SD74CA6 - 恐れの本性と全的な根絶

アラン・W.アンダーソンとの会話、第6回
カリフォルニア、サンディエゴ
1974年2月20日
テキストのみのバージョン
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0:37
クリシュナムルティの、アラン・ W・アンダーソン博士との対話
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J.クリシュナムルティは、 南インドに生まれて、
イングランドで 教育を受けた。
過去四十年にわたって、 彼は
合衆国、ヨーロッパ、 インド、オーストラリアと、
世界の他の地方で、 話をしてきた。
彼は、 生涯の仕事の最初から、
組織された宗教と イデオロギーとの
関連すべてを、 拒絶して、
自らの唯一つの関心事は、 人を
絶対的に無条件に自由に することである、と言ってきた。
彼は、 多くの書物の著者であり、
それらの中には、 『智恵の覚醒』、
『変化の緊急性』、 『既知からの自由』、
『鷲の飛翔』が、 ある。
1:19
これは、クリシュナムルティと アラン・W.アンダーソン博士との間の
一連の対話のうちの 一つである。
博士は、 州立大学サンディエゴ校の
宗教学の教授であり、
そこで彼は、 インドとシナの聖典と
神託の伝統を、 教える。
アンダーソン博士は、 詩人として作品を発表し、
コロンビア大学と ユニオン神学大学院より
学位を受けた。
彼は、 カリフォルニア州立大学より、
最優秀教育賞の 表彰を、受けた。
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1:51
A: クリシュナムルティさん、
私が正確に思い起こすなら、 私たちは、前回、一緒に、
ちょうどその地点で、 話しはじめていたと、思います
- 恐れの問いが 生ずるところで、です。
私たちが二人とも、よろしければ、 おそらく、それを
ともに、少し探検できるかもしれない、と 思います。
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2:14
K: ええ、そう思います。
私たちは、この問題にどのように 接近できるかと、思われます。
なぜなら、それは、世界で 共通の問題であるからです。
あらゆる人が、
または、ほとんどあらゆる人が - と、私は言えます -
何かに 怯えています。
それは、死の恐れなの かもしれません。
さびしさの恐れ、
愛されないことの恐れ、
有名にならない、成功を 収めないことの恐れ、
そしてまた、物理的な安全を 持たないことと、
心理的な安心を持たないことの 恐れなのかもしれません。
とても多く、多数の形の 恐れが、あります。
さて、この問題に、本当に きわめて深く入るには、
精神は
- そこには、頭脳も 含まれます -
本当に、根源的に、恐れより 自由でありえますか。
なぜなら、私は観察してきましたが、 恐れは、すさまじいものであるからです。
A: ああ、はい。
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3:45
K: それは、世界を暗くします。
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3:46
それは、あらゆる物事を、 破壊します。
恐れは、生における 原理の一つなのですが、
私たちは、また、楽しみの追求に ついて議論するか、
それに入ることなしには、
恐れについて議論できるとは、 私は思いません。
同じコインの両面です。
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4:17
A: 恐れと楽しみ。 同じコインの両面。ええ。
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4:23
K: で、私たちは初めに、恐れを、 取り上げようとしています。
意識的なのとともに、 無意識的な恐れが、あります。
観察可能であり、 治療できる恐れと、
深く根づいている恐れ
- 自分の精神の 奥底深くに、です。
A: 無意識の水準に。
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4:50
K: より深い水準に。
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4:53
さて、私たちは、どちらにも、 関心を持たなければなりません
- 明白な外面的な 恐れだけではなく、
また、深く定着した、 未発見の恐れにも、です。
手渡されてきた恐れ、 伝統的な恐れ。
A: 何を恐れるべきかを、聞かされる。
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5:20
K: 何を恐れるべきか。
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5:21
また、精神自体が、 生み出してきた、
養成してきた 恐れも、です。
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5:29
A: 自分個人の経歴の中で。
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5:31
K: 個人的なのと、また、 他の人たちへの関係において、です。
物理的な不安全の恐れ、
職を失うこと、地位を失うこと、 何かを失うこと
- 肯定的なもの すべてを、です。
何かを持たないこと、 などなど、です。
で、私たちは、この問いについて 話そうとしているなら、
私たちは、あなたと私は、どのように これに接近すべきでしょうか。
初めに、外のものを 取り上げます
- 明白な物理的な 恐れを、です。
次に、そこから 内へ、動きます。
それで、平野全体を、 掩います。
ただ一つの小さな恐れ
- おばあさんやおじいさんのや、 若者のそれだけ、ではありません。
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6:37
恐れの問題全体を、取ります。 A: 良いです。
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6:39
K: 恐れの葉を一枚とか、 その一枝を、取るだけではなく、
恐れの動き全体を、です。
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6:49
A: ええ。
私たちは、再び、あの言葉 「動き」に、戻っています。
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6:52
K: 動き。 A: 良い、良いです。
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6:53
恐れの動き全体ね。
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6:56
K: さて、外的に、物理的に、 私たちは、安全を
持たなければならないことは、 明白になりつつあります
- 物理的な安全、です。
すなわち、衣食住は、
絶対的に必要です。
アメリカ人にとって、だけではなく、 人類全体にとって、です。
A: ええ、もちろんです。
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7:20
K: 「私たちは、安全だ。
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7:21
残りの世界は、くそ食らえ」と 言うのは、何にもなりません。
世界は、あなたです!
そして、 あなたは、世界です。
あなたは、 自分自身を孤立させて、
他の人たちのことで 気を揉まないで、
「私は安全になろうと している」とは、言えません。
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7:37
A: 彼らに対して、 自分を安全にする、と。
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7:39
K: それは、分割、 葛藤、戦争に、なります
- それが 生み出すすべて、です。
で、その物理的な安全は、 頭脳にとって、必要です。
頭脳が 機能できるのは
- 私は自分自身において、他の人 たちにおいて、観察してきました。
私が頭脳や神経学と それらの専門家である、
ということではなくて、私は、 それを観察してきました。
頭脳は、完全な安全の中でのみ、 機能できます。
そのとき頭脳は、効果的に、健全に機能 します - 神経症的に、ではありません。
その行為は、偏って無秩序では ないでしょう。
頭脳は、安全が必要です - 子どもは、安全が必要なように、です。
私たちが、自分自身を分離するとき、 その安全は、拒否されます
- アメリカ人、ロシア人、 インド人、シナ人、と。
民族的な分割は、その安全を 破壊してきました
- 戦争のために、です。
A: ええ。それは、物理的な障壁です。
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8:52
K: 物理的な事実です。
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8:53
けれども、私たちは それが、見えません。
主権をもつ政府は、 その陸軍でもって、
その海軍と、 その他すべてでもって、
安全を 破壊しつつあります。
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9:08
A: それを提供する という名において。
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9:12
K: で、そうね、私たちが 取りかかろうとしているのは、
精神がいかに 愚かであるか、です。
それは、安全が 欲しいのです。
それは、安全を 持たなければなりません。
けれども、それは、その安全を 破壊することすべてを、やっています。
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9:32
A: ああ、はい、はい。 それは分かります。
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9:34
K: で、それが 一つの要因です。
そして、 安全の要因は、
職にあります。
工場において、 ビジネスにおいて、
あるいは、職における 司祭者のように、です。
で、職業が、きわめて 重要になります。
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10:00
A: 本当に、 そうなります。
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10:02
K: で、何が関与しているかを、 見てください。
私は、自分の職を失うなら、 怯えています。
その職は、環境に、 依存します
- 生産、ビジネス、 工場、それらに、です。
商業主義、消費主義、
ゆえに、 他の国々との競争。
フランスは、孤立しつつあります。
なぜなら、フランスが望む・・・
それは、起きつつあります。
A: ええ。
K: で、私たちは、 物理的な安全が、必要です。
私たちは、それを破壊すること すべてを、しています。
もしも、私たちのみんなが、 「ごらん。
みんなまとまろう。
計画をもって、ではなく、 私の計画、あなたの計画や、
共産主義の計画や、 毛沢東の計画でもって、ではなく、
人間として、ともに座り、この問題を 解決しよう」と、言ったなら、
11:04
彼らは、それを できるでしょう!
科学は、人々に食べさせる 手段を、持っています。
が、彼らは そうしようとしません。
なぜなら、彼らは、機能するよう 条件づけられているからです
- 安全を破壊するように、です。
自らが探し求めているものを、です。
で、それが、物理的な安全に おける、主な要因の一つです。
それから、物理的な痛みの 恐れが、あります。
こういう意味での、 物理的な痛み -
自分は、痛みを持っていた - 例えば、先週です。
精神は、それが再び 起きることを、恐れています。
で、その種の恐れが、 あります。
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12:05
A: それは、 物理的な痛みの現象に関して、
とても興味深いです。
なぜなら、 憶えられていることは、
神経学的な反応ではなく、
発生したことに付随する、 情動であるからです。
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12:17
K: ええ、そうなんです。 で、あの恐れが、あります。
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12:20
A: そのとおり、そのとおり。
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12:23
K: それから、外的な意見の 恐れが、あります
- 人々が言うこと、
世論の、です。
A: 評判。
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12:33
K: 評判。
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12:35
そうね、このすべては、 無秩序の中から、生まれます。
話が明らかになっているのかどうか ・・・ A: ああ、はい、はい。
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12:45
K: それについて、 私たちは、議論しました。
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12:46
A: ええ、それを私たちは、 以前に覗きみました。
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12:48
K: で、精神は安全を、もたらせ ますか - 物理的な安全を、です。
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12:49
それは、あらゆる人にとっての 衣食住、という意味です。
共産主義者として、 資本家として、
社会主義者としてや、 毛沢東みたいな人として、ではなく、
人間として、この問題を 解消するように、ともに会う。
それはできますよ!
でも、誰も、それを したいと思わない。
なぜなら、彼らは、これに 責任を感じないからです。
あなたが、インドに行かれた ことがあるのかどうか、
町から町へ、村へ行かれたことが あるのかどうか、私は知りません。
私は行ってきましたが、
すさまじい貧困が、 見られます
- 貧困の堕落、
救いようのない、 その感覚。
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13:52
A: ええ。私は、インドへ 行ったことが、あります。
それは、私が人生の中で、 貧困を感知した初めての時でした
- ただ単に、 欠乏として、だけではない。
それは、肯定的な性格を、まとって いるかのように、思われました。
それは、こわばっていました。
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14:05
K: 知っております。
個人的に私たちは、 それらを、経てきました。
で、物理的な生存は、
人間たちがまとまるとき、 可能なだけです
- 共産主義者、社会主義者、 その他すべてとして、ではない。
人間たちとして、「ほら、 これは私たちの問題だ。
後生だから、それを解決 しよう」と言って、です。
ですが、彼らは、そうしない でしょう。
なぜなら、彼らは、
問題の重荷を負っている からです -そして、
それをどう解決するかを 計画する重荷を、です。
話が明らかになっているのかどうか・・・ A: ええ、ええ、なっています。
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14:45
K: あなたは、あなたの計画を持って いる。私は、私の計画を持っている。
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14:46
彼は、彼のを持っている。 で、計画が、最も重要になる
- 飢餓より、むしろ、 計画が、最も重要です。
そして、私たちは、 互いに闘います。
そして、 常識、慈しみ、
気づかい、愛は、 これらを変化させられます。
で、私は、それに 入らないでしょう。
それから、世論の恐れ。
理解されますか。
私の隣人が何と 言うだろうか。
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15:21
A: 私のイメージ、 国のイメージ、ええ。
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15:25
K: 私は、自分の隣人に 依存します。
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15:30
A: ああ、はい、 必ず、です。
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15:32
K: もし、私がカトリックであり、 イタリアに生活しているなら、
私は、自分の隣人に、依存し なくてはいけません。
なぜなら、
私は、そこでプロテスタントなら、 職を失うだろうからです。
で、私は、それを 受け入れます。
私は行って、教皇に敬礼するとか 何でも、ですが、
それは、何の意味も ありません。
で、私は、世論を 恐れています。
人間精神がそれ自体を、何へ 還元してきたかを、見てください。
私は、こう言いません
- 「世論なんか、くたばれ。
なぜなら、それは愚かであるから。
彼らは、条件づけられている。
彼らは、私と同じように 怯えている」と。
で、その恐れが、 あります。
そして、その恐れが、あります -死の物理的な恐れ、です。
それは、 無量の恐れです。
あの恐れに、違ったように 取り組まなくてはいけません
- 私たちが それに来るとき、
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16:37
私たちが、死とそれらについて、 話すとき、です。 A: ええ。
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16:38
K: で、外的な形の恐れが、 あります - 暗闇の恐れ、
世論の恐れ、
職を失うことの恐れ、
生存の恐れ・
・・ 生き残れないことの恐れ。
私は、一日一食の人々と、 生きてきました。
それは、まったく 十分でもありません。
私は、女の子をつれた女の後を、 歩いていました。
女の子は、言いました - インドで、です。
「お母さん、私は、 お腹が減った」と。
母親は、「おまえは、もう
今日の分を、食べたのよ」と 言います。
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17:27
理解されますか。 A: ええ。
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17:30
K: で、それらが、あります。 あの物理的な恐れ、痛みと、
再発する痛みの恐れと、 それら、です。
他の恐れは、はるかに 錯綜しています。
依存の恐れ - 内的に、です。
私は、妻に 依存します。
私は、導師に依存します。
私は、 司祭者に依存します。私は・・・
こうも多くの依存、です。
私は、それらを失うのを、 恐れています -
一人、 取り残されるのを、です。
A: 拒絶されるのを。
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18:06
K: 拒絶されるのを。
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18:08
あの女が、私からそっぽを、向いて しまうなら、私は迷ってしまいます。
私は怒り、残忍に、暴力的に、 嫉妬深くなります。
なぜなら、私は、彼女に 依存してきたからです。
で、依存は、 恐れの要因の一つです。
そして、内的に 私は、恐れています。
私は、さびしさを 恐れています。
先日、私は テレビで見ました。
或る女の人が、言っていました - 「私は人生で持っている、
唯一つの恐れは、 私のさびしさです」と。
ゆえに、さびしさを 恐れているので、
私は、あらゆる種類の 神経症的な活動を、します。
さびしいので、
私は、あなたに、執着します - または、信念に、とか、
救い主に、導師に、です。
私は、導師、救い主、 信念を、保護します。
それは、すぐに 神経症的になります。
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19:26
A: 私は、その穴を、 この新しいイメージで、塞ぎます。
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19:29
K: このごみで。 A: ええ。
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19:31
K: あの恐れが、 あります。
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19:33
そのとき、到達、成功 できないことの
恐れが、あります
- この無秩序の世界で 成功し、
いわゆる霊的な世界で 成功する。
それが、彼らがみんな、今、 やっていることです。
A: 霊的な達成。
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19:54
K: 達成です。
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19:55
それは、 覚りと呼ばれます。
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19:59
A: 意識を拡大する。
ええ、仰る意味を、 私は知っています。
あなたがちょうど、 取り残されてしまう恐れを
叙述しおえられたのは、 とても興味深いです。
今、私たちは、自らがけっして到達 しないだろうことを、恐れています。
ええ。どうぞ、進んでください。
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20:13
K: 同じことです。
それから、無いことの恐れが あります。
それは、同一視する中で 自体を翻訳します
- 私は自分自身を 同一視しなければならない、と。
A: 有るために。
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20:35
K: 有るために。
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20:37
そして、私は、自分自身を、 自分の国と同一視するなら、
私は、自分自身に、「あれは、 あまりに愚かだ」と、言います。
そのとき私は、「私は自分自身を、 神と同一視しなければならない」と
言います。
それは、 私が創案したのです。
神が、自らの姿に似せて、 人を作ったのではありません。
人が、自らの姿に似せて、 神を作ったのです。
これは、お分かりですか。 A: ああ、分かります。
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21:06
K: で、無いこと、達成しないこと、 到達しないことが、
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21:07
ものすごい不確実さの感覚を もたらします
- 充足できない、 一緒にいられないとの
ものすごい感覚、
そして、「私は、自分自身で なければならない」との叫び、です。
A: 自分のことをやる。
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21:34
K: 自分のことを。
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21:35
それは、ゴミです!
で、これらすべての恐れが、 あります
- 論理的な恐れも、 非理性的な恐れも、神経症的な恐れ、
生存の恐れも、です。
物理的な生存です。
さて、あなたは、いかに、これら すべての恐れを、取り扱いますか
- そして、もっと多くの恐れを、です。
それらに、私たちは入れません。
今すぐ、私たちは、 そうするでしょうが、
あなたは、どのように、それら すべてを、取り扱いますか。
一つ一つですか。
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22:16
A: あなたは、断片化の悲しき 円環の中に、いるだけでしょうね
- もしも、 そうしたなら、ね。
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22:20
K: また、隠れた恐れも、 あるでしょう。 A: ええ。
K: それらのほうが、 はるかに活動的です。
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22:28
A: 持続的に、下から ぶくぶく泡が、立ってくる。
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22:30
K: ぶくぶく立ってくる。 私が意識的でないとき、
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22:33
それらが、取って代わります。 A: そのとおりです。
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22:37
K: で、私は、どのように 取り扱うことになりますか -
初めに、私たちが叙述してきた 明白な恐れを、です。
私はそれを、一つ一つ扱うでしょうか - 初めに、自分自身を安全にして。
よろしいですか。 A: はい。
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22:55
K: または、さびしさを 取り上げて、それに取り組む。
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22:55
それと組み合い、 それを乗り越える、など、です。
または、恐れを 取り扱う道が、ありますか
- その枝々、ではなく、 その根を、です。
なぜなら、私が、各々の葉っぱ、 各々の枝を取り上げるなら、
それは、私の生涯すべてが 掛かるでしょう。
私がもし、自分の恐れを分析し はじめるなら - 分析、です -
まさにその分析(アナリシス)が、 麻痺(パラリシス)に、なります。
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23:33
A: そのとき、私は さらに恐れます -
私は正確に分析しなかったかも しれない、と。
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23:36
K: 正確に。そして、私は たびたび捕らわれます。
で、私はどのように、この問題を 取り扱うのでしょうか -
全体として、です。その部分や その断片、だけではありません。
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23:51
A: それがどう取り扱えるかもしれない のかについて、ヒントが、ないですか。
もちろん、私が、ここで ヒントと言うとき、
それは、ひどく、 ひどく微かです。
私は、それを、指し示すものと、 呼ぶだろうとは、思いませんが、
恐れは、
それほど多種多様なのを、自分は 知っていると想像しようとも、
恐れは、共通の味を持っている と、言っていいかもしれません。
そこには、 何かが、あって・・・
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24:24
K: ええ。ですが、私は、 それを、どうするのでしょうか。
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24:26
A: ああ、はい。もちろんです。 よく理解できます。
が、あなたが 話しておられる間、
それを観察するのは、 興味深かった
- すでに、私たちが 多くの恐れについて、考えるとき、
私たちは、自らがどう恐れるのか、 いつ恐れるのかへ、
注意を払ったことさえ なかったんです。
ええ、私は、あの閃きを 得ることに、興味を持ちました。
なぜなら、それは、あなたが 話しておられることと、
すっかり調和していると、 思われるからです。
私は、自分自身に 言いました - さて、
私たちは、会話において、 動きを目指してきている。
恐れの動きは、一つである、と。
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25:02
K: ええ、ものすごいものです。
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25:05
A: それは、破壊の、 統合された平野です。
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25:09
K: それは、あらゆる人間の 共通要因です。
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25:12
A: 平野全体です。 ええ、そのとおり、そのとおり。
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25:15
K: 人がモスクワに生きていても、 インドや、どの所にでも、
それが、 この恐れの共通のことです。
人はどのように、それを 取り扱うのでしょうか。
なぜなら、精神が、 恐れより自由でないのなら
- 本当に、です。
言語的にとか、 思想的にとか、ではなく、
絶対的に、恐れより 自由である。
そして、恐れより、完全に 自由であることは、可能です。
私はこれを、言っています - 理論として、ではなく、
私はそれを知っています。
私は、それに 入ってきました - きわめて深く、です。
A: 現実的、です。
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26:00
K: 現実的、です。
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26:02
さて、私はどのように、これを 取り扱うのでしょうか。
で、私は、自分自身に訊ねます - 恐れとは、何ですか。
恐れの対象とか、 恐れの表現とか、ではありません。
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26:15
A: ええ。危険への即座の 反応ではありません。ええ。
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26:18
K: 恐れとは、何ですか。
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26:21
A: それは、私の精神の中の 観念です - 部分的には。
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26:23
K: いえ、恐れとは 何ですか。
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26:32
A: それは、長続きするとか、 私たちが言ってきたなら・・・
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26:37
K: いえ、いえ。言葉の裏、 叙述、説明の裏で、
抜け出す道と、 入り込む道と、
その他すべて、ですが、
恐れとは、何ですか。
それは、どのように 来ますか。
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26:54
A: 私たちの会話を とおして、今まで私が、
お話に付いてきたなら、
私は、こう 言いがちでしょうね
- それは、観察者の、 観察されるものへの
無秩序な関係の もう一つの表現である、と。
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27:13
K: それは、 どういう意味ですか。
観察者とは何ですか。
仰ることは・・・
ご覧ください。
問題は、こうです
- 私はただ、問題を、より はっきりさせているだけです。
私たちは、人は、恐れを一つずつ、 切り払おうとか、
刈り込もうと してきました
- 分析をとおし、
逃避をとおし、
自分自身を、何かと - 彼が勇気と呼ぶものと -
同一視することを とおして、です。
または、「まあ、私は気にしないよ」 と言うのをとおして、です。
私は、自分の恐れを、 合理化するし、
合理化する状態に 留まります
- 知的な、言語的な 説明に、ですが、
そのものは、 煮えくりかえっています。
で、私は、何を するのでしょうか。
恐れとは、何ですか。
私がこれを見出すのでなければ - あなたが私に語るから、ではない -
私が自分自身で、これを 見出すのでなければ
- 私が空腹であることを、 私自身で見つけるように、です。
私が空腹であることを、誰も私に 語らなくていい。
私は、これを 見出さなくてはいけません。
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28:33
A: ええ。さて、ここに、 違いが、あります -
ちょうど仰ったことに 立って、です。
そう言い、 何かを指している中で、
そして、あなたが私に、恐れは何かを、 訊ねられたとき、私の先の返事ですが、
私は、普通の学術的なことを、 しました
- 「私が今まで お話に、付いてきたなら、
こういうことが、明らかだと 思われます。
ムニャムニャ」と。
ところが、
付いていくことを、忘れましょう。
ただ今、それに的を絞りましょう。
すると私は、こう 言わなければなりません。
「私は言っていいかもしれない」では なく、私は、言わなければなりません。
私は、他の誰にも、恐れが 何であるかを、語られないのです
- 私が自分の中で、そのものと して、発見しようとしているのが、
何であるかに、 関して、です。
それについての 私の継続的な叙述すべては、
単純に、ここにある 私の即時の主題からの偏向です。
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29:36
K: ええ。 で、私は、逃避していません。
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29:41
A: ええ。
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29:43
K: 私は、 合理化していません。
私は、分析していません。 なぜなら、分析(アナリシス)は、
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29:52
本当の麻痺(パラリシス)である からです。 A: ええ、本当です。
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29:55
K: あなたが、このような 問題に、直面しているとき、
単に、紡ぎ出したり、 分析したりしているだけで、
完璧に分析できない ことの恐れ、
ゆえに、専門職へ行く
- これまた 分析が必要な人へ、です。
で、私は、捕らわれています。
で、私は、分析しないでしょう。
なぜなら、私は、それの 不条理を、見るからです。
よろしいですか。 A: ええ、分かります。
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30:20
K: 私は、逃げないでしょう。
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30:21
A: 後ずさりしません。 K: 後ずさりしません。 A: 逃走ね。
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30:23
K: 説明はなし。合理化はなし。 分析はなし。
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30:25
私は、このものに、 向き合っています。
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30:25
そして、 恐れとは何ですか。
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30:26
ちょっと待って、待って、待って、 それを置いておいてください。
それから、 私が知っていない
無意識的な恐れが、 あります。
それらは、時折、表現されます - 私が鋭敏であるとき、
私の中から、そのものが 出てくるのが、見えるとき、です。
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31:04
A: 私が鋭敏であるとき。
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31:06
K: 鋭敏である。 私が見守っているときや、
私が何かを見つめているとき、これが 出てきます - 招かれずに、です。
さて、精神が、完全に恐れより 自由であることが、重要です。
それは、本質的です - 食べ物が、 本質的であるように、です。
精神が、恐れより 自由であることが、本質的です。
で、私は外的に、私たちが 議論してきたことを、見ます。
今、私は言います - これは何なのか、
隠れた恐れは、何なのか。
私は、それらが表面に来るよう、
意識的に招かれますか。
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31:53
よろしいですか。 A: ええ、分かります。
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31:54
K: または、意識的なものは、 あれに触れられませんか。
よろしいですか。 A: ええ、 ええ、分かります。ええ。
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32:03
K: 意識は、自らが知っている 物事を、取り扱えるだけです。
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32:04
が、それは、自らが知らない 物事を、観察できません。
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32:17
A: または、 接近できません。
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32:19
K: で、私は、何をすることに なりますか。夢ですか。
夢は、単に、
私が日中に 生きてきたことの継続です。
それらは、違った形で、 継続するなどです
- 私たちは、当面、 それに入らないでしょう。
で、そのすべては、 どのように目覚めさせられ、
露出されることになりますか。
人種的な恐れ、
社会が私に 教えてきた恐れ、
家族が課してきた恐れ、 隣人
- そうね、それらすべての、 ぞっとする、醜い、残忍な、
隠れている物事。
どのように、それらはすべて、
自然に出てきて、 露出させられるでしょうか
- それで、精神が、それらを 完全に見るように、です。
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33:18
理解されますか。 A: ええ、理解します。
私は考えていました - あなたが 仰っていることとの関係において、
私たちがしていることに ついて、です。
私たちは、ここにいます - 大学の状況に、です。
そこでは
ほぼ聞くことは、あるとしても、 まったく行われません。
なぜですか。
まあ、もしも私たちが、互いに 関係しあうことになったとして
- 私がここに座り込んでいて、自分自身へ 言っていることに立って、ですが、
あなたが発言をされた たびごとに、
「私は、何を言い返さなくては いけないかな」と。
たとえ、私の反応が、 温和であって、
私は、教授として、自分自身に、 こう言うでしょう -
「私は、さて、それはとても 興味深い概念ですと、言おうか。
おそらく私たちは、それを少しはっきり 晴らせるかもしれませんね」と。
その戯言、即時にここに あることに立っての、戯言。
それが、私がいう意味です。
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34:13
K: 理解できます。
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34:13
A: 私がいうのは、黒板に何かを 論証する、って意味ではありません。
私たちはけっして、一緒にあるよう 始めるべきではなかった。
けっして出発しなかった。
けれども、私たちは、自分自身に 観念を、与えてきたかもしれません
- すなわち、私たちは一生懸命、 誠実であろうとしていた、と。
ええ、理解できます。
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34:33
K: 分かります。分かります。
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34:35
A: でも、恐れは、 その基礎にも、あります。
なぜなら、教授は、自分一人で 考えているからです・・・
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34:39
K: 自分の地位、 自分の・・・
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34:40
A: 彼はここで、自分の評判を、 危うくしています。
彼は、あまりに長く 黙りつづけないほうがいい。
なぜなら、誰かが、こう考えつく かもしれないからです
- 彼は、進みつつあることを、 理解しないとか、
彼は、進みつつ あることに対して、
何も寄与することを、 持っていない、と。
そのすべては、何とも、 何の関わりも、ありません。
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34:57
K: 絶対に、です。 A: どうぞ、進んでください。
ご覧ください。
私は、何を見つけたのか
- 私は・
・・ 意識的な精神、意識的な思考は、
隠れた恐れを、招いて 露出させることが、できません
それは、それを 分析できません。
なぜなら、分析は、私たちが言った ように、無活動であるからです。
そして、逃避はありません。
私は 教会へ、逃げていかないでしょう
- または、イエスや ブッダや誰かへも、です。
または、私自身を、他の何かと 同一視しないでしょう。
私は、それらすべてを、 押しのけてきました。
なぜなら、私は、 それらの効用、
それらの無益さを、 理解したからです。
で、私は、これとともに、 取り残されています。
これは、 私の赤ちゃんです。
A: そうです!
35:55
K: で、私は、何をしましょうか。
何か行為が、起きなくては いけません。
A: ええ、全くです。
K: 私はただ、「まあ、私は、それらを 押しのけてきた。
私はただ座っていよう」とは、 言えません。
さて、何が起きるかを、 ご覧ください。
私は、これらを 押しのけてきたから
- 観察をとおして、です。
抵抗をとおして、ではなく、
暴力をとおして、ではない。
私はそれらすべてを、 否定してきたから
- 逃避、分析、何かへ逃げていく ことと、その他すべてを、です -
私は、エネルギーを持っていますね。 精神は今、エネルギーを、持っています。
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36:38
A: 今、持っています、ええ。 ええ、それは溢れ出ます。
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36:41
K: なぜなら、私は、エネルギーを 消失させる物事すべてを、
押しのけてしまったからです。
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36:47
A: エネルギーは、 漏れます。
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36:49
K: ゆえに、私は今、 このものを、持っています。
私は、あれに直面しています。
恐れに直面しています。
さて、私は、何を できますか。
これを聞いてください。
私は、何をできますか。
私は、何も できません。
なぜなら、恐れを、 創り出してきたのは、
私であるからです - 世論をです・・・ A: ええ、ええ、ええ。
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37:15
K: いいですか。で、私は、 恐れについて、何一つできません。
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37:17
A: 精確です。
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37:24
K: ですが、エネルギーが、 あります - すなわち、
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37:26
集まったもの、 生じてきたものです。
エネルギーの消散すべてが、 終わってしまったとき、です。
エネルギーが、 あります。
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37:42
A: ええ。そのとおり、美徳です。 そうです、そうです。顕現している。
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37:48
K: エネルギー、です。
さて、何が 起きますか。
これは、 何か、おまじない、
或る種の神秘体験ではありません。
現実の恐れが、あります。
そして、私は、ものすごい エネルギーを、持っています。
エネルギーの消散がないから、 それは、来ました。
で、何が 起きますか。
で、待って、 待って、待って。
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38:22
A: ああ、私は待っています。 私は待っています。
私の心をよぎる何かが、 ありました。
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38:26
K: 何が、起きますか。
で、私は言います - で、何が、 恐れを、創り出してきましたか。
何が、それを もたらしてきましたか。
なぜなら、私は、そのエネルギーを 持っているなら - よろしいですか -
その質問をして、
その問いへの答えを 見つけるように、です。
私は、今、エネルギーを 持っています。
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38:57
どうなっているのか・・・ A: ええ、ええ、ええ。
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38:58
K: で、何が、それを もたらしてきましたか。
あなた、私の隣人、私の国、 私の文化、ですか。
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39:07
A: 私自身です。
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39:09
K: 何が、それを もたらしてきましたか。
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39:12
A: 私が、そうしてきました。 K: 私とは、誰ですか。
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39:15
A: 私を離れた、断片化した観察者として の「私」、という意味ではありません。
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39:17
それはこの・・・私は、あなたが 先に仰ったことを、考えています
- 無秩序になった精神が、 それ自体より、
無秩序を空っぽにすることを、 必要とすることについて、です。
それは、そうするために、 別の精神を、必要としますか。
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39:42
K: いいえ。私は訊ねています。 何が、この恐れを、
もたらしてきましたか - 私の中に、私の意識の中に、です。
私は、その言葉を 使わないでしょう。
なぜなら、私たちは違った形で、それに 入らなくてはいけないだろうからです。
何が、この恐れを、 もたらしてきましたか。
私は、それを見つけるまで、放って おかないでしょう。
理解されますか。
なぜなら、私は、そうする エネルギーを、持っているからです。
私は、誰にも、 依存しません
- どの書物にも、 どの哲学者にも、誰にも、です。
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40:15
A: こういうことが、 実情でしょうか -
ひとたび、あのエネルギーが、 溢れはじめるとき、
問い自体が、 消え去る、と。
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40:25
K: そして、私は、答えを見つけ はじめるでしょう。 A: はい。
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40:27
K: 私は、その問いを出しません。 A: ええ。
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40:28
K: が、私は答えを見つけます。 A: そうです。そうです。
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40:29
K: さて、そうです。 答えは、何ですか。
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40:30
A: 答えは、学術的では ありえないでしょう。
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40:31
何かの叙述では ありえないでしょう。
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40:32
K: ええ、ええ、ええ。
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40:42
A: 存在に、変化が 生じたのです。
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40:49
K: この恐れの事実への、 答えは、何ですか
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40:50
- それは、 維持されてきたし、
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40:53
それは、 養育されてきたし、
それは、世代から世代へ、 続けられてきたのです。
精神は、この恐れを、 観察できますか
- その動きを、です。 A: その動きを。
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41:30
K: 恐れの一切れ だけではなく、
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41:31
A: または、 恐れの連続、です。
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41:36
K: これの動きを、です。
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41:38
A: 恐れ自体の動きを、です。
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41:39
K: それを、思考なく 観察する
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41:41
- 観察者を創り出して きたものなしに、です。
それが明らかになったのか・・・ A: ああ、はい、はい。
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41:52
で、この事実の観察が、 ありえますか -
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41:54
私が恐れと 呼んできたものへ、です。
なぜなら、私は、それを認識してきたし、 精神はそれを、認識してきたからです。
なぜなら、それは、前に 恐れを、持ってきたからです。
で、認識と連想をとおして、 それは、
「これは恐れだ」と 言います。
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42:22
A: ええ、それは けっして、止まりません。
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42:24
K: で、精神は、観察者なしに、 観察できますか
- すなわち、 思考者なしに、です。
ただ、この事実のみを、 観察する。
それは、 こういう意味です
- 観察者は、思考ですが、
思考としての観察者が、 これを、産出してきました。
それが明らかになって いるのかどうか・
・・
で、思考が、これを 産出してきたのです。
いいですか?
私は、自分の隣人を、恐れています - 彼が言うことを、です。
なぜなら、私は、体裁よく していたいからです。
それは、 思考の産物です。
思考は、世界を 分割してきました
- アメリカ、ロシア、インド、 シナと、その他すべてへ、です。
それは、安全を破壊します。
それが、思考の結果です。
私は、さびしい。
ゆえに、私は 神経症的に、行為します。
それもまた、 思考の事実です。
43:38
で、私は、きわめて 明らかに見ます
- 思考がそれに 責任があることを、です。
いいですか?
よろしいですか。
で、思考について、 何が、起きるでしょうか。
思考は、これに 責任があります。
それは、それを養育してきました。
それを維持してきました。
それは、それを 助長してきました。
それは、それを維持するために、 あらゆることを、やってきました。
私は、 昨日、自分が受けた痛みが、
明日、再び起きるのを、 恐れています。
それは、 思考の動きです。
で、思考は、知識の平野の中で 機能できるだけです
- それが、 その地盤です。
そして、恐れは、毎回、 何か新しいものです。
恐れは、古くありません。 A: ええ、ええ。
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|
44:46
K: 私がそれを認識するとき、 それは、古くなります。
|
|
44:48
A: ええ、ええ。
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|
44:55
K: が、認識の過程
|
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44:56
- それは、 言葉の連携などですが、
精神は、それを 観察できますか
- 思考の介入なしに、です。
そうするなら、恐れは、ありません。 A: そうです、そうです。
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45:17
私に訴えていたことは
- 私がここで座っていて、 ひたむきに、ですが、
私に訴えていたことは、
それが生ずる瞬間、
思考と恐れが、即時に 消え去る、ということでした。
|
|
45:33
K: で、そのとき、恐れは 完全に、脇に置かれます。
もしも、私が人間として、 (共産主義の)ロシアで生活していて、
彼らが、私を投獄すると 脅すなら、
たぶん私は、 恐れるでしょう。
それは、自然な自己保存です。 A: もちろんです。
|
|
45:58
K: それは、自然な恐れです - たとえば、
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46:00
バスが、あなたの方へ走ってきて、 あなたは、脇に寄る。
あなたは、危険な動物から、 逃げ去るように、
それは、自然な 自己保存の反応です。
が、それは 恐れではありません。
それは、智恵が 作動している反応です
- 「後生だから、走ってくるバスを 避けなさい」と言って、です。
が、他の要因は、 思考の要因です。
|
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46:34
A: そのとおり。
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|
46:38
K: で、思考は、それ自体を 理解でき、自分の所を知られますか
- それ自体を 投影しない。
制御しない。
そうするのは、 忌まわしいことです。
それはできない・
・・あなたが、思考を 制御するなら、誰が、制御者ですか。
思考のもう一つの断片です。 A: もう一つの思考です。
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|
47:04
K: それは、悪循環です。
|
|
47:06
自分自身と やっているゲームです。
で、精神は、思考の動きなしに、 観察できますか。
あなたが、恐れの動き全体を、 理解したとき、
そうするだけでしょう。
それを理解した。
分析したのではなく、 それを見つめている。
それは、 生きているものです。
ゆえに、あなたは、それを 見つめなくてはいけません。
あなたが、解剖して分析できるのは、 死んだものだけです
- あちらこちらへ 蹴飛ばせるのは、です。
が、生きているものを、あなたは 見守らなくてはいけません。
|
|
47:48
A: これは、とても衝撃的です。 なぜなら、
私たちの前回の会話で、 ちょうど終わりにかけて、
私たちは、誰かが 自分自身にこう言って、
問いを出す所へ、 来たからです -
「私は、自分が聞いてきたことを、 理解できると、思う。
今、私はそれを 試してみよう」と。
そのとき、恐れが それ自体に、鏡を掲げます。
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|
48:13
K: もちろんです。
|
|
48:14
A: 自分は突然に、鏡の世界により ぐるりと取り囲まれます。
|
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48:20
K: あなたは、 危険な動物を、見るとき、
「私は、それについて、 考えよう」とは、仰りません。
あなたは、動きます!
あなたは、行為します。
なぜなら、そこには、ものすごい 破壊が、待っているからです。
それは、 自己保存的な反応です
- すなわち、智恵は、
「逃げ出せ!
」と 言います。
ここで、私たちは 智恵を、用いていません。
そして、私たちが、 これらすべての恐れを、
見つめてきたとき、 智恵が、作動します
- その動き、 その内面性、
その微妙さ、醜さ、 その動き全体を、見つめたのです。
そのとき、その中から、 智恵が、出てきます。
そして、「私はそれを 理解した」と、言います。
|
|
49:14
A: それは、すばらしい。
ええ、それは、とても美しい。
とても美しい。
私たちは、楽しみについて、 何かを、言おうとしていました。
|
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49:24
K: ああ、それは、取り扱わなければ なりません。 A: そうです。そのとおり。
|
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49:27
K: で、ご覧ください。私たちは、 物理的な恐れがある、と言いました
|
|
49:29
- そして、 心理的な恐れ、です。
どちらも、相互に 関係し合っています。
私たちは、あれは一つであり、 これは別であるとは、言えません。
それらはすべて、相互に 関係し合っています。
相互関係と、 その関係の理解は、
この智恵を、 もたらすでしょう
- それは、物理的に 作動するでしょう。
それは、こう言うでしょう - 「すると、一緒に働こう。
人に食べさせるために、 協働しよう」と。
|
|
50:04
よろしいですか。 A: ええ。
|
|
50:05
K: 民族主義的、宗教的、 党派的でないようにしよう。
重要なことは、 人に食べさせること、
人に衣服を着させること、 人を幸せに生きさせることです。
ですが、そうですね、 不幸にも、
私たちは、自らの生き方が、 こうも無秩序なので、
私たちは、他の何のための 時間も、ないのです。
私たちの無秩序は、私たちを、 消耗し尽くしつつあります。
|
|
50:38
A: それは、伝統への関係で 興味深いです。
私は、今、全然新しい会話を、 始めるつもりは、ありませんが、
即時に提起されることを、 ただ見る -
あるだろう他の多くのことの中で、 ただこのことだけ、ですが。
私たちが、伝統の誤用について 言えるだろうことは、
私たちは、何を恐れるべきかを、実際に 教えられている、ということでしょう。
K: ええ。
絶対に。 伝統です。
私たちは、自らの言語に、 表現を持っていませんか -
これの部分を表現するもの、お婆さんの 物語(愚痴話)、と言いますか、
物事についての 警告の蓄積です
- ただ単に、想像上のことに ついて、です。
想像の創造的な意味に おいて、ではありません。
私は、そこで「創造的」という 言葉を、きわめて緩く使っています
- きわめて緩くです。
ファンタジー、幻影、幻想を、
自らの最も幼い 年齢から、です。
このものを、哺乳瓶で得ます。
51:57
K: 分かります。
A: それから、私たちは 思春期に入るとき、
私たちは、学んできた、これらの 物事について、反省します。
そして、 物事が悪くなるなら、
私たちは、 おそらくそれは、
自分たちが、 言われてきたことを、
充分に掴んでこなかった からだ、と感じます。
それから、幾らかの若者たちは、 その点で、言うでしょう
- 「私は、全部を 捨ててしまおう」と。
ですが、そのとき即座に、 さびしさの問いが、生じます。
ええ、ええ。
|
|
52:24
K: 彼らは、それをできません。 それは、生です。これが、生です。
あなたは、一部分を拒絶して、 別の部分を、受け入れられません。
A: そのとおり。
|
|
52:30
K: 生は、 このすべてを、意味しています。
|
|
52:33
自由、秩序、無秩序、 意思疎通、関係、責任
- 全部が、 生きることです。
私たちが、 理解しなくて、
「私は、何の関わりも 持ちたくないな」と言うなら、
あなたは、生きていません。 あなたは、死につつあります。
|
|
52:56
A: ええ、もちろんです。
どうなのかな、 どれほど多くが・
・・
どうなのかな・
・・私は、「どう なのかな」と、言いつづけます。
どうなのかと思う理由は、私たちが、 統一された場、平野としての
この動きについて、 言ってきたことは、
述べられたとき、
思考により 受け取られるからです。
「冷蔵庫へ入れておく」 と仰るかもしれませんが、
それが、その人物にとっての 実在です。
|
|
53:48
K: 全くです。
|
|
53:52
A: 私たちが それを見つめたいとき、
それは、私たちが取り出して、 一目見る、角氷の一つです。
そうしませんか。
|
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53:59
K: そのとおりです。
人の再生において、知識は どんな所を、持っていますか。
ご覧ください。
私たちの知識は、こうです
- あなたは、分離しているに ちがいない。
あなたは、アメリカ人だ。
私は、ヒンドゥー教徒だ - それが、私たちの知識です。
私たちの知識は、あなたは、隣人に頼らなければならない、というものです。
なぜなら、彼は知っているし、 彼は、体裁がいいからです。
社会は、体裁です。
社会は、道徳です。
だから、私たちは、 それを受け入れます。
で、知識は、これらすべての 要因を、もたらしてきました。
あなたは突然に、私に語って います。
私に訊ねています
- それは、どんな所を 持っていますか。
54:46
伝統は、どんな所を 持っていますか。
幾千年の蓄積された知識は、 どんな所を、持っていますか。
科学、数学の蓄積された知識 - それは、本質的ですが、
知識は、どんな所を 持っていますか -
経験をとおして、 私が集めてきたもの、
人間の尽力の世代に次ぐ 世代をとおして、ですが、
それは、恐れの変容において どんな所を、持っていますか。
|
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55:22
いかなる所も、ありません。分かりますね! A: ええ。明らかです。明らかです。
なぜなら、私たちが、 その前に到ったものは、
これが掴まれる瞬間に、 ですが、
断片として作動していた 思考と、恐れは、消滅します。
それは、何かが継承して、それに取って 代わる、ということではありません。
|
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55:47
K: ええ。何も、それに 取って代わりません。
|
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55:48
A: ええ。何も、それに 取って代わりません。
何も、それに 取って代わりません。
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55:54
K: それは、空っぽがある、 という意味ではない。
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55:57
A: ああ、はい、 はい、はい。
が、そうね、それは、 ちょうどそこにある
- それについて、思考だと 考えはじめるとき、怖くなります。
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56:05
K: そういうわけで、 知識の機能を、見出すか、
理解することが、 とても重要であるのです -
そして、知識がどこで 無知になるのかを、です。
私たちは、二つを 混ぜてしまいます。
知識は、本質的です
- 英語を話すこと、運転すること、 1ダースものこと -
知識は、必要ですが、
その知識が 無知になるとき、
私たちが、「有るもの」を実際に 理解しようとしているとき、
「有るもの」は、この恐れ、
この無秩序、 この無責任です。
56:57
それを理解するには、あなたは、 知識を持たなくていい。
あなたがすべきすべては、 見ることです。
あなたの外側を見る、 あなたの内側を見る。
そのとき、あなたは、 明らかに見えます。
すなわち、人の変容や 再生において、知識は
絶対的に不必要であり、それは、 何の価値をも持ってないことを、です。
なぜなら、自由は、知識より 生まれていないからです。
重荷すべてがないとき、 自由は、あります。
あなたは、自由を 探求しなくていい。
他方がないとき、 それは、来ます。
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57:43
A: それは、前にそこにあった 恐怖に、代わる何かではありません。
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57:46
K: もちろんです。
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57:48
A: ええ、ええ。
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57:49
K: それで十分だと、思います。
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57:51
A: ええ、ええ。お話は、 よく分かります。
たぶん次回、私たちは、 これを続けられるのでしょう
- そのコインの裏側、 楽しみそのものから、です、
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