SM72T2 - 狂気の世界において、正気であるだろう全的な行為が、あるのか。 home
公開講話 第2回
カリフォルニア、サンタモニカ
1972年3月19日

0:21 私たちは、昨日の朝、 こう言っていました - こうも狂気で、混乱した 世界において、 そこには、こうも多くの宗教的 指導者と政治家が、いますし、 そこには、こうも 多くの暴力、悲しみと、 全くの絶望感が、 ありますが、 自らが、自分自身にとって、 光になるべきことが、 自然だと思われます。 それは、私たちが 自らの条件づけを、理解し、 それを乗り越えるときだけ、 可能です。 それが、多かれ少なかれ、昨日の朝、 私たちが、話していたことです。 私たちは、止めたところから 継続すべきだと、私は思います。
1:48 私たちは、生を、外と内とに 壊してきました。 外の存在は、一定の活動、 一定の労働、職を 要求しますし、 内的な生もまた、 騒動の中、混乱の中に あります。 この世界で、 この狂気の社会で、 職を持つことに、 関心を持つとき、 自分は何をすべきですか - 自分が職を持つなら、です。 自分は、さらなる混乱、 さらなる悲惨、 さらなる狂気に、 寄与しています。 そして、内的に、 私たちは、 違った種類の生を、 生きたいと思います - 外より分離して、です。 相当に平和であり、 明らかで、理性的であり、 あまり多くの葛藤なしの 生を、です。 そして、おそらく、 何かを見つける、 何か腐敗可能でないもの、 思考や、ずるい精神により 組み立てられていないものに、 出くわすのです。 3:34 で、私たちは、二つを 分離します。内と外を、です。 けれども、私たちは、 それらが 相互に関係し合って いることを、見ません。 不幸にもそうだと、 私は思います。 すなわち、全的な行為が、 ありますか - こうも腐敗し、 汚染されていて、 全く狂気である 社会の中で、です。 全的な行為が、 ありますか - 内にも、外にも、 対応するものが、です。
4:22 そして単に、私たちは 税金を払うべきか、 または、 徴兵されるべきか - ここ、この国で、それは 召集(ドラフト)と呼ばれます - などに、 関心を持つこと - まるで、それが 何か分離していて、 私たちの一番奥の 欲望、あこがれ、望み、 恐れ、楽しみより別の ものであるかのように、です。 私たちが言いましたように、 それらは、 相互に 関係し合っています。 二つは、 分離していません。 それらを分離することは、 別の形の狂気です。 なぜなら、内的に、自らが 気づけば気づくほど、 存在の総体を、理解することに 関心を持てば持つほど - それの特定の区分を(理解する ことに)、ではありません - そのとき、その関心は、 その気づきは、 外に、行為を もたらします - 内に矛盾していない ものを、です。 5:49 で、私たちは、 訊ねています - 全的な行為が、 ありますか。 狂気の世界の中で、 正気であろうし、 非理性的な世界の中で、 理性的であろうもの、 混乱の中から、 秩序を もたらすだろうし、 喜びと美しさの 感覚を、 現在、いかなるそれをも 一つも持っていない存在に、 与えるだろうもの、です。 で、この問いを 考慮する中で - すなわち、全的な行為が、 あるのか、です。 内でも、 外でもない行為、 全的に関係していて、 全的に完全である 行為、です。 それで、外的な行為が、 あるとき、 それは、内的な行為ほど 完全であるように、です。
7:06 そうね、これは、 私たちのみんなが直面する 問題であったのです。 語り手が、インドへ行き、 そこで話をするとき、 そこには、こうも多くの貧困、 失業、過剰な人口が、あります。 一つの職のために、 たぶん一万人の人々が、 その職を、求めています。 探しています。そうね、 この問題は、とてつもなく 重要になります - 矛盾がないように、 どう行為するのか、 正気をもたらすように、 どう行為するのか、 社会的構造が変化し、 変容するよう、 どう行為するのか。 この問いは、 私たちの一人一人により、 されなければなりません。 きっと私たちがみんな、 この質問をしていると、思います。 それを口走って いるのではなく、 それの錯綜を言い繕おうと しているのではなく - 自らが若いなら、 何をすることになりますか。
8:34 その問いに 答えるには、 きわめてはるかに深く 行かなければなりません - 特定の主題への関係で、 行為が何であるのか、より、 自分は 軍隊へ入るべきか、 徴兵、召集されるべきか、 どんな種類の職を 持つべきか、などより、です。 この問題に、きわめて 深く入る - そして、表面的な問題が 答えられるのは、 問題の充実を 理解する中だけなのです。 が、あなたが単に、 表面的な問題を 表面的に、 取り扱うだけなら、 それは、はるかに多くの 混乱、葛藤に、つながります。 そして、 悲惨と過ちに、です。 で、この問いを 考慮する中で、 全的な行為が、 ありますか - 外的にと、内的に、 調和的で、正気で、 完全に理性的、 健康的であろうものが、です。 10:14 あなたは、私がこの問いに 答えるのを、待っていますか。 待っておられるのが、 見えます。 どうぞ、 待たないでください。 なぜなら、私たちは ともに、この問題を、 分かち合おうと しているからです。 語り手は、自分自身で、それを 解決してきたかもしれません。 語り手は、たぶん乞食であり、 彼にとって、それで十分です。 あなたが、語り手から 答えを、待っているなら - 彼が言うことを、あなたが特定の 問題へどう適用できるかを、見るのか、 彼の答えに応じて、全的な問題を 理解できるようにか、です - そのときあなたは、 分かち合っていません。 そのとき、あなたは 単に、もう一つの定式、 もう一つの概念を、 受け入れているだけです。 あなたが、こうも 多くの定式と概念を、 受け入れてきた ように、です。 そして、概念は、 答えではありません。 11:45 観念は、 答えではありません。 信念の団塊は、 答えではありません - このような、 根源的な問いにとって、です。 で、私たちはともに、問題を、 分かち合おうとしています。 すなわち、私たちは、 一緒に、敏感に、 ためらいつつ、理性的に、 この問題を、検討します。 ともに問題を 理解する中で、 あなたは、自分自身で 答えを、見出すでしょう。 そのほうが、はるかに重要です - 何をすべきか、 全的な行為が何であるかを、 語られるのより、です。 で、私たちは、定式や結論、 概念に、関心を持っていません - あなたが、その上で 育てられてきたものに、です。
12:53 先日、誰かが、 訊ねました - 「あなたは、 何をしますか」と。 私は、どう返事すべきかを、 知りませんでした。 私は、こう言いました - 「私は、 自分が何をするかを、よく知りません。 私は、或る種の 講演者、哲人です」と。 そうね、 その種のことを、です。 そして、「あなたの哲学は、 何ですか」と。 私は、こう言いました - 「それは 私の哲学ではありません。 哲学(フィロソフィー)は、 真理の愛を、意味しています - それは、あなたのや、 私のではありません。 真理の愛です」と。 ここに、同じ問題が、 あります。 私たちは、何かとてつもなく 重要なことに、関心を持っています。 13:52 そして、世の中に、真剣な人々は、 ほとんどいません - この問題に、完全に取り組む だろう人は、ほとんどいません。 そして、興味を持たなくて、 真剣でない人々に、 取り囲まれている 世界の中で - 自分の楽しみに、 自分の娯楽に、自分の満足に、 完全に関心を持っている 人たちに、です - 深く興味を持っているかも しれない、わずかな人たち、 彼らは、何を することになりますか - こうも表面的で、 気軽であり、 無思考の世界の中で、です。
14:48 で、これら二つの問題が、 あります。 すなわち、真剣な人物は、 何をすることになりますか - 全的な行為に、 関心を持って、です。 そして、その真剣な人物は、 何ですか。 彼の関係は、何ですか - 世界の大多数の 人間たちとの(関係)、 社会が、 わずかな修正でもって、 今あるままであって ほしい人たちとの関係です。 彼らは、完全な安全が ほしいのです。 他の人たちに、何が起きるのかは、 大事なことではありません。 彼らは、自分に満足、充足と、 それらの事柄を、 与えてくれるだろう 生の道が、ほしいのです。 で、これら二つの問題が、 あります。 さて、この問いに きわめて深く入るには、 動機が何であるか、衝動、 エネルギーが、何であるかを、 理解しなくては なりません - 私たちの行為の裏に あるものが(何かを)、です。 16:13 全的な行為を、探し求めようと している人の行為 - 内にも外にも 相応するし、 そこに矛盾がないし、ゆえに 葛藤がない、全的なものです。 この衝動の本質は、 何ですか。 それは・ ・・どうぞ、 私は探究しています。 私は、それがそうであるとか、 ないとか、言いません。 私たちはともに、この問題を、 理解しつつあります - それは、 楽しみへの衝動と探求、 楽しみの追求 ではないですか。 どうぞ、私に答えないでください。 ただそれを、見つめてください。 私たちは、それを 探検しようとしています。 これはただ、 それの始まりです。 私たちの社会は、 これに、基づいています - 楽しみの追求、 楽しみの継続に、です。 地位、権力をとおし、 金銭をとおし、 セックスをとおして、です。
17:52 私たちは、楽しみが間違って いると、言っていません。 私たちは、清教徒的に なりつつありません。 私たちは、 検討しています。 そして、きわめて明らかに 検討するには、 あなたは、自由で なければなりません あなたの清教徒的な育ちや、 あなたのヴィクトリア朝の育ちから、 または、あなたの育ちが、 何であっても、です。 探究するには、自由が なければなりません。 ゆえに、以前の結論が、 あってはなりません。 または、あなたが 探究しているとき、 どの結論に 来ることも、です。 で、私たちの行為の ほとんどは、 外的にも、内的にも、 微細か、粗大かの形での、 この楽しみの追求に、 基づいていませんか。 そして、楽しみ(プレジャー)、 楽しさ(エンジョイメント)、 喜び(ジョイ)の間の 違いは、何ですか。 私たちは、これら三つのことを、 理解しなくてはいけません。
19:28 あなたが、森を 歩くとき - または、 浜辺を、ですが - 大きな歓喜が、あります。 大きな楽しみが、あります - 土地の美しさ、 樹々、鳥たち、 水面の光、 丘の中の日の入り、 日が沈んでいくとき、訪れる、 あの特有の雰囲気、です。 あなたが、空に、 夕べの星を見るとき、 それは、 大きな楽しみです。 そこには、 大きな喜びが、あります。 それの何が、 間違っていますか。 先日、いわゆる教師、 導師が、こう言いました - ここが何と 美しい街であるか、 あれが何と麗しい樹であるかを、 指摘されたとき、 「私には、それらで悩んでいる 時間が、ない」と、彼は言いました。 20:38 で、美しいものを 見つめることの、 どこが、 間違っていますか。 または、完璧な食べ物を食べることの、 です。 マンゴーのように、 オレンジのように、です。 それのどこが、間違っていますか。 そこには、楽しみが、 あります。 が、あなたが、自分は人生の毎日、 マンゴーやオレンジを食べなければ、とか、 美しい日の入りを見なければ ならないとか、主張し、 微妙に、執拗に、がんこに、 それを追求するとき、 その追求は、不均衡を もたらします。 あなたは、 不均衡であるとき、 神経症的な、 矛盾した行為が、あります。 それが、この楽しみの追求の 事実の一つです。 これに注目なさったことが、 ありませんか。 この楽しみの追求の中に、 不均衡、矛盾した行為、 神経症的な活動が、 あるだけではなく、 また、その裏には、 矛盾の感覚が、あるのです。 22:16 あなたは、けっして 何も、楽しくなくて、 それをもっと 持ちたがっています。 これらに注目なさったことが、 ないですか。 あなたが、権力を 探し求めているとき - ほとんどの人々は、 そうであるように、です。 それが、小さな集団や、家族の 中での権力であっても、です。 そうね、アメリカで、 何が進んでいるのか、です。 - ウーマン・ リブ、 ですね - 権力、支配、 主張、攻撃、 これらすべてが、 楽しみの形です。 そして、私たちが 生きるところの社会は、 この種類の楽しみを、 助長します。 すなわち、 楽しみの追求です。 楽しみの追求は、全面的に 楽しさより、異なっています。 あなたは、美しい日の入りを 見るとき、それが楽しい。 23:49 夕べの色、光、 清浄さ - おそらく ロサンジェルスでは、そうではない - その美しさは、本当に 全くとてつもない。 そして、あなたは、 それが楽しい。 その楽しさは、思考により 引き継がれます。 そして、思考は、「私は明日、それを 持たなければならない」と言います。 あなたは、それを追求します。 そのときそれは、楽しみになります。
24:35 で、楽しみ、楽しさと、 喜びと呼ばれる、 あのふしぎなものを 理解することなしに - (喜び)それは、 招けません。 あなたは、喜ばしくあるために、 体系を実践できません。 または、学校や 専門校へ行ったり、 集団療法に 出席したりできません。 または、このふしぎな国で、 あなたが何をするのでも、です。 喜ばしくあるために、 分析してもらう。 あなたは、ただ 正気でいないだけです。 あなたがそこにいないとき、 喜びは、来ます。 あなたが、 自分の問題すべてとともに、 自分の悲惨とともに、 自分の些細さとともに、 存在していないとき、 あれは、起きます。 25:38 あなた自身で、それに、 注目なさったことが、ないですか。 あなたが、自分自身について、 考えていないとき - 自分の妻、自分の問題に ついて、です。 そうね、 精神が静かであり、 関心を持っていなくて、 問題を 持っていないとき、 突然に、このふしぎな ものが、来ます - 全的な調和の感覚、 あらゆる物事との完全な 統合の、です。 それが、ものすごい没我、 喜びの感覚を、もたらします。
26:17 で、これら三つのものが、 あります - 喜び(ジョイ)、 本当の楽しさ (エンジョイメント) - あなたが楽しみ(プレジャー)を追求 しているとき、それは、阻止されます。 で、この問題へ 完全に入ることなしに - 理論的に、ではなく、 抽象において、ではなく、 言語的に、すなわち、 知的に、ではなく、 実際に、あなた自身を 観察します。 あなたが、いかに常に、このものを 追求しているのかを、です。 そして、商業的な社会に 助長されているのか、です。 あなたは、自分自身に こう言います - この狂気の世界の中、 この商業的な世界の中で、 私は、いかに 行為することになるのか、と。 それで、私は、この社会を 助長もしないし、 けれども、私は、そこに 生きなくてはいけません。 それで、私たちは、脇道へ 逸れていってしまいます。 27:44 ところが、もしも あなたが、探究したなら - 私たちが今、この行為の問いを そうしているように、です。 そして、行為は、いつも 現在にあります。 未来にも、 過去にも、ありません。 行為は、それを、意味しています - することを、です。 したことや、しようと することではありません。 さて、あなたと私は、ともに これを見つめるとき、 私たちは、言語的に、 問題を見つめていますか。 私がいう意味を、理解されますか - 言語的に、です。 なぜなら、私は一定の言葉を、 使ってきたからです - あなたの中に、一定の応答を 喚起するかもしれない言葉を、です。 それらの応答に沿って、あなたは 問題を、見つめています。
28:59 どうぞ、これを 聞いてください。 で、あなたは、問題を見つめるよう、 言語的に刺激されます。 ゆえに、あなたは、語り手により、 見るよう、刺激されます。 が、あなたは、実際に 見つめていません。 あなたは、 刺激されています。 それは、あなたが実際にそれを 見つめるのより、全然違っています - 何も刺激なく、 観察するのより、です。 で、あなたが、非言語的に 観察するなら - 何も結論なしに、です。 すなわち、結論とは、あなたが 築いてきた言語的なイメージです。 または、あなたに 手渡されてきたものです。 それらの言語的な結論を とおして、あなたは見ます。 で、あなたは、別の一人の言語的な 刺激をとおして、見るのか、 あるいは、 あなた自身の結論、 あなたが持つ言語的な イメージをとおして、なら、 そのときあなたは、実際に起きつつ あることを、観察することへ、 実際に 参加していません。 30:41 すなわち、あなたは 事実に、向き合っていません。 あなたは、一連の観念と結論を とおして、事実に向き合っています。 私の話は、明らかに なっていますか。 なぜなら、これは かなり、重要であるからです - あなたが 気にされないなら、です。 すなわち、 あなたは、この行為の問いを、 どのように、見つめますか - その行為の裏の動機、 執拗な楽しみの追求 - 権力をとおして - すべてのそのあや、 微妙さとともに、です - 金銭をとおして、 セックスをとおして、です。 あなたはそれを、 どう見つめますか。 あなたは、覗きこんでいて、 「はい、そのとおりです」と 言っている、 外部者ですか。 または、見る行為こそが、 全的な行為ですか。 私が言っていることが、 分かりますか。 私たちは、互いに 出会っていますか。 いいえ。残念ながら、 そうではないと、思います。 32:32 ご覧ください。 全的な行為は、 全的な気づき、聞くことを、 含意しています - 行為です。 それは、 そこに分割がない 見ること、行為を、 含意しています - 外や内として(の分割)、 定式、観念、概念、イメージに応じて 行為することが、ないのです。 なぜなら、それらは、 分割を、もたらすからです。 そして、それらより 自由である、 それで、あなたが、問題全体を 見つめられるように、です。 あなたが、全的な問題を、 見つめる能力が、あるとき、 まさにその見ることこそが、 全的な行為です。
33:35 ご覧ください。 違ったように、表しましょう。 私たちが互いに意思疎通しあって いないのが、分かります。 意思疎通とは、何を意味するかを ご存知ですか。 分かち合う、ともに創り出す、 働く、考える。 あなたが、他の何かに ついて、考えていて、 語り手が、自分自身のことに ついて話しつづけていくなら、 そのとき、あなたは、 互いに出会っていません。 私たちは、問題を 持っています。 私は、生計を立てたいと 思います。 私は、そうしなくては いけません。 そして、私は見ます - 全くおぞましく、 全く怯えさせ、 ふしぎに狂っている、 この世界において・ ・・ 私はそれを見るし、 私は、 「さて、私は何をすることに なるのか」と、言います。 私は、彼らに 加わるのでしょうか。 私は、そうするなら、その狂気を 継続、維持するでしょう - その狂気が、シナや、 ロシアにあっても、 この国や、他のどこに あっても、です。 34:57 私たちは、正気な人々 ではありません - あれら狂気の人々を 離れて、です。 私たちは、みんな 同じ船に、乗っています。 さて、私は、何を することになりますか。 私は、生計を 立てなくてはいけません。 私は、職を 持たなくてはいけません。 私は、職にのみ、関心を 持つことになりますか。 そして、私は、自分が何をしようと、 するなら、戦争に寄与するのを、見ます。 で、私は、この問題に、 どう出会うのでしょうか。 それは、私にとって、 致命的な問題です。 それは、表面的な 問題だけではありません。 それは、私の生です。 私は、もう五十年、 生きるのです。 私は、正しく生きたい、 私は、まともに生きたい、 私は、明晰さをもち、幸せを もって、生きたいと思います - 果てしなく、分析者と 導師を追いかけるのと、 その他すべての 事柄ではなくて、です。 36:12 で、私は、何を することになりますか。 私は、 私の生の行為が、 砕けてしまっていることが、 分かります。 私は、或る場合に、 一つのものです。 別の場合に、別のものなどです。 砕けてしまい、断片化しています。 私の行為もまた、 断片化しています。 私の私的な生と、 私の公的な生、です。 私の私的な生 - 私の楽しみ、 喜び、苦悶すべてをともなって、です。 そして、私が了承する ところの公的な生は、 機械的とかになります - それが何であっても、です。
37:10 で、私は、全的に 調和している行為を、 見出したいのです - 健全で、完全であり、私の生に 意味を持っている行為を、です。 この行為が何であるかを、 探究する中で、 私は、より深く掘ります。 そして私は、言います - 私の生において、あらゆる 行為の裏に、何があるのか、と。 あらゆる行為(の裏に)、 です。 外の世界における行為 - 私は、安全を 持たなければなりません。 屋根、衣服を、です。 そして、衣服、住宅、それら、 食べ物を、得る中で、 私は、社会の混乱に 寄与しています。 内的に、私の行為は、 何ですか。 私はなぜ、砕けて しまっていますか。 私は、 この断片化があるとき、 それは狂気につながることを、 知っています - 矛盾、葛藤、悲惨、 罪悪、苦悶に、です。 38:36 で、探究する中で、 私は、 この全的な行為が、何であるかを 見出したいのです。 私はどうして、それを 見つけることになりますか。 誰か教授や、専門家に 言われるのではなくて、です。 私は、自分自身で、 見出したいのです。 なぜなら、それは、 私の生であるからです。 この全的な行為とは、 何ですか。 私は、行為すべての裏の 動機が、見えます - 恐れ、楽しみ、 楽しみの追求、 ゆえに、その跡に、 恐れの影、です。 私はまた、生が楽しく あってほしいとも、思います - 私たちが生きるところの、 とてつもない大地が、です。 それは、 私たちの大地です - あなたの大地、アメリカのや、 ロシアのや、インドのではありません。 それは、 私たちが生きるため、 歓喜するための大地です。 それを、私たちは、だめにし、 腐敗させ、破壊しつつあります。 39:56 それで、そのとき、私は このことに、来ます - 私はこれを、どう 見つめますか。 この楽しみ、 恐れの問いと、 楽しみの執拗な追求を、 見つめる。 私はそれを、 どう見つめますか。 私は、それを、言語的な声明、 結論として、見つめますか。 または私は、それを、 完全に見つめますか - 私が空腹であるとき、 そうするように、です。 あの状態には、間に 分割が、ありません。 私は空腹です。 それは、 即時の応答、反応です。 それは、行為を 要求します。
40:51 で、私は、これを 非言語的に、見つめますか - 何の結論もなく、 以前の評価もなく、です。 ゆえに、私は、それを 完全に見つめていますか。 それが、私たちの問題が あるところです。 私は、あのものを、どう完全に 見つめるかを、知るなら - 内的と外的に、 私の不調和、 内的と外的に、 矛盾した行為、 私の生の、あらゆる種類の 行為の断片化を、です。 私はそれを、外側から 見つめますか。 または、まったく外側の者は、 なくて、あれだけです。 すなわち、事実です。 ただ事実だけが、あるとき、 あなたは、 あの事実を取り扱うための、全的な エネルギーを、持っています。 42:08 そのとき、あの事実は、 根本的な変化を、遂げます。 それは、あなたが、事実を、 「有るもの」を、結論をもち、 言語的なイメージをもち、先入観を もって、見つめるときだけです - そのとき、あなたは、矛盾の中で エネルギーを、散失しています。 ところが、あなたが、「有るもの」の 事実を、見つめられるなら - 何の矛盾もなく、 何の言語的な結論もなく、です。 そのとき、あなたは、 ものすごい行為を、持ちます。 ものすごいエネルギーが、 あります。 それが、行為です。 それが、 「有るもの」を、変化させます。 お分かりに なりましたか。 あなたたちの幾人かは、 分かりましたか。 聴衆: はい。
42:52 K: ありがたい。
42:54 さて、あなたは ご覧になります。 それは、 こういう意味です - 行為を、探し求め、 理解しつつある人は、 権力を探し求めません。 ですね? 彼は、お金が 要りますが、 楽しみを招来するために、 お金を使いません。 楽しみを招来するのは、 「私」です。 理解されますか。 世界での、私たちの主要な問題の 一つは、見たところ、セックスです。 聴衆: あなたは、どうしていますか。
43:47 K: 私が、どうしていますか。
43:50 私は、よく 理解できません。
43:55 聴衆: あなたの性生活は、 どうですか。
43:59 K: そのお方は、私の性生活が どうであるかを、知りたいと思います。 やれまあ。 どうぞ、 そうしないでください。 お待ちください。 私は、 後で、お話ししましょう - 私があなたに、 お話ししたいのなら、 私の性生活が何であるか、何でないかを 記録する甲斐が、あるなら、です。 私たちは、この問題に 関心を、持っています - 誰かの問題ではありません。 私たちの問題、 あなたの問題です。 すなわち、 セックスをとおし、 楽しみの常なる追求と、 それが拒否されるときや、 不確実性があるとき、 葛藤があるとき、 そこで何が起きるか、です。 不均衡が、あります。 神経症的な活動が、あります。 無行為が、進みます。 45:22 この社会は、セックスを、生で 最大のものにしてきたので - あなたの神々と 救い主よりも、です - あなたは、それに、 答えなくてはならないでしょう。 なぜ、あなたは、 人間として、 これを、こうも主題に してきたのか、です。 そして、あなたは、これを、 こうも主題にしてきたから、 それは、問題に なってしまったのです - あなたが年を取るとき、 ひどいものに、です。 私たちはいつも、探し求め、 いちゃついています。 それで、あなたが、答えなくては いけません - 私が、ではありません。 私は、それについて、まったく 問題を、持っていません。 私は、それを、生の中の 最重要なものに、しません - 私自身からの 逃避としてか、 セックスをとおして、何か とてつもなく尊いものや、 何かとてつもない 経験の状態を、見つけません。 46:52 それらはすべて、かなり 子どもっぽく、未熟です。 で、それは、私の性生活が 何であるのか、ではなく、 あなたの生が 何であるのか、です。 なぜあなたは、語り手に 関心を、持っていますか。 私が、昨日、 言いましたように、 語り手は、まったく 重要ではありません。 重要なのは、あなたです。 あなたの生です。 で、私たちが、楽しみへ 最大の重要性を、与えるとき - 私たちの方向 すべてで、 そして、 それの追求に、です - あなたは、最もとてつもなく不均衡な 生を、送るにちがいありません。 あなたは、 そうするのです。 この不均衡な生は、 狂気の社会を、創り出します - それは、あなたが 創り出してきました。 48:14 で、それを深く理解して、 乗り越えることなしに - なぜなら、私たちは、 自分たちの道徳、自分たちの美徳、 自分たちの行いを、楽しみに 基礎づけてきたからです。 あなたは、犠牲を 払うかもしれません。 その犠牲もまた、 楽しみの一つの形です。 で、あなたは、この現象全体を、 見なくてはいけません - 断片として、ではなく、 特定の一方向で、ではなく、 全体として、です。 そして、全体が見えることが、 全的な行為です。
49:08 私は、十分に 話をしましたか。 ちょっと お待ちください。
49:24 そうね、楽しみの 追求において、宗教は、 大きな役割を 果たします。 すみません。 私は、それを 含めるのを、忘れていました。 権力、金銭、 セックスと神です。 麗しい結合なのでしょう。 それを笑ってください。 それは、全く面白い。 なぜなら、組織されて きたような宗教は、 これを 提供するからです。 そして、宗教が提供してきた 最高の形の楽しみと、 それの追求、 規律、様々な裁可は、 これの路線に、 あります。 で、ともに、 このすべてを、見ると - 宗教的な生、 政治的な生、 家族生活として、 ではない。 ただ職を得るだけ、 そして、 浜辺へ行ってしまい、日向で 寝そべるだけの生ではない。 それらは、すべて、 断片的な行為ですが、 この現象全体を 見ること。 50:55 そのとき、それが見えるなら、 あなたは、行為するでしょう。 全的な知覚から、 特定のことです。 理解されますか。 それは、この国の地図を 見るのに、似ています。 この国全体の 地図です。 すべての道路、 村、町。 そのとき、あなたは、自分がどこへ 行っているかを、知っています。 なぜなら、あなたは 全部を、見たからです。 そして、これを見ないで、単に 職に関心を持っている精神、 そして、こうも腐敗している 社会の中で、 どう生きられるかを、 見ようとしているだけのもの - 彼にとって、 それは、拷問になります。 そうね、 これについて、こうも長く 話してまいりました - 行為について、 だけではありません。 生の総体を見ること、 生の全的な動きに ついて、です。 52:19 それが全的に 見えるには、 また、このとてつもない分割をも、 見つめなくてはいけません - 意識的なものとともに、 無意識なものの間の、です。 なぜ私たちは、あの分割を、 創り出してきましたか。 なぜ分析者たちは、 この分割に、 こうもとてつもない重要性を、 与えてきましたか。 私は、それが大儲けできるのを、 存じていますが、なぜですか。 なぜ、 この分割ですか。 で、それは、 可能ですか - 私たちは今、無意識的なものと 意識的なものとの この問いへ入る時間を、 持っていません。 なぜ、 この分割ですか。
53:02 私たちは、世界を分割して きました - 宗教的に、政治的に、 官僚主義的に、 テクノロジー的に、 民族的に、宗教的に、です。 そして、自分自身において、 私たちは、断片化しています。 確かに、この断片化と この分割は、 大きな狂気、大きな矛盾へ、 つながります - 私たち自身の生において、です。 そして、矛盾しているので、私たちは きわめて正気であろうとしています。 正気は、あなたが自分自身を 理解したとき、来るだけです - 他の誰かが、理解するよう、 あなたを、助けるのではない - あなたが、自分自身を、 自分の矛盾を、理解して、 それに 気づいているとき、です。 そのとき、その気づきの中から、 正気が、出てきます。 その正気から、あなたは、 生計を立てます。 あなたは、職を得ます。 そのとき、その正気、その行為は、 54:18 腐敗している社会を、 了承しないでしょう。 あなたは、何か腐敗不可能な ものを、もたらしつつあります。 それが、私たち自身で 見出すべき、第一のことです。 そして、 保証いたしますが - あなたは、語り手から、何の保証も ほしくないですね。 すみません - ここには、大いなる 美しさが、あるのです。 それは、愛です。 それなしには、 この美しさの性質、 精神の性質、 愛の性質なしには、 あなたの職、 あなたの神々、 新しい社会をもたらす あなたの改革は、 何の意味も ないのです。 そして、あなたは、 新しい社会を、築く者です。 ゆえに、人間としてのあなたが、 根本的に、変化しなくてはいけません。 さて、おそらく、あなたたちは、 幾つか、質問をしたいのでしょう。 ちょっと お待ちください。
55:39 聴衆: 私は、シュリー・ラーマナ ・マハリシの信仰者です。 彼は、キリストの意義と、 (使徒)聖パウロの啓明について 訊かれたとき、 彼は、「啓明は絶対的だ。 形に 連携していない」と、言いました。 聖パウロが、 自己を意識した後、 彼は、啓明を、キリスト意識と 同一視しました。 それから、聖パウロは、 キリストを愛する者ではないことが、 言われました。 そして、愛や憎しみは、 大事でないと、 言われました - キリストの思考が、 そこにある、と。
56:40 K: お訊きしてもいいですか - 遮ってすみません - 手短にして いただけるでしょうか。 私は、問いを 繰り返さなくてはいけません。
56:49 聴衆: 私は理解したいと 思います - この状況において、なぜ愛や 憎しみが、大事でないのか、です。
57:01 K: そのお方は、 知りたいと思います - まず第一に、 聖パウロを引用されました。 見たところ、 啓明を得た人、です。 その啓明は、絶対的であると、 彼は仰いました。 が、彼が、自分自身を 何かと、同一視するとき、 その同一視の中から、 憎しみと愛が、成長しました。 なぜ この矛盾ですか。 K: それが、問いですか。
57:35 聴衆: はい。
57:37 K: ご覧ください。私は、 聖パウロについて、何も知りません。
57:40 ご存知ですか。 そして、他の誰かが言うことが、 どうして重要なのですか。 それが誰であっても、 構いません。 そうですね、 この権威の問いですが、 それは、私たちの精神を こうも深く条件づけます。 それは、地上で最も ひどいことの一つです。 あなたは、 インドへ行きます。 そこで彼らは、聖典を 長尺で、引用します。 そして、彼らは こう言います - あなたは、聖典に沿って、 こう言っていますか。 あなたは、それらを 読んだのですか、 または、それらと分かち合って いますか、などと、です。 彼らは、そのすべてを、脇に置いて、 自分の生を、見つめられません。 そして彼らは、自分の生を 見つめることに、怯えています。 それは、 自己欺瞞の行為、 彼ら自身からの 逃避の行為です。 59:04 私は、あなたがそうしていると 申していません。 私が言っているすべては、 こうです - 絶対的な善といったものが、 ありますか。 どんな、お好きな名で 呼ぼうとも、です。 覚り、真理、 測量不可能なもの、 名づけられないもの、 などです。 全的な善、絶対的な善 といったものが、 ありますか。 あなたは、探究します。 あなたが、答えのほうを 見るなら - 聖典のどれや、哲学者の 誰においても、です - あなたは、自分自身で それに、答えていません。 あなたは、誰かの説明に沿って、 それに答えています。 それは、こうも全く 無価値になります。 「私は自分自身で、見出さなければ ならない」と言うことは、 虚栄ではありません。 それは、 謙虚さの行為です - 「私は何も知らない」と 言うことは、です。 1:00:29 他の人たちが、真実なのかもしれません - 彼らが言ってきたことが、です。 が、私は、何も 知りません。 で、あなたは、 すべての権威を、放棄します。 それを拒否します。 ゆえに、あなたは、見出すよう、 とてつもなく謙虚に、なります。 私たちは、こうも開いて、正直で あることを、恐れています。 私たちは、自分の知識を、 自分の読書の深さを、 きわめて 誇りたいからです。 あなたは、世界の書物すべてを、 読むかもしれませんが、 あなた自身が、善が何であるかを、 理解してこなかったなら - あなたの生において、 その善が、花開くことを、です - それは、何の価値が、ありますか。 他の人たちが言うことが、です。
1:01:36 はい?
1:01:38 聴衆: 私は、お訊きしたいと 思います - お話を聞いてきました。 私は理解したと思いますが、 私は、楽しみの執拗な追求に ついて、問いを持っています。 それは、昨年の 私の経験でした。 私は、すっかり新しい、すばらしい 喜びを、見つけたのです - 自分自身に、そして、 他の人たちとともに働いて、 セックス、金銭の 穏やかな追求の中で、です。 神、権力、 その分配、 それらの物事すべての 公正な分配、です。 そして、私は、 人々と働きます。 で、私は、理性の強くて 成長中の要素を、見ます。 私が関与している 幾つかの運動における、 全くの非理性では ありません。 私は、喜びを、 見ます - そして、人々が、過去の硬直を 破って出ようとしているのを、です。
1:02:48 K: で、あなたは、 こう仰っていますか - すなわち、あなたはもはや、 楽しみを、追求していないから、 あなたは、他の人たちと、とか、 人々の共同体と、一緒の状態にいる、 あなたは、喜ばしい、と。
1:03:09 聴衆: 私は喜ばしいと、思います。 なぜなら、昨年、私は、 穏やかに楽しみを追求することが、 だいじょうぶだと、見出したからです。
1:03:17 K: ああ、あなたは、 楽しみを追求することは、 完璧にだいじょうぶだと、仰って います。 そういうことですか。 聴衆: そして、そのために働くことが、 です。 
1:03:25 K: はい、はい。
1:03:26 つまり、あなたと私と、半ダースの 人々が、楽しみを追求しているし、 みんなが、その楽しみのために、 一緒に働くなら、それは麗しい。 私たちはみんな、むしろ、互いに 歓喜します。 そして、喜び、ですが、 私たちは、この問いに、充分に 深く入ったことが、ありますか - この追求に、何が 含意されているのか、です。 あなたは、楽しみを 追求するかもしれません。 私は、あなたがすべきだとか、 すべきでないとか、言っていません。 それは、 あなたしだいですが、 そこには、何が 含意されていますか。
1:03:58 聴衆: 私たちが、すべての 外的な権威を、消去するなら、 何が世界を、無政府状態より 遠ざけるのでしょうか。
1:04:05 K: ちょっと お待ちください。 私はけっして、すべての権威を 排除しろ、と言いませんでした。 あなたはどうして、すべての権威、 外側の権威を、排除できますか。 あなたは、道路で運転しているとき、 ここでは、右か、左側を走りますか。 ええ、道路の左側です。

聴衆: (笑)
ヨーロッパでは、右側を 走ります。  

聴衆: (笑)
法律が、あります。 あなたは、税金なり、何なりを、 払わなくてはいけません。 あなたが遵守しなくては いけない法律が、ありますが、 私は、権威に対する心理的な 依存について、話しています。 導師でも、司祭者でも、 分析者でも、 あなたの妻や夫でも、 権威です。
1:04:49 聴衆: が、そのとき、私たちは、 或る状況に置かれて・・・
1:04:52 K: ちょっと お待ちください。 私は、一番目の問いに、 まだ答えていません - あなたが 気にされないなら、ですが。 そのお方は、こう仰いました - 自分は、楽しみを追求することに、 大きな楽しみを 見つけるし、 そこには、大きな喜びが、 ある、と。 そして、人々とともに 働いていて、 その喜びが、 拡がっていく。 関心を引きつけます。 招き寄せます。 私たちは、その問いを、 探究しています。 私たちは、どうすればこれを、 もう少し違ったように、 説明できるのかと、 思われます。 そうね、あなたは、 考慮したことが、ありますか - 楽しみと、楽しみの追求が、いかに 人々を分割するのかを、です。 あなたは、それを 考慮したことが、ありますか。 人々を分割する。 すなわち、あなたは、 自分の信念に沿った、 楽しみの追求の中 - あなたは、何か神、何か救い主、 何か導師を、信じています - その楽しみの追求の中、あなたは、 自分の仲間たちを、持ちます。 その道に、 その集団の中で、です。 1:06:28 その集団は、他の集団より、 分離しています - 自らの導師、自らの指導者、自らの 政治的ボスを、持っているものからです。 彼らは、そこに 楽しみを、見つけます。 これら二つの間に、 分割が、ありませんか。 カトリック教徒は、自分のカトリックの 教えに、完全に没頭しています - 自分の教義、自分の信念、 自分の救い主、それらに、です。 その集団は、とてつもなく活発です。 とてつもなく喜ばしい。 そして、他の集団が、あります - 「ほら、私たちは それらのものを、信じていない」と 言う人たちが、です。 で、この分割が、 あります。 内的にあるように、 分割が、あります。 なぜなら、あなたは、楽しみを追求する からです - 一貫して、しつこく、です。 1:07:24 そして、この不信、心配、恐れの 感覚が、いつも、あります。 で、このすべては 存在します。 あなたはまた、注目したことが、 ありませんか - 楽しみを追求しているとき、あなたが いかに自己中心的であるのか、です。 自己中心的であるので、 あなたは、同じく自己中心的な 人々を、収集します。 これらすべてのことに、 注目なさったことが、ないですか。 で、私たちは、全的な行為に ついて、話しています - 特定の社会の中で、 ではありません。 一人の人間の、全的な行為です。 彼が、インドに生きていても、 シナに、でも、ロシアに、でも、 この国に、でも、です。 そうね、ここは、 すばらしい国です。 私は、あなたたちを、 褒め称えていません。 1:08:30 アメリカ、この国は、 美しい国です。 世界で最も 美しい国の一つです。 あなたたちは、それを 破壊しつつあります。 あなたは、あれらの丘を、 見てきました - 彼らがいかに、それを 切り裂いているのか。 まあ、それは、 あなたしだいです。
1:08:56 聴衆: 私は、お訊きしたい疑問を、 もう一つ持っています。
1:08:59 K: はい? マダム、 ちょっとお待ちください。 聴衆: 私は、疑問を 持っています。 
1:09:05 K: はい。
1:09:06 聴衆: 私の生の中で、私は、友だち みんなについて、考えました。
1:09:08 そして、私が、彼らと何を したいかについて、です。 私たちはみんな、人々である ことを、私は悟りますし、 私はこう注目します - 私たちは いつも、一緒にまとまろうとし、 私たちはいつも、一緒にまとまる だろう方向へ、動こうとするにつれて、 近頃、私たちは、さらに 離れてしまったのです - 経歴において、職において、 旅行において、です。 私は、自分自身に言いました - それは、私が望んだことではない、と。 私は、観念を 思いつきました - もしも私が、友だちの一人を、 一番に選んだなら、 残りの彼らも、 一番です。 私は彼へ、注意を 向けはじめて、 彼がほしいものを、 彼の思い通りに、与えたし、 彼は、私の他の友だちに、 彼らがほしいものを 彼らの思い通りに、 与えはじめました。 そのとき、あらゆることが、前向きに 動いて、私たちは、幸せになるでしょう。 私はそれに、取り組んでいますが、 私は興味を、そそられます。
1:10:03 K: どうぞ、質問を、手短に してくださるでしょうか。 で、質問は、 何ですか。
1:10:10 聴衆: 私の妻と友だちへ 親しくなろうとする中で、 私は、自分がそうしない ことに、注目しました。 で、私は、 他のみんなの中で、 一人の特定の友だちを、選んで、 彼を一番にして、 彼がほしいすべてを、 与えました。 彼は、代わりに、他のみんなに、 彼らがほしいすべてを、与えました。 私は、それに 取り組んでいます。 あなたは、この観念について、 どう思いますか。
1:10:31 K: あなたたちは 質問が、聞こえましたか。 みなさんは、質問が聞こえましたか。 私がそれを、反復しないといけませんか。 私たちは、笑っておりません。 私はただ、訊ねています。 みなさんは、質問が 聞こえましたか。 よし。 私は、自分の妻と友だちと、 うまくやって行けませんが、 私は、一人の人物とは、 うまくやって行けます。 その一人の人物が、 他の人たちを、助けます。 彼は、他の人たちと、 うまくやって行きます。 ここで、何が 問題ですか。 私は、妻と、 うまくやって行けません。 ゆえに、私は、他の人たちと、うまく やって行けます。そういうことですか。
1:11:21 または、私は、自分がうまくやって 行ける人物を、一人、選びました。 ちょっとお待ちください。 違ったように、これに迫りましょう。 関係とは何ですか。 関係している - それは、どういう意味ですか。 関係は、関係し合っている、 接触し合っている、という意味です - 物理的に、だけではなく、 心理的に、内的にも、です。 私たちは、誰かに 関係していますか - もちろん、父と母、 その他すべて以外に、です。 私はそれについて、話していません。 私たちは、誰かに関係していますか。 あなたは、私に関係していますか。 私は、あなたに関係していますか。 あなたは、関係していますか - あなたの妻に、あなたの父親に、母親に、 あなたの友だちに、あなたの彼女に、 あなたの彼氏に、です。 1:12:28 そうですか。この言葉「関係」は、 何を意味していますか。 物理的に接触している だけではなく、 またそれは、確かに、それより はるかに深くを、意味しています。 誰かと関係していることは、実際に、 自分の存在の水準すべてで、 関係していることを、 意味しています。 そうでしょう。 いいえ? 私は、自分の妻に、関係 しているかもしれません。 私は結婚していません - 私は物理的に、 妻に関係しているかもしれません。 私は知的に、霊的に、 関係していないかもしれません - 私が、その言葉を 使っていいなら、です。 私は、物理的以外に、彼女にまったく 関係していないかもしれません。 それは、関係ですか。 私は、人生の大部分を、 事務所で、工場で過ごします。 そして、家に帰ります - 自分の野心、貪欲、 侮辱、すべての苦悩、 痛みをもって、です。 私は、妻に 関係していますか。 1:13:45 で、関係は、全的に、 完全に、関係することを、 意味しています。 そうでないですか - 自分の存在の 水準すべてで、です。 物理的に、情動的に、 知的に、微妙に、 そうね、全部です。 それは、愛を 意味しています。 そうでないですか。 愛があるとき、 あなたは、 すべての水準で、 同じ時に、 同じ強烈さをもって、 関係しています。 ですが、私たちは、不幸にも、 そうではありません。 私たちは、イメージを 持っています - それは、介入します。 それは、分割します。 それは、私たちを 断片化させます。 これが、私たちが 関係と呼ぶものです。 そうね、またもや、 私たちは、表面的に行きます。 私たちの問題を、表面的に 解決しようとします - 問題が、こうも きわめて深いとき、です。 そして、私たちは、 労を惜しみます。 私たちは、思考を向けないし、 この問いを、深く探究しません。 1:15:09 私たちは、何か表面的な答えで、 満足しています。 私は、誰かとの関係に、 生きたいのなら、 私は、何のイメージもなしで なければなりません - 自分自身についてや、 その人物について、です。 障壁が あってはなりません。 もちろんです。 あなたは これを、お訊きになります。 あなたは、当面の間、それを 感じます - 言語的に、ですが、 あなたは、去ってしまうし、あなたは 古い罠にまた、陥ってしまいます。 で、重要なのは、 見ることです - あなたが実際に、日常生活で、 関係しているのかどうかを、です。 それで、あなたは、何の障壁、何の 抵抗をも、持たないように、です。 そして、何も抵抗、 障壁、分割が、ないとき、 何も葛藤が、 ありません - その人物とも、 あなた自身の中にも、です。 1:16:27 それが、 関係の美しさです。 それが、ともに生きることの 美しさです - コミューンにおいても、家族に おいても、共同体においても、です。 はい、マダム。
1:16:47 聴衆: あなたが、矛盾を晴らして くださるだろうかと、思います。 私は、過去、 二、三年の間、 お話を聞くことから、 大変多くを、学んできました - (聞き取れない)・ ・・ と触れ合うことについて、です。 私は、或る組織により、 数百万の女性のために、 同じことが されてきたとか、 試みられつつあるのを、 見ます。 私はもちろん、女性解放運動に 言及しています。 意識を高めること、 女性の意識を高めようと することをとおして、です。
1:17:38 K: 分かります。 理解します、マダム。 私は、ウーマン・ リブ、女性解放の ために、働いていますし、 私たちは、女性の意識を、 より上の水準へ、 高めようとしています。 あなたは、それについて、 何と仰いますか。 そうね、まず第一に、 男たちは、自分の意識を、 そういう水準へ高めてきたので、 女たちもまた、その水準へ 至らなくてはならないのですか。 男たちは、そんなに 驚くほど優れていますか - 彼らが、テクノロジー的に 有能であり、 工場へ行き、発明し、開発 しているからといって、です。 そうね、男たちがしている ことすべて、 最もおぞましいことと、 すばらしいこと、 互いに殺し合うこと、です。 彼らの意識は、 こうも尊いし、 あなたたちは、自分のを、 彼らの水準へ、高めたいのですか。
1:18:56 聴衆: 私たちは、自分たち自身で 自分たち自身を、高めたいのです。 男たちには、彼らの意識を 高めてもらいましょう。
1:19:01 K: 私は、全部を 問うています。 どうぞ、ちょっと 待ってください。 私は、政治家では ありません。 私は、あなたたちの励ましを、 ほしくありません。 先日か昨日、私が 言いましたように、 どうぞ、語り手がここに いないとき、拍手してください。 ご覧ください。 あなたは、ご存知ですか - 意識を高める。 それは、どういう 意味であるかを、です。 そうね、あなたは、 その言い回しを、使われますね。 それは、 どういう意味ですか。 誰が、意識を高めることになりますか。 意識とは、何ですか。 あなたの意識は、 何ですか - ウーマン・ リブの 人として、 または、不幸な世界に 生きている、単純な女として、 あなたの意識は、 何ですか - それを、あなたは、もっと上の水準へ 高めようとしていますが。 あなたの意識とは、 何ですか。 1:20:13 あなたの意識は、それが 収容しているものなのでしょう。 いいえ? 私の意識は、内容です - その意識に 存在しているもの、です。 私の貪欲、妬み、野心、 私の民族性、私の恐れ、 私の罪悪、 私の楽しみの追求、私の・ ・・ よろしいですか - 1ダースの物事です。 それが、私たちの意識を、 作るのでしょう。 ですね? さて、誰が、その意識を 高めようとしていますか。 私の、別の部分、すなわち、 同等に愚かであるか、 同等にずるいもの、ですか。 それを、何へ高めるのか - よろしいですか。 みなさんは、何をして おられますか - 後生です。 あなたが、意識を高めることに ついて、話をするときに、です。
1:21:07 聴衆: 私たちは、自分の意識を高めます - 一人一人が、自分自身で、です。
1:21:11 K: あなた自身の意識を高めるとは、 どういう意味ですか。
1:21:16 聴衆: 自分が誰であるかに、 気づくことです。
1:21:20 K: あなたは、何ですか。 女ですか。 なぜなら、あなたは、 物理的な違いを、持っているから ・ ・・あなたは、女です。 ゆえに、あなたは、自分の意識を 違ったように、高めたい? それを見つめてください。 どうぞ、私に答えないでください。 それを見つめてください。 後生ですから。 私たちは、この世界を、何と めちゃくちゃに、しているのか! あなたは、女、 または、男です。 女は、何千年もの間、 虐げられてきました。 東洋へ 行ってみてください。 あなたは、ここでそれを知るより、 はるかにそれを、知るでしょう。 あなたはただ、言葉を 玩んでいるだけです。 1:22:03 インドへ行ってみてください。 アジアへ、アラブ世界へ、です。 女は、抑えられています - そうね、 私はそれらに、入らないでしょう。 そこで、女たちは、家財、 奴隷として、扱われます。 ここで、あなたたちは、 幸運にも、違っています。 あなたたちは、 男が持っているのと、 平等な権利、平等な給与、 その他すべてを、ほしがります。 いいですよ。 あなたたちは、 それを持つでしょう。 あなたたちは、格闘し、 戦い、宣伝しています。 自分の標準を、その水準へ高めています。 いいですよ、それで、何ですか。
1:22:44 聴衆: 私たちは、それが 論点だとは、思いません。
1:22:46 K: それが 論点ではない?
1:22:48 聴衆: はい。論点は、女たちは、 奴隷にされているのに加えて、 また、彼女たち自身に気づかないよう、 訓練されつつある、ということです。
1:22:59 K: ああ、マダム、 ちょっとお待ちください。 彼女は、こう言っています - 女たちは 自分自身に気づいていない、と。 昨日の朝と今日、私は、あなた自身に ついて、気づくことについて、話しました - 女や男として、ではない。 あなた自身に気づくのです。 なぜ、そうしませんか。
1:23:25 聴衆: 恐れのために、です。
1:23:27 K: 恐れ。いいですよ。それなら、 その恐れに、気づいてください。
1:23:31 聴衆: それから?
1:23:34 K: そうね、ちょっと お待ちください、マダム。 ご覧ください。 二分間、 話を聞いてください。 ご覧ください。 私は、 男として気づいています。 ああ、神様!  私は、そうして いません。すみません。 私は 気づいています。 私は、自分の反応に、 気づいています - 自分の思考、 女や男、他の仲間、他の一人の 人間に対する自分の態度に、です。 私は、自分が彼らを どう見つめるのか、 自分が彼らをどう扱うのかに、 気づいています。 私は、この分割に、 気づいています - 私ともう一人との間に、 分割が、あるなら、です。 その気づきの中で、 すべての分割が 消え去ることが、あります。 そのとき、私は、全的に 一人の人間です。 そのとき、その気づきの中で、私は、 様々な形の恐れ、心配を、見出します。 私はそれらに、向き合います。 私は、それらを理解します。 私は、それらを見つめます - それらは、事実です。 1:24:36 そして、乗り越えることが、 人間的であることです。 あなたは、人間的であるとき、 女や男ではありません。 私たちは、ともに 生きている人間です。 そうね、どうぞ、 或ることを、聞いてください。 どうぞ、私が大変ためらって ご提案してもよろしいなら、 表面的に ならないでください。 言語的な水準に、 生きないでください。 標語をもって 生きないでください。 あなた自身に、深く入って、 見出してください。 あなたが、人間として 自分の意識を、高めているなら、 あなたは、意識が何であるかを 理解しなくてはいけません - いかに男が、女を 虐げてきたのかと、 いかに、女もまた、 男を虐げてきたのかを、です。 1:25:52 画像全体を 見てください - この国だけではなく、 残りの世界でも、です。 あなたは、 世界の一部です。 私たちが、この世界を 作ってきたのです。 あなたは、一種、 あなた自身を、 アメリカと呼ばれる 小さな片隅へ、分離しますし、 解決しようとします。 それは、 世界の問題です - これは。 人間関係の問題です。 あなたは、今、今日、 それを解決しないなら - いつか未来に、 ではありません - あなたは、こうも荒廃を 世界に、創り出そうとしています。
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