だけだ、と。
すなわち、 はるか遠くから
静寂の可能性を、 直観できるにも、です。
答えはすでに、 物音であるからです。
|
|
42:53
K: で、ちょっと お待ちください。
何か、とても興味深いことが、 あります。
これは、問うのをとおして、 出てきますか。
|
|
43:05
A: いいえ。私は、 問うことがそれを生成すると、
提起するつもり ではありませんでした。
私は単純に、 答えでの魅力と魅惑より、
一歩、退くことは、 自体で必要な歩みである、
と言うつもりでした。
|
|
43:23
K: もちろんです。
|
|
43:25
A: それは、自体で、 自らの恐怖を、持っています。
|
|
43:28
K: もちろんです。が、私は、 訊ねています - 静寂、
測量不可能なものの感覚、
それは、私が問うことにより、 訪れますか。
A: いいえ。いいえ。
|
|
43:41
K: ええ。
|
|
43:43
知覚は、虚偽を見て、 虚偽を、捨て去ります。
問いは、ない。
それは、見る。 そして、終了です!
ですが、私が問いつづける、 私が疑いつづけるなら、
疑いは、その所を 持っていますが、
それは、革紐に、繋いで おかなければなりません!
|
|
44:15
A: さて、ここで、よろしければ、 質問をさせてください。
知覚する行為は、
あなたが仰ってきたように、 することです。
絶対的に、間に、 何の間隔もなくて・・・
|
|
44:36
K: 私は危険を見るし、私は行為します。 A: 私は行為します。そのとおり。
|
|
44:39
さて、この知覚する中で、 行為は、全的に自由であり・・・
|
|
44:53
K: そうです。 A: ・・・そのとき、
|
|
44:56
あらゆるエネルギーの様式は、 自由であって、変化できます。
|
|
45:02
K: ええ、全くそのとおり。 A: ええ、そのとおり。
|
|
45:04
もはや、それ自体に、 貯め込んでいません・・・
|
|
45:09
K: 後悔がない。 A: ・・・生涯ずっと そのために、働いてきたすべてを、です。
|
|
45:12
けれども、お話を正確に 理解したなら、驚くことに、
これには、帰結があるように、 私には思われます。
様式が、自由に 変化できるだけではなく、
エネルギーは、自由に、 様式化できるのです。
|
|
45:28
K: または、様式化 しないでいられます。
|
|
45:30
A: または、様式化しないでいられます。 ええ。 K: そこにあります。
|
|
45:31
知識は、様式化しなくては いけません。 A: もちろんです。
|
|
45:34
K: が、ここで、それは、様式化 できません。何のための様式ですか。
|
|
45:35
それは、様式化するなら、 再び思考になったのです。
ゆえに、思考は、 分割的です。
思考は、表面的です。
先日、お話ししたのかどうか、 知りませんが、
誰かが、私に語っていました - 実は、ボーム博士です。
彼は、 エスキモーの言語では、
思考は、外側を 意味していると、言いました。
とても興味深い。
外側です。
彼らが、 「外へ行く」と言うとき、
その言葉は、 「思考」です。
で、思考は、外と内を、 創り出してきました。
もし思考が、ないのなら、
そのとき、外も内も、 ありません。
それが、空間です。
理解されますか。
それは、「私は、内の空間を 持っている」、ではありません。
|
|
46:41
A: ええ。 私たちは、
宗教へ関係において、 冥想について、話してきました。
私は単純に、あなたに、 語っていただくよう、
お願いしなければならないと、 感じます
- 冥想への、冥想との、祈りの 相互関係について、です。
なぜなら、慣習的に私たちは、いつも 祈りと冥想に、言及するからです。
|
|
47:06
K: いいえ、 私はそうしません。
私にとって、祈りは、冥想に 何の所をも、持ちません。
私は、誰に対して 祈っていますか。
私は、誰に 祈願していますか。
乞うていますか。 訊ねていますか。
|
|
47:22
A: 嘆願としての 祈りは、そこに、
何の所をも、持ちません。
|
|
47:24
K: 嘆願、そうです。
|
|
47:26
A: 「祈り」という 言葉の用法が、
何かありますか -
私たちが話してきたことと 協和するだろうものが、です。
|
|
47:40
K: 何も嘆願が、 ないのなら
- 理解されますか - 深く、内的に、
何も嘆願が、ない。
|
|
47:47
A: 捕らえること、 掴むことが、ない。
|
|
47:49
なぜなら、捕らえる者は、 捕らえられるものであるからです!
|
|
47:51
A: そのとおり。
|
|
47:54
K: 嘆願が、ないなら、 何が、起きますか。
私は、理解しないときだけ、 嘆願します。
私が葛藤の中にいるとき、私が悲しみの 中にいるとき - よろしいですか -
私が、「ああ、神様。
私はすべてを 失ってしまった。私は終わりだ。
私は辿り着けない。私は達成できない」 と言うときだけです。
|
|
48:22
A: 嘆願が、ないとき、 私は、見られます。
ええ、そのとおり、 そのとおり。
|
|
48:30
K: かつて、しばらく前に、 或る女が、私のところに来ました。
彼女は、こう言いました - 「私は、 長年、尋常でなく祈ってきました。
私は、冷蔵庫を祈ってきましたが、 私は、それを得たんです!
」と。
そうです!
私は、平和を 祈ります。
そして、私はいつの時も、 暴力の生を、生きます。
私は、「私は、私の国のために 祈る」と、言います。
そして私は、国を分割してきました - 他の国へ対立して、ですね。
そして、私は、自分の 国のために、祈ります。
それは、こうも 子どもっぽくなります!
|
|
49:13
A: 通常の祈りにおいて、
ふつう、嘆願と称賛の両方が、 あります。
両方が、あります。
|
|
49:20
K: もちろんです。
称賛するのと、 受け取るのです。
ご存じにちがいないですが、 サンスクリットでは、いつも
- その幾つかの部分は - 称賛で始まり、それから乞うのです。
すばらしい詠唱が、 あります。
それは、神々の保護を 求めるものです - 保護を、です。
それは、「私の歩みを 保護したまえ」と、言います。
A: ええ、ええ。
|
|
49:48
K: 神を称賛します。それから、
|
|
49:52
「どうぞ、私の歩みを 保護してください」と、言います。
で、何も嘆願が、 ないのなら
- なぜなら、嘆願者は 嘆願されるものである、
乞う者は、乞われるものであり、 受け取る者であるからです -
そのとき、精神の中に、 何が起きますか。
求めることが、ない。
|
|
50:22
A: 無量の静けさです。
無量の静けさです。
「平静」という言葉が、 何を指していようとも、
その適切な意味です。
|
|
50:33
K: そのとおりです。
それが、 本当の平和です。
彼らがみんな、話している、 まやかしの平和ではありません
- 政治家と、 宗教的な人たちが、です。
すなわち、何一つ、 求めることがない。
|
|
50:46
A: とても美しいバイブルの 文句が、あります
- 「理解を越える平和」。
|
|
50:55
K: 私は、子どもだったとき、 その文句を、聞いたことがあります。
|
|
51:03
A: 私は、子どもの時から、いつも 自分自身に、訊ねてきました -
こういうことについて、 こうも多くの話があり、
その証拠が、こうも、 ほとんどないことが、
どうして 実情なのか、と。
|
|
51:19
K: そうね、私は 思いますが、
書物が、ものすごく重要に なってしまったのです -
彼らが書いてきたこと、 彼らが言ってきたことが、です。
で、人間精神は、受け売りに なってしまったのです。
または、実在について、他の人々が 経験してきたことについて、
こうも多くの知識を 取得してきた精神
- そういう精神は、 本源的であるものを、
どうして経験したり、見つけたり、 出くわしたりできますか。
A: その通路ではない。
|
|
51:58
K: ええ。
|
|
52:00
そして、精神は、それ自体より その内容を、空っぽにできますか。
それができないなら、 それはただ、取得でき、
それから拒絶し、それから 受け取ることができるだけです。」
|
|
52:14
よろしいですか。 A: ええ。
|
|
52:15
K: なぜ私は、これらすべての ことを、経てゆくべきですか。
なぜ私は、「まあ、見てみよう」と、 言えませんか。
私に教えてくれようとしている 書物は、世界に何も、ありません。
私に教えてくれようとしている 教師は、誰もいません。
なぜなら、教える者は、 教えられる者であるからです。
学徒は、教師です。
|
|
52:39
A: それは、自体では、 発言として、ですが、
私たちが前の会話で 言いましたように、
もし自らが、見ることの開始に おいて、まさにその発言、
「私は世界であり、世界は 私である」を、保つなら、
癒やしのための 機会です。
|
|
53:06
K: そうです。 A: が、まさにその発言、
|
|
53:08
「私は世界であり、 世界である」は、
しばしば仰ってきたように、 こうも不条理に響くので、
その点で、またもや、 慌てはじめます。
またもや、狼狽します。
冥想は、継続的に 行われるとき
- そうでなければ なりません -
なぜなら、私たちは、その動きに ついて、話したからですが・・・
|
|
53:33
K: それは、自らが、きわめて真剣で なければならない、という意味です。
|
|
53:38
それは、私たちが玩ぶもの ではありません。 A: ええ。
それは、この頃、面白いことと 呼ばれるものではありません。
|
|
53:43
K: ええ! A: いかなる意味でも、です。
|
|
53:45
ええ、ええ、ええ。
それに関連して、あなたが 行ってこられた議論は、
こうも全的です。
冥想は、とりわけ、あなたが することではありません。ええ。
|
|
54:12
K: すなわち、冥想は、注意、 気づかいを、意味しています。
それが、その一部です - 私の子どもへ、私の隣人へ、
私の国へ、大地への気づかい。
大地へ、です!
樹々へ、動物へ。
動物を 殺さないでください。
よろしいですか。
食べるために、 彼らを、殺さないでください。
それは、こうも 不必要です!
伝統は、「あなたは肉を食べなければ ならない」と、言います。
ゆえに、このすべては、
深い、内的な真剣さの感覚に、 来るのです。
その真剣さ自体が、注意、 気づき、責任を、もたらします
- そして、私たちが 議論してきたすべてを、です。
それは、自らがこれらを経てきた、 ということではありません。
自らは、それが 見えるのです!
55:10
そして、知覚こそが、行為です - すなわち、英知です。
なぜなら、英知は、苦しみが 終わることであるからです。
それは、冷淡さではありません。
それは、それが終わることです。
それが終わることは、
苦しみの観察、見えることを、 意味しています -
それを乗り越える、 それを拒絶する、それを合理化する、
それから逃げ去るの ではありません。
ただ、それを見る。
それに、花開かせる。
そして、あなたが、選択なく、 この花開くのに、気づいていると、
それは、自然に 萎れてしまうことに、なります。
私が、それについて、 何かをしなくていい。
|
|
56:07
A: それは、驚くほど、驚くほどです - いかにエネルギーが自由に、
自体を様式化したり、自体を 様式化しなかったりできるのかは。
様式は、自由に、 エネルギー化できたり・
・・
全部のことが、単純に すべて、円かです。
|
|
56:28
K: ええ。それは、 人の尽力、人の思考、
人の心配の全体を、 掩います。
それは、あらゆる物事を、 掩います。
|
|
56:38
A: で、私たちの会話の中で、 ずっと通して、
私たちは、ここで 完成の点に、到ったのです。
そこで、それは 円かです。
シェークスピアは、これの暗示を 何か持っていたのかと、思われます
- 彼が、「円熟がすべてだ」と 言ったとき、です。
彼は、それについて、 考えていたにちがいありません
- 単純に、果実の経歴に、期限を 定めるだけではなくて、です。
|
|
57:12
K: ええ。時は、終わりになります。 時は、止まります。
静寂の中、 時は、止まります。
|
|
57:23
A: 静寂の中、 時は、止まります。
無量に美しい。
私は、あなたに、 心の底から
感謝を表明しなければ なりません。
そうさせてくださることを、 望みます。
なぜなら、私たちの議論の 経歴全体をとおして、ずっと、
私は、変容を 遂げてきていたからです。
|
|
57:56
K: 全くです。
なぜなら、あなたは、進んで 聞こうとしているから、
良くも、 聞いてくださるからです。
ほとんどの人々は、そうではありません。
彼らは、聞こうとしません。
あなたは、聞くために、時間、手間暇、 気づかいを、掛けてこられました。
|
|
58:12
A: 私はすでに、自分のクラスへの 関係の中で、見てきました -
私の学生と私が、 分かち合う活動の中で、
花開くのが 始まっているのを、です。
|
|
58:24
K: 花開く。全くです。
A: 花開くのが、始まっている。
|
|
58:25
K: 全くです。
|
|
58:27
A: 重ねて、御礼を申し上げます。 ありがとう。ありがとう。
|
|
58:29
A: 重ねて、御礼を申し上げます。 ありがとう。ありがとう。
|