SD74CA2 - 人間関係における知識と葛藤

アラン・W.アンダーソンとの会話、第2回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月18日
テキストのみのバージョン
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クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話
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J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、
イングランドで 教育を受けた。
過去四十年にわたって、 彼は、
合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、
世界の他の地方で、 話をしてきた。
彼は、 生涯の仕事の最初から、
組織された宗教とイデオロギーとの 関連すべてを、拒絶して、
自らの唯一つの関心事は、 人を
絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。
彼は、 多くの書物の著者であり、
それらの中には、 『智恵の覚醒』、
『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、
『鷲の飛翔』が、 ある。
1:19
これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の
一連の対話のうちの 一つである。
博士は、 州立大学サンディエゴ校の
宗教学の教授であり、
そこで彼は、 インドとシナの聖典と
神託の伝統を、教える。
アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、
コロンビア大学と ユニオン神学大学院より
学位を受けた。
彼は、 カリフォルニア州立大学より、
最優秀教育賞の 表彰を、受けた。
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1:48
A: クリシュナムルティさん、 私たちの以前の会話の中で、
私は、極度に喜びました - 少なくとも、私自身では、ですが -
私たちが、 知識と自己変容の間の
関係ということに立って、
区別をできたことに、 です。
一方では、
私が世の中と 維持する関係
- 世界は私であり、私は 世界であるからですが -
他方では、この機能不全の 状況との間で、です。
それは、あなたの言い回しでは、 こう表示します -
或る人物は、 叙述は叙述されたものである
と考えることに、 関与している、と。
すると、個人の中で 変化をもたらすために、
何かがなされなければならないと、 見えるでしょう。
そして、私たちの「個人」という 言葉の使用に、戻ってくると、
私たちはこう言えるでしょうし、あなたは 前に、その言葉を使われましたが、
私たちは、観察者を 取り扱っているのです。
2:54
で、個人が、叙述を、叙述されたものと 取ってしまう間違いを、
犯さないのであるならば、
彼は、観察者として、 観察されるものに、
特定の形で、 関係するにちがいありません
- それは、彼が自らの混乱の中で ずっとそうだったあり方とは、
全然違っているのです。
K: もちろんです。
A: 私は考えましたが、おそらく、 この特定の会話において、
もしも私たちが、それを 追求したなら、それは直接的に、
私たちが先に言っていたこととの 繋がりに、なるのでしょう。
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3:25
K: 私たちが以前に 言ったこと、ですが、
それは、知られたものからの 自由の性質が、
なければならない、という ことではなかったですか。
さもないと、知られたものは、 単に、過去、伝統、
イメージなどを、 反復するだけです。
確かに、過去が、 観察者です。
過去は、 蓄積された知識です
- 「私」と「私たち」、 「彼ら」と「我ら」として、です。
観察者は、過去としての思考により、 組み立てられています。
思考は、過去です。
思考は、けっして 自由ではない。
思考は、けっして 新しくないのです。
なぜなら、思考は、 過去の応答であるからです
- 知識として、経験として、 記憶としての(応答)、です。
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4:38
A: ええ、それは 分かります。
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4:40
K: 観察者が、 観察するとき、
彼は、記憶、経験、 知識、傷、絶望、望み、
そのすべてをもって、 観察しています -
そのすべての背景でもって、彼は、 観察されるものを、見つめます。
で、観察者は、そのとき、 観察されるものより、分離します。
観察者は、観察されるものより、 異なっていますか。
それへ、私たちは、後で まもなく入るでしょう。
それは、あらゆる種類の 他のことへ、つながります。
で、私たちは、知られたものからの 自由について、話しているとき、
観察者からの自由に ついて、話しています。
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5:33
A: ええ、観察者から。
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5:36
K: 観察者は、 伝統、過去です。
物事を見つめる、 条件づけられた精神です
- それ自体を見つめる、 世界を見つめる、
私を見つめる、 などです。
で、観察者は、いつも 分割しています。
観察者は、過去です。
ゆえに、それは、全体的に 観察できません。
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6:10
A: その人物が、 一人称代名詞「私」を使うなら
- 彼が、叙述を、叙述されたものと 取りながら、ですが -
これは、彼が「私が」と言うとき、 言及する観察者です。ええ。
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6:27
K: 「私」は、過去です。 A: 分かります。
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6:29
K: 「私」は、ありつづけたものの 構造全体です
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6:32
- 思い出、記憶、
傷、様々な要求。
そのすべてが、「私」と いう言葉に、まとめられます。
それが、 観察者ですし、
ゆえに、分割、
観察者と観察されるもの、です。
自分はキリスト教徒である と考えて、
非キリスト教徒や共産主義者を 観察する、観察者。
この分割、 この精神の態度 -
条件づけられた応答をもって、
記憶などをもって、観察するもの - で、それは、知られたものです。
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7:29
A: 分かります。
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7:30
K: それは論理的にそうであると、 私は思う、っていうことです。
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7:33
A: ああ、いえ。あなたが仰ってきた ことからは、精確にそうなりますね。
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7:37
K: で、私たちは訊ねています - 精神か、構造全体は、
精神は、知られたものより、 自由でありえますか。
さもないと、 反復的な行為、反復的な態度、
反復的なイデオロギーが、 進んでいくでしょう -
修正され、変化したが、それは、 同じ方向に、あるでしょう。
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8:08
A: どうぞ、 進めてください。
私は、或ることを 言おうとしていましたが、
仰ってきたことを終了なさるまで、 待とうと思います。
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8:13
K: で、知られたものからの この自由は、何ですか。
それを理解することは、とても 重要であると、思います。
なぜなら、 どの創造的な行為も・
・・
私は、「創造的」という言葉を、 その元来の意味で、使っています。
創造的な作文、 創造的なパンの焼き方・・・
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8:33
A: 知っています。
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8:34
K: ・・・創造的なエッセイ、創造的な 絵画、という意味で、ではありません。
私は、それらの意味で 話していません。
その言葉の、 より深い意味では、
創造とは、何か全然新しいものが、 生まれつつある、という意味です。
さもないと、それは、創造的では ありません。
それは単に、反復的で、
修正され、変化したり、 過去なのです。
で、知られたものから 自由が、ないのなら、
創造的な行為は、 まったくありません。
すなわち、自由は、 知られたものの否定ではなく、
知られたものの理解を、 含意しています。
その理解は、智恵を もたらします
- それは、自由の まさしく本質です。
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9:31
A: ええ。私は、自分が理解した ことを、確かめたいと思います -
あなたの、この言葉 「創造的」の使用について、です。
私にとって、それは、 きわめて重要に思われます。
「創造的」という言葉を 使う人々
- あなたが 叙述された意味で、
創造的なこれやあれや、その他ですが・・・
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9:47
K: あれは恐怖です。
あれは、その言葉の 恐ろしい使い方です。
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9:51
A: なぜなら、彼らの活動の 主題であるものは、
何か単に目新しいものであるからです。
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9:58
K: 目新しい。目新しい。そのとおりです。
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9:59
A: 根本的に新しいのではなく、 目新しい。
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10:03
K: それは、創造的な作文のようなもの、 創造的な作文を教えるようなものです。
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10:08
それは、こうも不条理です! A: そのとおり。
ええ。
私は今、 あなたが付けられた区別を、
精確に掴むと、思います。
私はそれに全く同意することを、 申し上げなければなりません -
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10:20
K: あなたは、新たに感じないなら、 何も新しいものを、創造できません。
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10:26
A: そのとおりです。 私たちが指した他のこの意味で、
その人物は、自分は 創造的であると、想像しますが、
彼は、 自分の活動への言及が、
この観察者である人物です - すなわち、私たちが触れた、
過去へ繋がれている 観察者、です。
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10:47
K: ええ、そのとおりです。 A: で、たとえ、何かが現れて、
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10:48
それは本当に、とてつもなく 目新しい、単に目新しいだけ、
けれども、とてつもなく 目新しい、としても、
彼らは、自分自身を ごまかしています。
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10:59
K: 目新しいものは、創造的なもの ではありません。 A: そのとおり。
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11:00
K: 目新しいものは、 ただ・・・
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11:01
A: 特に、今日、私たちの 文化の中で、これについて、
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私たちはヒステリーに なってしまったと、私には思われます。
なぜなら、 創造的であるために、
ただもう、自分の頭脳を 絞り上げなければならないからです
- 注意を引くほど、 それ自体が珍妙な何かを
産出するために、です。
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11:20
K: それが、すべてです - 注意、成功、です。
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11:24
A: ええ。それは、 目新しくなくてはいけません
- それにより、私が頭をぶん 殴られたと感じる程度に、です。
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11:31
K: 風変わりだ、その他すべて、です。 A: そのとおり。
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11:33
が、その緊張が、 増大するなら、
後続の各世代において、
その人物は、ものすごい緊張に 置かれます -
過去を反復しないように、ですが、彼は それを反復せざるを、えないのです。
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11:45
K: そうせざるをえない。 全くです。
そういうわけで、私は、 自由は一つのことであり、
知識は別のことである、と 言うのです。
私たちは、 その二つを関係させ、
精神が知識より自由で ありうるのかどうかを、
見なければなりません。
私たちは今、それに 入らないでしょう。
これは、私にとって 本当の冥想です。
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12:08
よろしいですか。 A: ええ、分かります。
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12:09
K: なぜなら・・・私たちは、 冥想について、話をするとき、
それに入るでしょうが・
・・
そうね、頭脳が、 記録できて、
自由に記録しないで いられるのか、
頭脳は、必要なとき、 記録し作動できるのか
- 記録する中、記憶において、 知識において、です。
そして、自由であり、観察者なしに 観察できるのか、です。
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12:43
A: ああ、はい、はい。 分かります。
その区別は、絶対的に 必要だと、私には思われます。
さもないと、それは、 理解可能ではないでしょう。
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12:53
K: で、知識は、 行為するには、必要です
- 私が、ここから家に帰る、私の 生活する所へ、という意味で、です。
私は、知識を 持たなければなりません。
私は、英語を話すには、知識を 持たなければなりません。
私は、手紙を書くなどには、 知識を持たなければなりません
- あらゆることに、です。
機能として知識 - 機械的な働き、役割ですが -
それは、必要です。
さて、私は、あなたとの、 他の一人の人間との関係において、
その知識を使うなら、 私は、
障壁、分割を、あなたと私との間に、 もたらしつつあります - すなわち、
観察者との間に、です。 話は明らかになっていますか。
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13:46
A: ええ、私は、その場合、 観察されるものです
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13:50
- ちょうどその脈絡に おいて、です。
K: すなわち、知識は、 関係において、
人間関係において、 破壊的なのです。
すなわち、知識は
- それは、伝統、記憶、 イメージであり、
精神が、あなたについて 築いてきたものですが、
私たちが、ともに関係しあっている とき、その知識は、分離的です。
ゆえに、その関係に 葛藤を、創り出します。
私たちが先に言いましたように、 分割があるところ、
葛藤があるに ちがいありません。
インドとパキスタンの間、
インドとアメリカ、ロシア、 それらの間の分割です。
この分割的な活動は、
政治的に、宗教的に、 経済的に、社会的に、
あらゆる形で、ですが、 必然的に、葛藤をもたらすし、
ゆえに、暴力をもたらすに ちがいありません。
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14:54
それは明白です。 A: そのとおり。
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14:55
K: さて、関係において、 人間関係において、
知識が、 割って入るとき、
その関係には、葛藤が あるにちがいありません
- 夫と妻、 男の子と女の子の間に、です。
どこでも、観察者としての 作動が、あるところ -
彼は、過去であり、 彼は、知識でありますが、
その活動には、 分割があり、
ゆえに、関係には、 葛藤があります。
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15:29
A: で、今、次に 浮かんでくる問いは、
この反復的な円周に 従属することからの
自由のそれです。
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15:41
K: そのとおりです。
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15:42
さて、それは、可能ですか。 よろしいですか。
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15:43
それは、無量の問いです。 なぜなら、人間たちは、
関係の中に、生きるからです。 A: ええ。
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15:54
K: 関係なしに、 生は、ありません。
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15:57
生は、関係することを、 意味しています。
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16:07
A: そのとおり。
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16:09
K: 僧院、修道院、 それらへ隠遁する人々、
彼らは、やはり 関係しています。
彼らが、どんなに自分は 一人であると、考えたいと思っても、
彼らは実際に、関係しています。 過去に関係しています。
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16:21
A: ああ、はい。 大いにそうです。
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16:23
K: 彼らの救い主、彼らのキリスト、 彼らのブッダに
- よろしいですか - それらに、です。
彼らは、過去に関係しています。
A: そして、彼らの規則に。
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16:30
K: そして、彼らの規則、あらゆる物事に。
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16:31
A: ええ。 K: 彼らは、過去の中に生きます。
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16:32
ゆえに、彼らは 最も破壊的な人々です。
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16:33
なぜなら、彼らは、その言葉の、 より深い意味において、
創造的ではないからです。
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16:46
A: ええ。 彼らはまた、
この混乱 - あなたが 話してこられたこと - に、
関与しているかぎり、です。
そして、何も目新しいものを、 生産してもいません、
それが、何かを意味する、 というのでもなくて、
おそらく、それは むしろ根本的に・・・
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17:04
K: 目新しいことは、 話し好きな人にとっては、
話をしない僧院へ、 入ることなのでしょう。
それは彼にとって、目新しいことですし、 彼は、「それは奇跡だ!」と言います。
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17:13
A: そのとおり。
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17:15
K: で、すると、 私たちの問題は、こうです -
人間関係において、知識は、 どんな所を、持っていますか。
A: ええ。それが問題です。
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17:25
K: それが、一つの問題です。
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17:28
なぜなら、 人間たちとの関係は、
最高に重要であるからです - 明白です。
なぜなら、その関係の中から、 私たちは、
社会を、創り出すからです - 自らが その中で生きるところを、です。
その関係の中から、私たちの 存在すべてが、出てきます。
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17:50
A: これにより、私たちはまたもや、 先の発言に、引き戻されるでしょう
- 私は、世界であり、世界は、 私である。
K: そのとおりです。
A: それは、 関係についての発言です。
それはまた、他の多くのことに ついての発言でもありますが、
それは、 関係についての発言です。
「叙述は、叙述されたもの ではない」との発言は、
関係の破断についての 発言です・・・
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18:15
K: そのとおりです。 A: ・・・毎日の活動に立って、です。
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18:17
K: 毎日の活動が、 私の生です。私たちの生です。
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18:19
A: あらゆる物事です。 ええ、精確です。
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18:23
K: 私が、事務所、工場へ 行こうとも、バスを運転しようと、
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18:25
それが何であっても、 それが、生、生きることです。
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18:32
A: ですが、 興味深くですよね -
その破断が、 きわめて破壊的な水準で、
なされたときですら、
思考と呼ばれるものは
- 私たちの、その叙述と、 イメージの脈絡において、ですが -
自体が、さらに 歪曲されます。
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18:53
K: もちろんです。もちろんです。 A: それで、歪曲は -
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18:55
私たちは、その適用と いうことに立って、
それを知識と 呼んできました。
叙述なさったように、「私は、 ここからそこへどう行くのかを、
知らなくてはいけない」 ではありません。
もちろんです。
それ自体は、私たちが 現在関係しているのより、
さらに悪い状況を、被りえますか。
そして、私たちは、
その病理学自体について、学術書に 次ぐ学術書を、持ちますよね。
ええ、どうぞ、どうぞ、 進めてください。
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19:22
K: で、知識と自由、です。
それらは、共存しなければ なりません。
自由、そして、 知識、ではありません。
それは、 二つの間の調和です。
二つが、いつの時も 関係の中で、作動しています。
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19:44
A: 調和の中で、 知識と自由が。
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19:48
K: 調和の中で。それは、二つが けっして離別できないように、です。
私は、あなたとともに、 大きな調和の中に、生きたいのなら
- それは、愛です。
私たちは、それについて 後で、議論するでしょう -
あなたからの、この絶対的な自由の 感覚が、なければなりません。
依存、などなどなど ではなくて、
この絶対的な自由の感覚と、
同時に、知識の平野で 作動することが、です。
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20:24
A: そのとおり。 で、どうにか、この知識は
- もし私がここで、 私たちが話していることへ、
先入観を与えずに、神学の 言葉を、使っていいなら、
もし、この自由との 正確な関係において、
どうにか、継続的に 贖われるなら、
それはどうにか、もはや 破壊的に作動していなくて、
自由との協調の中で - 私は そこに生きるかもしれません。
なぜなら、私たちはまだ、 その自由に、到っていないからです。
私たちは、自由を、想定している だけです。そのとおり。
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21:05
K: 私たちは幾らか、知識の疑問を、 分析、または議論してきました。
または、開いてきました。 A: ええ。
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21:12
K: 私たちはまだ、 自由の問いへ、入っていません
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21:13
- それが何を 意味するのか、へ。
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21:18
A: ええ。でも、私たちは、 何かを確立したと、思います -
ここまでのこの会話は、 開示してきました。
それは、ひどく重要です
- 少なくとも、 私の学生たちにとって、
彼らを助けるということに 立っては、そうでしょうね
- あなたが仰っていることを、 誤解しないように、です。
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21:38
K: 全くです。 A: 私は、 こういう感じを、持っています
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21:39
- 多くの人物は、あなたが仰ることへ、 充分に注意していないから、
あなたが仰る 多くの発言を、
単純に却下してしまいます。 手に負えない、と。
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21:51
K: 不可能だ、と。 A: 不可能か、あるいは、
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21:53
彼がその美学が 好きだとしても、
それは、やはり 自分たちには、通用しない。
それは、あちらの 麗しいものである。
「もしも私たちが、どうにかこれを できたなら、すばらしくなかろうか」と。
でも、あなたは、 そう仰っていませんね。
あなたが言ったと、彼らが考えることを あなたは、言ってきませんでした。
あなたは、知識について、病理に 関して、何かを言ってきました。
あなたは、知識について、 何かを言ってきました。
その中で、知識自体は、もはや 破壊的ではありません。
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22:19
K: ええ。
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22:21
A: で、私たちは、 知識そのものが、悪玉であり、
他の何かが、善玉であるとは、 言っていません。
ええ、ええ。
それが分かることが、 ひどく重要だと、思います。
私は、それが再三再四、 反復されるのを、気にしないでしょう。
なぜなら、私は、誤解することは、 たやすいと、心より感じるからです。
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22:44
K: それは、とても重要ですよ。 なぜなら、宗教(レリジョン)は、
少なくとも、その言葉の意味は、 (語源的に)
注意深くあるよう、一緒に 集めることであるからです。
それが、その言葉「宗教」 (レリジョン)の真の意味です。
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23:03
私はそれを、辞書で探してみました。 A: ああ、はい、同意します。
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23:04
K: 注意深くあるように、 エネルギーすべてを、一緒に集める。
注意深いこと。
さもないと、 それは、宗教ではありません。
宗教は、 すべての物事であり・
・・
で、私たちは、そこに来るとき、 それについて議論するでしょう。
で、自由は、 完全なきびしさの感覚と、
観察者の全的否定の感覚を、 意味しています。
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23:36
A: そのとおり。
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23:40
K: その中から、きびしさ、 他のあらゆる物事が、出てきます。
私たちは、後で それに、入るでしょう。
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23:45
A: が、きびしさ自体は それを、生み出しません。
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23:48
K: ええ。逆さまです。
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23:49
A: で、私たちは、それを 逆さまにしてしまいました。
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23:51
K: きびしい(オースティア)とは、 本当は、その言葉自体は、
灰、乾いた、もろい、 という意味ですが、
私たちが話している、 きびしさは、
何か全然違ったことです。 A: ええ。
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24:07
K: このきびしさを、内的に もたらすのは、
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24:08
自由です。
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24:13
A: これを指している、美しい バイブルの文句が、あります。
(英語で)ほんの三言です。
「灰の代わりに美しさを」
- 変容が起きるときに、です。
英語では、「口に灰を含んで」と いう言い回しが、あります
- 全部のことが、灰燼に 帰してしまったとき、ですが、
灰から美しさへの 変化が、あります。
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24:35
K: で、 知識の平野において、と、
人間関係の平野における、 行為の中の自由です。
なぜなら、それが、 最高に重要であるからです -
人間関係が、です。
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24:56
A: ああ、 はい、はい。
ああ、はい。特に、私が世界であり、 世界が私であるなら、です。
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25:02
K: 明白です。 A: ええ。
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25:03
K: で、人間関係において、知識は どんな所を、持っていますか。
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25:04
過去の経験、 伝統、イメージ、
という意味での知識、です。
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25:21
A: ええ。
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25:22
K: 観察者は、どんな所を 持っていますか
- そのすべてが、観察者です -
人間関係において、観察者は、 どんな所を、持っていますか。
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25:34
A: 一方で、知識は、 どんな所を、持っていますか。
観察者は、どんな所を 持っていますか。
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25:38
K: 観察者は、知識です。 A: 知識です。
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25:39
が、可能性が、 あります -
知識を、 単純に否定的に、ではなく、
真に創造的な関係での協働において、 見られる、と。ええ。
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25:54
K: 私はそれを、言ってきました。 A: そのとおり。
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25:55
K: すなわち、私はあなたに、 関係していると、しましょう。
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25:57
それを、ごく 単純にすると、
私は、あなたに関係しています。
あなたは、私の兄弟、夫、妻です -
それが何であっても、です。
知識は、観察者として、 どんな所を、持っていますか
- それは、過去です。
知識は、過去です。
それは、私たちの関係において、 どんな所を、持っていますか。
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26:28
A: もし、私たちの関係が、 創造的であるなら・・・
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26:33
K: 創造的ではありません。 「もし、なら」ではない。
私たちは、それを、実際にありの ままに、取らなければなりません。
私は、あなたに関係しています。
私は、あなたと結婚しています。
私は、あなたの妻や夫です - それが何であっても、です。
さて、その関係において、 現実とは何ですか。
現実、です。
理論上の現実ではなく、
現実は、私があなたより 分離している、ということです。
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27:00
A: 現実は、私たちが分割されて いない、ということにちがいない。
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27:03
K: ですが、 分割されています。
私はあなたを、私の夫、妻と 呼ぶかもしれませんが、私は、
自分の成功に、 関心を持っています。
私は、自分のお金に 関心を持っています。
私は、自分の野心、自分の妬みに、 関心を持っています。
私は、自分自身で 一杯です。
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27:23
A: ええ、それは分かりますが、 私は今、確かめたいと思います
- 私たちがここで、混乱に 到っていないことを、です。
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27:31
K: ええ、私たちは そうなっています。
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27:32
A: 現実は、私たちは分離していない ことであると、私が言うとき、
私は、現象的な水準で、 機能不全が発生しつつあると、
言うつもりではありません。
私は十分に、それに気づいていますが、
私たちが、 世界は私であり、
私は世界であると、 言おうとしているなら・・・
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27:49
K: 私たちはそれを、理論的に言います。 私たちは、それを感じません。
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27:52
A: 精確ですが、 それが、実情であるなら
- 世界は私であり、 私は世界であることが、ですが -
これは、現実的であり、 これは、現実的で・・・
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28:04
K: 私が自分自身に分割を持たない ときだけ、これは、現実的です。
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28:08
A: そのとおり。そのとおり。 K: が、私は分割を持っています。
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28:10
A: 私は分割を 持っているなら、
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28:12
何も関係が、ありません - 自分と他者との間に、です。
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28:17
K: ゆえに、自らは、 観念を、受け入れるのです
- すなわち、世界は私であり、 私は世界である、と。
それは、観念だけです。ご覧ください。 A: ええ、理解できますが、
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28:32
もしそれが起きるなら、 そして、そのとき・・・
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28:35
K: いえ、待って。私の精神に、 何が起きるのかを、見てください。
私は、その種の 発言をします -
「世界はあなたであり、 あなたは世界である」と。
そのとき精神は、それを 観念に、概念に翻訳して、
その概念に沿って、 生きようとします。
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28:56
A: そのとおり。
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28:57
K: それは、実在より、 抽象化したのです。
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29:04
A: これは、 破壊的な意味での知識です。
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29:09
K: 私はそれを、破壊的とか、 肯定的とか、呼ばないでしょう。
これが、 進んでいることです。
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29:13
A: まあ、そこからの結末は、 地獄だと、言いましょう。
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|
29:17
K: ええ。で、あなたとの 私の関係において、
知識は、どんな所を持っていますか - 過去、イメージは。
それが、観察者です。
そのすべてが、観察者です。
私たちの関係において、観察者は、 どんな所を、持っていますか。
現実に、観察者は、 分割の要因です。
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|
29:44
A: そうです。
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|
29:46
K: ゆえに、あなたと 私との間の葛藤です。
これが、毎日、世界で 進んでいることです。
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29:53
A: すると、こう言わなくてはいけない だろうと、私には思われます -
会話を逐一、追っていくと、
この観察者の所は
- それを指摘してこられたように、 理解して、ですが -
関係不全の点です。
|
|
30:13
K: 本当に、現実に、
まったく関係が ない点なのです。
私は、自分の妻と寝る、 などなどかもしれませんが、
現実に 関係は、ありません。
なぜなら、私は、自分の追求、自分の 野心、すべての体質などを、
持っているし、彼女は、 彼女のを、持っているからです。
で、私たちは、いつも 分離しています。
ゆえに、いつも 互いに闘っています。
それは、 過去としての観察者が、
分割の要因であることを、 意味しています。
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30:58
A: ええ。私はただ、 確かめたいと思っていました
- その言い回しは、
「観察者の所は何か」の所が、
私たちが言っていることの脈絡で、 理解されたのである、と。
私たちは、そういうものが、 あるとの発言を、しました。
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31:12
K: ええ。
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31:13
A: まあ、その所そのものは、 私には、こう思えるでしょうね -
私たちがふつう、それが或る所を占有する と言っている意味ではない、と。
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31:22
K: ええ。 A: 私たちは、むしろ、ここで
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31:23
活動について、話しています - 深遠に 無秩序であるものについて、です。
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31:30
K: 観察者があるかぎり、
関係に、葛藤が、 あるにちがいありません。
A: ええ。それは分かります。
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31:39
K: 待って、待って。
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31:41
何が起きるかを、ご覧ください。 私は、その種類の発言を、します。
誰かは、それを翻訳して、 観念に、概念にし、
「私はどうやって、その概念を生きる ことになるのか」と、言うでしょう。
事実は、彼が彼自身を観察者と 観察しないことなのです。
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32:03
A: そのとおりです。
そのとおりです。
彼は、 観察者であり、あちらを見ていて、
区別をつけています - 彼自身と・・・
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32:09
K: ・・・発言との間に。 A: そうです。分割を作っています。
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32:11
K: 分割を。 で、観察者は、
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32:13
関係において、そもそも どこか所を、持っていますか。
私は、いいえ、と 言います。
関係において、 彼が存在した瞬間、
関係は、ありません。
A: 関係は、ありません。
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32:35
K: ありません。
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32:36
A: それは、何か、関係不全の中に あるものではありません。
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32:38
K: ええ、そのとおりです。 A: 私たちは、何か
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32:42
実は存在さえしないことについて、 話しています。 K: 存在もしない。
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32:43
ゆえに、私たちは、その問いに 入らなくてはいけません -
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32:46
なぜ人間たちは、他の 人間たちとの関係において、
そんなに暴力的で あるのか、です。
なぜなら、それが、世界中で 拡がりつつあるからです。
私は先日、インドで聞かされました。
或る母親が、私に会いに来ました
- きわめて バラモン的な家族で、
大変教養がある、 その他すべてです。
彼女の息子は、 六歳ですが、
彼女がその子に、 何かをするよう、頼んだとき、
その子は、棒を取って、 彼女を叩きはじめました。
知られていないこと、です。
よろしいですか。
自分の母親を叩く、 という観念は、
伝統的に、 何か信じがたいことです。
この男の子は、 そうしました。
私は、「事実が何であるかを、 見てください」と、言いました。
私たちは、それに入りました。
彼女は、理解しました、などです。
で、暴力を理解するには、分割を 理解しなくてはいけません。
A: 分割がすでに、そこにありました。
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33:56
K: ありました。
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33:57
A: さもないと、その子は、棒を 取っていなかったでしょう。
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33:59
K: 民族、国家の間の分割、 よろしいですか。
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34:02
この軍備の競争は、
暴力の要因の一つです。
すなわち、私は、自分自身を アメリカ人と呼んでいます。
他の人は、自分自身をロシア人とか、 ヒンドゥーと、呼んでいます
- それが 何であっても、です。
この分割が、本当の暴力と 憎しみの要因です。
精神は、 それを見るとき、
自分自身の中の分割すべてを、 断ち切ります。
彼はもはや、ヒンドゥー教徒、 アメリカ人、ロシア人ではありません。
彼は、人間です -
自らの問題をもっていて、それから 彼はそれを、解決しようとしています
- インドやアメリカやロシアという ことに立って、ではありません。
で、私たちは、 その点に来ます -
精神は、関係において 自由でありえますか。
それは、秩序立っている、という意味です - 混沌としているのでない。
A: ええ。
K: 秩序立っている。
A: そうで なくてはいけません。さもないと、
「関係」という言葉を、使えない でしょう。
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35:12
K: ええ、ええ。
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35:15
で、精神は、それより 自由でありえますか。
観察者より 自由でありえますか。
A: そうでないなら、望みはない。
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35:25
K: それが、論点全体です。
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35:27
A: そうでないなら、私たちは さんざんやってきました。 K: ええ。
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35:29
すべての逃避と、他の宗教へ 入ってしまうこと、
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35:30
あらゆる種類のごまかしをする ことは、何の意味も、ありません。
さて、これは、大変多くの 知覚、洞察を、要求します -
あなたの生の事実へ、自らが 自分の生をどう生きるのかへ、です。
結局のところ、哲学(フィロソフィー)は (語源的に、)真理の愛を、
意味しています - 何か抽象への 愛ではなく、英知の愛です。
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36:03
A: ああ、はい、 はい、はい。
英知は、 最高に実践的です。
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36:07
K: 実践的です。ゆえに、 さて、ここで、です。
すなわち、人間は、自由の中、 関係に生きられて、
なおかつ、知識の平野に 作動できますか。
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36:24
A: なおかつ、知識の平野に 作動できますか。ええ。
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36:26
K: そして、絶対的に 秩序立っている。
さもないと、それは 自由ではありません。
なぜなら、秩序は、美徳を、 意味しているからです。
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36:40
A: ええ、ええ。
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36:42
K: それは、現時点で 世界に、存在していません。
何事にも、美徳の感覚が、 ありません。
それから、私たちは 反復します。
美徳は、 創造的なものです。
生きているものです。 動いているものです。
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36:57
A: 美徳(ヴァーチュー)について、こう 仰っているとき、私は考えていました
- それは本当は (語源的に)、力です。
それは、本当は、 行為できる能力です。
お話に、正確に 付いていっているなら、
あなたが本当に 仰っていることは
- 私がここで逸れてしまっている なら、どうぞ、訂正してください -
あなたが本当に仰っている ことは、こうです
- 厳密な意味で、 行為できる能力は、
創造的でなければならない。
さもないと、それは行為(作用)でない。 それは単純に、反応(反作用)です。
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37:43
K: ええ、反復です。 A: 反復です。
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37:46
すなわち、行為できる能力や、 あなたが表されたような美徳は、
必然的に、秩序の含意を、 自らに帯びています。
そうでなければなりません。
私にとって、そこからの 抜け道はないと、思われます。
ええ。私は、一時に一歩、それを 取り戻したいと思いました。
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38:10
K: で、私は、 戻ってきていいですか。
今、存在するような、 人間関係において
- 私たちは、それを見つめています。
実際に有るものを、です -
その人間関係において、 葛藤が、あります。
性的な暴行、 などなどなど、
あらゆる種類の暴力、です。
さて、人は、全的な平和に 生きられますか。
さもないと、人は、 創造的ではありません。
人間関係において、です。
なぜなら、それが、生すべての 基礎であるからです。
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38:55
A: あなたがこれを追求なさってきた さまに、私は大いに惹かれています。
私は注目しました。
すなわち、 私たちが、この質問をしたとき
- 「それは可能ですか」と、 ですが -
それへの言及対象は、いつも、 総体です。
K: ええ。
A: そして、こちらでの 言及対象は、断片です。
または、 断片化や分割です。
あなたは、 一方から他方への移行が、
存在さえする 動きであることを、
一度も 仰らなかったですね。
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|
39:32
K: ええ。 それは、存在できません。
全くです。全くです。 絶対です。
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39:35
A: クリシュナムルティさん、 私は思うのですが、
あなたが仰った この発言ほど、掴むのが
困難なものは、何もないんです。
K: これからあれへ、と。
A: 私たちが教わることは、何もない - 子どもの頃からずっと・
・・
K: 知っています。
A: ・・・そういう可能性を、
真摯に捉える事柄へ、 与えることは、です。
なぜなら・
・・ まあ、もちろん、
あらゆる人が 教育されてきたさまについて、
おおざっぱな発言を したくはないのですが、
私は、自分自身について、 考えています - 子どもから、
大学院を出るまで、 ずっと、
この知識を、たくさん 蓄積しています
- あなたが 話してこられたものを、です。
私は、誰かが私に 言ってくれたことや、
断定的にこの区別をする文献を、 指し示してくれたことさえ、
憶えていません -
一方と他方の間で、
互いということに 立って、です。
移行をとおして 互いに到達可能、ではなくて。
|
|
41:00
K: ええ、ええ、ええ。 全くです。全くです。
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41:02
A: さて、私がそこで、お話を 理解するのは、正確でしょうね。
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41:05
K: 全くそうです。
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41:08
A: おそらく私はこれを、余談と して、言えたのかしれません。
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41:10
K: 断片は、 全体になれません。
|
|
41:13
A: ええ。断片は、 全体になれません
- それ自体で、 自体から、です。
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|
41:16
K: が、断片はいつも、 全体になろうとしています。
|
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41:19
A: そのとおり、 そのとおり。
さて、もちろん、長年の、 これへの、きわめて真剣で
献身的な熟考と探検の中で - 全く明らかに、あなたは
それを、大きな熱情をもって、 行ってこられました -
あなたは思いついたに ちがいないと、私は思います。
すなわち、これを 初めて見ることは、
自分が 観察者の状況にいる間、
きわめて怯えさせるにちがいない - 観察者の状況において、
移行がない、という思考は、です。
|
|
41:59
K: いいえ。ですが、
私はけっして、それをそのように 見たことが、ないんですよ。
|
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42:04
A: あなたがそれを、どうご覧に なったのかを、どうぞ教えてください。
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|
42:11
K: 子どもの頃から、私はけっして自分が ヒンドゥーだと、考えませんでした。
|
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42:17
A: なるほど。
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42:18
K: 私は、イングランドで教育を 受けたり、その他すべてのとき、
自分はヨーロッパ人であると けっして、考えませんでした。
私は、けっして、あの罠に 捕らわれませんでした。
私は、それがどう 起きたのかを、知りません。
私は、あの罠に、けっして 捕らわれませんでした。
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|
42:33
A: まあ、そのとき、 あなたが、全く小さくて、
あなたの遊び友だちが、 あなたへ、
「さあ、ごらん、君は ヒンドゥーだよ」と、言ったとき、
あなたは、何と言いましたか。
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42:42
K: 私はたぶん、ヒンドゥー教とか、
バラモンの伝統の罠すべてを、 まとったでしょうが、
それは、けっして、 深く浸透しませんでした。
|
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42:51
A: 地元の言葉で言うように、 それにけっして、靡かなかった。
|
|
42:54
K: それに、けっして 靡かなかった。そのとおりです。
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|
42:56
A: なるほど。それは、きわめて 著しい。それは、とてつもない。
世界の大多数の人々は、 これに関して、
靡いてしまったように、 思われます。
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43:08
K: そういうわけで、 思うのですが、そうね、
宣伝が、変化の手段に なってしまったのです。
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43:27
A: ええ、ええ。
|
|
43:29
K: 宣伝は、 真理ではありません。
反復は、 真理ではありません。
A: それはまた、一つの形の暴力です。
|
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43:36
K: そうなんです。
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|
43:38
で、単に観察する精神は、
自らの条件づけに 沿って、
観察されるものに、 反応しません。
それは、どの時にも、 観察者がない、
ゆえに、分割がない、と いう意味です。
それが、私に 起きました。
私は、どうしてそれが起きたのかを、 知りませんが、それが起きてきました。
これらを 観察する中で、
私は、 あらゆる人間関係を、
あらゆる種類の人間関係を、 見てきました -
この分割があり、ゆえに、 暴力が、あるのです。
私にとって、 無関係の本質こそが、
私とあなたの要因です。
|
|
44:31
A: 私は、私自身の個人史に、 遡ろうとし、
私が子どもだったときについて、 考えようとしていたんです。
私は、自分が違っていることを、 受け入れながらも、
けれども、他の何かが、 あることを、信じていました。
受け入れるようになりました。
それが、いつも私を、
きわめてしっかりと、中心へ 保っていました。
あれを、究極的な主題とする、と いうことに立って、ですが、
あれは、私がボートを、漕いで いたとき、した経験でした。
私は、子どものとき、スカンジナビアで、 幾らか時間を、過ごしました。
私は、毎日、ボートに乗って、 フィヨルドへ出たものでした。
私は、漕いだとき、
水の作用に、深遠に 動かされました。
私が、オールを 動かしたとき、です。
なぜなら、私は、オールを 水から、揚げましたが、
水とオールの間には、
実体に、分離が ありましたが、
水は、支えのため、 足がかりのために、必要だったし、
それで、私は 推進できたのです。
けっして自体との触れ合いを、失わず、 それはいつも、自体へ戻りました。
始まりに、けっして自体を 残しておくことなしに、です。
46:00
ひとたび、私がしばしの間、 自分自身を笑って、言いました -
もし、自分がこの水を、これ以上 長く見つめているのを、
誰かに 見つかったなら、
自分ははっきりと正気を失って いると、思われるだろう、と。
これはもちろん、観察者が 自分自身に話しているんですが、
あれは、私に 深遠な印象を、与えたので、
私が思うに・
・・
それは、私にとって、言うところの、 小さな救いであったと、思います。
私はけっして、あれを 失いませんでした。
で、たぶん、何か 関係が、あります。
あの把握 - 私の存在を 変化させたと思うものと、
あなたが 話しておられること、
この分離の感覚をまったく 被ったことがない者として、
話しておられるのが、 何であるのかとの間に、です。
46:38
ええ、どうぞ、 先へ進んでください。
|
|
46:43
K: で、これで、私たちは その点へ、導かれますね -
人間精神は、分離の中、 断片化の中で、
進化してきましたが・・・
|
|
47:03
A: これが、 進化の在処(ありか)です。ええ。
|
|
47:05
K: そういう精神は、変容できますか。 再生を被れますか -
影響力により、
宣伝により、 脅しと処罰により、
生み出されていない 再生を、です。
なぜなら、それは、褒賞を得ようと しているから、変化するのなら・
・・
A: それは、変化していません。
|
|
47:33
K: ・・・それは、変化していません。
|
|
47:35
で、それが、根源的なことの一つです。 自らが訊ねて、
答えなくてはいけないことです - 言葉ではなく、行為において、です。
A: 行為において、ああ、そうです。
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47:47
K: すなわち、
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47:51
私の精神、 人間の精神は、
矛盾の中、二元性の中で、 進化してきました
- 「私」と「非私」です -
この伝統的な 分断、分割、断片化の中で、
進化してきました。
さて、その精神は、この事実を 観察できますか -
観察者なしに、 観察する。
そのときだけ、 再生が、あります。
観察者が、これを 観察しつつあるかぎり、
そのとき、 葛藤があります。
話が明らかになっているのか どうか、私は知りません。
|
|
48:38
A: ええ、なっています。二つの水準で、 きわめて明らかになります。
談話のみの水準で
- それが、あなたの主要な関心事で ないのは、存じています -
談話のみの水準で、 必然的に、そうなります -
この可能性が存在することが、 実情であるにちがいない、と。
さもないと、私たちは、 戯言を話しているでしょう。
が、それから、広く 状況の苦悩が、あります -
私たちが 叙述してきたことですが、
単純に、これができるのか できないのかは、
けっして、或る人物には 思いつかない、ということです。
それが思いつくことすら 欠如した中で、
反復は、無際限に 進んでいこうとしているし、
物事は、ますます 悪くなろうとしています。
|
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49:26
K: 困難は、ほとんどの人々は、 聞こうとさえしない、ということです。
|
|
49:33
A: 私は、ため息をついています。 私はそれを、知っています。
|
|
49:37
K: 聞こうとしません。
彼らは、聞くのなら、 自分の結論をもって、聞きます。
私は、共産主義者であるなら、 或る点まで、あなたに聞くでしょう。
その後、私は、あなたに 聞かないでしょう。
私はわずかに、痴呆に なっているなら、
私は、あなたに聞いて、 聞こえることを、自分の痴呆に応じて、
|
|
50:06
翻訳するでしょう。 A: そのとおり。
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|
50:09
K: で、聞くには、とてつもなく 真剣でなくてはいけません。
私の固有の先入観と 体質を脇に置き、
仰っていることを聞く、 という意味で、真剣です。
なぜなら、聞くことは、 奇跡であるからです -
あなたが言ってきたことを、私は どうしようか、ではありません。
|
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50:38
A: 私は何を聞こうか、 ではありません。
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50:41
K: 聞く行為です。
|
|
50:42
A: 聞く行為、自体です。
私たちは(現在進行形の)ing に、聞く こと自体があるところに、戻っています。
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50:52
K: それに必要な・・・つまり、
あなたは、良くも、話を 聞いてくださいます。
なぜなら、あなたは、 見出したいからです。
が、大多数は、「あなたは、 何について、話していますか。
私は、 楽しみつづけたいんです。
だから、行って、他の誰かへ話して ください」と、言います。
で、雰囲気を、創り出す、
環境、感じを、創り出す -
「ほら、生は、 恐ろしく深刻ですよ。
友よ、どうぞ、聞いてください。
それはあなたの生です。
それをむだにしないで、 どうぞ、聞いてください」と。
聞くであろう人間を、 もたらすことが、
最も重大です。
なぜなら、私たちは、 聞きたくないからです。
それには、あまりに 動揺させられます。
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|
51:41
A: 理解できます。
私は、時々、授業で、この点こそを 示そうとしてきました。
時々、私は、動物を 見守るべきだと、提案します
- 特に、 野生の動物を、です。
なぜなら、それは、聞いていないなら、 死んでしまいがちだからです。
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52:03
K: ええ、死んでしまう。
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52:05
A: それが行う、この とてつもない注意が、あります。
その生のあらゆる 瞬間が、危機です。
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52:17
K: ああ、絶対に、です。
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52:20
A: 何が起きるか、 ご存じですか -
あちらの目は、おおむね、彼らが こう考えていることを、示します
- 私が、動物心理学について、 話しているのだ、と。
私は、心理学について、 まったく話していません。
私は、そうか、そうでないかの実情が 何であるかについて、話しています。
「どちらか」から、 抜ける道は、ありません。
それが、私がいう意味です。 で、お話を理解できると、思います。
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52:41
K: そうね、アメリカで、 今、起きつつあることは、
私が観察するところ - 私は間違っているかもしれません -
人々は、 真剣ではありません。
人々は、新しい物事、 愉快な物事で、
遊び戯れています。
一つの ことから、別のへ行きます。
彼らは、これが探求であると、 考えます。
|
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53:06
A: 探求か!
|
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53:09
K: 探求し、訊ねているが、 彼らは、
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53:13
それら各々の罠に、掛かります。 A: ええ。
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53:15
K: その終わりに、彼らは、 灰しか持っていません。
で、人間たちが、 真剣であること、聞くことは、
ますます困難に なりつつあります -
自らが何であるべきか、ではなく、 自らが何であるかを見ることが、です。
A: ええ、実情が何であるか。
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53:36
K: 有るもの、です。
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53:37
A: そのとおり。
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53:38
K: それは、「どうぞ、五分間、 聞いてください」という意味です。
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53:39
この会話の中で、 あなたは、聞いています。
なぜなら、あなたは、興味を持ち、 見出したいと思うからです。
が、大多数の人々は、 言います - 「後生だから、
私を放っておいてくれ。
私は、 自分の小さな家、自分の妻、
車、ヨットを持っている」 - それが何であっても、です -
「後生だから、私が生きているかぎり、 何をも、変化させないでくれ」と。
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54:13
A: そうね、私がそれについて何かを 知っていることへ、戻っていくと
- すなわち、学会です。
なぜなら、
私は、日々の活動ということで、 そこに、立場を置いているからです。
私は、会議に出席する中で、 しばしば、自分自身に述べてきました
- そこでは、文書が読み上げられ ますが、誰も聞いていない、と。
それは、 一つの長い独白です。
しばらしの後で、 それは本当は、
衝撃的な時間のむだだ、 という感じを、受けます。
それから、座って、 コーヒーを飲むのさえ、
たとえば、 授業の合間の議論は、
ふつう、ぺらぺらと しゃべる基調で進みます。
私たちは、自らが真実には 興味を持たない物事について、
空間を埋めるために、
話をしているだけです。
けれども、これは、単純に、 進んでいることの叙述より、
はるかに深刻な事態です。
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55:13
K: それは、生と死の事態であると、 私は感じます。 A: そのとおり。
K: 家が燃えているのなら、私は 何かを、しなければなりません。
それは、誰が家を 燃やしたかについて、
私は議論しようとしている、 ってことではありません。
A: ええ、ええ。
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55:25
K: 彼の髪が何色だったのか、
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55:26
それは黒か、白か、 紫だったのか、と。
私は、あの火を、 消したいのです。
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55:32
A: または、もしも、これこれが 起きていなかったなら、
家は、燃えていないだろう、と。
そのとおり。
分かります。分かります。
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55:40
K: 私は、 それは切迫していると、感じます。
なぜなら、私はそれを インドで見るし、
私は、ヨーロッパと アメリカで、見るからです
- 私がどこに行こうとも、 この弛みの感覚、
そうね、絶望の感覚、
進んでいる 望みなき活動の感覚、です。
で、私たちが言っていることへ、 戻ってくると、
関係は、 最高に重要です。
その関係に、 葛藤があるとき、
私たちは、その葛藤をさらに 進める社会を、生み出します
- 教育をとおし、 国家主権をとおし、
世の中で進んでいる その他すべてをとおして、です。
で、真剣な人は
- 本当に関心をもち、参与している人、 という意味で、真剣です -
自らの全的な注意を、
この関係、自由と知識の問いへ、 注がなければなりません。
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56:48
A: 私は、お話を正確に 聞いてきたのなら
- 私がいうのは、私たちの間で交わされて きた言葉、ということではなく、
あなたに真に 聞いてきたのなら、
私は、何か、とても恐ろしいことを、 聞いてきました -
すなわち、部分的に私たちが 叙述してきた、この無秩序は、
そこに、組み込まれた必然性を 持っている、っていうことです。
それが存続しつづけるかぎり、 それは、けっして変化できません。
それは、けっして変化できません。
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57:25
K: 明白です。
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57:26
A: それへのどの修正も・・・ K: さらなる無秩序です。
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57:28
A: ・・・同じことが、 もっと出てきます。
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57:30
K: 同じことが、もっと出てくる。 A: 同じことが、もっと出てくる。
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57:31
私は、その感じが していますし、
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57:32
私は、お話を正確に理解したことを 望みます - すなわち、
この必然性の頑なさと、
段階的な前進がありえない との事実との間には、
関係があるのだ、と。
または、 哲学者が表すようなら、
何か、本質的な前進と いったものは、ないが、
にもかかわらず、何か 悪魔(デーモン)的な前進が、ある
- この無秩序の中で 起きることであり、
それは、前進である、 というより、むしろ、
同じことの激増です。必然的に、 そうです。
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58:19
K: 全くです。
それが、あなたが仰ってきたことですか。
必然的に、そうである、と。
K: そうね、「前進」というその言葉は - 私は先日、聞かされましたが -
完全に武装して敵国へ 乗り込むことを、意味している、と。
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58:29
A: 本当ですか。ああ!
前進は、完全に武装して敵国へ 乗り込むことである、と。
やれまあ。
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58:43
K: これが、起きつつあることですよ。 A: ああ、知っています。
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58:45
次回、私たちが 会話をするとき、
次回、あなたによろしければ、 私たちがちょうど到ったことを、
精確に追求したいと、 大いに思っています。
言うところの、 この必然性と、
あの発言を生み出した必然性を、です。
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59:06
K: ええ、全くです。
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