WO78DSS3 - 聞くことと学ぶことの芸術

ウルフ・レイク学校 学校討論、第3回
カナダ、ヴィクトリア
1978年4月23日
テキストのみのバージョン
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0:18
クリシュナムルティ: 何について、話しましょうか。
あなたたちはみんな、 私たちが話したものの幾らかを、
読んだのだと、思います。
あなたは、それに賛同しますか。
それは正しいと、思いますか。
あなたたちの幾人かは、前に ここに来たことがなかったし、
おそらく、あなたたちの幾人かは、 私たちが話していることを、
聞いたことが ないかもしれません。
私は少し、それを 探ってもいいですか。
いいですか。あなたたちが気に なさらないことを、望んでいます。
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1:00
質問者: その紙が、ほしいですか。
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1:01
K: いいえ。私は紙は要りません。 あなたたちは、それを貰ってもいい。
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1:16
まず第一に、指摘してもよろしいなら、 ここは、施設ではありません。
「施設(インスティチューション)」 という言葉は、立つ、という意味です。
スターレ。
それは、ラテン語の その言葉から、来ています。
立つこと。
自分のいるところに、 留まること。
施設(インスティチューション) という言葉は、
課業、上下関係的な見通しを、 含意しています -
常に、何か権威に 照合すること、です。
そのすべてが、その 「施設(インスティチューション)」
という言葉に、 含意されています。
そして、施設の圧力は - それが、政治的に、
民主党的な圧力でも、 共和党的な圧力でも、
労働党と
自由党の圧力でも、
世界中で、すべての宗教の 圧力が、あります -
彼らの信念をともない、 教義をともない、儀式をともない、
イメージなどをともなって、です。
施設(インスティチューション)と いう言葉は、それらを含意しています。
2:47
そして、学校は、 施設ではありません。
それは、生きものです。
課業に基づき、
何か思想的、ユートピア的な観念や、
何か原理に基づいて 営まれる学校は、
必然的に、施設を もたらすでしょう。
指摘してもよろしいなら、
インドには、 幾つもの学校が、あります。
イングランドには、ハンプシャーの ウィンチェスター近くに、
そして、(カリフォルニアの) オーハイに一つと、
(ヴァンクーヴァーの) ここに、です。
私たちは、これらすべての学校で、 全く明らかにしました -
どの形の課業も、 どの形の強制、圧力も、
頭脳を歪曲する、
頭脳を変形させるのだ、 ということを、です。
それは、自分に、大きな圧力を 掛けるのに、似ています。
もちろん、歪曲、変形などが、 あります。
4:25
で、この種の学校は、 学生たちに、どの種の圧力をも、
掛けるべきではなく、必然的に 掛けてはならないのです。
そして、単に、一人の人間の
学業的な側面だけではなく、
人間の総体、人の全体性を
教育することは、可能ですか。
人の全体性とは、
テクノロジーの、学業的な側面、
機能的な側面だけではなく、
また、人の心理的な 本性でもあります。
私たちは、人の内的な、 心理的な本性とその構造を、
全面的に無視するように、 思われます。
で、適切な種類の教育は、
人の全体性の養成です -
生理学的なものなどとともに、
心理的なものをも、含めて、 人の全体です。
どちら側をも、 無視するのではなく、
どちら側をも、 強調するのではなく、
それで、一人の人間が、 調和的に、
何の葛藤もなく、 育つように、です
- 内的な葛藤や、 外的な葛藤もなく、です。
6:14
これが必要だと、 私には思われます -
ますます狂っていき、
ますます不道徳で、
暴力的などになっていく 世界においては、です
- それらを、私たちのみんなが、 よく知っています。
で、そういう学校を、 創造することは、可能ですか。
私たちの二、三人が、ではなく、
私たちのみんなが、 ともに、です。
学校に興味を 持っている人たちは、
ここに子どもを、 持っていないかもしれませんが、
人の総体的な発達に、
関心を持つ。
それが、学校の問題です。
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7:21
どの種類の 説得、圧力、強制もなく、
どの学科をも、 教えることは、可能ですか。
7:39
どの形の圧力も歪曲するのだと、
私たちが、合意するか、
ともに見るなら、
そのとき、精神を、
学業的にも、心理的にも、
養成することは、可能ですか。
あなたたちがこれらに、興味を持って おられることを、願っています。
どの特定の科目を教える中でも、
必要とされるのは、注意です。
どの科目も、
自己を開示する気づきも、
注意を、必要とします。
それは、明白です。
私は、教科を学びたいのなら、 それに注意しなければなりません
- それが、テクノロジーの科目でも、
人の本性全体への 心理的な究明でも、です。
それは、大変多くの注意を、 必要とします。
私たちのほとんどは、あまり 注意深くありません。
さて、それは可能ですか。
説得なく、強制なく、
どの圧力もなく、
この注意をもたらす道が、 ありますか -
それで、この注意があるとき、
私たちの一人一人が、相手に、 完全に聞くように、です。
話が明らかだといいのですが・・・ いいですか。
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10:04
まあ、私は進むでしょう。 それは構いません。
なぜなら、注意があるとき、
完全に注意することが、 関与しているからです -
その科目や行為や、
どの問題への究明にも、
完全な気づきが
可能な精神が、です。
私たちは、先日ここで、この注意の 問いについて、議論していました。
私たちは、注意は可能だと、 言いました -
学生や、私たちの誰でも、
窓の外を見て、
教師もまた、学生とともに、 窓の外を見て、
彼が学習しているとされる 本を見るよう、
彼に強制したり、強いたり、彼を 説得したりしないときだけ、です。
11:33
そのとき、教育者と 学生はどちらも、
窓の外を見ているし、
お互いに、完全な注意を 払うよう、頼んでいます -
自分たちが、窓の外で 見つめているものに、です。
私が何かを伝えているのか どうかと、思われます。
すなわち、
学生は、アリが床を這っていくのを、 見つめているかもしれません。
または、壁の向こうの カブトムシを、です。
彼は、特定の科目を 学習していると、されています。
教師は、科目に 関心を持っています。
一般的に、起きるのは、 教育者がこう言うことです -
「窓の外を見るな。
あのアリやカブトムシを見るな。
本に注意を払いなさい」と。
12:18
それは、説得です。 それは、圧力です。
ところが、もし教師もまた、 そのアリやカブトムシを見つめたり、
窓の外を見て、
学生に、自らが見ているものへ、 完全な注意を払うよう、頼むなら、
あなたはすでに、あの注意の性質を、 もたらしたのです -
散乱や圧力なしに、です。
サヴァ・
ビャン?(いいですか)
私は、何かを指摘していますか。または、 それはすべて、ちんぷんかんぷんです。
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13:00
そして、どの科目も、
人の全体性へ、
関係させられますか。
あなたが、これらすべての事柄について、 考えたことがあるのかどうか、
私は知りません。
おそらく それは、何か全然新しいことです。
それが新しいのなら、 または、あなたはすでに聞いてきたのなら、
どうぞ、がまんしてください。
歴史(ヒストリー)は、
王様と戦争と、
他者と土地を征服すること などについて、ではない。
それだけではなく、
歴史(ヒストリー)は、 人類の物語(ストーリー)です。
人類の物語は、あなたの物語です
- あなたは人類です。
歴史を研究する中で、あなたは実際に あなた自身を、研究しています。
なぜなら、あなたは、人類すべての 代表であるからです -
カナダ人ではなく、アメリカ人や ロシア人やイギリス人ではなく、
あなたは、世界です。
14:33
で、あなたが、他の一人に 歴史を教えたり、
その情報を 伝えたりしているとき、
あなたは、実際に 自分自身について、研究しています。
それで、あなたは、歴史を、
それを研究している人物に、 関係させられます。
それで、より大きな統合、
より大きな知覚が、 あるのです -
自分自身の、全体的な構造と 本性に対して、です。
誰か心理学者によって、 ではない -
有名であったり、最近の哲学者や、
心理学者であっても、ですが、
自分自身を研究する中で、
あなたは、他の人の目をとおして、 研究していません。
あなたは、実際に あなた自身を、研究しています。
それは、学校において、 可能ですか -
そこで、あなたたちは、 一年間で、
一定の本を やり切らなくてはいけません。
または、一定の・・・何ですか。
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15:50
質問者: カリキュラムを。
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15:54
K: カリキュラム。
一定のカリキュラムを、やり切る。
これは どちらもすることが、可能ですか。
あなたたちは、どちらのためにも、 時間を持っていますか。
自分自身の研究の中で、
養成する、究明する。
同時に、
カリキュラムの要求をも、 充足する。
私たちは、これについて 議論しましょうか。
私は自分一人で、話していません。
私たちは、これに入りましょうか。
あなたは、これらに 興味がありますか。
教師の、教育者の
機能とは、何ですか。
結局のところ、私たちは、みんな 何らかの形で、教育者です。
あなたは、学校を 持っていないかもしれません。
あなたは、まわりに、 たくさんの子どもや学生を、
持っていないかもしれませんが、
私たちは、子どもたち、 その親たちなどを、持っています。
17:17
で、私たちは、私たちみんなを 教育することに、関心を持っています
- 人々の一集団だけを、ではない。
ここで、私が 指摘してもよろしければ、
カリフォルニア(のオーハイ)には、
私たちが関係している学校が、 あります。
そこには、学生とともに、 親も、関与しています。
親たちは、学生たちが 学んでいることに、
同等に、関心を 持たなければなりません -
それは、生理学的なことと テクノロジーの知識とともに、
心理的なことも、です。
で、親、教師と学生は、 一体です。
分離していません。
私たちは、そうしています。
それは、かなり困難です。
なぜなら、親たちは、「なぜ 私たちは、自分の子どもたちのために、
自分自身を犠牲にすべきですか」 と言うからです。
18:36
理解されますか。いいですか?
すなわち、あの場所では、 薬物なし、喫煙なし、
アルコールなし、肉なし、 その他すべてです。
アルコール、酒と薬物が 慣習になっている親たちは、
「なぜ私たちは、 自分の子どもたちのために、
それらを、あきらめるべき ですか」と、言います。
それで、子どもたちが、 家に帰るとき、
親と学生、 彼らの子どもたちとの間に、
葛藤が、あります。
それを回避するために、
私たちは、 親、教師、教育者と学生が、
一つの単一体として、 動いている学校を、
もたらそうとしています。
それが、どれほど成功する だろうかを、私は知りません。
私たちは、成功に 関心を持っていません。
私たちは、そうしています。
19:37
それで、私たちは、 訊ねています -
カリキュラムを実施することと、
また、教育者とともに、
教育される者の、どちらの
心理的な本性にも、
関心を持つことは 可能ですか。
つまり、私たちは、ともかく 学校の幾つかで、そうしています。
それは、かなり興味深く、 かなり困難です。
いつも、お互いに 合意するわけではありません。
なぜなら、意見は 燃え上がるからです。
そして、意見は、自らが持ちうる 最もひどいものです。
または、自らの先入観も、です。
私はそう考える。
このとおりだ、と。
で、常なる格闘が、 あるのです。
で、私たちは、訊ねています - カリキュラムを行うことと、
また、自分自身の心理的な究明を 養成することは、
可能なのかどうか、です。
それで、人間精神の
実際の変容が、 あるように、です。
21:20
たぶん、それは、かつて一度も、 試されたことがありません。
これは、幾らか明らかですか - 私たちが話していることは?
私たちは、これについて 議論できますか。
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21:41
質問者: あなたが仰ることは、 ふさわしいです -
人の心理的本性の研究を、
歴史や文学のような 科目ととともに、
いかに行えるのかが、 分かるなら、です。
それが、いかに統合できるのだろうかを 分かることは、少し困難です -
そうですね、数学と、より純粋に 技術的な科目に、いかに統合できるのか。
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22:04
K: あなたが、数学を 取り上げるなら -
数学とは何ですか。
進んでください。
たぶん、あなたたちは、数学を 学習してきたでしょう。
質問者: 測量です。
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22:20
K: 数学とは何ですか。
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22:22
質問者: 秩序です。 K: 秩序でしょう。
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22:24
それは、順序です -
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22:26
秩序立ち、論理的で、 真っ当な順序です。
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22:27
ですね?
2+2+2=6、です。
8や10や9ではない。
で、数学は、
秩序立った順序の究明の仕方を、
含意しています。
ですね?
それは、分かるでしょうか。
これに同意されるでしょうか。
で、数学を、教師にも、
学生にも、関係させる中で、
彼らは、 数学的な秩序だけではなく、
彼ら自身の生の秩序をも、 究明しています。
私たちのほとんどは、 無秩序の中に、生きます
- 指摘するのを お許しください -
混乱し、無秩序で、 かなりごちゃごちゃの生活です。
確かに、それは、 教育者の機能です。
そして、私は、教育者は、
地上で最も偉大な 個人であると、思います。
なぜなら、彼は、未来のために、 子どもたちを育てているからです。
ゆえに、彼らは、政治家より、
宗教的な指導者と司祭者と、 実業家たちと、
その他すべてより、 はるかに重要です。
24:15
それは、神聖な職業です。
唾を吐きかけられる べきではない。
「ああ、彼は単なる教師だ」といって から、払い除けられるのではない。
それで、教師は、
数学を教える中でまた、
秩序とは何かを、 究明しつつあるのです -
彼自身において、だけではなく、 また、学生においても、です。
で、この究明する過程の中で、
学生と教師は、 同じ水準にいます。
ですね?
一人が、教壇の上にいて、相手に、何を すべきかを、教えているのではない。
むしろ、数学や 別のどの科目でも、教える中で、
そこには、事実本位の 究明だけではなく、
心理的な究明もまた、
関与しています。
で、教師はこう言います -
「私は、無秩序な生を生きています。
私はそれを知っています。
私はあなたに、はったりを かけていません。
25:32
私は、真正直にやっています。 私はそれを知っています。
私は、ひどく混乱した生を、 無秩序に送ります。
あなたもまた、そうです」と。
で、私たちは、同じ水準で 出会っています。
で、それを学生と話し合う中で
- 秩序とは何か、 無秩序とは何かを、です -
そして、数学を教える その過程の中で、
それは可能です。
それは、私たちの学校の幾つかで 行われつつあります。
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26:08
なぜなら、世界は、無秩序の中に、 あるからです。ですね?
おそらく、全的な、 狂気の無秩序です。
自らは、戦争の準備をしながら、 平和について話しています。
分割された民族性、国籍。
一つの集団は、別の集団と 対立している -
経済的に、 テクノロジー的に、です。
そして、民族は、 別の民族と対立している。
イスラム教徒、対、ヒンドゥー教徒。
アラブ人、対、ユダヤ人。
共産主義者、対、 他のあらゆる人、などなどなど、
明白に、これは狂気です。
私たちは、この狂気が慣習になって いるので、それを受け入れます。
この無秩序の中に生き、
創造的であることが、できますか - テクノロジー的な創造性、
新しいジェットと 新しい兵器の生産ではなく、
心理的に創造的だ、 という意味で、です。
頭脳の全体的な構造と本性を
変容させるのです -
頭脳は、きわめて古く、
過去により、重く 条件づけられています。
その頭脳は、それ自体を 変容できますか
28:01
- それが、新鮮な 何かであるように、です。
さもないと、それはただ、反復し、 反復し、反復するだけでしょう。
あなたが、これに 入ったことがあるのかとか、
この問いに興味があるのか どうか、私は知りません -
教育者がこれらを理解することが、 重要であると、私には思われます。
あなたもまた、教育者です - ここの集団ではない。
あなたは、自らの存在をとおして ずっと、この教育する過程の一部です。
ここでは、それは、より制限されていて、 わずかな人、というだけです。
おそらく、あなたたちの 助けなどすべてでもって、
私たちは、違った種類の学校を、 成長させられ、もたらせます。
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29:07
学校(スクール)という言葉は、 語源的に、余暇、という含意です。
あなたが学べるのは、余暇を 持っているときだけです。
余暇は、弛んでいる、 だらしない、
ということではありません。
むしろ、余暇は、全的に占有されて いない精神を、含意しています
- それ自体にか、何かにより 占有されていないのです。
それが占有されていないとき、 余暇がある。
その状態で、学べます。
いいですか?
で、学生や教師が、いつの時も 完全に占有されているなら -
自分の科目について、 自分の悩み事について、
自分の個人的な事柄について、
自分は、適切なセックスをするのか、 その他すべて、ですが、
彼は、余暇になっていません。
彼はけっして、学ばないでしょう。
そして、学生は、 教師とともに、
余暇を、持てますか。
理解されますか。
または、することが、 多いので、
あなたは、余暇を持つ時間が、 ないのです。
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31:26
そうね、学校や、
人間存在における 問題の一つは、
私たちが、 努力でもって、意志でもって、
いろいろとして、行為するなど、 ということです -
結論をもって、 明確な目的をもって、です。
努力なく、意志の行為なく、
生きることは、可能ですか。
語り手が狂っていると、 思わないでください。
私たちは、究明しています - このものすごい努力なしに、
生きること、行為することが、 可能なのかどうか、です。
この努力は、 葛藤をもたらします -
お互いとに、だけではなく、
内的に、ゆえに、外的に 世界中に、です。
そして、意志の圧力、
イデオロギーの圧力、
理想、観念の圧力と、
知識の圧力、です。
あなたが理解なさるのか どうかと、思われます。
それは、だいじょうぶですか。
どうぞ、私は、自分自身に 話していません。
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33:23
質問者: 質問してもいいですか -
教育者は、子どもを、
全体的な人格として、
開こうとしなくては いけないのなら、
抽象的な方法でもって、どのように その問題に、取り組めますか
- 私たちが前に議論したように、 数学等で、です。
彼が子どもたちへ 与えていることを、
或る体系により印刷された本に、 基づけなくてはいけないなら
- それは、私たちが議論している 体系ではありません -
彼は、どんな方法を、 使うべきですか。
彼は、初めに子どもたちに読ませて、 それから彼らに説明すべきですか。
または、彼は、子どもたちに 抽象的な方法の窓を、紹介し、
それから、彼らに そうさせるのでしょうか。
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34:11
K: お訊きしてもいいのなら、あなたの 仰る方法とは、どういう意味ですか。
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34:16
質問者: カリキュラムを教えるとき、 子どもに対して、
「私たちは今日、生物学や数学を学習 している」と、語らなくてはいけません。
さて、私たちは、例えば、 数を学習しています。
その子どもは、かつて数について、 聞いたことがありません。
で、その子は、それを 紹介されなくてはいけません。
そのとき、教師は言うでしょう - 「いいよ、
数は、何も不思議なものではない。
それは、秩序とそれらだけだ」と。
または彼は、こう言うでしょうか - 「初めに君は、数について、
本を読みなさい。
それから後で、 私たちは、それについて議論しよう」と。
これが、私が方法と呼ぶものです。
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34:50
K: 理解できますが、 最初の必要条件は、何ですか。
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34:57
質問者: 私は、お訊きしています。
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35:01
K: 対話を行いましょう。
最初の必要条件は、 何ですか -
教育者の側にも、 学生の側にも、です。
彼は、生物学、数学を、学習しようと しています - それが何であっても、です。
本質的な必要条件は、何ですか。
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35:23
質問者: 私たちは、どちらも、 同じ水準にいます。
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35:25
K: ええ。それを私たちは言いましたが、 それを越えて、何がありますか。
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35:30
何が本質的ですか。 質問者: 注意ですか?
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35:38
質問者: 私は意見を持ちません。
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35:43
K: あなたが意見を持っていないことが 私はうれしいです。
それは、意見や結論の 問いではない。
私が教師であり、
私の前に学生がいるなら、
私は、教科に取り組む前に、
「これを読みなさい」とか 「これを読むな」とか、
「初めにそれを読みなさい。
それから後で」とか、言う前に、
私の、学生との関係は、 何ですか。
理解されますか。
私たち二人の間に、必要な 本質的なことは、何ですか。
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36:27
質問者: 私は教育者に、この問いに 答えるように、頼むでしょうね。
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36:30
K: あなたが教育者です。 質問者: 私は教育者ではありません。
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36:31
K: あなたは親です。 質問者: 私は父親です。
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36:32
K: ああ、十分です! 質問者: 私は偏見を持っています。
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36:33
私は辞退します。教育者に 答えてもらいましょう。
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36:34
質問者: 相手の人物との気づかい、 愛する関与です。
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36:37
それで、私たちが、もっと できるように感じて・・・
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36:40
K: そのご婦人は、 愛する関与と、仰います。
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36:43
あなたの仰る 愛する関係の意味が、
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36:50
私はよく理解できません。
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36:59
質問者: または、それなら、 気づかいが、もう一つの言葉です。
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37:01
K: 何を気づかう?
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37:02
質問者: 相手について気づかい、
彼らに威厳と尊敬を 認める感覚です。
- 独特で創造的な個人であり、
私とともに学ぶように、です。
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37:17
K: すなわち、マダム、あなたは、 こう仰っていませんか -
私は、教師であるなら、 学生に、
自らの威厳、気づかい、尊敬を 持つことを、
認める、と。
ですね?
だが、学生はそれを 持っていません。
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37:40
質問者: ええ。私たちがともに学ぼうとしているのは、その意味で、ではありません。
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37:43
K: ええ。何が起きますか。 彼らは気づかいません。
それは事実ですね。
それは、意見ではありません。
で、私たちは、何を するのでしょうか。
で、私は訊ねています - 私たちが学生に、
本を見るよう、頼む前に、 本質的なことは、何ですか。
または、本を見ないで、
窓の外を見るのか、見ないのか。
何が必要とされますか。
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38:17
質問者: これは、必ず学びたい 学生を、必要とします。
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38:23
K: それは、どういう意味ですか。
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38:25
質問者: 学生は、明白に、
何かを見たか、何かを経験したに ちがいありません。
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38:31
K: ええ。ですが、彼は 学習したくないのです。
あなたは、彼らをご存じです。
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38:40
質問者: すると、彼がそうしたくなる まで、待たなくてはなりません。
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38:47
K: そのときまでに、 一日は終わっています。
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38:58
K: 私が何かを、提案しても いいですか。 質問者: いいですよ。
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39:02
K: 私は、教師であるなら、
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39:06
私は彼に、聞いてほしいと 言います。ですね?
私は彼に、 聞いてほしいと思います -
私が言おうとしていることや、
言われるべきことを、 だけではなく、
聞く芸術です。
私は彼に、数学や歴史について、 語りたいと思います -
科目が何であっても、です。
で、私は、彼に 聞いてほしいと、思います。
彼が、聞くとは どういうことかを、知るなら、
このことは、とても単純です。 いいですか?
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39:58
質問者: そのとおりです。そのとき、 私たちは、話さなくてはなりません。
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40:01
K: 待って。初めに聞く -
私が言おうとしていることとか
あなたが言おうと していることを、ではなく、
聞く行為、です。
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40:14
質問者: もし学生が 聞きたくないなら、どうですか。
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40:17
K: もちろん、私は知っています。 彼らは、聞きたくないのです。
それは理解されています。
或る子は、聞きたいかもしれないし、 或る子は、聞きたくないかもしれないが、
私は教育者なので、
私の関心事は、本、科目、 あれやこれや、ではない。
私のおもな関心事は、 彼が聞くのを、助けることです。
いいですか?
あなたは、同意なさる でしょうか。そう仰るでしょうか。
さて、学生が聞くのを、助けることは、 どのように可能ですか -
鳥を、
海を、風などを、です。
また、私は教育者なので、 私の話をも聞く。
何が、彼が聞くのを 助けるのでしょうか。
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41:21
質問者: 子どもの中の 興味を、引き起こす。
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41:25
K: 彼は、興味を持っていません。
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41:28
質問者: それを引き起こせます。
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41:30
K: そのとき、彼は、何かに 興味を持っています -
それを、彼は聞くでしょう。
ですが、彼は聞いていません。
自らは聞けますか。
あなたは私に、何かを語ります。
私は、それを聞けますか。
または、私は、すでに あなたに、反論していますか。
または、あなたが言っていることを、
自分がすでに知っていることと、 比較していますか。
または、あなたが言っていることを、 自分に合うように、歪めていますか。
私は、先入観をもって、あなたが 言うべきことを、聞いています。
で、私は実際に、まったく あなたに聞いていません。
私は、その散漫すべてなしに、 あなたに聞けますか。
そして、その散漫すべてなしに、 彼らが聞くよう助けること -
それは、教育者として私の仕事です。 それは、私の責任です。
43:12
私は、それを 進行させるでしょう。
私は言います - わざわざ 私の話を聞かないで、
あの鳥を聞きなさい。
あなたの友だちが何かを言って いるとき、彼に、聞きなさい。
または、あなたが好きでない 誰かに、聞きなさい。
あなたの反応すべてを、そこに 持ち込んで、それをごたまぜにしないで、
実際に聞きなさい。
ほとんどの大人の、人間たちは、 とにかく、そうしません。
で、私たちは、まさに始まりから 出発しなくてはいけません -
どう聞くのか、
聞く行為、
見る行為、
学ぶ行為。
もしそれが、教育者と私自身との間、 私自身と妻との間で
- ガールフレンドや何であっても、 ですが - きわめて明らかなら、
純粋に聞く行為が、あるのです。
44:33
私は、それを見届けるでしょう。 私は、彼らを助けるでしょう。
それは、時間が掛かるでしょう。
私はそれに入るでしょう。
それで、10分間の終わりに、
彼らは、私が話していることを、 理解するでしょう -
聞く行為を、です。
で、私は、それが最初の 必要条件であると、思うでしょう -
教育者と、教育される者や
教育を受けつつある者との 間の関係において、です。
教育者も、どう聞くのかを、 知らないし - よろしいですか?
学生もまたそうです。
で、私たちは出発します。
私は、言います - 「お兄さんやお姉さん、 私は、どう聞くのかを、知りません。
私たちのどちらもが、それが どういう意味かを、見出しましょう」と。
45:42
で、即時に私は、彼らと 関係を持っています。
私はもはや、教壇に座っている 教師ではありません。
私は、学生との関係にいます。
なぜなら、私たちはどちらも、
聞くとはどういう意味かに、 関心を持っているからです。
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46:10
私たちは、議論できますか。
また、観察するとは、 どういう意味ですか。
私たちは、そもそも 何かを観察しますか。
または、それはいつも、
先入観のカーテン、
知識のカーテン、
結論のカーテンを とおした観察ですか。
私はいったい、物事を、 ありのままに、見ますか。
すなわち、私は実際に、自分自身を あるがままに、見つめますか -
鏡の中の、私の生理学的な 見かけで、ではなく、
内的に、まさしく 私のあるがままに、
何の歪曲もなく、見るのです。
フロイトやユングや、 最新の心理学者に沿ってではなく、
私自身を見るのです。
なぜなら、彼らもまた、私たちの ように、混乱しているからです。
47:42
で、私は、自分自身を見つめられますか - 樹を観察するように、
山と水面、川、鳥たちを 観察するように、
私がその一部である 自然の動き全体を、です。
私は、自分自身を 観察できますか。
そして、学ぶとは、 どういう意味ですか。
さあ、みなさん。
学ぶとは、どういう意味ですか。
そして、教育者、教師であるとは、 どういう意味ですか。
彼は、何を教えていますか。
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48:35
質問者: 事実の認識と理解です。
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48:39
K: すなわち、彼は 事実を教えていますね。
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48:41
質問者: ええ。
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48:44
K: あなたがいう事実とは、 どういう意味ですか。
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48:47
質問者: 教育者と学生との間で、 明瞭なことです。
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48:51
K: 有ること、ですね。 質問者: ええ。
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48:56
K: 彼は、有ることを、 教えています。
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49:00
そうですか。
歴史は、有ることですか。
または、それは、歴史家たちにより、 色づけられていますか -
彼らの先入観、彼らの民族主義、
彼らの専門職、彼らの野心、彼らの 成功のために、です。
いいですか?
彼らは、互いに 競争し合っています。
各歴史家が、互いに 競争し合っています。
彼らはけっして、あなたに 事実を、語りません。
語りますか。
歴史は、特定の国に沿って、 書かれています -
個別、その他すべて、です。
で、学ぶとは、 どういう意味ですか -
何かについて、学ぶのではない。
数学や物理学について、 ではない。
学びとは、何ですか。
さあ、みなさん。
たぶんあなたたちは、みんな 何らかの種類の、
専門的な職業人です。
で、私たちがいう、学びとは、 どういう意味ですか。
学びは、私たちの ほとんどが理解するように、
知識を吸収することです
- テクノロジーやその他で、です。
そして、記憶として、 頭脳に蓄えておくことです。
そして、その記憶に沿って、 行為することです。
51:07
いいですか。
いいえ?
私を訂正してください。
私は数学を学びます -
書物から、教師から、です。
そして、それは、私が技師に なるのを、助けてくれるでしょう
- 圧力、緊張、その他すべてを 理解するように、です。
その知識を、私は、 取得してきました -
学校、専門校、大学を とおして、です。
そして、私は、その知識に 沿って、行為します -
それに付け加え、それより取り去り、 それを修正していますが、
それは、知識より、 生まれた行為です
- 経験をとおし、情報をとおし、
頭脳に蓄えられた事実を とおして
集められた知識より、です。
誰も、それに反対できません。
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52:15
質問者: あなたたちの一部は、それを 乗り越えようとすべきです -
ただ事実を集めるだけではなく、
新しいものを、 創り出すように、です。
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52:21
K: ええ。あなたはどうやって、 新しい物事を、発見しますか。
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52:24
質問者: それが、私が学びに、過程に 含めたいと思ったことです。
なぜなら、学びの過程のほうが、 現実より、重要であるからです。
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52:30
K: で、学びの過程とは、 何ですか。
私たちがいう、学びの動きとは、 どういう意味ですか。
一つは、事実を蓄積すること、 それらを記憶することと、
その記憶より 行為することです
- 上手にか、下手にか、です。
他方は、行為すること、
行為をとおして学ぶ。
経験する。
知識を取得する -
それが、再び 蓄えられるのです。
で、どちらの体系も、 同じです。
初めに行為する。
初めに経験する。
農地へ出て行き、耕す、 その他すべて。
すなわち、毛沢東と それらの事柄です。
そして、知識を取得する。
その知識より行為し、
もっと多く付け加えるか、 取り去るなどなどをし、
常に修正する。
53:37
他方は、同じです。
すなわち、学ぶ -
他の人より、本より、 事実などより、です。
そのとき、それらを記憶し、 その記憶より行為する。
どちらも同じです。
全然新しい何かを、 見出すには、
記憶の停止が、 なければなりません。
記憶は、経験、知識などの 結果です。
すなわち、一定期間、 全的な欠如が、なければなりません -
または、一秒間か、十分間か、 何であっても、
思考の止滅、すなわち、 記憶の応答の、です。
記憶、知識の継続が、 あるなら、
新しい物事の発見は、 何もありません。
54:46
知識は、いつも過去です。
それで、 何も新しいことが、ない。
テクノロジー的には、たぶん、 それが、彼らがやってきたことです。
ジェット(・
エンジン)を 発見した人は、
内燃機関の構造全体を、
全面的に知っていて、
「よし。
私はそれを知っている。 私は、何か新しいものを、
見つけなければならない」と 言ったにちがいありません。
隔たり、隙間、間隔が、
知られたことと、知られていないこと との間に、ありました。
そのとき、知られていないことは、 知られたことになり、彼は続けてゆきます。
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55:51
質問者: 知られたことに、 挑戦しなくてはいけません。
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55:57
K: 私たちはいったい、 人生の中で、知られたことに、
挑戦することが、ありますか - テクノロジー的に、ではない。
あなたたちは、月へ行って、
あそこに自分の旗を立てられますが、 誰が気に掛けますか!
ですが、私たちは、 テクノロジー的な動きより他に、
いったい挑戦しますか。
私たちはいったい、心理的な 構造全体に、挑戦しますか -
それは、私たちが中に生きる この社会を、創り出してきたのです。
私たちは共産主義者や社会主義者に ならなければならない、ということではない
- それらは、施設・
制度に なります。
ゆえに、私たちは、それら 施設・
制度に、捕らわれます。
で、私たちは、訊ねています。
学びとは何ですか。
それは、この学びの永遠の過程です - 知識を取得し、
その知識を、上手にか、 下手にか、使うのです。
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57:19
質問者: 学びはまた、 捨て去ることでもありえませんか。
それは、蓄積とともに、
また、おそらく、古い様式を 捨て去ることでも、ありえませんか。
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57:29
K: ええ、そうなんです。
知識は、様式を創り出します。
あなたは、その様式に従います。
思考は、頭脳に蓄えられている 記憶の結果です。
記憶は、経験、知識です -
それは過去です。
過去は、現在を通りぬけて、 それ自体を修正し、
未来へ進みます。
これが、私たちがその中で 生きる、常なる過程です。
ですね?
これが、 私たちの日常的な存在です
- 機能的な存在ではなく、 心理的な存在です。
これが、私たちがいつの時も していることです。
で、過去の常なる動きが、あり、 修正されます。
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58:28
質問者: その動きは、 止まりえますか。
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58:30
K: ああ、それは、 すっかり違った問いです。
いつも、過去とともに、
作動し、機能しています。
過去は、少し変化し、 それ自体を修正し、
知られたことの平野に 生きています。
自らがそれを悟るから -
それは、かなり 退屈になることを、です。
それで、何か外側のものを、 想像します。
あなたは、カトリックや プロテスタントや、
これの信者になったり、導師に 加わったり、導師へ行ったりします
- 何か新しいものへ、です。
それは、永遠に同じです。
あなたは、司祭者を 導師に、交換します。
彼らは、どちらも同じです。
ただ、他の導師は、何か新しい、 ロマンチックなものであり、
むしろ、他の者より、 まやかしであるだけです。
で、問いは、こうです - 学びとは何ですか。
それで、すべてですか。
新しいことについて、 学べますか。
新しいことは、 知られたことの欠如です。
あなたは、それについて 学べますか。いいえ。
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1:00:22
質問者: いいえ。 それを経験できます。
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1:00:24
それを経験できるだけです。
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1:00:25
K: ああ、ちょっと お待ちください。
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1:00:29
経験と仰る言葉は、 どういう意味ですか。
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1:00:32
質問者: そこで、何も質問しないで 観察できる精神の状態です。
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1:00:39
K: あなたは、新しいことを、 認識できますか。
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1:00:45
質問者: いいえ。
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1:00:50
K: あなたが認識するなら、 それは、古いことです。
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1:00:51
いいですか?
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1:01:01
質問者: ええ。
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1:01:03
K: で、認識の過程において、 あなたは経験します。ですね?
経験は、何かあなたが、新しいこと であると考えることの認識です。
明白です。
経験の中で、認識が起きる瞬間、
それは、まったく新しくありません。
それは、何か古い投影物です。
その投影を認識し、「まあ、 それは新しい」と言うのです。
それは、神々と女神、その他すべてを もったヒンドゥー教徒に、似ています。
彼らが創り出してきたイメージ、像を、 思考が、投影してきて、
そのイメージを 崇拝しています -
キリスト教徒、その他すべてがそう するように、です。
いいですか?
すみません!
で、私たちは、訊ねています -
私たちがいう、学びとは、 どういう意味ですか。
1:02:24
非蓄積な学びが、ありますか。
質問を理解されますか。
よろしいですか?
それは、こういう意味です - 毎回新しい観察が、ありますか。
私は、自分の妻や ガールフレンドを、
まるで彼女を初めて、見たかのように、 見つめられますか。
または、私は、彼女について、 イメージを持っています。
彼女は、私について、 イメージを持っています。
そして私たちは、それら イメージを見つめて、
「私はあなたを愛しています」と 言います。
いいですか?
で、私たちは、何も 新しいことを、見ないのです。
で、再び、問いへ 戻ってきます。
何が新しいのですか。
学びとは、何ですか。
学びは、古いこと、 知られたことの継続ではなくて、
知られたことが終わることと、
知覚者なしに、 知覚することです。
1:04:02
これは、困難へつながります。
知覚者は、古いものでしょう。
彼は、蓄積された記憶、知識ですが、 彼が、観察しています。
で、彼はいつも、過去の眼でもって 観察しています -
彼が、自分の妻や子どもを 見るのでも、
祖母などや、政治家を 見るのでも、
彼は、過去の眼でもって 観察しています。
彼は、観察者です。
観察者は、自らが観察している ものより、異なっていますか。
私は、あの樹を観察します。
あれは何ですか。
質問者: シダです。
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1:04:54
K: シダ。
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1:04:55
私は、あのシダを 観察します。
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1:04:56
私は、あのシダではありません。
そうでないことを、 願っています!
私は、観察します
- その樹を
山、川を、です。
「樹」という言葉は、 過去の中から、出てきます。
その言葉は、です。
その言葉は、 あれではありません。
あれは、言葉より、 全然、異なっています。
では、あれへの観察が、ありますか - 言葉なしで、観察するのです。
ごらんください。
私は、それを 別の方から、表しましょう。
私は、他の一人への関係の中で、 観察できますか
- 親密でも、そうでなくても、 その人物を、記憶なく、
私がその人物について
蓄積してきたすべての 思い出なしに、です。
1:06:43
そのとき、よろしければ、 訊ねます - 思い出は、愛ですか。
よろしいですか?
私に言ってくださらないでしょうか。
私は訊ねています。
私は、自分の彼女や妻との 或る出来事を、憶えています。
その思い出は、快いとか、 わくわくする等、性的と、その他です。
その思い出を、私は 愛と呼びます。
ですね?
それは愛ですか。
で、愛は、思考ではありません。
私は、あなたを、 いびっていません。すみません。
|
|
1:08:13
質問者: ああ、それは知っています。
|
|
1:08:17
それらにより、語彙の定義全体が、 変化しました。私は家に、
オックスフォード辞典を持っていますが、 私はそれを投げ捨てなくてはいけません。
なぜなら、定義が本当に 変化しつつあるからです。
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|
1:08:28
K: それは、定義ではありません。 それは、現実です。
自らの生の中の現実です。
もし、私のいわゆる愛が、 記憶に、基づいているなら -
すなわち、経験、知識 などに、です。
そのとき、私が愛と呼ぶものは、 物質的な過程です。
なぜなら、思考は、 物質的な過程であるからです。
なぜなら、思考は・
・・記憶は、 細胞の中に、収容されているからです。
私は、脳の構造などの 専門家ではありませんが、
自分自身の中で、 それをすべて、観察してきました。
あなたも、それが見られます。
で、私は学べますか。
愛について、学びがありますか。
それは、奇怪になるでしょうね。
愛は感受ですか。
私は、これらに 入らないでしょう。
あなたたちは、たぶん、 これらに退屈するでしょう。
|
|
1:10:08
質問者: 否定が、私たちを、 よりよい解決へ、
導いてくれるでしょう - 愛する、憎む、ではなくて、です。
記憶を持たずに、憎めますか。 不可能です。
|
|
1:10:16
K: 憎しみとは、何ですか。
|
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1:10:21
質問者: 思考なしには、 私はそれを持ちません。
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|
1:10:23
K: そのとおり。
|
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1:10:24
質問者: が、あなたは、愛は、 思考の排除でもって、
|
|
1:10:29
なされうる、と仰います。 K: いいえ、いいえ。
思考は、生において、ものすごく 重要になったのです。
ですね?
私たちは、思考によって、 生きます。
私たちが創り出してきた物事 すべては、思考の結果です -
結婚、セックス、 人間がすることが可能であったり、
してきたことすべてが、 思考に、基づいています。
思考は、記憶の応答です。
記憶は、知識の 機械的な蓄積です。
ゆえに、思考は機械的です。
ゆえに、それは 制限されています。
ですね?
で、制限されているものが、
自分は、宇宙・
万物を 捉えられると、考えます。
テクノロジー的に、 それは月へ行けます。
で、思考は - 自らは、それが制限 されていることを、悟られますか。
1:11:41
それは、広大な平野の とても小さな片隅です。
その小さな片隅が、
「私は、平野全体を理解 しようとしている」と言います。
それは、平野全体を 理解できないから、
神を創案します。
すみません。
イエスや、クリシュナや、 何であっても、ですが、
私たちの存在全体を、変容させようと している外側の機関を、です。
ですね?
で、私は、それが分かるなら、 思考は、それが分かるなら、
思考は、「私の片隅は 制限されている。
私はそこに留まろう」と 言います。
ですね?
そのとき、何が起きますか。
これは、あなたにとって、 あまりに過ぎますか。
少しあまりに過ぎる。
|
|
1:12:59
質問者: ですが、あなたは、 思考を越えた、
存在を変容させるだろう過程を、 指し示しておられませんか。
|
|
1:13:06
K: 過程はありません。過程は、 時を含意しています。ですね?
時は動きです。
時は思考です。
私は、こう言いました。
思考は、自らが制限されているのを、 悟るとき
- なぜなら、知識は、いつも 制限されているからです -
それは、自らの所に、 留まる、と。
今、それは、「私は平野全体を 征服できる」と言います。
そして、過ちが始まります。
それを見ること -
先入観なく、結論、その他すべてなく、 ただ事実を観察する
- 思考は、砕けてしまった 切れ端であることを、です。
そして、思考はこの世界に、ものすごい 過ちを、創り出してきましたね
- 宗教的な過ち、政治的な過ち、 その他すべてを、です。
で、思考が創り出してきたものは、 何も神聖なものではありません。
いいですか?
|
|
1:14:32
質問者: 私はどのように、 伝達するのでしょうか。
あなたは今、思考でもって 伝達なさっています。
|
|
1:14:36
K: ちょっと待ってください。
私たちは、言葉をとおして、 伝達していますね。
言葉は、思考を表現します。
言葉なしには、あまり多く 伝達できません。
身振りなどをとおして、 少しできます。
さて、あなたは、 どのように聞きますか。
あなたは、思考でもって 聞きますか。
または、ただ聞きますか。
|
|
1:15:17
質問者: とても難しい。
|
|
1:15:21
K: ゆえに、あなたが ただ聞くなら、
言葉はただ、 伝達の手段だけになります。
あなたは、「いいよ。
それは 終了した」と、言います・・・
例えば、
語り手は、思考はきわめて 制限されている、と言います -
制限されています。
さて、それを どのように、聞きますか。
質問者: 考えないことによって、です。
|
|
1:15:48
K: いいえ。聞く。
|
|
1:15:49
いいえ。あなたは、それを どのように聞きますか。
あなたの実際の、 聞く行為は、何ですか。
あなたは、思考は 制限されていると、言うとき、
それを抽象化しますか。
それを観念にしますか。
そのとき、あなたは 聞いていません。
そのとき、あなたは、 聞いています。
で、その聞く行為の中で、何か 新しいことが、起きつつありますね。
で、これらを、あなたの学生へ、 教えられますか。
親は - 私はそれを教育者と 呼びもしないでしょう -
親と教師は、
子どもたち、 自分の子どもと学生を、
これらを理解するよう、 助けられますか。
1:17:06
数学、地理、歴史だけではない。
それは、ひどく 退屈なものですね。
私が教師であるなら、 私が親があるなら、
こうすることは、私の責任、 私の切実さです。
なぜなら、精神に変容が なければならないからです -
違った文化、違った社会、違った 世界を、もたらすように、です。
それは、私が学生を 助けられてこそ、可能です。
よろしいですか - その他すべて、です。
今、何時ですか。
|
|
1:17:51
質問者: 12時何分か。12時25分です。
|
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1:17:56
質問者: クリシュナジ、私たちはちょうど 今、この学びを、この特定の学校に
指導できるのでしょうか - 私たちは それを動かそうとしているから、
私たちは、それを指導しようと しているからです。
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1:18:11
K: 私たちが言いましたように、
私たちは初めに、学生が聞くのを、 助けられますか。
いいですね?
聞く - 私が言うことを、ではない
- 理解されますか - 聞く。
聞くことの美しさ。
あなたが、何か すばらしい音楽を、聞くとき
- 現代の騒音を、ではない。
すみません -
本当のクラシック音楽や、 いにしえの音楽を聞くとき、
あなたは、聞くでしょう。
そのとき、 学びとは、何ですか
- 学びが、知識の蓄積であることを、 知って、です。
知識は、所を持っています - あなたは、 知識を持たなければなりません。
車をどう運転するのか、手紙を どう書くのか、どう話をするのか。
何でも、どうするのか、です。
あなたは 知識を持たなければなりません。
で、知識は、その正しい所に 置かれますか。
1:19:26
ゆえに、あらゆる物事が、秩序 立っているとき、自由があります
- あなたが好きなことを、 するため、ではない。
で、それが、一つの点です。
他方は、こうです -
機械的な過程ではない 学びが、ありますか。
よろしいですか?
すなわち、あなたが知識を、 その正しい所に、置いてきたとき、
思考が、「私は自分が制限されて いるのを、悟る」と言ったとき
- 思考が、自分は制限されていると 考えるのではなく、
実際に、それは 制限されています。
ゆえに、それは、自分の 小さな片隅を、占有します。
そのとき、 学びとは何ですか。
自らは、数学を、学ばなければなりません - 必ず、です。
歴史、地理、 その他すべてを、です。
そのとき、学びとは何ですか。
学びは、行為することです。
1:20:49
そうではないですか。 いいえ?
よろしいですか?
いいえ?
私は、行為するために、 数学を学びます -
教授として、それを 蓄えておくだけとか、
或る種の白痴的なこととして、 自分の精神に保っておくのではなく、
私は学びます -
すなわち、知識、 そして、行為です。
そのとき、行為は何ですか。
行為は - 私は、あなたが仰った ことについて、話しています。
私は、それに 入ろうとしています。
行為は、過去の記憶に 基づいていますか。
そのとき、その行為は、 行為ではありません。
それは、条件づけられています。
その行為は、過去により、 条件づけられています。
ですね?
私が、未来に沿って 行為するなら
- ユートピア、理想に沿って、です。
「ああ、世界には、すばらしい 物事が、あるだろう」と。
そのとき、私は実際に・
・・
その未来は、過去より、 投影されています。ですね?
1:22:02
で、私はやはり、過去に 捕らわれています。
で、それは、 行為ではありません。
行為は、今することを、 意味しています。
確かにそれが、「行為」という言葉が、 意味していることです。
だいじょうぶですか。
進んでもいいですか。
で、私は、自分の行為がいつも、 過去に基づいてきたのを、悟ります。
または、未来での 何か理想、信念に、です -
「私はあれであるべきだ。
私はあれになるだろう」と。
それに沿って行為する。
ゆえに、 それは、行為ではありません。ですね?
そこで、行為について、私は学ばなければ なりません。
学びが、なければなりません。
思考により、 過去や未来により、
汚染されていない行為が、 ありますか。
|
|
1:22:59
質問者: 現在に生きる。
|
|
1:23:01
K: いいえ。現在と言わないでください。 それは、どういう意味ですか。
それは、言葉だけです。
それは、どういう意味ですか。
私は、現在に生きたいと思う。
ですね?
それは、どういう意味ですか。
現在が、ありますか。
または、過去が いつも、それ自体を修正していて、
それが、「私は現在だ」と 言いますか。
で、行為が、ありますか -
すなわち、過去や未来に 基づいていない行為、
環境の影響などなどに、 依存していないのが、です。
過去、あるいは未来や、 環境、境遇などなどに
関係していない行為が、 ありますか。
これを探究してください。
行為、見つめること、観察が、 ありますか -
自分の妻や ガールフレンドを、
まるで、初めて彼女を 見つめているかのように、です。
1:24:24
または、私の観察は、いつも過去により 汚染されなければなりませんか
- 過去のイメージ、過去の記憶、過去の 楽しみ、その他すべてによって、です。
ゆえに、私は、自分のイメージを とおし、自分の投影をとおして、
彼女を見つめています。
それはすべて、 ばかげています。
それで、行為がありますか -
行為する -
未来や過去なしに、です。
私は、あると言います。
私は間抜けにちがいないが、 あります。
その行為は、全部への洞察の 中から、生まれています。
すなわち、 私は洞察を持つとき、
過去は行為でないとの 洞察があるところ、
洞察があるとき -
すなわち、未来 - 理想、 ユートピア、過去からの投影 - は、
実際にすることではないと、です。
そのとき、 その知覚が、洞察です。
その洞察は、即座の行為です。
1:26:17
で、私は、知覚します - 例えば、論理、理性、健全さは、
民族主義者であることや、 どの国にも所属することは、
大変破壊的である、と言います。
ですね?
私はそれを知覚します。 それが見えます。
私が「私はヒンドゥー教徒だ」と言うなら、 それは、最も破壊的なことであるのが、
分かります。
なぜなら、私は、 イスラム教徒と、闘っているからです
- 彼なりに、 条件づけられている人と、です。
私が、別の形で条件づけられて いるように、です。
で、それへの洞察が、あるとき、
私はそれを、即座に 終了させます。
そこから、私は、それがいかに 邪なのかを、議論できますが、
人々の分割は、 最も破壊的なことであるのを、
明らかに、即座に見る。
その洞察。
ゆえに、 あなたは、所属しません。
あなたはもはや、ヒンドゥー教徒、 それらのくずではありません。
1:27:20
ですが、インドのパスポートを 持っています。
|
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1:27:30
質問者: それは、私たちに 課されている条件です。
|
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1:27:34
K: いえ、いえ。それは便宜です。 それだけです。
誰も、私に課しません。
|
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1:27:41
質問者: それは、計画者と政策立案者にとって、どういう意味ですか。
これは、政策立案者と 意思決定者と計画者にとって、
それは、どういう含意ですか。
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1:27:51
K: 彼らは、これに 興味がありません。
彼らは、これらについて、 これっぽっちも、気に掛けません。
彼らは、権力、地位、投票、 その他すべてに、興味があります。
私は、彼らに投票するほど 白痴的であるなら、
私は、彼らの白痴的なことに、 責任があります。
で、そう言う行為が、ありますか ・
・・ 理解されますか。
ゆえに、蓄積されない学びが、 あります。
それは、理論ではありません。
それは、何かインドからの、漠然として 神秘的なごみではありません。
これは事実です。
私は、何か 危険なものが見えるなら、終了しました。
あなたは、コブラや、 ガラガラヘビを、玩びません。
同じように、あなたは、 何かが見えるなら -
すなわち、民族主義、世界で 進んでいることすべては、
本当に、大変危険である、
人間の生存、物理的生存にとって すら、危険である、と見えるなら、
それは終了しました。
あなたは、どの集団にも、
どの派にも、どの施設などにも、 所属していません。
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1:29:33
質問者: するとそのとき、この集団に、 様式はあるべきでないでしょう。
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K: ああ! 執着があるなら、 あなたは迷っています。
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1:29:43
質問者: ですが、 全的な関与が、ありえます。
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K: ああ。
あなたは、これが正しいすべきことで あると、見えるなら、執着していません。
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質問者: すると、私たちは、正しい 行為について、話しています。
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K: それが、私が 言っていることです。
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質問者: ですが、私たちは、 それを見なくてはいけません。
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K: 見てください。それは明白です。
あなたが、自分の妻に 執着しているなら、
執着は、愛ですか。
執着は、恐れ、嫉妬を 生み育てます。
ああ、私は、それらに入らない でしょう。すみません。
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質問者: この議論の中で、 ちょっと、私たちが話せたらと、
私が願っていたことは - 残された二、三分間で、ですが -
その洞察であり・・・
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K: ええ、ごらんください。
私たちは、異なった種類の 教育が、必要です。
ですね?
それは、全的な人に、 関心を持つものです -
全的な男、女、子どもに、
人の全体性に、です。
ですね?
人の全体性は、物理的でも、 心理的でもあり、
いわゆる霊的でも、 いわゆる宗教的でもあります
- 進んでいる宗教ではありません。
それは、すべてごみです。
それは、大きなサーカスです。
で、あなたは そのすべてが、見えるなら -
あなたは、実際に
教育の重要性が、見えますか
- 子どもたちの、学生の、私自身の、 あなた自身の教育の、
人の総体の発達の重要性が、 ですね?
あなたは、それが見え、 私は、それが見えるなら、
私たちはこう言います - 「私たちは 子どもたちを持っている。
彼らをそのように教育しよう」と。
執着はありません。
「私はしなければならない」と言うのは、 私が見ないときだけ、です。
そのとき、自分がすることに、 私は執着しています。
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それで十分であると、思います。 そうでないですか。よろしいですか。
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